夜の寮は、昼間と違って静かだ。
廊下に響く足音、シャワーの音、誰かの笑い声───
その中に、いつもより強く聞こえる自分の心音。おれはベッドの上で丸くなって、天井を見つめていた。
……告白されて、何日たった……?
紫耀はあれから、前の紫耀がわからなくなるくらい変わった。あからさまに優しくなって、甘くなった。怖いくらいに。
文化祭の後夜祭の件はなんとかなって、あとは当日だけだけど……。おれの心はなんとかなってない! 紫耀が毎朝迎えに来てくれて、寝癖をなおしてくれたり、勉強を教えてくれたり、生徒会室では肩がぶつかるほど近くにいたり。その度に、心がざわつく。
「おれ……どうしたいんだろ」
莉音に相談しようとしても、紫耀のことを口にすると流されてしまう。なんでかは、全くわからねぇんだけど。それに、莉音はなぜか最近焦っているような顔をする。
……はぁ。
紫耀に告白されてから、おれは考え事ばかりだ。
……今思えば、もしかして紫耀は最初からおれが好きだから生徒会に推薦したのか? いや、紫耀に限ってそんなことはねぇよな? 本当に困ってたからで……。思考がぐるぐるしながら眠りについた。
「ねぇ蒼空大丈夫?」
「莉音……助けてくれ」
教室の机で頭を抱えていたら、心配した莉音が話しかけてくれて、莉音に抱きつく。
莉音はかわいい顔して小さいくせに、体はガッチリしている。いきなり飛びついたら倒れる心配もあったけど、ビクともしねぇ。
すると莉音は顔を耳まで真っ赤に染めた。
え……?それはもう、莉音とは思えないほどに困惑している。
「そ、蒼空……ち、近い……」
「……あぁ、わりぃ」
慌てておれから離れる。気まづそうに視線をあちらこちらに動かしている莉音。
……おれなんかやったのか?
首を傾げて、莉音を見つめる。頬はまだ赤く染まったままだ。
「あ、えっと、そのどうしたの……?」
誤魔化すように問いかけられる。
……莉音もなんか隠してんのか?
いつも相談に乗ってもらってるし、たまにはおれが……いや、おれが踏み込んで良い話じゃないかもしれねぇ。
まるで、子どもと間違えられるような大きい目で返事を待つ莉音。
しょうがねぇ。今は莉音しか頼る相手がいない。
「実は……こないだ紫耀に告白されて。それから──」
「……え!? 告白!?」
「……は」
おれの言ったことに大袈裟すぎるくらい驚く莉音に、クラスのやつらは驚いている。
……そんなに驚くこと……? まさか、莉音も紫耀のこと好きとか?
莉音は、はっと我に返って、顔を真っ青にした。よく表情を変えるヤツ。
「い、いやごめん……つ、続けて……」
あからさまに焦っていて、動揺を隠せていねぇ。バレバレだっつの。
話を進めようとするも、莉音の顔は青いままで、本気で心配になってきた。視線も合わせてくれないし、何よりずっと同じところをうろうろ動いている。
「そ、それで、おれが堕ちるまで紫耀はアタックしまくってて……まじで困ってる。おれ、どうしたらいいんだか……」
こんなこと言っても困らせるだけなのに。本音がぽつりぽつりと出てくる。紫耀だってそうだ。心の中で思っていることを、全部話してくる。それでおれを堕とそうとしているのか、なんとか……。
本当にあからさまにアピールしすぎて、生徒会の人たちは半分諦めている。おれもなんだけど……。でも困ってるもんは困ってる!! ……いやではないのは、謎なのだけれど。
「……ちっ……生徒会長が幼なじみ溺愛とか反吐が出るんだけど」
「え……?」
「う、ううん……それよりさ……本当にそんな生徒会長で大丈夫なの?」
さっき、莉音の口から舌打ちが聞こえたような……。気のせい、だよな。
優しく微笑んで首を傾げる。その仕草さえかわいく見せようとしていて、何がしたいんだか。女子だったらいいけど、おれにまでする必要ねぇだろ。裏表激しいみたいだし。
「わかんねぇ。ほかのやつらは紫耀を敬っているみたいだし……いやでも紫耀が変わりすぎて怖いというか……」
真剣におれの話を聞いてくれる莉音は、本当に優しい目をしていて、おれはこんな良い友達をもって、恵まれてんだなぁと思う。
言葉を待っていると、急に難しそうな顔をして、へらりと笑った。
「大変だね……僕だったら、蒼空を困らせないでかわいがってあげられるのに」
「は? それってどういう……」
「おーい! そこのふたり〜サボってないで衣装手伝って〜」
「あ、はーい! 蒼空行くよ〜」
……はぁ? 文化祭の準備に呼ばれて、莉音に腕を捕まれ、走る。……肝心なとこが聞けなかった。なんだよ〝僕だったら〟って。紫耀に対抗してるみてぇじゃん。
はぁ、もうわけわかんねぇ。 おれの周りのやつはなんでみんなこうなんだよ!!
翌朝の生徒会、おれが黙々と仕事を進めている中で生徒会長なのになんも仕事をしていない紫耀がおれにべったりくっついている。
……毎日毎日、飽きねぇよなぁ。仕事終わったのかよ。おれ全然終わってねぇんだけど。生徒会長と一緒にするなよな。仕事量は紫耀のほうが多いけど、スピードがハンパねぇ。
「なぁ……紫耀、仕事は?」
「大丈夫、全部みどりんに任せてる」
「お前、一応会長だろ。人に任せんなよ!」
しかも、先輩に対してあだ名つけんの紫耀くらいだぞ。
紫耀は朝だけキャラがおかしくて、おれの腕を掴んで肩に顎をのせている。
これを毎朝耐えているおれの身にもなってくれ……。
これはもう甘えなんじゃねぇの? と思いつつも、そんなこと言ったらもっと紫耀がおかしくなりそう。
「いや大丈夫だよ。あぁいうのはみどりんに任せた方がはやいから。だってみどりんだって尊い───」
「うわぁぁぁ!! 会長、ダメですそこまで言ったら。桜河くんはまだ純粋なんですから!」
まじで騒がしいな、ここ。 なんで先輩が後輩に敬語使ってんのか意味不明だろ。意外と七瀬先輩も、素は騒がしいタイプだったりして。
七瀬先輩は、慌てて紫耀の言葉を否定しようとしている。……なんて言おうとしたのかすげぇ気になんだけど。
他の役員さんたちが、それを気にせず真剣に資料と向き合っているのが不思議でしょうがない。
あははと苦笑いする。
「蒼空、仕事ばっかじゃなくて俺もみて」
「生徒会は仕事をするところだろ。……いい加減離れろって!」
「やだ!!」
「お前な……」
……子どもかよ。あぁ、忘れてた。紫耀は今も昔も子供なんだった。
「ほら会長。桜河くんとイチャイチャするのはいいことですが、仕事してください。文化祭まで時間はないですよ」
「えぇ……無理だね! 任せる!」
「……はぁ……」
今の状況は紫耀がおれに抱きついていて、それをプリントを持った七瀬先輩が、嬉しそうにしながらも叱っている。
……親子か。どっちが生徒会長が全然わかんねぇよ。いいや、七瀬先輩も最近怖いくらいおかしい。
「蒼空〜」
本当に朝弱いのはちっさい頃から変わんねぇな。いやこれは……朝弱いとか関係ねぇのか。
「七瀬先輩、助けてください……」
「ふふっ……ごめんね」
にこっと微笑んだ七瀬先輩は、もう紫耀に仕事をさせるのを諦めたのか、自分の席に戻って、おれたちをチラチラと見る。
「先輩……あぁくそ!!」
「蒼空、だめだよ!! 他のところ行ったら。おれだけ見ててよ」
