文化祭前日。今日はクラスのことに集中していいということなので、生徒会はお休み。今日が莉音と話せる最大のチャンスだと思っている。衣装合わせや、接客の確認やらで全然ふたりきりにはなれねぇが。
「桜河〜それそっち運んどいて」
「はいよー」
「藤くんも」
「は〜い!」
やって来ました。最大のチャンスが。
「莉音!!」
教室から出ようとする莉音を慌てて呼び止める。焦って大きな声を出したせいか、莉音は肩を震わせて振り返った。
「な、何?」
「こ、こないだは紫耀が……おれも、ごめん」
廊下を歩きながら焦り混じりに言う。
黙ったままスタスタと早歩きする莉音を慌てて阻止して前に立つ。
「……別に蒼空のせいじゃないし」
「え?」
立ち止まって、顔を逸らしながら呟く莉音の声は微かに震えている。
「じゃあ、なんで最近おれのこと避けてたんだ?」
生徒会のことやら色々あってあまり関われないことはあったけど、空いた時間で話すことだってできた。でも、莉音はいつものようにおれに引っ付いてこなくて、避けているように感じた。別に寂しいとかそういう話じゃなくて。
「それは……ごめん」
「……いや、莉音が謝ることじゃねぇんだ。元はと言えばおれのせいだし」
「いや、違うよ!」
「いやいやおれが……」
「違う、僕が……!」
あ、笑った。最近はずっと暗い顔をしていたから心配していた。
少し頬を上げながら声を張る莉音。やっぱり、こういう顔の方が接しやすいな。
高校で初めてできた友達。クラスに馴染めなくて、ひとりになっていたときに声を掛けてくれた、今のところ一番信頼できるやつ。だからこそ……。
「あのさ、紫耀にもちゃんと莉音のことは言っておくから、おれとはこれからも友達として仲良くしてほしい」
「蒼空……」
「ちょっとだけ、避けられるの心細かったから……」
照れくさくて、頭に手をあてる。
もう、頼れる相手が莉音しかいねぇ。もちろん、紫耀のことも同じくらい信頼してる。だけど、おれを見る目が友達とはちげぇから。
「も、もちろんだよ!」
一瞬俯いたあと、無理しているように笑う。何をそんなに堪えているのか。……まぁ、嬉しそうだからいいか。
「……やっぱり蒼空は僕のこと友達にしか見えてないか」
「ん? なんか言ったか?」
独り言のように聞こえる小さな声。一瞬おれの名前が聞こえた気が……。気のせいか。
「う、ううん、なんでもない。ほら行こ!」
「おう!」
荷物を持って、早足に教室へと歩く。
教室の準備も、厨房の確認も終わって今日はこれで解散になった。莉音が他クラスのやつに呼ばれてどっか行っちまったので、生徒会寮までひとり寂しく歩く。いつもは生徒会があったから紫耀と帰ってたけど、生徒会長だから仕方ねぇよな。
「……あ、ホトトギス」
学校の中庭で育てているホトトギスだが、寮の花壇にもあるなんて知らなかった。
秋の風が花を揺らして、踊っているみてぇだ。
……ホトトギス……母さんが好きだった、最後に残してくれた大事な花。
『ホトトギスにはね、わたしは永遠にあなたのもの、という花言葉があるのよ』
母さんが病死する前、最後に言ってくれた言葉。そう言われてからホトトギスを持つようになって、母さんが心の中にずっといるように感じた。
「蒼空?」
風に揺られながら花たちを撫でていると、後ろから聞き覚えのある声がした。慌てて振り返ってみれば、大量の荷物を抱えた紫耀が心配そうな顔をしている。
「……紫耀? なんだその荷物」
首を傾げながら上半身を見下ろす。
「後夜祭で使うやつだよ」
「そっか。お、おれもちょっと持つよ」
腕からダンボールを取る。手と手が触れて少し心臓が跳ね上がったのにも気づかず、目の前にいる彼はずっと固まって、心配そうに見つめている。
おれと花を交互に見ては瞳が不安そうに揺れて。
もしかして、まだおれが母さんのことを引きづっているとでも?
「おれもう大丈……」
「ホトトギス、お母さんが好きだったんだよね。……もう、無理しちゃだめだよ? あのときみたいにさ」
「あのとき……」
ホトトギスを見ながら呟く。思い出してしまいそうで、怖い。
「あ、ごめん。思い出させちゃったね」
「いや、もう大丈夫だ!」
実のところ、大丈夫ではねぇ。ホトトギスを見る度に母さんや、父親のことを思い出してしまうから。
「…………もう、いいんだ」
母さんはおれが生まれてからずっと病気で寝込んでいて、入院生活がほとんどだった。そのせいで、父親に呪われた子だ、なんて言われたりして昔からおれは虐待を受けていた。暴力を振るわれたりはあまりなくて、誰も助けてはくれねぇ。そんなのわかりきっていた。
数年後に母さんが死んでからは毎日暴力されたり、飯を抜きにされたり、父親の怒りは悪化して行って、やっと、やっと母方の祖父母に引き取られた。
虐待を受けていたときも、今も。母さんだけはずっと見守ってくれてるから。ホトトギスがいるから。おれはここまでこれた。
このことは紫耀と祖父母にしか話していねぇ。ずっと黙っていてくれたことで、三人はおれにとって恩人にすぎなかった。
ギュッと拳を握りながら俯く。爪が皮膚に刺さっていてぇくらい。もう、紫耀に心配させたくねぇのに。
「……俺はここにいるよ」
「え?」
ずっと沈黙が続いて、一生これが続くのかと思っていると、何か暖かいものに包まれた。
思考が何秒か停止したあと、抱きしめられているんだと理解する。
「大丈夫。俺は絶対蒼空から離れないから。捨てたりしないし、悲しいのも嬉しいのも、半分ずつ俺に分けて」
「紫耀……」
昔から全然変わらない、優しい声。何度も何度も救われた声。
やっぱりおれには紫耀がいねぇとダメだな。……変な意味じゃなくて。
「でも、やっぱり俺は違う意味で蒼空の傍にいたいよ」
「それは……」
