「ひいちゃん、もう小学生かぁ。お母さん感激しちゃうなあ」

 そういう母を尻目に、炒めてあるしっとりチャーハンの朝食をはむ、はむと口に運ぶ。

 ちょっと冷めてるチャーハンを、もちゃもちゃ食べながら、朝食に脂っこいもの出さないでほしいな、なんて頭の隅でぼやいてたり。

 でも、母の愛情がこもってる、この食事が食べられるのは今だけなんだろうなぁと、子供らしからぬ発想をしていたり。

 とりあえず、うまい。うまいうまいうまいうまい、うまい!

「ひいらぎ、お父さんそろそろ行くな? ママ、ご馳走さま、朝食にしては脂っこいかも、美味しいけど」

 なんて、父は代弁してくれて、やっぱりそうだよね~なんて、父の正論なご感想にうんうん頷く。

「あらあら、美味しいだけでいいのにぃー。作るのも大変なのよー? まったく」

 ごめんごめん、と父は言いながらネクタイを締め直して、「じゃっ」と手をあげて居間を出ていく。

 私はこれまた子供らしくなく、口に含んだチャーハンを咀嚼しながら、手を上げ返して、反応した。

 父は、ちょっとびっくりした顔をしつつも、すぐに微笑に変えて、家を出ていっていく。

「ひいちゃん、あれからいきなり大人っぽくなったよねー」

 ごっくん、口の中の物を嚥下して、粒も残さず食べ終えた平皿。それに向けて、手を合わせる。ご馳走さま。

 母に皿を渡して、美味しかったよ、とその一言だけを伝えては、母の背中をぽんぽんたたく。

「お母さん、いつもありがとうね。感謝してる。学校行ってくるね」

 そう、子供の声ですらすら言うもんだから、母は「はっっ!?」と父の分の皿を洗ってた手を止めては、ぎゅっと抱きしめてくれる。

「お母さん、感激しちゃうよぉ……。ひいちゃん、ほんっと大人になったぁ……」

 ぐすんぐすん、そう泣いて大袈裟な事を言う母に、ちょっと言葉にしすぎたかな……、と宥めるように抱きしめ返す。

「ううん、お母さんの事、大好きだから。ちゃんと言葉にしないとなって。そんなに泣かないで」

 ぽんっ、ぽんっ、と母の背中を手のひらで叩き、どっちが親で子なのか分からないような中、そろそろ行くね、と母の抱擁から離れる。

「うんうん、ごめんね。学校頑張ってね、いじめられないでね」

 そう優しく諭す母に、ありがとう、そう言うだけで母はまたボロ泣きする。

 もうめんどくさいから、そそくさと離れて、水色のランドセルを背負っては「行ってきます!」と振り返りがちに残して。

「いってらっしゃーい」

 母は手を振って送り出してくれて、外への扉をガチャリ、開く。

 春にしては少し照りの強い陽光に、寒さも覚えるそよ風。

 とてもいい天気だ。とても、とっても。

 ある程度の道のりでは、誰とも出くわさずに歩く事になる。

 そして、今、自分の中にある情報……。『キオク』という形で道を辿る程に、次々思い出す思い出は、確かに私という存在が辿ったもの。

 一人の『高木柊』が辿ったその道は、ある程度の変化では変わらない事を知った。

 例えば、今歩いてる、このアスファルトの狭い一本道。

 家の塀が壁となり、その上から、漏れ出す木々の葉っぱ。そして、道端に小石がひとつ。

 これは本来、無視して記憶の私は通る。

 しかし、以前、ちょっとした好奇心で蹴ってみた。

 蹴っても、ただ『蹴った』という事実になるだけで、私のこれから起こる事はまったく変わらない。未来予知したかのように、どんどん目の当たりにしていくのだ。

 今の私は、一人の『高木柊』を見届けた、もう一人の『高木柊』。

 どうせなら、悔いのないようにと、人助けは出来るだけするように、私はした。

 ちょっと重たそうにしてるおばあちゃんが、歩道橋を渡ろうとしていたり。

 怪我した五歳ぐらいの男の子が泣き喚いていて、その傷の手当てをしてあげたり。

 そのような他人の人生に関わるような事をした時、以前ほどの痛みではないが、激しい頭痛がやってきて、また情報が流れ込んできた。
 記憶という形で流れ込んでくるそのデータは、以前の私の思い出にあった記憶とは違う、少々の変化が訪れていて。