立ちたいけど、抱きつかれてて、離れられねぇ。
紫耀、ガチで真面目キャラどうした? 全校生徒に見せてやりてぇわ……。
「もう授業始まるから教室行くぞ。お疲れ様でした」
「ちっ……わかったよ……」
正気に戻ったのか、がっかりしながらおれから腕を離してくれた。
……やっと解放された……。って、先輩たちに挨拶くらいしろよ。幼稚園児からやり直すかまじで。
目を擦って大きな欠伸をした彼。おれ、子供育てた覚え全くねぇんだけど。
「ほら、教室行くぞ」
毎日恒例の手を繋いで一緒に教室に行く。教室では会えねぇから寂しいんだとよ。
生徒会が終わったあとは、生徒会長モードの紫耀。さっきとはおかしいくらい雰囲気が違う。それに、なぜかギャップがかわいいと思ってしまう自分がいて気持ちわりぃ。確かに小さい頃はかっこよくて尊敬してた……。悔しいけど今も。
授業中も、やっぱり紫耀のことを考えていると集中できねぇ。
はやく、告白の返事しねぇと……。でも、未だに恋愛がわからねぇ。
おれは昔から誰に対しても断れない性格で、なんにしても引き受けてきた。だけど、今回は別だ。好きでもないのに付き合うって……失礼だ。恋愛には興味ねぇし、今まで恋人がいたことなんてねぇし……裏切られて終わりだ。でももし振ってしまって、もう元の関係に戻れなくなってしまったら……? 友達にも戻れなくなって、ずっと気まづくなってしまったら。
……はぁぁぁわっかんねぇ。 あいつのこと考えると頭がグルグルする。いつの間にこんな紫耀のことで頭がいっぱいになったんだっけ。あたかも紫耀のことが好きみてぇじゃん。
ちげぇよ、おれは恋なんてしない!! 絶対にちげぇ。
「──ら、そら、蒼空!!」
「うわっ!」
慌ててうつ伏せになっていた顔を上げる。
……なんだ莉音か。頭がいっぱいいっぱいで、机で窓の外を眺め、そのまま眠ったんだっけ。記憶がねぇ。あ、もう昼じゃねぇか。
「お昼食べよ〜!」
「おう!」
ふたりでお弁当を持って中庭にいく。
中庭にある花が大好きで、しょっちゅう水をあげているんだ。
廊下をふたりで歩く。やけに騒がしいなと思ったら、すぐ傍に人だかりができているのが見えた。それを無視して歩く。
「あれ? やっぱり蒼空だ」
「ん?」
聞き慣れた声がして振り向くと、そこには紫耀がいた。彼はニコニコと笑って、こっちに歩み寄ってくる。周りにいる女子たちを無視して。
……あれは流石に可哀想だろ。いつもなら愛想振りまいて、騒がれてたのに。
「げっ、生徒会長じゃん。ここで会うとか最悪」
莉音は紫耀のことが嫌いなのか、ゴミを見るような眼差しを向けている。
げってなんだよげって。まじでいやそうな顔してんなこいつ。おれが紫耀のことを口にしたら、すぐ顔が豹変する莉音は別人で、こいつの口からは悪口しか聞いたことねぇ。
……で、今この場にはその莉音が大嫌いな紫耀がいると。過去一やべぇかもしれない。今だってふたりは睨み合っている。
……気まづすぎる。おれが何か会話をしなければ。
「紫耀? 女に囲まれてんじゃん。相手しなくていいの?」
昼休みは紫耀のファンからしたら、一日の中で唯一会える時間。だからいつも、紫耀の教室は女子で群がっているのに。まぁそんなことは本当にどうでも良くて。莉音と紫耀が揉めなきゃいいんだけど……。どちらとも機嫌が悪そうで、莉音なんて自分のキャラを忘れかけている。
「いやぁ……今日はちょうど、生徒会役員は生徒会室で食べるっていうことになってるんだよね」
「は?」
「ちっ……」
朝そんなこと言ってなかったのに。
ちらりと莉音のほうを見ると、本当に紫耀をゴミとしか思ってねぇみたいだ。
莉音さっき舌打ちしたよな……? 気のせいではなく、今回はハッキリと聞こえた。本気で怒らせたらまずいかもしれねぇ。
「ってことで、蒼空もらってくね?」
……もらってく?
おれの腕を引っ張って、勝ち誇ったかのように口角を上げている紫耀と、なぜか悔しそうな顔をしている莉音。こいつら仲悪すぎだろ。ふたりの仲に何があったってんだ。……その前に紫耀、なんでそんなニヤついてんだ? 首を傾げようとしたとき、腕を引っ張られ、連れていかれた。
「……あ、ちょっと! ……莉音悪い」
「う、うん……」
寂しそうな顔をしながら、莉音は手を振ってくれた。歯を食いしばりながら。
……なんで莉音はあんな顔をしてたんだろ……。つーか、おれ紫耀に引っ張られてばっかだな。
「ねぇ、さっきのやつと仲良いの?」
さっきのやつ……? 莉音のことか?
なぜか莉音と同じく難しそうな、複雑そうな顔をして、ため息をつく彼。まさか紫耀まで莉音が嫌いなのか?
「あぁ、まぁ……結構」
「ふぅん……」
生徒会室のドアを乱暴に開けながら、呆れ半分で席につく。
……あれ? 生徒会室誰もいねぇじゃん。
「おれたち一番のり?」
「……ごめん。あれ嘘」
……嘘?
いつもの長テーブルの上に弁当を置いて、謝ってくれるけど、やっぱり申し訳ないと言う気持ちが何も感じてこねぇ。紫耀のごめんはそうだな……挨拶みてぇでめっちゃ軽い。
「生徒会室で食べるっていうのは、本当だったけど、蒼空とふたりきりになりたかったからなしにした」
「……? なんだよそれ。先輩たちに失礼じゃねぇか」
自分勝手すぎる。自分勝手なのに、ここまでずっと一緒に居てきたおれのことを褒めてほしい。
そう思いながら、卵焼きをパクリと食べる。
向かい側に座っている彼は、一瞬怒ったような顔をしたあと、いつもの優しい笑顔で問いかけた。
「ねぇ、さっきのあいつ、やたら蒼空に近くなかった?」
いや、人の話聞けよ。自由人すぎるのも程々にしてくれ。おれのメンタル壊れるから。都合の悪いときだけ話をさらっと流す。それも特技なのかなんなのか。
あいつって……莉音のことか。さっきからずっと話してんな。
「蒼空、聞いてる?」
「え? あ、悪い……」
そう言われても……莉音と距離が近いことになにが悪いんだろ。あいつは別におれだけに近いってわけでもねぇし。
あぁ、まさかこいつ、おれが莉音に取られるとでも思ってんのか? バカに等しいわ。
「そんなことねぇよ。あいつ、距離感ひとよりおかしいんだよ。スキンシップもよくするし」
「……それ、答えになってない気がするんだけど」
難しそうな顔をする彼に苦笑いする。
「……恋敵……か」
天井を見つめてさらりと言った。横顔……綺麗だな。ライバル……? 莉音が?
莉音は確かに近いけど、友達として、おれのことすげぇ信頼してくれて、頼ってくれてる。頼れる。だから、許せるのかもしれねぇな。
莉音は善意で一緒に居てくれてるだけで、別に紫耀がおれに持つ好意と同じではねぇと思う。いやねぇ。絶対に。なんで言い切れるかって? おれは恋愛相談されるばっかりで、ひとに好きになってもらったことなんて、なかったからだ。……紫耀以外には。
……静かな生徒会室なのに、より静かになった。
この沈黙の時間も居心地がいいと思うのは、やはり幼なじみだからなのか。
生徒会室の窓から、おれの一番好きな花──いや、母さんが好きだった花──ホトトギスが揺れていた。花言葉は確か……秘めた恋心。
胸がなぜか反応して、高鳴る。ん?