包み込む手の力を強めて、頭をおれの肩に埋める彼。一瞬いい雰囲気だったのに。
「ごめんごめん。蒼空は頑張ってるよ」
背中を叩かれて、体を離した。いつも、おれの変化に一番に気づいてくれるのは、欲しい言葉をくれるのは紫耀だ。こいつだけには意地を張っていたいのに、結局懐に入られて涙を流す羽目になる。
逆に紫耀の顔が崩れるところは今まで見たことねぇ。心の中にずっと苦しみを溜め込んでいる気がする。
……いや、一回だけあったっけな。紫耀が涙を流した日のこと。
「あ、竜胆じゃん」
彼の視線の先には、ホトトギスの隣に青紫色の竜胆が咲いていた。花言葉は確か、悲しんでいるあなたを愛します、だったかな。
「ねぇ、覚えてる? 俺たちが最初に出会ったときのこと」
「最初?」
竜胆を撫でながら、優しく微笑む彼。何かを懐かしむように瞳が揺れている。
「蒼空に出会ったとき、この竜胆の花を俺にくれたよね」
……そうだ。思い出した。竜胆の花は、おれたちを繋いでくれた大切なもの。
「そうだったな」
おれが紫耀に出会ったのは、小学校低学年の虐待を受けていたときのこと。その日はずっと殴られ続けていて、飯も食べていなかった。なんとか家から逃げ出して、公園のベンチに座っていたら、近くで虐められている子を見つけたんだ。中学生くらいの男が三人で、おれと同じくらいの歳の男の子を寄って集って虐めていた。虐められている子の顔は、今にも泣き出しそうだったにも関わらず、とても整った顔をしていたのを覚えている。……その子は、紫耀だった。良いとこの息子だったし、容姿も整っていたから狙われやすかったんだろう。同じ小学校で、有名だったし。それにその頃の紫耀は弱くて、まずいと思ったおれがボロボロの体で助けに入らなかったから、一瞬でやられていただろう。小さい子供相手にあんなことして、今でもあいつらの顔を殴ってやりてぇ。男たちが諦めて去っていったあと、彼は涙を流して、今では考えられねぇくらい小さい、弱い身体でおれに抱きついてきた。
「あの頃、蒼空も虐待受けていたのに俺のこと助けてくれて。本当にすごいよ」
彼は微笑みながら花を見つめた。
あのとき泣きじゃくる紫耀を慰めようとして、近くにあった竜胆の花をあげたんだっけ。花をあげた途端に彼は一気に表情が変わって、この笑顔をずっと守りてぇな、なんて純粋な想いでそばに居るようになった。
「あのとき蒼空が少し震えてたの俺知ってるよ」
「え?」
「人間全て信じられないくらい辛かったはずなのに、必死で俺のこと守ってくれて。俺も蒼空のこと守りたいって思えるようになった」
あのときのおれはまだ、竜胆の花言葉なんて知らなかった。紫耀は、知っていたんだろうか。今、知っているんだろうか。
彼はおれの頭に手を置くと、優しく微笑んだ。
「そのときから……蒼空のことが好きだったんだと思う」
そんな前から……? というか、出会ったときから?
……なんだか少し申し訳ねぇな。そんな前から好きでいてくれたのに、ずっと拒んで。ちゃんと、向き合わなくちゃいけねぇのかもしれない。
「俺、ずっと前から蒼空に振り向いてもらえるように必死なんだよ。……蒼空しか見えてない」
顔を赤く染めた彼は、おれの手の甲にキスをした。
「ちょ、お前……」
「絶対諦めないから」
そのとき紫耀の瞳が、銀色に光ったことをおれは知らない。
次の日。待ちに待った文化祭がやってきてしまった。
内心最悪だ。毎年休んでたのに。しかも昨日の夜は、夢の中で紫耀に振り回されて全然寝た気がしねぇ。
それから、メイド喫茶でメイド役に変装するとか、地獄に行けと言われてるのと同じだ。
めんどくさい……いや、人生が終わった。紫耀に見つかったら厄介なことになりそうだな。
生徒会役員は、クラスの仕事がないときに、校内を見回りしないといけねぇし。
紫耀のやつ、涼しい顔しやがって。多分全校の女子生徒を惚れさせたであろう、彼の笑顔は……なぜか、おれが見てもドキドキする。
昨日からおれの様子がおかしい。紫耀を見ると、喉の奥がギュッとする。これって、どいうことなんだろ……。
更衣室の鏡でメイドの格好をしたおれを見つめる。
おれがこんなことして誰が喜ぶんだよ。一生の恥じゃねぇか。
「蒼空〜準備できた? 入るよ〜!」
「ちょっ……ま……」
莉音の大きな声がして、慌ててドアを閉めようとするけど、結局開けられて、おれの変な格好を見られてしまった。
目を大きく見開いて固まっている莉音。莉音も着替えたらしく、やっぱり似合っている。こういうやつがやった方がぜってぇいいのに。
「……蒼空」
「えっと……やっぱり、変、だよな」
苦笑いするのも虚しくなる。
失望したのか……? ずっと固まっていて、声が聞こえていねぇみたいだ。
やっぱり、似合ってねぇよな。
「……すっっごくかわいい!!」
「は?」
いきなり大声を出して飛びついてくる。目を輝かせながらおれを見る莉音は、ボソボソと意味のわからないことを呟いては頷いたり、おれをチラチラと見ている。
「桜河たちー準備できた?」
女子たちが沈黙を破るようにドアを叩いた。
……莉音がなんかオタクみたいになってて怖かったな。
「り、莉音行こう」
足と手が震えていて、扉を開こうとするのを躊躇う。
大丈夫、だよな……? 莉音も、似合ってるって言ってくれたし。
「もう、早く行こ?」
「あ……!」
強引に開けられて、クラス全員に晒されることになる。
……やっべぇ。みんな見てる……。やっぱり似合ってねぇよな。
莉音はみんなからキャーキャー言われてるけど。
「おー! 桜河もいいじゃん!!」
「え……?」
「ほら、時間もないし手伝って!」
「あ、ちょ……」
このまま!? 手を引かれ、強引に連れていかれる。
この格好、動きづら。てか、これ紫耀に見られたらやばいことになりそう……。
店には来ないでくれ!!
