ポタン……ポタン。
夜もまだ明けない時間帯。
布団が重くなっている事に気が付いた。
「ん? 重ッ……てか、冷たい?」
僕は、布団から這い出した。
寝ぼけ眼を擦りながら、電気をカチカチッとつける。
「うわッ、やば」
雨漏りだ。天井からポタン、ポタンと、丁度布団の上から雫が垂れていた。
「とりあえず、朝一に大家さんに言わないと。はぁ……こんなオンボロアパートやめときゃ良かったかな」
大学にも近くて、コンビニも近い。トイレ風呂は一緒だが、六畳一間の格安物件。築七十年という古さを除けば、貧乏大学生には有難い物件だったのだ。
————先週から晴れて大学生になった僕、桐原 智十八歳。
大学は綺麗だし、大きいし、学生も皆キラキラしていて楽しそう。バイトも決まって、さて、これからだって時に。
「はぁ……もう帰りたい」
ひとまず、洗面器で雨漏りをキャッチすることに。今更感はハンパないけれど。
◇◇◇◇
「えー! 直るの来月になるんですか!?」
大家さんは、申し訳なさそうに両手を顔の前で合わせた。
「ごめんね。修繕中、部屋も使えないんだけど、アタシの部屋来る?」
「大家さんの部屋……ですか!?」
大家さんは意外と若く、二十代後半のやけに色っぽい女性だ。そんな女性と同棲なんて……。
「アタシが、夜のお世話も面倒見てあげるわよ」
谷間を強調しながらウィンクする大家さん。洒落にならない。
僕の中で、何かが葛藤している。
「いやいやいや、ダメですダメです。僕、他探しますから」
「あら、そう? 遠慮しなくて良いのに。じゃ、また直ったら連絡するわね」
「お願いします」
大家さんは、鼻歌混じりに階段をおりて行った——。
さて、どうしたものか。
一ヶ月もホテルやネットカフェなんて、貧乏大学生には無理だ。友人の家に転々と……って、僕にはまだ友達と呼べる親しい間柄の人はいない。実家は隣の県だし……。
「とりあえず、荷物整理しよ」
自身の部屋に入ろうと扉を開いたその時、近くで男性の声がした。
「ねぇ、君。行くとこないの?」
「え?」
隣の家の住人が、窓枠に肘をつきながらこちらを見ていた。
僕よりやや年上だろうか。線の細いその男性は、儚げで今にも壊れそうな雰囲気だ。そして、非常に顔が良い。芸能人か何かだろうか。
(いや、芸能人はこんなオンボロアパートに住んでないか)
その顔に見惚れていると、隣人さんは興味なさそうに言った。
「俺んとこ来なよ」
「はい」
はい……?
何故か普通に返事をしてしまった。
不思議な感覚に、つい我を忘れていたようだ。
そして、『俺んとこ来なよ』は、どういう意味だろうか。今の僕の状況からして、住む場所を提供してくれる……で良いのだろうか。
いやいやいや、普通に考えてそれはない。
もしかしたら、バイトの勧誘かもしれない。ホテル代を稼ぐ為に、条件の良いアルバイトがあるのかもしれない。うん、きっとそうだ。
「有難いお話ですが、バイトは決まってまして……それに僕、掛け持ち出来るほど器用じゃなくて」
「……?」
キョトン顔の隣人さん。格好良い。
「じゃなくて、えっと……違いました? な、何か、すみません」
おどおどしていたら、隣人さんが言った。
「荷物準備出来たらおいで」
「荷物?」
「俺、三笠 琥太郎。待ってるから」
優しく微笑まれ、手をひらひらと振る隣人さん。三笠さんというらしい。
僕は軽くお辞儀をしてから、自身の部屋に入った——。
玄関を背に、ひとまず深呼吸する。
無意識の内に緊張していたようだ。心臓がバクバクしている。
一息ついたところで、冷静になって考える。
「えっと……僕は、隣人さんと一緒に住む……で良いのかな? でも、僕の部屋と同じ広さだよね。狭いのに男二人って。てか、あんな綺麗な人と……じゃなくて、知らない人の家に居候なんて。ムリムリムリムリ」
全然冷静になれない。
「とりあえず、荷物整理しよ」
隣に住む住まない関係なしに、荷物は必要だ。僕はキャリーケースと旅行用の大きなバックを押し入れから取り出した。
◇◇◇◇
そして、来てしまった。
三笠さんの部屋!
