「もう、やめにしないか」

 ベルンハルトはそう言うと、盛大なため息を吐いた。

「いいじゃないですか。常々この部屋は殺風景だと思っていたんですよ。良いお話を聞きました」

 ベルンハルトの苦情をもろともせず、アルベルトは今朝摘んできた花を花瓶に生けながら、返事をする。
 ベルンハルトが花を好きだとアルベルトにバレて以降、執務室には時折花が飾られる様になった。
 それはいつ見ても綺麗で、季節感まで感じることができ、花の良さを十分に味わってはいるのだが、人に恐怖を感じさせる人間が独占していいものなのかと、生けられた花を見る度に心が軋む。

「お前は私の願いを叶えるのが仕事だろう?」

「はい。だから、花を生けておりますよ。それに、父にはバレないようにしておりますから、ご安心ください」

 アルベルトの顔は自信に満ち溢れていて、悪気など一切感じていないのだろう。ヘルムートにバレないようにしている、それだけは信用してもよさそうだ。
 これ以上何を言っても無駄だと判断したベルンハルトは、再び机の上の書類に目を向ける。
 冬の間の食糧不足は毎年深刻な問題で、これを仕損じれば途端に餓死者が出るだろう。冬以外の季節で貯め込んだもの全てを使って冬を乗り切らねば、来年の春を無事に迎えることができない。
 他領地では農業のできない今の時期、領地の奪い合いにせいを出したりもするそうだが、生きていくだけで精一杯のロイスナーには関係のない話だ。深い雪に閉ざされて、攻め込むにも攻め込めないのかもしれないが。

(今年は少し使いすぎたか)

 例年の予想からすると、ギリギリの数字にベルンハルトの眉間にシワがよる。
 仮面の下に隠されたそれを見る者は誰もいないが、幼い頃から隣で兄弟の様に育ったアルベルトには、その顔が容易に想像できる。

「今年は厳しいですか?」

「あぁ。仕方ない。想定内だ」

「来年が豊作であることを願うしかありませんね」

「人が増えればその分……そういうものだ」

「国王に援助を願い出るわけにはいかないのですか?」

 アルベルトの提案は最もだ。
 リーゼロッテとの結婚はバルタザールの命令でもある。その分ロイスナーに援助を、当然そう考えるだろう。

「彼女は、それは望まないだろうから」

「ですが、こちらの領地が潰されるわけにはいかないのですよ」

「わかっている!」

 ベルンハルトの声は、アルベルトの体を痺れさせるかと思う程で、その場に硬直させた。

「あ、す、すまない」

「いえ。差し出口を申しました。失礼致しました」

 アルベルトがその場で深く頭を下げる。
 声を荒立てて、怖がらせたのはベルンハルトだというのに、突然怒鳴りつけられる理不尽さにも、何ということもない顔を見せる。アルベルトは立派な執事だ。
 その立派な執事の下げられた頭を見ながら、自分が知らず知らずのうちに追い詰められていたことを自覚する。
 普段であれば気にもならない言葉の応酬に、心が薄い刃で傷つけられていく様だった。

「いや、其方は悪くない。其方の考えることは至極当然のことで、私も何度もそう考えた」

「ベルンハルト様が奥様を大切に思っていることはわかりました」

「本当にすまない。悪かった」

 今度は言葉と共に深く頭を下げた。
 誰も怖がらせたくないのに、一番身近にいるはずのアルベルトにまでそんな思いをさせてしまうとは。城の中で自分に向けられる視線に恐怖が混じらないように、ベルンハルトの願いはそれだけだ。

「で、ですから、ベルンハルト様が頭を下げてはいけないんですよ」

 ベルンハルトの態度を慌ててやめさせようとするアルベルトの顔に、恐怖がないことに安心する。

「だが、今のは私が悪い」

「私は、驚きはしますが怖がりはしません。他の者と一緒にしないで下さい。たまにはその仮面の下の素顔も見せていただきたいですよ。そうでないと忘れてしまいそうです」

「いや……それは」

 ベルンハルトの言葉に、アルベルトがニヤッと嫌な笑いを見せる。
 こんな顔をしたときは、大抵とんでもないことを言い出すのだが。

「本日は、湯浴みの介助でもいたしましょうか?」

「また、そのようなことを……」

「本来であれば女性を付けるのかもしれませんね。ですが、それは望んではいらっしゃらないでしょう?」

「当たり前だ」

「ですから、代わりに私が」

「それも望んでおらぬ」

「そんなこと仰らずに。その凝り固まったお体、しっかりほぐして差し上げますよ。そうすれば良い案が浮かぶかもしれません」

「だから、要らぬと言っている」

「残念ですね。たまにはそのようなお時間も良いと思ったのですが。もし、必要になりましたら、いつでも仰って下さい」

「……其方、父に似てきたな」

 冗談混じりのアルベルトとの会話に、部屋の中の空気が和んでいくのを感じる。ベルンハルトとの間にわだかまりを残さぬ様に、自己嫌悪で必要以上に傷つかない様に、わざとこんな振る舞いをしてみせる。
 仕事の腕だけではなく、気遣いまでヘルムートに似てきたと、わずかに頬が緩んだ。