文化祭がいよいよ始まって働いていると、中学のころの同級生も来て、まじで恥晒しだった。
……早く終わってくれないかよ。ちなみに、仕事が終わったらすぐ見回りに行かねぇとなので、すぐに着替えねぇと紫耀に見られてしまう。
「い、いらっしゃいませ……」
「お帰りなさいませ! ご主人様」
ぎこちない挨拶とは裏腹に、莉音は男でも魅了するような笑顔を見せる。語尾には、ハートがつきそうなくらい。すげぇよな。本当。……まぁ全部偽りだけど。
「ねぇ、生徒会長ってうちの店来んの?」
莉音が品物を受け取るカウンターで、いやそうな顔をしながら言った。
ちなみに昨日、紫耀にも莉音の事情は話して、あまり近づけねぇようにするつもりだ。……おれがいる限り、完全には無理だろうけど。
「わかんねぇ……」
別に約束してないし。まぁ、一緒に回る約束はしてるけど。生徒会長だし、そんなに暇じゃねぇよな。
「……来たら、ぶちのめす」
「え? なんて?」
莉音の口から暴言が聞こえたような。
「そこのふたり〜これ二番テーブルね」
「あ、はーい!」
女子のほうがメイドをやっているの少ないとかどういうことだよ、まじで。今さら思ってもしょうがねぇか。
やれやれと肩を降ろしながら皿を持った。
「君も可愛いね。藤くんとは違ってツンツン系で」
「え……?」
大学生くらいの男たちのテーブルに、頼まれたものを置くとニヤニヤとされる。どうやら昔の莉音の先輩みてぇだ。
こういうのが一番めんどい。適当に笑ってりゃ平気か。
「あはは。ありがとう……ございます」
ぎこちなく笑って、ぎこちなく挨拶する。
全然笑ったことなんてなかったから、気持ち悪い笑い方しかできなくて、ぜってぇバレてると思うけど。
「ねぇ、連絡先交換しようよ。オレ金持ちだし、今度どこか連れて行ってあげるよ」
お辞儀をして戻ろうとすると、背後から男の声がした。
「はいぃぃ?」
なんだよそれ。 やりたくねぇに決まってるだろ。
それに、金持ちは普通、人に自分が金持ちだって言わねぇよ。紫耀のとこは金持ちだけど、彼の口からはそんなこと聞かねぇし。
ちっ。くそ……。なんで莉音は女子ばっか相手してんのに、おれは男ばっかなんだよ。あいつだったらそんなことスマートに済ますのに。
「ご、ごめんなさい。そういうのはやってなくて」
嘘つくの本当に下手だなおれ。
もう一度謝って去ろうとする。
「えぇ、良いじゃんか」
「は……?」
男がおれの腕を掴んだ。汗が滲んでて気持ちわりぃ。
どうしよ。振り払ったらこの店の評判悪くなって、女子たちを悲しませるかもしれねぇ。
「あ、あの……」
離そうとするけど、力が強くて。
「ねぇ、教えてよ」
「だ、だから……」
焦って一歩後ずさるけど、誰も気づいてくれなくて。
莉音がこっちを向いて目を見開いてくれた。
よかった。助けて……。
皿を置いて、こっちに走ってくる莉音。それに怯むこともなく、男はこっちを見つめる。
「ほら、お兄さんがちゃんと……」
「うちの大事な生徒に手ぇ出さないでくれますか?」
「は?」
男の腕を振り払って、背後に近づいてきたのは……。
「蒼空……大丈夫だった?」
紫耀だった。彼はおれを見て微笑んだあと、男たちを睨む。
「おいおい。なんだよ。オレが話してたんだぜ? つーかお前誰?」
「ここの生徒会長ですけど?」
「はぁ?」
バチバチと火花を散らしながら怒るふたり。
おどおどしているうちに、騒ぎに気づいた莉音たちがこっちへと手招きしてくれた。
ふたりが喧嘩しているうちに、すぐさま立ち去る。
……助かった……。紫耀がいなかったらおれ、やべぇことに巻き込まれてたかもしれねぇ。一つ貸しができちまったな。
「蒼空、大丈夫!?」
「桜河くん、何かされてない?」
四方八方から、言葉をかけられておろおろしてしまう。
心配……かけちまったな。
「だ、大丈夫だ。ちょっと腕掴まれただけ。でも……」
おれのせいで、店の評判が悪くなっちまったら……。おおごとにしたくなかったのに。おれだけで解決して、迷惑かけたくなかったのに。
「平気。気にしないで! 先生には僕から言っとくから」
「そうそう! あとは会長とあたしたちに任せな!」
こいつら……。
おれの肩を叩いて、紫耀たちの方へ駆けつけた。
……助けられて、ばっかだな。情けねぇやつ。
「はぁあ……」
おれはやっぱり役立たずで、足引っ張って、迷惑かけて。……だからこそ、できることはやらなくちゃ。
「蒼空。大丈夫だった?」
「……紫耀?」
騒ぎがおさまったのか、奥まで入ってきておれの頭を撫でる彼。
……おれが、おれってこと、気づかれてたのか。
「あいつのことはもう気にしないで良いよ。俺がメッタメタにしてあげたから」
「えっ」
メッタメタ? なんか、すごいことしてねぇよな? さっき店の方見たら、怯えながら歩いていく男たちを見たんだけど……。
それにしても、また迷惑かけちまったな。年上相手にも立ち向かうなんて、流石すぎる。
「あ、あの、悪い」
「え? 何が?」
「助けてもらっちゃって……」
シュンと、犬みたいに俯いて言葉を待つ。
「良いよ、そんなの。それより蒼空が無事で本当によかった。……触られたのはまじでムカついたけど」
もう一度「よかった」と肩を降ろしながらおれの頭を撫でる。
やっぱすげぇよ。生徒会長だからなのかもしれねぇけど、自分の格を下げられてまでひとのことを助けるなんて。
紫耀は昔から人一倍責任感が強くて、誰かがやったとしても自分のせいだと責める。世界で一番お人好しバカだとおれは思っている。
「そういえばさ……」
彼は思い出したかのように、顔をみるみるうちに赤くしていった。
あっ、そういえば忘れてることが……。や、やべぇ。
「その……すごく、かわいいね」
「……え」
顔を抑えながら唸り、しゃがみこむ彼。
最後なんて言った……?
「その格好……」
「あ、あぁ、これ?」
顔を赤くして息を整える彼。そんなにおれの格好が気に食わなかったのか?
