魔法のかけられた転移扉をくぐれば、そこはすぐに龍を呼び出すために作られた広場。その広場を覆うように気候制御の結界が張られている為、雪も風も窓ガラスの外に見る景色の様だ。
 龍の住む山に向かって、国境にほど近い森の中に造られたそこに入れるのは代々のロイエンタール当主。
 そしてその扉の鍵を預かる従者のみ。

 その広場の中央立ち、ベルンハルトは遠くにそびえる山を見つめた。
 声をかければ、すぐにでも龍が飛んでくるだろう。吹雪などもろともせず、風よりも早く一直線に。
 ベルンハルトは呼びかけようと口を開き、またすぐに閉じる。そして後ろに控えるアルベルトへと向き直った。

「アルベルト。久しぶりにヘルムートに怒られてしまったな」

「はい。私の不手際のせいで、大変失礼しました」

「いや、リーゼロッテ様にきちんと伝えてなかった私が悪い」

 アルベルトと顔を見合わせ、自分の不甲斐なさに自嘲気味に笑う。

「アルベルトは何度か注意してくれていたのにな。のらりくらりと先延ばしにしたのは私だ」

「ベルンハルト様は、奥様が苦手でいらっしゃいますか? お気に召していた様に思っていたのは、私の勘違いだったのでしょうか」

「苦手などということはない」

「それでしたら、もう少し奥様に寄り添ってはいかがですか?」

 アルベルトの言葉は、ベルンハルトの心に深く突き刺さる。
 食事を一緒にしようと、リーゼロッテが気を回して声をかけてきてくれるのが嬉しくて仕方ない。
 お茶でもどうですかと、誘われた時にはつい乗ってしまいそうだった。
 それでも、今以上に嫌われてしまう未来が怖くて、突き放してしまう。
 バルタザールが離婚を認めなければ、リーゼロッテはこの城にいてくれる。
 ただそれだけで良い。
 好かれようなど、そんな望みを抱いてしまうほど愚かではない。

(このあざさえなければ)

 鏡を見る度に忌々しく思う、左目の周辺に広がるあざ。何をしても隠しきれず、仮面をつけるしかなかった。
 アルベルトと話し込んでいるうちに、遠くで音が聞こえた。山に視線を移せば、雪煙が立ち上がっている。

「お喋りもここまでらしい」

 ベルンハルトは姿勢を正し、前をしっかり見据えた。

「レティシア。もう、近くにいるんだろう? 今年も魔獣の討伐に力を貸してほしい」

 吹雪の中に向かって、ベルンハルトがそう声をかける。
 すると風も通さないはずの結界の中に一筋の風が通り抜けた。

「ベルンハルト、一年ぶりね。今年もよろしく」

 叫んだって意味を為さない吹雪の中、ベルンハルトの姿や声を見つけてしまう龍の目や耳は、どうなっているのだろうか。
 ベルンハルトの声かけに応えるように、レティシアが広場に姿を現した。
 その姿はいつでも若い女性のもので、二十代の様に見える。龍の寿命が何百年あるのかはわからないが、まるで老いを知らないようだ。

「あぁ。今年も頼む」

「討伐はともかく、私に言うことがあるでしょう? 結婚したって本当?」

「あぁ」

「私の知らないところで、勝手にそういうことするのね」

「知らないって……其方に関係ないだろう」

「あらぁ。酷いこと言うじゃない。見知らぬ仲でもないくせに」

「な! 誤解を受ける様な言い方をするな!」

「……それで? 相手は? 人間?」

「あ、当たり前だろう! 国王の娘だ」

「国王って、バルタザールの? 娘……ってまさか」

「あぁ。リーゼロッテ王女だ」

「リーゼ……ふぅん」

「何だ?」

 レティシアはフワッと飛び上がると、そのままベルンハルトの耳元に口を寄せた。
 ベルンハルトの肩に手を添えていても、そこには何の重みも感じられず、ふわふわとその場に浮いている。

「いいえ……それで? もう? 夜も楽しんでる?」

「な! そ、そのようなこと、其方に言う必要はない!」

 耳まで赤く染めて、慌てふためくベルンハルトの様子に、レティシアは何かを悟ったように顔中に笑顔を浮かべる。

「へぇ。それなら良かった。安心したわ」

「何がだ?」

「まだ、私が付け入る隙はありそうね」

「レ、レティシア様。お戯れもほどほどに……」

 ベルンハルトが狼狽えている姿を見るに見かねて、アルベルトが言葉を挟む。

「アルベルトもいたのね」

「先程よりおりますが」

「気がつかなかったぁ。でも、ちょっと黙っててくれる? 私、弱い男に興味ないの」

「っ……」

「それとも、貴方がベルンハルトの代わりになる?」

 レティシアが再び宙を飛んでいこうと、アルベルトに体を向ける。
 ちょうどその時だ。
 遠くの方で獣の咆哮が聞こえる。

「レティシア様!」

 途端に結界の中に飛んできたのはレティシアよりも一回り小さな龍だ。

「クラウス。もう魔獣が出たの?」

「はい。そろそろ出発なされた方が良いかと」

「邪魔が入ったわ。仕方ない行きましょ。ベルンハルト、今年はクラウスの背に乗って頂戴。去年までの子よりも強くて、有望なのよ」

 クラウスはベルンハルトの側に寄り、背中に乗ることができる様にその場に脚を畳んだ。
 レティシアよりも小さいとはいえ、龍だ。
 その大きさはベルンハルト一人乗せたところでびくともしないほどである。

「クラウス、世話になる」

 ベルンハルトはそう言ってクラウスの背に乗る。
 アルベルトもその後ろへ乗り、気候制御の魔法で自分たちを取り囲んだ。

 あざを忌々しく思っても、それがあるからこそ辺境伯の地位を持ち、リーゼロッテと結婚することが叶った。

(これがなければ、彼女と結婚することさえできない)

 無くしたくてたまらないものに、世話にならざるを得ないことが悔しくて、ベルンハルトは痛みで顔が歪むほど強く奥歯を噛み締めた。