あ、隣には……竜胆も咲いてる……! 時期的にそうだもんな。弁当を食べる手が止まり、口元が緩む。
「蒼空、かわいい」
「え……!? か……!?」
さらっと恥ずいことを言った彼は、涼しい顔して微笑んでおれに手を伸ばしてきた。
か、かかかわいいって……ば、バカじゃねぇの。
熱ある……のか? い、いや落ち着けおれ。紫耀に至ってはいつものことじゃねぇか。なんでこんなにドキドキしてんだよ。
熱があるのか確かめたくて、顔に手を伸ばそうとする。
「蒼空は無自覚すぎるよ」
紫耀が逆におれの顔に手を伸ばしてきて、頬を触られる。近すぎて、頬を抑えられて、視線を動かせねぇ。
「何言って……」
紫耀がおれを見る目は、優しくて、甘くて、吸い込まれそうになる。
窓から西日が差して、紫耀の顔を照らす。
無自覚? さっきから何を言ってるんだ……。からかうのもいい加減にし……。
「かわいいって言ってんの」
──ちゅっ。
「……は、は、はぁぁぁ!?」
「声でか」
「い……いやだって……」
絶対おれの顔は今、りんごみたいに真っ赤だろう。
……だって、紫耀がいきなり顔を近づけてきて、お、おれの頬にき、き、キスなんてするから……。ぜ、全然気づかなかった。一瞬すぎて。
「ば、バカじゃねぇの……」
「ふはっ……やば、かわよ」
こいつ……。
おれの顔を見て、頬をほんのり赤くしながら笑っている。だけど、その笑いの中にはからかっているようにも、お世辞を言っているようにも見えなかった。むしろ、本音を言っているように見える。
「蒼空大好きだよ」
「……っ!?」
満面の笑みを浮かべて、おれの頭が撫でられる。声にもならねぇくらい驚いて、椅子がひっくり返る。
……やべぇ、頭から落ちる!!
怪我することを覚悟して目を瞑っていると、
「大丈夫!?」
「へ……」
紫耀がおれの頭を支えて、押し倒されているかのような体制に……。心配そうな目を向ける紫耀は、何も動かない。もう顔が触れるくらいの距離なのに、慌てないはずがねぇ。
「ごめんね」
「お、おう……」
申し訳なさが感じない、いつもの謝り方。絶対嬉しそうな顔してんだよな。
おれを起き上がらせてくれて、離れた紫耀の顔が真っ赤に染まっていたのは、なんかおもしれぇから口に出さないでおいた。
「慌ててる蒼空も、かわいかったな」
生徒会室をうろうろしながら、首元を抑えて微笑んでいる彼は本当にこの学校の生徒会長なのか、と思った。
……紫耀のやつ、おれが素直じゃねぇことわかってて言ってんな。
まじでずりぃ。でも、なんでおれの顔が熱いんだろう。なんで、恥ずいと思ったはずなのに、いやだとは思わなかったんだろう。 おれも、おかしくなったのか……?
文化祭準備中、莉音の機嫌がいつも以上に悪かった。
なんか怒ってるみたいで、ちょっと怖い。おれが何かしてしまったのかと思い、話しかけるのを躊躇う。
……やっぱり紫耀が絡んでんのか。おれが紫耀に連れ去られたとき、莉音は複雑そうな悔しそうな顔をしていたのをおれは知っている。
倉庫でぐるぐると頭を巡らせる。だけどなんにもわかんねぇ!
「これこっちに運んどいてくれる?」
「はひっ……」
「蒼空?」
やっべぇ……。びっくりしすぎて、きもい声出た。
隣に視線を動かすと、やっぱり莉音は怒っているようで、動きに怒りが出てしまっている。
苦笑いして、「悪い」と言ったものの、まだ機嫌が直っていないのか、箱を乱暴に開けた。
莉音はわかりやすいんだよな。顔に怒ってますって書いてあるし。まぁ、おれもらしいんだけど。
「なぁ莉音、怒ってる?」
「へ……?」
恐る恐る、莉音に視線を向ける。当の本人はなんのこと? というようにとぼけた顔で首を傾げる。
まさか、こいつ自覚なかったとか……。
「さっきから機嫌悪いけど……おれ、なんかした?」
荷物を整理する手を止めて、おれの言葉に反応した莉音。まるで焦っているかのように、視線をあちらこちらに動かして、やっとおれを見つめた。
まぁ倉庫は暗いのであまり表情は見えないのだけれど。
「……そ、れは」
今日は一弾と莉音の目が大きく見えた。
……いやこいつまじで意味わかんねぇな。という言葉は呑み込む。
「違う……蒼空がなんかしたわけじゃない」
「じゃぁ、なんで?」
痛そうなくらい下唇を噛み締め、拳を握っている莉音。 何かを堪えているように、瞳が苦しそうに揺れている。
何をそんなに苦しんでいるんだろう。何をそんなに堪えているんだろう。やっぱり何かを隠しているんだろうか。
決意したかのように、息を吸って口を開いた。
「…………あのね僕、蒼空のことが──」
「蒼空!!」
え……?
莉音の言葉を遮るように、聞こえてきた元気な聞き慣れた声。驚いて倉庫から出ると、紫耀が引っ付いて来た。
「蒼空、今日生徒会ないし帰ろう?」
「え? ……でも、今莉音と文化祭の準備してて……」
「いいよ、そんなの。大体六限目もう終わってるから」
腕を掴まれながら時計を見る。確かにもう六限目は終わっていたので、文化祭の準備も終わりだ。でも、今莉音が何を言おうとしていたことのほうが気になるし、話もちゃんと聞いて、悩みを解決してあげたい。
「ちょっと、今蒼空は僕と話してたんだよ?」
ずっと黙って歯を食いしばっていた莉音がおれを奪うように、肩を引っ張った。 莉音の目は、いつものかわいい眼差しではなくて、対抗心に燃えている。
「は? こっちは忙しいんだよ。蒼空はお前にかまってる暇はない」
「はぁ? こっちのセリフなんですけど。真面目な生徒会長なのにそんなことしちゃって大丈夫なの?」
「んだと!?」
「ちょ、ちょっと……」
ふたりは睨み合って、つべこべ言っている。
最悪。めっちゃ喧嘩してるし……。何をそんなに争ってるんだ。
「ちっ……もう蒼空行こう」
「えっ……でも」
「ダメ! お前なんかに蒼空は渡さないから」
「しつけぇな」
ん……? 〝渡さない〟ってなんだ?
グイッとおれの腕を引っ張ってくる莉音。……おれを巻き込まねぇでくれ。
「はぁ……蒼空行こう」
莉音の手を振り払って手を握ってくる紫耀は、鬱陶しそうに莉音を睨んでいる。
あっ……さっき、莉音は何を言おうとしてたんだろ。まだそれを聞いてねぇ。
「待って……! 莉音、さっきなんか言いかけてただろ」
「え……?」
掴まれていた腕を振り払って立ち止まる。悔しそうな顔をしていた莉音は、おれを見るなり大きな目をさらに大きく開いている。紫耀は歯を食いしばったり、拳を握ったり……あきらかに悔しそうな顔をしていて、なぜか、莉音は目を泳がせて焦っている。
まずいと思って、慌てて否定しようと口を開こうとする。
「あ、あはは……大したことじゃないよ、なんでもない。……ほら生徒会長のところにでも行ってきな。じゃぁまた明日ね。僕は教室で一日中会えるからねぇ」
「え? あ……」
「行こ……」
辛そうな顔をしながら微笑む莉音は、どこか悔しそうな顔もしながら去っていった。
紫耀に手を引かれ、渋々ついて行く。
莉音は……何を言おうとしてたんだろう。なんでそんなに苦しそうな顔をするんだろう。なんで紫耀は口角をあげているんだろう。
おれだけが知らねぇなんて、そんなのやだ……。いつも、いつも、なんでおれだけなんだ。
「ねぇ」
寮につくと、紫耀がおれの部屋に入ってきて、壁に手をついた。もちろんおれも壁にもたれかかっている。
紫耀の目はなぜか少し怒っているようだった。なぜかは知らねぇけど。
「あいつと……ただの友達だけの関係じゃないでしょ?」
目尻を上げて、怒っている様子でおれを見つめてくる。
ただの友達だけの関係……。少なくともおれはそう思っているけど、だけじゃないって、どういうことだ? 友達以上? それとも友達以下……? い、いや、どっちにしろ莉音に失礼だ。
「い、いやただの友達だけど?」
嘘偽りのない事実を口にしただけなのに、彼の眉間にはしわが寄ったまま。
顔が近すぎて、紫耀の息が吹きかかりくすぐったい。
呆れたようにため息をついて、壁から手を下ろし「あのさぁ」とおれに近づく。
「……ちょっと鈍感すぎない?」
「え……?」
いきなり腕を引っ張られ、ベッドに連れていかれる。
待て待て待て……。おれ変なこと言ったっけ!?