「……だからだよ」
「何、が」
「だから狙われちゃうんだよ。他の男に惚れられたらどうするの……」
……ん? な、何言ってんだ。 狙われる? 惚れられる? 紫耀のやつ、頭大丈夫か。そんなに、ジロジロ見る必要ねぇだろ。
一瞬だけ首を傾げ、付けていたウィッグを外す。
「無自覚なのもほどほどにして」
「……?」
おれからヘッドドレスを外して、エプロンの紐を解いた。
あれ。心臓の音、やけにうるせぇな。おれのじゃねぇ。……だとしたら……。
肩から、紫耀の耳が真っ赤なのが見えた。つられておれも赤くなってしまう。
「桜河〜! もう上がって良いよ。会長と回っておいで」
沈黙を破るように入ってきた莉音たち。
どうやら先生に伝えられて、騒動は収まったらしい。一件落着ってとこか。
「まじで桜河無事で良かったわ。ね、藤──って」
「……ちっ」
にこにこと笑う女子とは真逆に、莉音が隣にいる紫耀を睨んでいた。
まぁ、そうなるだろうとは予想してたけど。その格好で睨まれても別にうんともすんとも言わねぇだろう。
「み、みみんな、さんきゅーな! き、着替えてくるから紫耀待ってろ」
「うん……」
その場を誤魔化すように、更衣室へと走った。喧嘩になんねぇと良いけど。
こういう空気が一番苦手だ。おれのせいで喧嘩にさせたくなくて、沈黙に耐えきれなくて。笑って流す。それがおれの特技だ。
「紫耀ごめん。待たせて」
「ううん。行こっか」
莉音たちは仕事に戻って行っていた。
ちなみに莉音は、今日一日中シフトが入っているらしい。
まぁ確かに、そこらの女子よりも女子っぽいからな。
ボーッとしていると、紫耀に手を握られた。
「もう気にしなくていいよ。今日はめいいっぱい満喫しよう!」
「え、ちょ、見回りは!?」
楽しそうにおれの腕を引く彼。一応生徒会長だってこと忘れてねぇか?
校内を見回りながら、紫耀と文化祭を満喫していた。屋台で食べたり、劇や演奏を見たり。もう十分に回っていた。
……ちゃんと見回りをするつもりが、ちゃんと楽しんでしまった。
手なんて繋がねぇようにしてたのに、ずっと引っ張ってんじゃねぇか。頭の中で自分にがっかりする。
「あ。ねぇ蒼空! お化け屋敷だって」
「えっ……」
「面白そうだし、入ってみようよ」
お化け屋敷……。正直言って、あんまり得意じゃねぇ。べ、別に怖いとかそういうわけじゃなくて!!
服の裾を握って固まる。彼はウキウキしながらおれの腕を引っ張った。
「まさか怖いの?」
まるでわかってますと言わんばかりに紫耀はニヤニヤしながら手招きする。
うぜぇ……。面白がってやがる。
「こ、怖くなんてねぇし! そんなの一瞬で終わらせてやる!」
少し震えながら紫耀の腕を引いて中に入る。
こ、怖くなんてねぇから。全部作り物、作り物。
「ふふっ。蒼空震えてるよ。俺の腕掴む?」
「……震えてねぇし、掴まねぇでいい」
角から黒い影が見えてこっちに……。
「うわ!!」
「あれただの俺たちの影だよ?」
「し、知ってるし」
間違えて紫耀の服を掴んでしまって、慌てて離れる。
こんなの平気だし。そう自分に言い聞かせながら歩く。
「へぇ、結構凝ってるね。一年の教室の割には」
「ぐわぁぁぁ」
「ぎゃぁああ」
「……ふっ」
あ、今笑ったな絶対!! 横から変なバケモンが脅かすから、驚いて紫耀に抱きつく。そのとき彼の目は大きく開いて、顔を赤くした。
こ、怖いとかじゃねぇけど、何か掴んでねぇと落ち着かねぇだけで。本当は抱きつきたくなんてねぇし。
「良いよ掴んでて。あとちょっとだから頑張ろ!」
誤魔化すように、彼は掴んでいた腕をもっと引き寄せて、おれが抱きつくような体制になってしまった。
かわいい、とでも言いたそうな顔をしながらおれを頭を撫でる。
……おれは子供じゃねぇ。
「かわいい」
思っていたことと同じことを言われたのに、胸がトクトクと脈を打ってうるせぇ。なぜかは知らねぇが、衝動的に目を逸らす。
紫耀を意識してしまって、お化け屋敷だということを忘れていると、出口に来てしまった。
「……ふぅ」
「やっぱり怖かったの?」
「ち、ちげーし」
爽やかな笑みを浮かべた彼は、また手を引っ張って歩き出す。おれたちはまるで、ドラマで見た青春をしている学生のようだ。
「さてと、見回り再開だよ〜」
……全然青春じゃなかった。
文化祭を満喫しすぎていて、一気に現実に戻された感覚。紫耀と回るのが楽しくて、肩を落とす。
「もしかして、俺と回るの楽しかった?」
「い、いやそういうわけじゃ……」
図星をつかれてしまった。……いやいや図星じゃねぇし! 紫耀といるのは、確かに楽しくねぇわけじゃなかったけど、今そんなことを言ったらめんどくさくなりそうだから言わねぇでおく。
ん? ……あれ、楽しくねぇわけじゃねぇんだ。
「蒼空? なんか顔赤いけど大丈夫?」
「……へ?」
目を大きく開きながらおれの顔を覗き込む。
……近っ。
「本当に大丈夫? 熱でもあるんじゃ……」
「あ、あるわけねぇし。ほら、見回り行くぞ」
誤魔化すように目を逸らして、歩き出した。
さっきからおれはおかしい。紫耀に顔を覗き込まれただけで、心配されただけで、不整脈になる。……もしかして。
いやいや、ぜってぇに違う! もしかしたら紫耀以外でもなるかもしれねぇし。
だったらこの不整脈の正体はなんだ?
「あれ、加賀美くん? と桜河くん?」
「え」
心を落ち着かせながら紫耀と見回りをしていると、綺麗な女性に話しかけられた。
なんかどっかで見たことあるような。
「久しぶりだね! 元気にしてた?」
あ。思い出した。
中学のとき、学年一モテていたやつだ。確か、紫耀のことが好きだったとか、告白して振られたとか噂されてたな。
「ひ、久しぶり。長峰さん」
……紫耀、動揺してる? もしかして、告白したっていうのは本当だったのか。
でも、なんか紫耀の顔赤いような?
「相変わらずふたりとも仲が良いんだね」
「ま、まぁ……」
長峰が近づいて、紫耀の肩に触れた。ふたりの距離が少し近い。
まだ紫耀のことが好きなんだろうか。なんか、モヤッとするな。……ん? え?
