翌朝、まだ目覚ましが鳴る十五分前。
……もうちょっと寝てようかな。でも廊下が騒がしいような。
「……蒼空! 起きてる?」
ノックとともに聞こえてきた、聞き慣れたでかくて高い声。
昨日荷物を手いっぱいに持っていたため、ドアの鍵を閉め忘れて人が勝手に入ってこれてしまうのだ。
まさか、この声……。まずいまずいまずい! 一番入らせたくねぇ。
「入るよ〜」
慌てて重い体を起こす。
あいつ勝手に……。おれの返事も聞かねぇで。
玄関のほうへ行くと、そこにはやっぱり予想した通りのやつがいた。
「……お前なんでいんの? つーか勝手に入ってくるな」
すでに制服を着こなした紫耀がおれの部屋に入ってきた。わかっていたことだが、思わず目を見開く。
彼はニコニコと笑って靴を脱ぎ、勝手に部屋の奥まで入ってきた。
うわ……歩いてるだけで圧がすごい。おれが鍵をちゃんと閉めてたらこんなことには……。
「おはよう蒼空。朝食、一緒に行こうと思って」
「……いや、おれまだパジャマ──っうわ!!」
引っ張られる袖。抵抗する間もなく、紫耀の腕に引き寄せられる。離れようとするも、バランスを崩して紫耀の胸に抱きついてしまう。しかも、紫耀の身体はおれでは抵抗できないほどガッチリしていて、力を入れられたら溜まったもんじゃねぇ。
……なんでこいつ力入れて……。離れられな……。
「……どうしてそんなに警戒してるの?」
強く抱きしめられる。
紫耀は昔からなんにでも強くて、いつもおれを守ってくれた。
……なんでって……この歳にもなっていきなり抱きしめてくるなんて、おかしいし、恥ずかしいだろ。それに、
「お前が距離近いからだろ! おれはもう子どもじゃねぇ」
「いつものことじゃん。別に良いでしょ。寂しかった分俺に構ってよ」
まるで子ども扱いするかのようにおれの頭を撫でた。
……余裕そうな顔しやがって。 まじでどうしちまったんだよ。寂しいとか、構うとか、いきなり抱きしめてきたりして。
「いや、そうだけど。子どものときみたいにするなって」
「俺は好きだったけどなぁ……子どもの頃からずっと、蒼空のこと」
「……は?」
言葉が止まる。
いつもそんなこと全く言わない紫耀が、あのみんなの王子様の口から、そんな言葉が出るなんて。
おれの顔を見ながら微笑まれる。驚きのあまりおれは彼から逃げるように離れた。
変なことを言われたせいで、見る顔がねぇ。
本当に紫耀は昔から人をからかうのが好きだな。……特におれを。まぁ、そのせいでモテてるんだろうけど。色んなやつ誑かしてきたんだろうなぁ。これこそ八方美人というやつなのか。
「お、お前、急に恥ずかしいこと言うのやめろよ……からかうなっての」
「蒼空……」
彼は一瞬顔を赤くしたあと苦しそうな、辛そうな表情をした。おれから身体を離して、俯く彼。
いつまで経っても、わけわかんねぇヤツ。
からかうのはいつものことだけど、今のは……なぜか、ふざけているようには聞こえなかった。子どもの頃はよくおれに「かわいい」とか、「好き」とか言ってきたけど、それは子どもだったからで。
「ほ、ほら、早く行くよ! 着替えてきて!」
「お、おう……」
朝の光が廊下のガラスから差し込んで、俺たちの影を長く伸ばしていた。
……胸が痛いような、ざわつくような。その感覚の名前を、おれはまだ知らねぇ。
教室に着くと、一気にクラスのやつらがおれに振り向く。
ちなみに、教室まで紫耀がなぜか送ってくれたという……また過保護な一面を見せた紫耀。よくわからねぇ発言をまるでなかったかのようにいつも通りになった。
あいつは昔から不思議だ。怖いもの知らず……というのか、誰に対してもひるむ様子を見たことがない。メンタルの強さが化け物だ。
「蒼空〜! おはよぉ」
「……うわっ! ……って莉音?」
席について、窓の外をじっと眺めていると、藤莉音──クラスの中では仲が良くて、頼りにしているやつ──が飛びついてきた。
「えへへ〜びっくりした?」
おれの首に腕を巻き付けてきた莉音。息が耳に吹きかかってくすぐったい。
こいつはムカつくしウザイけど、優しいときもあるし、ときには強い。その割には、誰に対しても距離感がバグっていて、意外と……いや結構モテる。どうやらギャップがかっこいいらしい。まぁ、確かにおれも嫌いではねぇし、何かと助かっている。
「はぁ……ねぇ蒼空」
「ん?」
難しそうな顔をして、口をモゴモゴと動かしている莉音。
……やたら今日は静かだな。おれから腕を離して、見つめてくる瞳は不安げに揺れている。
「あ、あのさ……せ、生徒会、入ったんだってね……?」
服の裾をぎゅっと握りしめ、苦笑いをしている。どこか、何かを堪えているかのように。不思議に思いながらも、「あーそうなんだよね……」と返した。
強引に推薦されて、わけのわからねぇまま入会したけれど、別にいやってわけでも、後悔もねぇ。おれが素直になれねぇだけで、紫耀を傷つけたことだってたくさんあったし……助けたかった。
「本当、天性のお人好し……な、何かあったら僕に言ってね!」
「お、おう……! ありがとな!」
満面の笑みを見せた莉音は、やっぱり何かを隠しているようだった。
「今日は朝礼だぞ〜! 体育館に行けー」
先生が教室で、でかい声を出しておれの肩を叩く。
……あ、そうだった。今日の朝礼で、おれあいさつしねぇといけねぇんだった……って言っても、何話せばいいんだ?
