桜舞う四月、期待と不安を胸に開けた教室の扉の先で出会った君が―――。
「……綺麗……」
あまりに美しくて輝いていたから、思わず息を呑んだ。
窓の外で風に揺れる満開の桜が引き立て役になってしまうほどに、君は綺麗だった。
◇
◇
◇
高校入学初日の朝、僕は鏡の前で、見慣れない制服姿の自分を何度もチェックしていた。
寝癖はついていないだろうか、制服は着こなせているだろうか、中学生には見えないだろうか。
色んな不安がメリーゴーランドのように頭の中をぐるぐる回る。
「めぐみ〜!そろそろ朝ごはん食べちゃいなさい!」
「っ!わ、分かったから!」
そわそわしながら準備をしていたせいか、聞き慣れた母さんの声にも驚いて、思わず心臓がドキッと跳ねてしまった。
髪をもう一度軽く梳かしてからリビングの食卓へ向かうと、さっきまで寝ていたはずの父さんと弟も起きていた。
「おはよう」
三人は新品の制服を着た僕をまん丸の目で見て、固まったまま何も言わない。
「な、なんだよう……」
僕の言葉にハッとしたような顔をして、弟のあおいがスクっと立ち上がる。
「兄ちゃん!すげー似合ってるね!」
「えっ、」
「ああ!めぐみ!ついに高校生か……父さん嬉しいぞ……」
「納豆勢いよくかき混ぜながら言われるとちょっと……」
「めぐみ」
ぽん、と肩に手を置かれて振り向くと、父さんと同じくらい嬉しそうに笑って僕を見る母さんがいた。
「本当に似合ってるわよ」
「……そう?」
「ええ」
正直ずっと心配だったから、一番近くにいる家族に褒めてもらえて、心がじんわり温かくなる。
「あ、ありが、」
「いや〜でもやっぱり一つ小さいサイズに変えて良かったじゃない!」
「うっ……」
「これから身長伸びるにしても、最初に試着したサイズは大きかったもの」
「もう!せっかくいい気分だったのに!」
ちょっと怒りながら席に着いて、牛乳をグビッと飲んでやろうとコップに口をつけたけど、いただきますを言っていないことに気づいた。
コップを一度机に置き直して、手を合わせる。
炊き立てのご飯、具沢山のお味噌汁、いつもの納豆とサラダ。
そして、僕の大好きな甘い卵焼き。
「……いただきます」
「はい、どうぞ」
高校の入学式という大きなイベントがある今日も、家族と迎えるいつも通りの朝のおかげで、ほんの少し緊張がほぐれた気がした。
◇
◇
◇
「人だらけだ……」
学校に着くと、既に多くの新入生がクラス発表の掲示板周辺に集まっていた。
中学は規模が小さい方だったから、その賑やかさに圧倒される。
なんだか少し夢を見ているようなふわふわした心地で、僕もその掲示板を確認する。
「!一組……」
一組から順番に確認しようとドキドキしながら視線を向けたのに、あっという間に自分の名前を見つけたので、ちょっぴり拍子抜けする。
一年一組ってまあ覚えやすくていいかも、なんて思っていたら、後ろから知っている声に呼ばれた。
「めっぐみ〜!」
「わっ、みっくん」
グイッと肩を組んできたのは、小学校からずっと一緒の幼馴染、大橋湊斗・通称みっくんだ。
「どう?もうクラス見た?」
「う、うん」
「瀬川、瀬川……お!瀬川めぐみ!一組か!」
「みっくんは?」
「ん?確かに!俺は……あ、大橋湊斗も一組にある!」
「ふはっ、なんで僕を先に見つけるんだよ」
中学の頃と変わらない、元気で面白いみっくんのおかげで、硬直していた体の筋肉がふっと緩んだ気がした。
「でも、良かった。みっくんがいたら安心だなぁ」
「へへ、俺もめぐみと一緒で嬉しい!」
みっくんと笑い合っていたら、ふと、僕の横から甘い香りがふわりと漂ってきた。
「す、すみません」
人混みを縫って掲示板の前に来たのは、長い黒髪ストレートの女の子だった。
まっすぐで艶のあるその髪の毛に、思わず感動して見惚れてしまう。
僕は生まれつき明るめの茶髪だから、こういう深い黒色の髪には少し憧れる。
中学のときなんか、入学当初は頭髪検査で疑われて、すっごく面倒だったんだから。
