波乱の文化祭も、後夜祭も無事終わって今は絶望のテスト勉強。
 テストがいやなのもあるけど、文化祭辺りからおれは紫耀の顔が直視出来なくなってしまった。
「……はぁ」
「蒼空大丈夫? 進んでる?」
 ……ドキッ。
 いや、ドキってなんだよドキって。ただ顔を覗かれただけだろ? いつものことなのに。
 顔が赤いのを誤魔化すように、ノートへと視線を移した。
 今は絶賛、紫耀の部屋でテスト勉強中。
 意味のわからねぇ不整脈のせいで、勉強にだって集中できてねぇ。
「はぁあ」
 黙々と勉強を進めていると、紫耀がいきなりため息をついた。
 いつも真面目で、緩む姿を見ねぇ紫耀が最近ボーッとしていたり、ため息をついたりすることが多くなった。確か、文化祭の終わり辺りからおかしくなったんだっけ。紫耀がおかしいのはいつものことだけど、何かを考えているような、悩んでいるような。
「お前、最近変じゃないか?」
「え?」
「何か、考えているような?」
「まぁ蒼空のことは毎日考えてるけど」
「いや違くて!!」
 そういうことを言ってるんじゃねぇんだよ今は。さらっと言うなっての。
「うーん……まぁ、ちょっとね」
 ちょっと?
 なんかその表情、文化祭のときにたまたま会った女子と話す顔に似ているような。
 ……もしかして、あの女子のこと考えてんのか。まだ長峰? とかいうやつも紫耀のこと好きだったみてぇだし。紫耀もそれに気づいて……。って、ちょっと顔が桃色に染まりながら考え事をしているから、紫耀まであいつのことが……? いやいや、だって紫耀の好きなやつはおれだし。張り合ってんのはおかしいだろうけど。
「長峰っていうやつのこと、まだ気にしてたり……?」
「えっ……ち、違うよ!」
 ほら、あからさまに動揺している。ぜってぇ図星じゃん。
 紫耀がずっとあいつのこと考えてると思うと、胸の奥がモヤモヤする。
「蒼空、手止まってるよ」
 手が触れる。紫耀がおれを見つめて、動きが止まった。その彼の瞳の中に、吸い込まれそうになる。
 ずっと見つめているのには慣れなくて、胸がドクンドクン鳴り、顔を逸らそうとする。
「そ、蒼空……? もしかして──」
「ち、ちげぇから!!」
 顔、ぜってぇ赤いよなぁ……。目の前にいる彼の瞳は、期待に輝いている。
「違うんだったら俺の目、ちゃんと見てよ」
「えっ……」
 頬を掴まれ、顔を合わせられる。顔を固定されているので顔を逸らせなくて、目を泳がす。
 紫耀の瞳を見ると、ドキドキして胸の奥が苦しくなる。この気持ちは、友達に思う感情じゃねぇ。だったら……。「かわいい……やっと俺のこと意識してくれたんだね」
「ちがっ……」
「もう我慢しなくてもいいってこと?」
「だ、だから……」
 話聞いてねぇなこいつ……。
 ずっと見つめられて、色んなところを触られて、頭と心がぐるぐるする。ドキドキする。
 顔が近づいて来たかと思えば、おれはもうキャパオーバーで彼の手を振り払ってしまった。
「あ……」
「ふざけんのもいい加減やめろよ!! 毎日毎日そうやって誑かして。こっちの身にもなってくれ……」
「そ、蒼空……」
 あれ、おれってこんなこと思ってたっけ……。本当にやめてほしいんだっけ。
 紫耀の顔がみるみるうちに悲しそうに、寂しそうになって腕を下ろした。
 ……おれ、何してんだろ。こんなこと一回も思ったことねぇのに。
 紫耀だったらこんなこと真に受けねぇでずっと引っ付いてきてくれるだろうと勘違いしていた。本当におれはどこまでもバカで、紫耀に頼って、甘えて。
 謝ろうと口を開くけど、もう遅かった。
「……わかった」
「え?」
 震える声で笑う彼は、酷く傷ついた顔をしていた。
 どう、しよう。
「それくらい蒼空が嫌なら、もう俺やめるよ」
「……え」
「蒼空と同じ好きになれるように俺、頑張るから」
「あ……っ」
 ちげぇ。おれが言ってほしいのはそんなことじゃなくて……。そんな顔してほしい訳じゃなくて……。
 心の中ではそう思ってるのに、おれは彼に何も言えなかった。

 それからというものの、紫耀とは気まづい関係が続いて、避けられていた。いつものように引っ付いても来ないし、何も言ってこねぇ。
 生徒会でもみんなが心配してくれるけど、それを無視して前以上に仕事をするようになった。
「……はぁ」
 紫耀が生徒会室から出て行って、安堵の息を吐く。
 同じ空間にいると、気まづすぎて、苦しくて、涙が出そうになる。
 幼なじみだし、昔から何回も喧嘩だってしたことあったのに。次の日にはぜってぇ仲直りしてたのに。こんなに気まづくなったのは初めてだ。  
「桜河くん大丈夫? 最近会長とイチャ……」
「え?」
「会長と、なんかあった?」
 おれたちが生徒会室でずっと変なことをしているのを見ていた七瀬先輩が心配そうな瞳で見つめる。
 まるで、ふたりが気まづそうにしているのが辛くてたまらない、みてぇに。