「それでは、蓮水学園朝礼を始めます」
生徒会役員として、体育館のステージの上で紫耀を見つめる。教室を出るときに生徒会役員の人に、腕を引っ張られ、今に至るのだ。
──やっぱり紫耀はすげぇなぁ。全校生徒の前で、堂々としてられるなんて。
どうして、紫耀はおれなんかを推薦したんだよ……。絶対に信頼できる人って以外にも理由はあったと思うんだけど。
……あれ、いつからそんな遠い存在になったんだっけ。
「──これで、文化祭についての説明を終わります。最後に、会長推薦の新役員が入会しました」
「蒼空っ」
……えっ? 紫耀が小声で手招きする。
あ、もうおれの出番なのか。ボーッとしてて、なんも話聞いてなかったな。
一歩前に出て、ステージのしたの生徒を見下ろす。
……うわ。なんでこっち見んだよ。まぁそりゃそうなんだけど。
「ぇっと……こ、この度しょ……会長の推薦で入りました。桜河蒼空、です……お願いします……」
手と脚が震えながらも、お辞儀をした。そして、素早く奥へとはけていく。緊張で心臓バクバクだ……。
「お疲れ様」
紫耀が肩を叩いて微笑んでくれる。
今日の紫耀はカンペキな会長モードらしく、眼鏡をつけている。真面目さを見せつけたいんだろう。……まっ、本当は真逆だけどな。
「お、おう……」
下からの威圧が……。
まさかおれがあんな言葉遣いをするなんて、と莉音たち……クラスの奴らは思っただろう。
「ちょっと待って」
司会から強引にマイクを奪い取って生徒たちの方を向いたのは紫耀だった。
「蒼空に近づいたりしたらダメだからね」
……は?
微笑みながら生徒たちに言い放った。
何を言っているんだ。バカなのか……。
「これで今日の朝礼を終わります」
最後に、誰もが釘付けになるような笑顔を浮かべた紫耀。この体育館内には、黄色い悲鳴が上がっている。
……いつも思うけれど、紫耀の笑顔、目が笑ってねぇんだよなぁ。ひとりそう思って、苦笑いする。
「さっ、俺たちも戻ろうか」
何事も無かったかのようにおれのほうを見て、さっきとは比べ物にならないくらい、爽やかな笑みをみせた紫耀。
……いや、これはおれに向けられたものではない。うん、きっと。いや、絶対。そうじゃねぇと困る。
帰りのホームルームの時間、文化祭でメイドカフェをやると決まってしまったので、仕方なく手伝う。
……まぁ、ほとんどおれは何もしてねぇんだけど。
最初はやりたくねぇって思ってたけど、発案桜河なんだからやれぇって、しつこく野次を飛ばされて。まぁ事実だから仕方ねぇんだよな。
別に、めんどくせぇだけでいやなわけではない。おれは自分でやったことは最後まで責任持ってやるタイプだと勝手に思っている。
ため息をつきながらも、ダンボールを運ぶ。
……あぁ、今日から放課後生徒会行かなきゃなんだった。めんどくせぇけど引き受けたからにはしっかりやらねぇと。
「……はぁ」
「蒼空、今日ため息多くない? 大丈夫?」
莉音と一緒に教室まで使うものを運ぶ。これをずっとやってるわけだ。実質おれたちはパシリみてぇなもんだよな。
「……大丈夫だ。あ、おれ今から生徒会行かなきゃだから、後はよろしく! じゃぁな!」
「……ぇあ、また明日!」
莉音が見えなくなるまで手を振ってくれた。
クラスのやつらに罪悪感を抱きながらも生徒会室へ早足で向かう。
なんか、莉音って、紫耀によく似てんだよな。優しさとか、たまに見せる素とか。
そんなことを思っていたら、生徒会室の扉の前まで来てしまった。
「ふぅ……」
緊張で押しつぶされそうになりながらも扉を開く。そこには、明るく照らされた長テーブルが置いてあった。
「あ、あの……こんにちは……桜河です……」
本当におれすげぇキャラ変わったと思う。
生徒会室の入口の前でお辞儀するけれど、みんな忙しいのかおれのことをちらりとも見ない。
これ、入ったらいけねぇ空気だったのか? とりあえず、ここで待っておくか。文化祭も近いし、忙しいだろうな。
「あ……もしかして新人くん?」
「あ、はい……」
扉の前で突っ立っていたら、ひとりの女の役員──確か、今日朝司会をしていた、副会長の七瀬先輩だ──がおれに気づいて話しかけてくれた。
眼鏡をかけていて、紫耀より生徒会長らしい姿をしている。真面目だし、美人って有名だ。