まあ、この高校は派手じゃなければカラーもメイクも校則で許されているから、そのあたりは安心だけど。
「なぁ、め、めぐみっ」
「ん?みっくんどうしたの」
そういえばさっきから静かだったみっくんが、なぜか顔を真っ赤にしてひそひそ声で話しかけてくる。
「あ、雪乃!おはよ〜」
「花音!おはよっ」
みっくんが何か返事をする前に、目の前の黒髪女子の友達らしき人がやって来た。
何やら親しげに話しているから、おそらく同じ中学出身なのだろう。
「同じ一組だね!出席番号やっぱり前後だ」
「うん!嬉しい」
どうやら僕らと同じクラスで、出席番号も近いらしい。
えっと、一組の欄で、花音と雪乃って名前の人は……
鈴木花音さんと、その友達の新川雪乃さん、か。
あぁ、僕、クラスの人の名前全員覚えられるのかなぁ。
「おい!めぐみ!そろそろここを離れるぞ!」
「んぇ?わっ!み、みっくん、引っ張らないでよ〜」
相変わらずひそひそ声で話すみっくんに力強く腕を引かれ、僕は掲示板周辺の人混みから抜け出した。
「ど、どうしたの、いきなり走って」
「ど、どどうしたのって!それは……」
「それは?」
じいっとみっくんの顔を覗き込むと、やっぱりりんごみたいに真っ赤に染まっている。
「そ、それはぁ……か、可愛かったから」
「えっ?」
「ほ、ほら、長い黒髪の子、いたろ?」
「あー、鈴木……なんとかさん」
「か、っ、花音、さんな」
「ああ、そうそう!みっくん覚えるの早いなぁ」
みっくんは昔から記憶力が良いんだよなぁ、なんて感心しつつ、みっくんの発言をゆっくり噛み砕いて、やっと気づいた。
「……えっ、みっくん、それって……!」
自分の顔が、ぽぽっと熱くなってしまうのが分かる。
「……はー、めぐみってほんと鈍いよな」
「ご、ごめんよ……じゃ、じゃあ、告白するの?」
「ばっ!さすがに早いだろ〜!?そりゃ誰かに先越されたくないけどさ、いきなりは怖がられるだろうし……」
熱そうなほっぺたを手のひらで包みながら、みっくんはため息をついた。
「そっかぁ……大変だね、恋って」
「他人事だなぁ。めぐみだって、高校では好きな子できるかもしれないだろ?」
「うーん、そうなのかなぁ」
小学五年生のとき、クラスで初めてカップルが誕生した。
いや、正確には誕生した「らしい」。
僕は全く気づかなかったけど、後になってみっくんに教えてもらって知ったんだ。
まあ、僕が知ったのは中学になってからだし、そのときにはその子たちも別れていたそうだけど。
中学生になると、誰が誰を好きとか、そういう話がたまに耳に入るようになった。
でも、僕が話題の中心になることはもちろんなかったし、多分校内で一番恋愛情報に疎かった自信がある。
いつもみっくんにツチノコを見たかのように驚かれたもんな。
全く、失礼なやつだ。
そんなわけで、恋とは無縁の生活を送ってきたから、僕にとってそれは未知の世界だ。
でも、恋をしている友達を見てるのは楽しいし、みんなの話を聞く限り、きっとすごく素敵なものなんだと思う。
「一年の教室って、この階だよな」
「うん」
みっくんと話しながら階段を上って、いよいよ新しい学校の新しい教室に入るときが来た。
だいぶほぐれていたはずの緊張が、またじわじわとぶり返してくる。
「あ、開けてみるね……って聞いてないし」
上ってきた階段をチラチラ振り返りながら、鈴木さんが来るかどうかを確認しているみっくんは頼りにならないから、緊張するけど、僕が扉を開けてみよう。
少しスピードを上げる心臓を抑えて、ガラッと新しい世界へ踏み出して―――。
「……綺麗……」
時が止まった……ように感じた。
透き通った衝撃を受けた。
「おーい、めぐみ?鈴木さんまだ来ないから早く入ろうぜ」
「……うん……」
「ん?めぐみ?」
後ろの壁にもたれかかって、風に舞う桜を眺めている男の子。
いや、僕と比べたら何十倍も大人っぽくて、男の子というより男性と呼ぶ方が相応しいかもしれない。