「い、いえ……別になんもねぇです。ぎゃ、逆にもう引っ付いてこなくて清々しました」
 心配をかけたくなくて、作り笑いをする。
「本当に、そう思ってる?」
「そ、そりゃ……」
「そっか……本当に、このままでいいんだね」 
「そ、れは……」
 元の親友に戻れたらいいな、なんてことは思ってるけど。
「いつか、気づくよ。その気持ちに」
「え?」
 風のように笑い戻っていく先輩の背中を見る。
 全部自分が悪いってことはわかってる。けど、けど……。どうしたら、素直になれんのかな。どうしたら、紫耀にわかってもらえるかな。
 なんでおれ、こんなにあいつのことで頭いっぱいなんだよ……。

 寮への帰り道。生徒会室にいるのが気まづすぎて、逃げるように抜け出して来た。ふとしたときに目が合っては逸らされて、冷たい視線を送られて。
 自分が産んだことなのに。自分で放棄したことなのに。これで良かったはずなのに。胸の奥が苦しくて仕方ねぇ。もっと一緒にいてほしかった? もっと好きって言ってほしかった? 隣に、いたかった……?
「いや……」
 あれ、紫耀?
 見つからねぇように、隠れて彼を見る。ひとりで何かを呟いているから、大丈夫かと思ってよく見ると、誰かと電話をしているようだった。
 心做しか、紫耀の顔がほんのり赤い。……もしかして、長峰、だったりして。彼は少し動揺しているようだし。
「そ、それは…………わかったよ」
 わかった、?
 あぁ、そっか。また告白されたんだな。もうおれに飽きちゃったのか。おれがうぜぇから、なんも魅力がねぇから。おれのこと……嫌いになっちゃったのかなぁ。
「やっぱりおれって……」
 紫耀のことが、好きなんだ……。胸の奥がギュってなるのも、全部嫉妬で、紫耀の顔を見ると、不整脈がするのも、全部全部……恋してるからなんだ。
 自覚したところでもう遅い。長峰とかいう女がもういるみてぇだし。おれがいらなくなったみてぇだし。
 涙を堪えながら、歩く。
「うっ……くそ……! バカみてぇ……うぅっ」
 部屋に着いてその場に崩れ落ちる。
 壁を叩きながら、我慢していた涙が溢れ出す。
 好きって言いたい。紫耀に会いたい。紫耀ともっと一緒にいたい。
「そんなこと、今更思ってももう遅いのに……」

 数日後、まだ紫耀との気まづい関係が続いていたとき。よくおれは部屋で泣いていて、毎朝莉音に目が腫れているのを見られてしまっていた。
 今日も、そういう感じだ。
「……おれ、紫耀のことなんで好きなっちゃったんだろ」
「え……!? あ……え」
「え?」
 中庭のベンチに莉音と座りながらボーッと考える。
 今まで莉音には涙の理由を言っていなかったので、想像以上に驚かれてしまった。
「そ、そそ蒼空?」
「なんだ?」
「会長のこと、好きなの……? やっぱり、そういう意味で……?」
 なんか、恥ずいな。友達にこんな話するなんて。こいうのを女子たちが恋バナ……なんて言ってたっけ。
「じゃ、じゃあどうして……」
 固まってしまった。
 理由、聞きてぇよな。だけど莉音は優しいから、気を使っているんだろう。おれが傷つくと思って。
 実を言うと、おれもあまりひとには話したくなかった。でも、莉音があまりにも気になっていそうだったら、話しておこうかと思って……。
「あ、会長……」
「えっ!?」
 ぽつりと莉音が呟いたかと思えば、視線の先に女子に囲まれている紫耀の姿が。
「きゃぁぁしょうくーん!」
「あれ加賀美くんよ!?」
「最近副会長の男の子と一緒にいたのにね! ラッキー!」
 どことなく聞こえる、黄色い悲鳴とおれに対する嫌味。そりゃそうだ。おれは紫耀とは釣り合わねぇ。
「あ……」
 紫耀が一瞬こちらを見てくれたけど、すぐに視線を逸らし、女子と楽しそうに話していた。
 いつもなら、おれと目が合うとすぐに飛びついてくるのに。あんな女子たちも、押し斥けてるのに。……やっぱり、紫耀はおれのことがもう嫌いなんだな。いつまで引きずってんだって話だけど。
「早く諦めねぇとなのに……」
 予鈴のチャイムがなって、立ち上がる。
「ねぇ」
 背後から手を引かれた。慌てて振り返ると、莉音の瞳は悲しそうに揺れて、じっとおれを見つめる。
「僕じゃダメなの?」
「え?」
「僕なら蒼空のこと、絶対泣かせたりしないよ」
 何を言ってるんだ? ベンチに引き戻され、真剣に向き合う。よく冗談を言うやつだから、またおれをからかっているんじゃねぇかと思った。
 だけど、その顔は嘘を言っているように見えなくて。
「僕は蒼空の特別にはなれない?」
「えっと……」
 特別? そりゃ友達として莉音は大事な……。
「ごめん。この際ハッキリ言うね」
「え?」
 風が吹いた。チャイムが鳴っていたため、紫耀たちはいつの間にかいなくなっていて、この場にはおれと莉音だけになった。
「あのね、僕……蒼空のことが好きっ」
「は?」
 ……それはどういう、意味で?