「ここが君の席だよ。それとここが資料室で、ここがね……」
丁寧に教えてくれる七瀬先輩。
絶対この人が生徒会長になったほうがいいって。紫耀と性格真逆だろ。
内心で大丈夫なのか……とため息をつく。紫耀はいつも軽いし、チャラいし、ちゃんと仕事やってんのかよ。
「ありがとうございます」
そういえば、ふたりで副会長やんのかな? 紫耀におれは副会長になれって言われたけど。
「言い忘れてたけど、わたし七瀬みどり。これから副会長として、ふたりで頑張っていきましょうね」
ガッツポーズをして微笑んだ七瀬先輩は、他の役員さんに呼ばれて資料を取っていった。
さてと、おれも仕事するか。とりあえずここの資料を……。
指定された席に座って、指定された資料を見つめる。
黙々とパソコンとにらめっこして進めていると、誰かがおれの資料の半分くらいを手に取った。
透き通る白い肌に、細長い指の手が触れられる。
「……え?」
顔を上げると、見慣れた顔の……紫耀がにっこり笑っておれの仕事をしようとした。
「蒼空初めてなんだし、こんなに仕事しなくていいよ。俺も手伝うから」
彼の机を見ると、ひとりで大量の仕事をしようとしている。それに加えて、おれの仕事もしようとするとか、お人好しすぎだろ。
……はぁ、前言撤回。七瀬先輩のほうが何倍も生徒会長になったほうがいいと思ったけど、紫耀がこんだけ大量に仕事してるなんて知らなかった。生徒会長として、頑張ってるんだな。流石、理事長の息子。いや、関心してる場合じゃなくて。
「お、おれも手伝うから……!」
慌てて席を立ち上がり、紫耀の資料を少し手に取る。
……多すぎだろ。これ毎日やってんのか? この学校のことを考えて、頼られるのが好きなのは昔から変わんねぇし、紫耀の良いところではあるけど……。頑張りすぎるとぶっ倒れる気がする。別に、心配とかじゃねぇ。倒られたりしたら困るだけだし。
「蒼空……ありがとう」
「別に……」
「やっぱり蒼空は──」
「……ん?」
紫耀のほうを見ると、なぜか耳まで真っ赤にしていた。思わず首を傾げる。
七瀬先輩やほかの役員さんたちのほうを見るけれど、みんな何かを察したのか、呆れ半分でため息をついている。
この中でわかってないのおれだけ!?
「大丈夫、桜河くんは知らなくていいよ」
なぜかニマニマしながら、おれと紫耀を交互にみつめる七瀬先輩。
生徒会はすげぇピリついてるって噂あるけど、もしかして違うのか……? おかしな世界、と首を傾げた。
一、二週間くらいだろうか? そのくらいの日が経って、イチョウの葉が色付いてきた頃。
生徒会の仕事にも、なんとなく慣れてきた……と思っていた。
毎日のようにある書類の整理、会議の準備、文化祭の段取りや生徒会主催の後夜祭の準備など。やることが多すぎて疲れが溜まりすぎている。
紫耀はどんな仕事でもスマートにこなしていて、おれはついていくのがやっとだった。でも、それ以上に困っていたのは……。
「……紫耀、だから近いって」
「このくらい、普通でしょ?」
「いや……」
おれの肩に自分の顎をのせるようにして、紫耀はさらりと言った。すぐ隣で、紫耀の指がプリントを指し示す。
集中できねぇ。それに、毎日この調子だ。自分の仕事しろよ!!
「そーら、なんで俺と目合わせてくれないの?」
紫耀が至近距離で耳元に囁く。そして、肩を引っ張られ、強制的に目を合わせられる。
あと少しで、顔が触れてしまいそうなくらい、近くで。
……ここ、生徒会室だぞ? 何やってんだこいつ。
目を合わせるのがなんか気まづくて、目をあちらこちらに泳がせてしまう。
「ねぇ、なんで警戒してるの?」
「そ、れは……」
……近い。
七瀬先輩たちに助けを求めようと視線を動かすけど、一瞬ニヤつかれて、また仕事顔に戻ってしまった。……先輩たちも様子が変だ。
「紫耀、まじで離してくんね?」
「なんで?」
「はぁ……?」
彼の目は、なぜかいつもより優しくて、甘くて、誰もが目を逸らせねぇ。
「まぁそんなとこもかわいいけど」
「黙れ!!」
いつまでこのままなんだよ。気まづすぎだろ。
「仕事してぇんだけど」
「そんなの俺がやってあげるって」
「何言ってんだよ。まだお前のとこ大量にあるだろ」
全部紫耀がやるって、なんのためにおれ入れたんだよ。おれいる意味なくねぇ?