「あ、ごめんね。邪魔しちゃったよね」
「いや……」
「会えてよかった。またねっ」
嬉しそうに去っていく長峰というやつ。
なんだったんだ……。
「はぁ……」
「紫耀?」
長峰が去っていったほうを見る彼。
あ、あれ。おかしいな。胸がズキズキする。もしかして、嫉妬……? な、なんで。
頭の中に、"恋"という文字だけが彷徨う。
「ううん。なんでもない。行こう」
「……おう」
この不整脈の正体も気持ちの整理もつかねぇまま、時間だけが過ぎていった。
「桜河〜それそっち運んどいて」
「はいよー」
「藤くんも」
「は〜い!」
やって来ました。最大のチャンスが。
「莉音!!」
教室から出ようとする莉音を慌てて呼び止める。焦って大きな声を出したせいか、莉音は肩を震わせて振り返った。
「な、何?」
「こ、こないだは紫耀が……おれも、ごめん」
廊下を歩きながら焦り混じりに言う。
黙ったままスタスタと早歩きする莉音を慌てて阻止して前に立つ。
「……別に蒼空のせいじゃないし」
「え?」
立ち止まって、顔を逸らしながら呟く莉音の声は微かに震えている。
「じゃあ、なんで最近おれのこと避けてたんだ?」
生徒会のことやら色々あってあまり関われないことはあったけど、空いた時間で話すことだってできた。でも、莉音はいつものようにおれに引っ付いてこなくて、避けているように感じた。別に寂しいとかそういう話じゃなくて。
「それは……ごめん」
「……いや、莉音が謝ることじゃねぇんだ。元はと言えばおれのせいだし」
「いや、違うよ!」
「いやいやおれが……」
「違う、僕が……!」
あ、笑った。最近はずっと暗い顔をしていたから心配していた。
少し頬を上げながら声を張る莉音。やっぱり、こういう顔の方が接しやすいな。
高校で初めてできた友達。クラスに馴染めなくて、ひとりになっていたときに声を掛けてくれた、今のところ一番信頼できるやつ。だからこそ……。
「あのさ、紫耀にもちゃんと莉音のことは言っておくから、おれとはこれからも友達として仲良くしてほしい」
「蒼空……」
「ちょっとだけ、避けられるの心細かったから……」
照れくさくて、頭に手をあてる。
もう、頼れる相手が莉音しかいねぇ。もちろん、紫耀のことも同じくらい信頼してる。だけど、おれを見る目が友達とはちげぇから。
「も、もちろんだよ!」
一瞬俯いたあと、無理しているように笑う。何をそんなに堪えているのか。……まぁ、嬉しそうだからいいか。
「……やっぱり蒼空は僕のこと友達にしか見えてないか」
「ん? なんか言ったか?」
独り言のように聞こえる小さな声。一瞬おれの名前が聞こえた気が……。気のせいか。
「う、ううん、なんでもない。ほら行こ!」
「おう!」
荷物を持って、早足に教室へと歩く。
教室の準備も、厨房の確認も終わって今日はこれで解散になった。莉音が他クラスのやつに呼ばれてどっか行っちまったので、生徒会寮までひとり寂しく歩く。いつもは生徒会があったから紫耀と帰ってたけど、生徒会長だから仕方ねぇよな。
「……あ、ホトトギス」
学校の中庭で育てているホトトギスだが、寮の花壇にもあるなんて知らなかった。
秋の風が花を揺らして、踊っているみてぇだ。
……ホトトギス……母さんが好きだった、最後に残してくれた大事な花。
『ホトトギスにはね、わたしは永遠にあなたのもの、という花言葉があるのよ』
母さんが病死する前、最後に言ってくれた言葉。そう言われてからホトトギスを持つようになって、母さんが心の中にずっといるように感じた。
「蒼空?」
風に揺られながら花たちを撫でていると、後ろから聞き覚えのある声がした。慌てて振り返ってみれば、大量の荷物を抱えた紫耀が心配そうな顔をしている。
「……紫耀? なんだその荷物」
首を傾げながら上半身を見下ろす。
「後夜祭で使うやつだよ」
「そっか。お、おれもちょっと持つよ」
腕からダンボールを取る。手と手が触れて少し心臓が跳ね上がったのにも気づかず、目の前にいる彼はずっと固まって、心配そうに見つめている。
おれと花を交互に見ては瞳が不安そうに揺れて。
もしかして、まだおれが母さんのことを引きづっているとでも?
「おれもう大丈……」
「ホトトギス、お母さんが好きだったんだよね。……もう、無理しちゃだめだよ? あのときみたいにさ」
「あのとき……」
ホトトギスを見ながら呟く。思い出してしまいそうで、怖い。
「あ、ごめん。思い出させちゃったね」
「いや、もう大丈夫だ!」
実のところ、大丈夫ではねぇ。ホトトギスを見る度に母さんや、父親のことを思い出してしまうから。
「…………もう、いいんだ」
母さんはおれが生まれてからずっと病気で寝込んでいて、入院生活がほとんどだった。そのせいで、父親に呪われた子だ、なんて言われたりして昔からおれは虐待を受けていた。暴力を振るわれたりはあまりなくて、誰も助けてはくれねぇ。そんなのわかりきっていた。
数年後に母さんが死んでからは毎日暴力されたり、飯を抜きにされたり、父親の怒りは悪化して行って、やっと、やっと母方の祖父母に引き取られた。
虐待を受けていたときも、今も。母さんだけはずっと見守ってくれてるから。ホトトギスがいるから。おれはここまでこれた。
このことは紫耀と祖父母にしか話していねぇ。ずっと黙っていてくれたことで、三人はおれにとって恩人にすぎなかった。
ギュッと拳を握りながら俯く。爪が皮膚に刺さっていてぇくらい。もう、紫耀に心配させたくねぇのに。
「……俺はここにいるよ」
「え?」
ずっと沈黙が続いて、一生これが続くのかと思っていると、何か暖かいものに包まれた。
思考が何秒か停止したあと、抱きしめられているんだと理解する。
「大丈夫。俺は絶対蒼空から離れないから。捨てたりしないし、悲しいのも嬉しいのも、半分ずつ俺に分けて」
「紫耀……」
昔から全然変わらない、優しい声。何度も何度も救われた声。
やっぱりおれには紫耀がいねぇとダメだな。……変な意味じゃなくて。