 真面目な顔して言うもんだから、もしかして。
「蒼空と、恋人になりたいって意味だよ」
「っ……」
 恋、人……。
「ねぇ、僕より会長なんかの方がいいの? 僕の方が絶対蒼空のこと幸せにできるよ」
 必死に話す莉音は、どこかやっぱり焦っていて。
 どうしておれは今まで気づかなかったんだ。こんなに苦しんでいるのにも気づかずに。きっとたくさん莉音を傷つけた。誤解させた。どこまでおれは……。
「僕じゃダメ、かな」
 莉音は友達で、信頼してて、それで……。
『俺は蒼空のこと捨てたりしないよ。悲しいのも、嬉しいのも半分ずつ』
 ダメだ。頭の中で紫耀がチラついて落ち着かねぇ。紫耀のことはもう諦めて、莉音に移ったほうがいいのか?
 でも、それは友達として……。
 ……おれが、おれが本当に好きなのは、どうしても諦め切れないのは……。
「ご、めん。おれやっぱり紫耀のことが好き……!」
 何回でも救ってくれた、大好きな声、笑顔。もう忘れられねぇんだ。もしかしたら、気づくのが遅すぎて出会った頃から好きだったのかもしれねぇ。
「……そっ、か」
 莉音は肩を落として顔を歪めた。
 やっぱり、紫耀を諦めきれねぇ。飽きられても、嫌われたとしても、伝えなきゃいけねぇ気持ちがある。
「でも僕、諦める気ないからね」
「言うと思った」
「ははっ。バレてたか」
 本当にこいつはいつでも笑顔を絶やさなくて、ボジティブだな。
 何かを決意したように、もう一度真剣におれを見つめる。
「僕は、ちゃんと気持ち伝えたよ」
「え?」
「蒼空は、?」
 もしかして、背中押してくれてるのか……? ライバルなのに。どこまでも優しいな。こんなに良いやつと友達になれて、おれは幸せ者だなと改めて実感する。
 ……おれは、おれは。ちゃんと好きって言って、ちゃんと振られてぇ。我儘かもしれねぇけど、友達に戻りてぇって思う。
「……ちゃんと告白するよ」
 許してくれる、かな。
「うん……」
 もう、こんな気まづいままじゃ嫌だから。
 少し辛い気持ちを隠しながら微笑み返す。
「あっ……もう授業始まる!!」
「本当だ!?」
 予鈴がなってから結構時間が経ったから、もう本鈴まで時間がねぇ!