鈴木さんのように艶のある黒髪と、すらりと高い身長、抜群のスタイル。
でも、最も僕の目を惹いたのは、その中のどれでもなかった。
彼は……メイクをしていた。
「めーぐーみ、ほら、入るぞ」
「っ!み、みっくん」
「どうしたんだよ、ぼーっとして」
「い、いや……」
みっくんに促されるまま教室に入り、自分の出席番号の札が貼られた机へ、おぼつかない足取りで向かう。
きらきら胸が高鳴って、ときめきが全身を駆け巡る。
「めぐみ、一番前の席じゃん!ドンマイ……あ、でも黒板は見やすいか」
みっくんの声は聞こえるけど、あんまり内容は頭に入ってこない。
「俺は前から四番目〜。隣は十番の……篠崎夏って人だ。さっき名簿の写真撮っておいて良かったー」
チラッと彼の方を見ると、
「っ!」
バチっと視線が交わった。
黒い猫目にしゅうっと吸い込まれそうだったから、思わず目線を逸らす。
すると、入れ替わりで今度はみっくんが彼を見つけたみたいだ。
「おー、後ろに立ってる人、すっげーイケメンだな」
「っ!だ、だよね!?」
「うん。背も高いのなー、俺に分けてほしいぜ」
ほら、やっぱりそうだ。
彼のことを魅力的だと思うのは、僕だけじゃない。
共感してもらえるのが嬉しくて、ちょっと食い気味に反応してしまった。
「なんか、あの人ずっとこっち見てねーか?」
「え?」
みっくんに言われてもう一度彼の方を見ると、眩しい光を纏う彼が、なんとこちらへ向かってくるではないか。
「み、みっくん、」
「そんなビビんなくてもいいじゃん?クラスメイトだし」
ビビっているわけではない。
怖いというより、素敵すぎてどうしたらいいか分からない。
憧れの芸能人にばったり出会ったら、誰だってパニックになるよね?
今の僕は、多分そういう感じだ。
「おはよ!はじめまして。俺、大橋湊斗!名前、聞いてもいい?」
社交的なみっくんが話しかけると、彼は小さくぺこ、とお辞儀をして口を開いた。
「篠崎夏って言います。よろしく」
「……!」
表情は全然変わらないけれど、その声は外見と同じく透き通っていて、とても優しい。
「へー!夏ね!よろしく!」
「えっと……」
「っ!」
みっくんに向いていた視線がスッと横に移って、僕に刺さってしまった。
「あ、ぼ、僕は、瀬川めぐみです!よろしくね」
「湊斗と、めぐみ。うん、よろしく」
名前を呼ばれたとき、ドクンと大きく心臓が動いた。
きらきらした人に認識されると、こんなに嬉しくてドキドキしちゃうんだなぁ。
「夏は席どこなの?」
「二列目の前から四番目」
「マジ!?俺たち隣じゃん!」
いぇーい!とみっくんが前に出した両手に、夏くんは控えめにとん、と自分の両手を合わせた。
そして、僕の方を見る。
「めぐみはここなの?」
「うん、一番前になっちゃった……あはは……」
「そっか……」
相変わらず表情は変わらなくてクールだけど、もしかして同情してくれたのかな。
それにしても、近くで見るとさらに綺麗だ。
何もしなくても絶対に綺麗なのに、ナチュラルメイクでその美しさが際立っている気がする。
特に唇は……程よく赤く色づいて、潤っていて、なんだかとてもセクシーだ。
「まあ、一ヶ月で席替えあるだろ。それまで夏と後ろから見守っといてやるからさ、頑張れめぐみ!」
みっくんにバシッと背中を叩かれて、ぐえっと情けない呻き声が出た。
まもなく案内の先生が教室にやってきて、体育館へ移動し、僕たちは無事に入学式を終えた。
夏くんというかっこいいメイク男子との出会いは、僕にとってあまりにも感動的なものだったから、入学式の最中も、初めての帰り道も、ずっと夏くんのことで頭がいっぱいだった。
こんなに誰かに心を奪われるのは初めてだから、まだ夏くんと話すのは緊張しちゃうけど……。
「めぐみ、新しいクラスはどうだった?お友達できそう?」
そう母さんに聞かれたとき、
「……うん、すっごく楽しそう!」
心でワクワクが弾けて、迷わずそう言えたんだ。
「……綺麗……」
あまりに美しくて輝いていたから、思わず息を呑んだ。