いい加減見てられなくなったのか、役員さんが紫耀に注意して、肩を落としながら自分の机へ戻って行った。
やっと解放された……。最近の紫耀は前以上に阿呆になったと思う。認めたくねぇけど頭脳の方じゃなくて。生活面とかひとに対してとか、言っていることがおかしい、というかバカになった。……ちょっと可哀想だから天然と言っておこう。
「会長。例の件、どうされるおつもりですか?」
七瀬先輩が、少し躊躇いながら紫耀に問いかけた。ふたりとも、険しい顔をしながら話している。
例の件? なんだそれ。
「あぁ……それならもう手は打ってあるから心配しないで」
「そうですか。よかったです」
おれは昔から地獄耳なので、ふたりの話し声が聞こえてしまう。盗み聞きみてぇでいやだな。いやもう盗み聞きしてんのか。
……でも気になるな。 いても至ってもいられなくなり、紫耀にできた資料を渡す、というていでさっきの話を聞きに行こうと席を立つ。
「なぁ紫耀、さっきなんの話してたんだ?」
資料を渡しながら問いかける。
「えっ! もしかして俺に興味持ってくれた!?」
「んなわけねぇだろ。バカか!!」
「残念」
話しかけたと思えば、紫耀の顔は明るくなるけど、おれの中でまだ疑問は消えてねぇ。
ずっと見つめていると、彼は明るそうな顔から一気に表情が曇り、深刻そうに腕を組んだ。
「まぁ、蒼空ならいっか」
「え?」
考え込んだあと、いつものように頬を上げて笑った。
「文化祭のあとに、生徒会主催の後夜祭があるのは知ってるよね」
「うん」
そう。ここの学園は、理事長がイベント好きなので、後夜祭などを本気でやるのだ。
「それで使うものとか、ステージに立つ人とかの順番を決めてたんだけど、何かの手違いがあったみたいで」
あははと乾いた笑みを零す彼。
「そうなのか……」
「でも大丈夫! 俺がなんとかして、計画通り……にはいかないかもしれないけど、困らせないようにするから」
いつも、こういうトラブルは紫耀がひとりでやってるのか? 全部全部、問題事は紫耀が解決して先生に伝えて。
流石にひとりでここまでやらせるわけにはいかねぇ!! おれも何か手を打たねぇと。その……生徒会長を支えるが副会長の仕事だし。
「おれも。おれもその案件一緒にやる」
「え?」
「紫耀ひとりにやらせるわけにはいかねぇから。明日実行委員の先生に話してくる」
「蒼空……」
紫耀の隣に座ってパソコンを動かそうと思えば、彼はポカンと口を開けておれを見つめる。ずっと見ているもんだから、逆に怖くなってチラチラと見る。
「ありがとう蒼空」
「別に。おれらもいるんだから頼れよ」
他の役員さんたちのほうも見るけど、ふたりだけの空間に邪魔をしてはいけねぇと思ったのか、無反応で終わってしまった。
「ぜってぇに成功させような!」
不安にさせねぇように、いつもは見せねぇ微笑みを作って声を放った。
「……っ」
その瞬間にこの場の動きが止まり、役員たちがおれをずーっと眺めていて、紫耀に至っては歯を食いしばっている。おれだけがこの状況を理解できていねぇみたいだ。
「どうしました?」
応えを求めるように首を傾げると、紫耀以外の役員さんはさっきのことがなかったかのように、一瞬で切り替えて戻ってしまった。
なんだったんだろうか。隣の変人はずっとパソコンのマウスを握りながらおれを見つめているし。頭にはてなを浮かべながら、パソコンに視線を戻す。
「ねぇ蒼空、もう仕事終わったし帰ろう?」
「……は?」
なんの前振りもなくいきなり話かけてくる紫耀。そして、おれの肩を引っ張って生徒会室を出ようとする。
いや何してんの? おれまだ終わってねぇんだけど。
「ちょ、お前っ……あ、おつかれ、さまです……」
先輩たちにあいさつをして、引っ張られるがままついていく。
ずっと腕──途中から手を握られて廊下を早歩きに通る。
通りすがる人みんながおれたちを見て、目を見開いていた。多分、紫耀のファンだろう。
でも、それよりも紫耀の様子が変で心が落ち着かなかった。……心配だとかそういう話じゃねぇけど……。
見る限り怒っているようで、仕事をしすぎて疲れてしまったのかと思った。
「なぁ、紫耀」
「ん?」
「なんか怒ってるか?」
「……えっ」
おれが何かしてしまったのかという不安が頭をよぎる。
彼は目を大きく見開いて固まってしまった。こういうときに、ふたりだけ時間が止まったかのように沈黙が流れるのは珍しいことじゃねぇ。大体おれが隠し事をしているときに、問い詰められて沈黙が続くが、今日は……紫耀がおれに隠し事をしてるみてぇだ。
「おれ、紫耀になんかしちまったか?」
腕を離して、背を向けられてしまった。まるで、捨てられた犬のようにしょぼくれている彼は肩を落として、大きなため息をつく。
……本当に昔から意味わかんねぇやつだな、ということは一旦置いておいて、言葉をそっと待つ。
紫耀は昔からずっと良いやつだった。だから何かをされても、言わなかった。傷つかねぇように。自分は傷ついているのに相手には何も言わねぇ。ただ優しく微笑むだけ。周りのことばっかり優先して。
ちゃんと言ってほしい。紫耀がひとりで何かを抱え込んでいるのなら、おれだって力に……。
「……ねぇちょっと、屋上行かない?」
「え?」
その場の空気を変えるように、微笑み出され、腕を引かれる。
いきなりなんだ? さっきの儚げな背中はどうした。一瞬焦った思いをしたのを返してほしい。
