「ずるいよ蒼空……」
「しょ、う?」
 震える声で後ろから抱きついてきた。
 今何をされているか、なんでされているのか頭の整理が追いつかねぇ。意味不明なんだが……。
「諦めようとしてたのに。蒼空に嫌われようとしてたのに……。なんでそんな思わせぶりなことするの?」
「えっと……」
 諦める? 思わせぶり? わからねぇが多すぎだ。……でも、久しぶりに紫耀の温もりが感じられて嬉しい、というのは嘘じゃねぇ。
 雨でびしょびしょなのに、寒いのに、なぜだか暖かい。
 身体を離して向かい合った。
「俺……まだずっとずっと蒼空が好きだよ」
「……へ?」
 好き……? だってもう紫耀はおれが嫌いで、長峰が好きで……。
「ねぇ、もう俺期待しちゃっても良いの? 両想いだって。また勘違いして蒼空を傷つけるのはいやだよ……」
「……で、でも紫耀は長峰とくっついてて……」
「え? なんで? 違うよ」
 えっ。頭が混乱する。勘違い?
「だって、長峰と電話してたじゃん……」
「あ、あぁそれは……」
 ほら。あいつの話するとすぐ動揺する。
 期待外れ……。
「こないだまた告白されて。振っても振ってもグイグイ来るからやめてほしいって言ったんだ。そしたら今度は友達に戻りたいって言われて、仕方なく了承したんだ。……あの子とはそんな関係じゃないよ」
 そっ……か。ほっと安堵の息を吐く。
 じゃ、じゃぁ紫耀は本当にまだおれのことが? 思うだけで顔が熱くなる。
「もう一回ちゃんと言わせて」
 両手を握られた。心臓の鼓動が早い。
「……俺は、ずっと蒼空のことが好きだ。蒼空も、俺と一緒に恋してくれますか?」
 目元が熱くなり、また涙が溢れた。おれ、もう期待していいのか? こんなおれが、こんな幸せなことにあっていいのか?
 ……ううん。もうネガティブに考えるのはやめよう。答えなんて決まってる。
「……はいっ。おれも、紫耀が好きだ。よ、よろしくお願いします……?」
 彼の顔が、ぱぁぁあっと明るくなるのと同時に、空の色が変わって、雨があがった。虹も浮かび上がっている。
「やっ、た……!」
「あっ……」
 大喜びの紫耀は、おれを強く抱きしめる。
 ……べ、別におれは嬉しくなんて、ねぇけど。
「やっと、やっと俺のものに……存分に愛される準備、できてる?」
「そんなのこっちのセリフだっつーの」
「ははかわいい」
 これで晴れて恋人同、士……? 心臓が持つのか不安でしかしねぇ。
 蒼い空の下で微笑む彼。平凡な、地味なおれが、こんな好青年の恋人で本当にいいのだろうか。……いや、紫耀が選んでくれたのはおれだ。こんなおれに恋してくれたのも。それだけで胸が熱くなって、ギュッと抱きしめ返す。
「絶対に離さない」
「おれも……」
 彼の顔が動いたかと思えば、おれの頬を掴まれ、じっと見つめられる。もちろん、近さは半端ねぇ。前は恥ずかしくて手を振り払ってしまったけど、今は違う。恥ずかしくねぇって言ったら嘘になるが、紫耀に触られんのは嫌じゃねぇ。
「キス、してもいい?」
 心臓の脈打つ音が紫耀に聞こえそう。
 目を泳がせながらもコクリと頷いた。
 唇がそっと近づいてきて、また鼓動がはやくなるのを感じる。
「……ん……っ」
 ……柔らけぇ。
 ただ触れるだけのキスだったけど、この前ハプニングでしてきたキスよりずっと甘かった。
「あ。見て蒼空」
「ん?」
 顔を離して名残惜しそうにする彼の視線の先には、雨上がりの青空がどこまでも広がって輝いていた。
「綺麗だ……」
 こんなこと、昔にもあったっけ。
 紫耀と見る景色は、全部が特別で。ずっと輝いている。
「これが、蒼空に見せたかった景色だよ」
「え?」
「前に言ったでしょ? 蒼い空、見せたいって」
 ……あ、確かに言っていたような。
 あのときは一緒にオレンジ色の空を見たんだっけ。まさかあのあと、こんなど平凡なおれが恋をするとは。ましてや告白されるなんて思いもしなかったな。なんで、青空なんて見せたかったんだろう。
 おれの心を読んだかのように、彼はその答えを教えてくれた。
「蒼空の心はあの空みたいに広くて綺麗でしょ? そらの名前、すごく好きなんだ」
 胸がドキッと高鳴る。……それは、おれの名前? それとも、あの空のこと? 顔の熱を冷ますように手で顔を仰いだ。