「ねぇ、あいつと距離近いのなんで?」
……え?
押し倒された。頭をぶつけると一瞬思ったけど、紫耀に支えられて、ゆっくりベッドに倒される。
こいつ、自由人すぎるだろ……。そんなことを考えている暇もなく、顔を近づけられる。何考えてんだかおれにはさっぱりわからねぇ。でも、紫耀の耳が赤く染まっていることだけはわかった。
目を合わせたくなくて、顔を逸らし口を開いた。
「だ、だから気のせいだって……」
なんでこんなにドキドキしてんだろ……バカじゃねぇの。
押し倒されてるから……? 紫耀と距離が近いから? どっちにしろ、わけわかんねぇだろ。
「そんなことない。蒼空にだけ異様にくっついてたけど?」
「はぁ……?」
「……なんでそんなに無自覚なの……」
「え、?」
紫耀の瞳は怒っているようだけど、なぜか甘く見ているようにも見えて、吸い込まれそうになる。
……ちょっとだけドキッと、胸が高鳴ったのを許してほしい。び、びっくりしただけだから! でもまぁ……こいつに見つめられてドキドキしないやつはいねぇ。急に開き直るなとは言わないでくれ。
「もっと危機感持てよ」
「……へぁ……?」
耳元で囁かれ、顔がぶわっと熱くなる。
は、なんで。いやいやいや、こいつの甘々ボイスが耳元で聞こえたら誰だって驚くだろ。
「……かわいい」
ボソッと呟いた彼の目は、猫の前でデレているときと同じだった。
「早く蒼空も、俺のこと好きになればいいのにな」
頬に手を添えられ、焦る。甘いその瞳がおれを狂わす。
「……す、好きにならねぇから」
俯くおれは、きっと顔が真っ赤だろう。わからねぇけど。けど……。おれの中で紫耀が特別な存在になったのは、きっと間違いじゃねぇ。
「ふふっ。絶対好きにさせるよ」
少し開いた窓から秋の風が吹き込んで、紫耀の髪をなびかせる。
絶対、絶対、こいつのことなんか、好きになるもんか!!
今までのドキドキをなかったことにするかのように、おれは心に宣言した。
文化祭まで残り一週間となり、準備は大詰め。二、三週間くらい前までは運動部は部活優先なので、あまり参加していなかったが、残り数週間で、人手も増えて前より全然楽になった。
だけど、生徒会役員は文化祭後の後夜祭のためにあまりクラスの出し物には参加できず、莉音とはあれから全然話が出来ていねぇ。
文化祭の準備や紫耀と莉音のことで疲労が溜まっていてふぅ……と一息つく。
「そういえば桜河くんのクラスは何やるの?」
体育館の準備中に、七瀬先輩が思いつきで問いかけた。
「えーと、……メイド喫茶……です」
先輩に直接口にするのは流石に恥ずくて小声で言う。
「え? なんて?」
「……メイド喫茶……です」
別にこれは照れているわけではない。照れてねぇから!!
誤魔化すように、客席を並べる。
「へぇ。もしかして桜河くんも……?」
それは流石にド直球すぎませんかね……。一瞬の躊躇いも見せずにそんなことさらっというなんて。たまに、先輩はキャラが崩壊するからな。
まさかそんな質問されるとは思っていなくて、言うのを躊躇する。
言いたくねぇけど……黙ってても絶対あとでまた言われるからな。
「あぁ、はい……実は」
「えぇ! それは絶対会長喜ぶわね」
「え?」
目を輝かせながら、くふふといかにも女の子らしい微笑みを作り席を並べる先輩。おれは首を傾げ、席を整える。
確かに紫耀は喜びそうだけど……見せたくねぇよあいつだけには。
「そこ! ちゃんと仕事する!」
「はぁ……はいはい」
ステージの上で、マイクの確認や段取りを確認する紫耀は上にいるからという特権でおれ等の見張りをしたり、指示を出す。
ちなみに紫耀が今やっている仕事は去年まで先生たちがやっていたらしいのだが、先生たちは先生たちで裏が忙しいということがあり、紫耀に任せているんだと。
「みどりんは蒼空と距離が近い! 話しすぎ! 蒼空はそっちが終わったら俺のとこにくること!」
「はぁ……?」
「ふふっはいはい。気をつけます」
彼はまるで鬼教師の鬼塚先生みたいにマイクを持ちながら一人一人に指示する。紫耀が指示してんのは気に食わねぇが、こういうときにまとめてくれるやつがいんのは助かる。
「会長、お呼び出しですか〜」
客席並べは他の人に任せて、渋々紫耀のもとに行く。
そっちはもうやることないからって呼び出すなよ……。
「会長って呼ぶのやめてくれないかなぁ?」
「だって会長じゃん。おれ以外みんなそう呼んでるし」
「いいや!! それは勝手に呼んでるだけだし。蒼空だけは名前で呼んでよ〜」
「めんどくさ……」
どうやらステージの袖にいるらしく、声のするほうへ足を運ぶと、いつものように引っ付いてきてうざったい。
名前呼びなんてどうだっていいだろ。さっきはちょっとふざけただけだし。
「で? なんの用?」
わざわざこんなことするためだけに呼んだって言うんだったら、こいつのこと殴ってやろうかな。
「あぁそうそう。文化祭の日さ……」
ちょっと照れているのか、顔を逸らしながら口を開いた。
「クラスのとこ終わったら一緒に回らない?」
「……ん?」
「あ、えっとそれだけ……」
自分を落ち着かせるように紫耀は髪をいじる。
それだけって。そんなに照れながら言われると、こっちまで照れちまうだろ。い、いやまぁ照れてねぇけど。わざわざ誘うもんなのか?
「生徒会の仕事もあるし、そんなに回れねぇんじゃないのか?」
文化祭当日は、クラスのことが終わると生徒会役員が校内を見回りしなくちゃならねぇので、そんなに遊んでる暇はねぇ。
「回りながら食べ歩きとかはできるから。それに、見回りって言っても先生の代わりにやるみたいな感じだから大丈夫だよ」
「そ、そう、なのか」
食べ歩きか。まぁ、いっか。せっかく誘ってくれたし。
まるで、子供のおねだりのようにじっとおれの答えを待つ彼。
「ま、まぁ一緒に行ってやってもいいけど?」
「本当!? ありがとう」
そんなたった一言だけで明るい顔をする彼がちょっと羨ましい。
……いやそれだけ? 文化祭を誘うためだけにおれを呼んだのか。まだ他の役員は仕事してるっていうのに。呑気すぎるだろ、という言葉は呑み込んで袖から出ようとする。
「待って。……蒼空のクラスって何やるの? 行きたいんだけど」
下手袖幕の手前で引き止められ、目を輝かせられる。
こいつだけにはぜってぇに言いたくねぇ。でも結局来るからバレるな。来ねぇように阻止しないと。
「言わねぇし、来ねぇでいいから!」
「なんでそんなに照れてるの? もしかして……」
「照れてねぇよ!!」
これはまずい。なんとしてでも阻止しねぇと。来るなっつってもぜってぇに来る気がする!! 紫耀が来るときだけシフトずらせねぇかな。
でも、ちょっとだけ見回りに一緒に誘われたのが嬉しいと思ったのは、気のせいだと信じたい。
廊下に響く足音、シャワーの音、誰かの笑い声───
その中に、いつもより強く聞こえる自分の心音。おれはベッドの上で丸くなって、天井を見つめていた。
……告白されて、何日たった……?