僕だって、行くつもりはなかった。やはり色々とおかしい気がして、こっそりアパートから出ようとしたのだ。
しかし、隣の部屋の前を通り過ぎようとしたその時。
『玄関、こっちだよ』
さっきの窓から、三笠さんに呼び止められた。
気の弱い僕は、流されるまま部屋に入った——。
けれど、入って後悔だ。
部屋の中は、ザ・ゴミの山!
「へへ、俺片付け苦手でさ」
「いや、これ片付けのレベルじゃないですよ」
足の踏み場もないとは、こういうことを言うのだろう。
ぱっと見清潔そうに見えるのに、意外だ。そして、その着ている服や身体は綺麗なのだろうか。
「部屋貸したげるからさ、片付けお願い」
「いやぁ……」
「行くとこないんでしょ?」
「そうですけど」
非常に悩ましい。僕は毎日ここを掃除しなければならないのか。
「あ、ご飯作ってあるよ」
「ご飯……ですか?」
こんなグチャグチャな部屋でご飯。料理も心配でしょうがない。
三笠さんが、小さな机の上にあるビールの空き缶の山を手で払い退けた。同時に、空き缶の山は全て畳の上に散らかった。
それを避けながら、三笠さんは机の上に二人分の大きな皿とスプーンを置いた。
「どうぞ」
「いやぁ、僕は……」
見た目は普通のチャーハン。しかし、周りの環境がそれを食べたらダメだと物語っている。出来れば遠慮願いたいところだ。
渋っていたら、三笠さんは何やら勘違いし始めた。
「ごめんごめん。飲み物が無かったね」
「いや、そうじゃなくて」
「お水で良い?」
「は、はい」
冷蔵庫からペットボトルの水を出してきた三笠さん。期待の眼差しで見つめてきた。食べろということだろう。
「い、頂きます」
「どうぞ」
腹痛覚悟で、僕はチャーハンを一口食べた。
「ん……ウマッ!」
「でしょ? 俺、母子家庭だったからさ。ご飯だけは自信あるんだよね」
「片付けが出来れば完璧ですね。あ……」
つい、本音が出てしまった。
しかし、隣人さんは気にした様子もなく平然と言った。
「そうなんだよね。だから、このアパートにしたんだ」
「アパート選びと何か関係が?」
「綺麗な部屋借りたら、後から使う人が可哀想でしょ? シミだらけにしそうだし」
「なるほど」
気を遣うところが違う気もするが、確かにこの後に住みたいとは思わない。しかし、このオンボロアパートなら良いのか、と突っ込んで良いだろうか。
「どう? 三食飯付き」
「うーん……」
確かにこのクオリティのご飯が毎日食べられるなら嬉しい。家賃もかからないし。衛生面は僕が何とかすれば良いだけ。
「分かりました。宜しくお願いします」
「やった」
素直に喜ぶ三笠さんが可愛い。
「あ、僕。桐原 智って言います」
「うん、知ってる」
「え?」
「同じ大学でしょ? 俺、三年だから」
「そうだったんですね。全然知りませんでした」
同じ大学だから声をかけてくれたのか。納得したら、妙にホッとした。
「気軽に琥太郎って呼んで良いからね」
「それは畏れ多いですよ。三笠先輩」
気軽に名前を呼んで良いなんて言われても、上級生相手に呼べるはずもない。
「まあ良いや。食べよ」
「は、はい」
促されるまま食べ進める。
「ちなみに、このお皿……洗ってますよね?」
「どうだったかなぁ」
「……え」
「冗談冗談。さっき洗ったから大丈夫」
「さっきですか……」
その前はいつ? と聞くのは、やめておこう。
何はともあれ、こうして僕は、日々部屋を片付けることを条件に、三笠先輩の部屋に居候させてもらうことが決定した。
夜もまだ明けない時間帯。
布団が重くなっている事に気が付いた。
「ん? 重ッ……てか、冷たい?」
僕は、布団から這い出した。
寝ぼけ眼を擦りながら、電気をカチカチッとつける。
「うわッ、やば」
雨漏りだ。天井からポタン、ポタンと、丁度布団の上から雫が垂れていた。