腕を引かれ、階段を登っていく。一体何をする気なのか。
「ここ、屋上」
頭の上にはてなマークをつけているおれとは裏腹に、キラキラと王子の雰囲気をまといながら鍵を開ける紫耀。
……今思ったけど、屋上って立ち入り禁止じゃなかったっけ。何も気にせず入っていく彼を慌てて止めた。
「紫耀、お前なんで鍵持ってんの」
冷や汗を垂らしながら服の裾を掴むけど、当の本人は「なんでそんなに慌ててるの?」とでも言いたそうな顔。
「あー……。父さんに頼んで作ってもらったんだ」
「まじかよ……」
キラン効果音のつきそうなムカつくウィンクをして、嫌味ったらしいことを言われる。
金持ちはやっぱり恐ろしい。ずっと一緒にいたら金の使い方間違えそう。
「開けるよ」
微笑ましそうに勢いよく屋上の扉を開ける。
扉の隙間から風が吹き込んで、おれたちの髪をなびかせた。
「うわっ!」
扉の向こうには、夕焼けで真っ赤に染まった大きな空が広がっていた。
紫耀は、おれにこれを見せたかったのか……。確かにすげぇけど。いきなりここまで連れてくるなんて。まだ他に理由がある気がして、胸の中がゾワゾワと音を立てる。少しだけ期待の意味も込めて。
「本当は青い空見せたかったんだけどね」
苦笑いしながら、ベンチに座る。
でも……。
「なんで急に?」
「この景色、蒼空にも見せたかったからだよ」
「え?」
「蒼空が、大事だから」
夕日の下で微笑む紫耀の顔はやっぱり赤い空に似合っていて直視できねぇ。眩しくて、なぜだか紫耀の顔が遠く感じて。
本当に絵になるなぁ。おれがそこで微笑んだってただの芋だろう。……まっ、おれがこいつの前で笑顔になることなんてさっきので最後だろうけど。
それなのに、それなのに。おれのこと大事とか言って。なんなんだよ。どうしてそんなにおれのこと大事にできるんだよ。おれの親ですら、大切にしてくれなかったのに。
長年一緒にいるくせに、そうやって思ってもねぇこと言っておれに優しくして。お世辞もいい加減にしろよ。
「大事な人とは大事な景色、分かち合いたいでしょ?」
「……あっ」
ベンチにもたれかかっているおれの手を優しく両手に取り、握ってきた。
紫耀はよく笑う。だから時々不安になる。心配になる。無理をしてるんじゃねぇかと、体調を崩すんじゃねぇかと、心配だ。
紫耀がおれに見せる笑顔はいつも偽りなんかじゃねぇ。大事っていうのも嘘じゃねぇ、のか? そうだったら嬉しい、なんて幼なじみだから当然か。
「ねぇ、まだ気づかない?」
「えっ……?」
大きな瞳が寂しそうに、悲しそうに揺れながらおれを見つめる。だけどどこかに、期待の眼差しもあって。
……気づくことなんてなんもねぇけど。言っている意味がさっぱり分からなくて、答えを求めるように首を傾げる。
「俺の気持ち。まだ気づかない?」
「気持ち……?」
紫耀の瞳からは期待の色が消えていて、呆れて諦めかけている。ため息をついたのもわかった。
紫耀は呆れているのにおれの頭の中は、はてなマークで溢れかえっている。
「はぁ……流石に鈍感すぎるのにも程があるよ。いい加減気づけよ」
「は? は……?」
顔を近づけられ、耳元にいつもより低くて少し怒ったような声で囁かれる。
……本当に何を言ってるんだ……。説明してくれよ。
独り固まって、口を開けたり閉じたりしている中で、紫耀は決意を固めたように深呼吸をしておれの眼を真っ直ぐ見た。
夕焼けのせいなのか、紫耀の顔が赤い。
「……好きなんだよ。ずっと」
「何が?」
「蒼空のことが、ずっと昔から」
「……は」
一瞬頭の中が真っ白になる。一気に脳みそにある情報を消しゴムで消されたみてぇに。
何秒かフリーズして、ようやくおれは意味を理解した。
「は、はぁぁああ!?」
「だからさっきみたいに俺以外の前でかわいい笑顔見せられると困るんだよね」
ちょっと……何を言って、るんだ? 頭と心がぐるぐるして、落ち着かねぇ。
突然すぎることもあり、慌てて立ち上がって走り出し屋上を出た。
「ちょっと蒼空!?」
あぁもうなんなんだよ!! 寮に向かって走るけど、どうせ部屋は隣だから意味ねぇんだよな。
何もかも訳わかんなくて、無我夢中で学校を走る。
……好きって、そういう意味で? 紫耀はずっとおれのこと……。
くっそ、わけわかんねぇ!! いっつもあいつはいきなりすぎんだよ。ふざけてるとかじゃなくて本当に。紫耀の目にはおれはどんな風に見えているのか。
紫耀がおれを見る目は、おれが紫耀を見る目と違うということは、前々からわかっていたつもりだった。だけどまさか恋愛的に見られてるとは思わねぇじゃん?
頭を抱えながら寮に入る扉を開いて、部屋まで向かおうとしたとき。
「蒼空……!」
聞き慣れた、少し息を切らした声が後ろから響く。
なぜだか後ろを振り向けなくて、その場に立ち止まって固まった。
「ごめん。変なこと言って」
今紫耀がどんな表情をしてるかなんて見なくてもわかる。普段は温厚で、笑顔を絶やさない軽いやつだけど、悪いと思ったことは絶対に謝ってくれるし、真剣に話を聞いてくれる。ちょっとムカつくけどいいやつなんだ。……なんだけど、いきなりあんなこと言われたらおれだって動揺しちまう。
ギュッと拳を握りながら次の言葉を待つ。
なんでおれはこんなことしてんだ。おれも何か、言葉をかけねぇとなのに。口を開けようとしても、声が喉の奥でつっかえて出ねぇ。
「……急に言われて混乱しちゃうのも無理ないよね」
何か、何か言わねぇと……!!