紫耀はあれから、前の紫耀がわからなくなるくらい変わった。あからさまに優しくなって、甘くなった。怖いくらいに。
文化祭の後夜祭の件はなんとかなって、あとは当日だけだけど……。おれの心はなんとかなってない! 紫耀が毎朝迎えに来てくれて、寝癖をなおしてくれたり、勉強を教えてくれたり、生徒会室では肩がぶつかるほど近くにいたり。その度に、心がざわつく。
「おれ……どうしたいんだろ」
莉音に相談しようとしても、紫耀のことを口にすると流されてしまう。なんでかは、全くわからねぇんだけど。それに、莉音はなぜか最近焦っているような顔をする。
……はぁ。
紫耀に告白されてから、おれは考え事ばかりだ。
……今思えば、もしかして紫耀は最初からおれが好きだから生徒会に推薦したのか? いや、紫耀に限ってそんなことはねぇよな? 本当に困ってたからで……。思考がぐるぐるしながら眠りについた。
「ねぇ蒼空大丈夫?」
「莉音……助けてくれ」
教室の机で頭を抱えていたら、心配した莉音が話しかけてくれて、莉音に抱きつく。
莉音はかわいい顔して小さいくせに、体はガッチリしている。いきなり飛びついたら倒れる心配もあったけど、ビクともしねぇ。
すると莉音は顔を耳まで真っ赤に染めた。
え……?それはもう、莉音とは思えないほどに困惑している。
「そ、蒼空……ち、近い……」
「……あぁ、わりぃ」
慌てておれから離れる。気まづそうに視線をあちらこちらに動かしている莉音。
……おれなんかやったのか?
首を傾げて、莉音を見つめる。頬はまだ赤く染まったままだ。
「あ、えっと、そのどうしたの……?」
誤魔化すように問いかけられる。
……莉音もなんか隠してんのか?
いつも相談に乗ってもらってるし、たまにはおれが……いや、おれが踏み込んで良い話じゃないかもしれねぇ。
まるで、子どもと間違えられるような大きい目で返事を待つ莉音。
しょうがねぇ。今は莉音しか頼る相手がいない。
「実は……こないだ紫耀に告白されて。それから──」
「……え!? 告白!?」
「……は」
おれの言ったことに大袈裟すぎるくらい驚く莉音に、クラスのやつらは驚いている。
……そんなに驚くこと……? まさか、莉音も紫耀のこと好きとか?
莉音は、はっと我に返って、顔を真っ青にした。よく表情を変えるヤツ。
「い、いやごめん……つ、続けて……」
あからさまに焦っていて、動揺を隠せていねぇ。バレバレだっつの。
話を進めようとするも、莉音の顔は青いままで、本気で心配になってきた。視線も合わせてくれないし、何よりずっと同じところをうろうろ動いている。
「そ、それで、おれが堕ちるまで紫耀はアタックしまくってて……まじで困ってる。おれ、どうしたらいいんだか……」
こんなこと言っても困らせるだけなのに。本音がぽつりぽつりと出てくる。紫耀だってそうだ。心の中で思っていることを、全部話してくる。それでおれを堕とそうとしているのか、なんとか……。
本当にあからさまにアピールしすぎて、生徒会の人たちは半分諦めている。おれもなんだけど……。でも困ってるもんは困ってる!! ……いやではないのは、謎なのだけれど。
「……ちっ……生徒会長が幼なじみ溺愛とか反吐が出るんだけど」
「え……?」
「う、ううん……それよりさ……本当にそんな生徒会長で大丈夫なの?」
さっき、莉音の口から舌打ちが聞こえたような……。気のせい、だよな。
優しく微笑んで首を傾げる。その仕草さえかわいく見せようとしていて、何がしたいんだか。女子だったらいいけど、おれにまでする必要ねぇだろ。裏表激しいみたいだし。
「わかんねぇ。ほかのやつらは紫耀を敬っているみたいだし……いやでも紫耀が変わりすぎて怖いというか……」
真剣におれの話を聞いてくれる莉音は、本当に優しい目をしていて、おれはこんな良い友達をもって、恵まれてんだなぁと思う。
言葉を待っていると、急に難しそうな顔をして、へらりと笑った。
「大変だね……僕だったら、蒼空を困らせないでかわいがってあげられるのに」
「は? それってどういう……」
「おーい! そこのふたり〜サボってないで衣装手伝って〜」
「あ、はーい! 蒼空行くよ〜」
……はぁ? 文化祭の準備に呼ばれて、莉音に腕を捕まれ、走る。……肝心なとこが聞けなかった。なんだよ〝僕だったら〟って。紫耀に対抗してるみてぇじゃん。
はぁ、もうわけわかんねぇ。 おれの周りのやつはなんでみんなこうなんだよ!!
翌朝の生徒会、おれが黙々と仕事を進めている中で生徒会長なのになんも仕事をしていない紫耀がおれにべったりくっついている。
……毎日毎日、飽きねぇよなぁ。仕事終わったのかよ。おれ全然終わってねぇんだけど。生徒会長と一緒にするなよな。仕事量は紫耀のほうが多いけど、スピードがハンパねぇ。
「なぁ……紫耀、仕事は?」
「大丈夫、全部みどりんに任せてる」
「お前、一応会長だろ。人に任せんなよ!」
しかも、先輩に対してあだ名つけんの紫耀くらいだぞ。
紫耀は朝だけキャラがおかしくて、おれの腕を掴んで肩に顎をのせている。
これを毎朝耐えているおれの身にもなってくれ……。
これはもう甘えなんじゃねぇの? と思いつつも、そんなこと言ったらもっと紫耀がおかしくなりそう。
「いや大丈夫だよ。あぁいうのはみどりんに任せた方がはやいから。だってみどりんだって尊い───」
「うわぁぁぁ!! 会長、ダメですそこまで言ったら。桜河くんはまだ純粋なんですから!」
まじで騒がしいな、ここ。 なんで先輩が後輩に敬語使ってんのか意味不明だろ。意外と七瀬先輩も、素は騒がしいタイプだったりして。
七瀬先輩は、慌てて紫耀の言葉を否定しようとしている。……なんて言おうとしたのかすげぇ気になんだけど。
他の役員さんたちが、それを気にせず真剣に資料と向き合っているのが不思議でしょうがない。
あははと苦笑いする。
「蒼空、仕事ばっかじゃなくて俺もみて」
「生徒会は仕事をするところだろ。……いい加減離れろって!」
「やだ!!」
「お前な……」
……子どもかよ。あぁ、忘れてた。紫耀は今も昔も子供なんだった。
「ほら会長。桜河くんとイチャイチャするのはいいことですが、仕事してください。文化祭まで時間はないですよ」
「えぇ……無理だね! 任せる!」
「……はぁ……」
今の状況は紫耀がおれに抱きついていて、それをプリントを持った七瀬先輩が、嬉しそうにしながらも叱っている。
……親子か。どっちが生徒会長が全然わかんねぇよ。いいや、七瀬先輩も最近怖いくらいおかしい。
「蒼空〜」
本当に朝弱いのはちっさい頃から変わんねぇな。いやこれは……朝弱いとか関係ねぇのか。
「七瀬先輩、助けてください……」
「ふふっ……ごめんね」
にこっと微笑んだ七瀬先輩は、もう紫耀に仕事をさせるのを諦めたのか、自分の席に戻って、おれたちをチラチラと見る。
「先輩……あぁくそ!!」
「蒼空、だめだよ!! 他のところ行ったら。おれだけ見ててよ」
立ちたいけど、抱きつかれてて、離れられねぇ。
紫耀、ガチで真面目キャラどうした? 全校生徒に見せてやりてぇわ……。
