「父に似てきたということは、奥様ともあの様に親しくなれますかね」

 アルベルトの視線の先には、庭でヘルムートと親しげに話すリーゼロッテがいる。
 ベルンハルトもそのことには気づいていて、さっきまで横目でチラチラと覗ってはいたのたが、アルベルトほどじっくりと直視することはできない。
 リーゼロッテにバレれば、不快に感じるだろう。自分の姿を覗かれているなど、気分の良いものではない。
 リーゼロッテが庭に出てくるのはおよそ週に一度。
 バレないようにしなければ、とわかってはいても、ベルンハルトはその時を心待ちにしていた。
 ヘルムートには既にバレているだろう。何かあればからかわれるに違いない。
 それでも、リーゼロッテのくるくる変わる愛らしい表情を覗かずにはいられなかった。

「そ、其方ならできるかもしれないな」

「本気で仰ってますか? 親しくなりたいのはご自身でしょう? 呆れてものも言えませんね」

「なっ、何を言って」

「父のことを羨ましそうに見ていらっしゃるじゃないですか」

「羨ましいなど……私はただ、楽しそうだと思っているだけで」

「それでしたら、もう少し奥様への態度を崩されたらどうです? 食事もお茶も、たまにはご一緒にされればいいではないですか? 食事はともかく、お茶なんてそのまま飲んでいらっしゃるでしょうに」

 仮面を言い訳にリーゼロッテとの食事を避けているのは気づかれているとは思っていたが、さすがにお茶まではその言い訳も通用しなかった。
 リーゼロッテを前に、平静でいられる自信がない。うわずった声、赤くなる耳、自分の体が自分のものではないかと思うほどにぎこちない仕草に、嫌われ逃げられてしまうのではないかと、そんな不安が襲ってくる。

「今のままでは、そのうち愛想を尽かされますよ?」

「あいそ……」

「えぇ。いつまでも振り向いてくれない相手に、いつまで努力を続けられるんですか? 私なら手ごろな相手に転がりたくなるかもしれませんね」

「そのようなことっ」

「もちろん、国王命でしか離婚はできません。ですが、心はどうでしょうか。人の気持ちは縛れないものです」

 アルベルトが再び庭を見れば、そこにはヘルムート相手に笑顔を浮かべるリーゼロッテが見える。
 ベルンハルトを相手にする時の笑顔とは違う様に見えてしまうのは、自分の自信の無さのせいだろうか。
 あの笑顔を独占できる日が訪れることはあるのだろうか。隠し事全てを打ち明けて、素顔で笑い合う日が来るのだろうか。
 そんなことを思い描けば、それを否定する様に幼い少女の泣き顔が頭の中をよぎる。瞼の裏に焼きついたその顔は、忘れられない思い出だ。

「こ、国王命で、この城に居てくれるだけで良い」

 絞り出した声は、すぐに消えてしまう初雪のようで、アルベルトの耳にたどり着く前に空気に溶け込んでしまう。

「ところで、そろそろ雪が降る頃です。準備を整えておきますが、普段のもので問題ないですか?」

 ベルンハルトの声を敢えて拾い上げるのをやめたのか、それとも本当に届かなかったのか、アルベルトは話題を変え、ベルンハルトの支持を仰ぐ。
 日常のものに指示を必要としていないアルベルトですら、冬の準備に関しては毎年確認を怠らない。
 この件に関してはベルンハルトにしかわからないからだ。

「去年と一緒で良い。問題ないだろう」

「あの方への連絡は?」

「レティシアか。まだ先で良い」

「ご結婚の報告は?」

「それは、必要だろうか?」

「私では判断致しかねます。あの方のお考えは私では理解できませんので」

 ベルンハルトとの会話には、常に真摯に応えてくれるアルベルトが、レティシアのこととなると途端に不躾なものとなる。
 執事として直すべき態度ではあるだろうが、他に不満に感じるところもないなら、これぐらいのことは大した問題ではない。

「其方は本当にレティシアが苦手だな」

「お世話になっているのは理解しております。あの方がいなければ、ロイスナーは存続できませんでしょうから」

「それでも苦手なものは苦手。私のヘルムートへの感情と同じだ」

「申し訳ありません」

「構わぬ。其方のそういうところを好んでいる」

 欠陥だらけの自分に付いてくれる人間にも、少しぐらい欠点がなければ、自己嫌悪の海に溺れてしまう。
 ベルンハルトの心をすくい上げるのは、アルベルトの優秀さと気遣いと、こんな人間らしいところだ。完全無欠の人間であれば、そばに寄るのすら躊躇われるだろう。
 周りから避けられ生きてきたベルンハルトに、自分の良さなど見つけられるはずもなかった。