後ろから足音が聞こえて、紫耀が近づいてくるのがわかる。
頭ん中がぐるぐるして、まだ整理がついてなくて、おれはただ背を向けたまま立っていた。
「んだよ」
「え?」
「……どういう意味の好きなんだよ」
ゆっくり振り返りながら、喉の奥につっかえていた声を出す。
第一声があんな台詞じゃ困るだろうな。
おれは言葉選びが苦手だ。昔からそのせいで色んな友達を失ってきたけど、紫耀だけはなぜか離れようとしなかった。その、"なぜか"の意味が、今やっとわかる。
目を泳がせながら、冷や汗を流し、問いかける。
やっぱり、おれ変なこと言ったよな。そうだよな、ちゃんと誤魔化さねぇと。
勝手に慌てていると、顔をほんのり赤くした紫耀が微笑む。
紫耀の口からはおれが想像もしてなかった返答が返ってきてしまった。
「そりゃあ。蒼空がかわいくて仕方ないって意味だよ?」
「…………は?」
さっきからおれの頭の中は、わからねぇで埋め尽くされていく。
紫耀が壊れてしまった……。こんなの全校生徒に知られたら飛んだもんじゃねぇ。意味不明に険しい顔をされて、今日で一番の大きなため息をつかれる。
「はぁぁ……なんでそんなに自覚ないかなぁ」
「……え? は? ちょっ……!」
えぇと、今の状況は……。生徒会寮のドアの角で、壁に追いつめられて、壁ドン……? され、た……。
「お、お前何して……」
おれをじっと見つめてくる紫耀。
困惑しすぎて、逃げるにも、あしが動かねぇ。震える。
「流石に無自覚すぎて怒ったかも」
「え……?」
顔が、もうセンチもないくらい近ずいてくる。
……無自覚? 何を言っているのか、わからない。
そして、唇が近づいてきて。
「……だぁぁぁ!! 何してんだよ!!」
流石にこの状況にはいても至ってもいられなくて、顔を逸らし、手を前に出した。
顔が真っ赤だって見なくてもわかる。なぜかはわからねぇけど。
急に顔を近づけられて、困惑しないやつはいねぇ。よっぽどの変人じゃなければ。
「意地悪してごめん」
「別に……」
「でも、俺本気だからね」
「え……」
壁から手を下ろして、透き通る瞳に真っ直ぐ見つめられる。
別に……おれは、紫耀のことは友達として、大……嫌いじゃねぇけど。
恋愛は興味もねぇし、こんな性格、顔で、告白されたことも、増してや人を友達以上に好きになったこともねぇ。
「……おれ恋愛とか、わかんなくて……誰かを好きになったことなんてなくて……その……」
あぁ、なんでおれは、素直になれねぇんだろう。いつもそうやって恥ずかしがって、また誰かを傷つけて……。ただ、ただ、謝りたいだけなのに。告白されて、困惑して……。
「いいよ。元からそう言われると思ってたし」
可笑しそうに笑う彼の顔は、やはりこれでも絵になる。これこそが本当の王子様というのか。
「でも、蒼空が俺のこと好きになってくれるまで、俺諦めないから」
「え……?」
体が離れて、真剣な眼差しを受けながらまた微笑む彼。そしてまた頭を撫でられて顔が火照る。
「絶対に俺が蒼空のこと奪うから覚悟しておいてね」
「えっと……」
最後に、圧をかけるような笑顔をみせた紫耀は、流れるように自分の部屋に入っていった。
その場に残されたおれは呆然と立ち尽くしていた。
「ま、まじでなんなんだよ……」
平凡なおれの学校生活は、どうやら平凡ではなくなりそうです。
……もうちょっと寝てようかな。でも廊下が騒がしいような。
「……蒼空! 起きてる?」
ノックとともに聞こえてきた、聞き慣れたでかくて高い声。
昨日荷物を手いっぱいに持っていたため、ドアの鍵を閉め忘れて人が勝手に入ってこれてしまうのだ。
まさか、この声……。まずいまずいまずい! 一番入らせたくねぇ。
「入るよ〜」
慌てて重い体を起こす。
あいつ勝手に……。おれの返事も聞かねぇで。
玄関のほうへ行くと、そこにはやっぱり予想した通りのやつがいた。
「……お前なんでいんの? つーか勝手に入ってくるな」
すでに制服を着こなした紫耀がおれの部屋に入ってきた。わかっていたことだが、思わず目を見開く。
彼はニコニコと笑って靴を脱ぎ、勝手に部屋の奥まで入ってきた。
うわ……歩いてるだけで圧がすごい。おれが鍵をちゃんと閉めてたらこんなことには……。
「おはよう蒼空。朝食、一緒に行こうと思って」
「……いや、おれまだパジャマ──っうわ!!」
引っ張られる袖。抵抗する間もなく、紫耀の腕に引き寄せられる。離れようとするも、バランスを崩して紫耀の胸に抱きついてしまう。しかも、紫耀の身体はおれでは抵抗できないほどガッチリしていて、力を入れられたら溜まったもんじゃねぇ。
……なんでこいつ力入れて……。離れられな……。
「……どうしてそんなに警戒してるの?」
強く抱きしめられる。
紫耀は昔からなんにでも強くて、いつもおれを守ってくれた。
……なんでって……この歳にもなっていきなり抱きしめてくるなんて、おかしいし、恥ずかしいだろ。それに、
「お前が距離近いからだろ! おれはもう子どもじゃねぇ」
「いつものことじゃん。別に良いでしょ。寂しかった分俺に構ってよ」
まるで子ども扱いするかのようにおれの頭を撫でた。