「もう授業始まるから教室行くぞ。お疲れ様でした」
「ちっ……わかったよ……」
正気に戻ったのか、がっかりしながらおれから腕を離してくれた。
……やっと解放された……。って、先輩たちに挨拶くらいしろよ。幼稚園児からやり直すかまじで。
目を擦って大きな欠伸をした彼。おれ、子供育てた覚え全くねぇんだけど。
「ほら、教室行くぞ」
毎日恒例の手を繋いで一緒に教室に行く。教室では会えねぇから寂しいんだとよ。
生徒会が終わったあとは、生徒会長モードの紫耀。さっきとはおかしいくらい雰囲気が違う。それに、なぜかギャップがかわいいと思ってしまう自分がいて気持ちわりぃ。確かに小さい頃はかっこよくて尊敬してた……。悔しいけど今も。
授業中も、やっぱり紫耀のことを考えていると集中できねぇ。
はやく、告白の返事しねぇと……。でも、未だに恋愛がわからねぇ。
おれは昔から誰に対しても断れない性格で、なんにしても引き受けてきた。だけど、今回は別だ。好きでもないのに付き合うって……失礼だ。恋愛には興味ねぇし、今まで恋人がいたことなんてねぇし……裏切られて終わりだ。でももし振ってしまって、もう元の関係に戻れなくなってしまったら……? 友達にも戻れなくなって、ずっと気まづくなってしまったら。
……はぁぁぁわっかんねぇ。 あいつのこと考えると頭がグルグルする。いつの間にこんな紫耀のことで頭がいっぱいになったんだっけ。あたかも紫耀のことが好きみてぇじゃん。
ちげぇよ、おれは恋なんてしない!! 絶対にちげぇ。
「──ら、そら、蒼空!!」
「うわっ!」
慌ててうつ伏せになっていた顔を上げる。
……なんだ莉音か。頭がいっぱいいっぱいで、机で窓の外を眺め、そのまま眠ったんだっけ。記憶がねぇ。あ、もう昼じゃねぇか。
「お昼食べよ〜!」
「おう!」
ふたりでお弁当を持って中庭にいく。
中庭にある花が大好きで、しょっちゅう水をあげているんだ。
廊下をふたりで歩く。やけに騒がしいなと思ったら、すぐ傍に人だかりができているのが見えた。それを無視して歩く。
「あれ? やっぱり蒼空だ」
「ん?」
聞き慣れた声がして振り向くと、そこには紫耀がいた。彼はニコニコと笑って、こっちに歩み寄ってくる。周りにいる女子たちを無視して。
……あれは流石に可哀想だろ。いつもなら愛想振りまいて、騒がれてたのに。
「げっ、生徒会長じゃん。ここで会うとか最悪」
莉音は紫耀のことが嫌いなのか、ゴミを見るような眼差しを向けている。
げってなんだよげって。まじでいやそうな顔してんなこいつ。おれが紫耀のことを口にしたら、すぐ顔が豹変する莉音は別人で、こいつの口からは悪口しか聞いたことねぇ。
……で、今この場にはその莉音が大嫌いな紫耀がいると。過去一やべぇかもしれない。今だってふたりは睨み合っている。
……気まづすぎる。おれが何か会話をしなければ。
「紫耀? 女に囲まれてんじゃん。相手しなくていいの?」
昼休みは紫耀のファンからしたら、一日の中で唯一会える時間。だからいつも、紫耀の教室は女子で群がっているのに。まぁそんなことは本当にどうでも良くて。莉音と紫耀が揉めなきゃいいんだけど……。どちらとも機嫌が悪そうで、莉音なんて自分のキャラを忘れかけている。
「いやぁ……今日はちょうど、生徒会役員は生徒会室で食べるっていうことになってるんだよね」
「は?」
「ちっ……」
朝そんなこと言ってなかったのに。
ちらりと莉音のほうを見ると、本当に紫耀をゴミとしか思ってねぇみたいだ。
莉音さっき舌打ちしたよな……? 気のせいではなく、今回はハッキリと聞こえた。本気で怒らせたらまずいかもしれねぇ。
「ってことで、蒼空もらってくね?」
……もらってく?
おれの腕を引っ張って、勝ち誇ったかのように口角を上げている紫耀と、なぜか悔しそうな顔をしている莉音。こいつら仲悪すぎだろ。ふたりの仲に何があったってんだ。……その前に紫耀、なんでそんなニヤついてんだ? 首を傾げようとしたとき、腕を引っ張られ、連れていかれた。
「……あ、ちょっと! ……莉音悪い」
「う、うん……」
寂しそうな顔をしながら、莉音は手を振ってくれた。歯を食いしばりながら。
……なんで莉音はあんな顔をしてたんだろ……。つーか、おれ紫耀に引っ張られてばっかだな。
「ねぇ、さっきのやつと仲良いの?」
さっきのやつ……? 莉音のことか?
なぜか莉音と同じく難しそうな、複雑そうな顔をして、ため息をつく彼。まさか紫耀まで莉音が嫌いなのか?
「あぁ、まぁ……結構」
「ふぅん……」
生徒会室のドアを乱暴に開けながら、呆れ半分で席につく。
……あれ? 生徒会室誰もいねぇじゃん。
「おれたち一番のり?」
「……ごめん。あれ嘘」
……嘘?
いつもの長テーブルの上に弁当を置いて、謝ってくれるけど、やっぱり申し訳ないと言う気持ちが何も感じてこねぇ。紫耀のごめんはそうだな……挨拶みてぇでめっちゃ軽い。
「生徒会室で食べるっていうのは、本当だったけど、蒼空とふたりきりになりたかったからなしにした」
「……? なんだよそれ。先輩たちに失礼じゃねぇか」
自分勝手すぎる。自分勝手なのに、ここまでずっと一緒に居てきたおれのことを褒めてほしい。
そう思いながら、卵焼きをパクリと食べる。
向かい側に座っている彼は、一瞬怒ったような顔をしたあと、いつもの優しい笑顔で問いかけた。
「ねぇ、さっきのあいつ、やたら蒼空に近くなかった?」
いや、人の話聞けよ。自由人すぎるのも程々にしてくれ。おれのメンタル壊れるから。都合の悪いときだけ話をさらっと流す。それも特技なのかなんなのか。
あいつって……莉音のことか。さっきからずっと話してんな。
「蒼空、聞いてる?」
「え? あ、悪い……」
そう言われても……莉音と距離が近いことになにが悪いんだろ。あいつは別におれだけに近いってわけでもねぇし。
あぁ、まさかこいつ、おれが莉音に取られるとでも思ってんのか? バカに等しいわ。
「そんなことねぇよ。あいつ、距離感ひとよりおかしいんだよ。スキンシップもよくするし」
「……それ、答えになってない気がするんだけど」
難しそうな顔をする彼に苦笑いする。
「……恋敵……か」
天井を見つめてさらりと言った。横顔……綺麗だな。ライバル……? 莉音が?
莉音は確かに近いけど、友達として、おれのことすげぇ信頼してくれて、頼ってくれてる。頼れる。だから、許せるのかもしれねぇな。
莉音は善意で一緒に居てくれてるだけで、別に紫耀がおれに持つ好意と同じではねぇと思う。いやねぇ。絶対に。なんで言い切れるかって? おれは恋愛相談されるばっかりで、ひとに好きになってもらったことなんて、なかったからだ。……紫耀以外には。
……静かな生徒会室なのに、より静かになった。
この沈黙の時間も居心地がいいと思うのは、やはり幼なじみだからなのか。
生徒会室の窓から、おれの一番好きな花──いや、母さんが好きだった花──ホトトギスが揺れていた。花言葉は確か……秘めた恋心。
胸がなぜか反応して、高鳴る。ん?