窓の外で風に揺れる満開の桜が引き立て役になってしまうほどに、君は綺麗だった。
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高校入学初日の朝、僕は鏡の前で、見慣れない制服姿の自分を何度もチェックしていた。
寝癖はついていないだろうか、制服は着こなせているだろうか、中学生には見えないだろうか。
色んな不安がメリーゴーランドのように頭の中をぐるぐる回る。
「めぐみ〜!そろそろ朝ごはん食べちゃいなさい!」
「っ!わ、分かったから!」
そわそわしながら準備をしていたせいか、聞き慣れた母さんの声にも驚いて、思わず心臓がドキッと跳ねてしまった。
髪をもう一度軽く梳かしてからリビングの食卓へ向かうと、さっきまで寝ていたはずの父さんと弟も起きていた。
「おはよう」
三人は新品の制服を着た僕をまん丸の目で見て、固まったまま何も言わない。
「な、なんだよう……」
僕の言葉にハッとしたような顔をして、弟のあおいがスクっと立ち上がる。
「兄ちゃん!すげー似合ってるね!」
「えっ、」
「ああ!めぐみ!ついに高校生か……父さん嬉しいぞ……」
「納豆勢いよくかき混ぜながら言われるとちょっと……」
「めぐみ」
ぽん、と肩に手を置かれて振り向くと、父さんと同じくらい嬉しそうに笑って僕を見る母さんがいた。
「本当に似合ってるわよ」
「……そう?」
「ええ」
正直ずっと心配だったから、一番近くにいる家族に褒めてもらえて、心がじんわり温かくなる。
「あ、ありが、」
「いや〜でもやっぱり一つ小さいサイズに変えて良かったじゃない!」
「うっ……」
「これから身長伸びるにしても、最初に試着したサイズは大きかったもの」
「もう!せっかくいい気分だったのに!」
ちょっと怒りながら席に着いて、牛乳をグビッと飲んでやろうとコップに口をつけたけど、いただきますを言っていないことに気づいた。
コップを一度机に置き直して、手を合わせる。
炊き立てのご飯、具沢山のお味噌汁、いつもの納豆とサラダ。
そして、僕の大好きな甘い卵焼き。
「……いただきます」
「はい、どうぞ」
高校の入学式という大きなイベントがある今日も、家族と迎えるいつも通りの朝のおかげで、ほんの少し緊張がほぐれた気がした。
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「人だらけだ……」
学校に着くと、既に多くの新入生がクラス発表の掲示板周辺に集まっていた。
中学は規模が小さい方だったから、その賑やかさに圧倒される。
なんだか少し夢を見ているようなふわふわした心地で、僕もその掲示板を確認する。
「!一組……」
一組から順番に確認しようとドキドキしながら視線を向けたのに、あっという間に自分の名前を見つけたので、ちょっぴり拍子抜けする。
一年一組ってまあ覚えやすくていいかも、なんて思っていたら、後ろから知っている声に呼ばれた。
「めっぐみ〜!」
「わっ、みっくん」
グイッと肩を組んできたのは、小学校からずっと一緒の幼馴染、大橋湊斗・通称みっくんだ。
「どう?もうクラス見た?」
「う、うん」
「瀬川、瀬川……お!瀬川めぐみ!一組か!」
「みっくんは?」
「ん?確かに!俺は……あ、大橋湊斗も一組にある!」
「ふはっ、なんで僕を先に見つけるんだよ」
中学の頃と変わらない、元気で面白いみっくんのおかげで、硬直していた体の筋肉がふっと緩んだ気がした。
「でも、良かった。みっくんがいたら安心だなぁ」
「へへ、俺もめぐみと一緒で嬉しい!」
みっくんと笑い合っていたら、ふと、僕の横から甘い香りがふわりと漂ってきた。
「す、すみません」
人混みを縫って掲示板の前に来たのは、長い黒髪ストレートの女の子だった。
まっすぐで艶のあるその髪の毛に、思わず感動して見惚れてしまう。
僕は生まれつき明るめの茶髪だから、こういう深い黒色の髪には少し憧れる。