……余裕そうな顔しやがって。 まじでどうしちまったんだよ。寂しいとか、構うとか、いきなり抱きしめてきたりして。
「いや、そうだけど。子どものときみたいにするなって」
「俺は好きだったけどなぁ……子どもの頃からずっと、蒼空のこと」
「……は?」
言葉が止まる。
いつもそんなこと全く言わない紫耀が、あのみんなの王子様の口から、そんな言葉が出るなんて。
おれの顔を見ながら微笑まれる。驚きのあまりおれは彼から逃げるように離れた。
変なことを言われたせいで、見る顔がねぇ。
本当に紫耀は昔から人をからかうのが好きだな。……特におれを。まぁ、そのせいでモテてるんだろうけど。色んなやつ誑かしてきたんだろうなぁ。これこそ八方美人というやつなのか。
「お、お前、急に恥ずかしいこと言うのやめろよ……からかうなっての」
「蒼空……」
彼は一瞬顔を赤くしたあと苦しそうな、辛そうな表情をした。おれから身体を離して、俯く彼。
いつまで経っても、わけわかんねぇヤツ。
からかうのはいつものことだけど、今のは……なぜか、ふざけているようには聞こえなかった。子どもの頃はよくおれに「かわいい」とか、「好き」とか言ってきたけど、それは子どもだったからで。
「ほ、ほら、早く行くよ! 着替えてきて!」
「お、おう……」
朝の光が廊下のガラスから差し込んで、俺たちの影を長く伸ばしていた。
……胸が痛いような、ざわつくような。その感覚の名前を、おれはまだ知らねぇ。
教室に着くと、一気にクラスのやつらがおれに振り向く。
ちなみに、教室まで紫耀がなぜか送ってくれたという……また過保護な一面を見せた紫耀。よくわからねぇ発言をまるでなかったかのようにいつも通りになった。
あいつは昔から不思議だ。怖いもの知らず……というのか、誰に対してもひるむ様子を見たことがない。メンタルの強さが化け物だ。
「蒼空〜! おはよぉ」
「……うわっ! ……って莉音?」
席について、窓の外をじっと眺めていると、藤莉音──クラスの中では仲が良くて、頼りにしているやつ──が飛びついてきた。
「えへへ〜びっくりした?」
おれの首に腕を巻き付けてきた莉音。息が耳に吹きかかってくすぐったい。
こいつはムカつくしウザイけど、優しいときもあるし、ときには強い。その割には、誰に対しても距離感がバグっていて、意外と……いや結構モテる。どうやらギャップがかっこいいらしい。まぁ、確かにおれも嫌いではねぇし、何かと助かっている。
「はぁ……ねぇ蒼空」
「ん?」
難しそうな顔をして、口をモゴモゴと動かしている莉音。
……やたら今日は静かだな。おれから腕を離して、見つめてくる瞳は不安げに揺れている。
「あ、あのさ……せ、生徒会、入ったんだってね……?」
服の裾をぎゅっと握りしめ、苦笑いをしている。どこか、何かを堪えているかのように。不思議に思いながらも、「あーそうなんだよね……」と返した。
強引に推薦されて、わけのわからねぇまま入会したけれど、別にいやってわけでも、後悔もねぇ。おれが素直になれねぇだけで、紫耀を傷つけたことだってたくさんあったし……助けたかった。
「本当、天性のお人好し……な、何かあったら僕に言ってね!」
「お、おう……! ありがとな!」
満面の笑みを見せた莉音は、やっぱり何かを隠しているようだった。
「今日は朝礼だぞ〜! 体育館に行けー」
先生が教室で、でかい声を出しておれの肩を叩く。
……あ、そうだった。今日の朝礼で、おれあいさつしねぇといけねぇんだった……って言っても、何話せばいいんだ?
「それでは、蓮水学園朝礼を始めます」
生徒会役員として、体育館のステージの上で紫耀を見つめる。教室を出るときに生徒会役員の人に、腕を引っ張られ、今に至るのだ。
──やっぱり紫耀はすげぇなぁ。全校生徒の前で、堂々としてられるなんて。
どうして、紫耀はおれなんかを推薦したんだよ……。絶対に信頼できる人って以外にも理由はあったと思うんだけど。
……あれ、いつからそんな遠い存在になったんだっけ。
「──これで、文化祭についての説明を終わります。最後に、会長推薦の新役員が入会しました」
「蒼空っ」
……えっ? 紫耀が小声で手招きする。
あ、もうおれの出番なのか。ボーッとしてて、なんも話聞いてなかったな。
一歩前に出て、ステージのしたの生徒を見下ろす。
……うわ。なんでこっち見んだよ。まぁそりゃそうなんだけど。
「ぇっと……こ、この度しょ……会長の推薦で入りました。桜河蒼空、です……お願いします……」
手と脚が震えながらも、お辞儀をした。そして、素早く奥へとはけていく。緊張で心臓バクバクだ……。
「お疲れ様」
紫耀が肩を叩いて微笑んでくれる。
今日の紫耀はカンペキな会長モードらしく、眼鏡をつけている。真面目さを見せつけたいんだろう。……まっ、本当は真逆だけどな。
「お、おう……」
下からの威圧が……。
まさかおれがあんな言葉遣いをするなんて、と莉音たち……クラスの奴らは思っただろう。
「ちょっと待って」
司会から強引にマイクを奪い取って生徒たちの方を向いたのは紫耀だった。
「蒼空に近づいたりしたらダメだからね」
……は?