「とりあえず、朝一に大家さんに言わないと。はぁ……こんなオンボロアパートやめときゃ良かったかな」
大学にも近くて、コンビニも近い。トイレ風呂は一緒だが、六畳一間の格安物件。築七十年という古さを除けば、貧乏大学生には有難い物件だったのだ。
————先週から晴れて大学生になった僕、桐原 智十八歳。
大学は綺麗だし、大きいし、学生も皆キラキラしていて楽しそう。バイトも決まって、さて、これからだって時に。
「はぁ……もう帰りたい」
ひとまず、洗面器で雨漏りをキャッチすることに。今更感はハンパないけれど。
◇◇◇◇
「えー! 直るの来月になるんですか!?」
大家さんは、申し訳なさそうに両手を顔の前で合わせた。
「ごめんね。修繕中、部屋も使えないんだけど、アタシの部屋来る?」
「大家さんの部屋……ですか!?」
大家さんは意外と若く、二十代後半のやけに色っぽい女性だ。そんな女性と同棲なんて……。
「アタシが、夜のお世話も面倒見てあげるわよ」
谷間を強調しながらウィンクする大家さん。洒落にならない。
僕の中で、何かが葛藤している。
「いやいやいや、ダメですダメです。僕、他探しますから」
「あら、そう? 遠慮しなくて良いのに。じゃ、また直ったら連絡するわね」
「お願いします」
大家さんは、鼻歌混じりに階段をおりて行った——。
さて、どうしたものか。
一ヶ月もホテルやネットカフェなんて、貧乏大学生には無理だ。友人の家に転々と……って、僕にはまだ友達と呼べる親しい間柄の人はいない。実家は隣の県だし……。
「とりあえず、荷物整理しよ」
自身の部屋に入ろうと扉を開いたその時、近くで男性の声がした。
「ねぇ、君。行くとこないの?」
「え?」
隣の家の住人が、窓枠に肘をつきながらこちらを見ていた。
僕よりやや年上だろうか。線の細いその男性は、儚げで今にも壊れそうな雰囲気だ。そして、非常に顔が良い。芸能人か何かだろうか。
(いや、芸能人はこんなオンボロアパートに住んでないか)
その顔に見惚れていると、隣人さんは興味なさそうに言った。
「俺んとこ来なよ」
「はい」
はい……?
何故か普通に返事をしてしまった。
不思議な感覚に、つい我を忘れていたようだ。
そして、『俺んとこ来なよ』は、どういう意味だろうか。今の僕の状況からして、住む場所を提供してくれる……で良いのだろうか。
いやいやいや、普通に考えてそれはない。
もしかしたら、バイトの勧誘かもしれない。ホテル代を稼ぐ為に、条件の良いアルバイトがあるのかもしれない。うん、きっとそうだ。
「有難いお話ですが、バイトは決まってまして……それに僕、掛け持ち出来るほど器用じゃなくて」
「……?」
キョトン顔の隣人さん。格好良い。
「じゃなくて、えっと……違いました? な、何か、すみません」
おどおどしていたら、隣人さんが言った。
「荷物準備出来たらおいで」
「荷物?」
「俺、三笠 琥太郎。待ってるから」
優しく微笑まれ、手をひらひらと振る隣人さん。三笠さんというらしい。
僕は軽くお辞儀をしてから、自身の部屋に入った——。
玄関を背に、ひとまず深呼吸する。
無意識の内に緊張していたようだ。心臓がバクバクしている。
一息ついたところで、冷静になって考える。
「えっと……僕は、隣人さんと一緒に住む……で良いのかな? でも、僕の部屋と同じ広さだよね。狭いのに男二人って。てか、あんな綺麗な人と……じゃなくて、知らない人の家に居候なんて。ムリムリムリムリ」
全然冷静になれない。
「とりあえず、荷物整理しよ」
隣に住む住まない関係なしに、荷物は必要だ。僕はキャリーケースと旅行用の大きなバックを押し入れから取り出した。
◇◇◇◇
そして、来てしまった。
三笠さんの部屋!