 莉音と笑いこけて、教室までの道を走った。

 放課後、おれは紫耀に告白しようと決意して、生徒会室でチラチラと紫耀の様子を伺っていた。
 怒りの、話しかけるなオーラを放ちながら黙々と仕事をいているもんだから、ぜんっぜん話しかけられねぇし、勇気が出ねぇ。
 ……ちゃんと、決意したのに。
「これお願い」
「あっ……はい」
 先輩たちはこの不穏な空気に耐えきれねぇみたいで。
 確かに、いつもあんな明るくて笑顔の紫耀が死んだような目で仕事をしているもんだから威圧感に押されて出ていくのも無理はねぇ。
「桜河くん」
「え?」
「今がチャンス、かもよ」
 七瀬先輩……? 扉のほうを見ながら微笑んでいる。
 チャンス……ってまさか。
「……はい。行ってきます!」
 早足に生徒会室を出る。
 七瀬先輩が扉を出る前に、ウィンクしてくれた。先輩、全部気づいてたのか。
 なぜ知っていたのか考える前に、紫耀を追いかける。
 多分、寮に帰ったんだろう。

「はぁ……はぁ……っ」
 生徒会室の扉と寮の扉が繋がっていてよかった……。
 ごくりと息を飲んで、紫耀の部屋の前に立つ。
「あ、あの……紫耀」
「何?」
 久しぶりに聞いた、おれへの声。でも、酷く低くて冷たかった。
 扉に手を付いて声を発しようとするけど、今の紫耀の口から言葉を聞くのが怖くて、喉の奥がつっかえる。
「あ、の。紫耀ごめん。おれ……」
「もう話さなくていいよ」
「え?」
「俺が嫌になったんでしょ? だったら無理に気を使わなくてもいいよ」
「ちがっ……」
 部屋の奥から、もう誰だかわからねぇ声がする。こんなのもう、紫耀じゃねぇよ……。
「だから、いいよ。もう俺に構わないで」
「……っあ……」
 涙が頬を伝った。
 そんな言葉、聞きたくなかった。振られても、友達に戻りたかったのに。やっぱり、現実は甘くねぇんだ……。
 嫌いになろうとすればするほど、好きが膨らんでいくのに。
 わかってた。わかってた。こういう返事もあるって、必ずしもいい未来にはならねぇって。期待したおれが、ちゃんと馬鹿だった。
 ちゃんとあのときに返事をしていれば。お試しでもいいから付き合っておけば。今頃幸せに恋をしていただろうに。……後悔してももう遅い。過去は、変えられねぇんだ。
「……ごめん」
 涙がどんどん溢れ出て、そのまま無我夢中で走る。どこに向かうのかもわからずに。

 涙がずっとずっと止まらねぇ……。こんなんになるなら、好きにならなきゃよかった。最初から紫耀と向き合えば良かった。
 前までの関係まで戻れなくなるなんて、思ってもいなかった。
 涙を流しながら走るけど、一体どこに行っているのか自分でもわからねぇ。
「桜河くん!?」
 あ……先輩。目を大きく見開いているけど、こんなぐちゃぐちゃな顔、見せられねぇ。
 屋上に行こう。そこなら心が落ち着くはず。涙なんて、虐待を受けていた頃ですら出なかったのに。
 あの笑顔を守りたいと思ってからはや十年。あのときは純粋な気持ちでいられたのになぁ。こんなに好きになるなんて。……きっとずっと、昔から紫耀に恋してたんだろうなぁ。
 屋上の扉を開く。
「あ。雨」
 雨が降っていた。まぁ誰かが来ても、涙で顔が崩れているし、バレないだろう。
 今のおれの気持ちにぴったりだ。雨に打たれると、もっと涙が溢れ出てくる。
「あーあ……」
 もう、ダメか。紫耀に嫌われちゃったもんな。頑張って気持ち消さねぇと。
 あー風邪ひくな。まぁ、いいか。紫耀に嫌われるよりはましだ。
 これからどうしよ……。なんか、ベンチに座りながら涙を流していると、紫耀に出会ったときの、虐待から逃げたおれに似ている。涙は流していなかったけど。
 ……紫耀の、紫耀への気持ちを忘れようとするのに。昔の思い出や記憶が蘇って、また紫耀を好きになる。忘れてぇのになぁ。
「蒼空!!」
「え」
 屋上の扉が勢いよく開いて、息を切らした紫耀が走ってきた。
 ……なんで。意味わかんねぇだろうが。立ち上がって彼を見つめる。どうせ絶交とか言うんだろ。もうわかってるから。いちいち言わねぇでいいのに。
「ごめん、蒼空」
「もう、いいよ」
「え?」
 しばらく沈黙が続いて、雨の音が地面を強く打つのが聞こえる。
 そうだ。もう言ってしまおう。どうせ振られるなら、嫌われてるなら。振られてすっきりしよう。
「……おれ、やっとわかったんだ」
「蒼空?」
 紫耀の瞳が、あのときのように揺れている。
「おれ…………紫耀のことがもうどうしようもねぇくらいに好きなんだ」
「……えっ」
「きっと、もうずっと前からお前に恋してる」
 言った……。でも、どうしても紫耀の顔を見れなくて、ずっと俯く。
「そ、ら」
 多分、今の彼はおれを拒絶して、おれが傷つかねぇような言葉を探しているに違いない。紫耀は優しいから。
「でもわかってる。お前はもうおれのことが嫌いだろ? だからこんなこと言っても、友達に戻れるなんて都合のいい我儘だ」
 だから……もうおれは紫耀の前から姿を消すことにした。
 雨に打たれながら、屋上から出ようと歩く。紫耀の前を通り過ぎて。
「……なんなの」
「え?」