「でも、やっぱり俺は違う意味で蒼空の傍にいたいよ」
「それは……」
包み込む手の力を強めて、頭をおれの肩に埋める彼。一瞬いい雰囲気だったのに。
「ごめんごめん。蒼空は頑張ってるよ」
背中を叩かれて、体を離した。いつも、おれの変化に一番に気づいてくれるのは、欲しい言葉をくれるのは紫耀だ。こいつだけには意地を張っていたいのに、結局懐に入られて涙を流す羽目になる。
逆に紫耀の顔が崩れるところは今まで見たことねぇ。心の中にずっと苦しみを溜め込んでいる気がする。
……いや、一回だけあったっけな。紫耀が涙を流した日のこと。
「あ、竜胆じゃん」
彼の視線の先には、ホトトギスの隣に青紫色の竜胆が咲いていた。花言葉は確か、悲しんでいるあなたを愛します、だったかな。
「ねぇ、覚えてる? 俺たちが最初に出会ったときのこと」
「最初?」
竜胆を撫でながら、優しく微笑む彼。何かを懐かしむように瞳が揺れている。
「蒼空に出会ったとき、この竜胆の花を俺にくれたよね」
……そうだ。思い出した。竜胆の花は、おれたちを繋いでくれた大切なもの。
「そうだったな」
おれが紫耀に出会ったのは、小学校低学年の虐待を受けていたときのこと。その日はずっと殴られ続けていて、飯も食べていなかった。なんとか家から逃げ出して、公園のベンチに座っていたら、近くで虐められている子を見つけたんだ。中学生くらいの男が三人で、おれと同じくらいの歳の男の子を寄って集って虐めていた。虐められている子の顔は、今にも泣き出しそうだったにも関わらず、とても整った顔をしていたのを覚えている。……その子は、紫耀だった。良いとこの息子だったし、容姿も整っていたから狙われやすかったんだろう。同じ小学校で、有名だったし。それにその頃の紫耀は弱くて、まずいと思ったおれがボロボロの体で助けに入らなかったから、一瞬でやられていただろう。小さい子供相手にあんなことして、今でもあいつらの顔を殴ってやりてぇ。男たちが諦めて去っていったあと、彼は涙を流して、今では考えられねぇくらい小さい、弱い身体でおれに抱きついてきた。
「あの頃、蒼空も虐待受けていたのに俺のこと助けてくれて。本当にすごいよ」
彼は微笑みながら花を見つめた。
あのとき泣きじゃくる紫耀を慰めようとして、近くにあった竜胆の花をあげたんだっけ。花をあげた途端に彼は一気に表情が変わって、この笑顔をずっと守りてぇな、なんて純粋な想いでそばに居るようになった。
「あのとき蒼空が少し震えてたの俺知ってるよ」
「え?」
「人間全て信じられないくらい辛かったはずなのに、必死で俺のこと守ってくれて。俺も蒼空のこと守りたいって思えるようになった」
あのときのおれはまだ、竜胆の花言葉なんて知らなかった。紫耀は、知っていたんだろうか。今、知っているんだろうか。
彼はおれの頭に手を置くと、優しく微笑んだ。
「そのときから……蒼空のことが好きだったんだと思う」
そんな前から……? というか、出会ったときから?
……なんだか少し申し訳ねぇな。そんな前から好きでいてくれたのに、ずっと拒んで。ちゃんと、向き合わなくちゃいけねぇのかもしれない。
「俺、ずっと前から蒼空に振り向いてもらえるように必死なんだよ。……蒼空しか見えてない」
顔を赤く染めた彼は、おれの手の甲にキスをした。
「ちょ、お前……」
「絶対諦めないから」
そのとき紫耀の瞳が、銀色に光ったことをおれは知らない。
次の日。待ちに待った文化祭がやってきてしまった。
内心最悪だ。毎年休んでたのに。しかも昨日の夜は、夢の中で紫耀に振り回されて全然寝た気がしねぇ。
それから、メイド喫茶でメイド役に変装するとか、地獄に行けと言われてるのと同じだ。
めんどくさい……いや、人生が終わった。紫耀に見つかったら厄介なことになりそうだな。
生徒会役員は、クラスの仕事がないときに、校内を見回りしないといけねぇし。
紫耀のやつ、涼しい顔しやがって。多分全校の女子生徒を惚れさせたであろう、彼の笑顔は……なぜか、おれが見てもドキドキする。
昨日からおれの様子がおかしい。紫耀を見ると、喉の奥がギュッとする。これって、どいうことなんだろ……。
更衣室の鏡でメイドの格好をしたおれを見つめる。
おれがこんなことして誰が喜ぶんだよ。一生の恥じゃねぇか。
「蒼空〜準備できた? 入るよ〜!」
「ちょっ……ま……」
莉音の大きな声がして、慌ててドアを閉めようとするけど、結局開けられて、おれの変な格好を見られてしまった。
目を大きく見開いて固まっている莉音。莉音も着替えたらしく、やっぱり似合っている。こういうやつがやった方がぜってぇいいのに。
「……蒼空」
「えっと……やっぱり、変、だよな」
苦笑いするのも虚しくなる。
失望したのか……? ずっと固まっていて、声が聞こえていねぇみたいだ。
やっぱり、似合ってねぇよな。
「……すっっごくかわいい!!」
「は?」
いきなり大声を出して飛びついてくる。目を輝かせながらおれを見る莉音は、ボソボソと意味のわからないことを呟いては頷いたり、おれをチラチラと見ている。
「桜河たちー準備できた?」
女子たちが沈黙を破るようにドアを叩いた。
……莉音がなんかオタクみたいになってて怖かったな。
「り、莉音行こう」
足と手が震えていて、扉を開こうとするのを躊躇う。
大丈夫、だよな……? 莉音も、似合ってるって言ってくれたし。
「もう、早く行こ?」
「あ……!」
強引に開けられて、クラス全員に晒されることになる。
……やっべぇ。みんな見てる……。やっぱり似合ってねぇよな。
莉音はみんなからキャーキャー言われてるけど。
「おー! 桜河もいいじゃん!!」
「え……?」
「ほら、時間もないし手伝って!」
「あ、ちょ……」
このまま!? 手を引かれ、強引に連れていかれる。
この格好、動きづら。てか、これ紫耀に見られたらやばいことになりそう……。
店には来ないでくれ!!
