——高校二年生 四月の始業式 木曜日の夕方  星見(ほしみ)凛虎(りんこ)


 もしも、私が主人公なのだとしたら、きっと駄作(ださく)になるんだろうな……。

『あなたの人生の主人公は、あなただ!』

 お弁当屋さんの店内に貼られた求人広告(きゅうじんこうこく)のキャッチフレーズに、ゆるい()め息が()れていく。
 もし、本当に私が主人公なら、記念すべき高校二年生編の第一話は、家の玄関に座っているだけで終わってしまうのだ。
 その作品が映像なら、暗い玄関に(うずくま)る女の子が延々(えんえん)と流し続けられて、終わる。
 そんなものは、もはや事故か、事件だ。
 だけど、こういう日が最近たまにある。
 いつも通り制服に着替え、玄関でローファーを()き、そして、立ちあがれなくなる。
 ぼんやりと力が抜けて(ほう)ける身体。
 その内側でいくら(もが)いても、心が神経に伝わらない。
 凄く疲れているわけでもないし、特別辛いことがあったわけでもない。
 それなのに時折、こうして登校できなくなることが、二ヶ月に一回くらいある。
 だけど、そんなに大げさなことではないのだ。
 下校時刻を過ぎれば、お腹が食事を要求し始めて、スッと足も立ち上がるのだから。
 我が身の現金さに、頭が痛くなる。二十時間以上絶食したせいか、やけに重くて痛い。
 とりあえず、足が言うことを聞くうちに何か食べておこう。
 そう思って、今、お気に入りのメニューがあるお弁当屋さんにまで、スタスタと歩いて来たところだった。
 私の意思には(したが)わないくせに、食欲には従順(じゅうじゅん)な足を、小さく(つね)る。
 明日の朝は、ちゃんと動いてくれるのだろうか。
 友達のいない学校に、この先も友達が出来ないであろう私を、ちゃんと運んでくれるのだろうか。

()りマヨ(とん)とろ弁当のお客様ー。お待たせいたしましたー。どうぞー」

 あざざいます、と口の中でお礼がもつれる。今日初めての発声だったから仕方ない。
 出来立(できた)ての大好物を受け取った手のひらが、じんわりと(ぬく)もっていく。
 待ち遠しい思いで袋を(のぞ)くと、ほかほかの熱気が私の(ほほ)をくすぐった。
 空虚(くうきょ)な一日を過ごしたからか、お弁当のくれる温もりが、なんだかとても嬉しかった。
 それなのに、店の外へ出た瞬間、ほくほくと私を包んでいた幸福感は、急激に冷え込んでしまう。

「あはは、ふふ! あははは! あっ……」

 たまたま店の前を通り掛かった同級生の二人が、私に遭遇(そうぐう)してしまったのだ。
 一年生の時に同じクラスだった優しい優恵(ゆえ)さんと、違うクラスだった元気な咲彩(さあや)さん。

「……こんにちわ、凛虎さん」

 気を(つか)って、柔らかに笑い掛けてくれた優恵さん。
 その花のような微笑(ほほえ)みに、私は思わず、口を開いてしまった。

「なに笑ってんの?」

 その声は、酷く冷淡(れいたん)(ひび)いた。
 二人の表情が凍り、私の表情も凍る。
 きっと誤解(ごかい)を与えてしまった。
 今、私が言いたかったのは、「楽しそうに笑ってたね。何の話で笑ってたの?」だ。
 大慌てで脳内を()け回り、弁明(べんめい)の言葉を必死に模索(もさく)する。
 だけど私より先に、優恵さんのほうが場の空気を(やわ)らげようと頑張りだしてしまった。

「あ、あの、凛虎さんと私、また同じクラスで、その、あ、今日、委員決めをしたよ!」
「そう。で、何?」

 強張(こわば)った(のど)から無理やり押し出した私の声は、非常に(あつ)が強く、まるで喧嘩腰(けんかごし)だった。
 心底、自分が嫌になる。
 私に友達ができない理由は、これだ。





 私が言葉を発すると、そのほとんどが人を突き放すような物言いになってしまう。
 今だって真意(しんい)は、「そうなんだ。また同じクラスなんだね。それで、私は何かの委員に決まったのかな?」だ。
 アワアワする優恵さんと絶句(ぜっく)している沙彩さんに、私の()(たま)れなさも(きわ)まっていく。
 さっきまで二人は、ただ楽しくお(しゃべ)りしていただけなのに。
 申し訳なさに()えきれず、悪気(わるぎ)が無い事を愛想笑(あいそわら)いで伝えて、立ち去ろうと決める。
 それも(あん)(じょう)