 例えるのなら、交友関係が代わっていたり、これから身近の人と話す、大事な用件が変化していたり。

 それぐらいの変化だけど、確かな変化だ。
 二、三回ほどの人助けだけど、それで確信した。

 人に干渉する度合いが大きい程、私のこれからの人生が、変化するという事だ。
 しかも、結構の頭痛もセットという、めんどくさい効果付き。

 ゲームのプレイヤーが、物語の分岐があるゲームをしていて、これからするはずのRPGは知ってるけど、少しでも違うルートに行く行動をすれば、プレイヤー自身がダメージを受けてそのルートの先が分かる。

 そんなプレイヤーに超迷惑な能力が、私にはあるのだろう。

 いやぁ、面倒くさいったらありゃしない。
 そしてこのあと、小学校に登校して休み時間になると、私が後悔したリストの中の、ひとつの事柄に直面するのだ。





「おーぉい、おまえー、全っ然喋らないよなー、口あるのかー? おーぅい」

 いじめっ子のガキ大将、と呼べるくらいやんちゃそうな男の子が、一人の男の子に話しかけている。

 てかあの子は、いじめっ子のガキ大将になる存在なんだけどね。

 ボブカットのなよなよな男の子は、少し無愛想に、でもほんの少し嫌そうな顔をしていじめっ子の事を無視していた。

「おい! 聞いてんのかよー!」

 そうしつこく、ダンっ! とボブカット男子の机を叩いて、いじめっ子はずずいと、彼にその顔を肉薄させてみせた。

 知っている。やっぱり、知っている。

 このあと、いじめっ子のいじめはどんどんエスカレートしていく。

 ボブカットの男の子は、その年齢で知るには早すぎるほど、どんどん酷いいじめを受けていき、最終的にはグルになった男の子二人も加わって、掃除に使う雑巾をいれたバケツの水を飲ませたり、暴力を振るったり、次第には大怪我させて学級問題にもなってた。