文化祭がいよいよ始まって働いていると、中学のころの同級生も来て、まじで恥晒しだった。
……早く終わってくれないかよ。ちなみに、仕事が終わったらすぐ見回りに行かねぇとなので、すぐに着替えねぇと紫耀に見られてしまう。
「い、いらっしゃいませ……」
「お帰りなさいませ! ご主人様」
ぎこちない挨拶とは裏腹に、莉音は男でも魅了するような笑顔を見せる。語尾には、ハートがつきそうなくらい。すげぇよな。本当。……まぁ全部偽りだけど。
「ねぇ、生徒会長ってうちの店来んの?」
莉音が品物を受け取るカウンターで、いやそうな顔をしながら言った。
ちなみに昨日、紫耀にも莉音の事情は話して、あまり近づけねぇようにするつもりだ。……おれがいる限り、完全には無理だろうけど。
「わかんねぇ……」
別に約束してないし。まぁ、一緒に回る約束はしてるけど。生徒会長だし、そんなに暇じゃねぇよな。
「……来たら、ぶちのめす」
「え? なんて?」
莉音の口から暴言が聞こえたような。
「そこのふたり〜これ二番テーブルね」
「あ、はーい!」
女子のほうがメイドをやっているの少ないとかどういうことだよ、まじで。今さら思ってもしょうがねぇか。
やれやれと肩を降ろしながら皿を持った。
「君も可愛いね。藤くんとは違ってツンツン系で」
「え……?」
大学生くらいの男たちのテーブルに、頼まれたものを置くとニヤニヤとされる。どうやら昔の莉音の先輩みてぇだ。
こういうのが一番めんどい。適当に笑ってりゃ平気か。
「あはは。ありがとう……ございます」
ぎこちなく笑って、ぎこちなく挨拶する。
全然笑ったことなんてなかったから、気持ち悪い笑い方しかできなくて、ぜってぇバレてると思うけど。
「ねぇ、連絡先交換しようよ。オレ金持ちだし、今度どこか連れて行ってあげるよ」
お辞儀をして戻ろうとすると、背後から男の声がした。
「はいぃぃ?」
なんだよそれ。 やりたくねぇに決まってるだろ。
それに、金持ちは普通、人に自分が金持ちだって言わねぇよ。紫耀のとこは金持ちだけど、彼の口からはそんなこと聞かねぇし。
ちっ。くそ……。なんで莉音は女子ばっか相手してんのに、おれは男ばっかなんだよ。あいつだったらそんなことスマートに済ますのに。
「ご、ごめんなさい。そういうのはやってなくて」
嘘つくの本当に下手だなおれ。
もう一度謝って去ろうとする。
「えぇ、良いじゃんか」
「は……?」
男がおれの腕を掴んだ。汗が滲んでて気持ちわりぃ。
どうしよ。振り払ったらこの店の評判悪くなって、女子たちを悲しませるかもしれねぇ。
「あ、あの……」
離そうとするけど、力が強くて。
「ねぇ、教えてよ」
「だ、だから……」
焦って一歩後ずさるけど、誰も気づいてくれなくて。
莉音がこっちを向いて目を見開いてくれた。
よかった。助けて……。
皿を置いて、こっちに走ってくる莉音。それに怯むこともなく、男はこっちを見つめる。
「ほら、お兄さんがちゃんと……」
「うちの大事な生徒に手ぇ出さないでくれますか?」
「は?」
男の腕を振り払って、背後に近づいてきたのは……。
「蒼空……大丈夫だった?」
紫耀だった。彼はおれを見て微笑んだあと、男たちを睨む。
「おいおい。なんだよ。オレが話してたんだぜ? つーかお前誰?」
「ここの生徒会長ですけど?」
「はぁ?」
バチバチと火花を散らしながら怒るふたり。
おどおどしているうちに、騒ぎに気づいた莉音たちがこっちへと手招きしてくれた。
ふたりが喧嘩しているうちに、すぐさま立ち去る。
……助かった……。紫耀がいなかったらおれ、やべぇことに巻き込まれてたかもしれねぇ。一つ貸しができちまったな。
「蒼空、大丈夫!?」
「桜河くん、何かされてない?」
四方八方から、言葉をかけられておろおろしてしまう。
心配……かけちまったな。
「だ、大丈夫だ。ちょっと腕掴まれただけ。でも……」
おれのせいで、店の評判が悪くなっちまったら……。おおごとにしたくなかったのに。おれだけで解決して、迷惑かけたくなかったのに。
「平気。気にしないで! 先生には僕から言っとくから」
「そうそう! あとは会長とあたしたちに任せな!」
こいつら……。
おれの肩を叩いて、紫耀たちの方へ駆けつけた。
……助けられて、ばっかだな。情けねぇやつ。
「はぁあ……」
おれはやっぱり役立たずで、足引っ張って、迷惑かけて。……だからこそ、できることはやらなくちゃ。
「蒼空。大丈夫だった?」
「……紫耀?」
騒ぎがおさまったのか、奥まで入ってきておれの頭を撫でる彼。
……おれが、おれってこと、気づかれてたのか。
「あいつのことはもう気にしないで良いよ。俺がメッタメタにしてあげたから」
「えっ」
メッタメタ? なんか、すごいことしてねぇよな? さっき店の方見たら、怯えながら歩いていく男たちを見たんだけど……。
それにしても、また迷惑かけちまったな。年上相手にも立ち向かうなんて、流石すぎる。
「あ、あの、悪い」
「え? 何が?」
「助けてもらっちゃって……」
シュンと、犬みたいに俯いて言葉を待つ。
「良いよ、そんなの。それより蒼空が無事で本当によかった。……触られたのはまじでムカついたけど」
もう一度「よかった」と肩を降ろしながらおれの頭を撫でる。
やっぱすげぇよ。生徒会長だからなのかもしれねぇけど、自分の格を下げられてまでひとのことを助けるなんて。
紫耀は昔から人一倍責任感が強くて、誰かがやったとしても自分のせいだと責める。世界で一番お人好しバカだとおれは思っている。
「そういえばさ……」
彼は思い出したかのように、顔をみるみるうちに赤くしていった。
あっ、そういえば忘れてることが……。や、やべぇ。
「その……すごく、かわいいね」
「……え」
顔を抑えながら唸り、しゃがみこむ彼。
最後なんて言った……?
「その格好……」
「あ、あぁ、これ?」
顔を赤くして息を整える彼。そんなにおれの格好が気に食わなかったのか?