あ、隣には……竜胆も咲いてる……! 時期的にそうだもんな。弁当を食べる手が止まり、口元が緩む。
「蒼空、かわいい」
「え……!? か……!?」
さらっと恥ずいことを言った彼は、涼しい顔して微笑んでおれに手を伸ばしてきた。
か、かかかわいいって……ば、バカじゃねぇの。
熱ある……のか? い、いや落ち着けおれ。紫耀に至ってはいつものことじゃねぇか。なんでこんなにドキドキしてんだよ。
熱があるのか確かめたくて、顔に手を伸ばそうとする。
「蒼空は無自覚すぎるよ」
紫耀が逆におれの顔に手を伸ばしてきて、頬を触られる。近すぎて、頬を抑えられて、視線を動かせねぇ。
「何言って……」
紫耀がおれを見る目は、優しくて、甘くて、吸い込まれそうになる。
窓から西日が差して、紫耀の顔を照らす。
無自覚? さっきから何を言ってるんだ……。からかうのもいい加減にし……。
「かわいいって言ってんの」
──ちゅっ。
「……は、は、はぁぁぁ!?」
「声でか」
「い……いやだって……」
絶対おれの顔は今、りんごみたいに真っ赤だろう。
……だって、紫耀がいきなり顔を近づけてきて、お、おれの頬にき、き、キスなんてするから……。ぜ、全然気づかなかった。一瞬すぎて。
「ば、バカじゃねぇの……」
「ふはっ……やば、かわよ」
こいつ……。
おれの顔を見て、頬をほんのり赤くしながら笑っている。だけど、その笑いの中にはからかっているようにも、お世辞を言っているようにも見えなかった。むしろ、本音を言っているように見える。
「蒼空大好きだよ」
「……っ!?」
満面の笑みを浮かべて、おれの頭が撫でられる。声にもならねぇくらい驚いて、椅子がひっくり返る。
……やべぇ、頭から落ちる!!
怪我することを覚悟して目を瞑っていると、
「大丈夫!?」
「へ……」
紫耀がおれの頭を支えて、押し倒されているかのような体制に……。心配そうな目を向ける紫耀は、何も動かない。もう顔が触れるくらいの距離なのに、慌てないはずがねぇ。
「ごめんね」
「お、おう……」
申し訳なさが感じない、いつもの謝り方。絶対嬉しそうな顔してんだよな。
おれを起き上がらせてくれて、離れた紫耀の顔が真っ赤に染まっていたのは、なんかおもしれぇから口に出さないでおいた。
「慌ててる蒼空も、かわいかったな」
生徒会室をうろうろしながら、首元を抑えて微笑んでいる彼は本当にこの学校の生徒会長なのか、と思った。
……紫耀のやつ、おれが素直じゃねぇことわかってて言ってんな。
まじでずりぃ。でも、なんでおれの顔が熱いんだろう。なんで、恥ずいと思ったはずなのに、いやだとは思わなかったんだろう。 おれも、おかしくなったのか……?
文化祭準備中、莉音の機嫌がいつも以上に悪かった。
なんか怒ってるみたいで、ちょっと怖い。おれが何かしてしまったのかと思い、話しかけるのを躊躇う。
……やっぱり紫耀が絡んでんのか。おれが紫耀に連れ去られたとき、莉音は複雑そうな悔しそうな顔をしていたのをおれは知っている。
倉庫でぐるぐると頭を巡らせる。だけどなんにもわかんねぇ!
「これこっちに運んどいてくれる?」
「はひっ……」
「蒼空?」
やっべぇ……。びっくりしすぎて、きもい声出た。
隣に視線を動かすと、やっぱり莉音は怒っているようで、動きに怒りが出てしまっている。
苦笑いして、「悪い」と言ったものの、まだ機嫌が直っていないのか、箱を乱暴に開けた。
莉音はわかりやすいんだよな。顔に怒ってますって書いてあるし。まぁ、おれもらしいんだけど。
「なぁ莉音、怒ってる?」
「へ……?」
恐る恐る、莉音に視線を向ける。当の本人はなんのこと? というようにとぼけた顔で首を傾げる。
まさか、こいつ自覚なかったとか……。
「さっきから機嫌悪いけど……おれ、なんかした?」
荷物を整理する手を止めて、おれの言葉に反応した莉音。まるで焦っているかのように、視線をあちらこちらに動かして、やっとおれを見つめた。
まぁ倉庫は暗いのであまり表情は見えないのだけれど。
「……そ、れは」
今日は一弾と莉音の目が大きく見えた。
……いやこいつまじで意味わかんねぇな。という言葉は呑み込む。
「違う……蒼空がなんかしたわけじゃない」
「じゃぁ、なんで?」
痛そうなくらい下唇を噛み締め、拳を握っている莉音。 何かを堪えているように、瞳が苦しそうに揺れている。
何をそんなに苦しんでいるんだろう。何をそんなに堪えているんだろう。やっぱり何かを隠しているんだろうか。
決意したかのように、息を吸って口を開いた。
「…………あのね僕、蒼空のことが──」
「蒼空!!」
え……?
莉音の言葉を遮るように、聞こえてきた元気な聞き慣れた声。驚いて倉庫から出ると、紫耀が引っ付いて来た。
「蒼空、今日生徒会ないし帰ろう?」
「え? ……でも、今莉音と文化祭の準備してて……」
「いいよ、そんなの。大体六限目もう終わってるから」
腕を掴まれながら時計を見る。確かにもう六限目は終わっていたので、文化祭の準備も終わりだ。でも、今莉音が何を言おうとしていたことのほうが気になるし、話もちゃんと聞いて、悩みを解決してあげたい。
「ちょっと、今蒼空は僕と話してたんだよ?」
ずっと黙って歯を食いしばっていた莉音がおれを奪うように、肩を引っ張った。 莉音の目は、いつものかわいい眼差しではなくて、対抗心に燃えている。
「は? こっちは忙しいんだよ。蒼空はお前にかまってる暇はない」
「はぁ? こっちのセリフなんですけど。真面目な生徒会長なのにそんなことしちゃって大丈夫なの?」
「んだと!?」
「ちょ、ちょっと……」
ふたりは睨み合って、つべこべ言っている。
最悪。めっちゃ喧嘩してるし……。何をそんなに争ってるんだ。
「ちっ……もう蒼空行こう」
「えっ……でも」
「ダメ! お前なんかに蒼空は渡さないから」
「しつけぇな」
ん……? 〝渡さない〟ってなんだ?
グイッとおれの腕を引っ張ってくる莉音。……おれを巻き込まねぇでくれ。
「はぁ……蒼空行こう」
莉音の手を振り払って手を握ってくる紫耀は、鬱陶しそうに莉音を睨んでいる。
あっ……さっき、莉音は何を言おうとしてたんだろ。まだそれを聞いてねぇ。
「待って……! 莉音、さっきなんか言いかけてただろ」
「え……?」
掴まれていた腕を振り払って立ち止まる。悔しそうな顔をしていた莉音は、おれを見るなり大きな目をさらに大きく開いている。紫耀は歯を食いしばったり、拳を握ったり……あきらかに悔しそうな顔をしていて、なぜか、莉音は目を泳がせて焦っている。
まずいと思って、慌てて否定しようと口を開こうとする。
「あ、あはは……大したことじゃないよ、なんでもない。……ほら生徒会長のところにでも行ってきな。じゃぁまた明日ね。僕は教室で一日中会えるからねぇ」
「え? あ……」
「行こ……」
辛そうな顔をしながら微笑む莉音は、どこか悔しそうな顔もしながら去っていった。
紫耀に手を引かれ、渋々ついて行く。
莉音は……何を言おうとしてたんだろう。なんでそんなに苦しそうな顔をするんだろう。なんで紫耀は口角をあげているんだろう。
おれだけが知らねぇなんて、そんなのやだ……。いつも、いつも、なんでおれだけなんだ。
「ねぇ」
寮につくと、紫耀がおれの部屋に入ってきて、壁に手をついた。もちろんおれも壁にもたれかかっている。
紫耀の目はなぜか少し怒っているようだった。なぜかは知らねぇけど。
「あいつと……ただの友達だけの関係じゃないでしょ?」
目尻を上げて、怒っている様子でおれを見つめてくる。
ただの友達だけの関係……。少なくともおれはそう思っているけど、だけじゃないって、どういうことだ? 友達以上? それとも友達以下……? い、いや、どっちにしろ莉音に失礼だ。
「い、いやただの友達だけど?」
嘘偽りのない事実を口にしただけなのに、彼の眉間にはしわが寄ったまま。
顔が近すぎて、紫耀の息が吹きかかりくすぐったい。
呆れたようにため息をついて、壁から手を下ろし「あのさぁ」とおれに近づく。
「……ちょっと鈍感すぎない?」
「え……?」
いきなり腕を引っ張られ、ベッドに連れていかれる。
待て待て待て……。おれ変なこと言ったっけ!?