 その後の男の子は、当然、不登校になっていって、私が中学二年生頃に聞いた噂だと自殺してしまったと。

 中学卒業してふと気になった時、卒業アルバムを見たけど、小学校のアルバムには載ってた名前が、中学のものには載っていなかった。

 彼は、本当に迫害されて、死んだのだ。

 彼は緘黙症だったとも聞いて、一時期場面緘黙の事も調べていた記憶がある。

 男の子は、彼は、死ぬ。……死ぬんだ。

 ずっと後悔してた。

 自分の人生が多少変化するぐらいなら、彼を助けたい。いや、助けなければならない。

 助けなければ、助けなければ、助けなければ。ただ、そう思ったんだ。

「あなた、ちょっとしつこいんじゃないの?」

 席を立ち上がり、意を決して彼らに近付いた。ボブカット男子は無愛想のまま、顔がこちらに向いて、いじめっ子は「はぁ……!?」て顔して、こっちを見る。

「こうきくん、嫌がってるじゃないの!」

「嫌がってるって、全然イヤそうな顔してねーじゃん!」

 そうじゃないんだよ。

 君も、この子が死んだ事を聞いた時は、凄い動揺していた。その後もきっと、苦しんでいたはずだ。

 君のためでもある。君のためでもあるんだよ。

「たいきくん、これはあなたのためにいっておくわ。こういうのはよくない!」

 そう、いじめっ子のたいきくんに強く言う。
 言うんだけれど、当然、この年の子を諭すことなんて簡単じゃなくて。

「そんなん知らねーよ! 別にどーでもいいだろ! お前は引っ込んでろよ!」

 そう言って、乱暴なたいきくんは、私の体をばんっと突き放して、体重の軽い私はいとも簡単に倒れてしまった。

 いてて、と尻もちつく私に、周りは反応しだして「あっ! たいきくんがひいらぎちゃんに暴力ふるった!」「ひいらぎちゃんかわいそうだよ!」なんて批判の嵐が聞こえだす。

「し、知らねーよ! こいつが勝手に突っかかってきたんだよ! 俺は悪くねーよ!」

 お尻のヒリヒリ感に耐えて、彼に反論しようと立ち上がりかけた時、ズンっ!! と頭を中心に物凄い重力がかかった。

 何も無く、ただ突然に衝撃が走り、あの時のような、頭が勝ち割れるような痛みが頭部を中心に拡散していく。

 切れ味の鋭い日本刀で身体の真ん中をすっと切られて脳みそが露見するように、涼しさも感じるかのような激しい熱感、言葉にし難い痛みが頭を襲う。

「ぐあぁぁぁああッ!! ああああああぁぁぁあッ!! いだい!! いだい!! いだい!!」

 赤く熱した鉄の塊を、直接脳に当てて沸騰させられてるような、どうしようもない痛みに、ただ痛い、痛いと頭を掴んでじたばたと身体を動かした。

 永遠にも感じる痛みの中、どんどん、次第に痛みを忘れていく。






 私はいつの間にか、太陽が照らす色鮮やかな空間にいた。とても陽気な 生暖かな場所だ。

 気付けば、しっかりと身体の感覚もある。

 周りを見渡すと、制服を着た若者がいて、私も高校の制服を着ていて。

 桜がひらひらと舞う、希望にも満ちたようなこの場所でみんな、泣いてたり、やったー! と喜んでいたりしてる。

 周りの景色を見てる中、気付くと前にはボードがあって、数字の羅列の後に合格、不合格が書かれていて。

 どうやら、受験結果の確認の風景らしく、そう言えばここで私はどきどきしながら、自分の受験番号探してたな、と思い出す。

 そして、まあ合格してたし、この光景の中でも合格してるでしょと、記憶の通りに受験番号を探し当てた。

 不合格。

 私の受験番号の後には、不合格。とただ淡々に書かれていて。

(あれ? おかしいな)
 私の持ってる受験番号の書かれた紙と照らし合わせ、ちゃんと確認する。

 あれ、合ってる。

 ……??? 不合格……???

 そこからまた、感覚が遮断され、浮遊感が身体を襲った。

 私という存在は、母胎の中にいる胎児のように身体を丸めていて、瞼を開くと私は、高校生ぐらいの身体で。

 体育座りを、ぎゅっとした体勢を解いて、今浮いてる暗闇の空間に、身を任せてみる。

 すると、目の前にシャボン玉のようなものが、ふよふよ、ふよふよ浮いて、近付いてくる。

 中には一人の「高木柊」が映し出されていて、生活様子と云うべきか。一定の場面が映し出されては、次に次にと、映る映像が変わる。

 その中の私は、記憶の通りアパートを借りてるんだけど、なんか様子が変。ずーっと家にいてごろごろしてたなーと思ったら、深夜の時間帯に急に支度をしだして、外に身体をくりだす。

 向かった先は食品工場で、どうやらアルバイトしてるみたいだった。

 そう言えば、今、この映像の私の記憶のようなものが、頭の中にある。

 それは受験に失敗して、フリーターになって、一人暮らしでアパートを借りるも、お金が足りず、夜の仕事をしたり、風俗嬢やコンビニ店員など、色々な経験をしていた。

 記憶の捜索に更けていると、気付けばシャボン玉に映る映像はだいぶ代わって、六十歳ぐらいの自分が映し出されていて。

 その自分は、なんか変で、口を開けて「あ、う……、あえー」て言い出したと思ったら、急に走り出したりして。

 今まで記憶の中にある、認知症の老人がするような行動で。

 よく見ると、なにやら同じような老婆や、老人が周りに沢山いて、受付など病院のような造りが見れることから、なにかの施設だと思われた。

 そう言えば、老衰して動けなくなった母を入れた老人ホームが、こんなだったような。

 ま……、まさか……ね。

 でも、怖いことにこの私が可笑しくなりかける頃の記憶が、既にインプットされていて、ヒヤッとした恐怖に襲われながらも、少しづつ記憶を探っていく。

 もう、奇行を行うようになった記憶は曖昧だが、それまでの記憶は確かにある。

 大学に行くはずだった私は、アルバイト漬けの毎日に置き換わっていて、サークルで出会うがくとさんとも、そもそも出会うフラグがないからだろう。一生独身でいて、ただ独りでストレスに苛まれ、本来の結婚して出来た家族に見送られる最期ではなく、六十代早々に認知症にかかって、ただひたすらに可笑しくなっていく人生に変化している。

 なんで、なんで。なんでなんでなんでなんでなんで……!?

 なんでこうなったの!?

 私の、あの苦労した幸せな人生は!? どこに行ったの!? こんなただ寂しい人生をなんで送っているの!?

 やだ、やだやだやだやだやだやだやだやだッ!!

 ………………………………………………………………………………。

 ……あっ、そうだ。あの、いじめに関わったからだ。

 私の記憶に入ってる。あの子は死なずに、あれから明るくなって、高校生まで同じ学校に通ってた。遠巻きに、助けられて良かったと思っていたんだ。

 きっとあの子に深く、深く、深すぎる程に関わって、人生を変えてしまったんだ。

 だから、私の人生が……。

 私の、人生が……。

 ……壊れた。



 もう、……イヤだ。