「……だからだよ」
「何、が」
「だから狙われちゃうんだよ。他の男に惚れられたらどうするの……」
……ん? な、何言ってんだ。 狙われる? 惚れられる? 紫耀のやつ、頭大丈夫か。そんなに、ジロジロ見る必要ねぇだろ。
一瞬だけ首を傾げ、付けていたウィッグを外す。
「無自覚なのもほどほどにして」
「……?」
おれからヘッドドレスを外して、エプロンの紐を解いた。
あれ。心臓の音、やけにうるせぇな。おれのじゃねぇ。……だとしたら……。
肩から、紫耀の耳が真っ赤なのが見えた。つられておれも赤くなってしまう。
「桜河〜! もう上がって良いよ。会長と回っておいで」
沈黙を破るように入ってきた莉音たち。
どうやら先生に伝えられて、騒動は収まったらしい。一件落着ってとこか。
「まじで桜河無事で良かったわ。ね、藤──って」
「……ちっ」
にこにこと笑う女子とは真逆に、莉音が隣にいる紫耀を睨んでいた。
まぁ、そうなるだろうとは予想してたけど。その格好で睨まれても別にうんともすんとも言わねぇだろう。
「み、みみんな、さんきゅーな! き、着替えてくるから紫耀待ってろ」
「うん……」
その場を誤魔化すように、更衣室へと走った。喧嘩になんねぇと良いけど。
こういう空気が一番苦手だ。おれのせいで喧嘩にさせたくなくて、沈黙に耐えきれなくて。笑って流す。それがおれの特技だ。
「紫耀ごめん。待たせて」
「ううん。行こっか」
莉音たちは仕事に戻って行っていた。
ちなみに莉音は、今日一日中シフトが入っているらしい。
まぁ確かに、そこらの女子よりも女子っぽいからな。
ボーッとしていると、紫耀に手を握られた。
「もう気にしなくていいよ。今日はめいいっぱい満喫しよう!」
「え、ちょ、見回りは!?」
楽しそうにおれの腕を引く彼。一応生徒会長だってこと忘れてねぇか?
校内を見回りながら、紫耀と文化祭を満喫していた。屋台で食べたり、劇や演奏を見たり。もう十分に回っていた。
……ちゃんと見回りをするつもりが、ちゃんと楽しんでしまった。
手なんて繋がねぇようにしてたのに、ずっと引っ張ってんじゃねぇか。頭の中で自分にがっかりする。
「あ。ねぇ蒼空! お化け屋敷だって」
「えっ……」
「面白そうだし、入ってみようよ」
お化け屋敷……。正直言って、あんまり得意じゃねぇ。べ、別に怖いとかそういうわけじゃなくて!!
服の裾を握って固まる。彼はウキウキしながらおれの腕を引っ張った。
「まさか怖いの?」
まるでわかってますと言わんばかりに紫耀はニヤニヤしながら手招きする。
うぜぇ……。面白がってやがる。
「こ、怖くなんてねぇし! そんなの一瞬で終わらせてやる!」
少し震えながら紫耀の腕を引いて中に入る。
こ、怖くなんてねぇから。全部作り物、作り物。
「ふふっ。蒼空震えてるよ。俺の腕掴む?」
「……震えてねぇし、掴まねぇでいい」
角から黒い影が見えてこっちに……。
「うわ!!」
「あれただの俺たちの影だよ?」
「し、知ってるし」
間違えて紫耀の服を掴んでしまって、慌てて離れる。
こんなの平気だし。そう自分に言い聞かせながら歩く。
「へぇ、結構凝ってるね。一年の教室の割には」
「ぐわぁぁぁ」
「ぎゃぁああ」
「……ふっ」
あ、今笑ったな絶対!! 横から変なバケモンが脅かすから、驚いて紫耀に抱きつく。そのとき彼の目は大きく開いて、顔を赤くした。
こ、怖いとかじゃねぇけど、何か掴んでねぇと落ち着かねぇだけで。本当は抱きつきたくなんてねぇし。
「良いよ掴んでて。あとちょっとだから頑張ろ!」
誤魔化すように、彼は掴んでいた腕をもっと引き寄せて、おれが抱きつくような体制になってしまった。
かわいい、とでも言いたそうな顔をしながらおれを頭を撫でる。
……おれは子供じゃねぇ。
「かわいい」
思っていたことと同じことを言われたのに、胸がトクトクと脈を打ってうるせぇ。なぜかは知らねぇが、衝動的に目を逸らす。
紫耀を意識してしまって、お化け屋敷だということを忘れていると、出口に来てしまった。
「……ふぅ」
「やっぱり怖かったの?」
「ち、ちげーし」
爽やかな笑みを浮かべた彼は、また手を引っ張って歩き出す。おれたちはまるで、ドラマで見た青春をしている学生のようだ。
「さてと、見回り再開だよ〜」
……全然青春じゃなかった。
文化祭を満喫しすぎていて、一気に現実に戻された感覚。紫耀と回るのが楽しくて、肩を落とす。
「もしかして、俺と回るの楽しかった?」
「い、いやそういうわけじゃ……」
図星をつかれてしまった。……いやいや図星じゃねぇし! 紫耀といるのは、確かに楽しくねぇわけじゃなかったけど、今そんなことを言ったらめんどくさくなりそうだから言わねぇでおく。
ん? ……あれ、楽しくねぇわけじゃねぇんだ。
「蒼空? なんか顔赤いけど大丈夫?」
「……へ?」
目を大きく開きながらおれの顔を覗き込む。
……近っ。
「本当に大丈夫? 熱でもあるんじゃ……」
「あ、あるわけねぇし。ほら、見回り行くぞ」
誤魔化すように目を逸らして、歩き出した。
さっきからおれはおかしい。紫耀に顔を覗き込まれただけで、心配されただけで、不整脈になる。……もしかして。
いやいや、ぜってぇに違う! もしかしたら紫耀以外でもなるかもしれねぇし。
だったらこの不整脈の正体はなんだ?
「あれ、加賀美くん? と桜河くん?」
「え」
心を落ち着かせながら紫耀と見回りをしていると、綺麗な女性に話しかけられた。
なんかどっかで見たことあるような。
「久しぶりだね! 元気にしてた?」
あ。思い出した。
中学のとき、学年一モテていたやつだ。確か、紫耀のことが好きだったとか、告白して振られたとか噂されてたな。
「ひ、久しぶり。長峰さん」
……紫耀、動揺してる? もしかして、告白したっていうのは本当だったのか。
でも、なんか紫耀の顔赤いような?
「相変わらずふたりとも仲が良いんだね」
「ま、まぁ……」
長峰が近づいて、紫耀の肩に触れた。ふたりの距離が少し近い。
まだ紫耀のことが好きなんだろうか。なんか、モヤッとするな。……ん? え?
「あ、ごめんね。邪魔しちゃったよね」
「いや……」
「会えてよかった。またねっ」
嬉しそうに去っていく長峰というやつ。
なんだったんだ……。
「はぁ……」
「紫耀?」
長峰が去っていったほうを見る彼。
あ、あれ。おかしいな。胸がズキズキする。もしかして、嫉妬……? な、なんで。
頭の中に、"恋"という文字だけが彷徨う。
「ううん。なんでもない。行こう」
「……おう」
この不整脈の正体も気持ちの整理もつかねぇまま、時間だけが過ぎていった。