「そ、そんなこと言ったらお前だって」
 消えそうな虹を指さす。消えそうだけど、紫色のところだけ、ずっと残っているんだ。それがなんだか、紫耀の名前見てぇで。
「蒼空……おれのことそんな風に思っててくれたんだ。嬉しい」
 光輝いている。虹も、紫耀も。
「やっぱりなんだか、空と虹の光って、蒼空と俺みたいだよね」
「え?」
「蒼い空の中に、紫の光が輝いてる。もう俺らにピッタリじゃない?」
 ……なんだそれ。いつもの例え話に吹き出す。おれが笑うと紫耀も微笑むから、この空気は大好きだ。
 ぜってぇに紫耀の笑顔は、ずっとおれの宝物。
「あ……これ。蒼空にあげる」
「え?」
 立ち上がって彼の手元を見ると、一本の竜胆が。茎はボロボロで、花びらは今にも落ちそうだ。
「さっき中庭で咲いてるの見つけたんだ」
 花壇じゃねぇってことは、普通に咲いてたのか。竜胆は栽培するばかりで野生ではあまり咲いていないから珍しい。
「なんで急に?」
「そ、それは……」
 紫耀は昔からこの花が好きだった。おれがあげて花言葉を知ったから好きになった、とは自意識過剰に過ぎねぇ。
「さっき、もう一回蒼空に告白しようと思って、これをあげたら伝わるかなって」
「それで、竜胆?」
「うん。昔蒼空、これ俺にくれたでしょ? 最近になって花言葉知って」
 少し照れくさそうに笑う彼。
「……だから今度は俺から。俺も蒼空のこと、好きって今は胸張って言えるよ」
「紫耀……」
「この花、受け取ってくれますか?」
 この竜胆の花、おれが紫耀に出会ったときに渡したものに似ている。わざとなのか。
 王子様のようにおれの前に花を差し出す彼は、不安そうに瞳が揺れている。
 ……そんなもん、答えなんて決まってるっつーの。
「しょ、しょうがねぇから受け取ってやるよ。これでお相子な」
「ふふっ。そうだね」
 幸せなときは、永遠に続くわけじゃねぇ。だから、今を存分に楽しんで、紫耀の隣にいようと思う。今を大事にするって、彼が教えてくれたから。
 ……あぁ好きだな。
「……ックシュン」
 傘もささずにずっと雨に打たれて濡れていたから、クシャミを出してしまった。
「ずっと濡れてたもんね。中入ろう。風邪ひいちゃう」
 紫耀と手を繋ぎながら、屋上をあとにした。

 次の日、やっと付き合えたおれたちは、また生徒会室で意味不明な行動をしていた。……おれたちっていうか、主に紫耀だがな。
「紫耀、暑いからくっつくな」
「俺寒いもん。避けてた分、充電する〜」
「ちょっ……」
 既にバックハグされている状態で仕事をしているおれは、また紫耀の溺愛モードに困らされている。
 ……本当はいやの意味で困らされているんじゃなくて、紫耀とくっついてるとドキドキが止まんねぇので、やめてほしいの意味だ。まぁ、本人にはぜってぇ言ってやらねぇが。
「はわっ……んっんん……会長たち、よかったですねぇ〜」
「あ、みどりん。昨日はどうも」
 ニッコニッコ笑顔の七瀬先輩。目を輝かせながらおれたちを見る先輩は、昨日紫耀に何かしたみてぇだ。 
「桜河くんが泣きながら生徒会室を通り過ぎるものだから、会長にお説教をして、追いかけさせたんですよね〜」
「え……っ」
 横を見ると、顔を真っ赤にしながらマウスを握りしめる紫耀が。
 お説教? じゃ、じゃあ、泣き顔見られてたってこと……?
「本当、桜河くんの気持ちにも気づいてあげられないなんて、頭おかしいんじゃないですか会長」
「い、いや……」
 わー……酷い言われよう。でも、そこまでしてくれるなんて七瀬先輩は優しいな。
 先輩と紫耀の口論を見てると微笑ましい気持ちになる。昔の紫耀は全然反抗できなかったし、成長したなぁと保護者のように思う。……ま、まぁ、そ、その恋人、だけど。
「今蒼空みどりんに向かって微笑んだでしょ!! ダメ、その笑顔俺だけ!」
「えぇ……」
 いや、この我儘さは全然成長してねぇな。

 教室に入ると、予想通り鬼の形相をした莉音が微笑みながらおれに話しかけてきて、あのあとのことをグイグイ問い詰めた。昨日の一件から、前より距離が近くなったような。紫耀もそうだったし、告白した次の日にはみんなアタックしまくるのか……?