「ねぇ、あいつと距離近いのなんで?」
……え?
押し倒された。頭をぶつけると一瞬思ったけど、紫耀に支えられて、ゆっくりベッドに倒される。
こいつ、自由人すぎるだろ……。そんなことを考えている暇もなく、顔を近づけられる。何考えてんだかおれにはさっぱりわからねぇ。でも、紫耀の耳が赤く染まっていることだけはわかった。
目を合わせたくなくて、顔を逸らし口を開いた。
「だ、だから気のせいだって……」
なんでこんなにドキドキしてんだろ……バカじゃねぇの。
押し倒されてるから……? 紫耀と距離が近いから? どっちにしろ、わけわかんねぇだろ。
「そんなことない。蒼空にだけ異様にくっついてたけど?」
「はぁ……?」
「……なんでそんなに無自覚なの……」
「え、?」
紫耀の瞳は怒っているようだけど、なぜか甘く見ているようにも見えて、吸い込まれそうになる。
……ちょっとだけドキッと、胸が高鳴ったのを許してほしい。び、びっくりしただけだから! でもまぁ……こいつに見つめられてドキドキしないやつはいねぇ。急に開き直るなとは言わないでくれ。
「もっと危機感持てよ」
「……へぁ……?」
耳元で囁かれ、顔がぶわっと熱くなる。
は、なんで。いやいやいや、こいつの甘々ボイスが耳元で聞こえたら誰だって驚くだろ。
「……かわいい」
ボソッと呟いた彼の目は、猫の前でデレているときと同じだった。
「早く蒼空も、俺のこと好きになればいいのにな」
頬に手を添えられ、焦る。甘いその瞳がおれを狂わす。
「……す、好きにならねぇから」
俯くおれは、きっと顔が真っ赤だろう。わからねぇけど。けど……。おれの中で紫耀が特別な存在になったのは、きっと間違いじゃねぇ。
「ふふっ。絶対好きにさせるよ」
少し開いた窓から秋の風が吹き込んで、紫耀の髪をなびかせる。
絶対、絶対、こいつのことなんか、好きになるもんか!!
今までのドキドキをなかったことにするかのように、おれは心に宣言した。
文化祭まで残り一週間となり、準備は大詰め。二、三週間くらい前までは運動部は部活優先なので、あまり参加していなかったが、残り数週間で、人手も増えて前より全然楽になった。
だけど、生徒会役員は文化祭後の後夜祭のためにあまりクラスの出し物には参加できず、莉音とはあれから全然話が出来ていねぇ。
文化祭の準備や紫耀と莉音のことで疲労が溜まっていてふぅ……と一息つく。
「そういえば桜河くんのクラスは何やるの?」
体育館の準備中に、七瀬先輩が思いつきで問いかけた。
「えーと、……メイド喫茶……です」
先輩に直接口にするのは流石に恥ずくて小声で言う。
「え? なんて?」
「……メイド喫茶……です」
別にこれは照れているわけではない。照れてねぇから!!
誤魔化すように、客席を並べる。
「へぇ。もしかして桜河くんも……?」
それは流石にド直球すぎませんかね……。一瞬の躊躇いも見せずにそんなことさらっというなんて。たまに、先輩はキャラが崩壊するからな。
まさかそんな質問されるとは思っていなくて、言うのを躊躇する。
言いたくねぇけど……黙ってても絶対あとでまた言われるからな。
「あぁ、はい……実は」
「えぇ! それは絶対会長喜ぶわね」
「え?」
目を輝かせながら、くふふといかにも女の子らしい微笑みを作り席を並べる先輩。おれは首を傾げ、席を整える。
確かに紫耀は喜びそうだけど……見せたくねぇよあいつだけには。
「そこ! ちゃんと仕事する!」
「はぁ……はいはい」
ステージの上で、マイクの確認や段取りを確認する紫耀は上にいるからという特権でおれ等の見張りをしたり、指示を出す。
ちなみに紫耀が今やっている仕事は去年まで先生たちがやっていたらしいのだが、先生たちは先生たちで裏が忙しいということがあり、紫耀に任せているんだと。
「みどりんは蒼空と距離が近い! 話しすぎ! 蒼空はそっちが終わったら俺のとこにくること!」
「はぁ……?」
「ふふっはいはい。気をつけます」
彼はまるで鬼教師の鬼塚先生みたいにマイクを持ちながら一人一人に指示する。紫耀が指示してんのは気に食わねぇが、こういうときにまとめてくれるやつがいんのは助かる。
「会長、お呼び出しですか〜」
客席並べは他の人に任せて、渋々紫耀のもとに行く。
そっちはもうやることないからって呼び出すなよ……。
「会長って呼ぶのやめてくれないかなぁ?」
「だって会長じゃん。おれ以外みんなそう呼んでるし」
「いいや!! それは勝手に呼んでるだけだし。蒼空だけは名前で呼んでよ〜」
「めんどくさ……」
どうやらステージの袖にいるらしく、声のするほうへ足を運ぶと、いつものように引っ付いてきてうざったい。
名前呼びなんてどうだっていいだろ。さっきはちょっとふざけただけだし。
「で? なんの用?」
わざわざこんなことするためだけに呼んだって言うんだったら、こいつのこと殴ってやろうかな。
「あぁそうそう。文化祭の日さ……」
ちょっと照れているのか、顔を逸らしながら口を開いた。
「クラスのとこ終わったら一緒に回らない?」
「……ん?」
「あ、えっとそれだけ……」
自分を落ち着かせるように紫耀は髪をいじる。
それだけって。そんなに照れながら言われると、こっちまで照れちまうだろ。い、いやまぁ照れてねぇけど。わざわざ誘うもんなのか?
「生徒会の仕事もあるし、そんなに回れねぇんじゃないのか?」
文化祭当日は、クラスのことが終わると生徒会役員が校内を見回りしなくちゃならねぇので、そんなに遊んでる暇はねぇ。
「回りながら食べ歩きとかはできるから。それに、見回りって言っても先生の代わりにやるみたいな感じだから大丈夫だよ」
「そ、そう、なのか」
食べ歩きか。まぁ、いっか。せっかく誘ってくれたし。
まるで、子供のおねだりのようにじっとおれの答えを待つ彼。
「ま、まぁ一緒に行ってやってもいいけど?」
「本当!? ありがとう」
そんなたった一言だけで明るい顔をする彼がちょっと羨ましい。
……いやそれだけ? 文化祭を誘うためだけにおれを呼んだのか。まだ他の役員は仕事してるっていうのに。呑気すぎるだろ、という言葉は呑み込んで袖から出ようとする。
「待って。……蒼空のクラスって何やるの? 行きたいんだけど」
下手袖幕の手前で引き止められ、目を輝かせられる。
こいつだけにはぜってぇに言いたくねぇ。でも結局来るからバレるな。来ねぇように阻止しないと。
「言わねぇし、来ねぇでいいから!」
「なんでそんなに照れてるの? もしかして……」
「照れてねぇよ!!」
これはまずい。なんとしてでも阻止しねぇと。来るなっつってもぜってぇに来る気がする!! 紫耀が来るときだけシフトずらせねぇかな。
でも、ちょっとだけ見回りに一緒に誘われたのが嬉しいと思ったのは、気のせいだと信じたい。