中学のときなんか、入学当初は頭髪検査で疑われて、すっごく面倒だったんだから。
まあ、この高校は派手じゃなければカラーもメイクも校則で許されているから、そのあたりは安心だけど。
「なぁ、め、めぐみっ」
「ん?みっくんどうしたの」
そういえばさっきから静かだったみっくんが、なぜか顔を真っ赤にしてひそひそ声で話しかけてくる。
「あ、雪乃!おはよ〜」
「花音!おはよっ」
みっくんが何か返事をする前に、目の前の黒髪女子の友達らしき人がやって来た。
何やら親しげに話しているから、おそらく同じ中学出身なのだろう。
「同じ一組だね!出席番号やっぱり前後だ」
「うん!嬉しい」
どうやら僕らと同じクラスで、出席番号も近いらしい。
えっと、一組の欄で、花音と雪乃って名前の人は……
鈴木花音さんと、その友達の新川雪乃さん、か。
あぁ、僕、クラスの人の名前全員覚えられるのかなぁ。
「おい!めぐみ!そろそろここを離れるぞ!」
「んぇ?わっ!み、みっくん、引っ張らないでよ〜」
相変わらずひそひそ声で話すみっくんに力強く腕を引かれ、僕は掲示板周辺の人混みから抜け出した。
「ど、どうしたの、いきなり走って」
「ど、どどうしたのって!それは……」
「それは?」
じいっとみっくんの顔を覗き込むと、やっぱりりんごみたいに真っ赤に染まっている。
「そ、それはぁ……か、可愛かったから」
「えっ?」
「ほ、ほら、長い黒髪の子、いたろ?」
「あー、鈴木……なんとかさん」
「か、っ、花音、さんな」
「ああ、そうそう!みっくん覚えるの早いなぁ」
みっくんは昔から記憶力が良いんだよなぁ、なんて感心しつつ、みっくんの発言をゆっくり噛み砕いて、やっと気づいた。
「……えっ、みっくん、それって……!」
自分の顔が、ぽぽっと熱くなってしまうのが分かる。
「……はー、めぐみってほんと鈍いよな」
「ご、ごめんよ……じゃ、じゃあ、告白するの?」
「ばっ!さすがに早いだろ〜!?そりゃ誰かに先越されたくないけどさ、いきなりは怖がられるだろうし……」
熱そうなほっぺたを手のひらで包みながら、みっくんはため息をついた。
「そっかぁ……大変だね、恋って」
「他人事だなぁ。めぐみだって、高校では好きな子できるかもしれないだろ?」
「うーん、そうなのかなぁ」
小学五年生のとき、クラスで初めてカップルが誕生した。
いや、正確には誕生した「らしい」。
僕は全く気づかなかったけど、後になってみっくんに教えてもらって知ったんだ。
まあ、僕が知ったのは中学になってからだし、そのときにはその子たちも別れていたそうだけど。
中学生になると、誰が誰を好きとか、そういう話がたまに耳に入るようになった。
でも、僕が話題の中心になることはもちろんなかったし、多分校内で一番恋愛情報に疎かった自信がある。
いつもみっくんにツチノコを見たかのように驚かれたもんな。
全く、失礼なやつだ。
そんなわけで、恋とは無縁の生活を送ってきたから、僕にとってそれは未知の世界だ。
でも、恋をしている友達を見てるのは楽しいし、みんなの話を聞く限り、きっとすごく素敵なものなんだと思う。
「一年の教室って、この階だよな」
「うん」
みっくんと話しながら階段を上って、いよいよ新しい学校の新しい教室に入るときが来た。
だいぶほぐれていたはずの緊張が、またじわじわとぶり返してくる。
「あ、開けてみるね……って聞いてないし」
上ってきた階段をチラチラ振り返りながら、鈴木さんが来るかどうかを確認しているみっくんは頼りにならないから、緊張するけど、僕が扉を開けてみよう。
少しスピードを上げる心臓を抑えて、ガラッと新しい世界へ踏み出して―――。
「……綺麗……」
時が止まった……ように感じた。
透き通った衝撃を受けた。
「おーい、めぐみ?鈴木さんまだ来ないから早く入ろうぜ」
「……うん……」
「ん?めぐみ?」
後ろの壁にもたれかかって、風に舞う桜を眺めている男の子。
いや、僕と比べたら何十倍も大人っぽくて、男の子というより男性と呼ぶ方が相応しいかもしれない。