「……ハッ」

 二人を嘲笑(ちょうしょう)するような声音(こわね)となった。

「感じ悪ゥッ‼」

 すれ違いざまに爆発した沙彩さんの怒号(どごう)は、私の自己評価と見事に重なった。

「何あれ⁉ 感じ悪いギャルとか、(うま)みゼロじゃん! 最悪! あの人大嫌い‼」

 歩き去る私の背中に突き刺さったその罵倒(ばとう)は、強烈(きょうれつ)だった。
 あの場から離れても、まだジクジクと毒が()みるように心が痛む。
 とても痛むのに、頭の中では、咲彩さんの声が何度も繰り返し再生され続けてしまう。
 何度も何度も繰り返し、延々と、止まらない。
 たぶん、友達のために怒って発せられた言葉を、私の脳が酷く(うらや)ましがっているんだ。
 だけど、そのせいで心のほうは、より(みじ)めになっていく。
 憧れの友情で()め付けられながら、()()もる正当な悪言(あくげん)に埋まっていく。
 感じ悪い……、ギャル……、旨みゼロ……、最悪……、大嫌い……。
 ……ギャル。私は、ギャルに分類されて、いいのだろうか?
 脱色(だっしょく)し直したばかりの金の髪を(つま)んで見ると、黒で(そろ)えた耳のピアスを花冷(はなび)えの風が撫でた。
 明るくて活発で、友達が多く、メンタルが強い。そんなギャルのイメージと自分を照らし合わせて該当(がいとう)するのは、髪色とピアスくらいだろう。
 内面は真逆だ。
 暗くて消極的で、(ひと)りで、メンタルが弱いのだから。

『強く生きなさい』

 ふと、頭の中に、母の言葉が浮かんだ。この言葉は、母の口癖だ。
 私は物心つく前から、強く()れ、と何度も母に()り込まれて生きてきた。
 その結果、幼い頃の私は、弱さを見せる事を極端(きょくたん)に良しとせず、しかめっ(つら)と高圧的な態度で武装(ぶそう)した、本当に可愛げのない子供だったのだ。
 多くの純粋な優しさを(こば)み、無垢(むく)な善意を幾度(いくど)となく傷付けて、生きてきた。
 思い返すだけでも、悔恨(かいこん)の念で泣きたい気分になる。
 そうやって心が弱ってくると、決まって脳内には、母の声が響きはじめる。

『凛虎、強く生きなさい』

 凛虎。凛とした(とら)
 父が付けたというこの名前が、また良くなかった。
 女の子の名前にしては(めずら)しい虎の字は、クラスが変わる度に揶揄(からか)われ、そしてその度に私は、過剰(かじょう)に冷たい(とげ)()いて内紛(ないふん)勃発(ぼっぱつ)させてきた。
 さらに愛嬌(あいきょう)の無い私は、席替えの度にも敵を増やしていく。
 そんな歴戦(れきせん)の中で経験値(けいけんち)を積んだのか、いつの間にか、私の言葉の(やり)は自動迎撃(げいげき)機能を搭載(とうさい)し、渋面(じゅうめん)(よろい)何故(なぜ)殺傷力(さっしょうりょく)を得てしまった。
 だけど、長年の孤軍奮闘(こぐんふんとう)成果(せいか)はあった。
 (いじ)めなどに(いた)ることもなく、中学の(なか)ば頃にもなると、表立った(いさか)いはほとんど無くなってくれたのだから。
 それなのに、私は、今でも孤立(こりつ)し続けている。
 気が付けば私は、相手を牽制(けんせい)するような刺々(とげとげ)しい物言いしか、できなくなっていた。
 人と向き合うと、眉を(しか)め、口を引き(むす)び、怪訝(けげん)そうな表情で(かま)えずにはいられない。
 恐ろしいことに、多くの子ども達から呪われてきた装備品が、今や私の(しん)にまで()み付いてしまい、もう(はず)すことができなくなっていたのだ。
 私はもう、コミュニケーションがまともに取れなくなっていた。
 特に、同年代とのコミュニケーションが。

「…………あぁっ……」

 思わず、声がこぼれてしまう。
 (ひと)(ごと)は、メンタルが弱っている時の合図。心の悲鳴だ。
 すっかり()めたお弁当を抱きしめて、私はマンションに帰る足を早めた。