 あいつは、
『絶対に諦めないから!』
 とか言ってたし。
 放課後の生徒会のため支度をしながら頭を巡らせる。恋人持ちなのに。対抗心半端ねぇよな。メンタルどうなってんだよ。
「はぁ……絶対また会長のこと考えてるでしょ」
「え……」
 図星……。朝から莉音はずっとこの調子。ため息をついては、諦めない、諦めないって呪文みてぇに呟いている。
 だって紫耀は昼間も忙しそうだし、全然会えなくて朝と放課後しか話せねぇんだからあいつのこと考えてるのもおかしくねぇだろ? ……一応、恋人、なんだし。
「まっ、いっか。僕は昼間ずーっと蒼空に会えるもんね〜」
 これ、マウントというやつなのでは?
 教室の扉に向かって、少し大きな声を出した莉音。
 ……待て、待て待て。これは……。
「……またお前かよ。もう俺たちはこ、い、び、とですから」
「ちっ……今は、ね! 僕諦めたつもりないから」
 や、やばいやばいやばい。こんなとこで喧嘩になったら溜まったもんじゃねぇ。
「蒼空は永遠に俺の隣だから。お前に入る隙間なんてないよ。……蒼空行こ」
 まーた始まった……と思ったら、ニヤリと口角を上げている紫耀に腕を掴まれてしまった。
「待って……。はえぇって……」
 うわぁ。めっちゃ怒ってる……。頑張ってふたりを会わせねぇようにしてたんだけど。紫耀と付き合っちまったし、莉音の嫉妬深さが増す気がする。
「あのねぇ蒼空。俺以外にかわいいことしちゃダメだよ?」
「えっ……?」
 ふたりきりの寮の一角で言われ、顔が蒸発するくらいに熱くなる。
 この場所、告白されたときもそうだったな。つい最近のことなのに、遠い昔のように思える。
 かわいいとか……本当にひとをたらすのが好き、だよな。
「……まぁ、そんな無自覚なことも好きだけど。……俺、嫉妬深いから蒼空のこと縛っちゃうかも」
 一瞬彼の顔が赤くなったような? 紫耀も、おれみたいにドキドキしてたら、嬉しいな。
 ……嫉妬深いって、縛るって。そんなのおれの方なのに。それに……。
「おれだって、こないだ紫耀と電話してたやつに……」
「え?」
 あ……。嫉妬したって言ったら、紫耀はどんな顔するだろうか。多分喜んでくれるんだろうけど、恥ずすぎて……。 「も、もももしかして、嫉妬してくれたの!?」
 紫耀の顔がみるみるうちに明るくなっていく。
 彼の頭に火をつけちまったかもしれねぇ。
 あぁ、もう付き合ってんのに。恥ずくて、恥ずくて。
「ち、ちげぇし!!」
 こんな気持ちになったの初めてすぎて、わけわかんねぇ。
 きっとどこかで紫耀が嫉妬してくれて嬉しい、って思ている自分がいる気がする。でもそれよりも、紫耀を不安にさせねぇように、全部、紫耀だけにすると恋人になってから決意した。……今更だけど。
「本当に!? もうかわいいなぁ」
「う、うるせぇ……! 」
「じゃぁ、じゃあ俺のこと好き?」
 調子乗ってるな……。本音を言うか言わねぇか。
 瞳を左右に動かして落ち着かせる。
 応えはわかってるくせに、じっーと見つめてくる。思い切って言うしかねぇ。
「ごめん、意地悪……」
「好きだよバーカ」
「……っ、え?」
 あ、この顔久しぶりに見た。目を丸くして固まっている彼。おれがはっきり言うとは思わなかっただろう。……勝った。
「ねぇ、もう一回言って!」
「言うわけねぇだろ!!」
 これは大事な言葉だから一度きり。本当だったらいくらでも言いてぇ。だけど、おれの心臓は一個しかねぇから。
 紫耀のこの微笑みは、おれだけに見せる特別なもの。
 ──光みたいな紫耀に、恋をした。
「あーかわいい」
「……ばか」
 赤い顔を隠すように下を向きながら生徒会室に行くと、先輩に写真をたくさん撮られたことは、また別の話。