鈴木さんのように艶のある黒髪と、すらりと高い身長、抜群のスタイル。
でも、最も僕の目を惹いたのは、その中のどれでもなかった。
彼は……メイクをしていた。
「めーぐーみ、ほら、入るぞ」
「っ!み、みっくん」
「どうしたんだよ、ぼーっとして」
「い、いや……」
みっくんに促されるまま教室に入り、自分の出席番号の札が貼られた机へ、おぼつかない足取りで向かう。
きらきら胸が高鳴って、ときめきが全身を駆け巡る。
「めぐみ、一番前の席じゃん!ドンマイ……あ、でも黒板は見やすいか」
みっくんの声は聞こえるけど、あんまり内容は頭に入ってこない。
「俺は前から四番目〜。隣は十番の……篠崎夏って人だ。さっき名簿の写真撮っておいて良かったー」
チラッと彼の方を見ると、
「っ!」
バチっと視線が交わった。
黒い猫目にしゅうっと吸い込まれそうだったから、思わず目線を逸らす。
すると、入れ替わりで今度はみっくんが彼を見つけたみたいだ。
「おー、後ろに立ってる人、すっげーイケメンだな」
「っ!だ、だよね!?」
「うん。背も高いのなー、俺に分けてほしいぜ」
ほら、やっぱりそうだ。
彼のことを魅力的だと思うのは、僕だけじゃない。
共感してもらえるのが嬉しくて、ちょっと食い気味に反応してしまった。
「なんか、あの人ずっとこっち見てねーか?」
「え?」
みっくんに言われてもう一度彼の方を見ると、眩しい光を纏う彼が、なんとこちらへ向かってくるではないか。
「み、みっくん、」
「そんなビビんなくてもいいじゃん?クラスメイトだし」
ビビっているわけではない。
怖いというより、素敵すぎてどうしたらいいか分からない。
憧れの芸能人にばったり出会ったら、誰だってパニックになるよね?
今の僕は、多分そういう感じだ。
「おはよ!はじめまして。俺、大橋湊斗!名前、聞いてもいい?」
社交的なみっくんが話しかけると、彼は小さくぺこ、とお辞儀をして口を開いた。
「篠崎夏って言います。よろしく」
「……!」
表情は全然変わらないけれど、その声は外見と同じく透き通っていて、とても優しい。
「へー!夏ね!よろしく!」
「えっと……」
「っ!」
みっくんに向いていた視線がスッと横に移って、僕に刺さってしまった。
「あ、ぼ、僕は、瀬川めぐみです!よろしくね」
「湊斗と、めぐみ。うん、よろしく」
名前を呼ばれたとき、ドクンと大きく心臓が動いた。
きらきらした人に認識されると、こんなに嬉しくてドキドキしちゃうんだなぁ。
「夏は席どこなの?」
「二列目の前から四番目」
「マジ!?俺たち隣じゃん!」
いぇーい!とみっくんが前に出した両手に、夏くんは控えめにとん、と自分の両手を合わせた。
そして、僕の方を見る。
「めぐみはここなの?」
「うん、一番前になっちゃった……あはは……」
「そっか……」
相変わらず表情は変わらなくてクールだけど、もしかして同情してくれたのかな。
それにしても、近くで見るとさらに綺麗だ。
何もしなくても絶対に綺麗なのに、ナチュラルメイクでその美しさが際立っている気がする。
特に唇は……程よく赤く色づいて、潤っていて、なんだかとてもセクシーだ。
「まあ、一ヶ月で席替えあるだろ。それまで夏と後ろから見守っといてやるからさ、頑張れめぐみ!」
みっくんにバシッと背中を叩かれて、ぐえっと情けない呻き声が出た。
まもなく案内の先生が教室にやってきて、体育館へ移動し、僕たちは無事に入学式を終えた。
夏くんというかっこいいメイク男子との出会いは、僕にとってあまりにも感動的なものだったから、入学式の最中も、初めての帰り道も、ずっと夏くんのことで頭がいっぱいだった。
こんなに誰かに心を奪われるのは初めてだから、まだ夏くんと話すのは緊張しちゃうけど……。
「めぐみ、新しいクラスはどうだった?お友達できそう?」
そう母さんに聞かれたとき、
「……うん、すっごく楽しそう!」
心でワクワクが弾けて、迷わずそう言えたんだ。