僕だって、行くつもりはなかった。やはり色々とおかしい気がして、こっそりアパートから出ようとしたのだ。
しかし、隣の部屋の前を通り過ぎようとしたその時。
『玄関、こっちだよ』
さっきの窓から、三笠さんに呼び止められた。
気の弱い僕は、流されるまま部屋に入った——。
けれど、入って後悔だ。
部屋の中は、ザ・ゴミの山!
「へへ、俺片付け苦手でさ」
「いや、これ片付けのレベルじゃないですよ」
足の踏み場もないとは、こういうことを言うのだろう。
ぱっと見清潔そうに見えるのに、意外だ。そして、その着ている服や身体は綺麗なのだろうか。
「部屋貸したげるからさ、片付けお願い」
「いやぁ……」
「行くとこないんでしょ?」
「そうですけど」
非常に悩ましい。僕は毎日ここを掃除しなければならないのか。
「あ、ご飯作ってあるよ」
「ご飯……ですか?」
こんなグチャグチャな部屋でご飯。料理も心配でしょうがない。
三笠さんが、小さな机の上にあるビールの空き缶の山を手で払い退けた。同時に、空き缶の山は全て畳の上に散らかった。
それを避けながら、三笠さんは机の上に二人分の大きな皿とスプーンを置いた。
「どうぞ」
「いやぁ、僕は……」
見た目は普通のチャーハン。しかし、周りの環境がそれを食べたらダメだと物語っている。出来れば遠慮願いたいところだ。
渋っていたら、三笠さんは何やら勘違いし始めた。
「ごめんごめん。飲み物が無かったね」
「いや、そうじゃなくて」
「お水で良い?」
「は、はい」
冷蔵庫からペットボトルの水を出してきた三笠さん。期待の眼差しで見つめてきた。食べろということだろう。
「い、頂きます」
「どうぞ」
腹痛覚悟で、僕はチャーハンを一口食べた。
「ん……ウマッ!」
「でしょ? 俺、母子家庭だったからさ。ご飯だけは自信あるんだよね」
「片付けが出来れば完璧ですね。あ……」
つい、本音が出てしまった。
しかし、隣人さんは気にした様子もなく平然と言った。
「そうなんだよね。だから、このアパートにしたんだ」
「アパート選びと何か関係が?」
「綺麗な部屋借りたら、後から使う人が可哀想でしょ? シミだらけにしそうだし」
「なるほど」
気を遣うところが違う気もするが、確かにこの後に住みたいとは思わない。しかし、このオンボロアパートなら良いのか、と突っ込んで良いだろうか。
「どう? 三食飯付き」
「うーん……」
確かにこのクオリティのご飯が毎日食べられるなら嬉しい。家賃もかからないし。衛生面は僕が何とかすれば良いだけ。
「分かりました。宜しくお願いします」
「やった」
素直に喜ぶ三笠さんが可愛い。
「あ、僕。桐原 智って言います」
「うん、知ってる」
「え?」
「同じ大学でしょ? 俺、三年だから」
「そうだったんですね。全然知りませんでした」
同じ大学だから声をかけてくれたのか。納得したら、妙にホッとした。
「気軽に琥太郎って呼んで良いからね」
「それは畏れ多いですよ。三笠先輩」
気軽に名前を呼んで良いなんて言われても、上級生相手に呼べるはずもない。
「まあ良いや。食べよ」
「は、はい」
促されるまま食べ進める。
「ちなみに、このお皿……洗ってますよね?」
「どうだったかなぁ」
「……え」
「冗談冗談。さっき洗ったから大丈夫」
「さっきですか……」
その前はいつ? と聞くのは、やめておこう。
何はともあれ、こうして僕は、日々部屋を片付けることを条件に、三笠先輩の部屋に居候させてもらうことが決定した。