微笑みながら生徒たちに言い放った。
何を言っているんだ。バカなのか……。
「これで今日の朝礼を終わります」
最後に、誰もが釘付けになるような笑顔を浮かべた紫耀。この体育館内には、黄色い悲鳴が上がっている。
……いつも思うけれど、紫耀の笑顔、目が笑ってねぇんだよなぁ。ひとりそう思って、苦笑いする。
「さっ、俺たちも戻ろうか」
何事も無かったかのようにおれのほうを見て、さっきとは比べ物にならないくらい、爽やかな笑みをみせた紫耀。
……いや、これはおれに向けられたものではない。うん、きっと。いや、絶対。そうじゃねぇと困る。
帰りのホームルームの時間、文化祭でメイドカフェをやると決まってしまったので、仕方なく手伝う。
……まぁ、ほとんどおれは何もしてねぇんだけど。
最初はやりたくねぇって思ってたけど、発案桜河なんだからやれぇって、しつこく野次を飛ばされて。まぁ事実だから仕方ねぇんだよな。
別に、めんどくせぇだけでいやなわけではない。おれは自分でやったことは最後まで責任持ってやるタイプだと勝手に思っている。
ため息をつきながらも、ダンボールを運ぶ。
……あぁ、今日から放課後生徒会行かなきゃなんだった。めんどくせぇけど引き受けたからにはしっかりやらねぇと。
「……はぁ」
「蒼空、今日ため息多くない? 大丈夫?」
莉音と一緒に教室まで使うものを運ぶ。これをずっとやってるわけだ。実質おれたちはパシリみてぇなもんだよな。
「……大丈夫だ。あ、おれ今から生徒会行かなきゃだから、後はよろしく! じゃぁな!」
「……ぇあ、また明日!」
莉音が見えなくなるまで手を振ってくれた。
クラスのやつらに罪悪感を抱きながらも生徒会室へ早足で向かう。
なんか、莉音って、紫耀によく似てんだよな。優しさとか、たまに見せる素とか。
そんなことを思っていたら、生徒会室の扉の前まで来てしまった。
「ふぅ……」
緊張で押しつぶされそうになりながらも扉を開く。そこには、明るく照らされた長テーブルが置いてあった。
「あ、あの……こんにちは……桜河です……」
本当におれすげぇキャラ変わったと思う。
生徒会室の入口の前でお辞儀するけれど、みんな忙しいのかおれのことをちらりとも見ない。
これ、入ったらいけねぇ空気だったのか? とりあえず、ここで待っておくか。文化祭も近いし、忙しいだろうな。
「あ……もしかして新人くん?」
「あ、はい……」
扉の前で突っ立っていたら、ひとりの女の役員──確か、今日朝司会をしていた、副会長の七瀬先輩だ──がおれに気づいて話しかけてくれた。
眼鏡をかけていて、紫耀より生徒会長らしい姿をしている。真面目だし、美人って有名だ。
「ここが君の席だよ。それとここが資料室で、ここがね……」
丁寧に教えてくれる七瀬先輩。
絶対この人が生徒会長になったほうがいいって。紫耀と性格真逆だろ。
内心で大丈夫なのか……とため息をつく。紫耀はいつも軽いし、チャラいし、ちゃんと仕事やってんのかよ。
「ありがとうございます」
そういえば、ふたりで副会長やんのかな? 紫耀におれは副会長になれって言われたけど。
「言い忘れてたけど、わたし七瀬みどり。これから副会長として、ふたりで頑張っていきましょうね」
ガッツポーズをして微笑んだ七瀬先輩は、他の役員さんに呼ばれて資料を取っていった。
さてと、おれも仕事するか。とりあえずここの資料を……。
指定された席に座って、指定された資料を見つめる。
黙々とパソコンとにらめっこして進めていると、誰かがおれの資料の半分くらいを手に取った。
透き通る白い肌に、細長い指の手が触れられる。
「……え?」
顔を上げると、見慣れた顔の……紫耀がにっこり笑っておれの仕事をしようとした。
「蒼空初めてなんだし、こんなに仕事しなくていいよ。俺も手伝うから」
彼の机を見ると、ひとりで大量の仕事をしようとしている。それに加えて、おれの仕事もしようとするとか、お人好しすぎだろ。
……はぁ、前言撤回。七瀬先輩のほうが何倍も生徒会長になったほうがいいと思ったけど、紫耀がこんだけ大量に仕事してるなんて知らなかった。生徒会長として、頑張ってるんだな。流石、理事長の息子。いや、関心してる場合じゃなくて。
「お、おれも手伝うから……!」
慌てて席を立ち上がり、紫耀の資料を少し手に取る。
……多すぎだろ。これ毎日やってんのか? この学校のことを考えて、頼られるのが好きなのは昔から変わんねぇし、紫耀の良いところではあるけど……。頑張りすぎるとぶっ倒れる気がする。別に、心配とかじゃねぇ。倒られたりしたら困るだけだし。
「蒼空……ありがとう」
「別に……」
「やっぱり蒼空は──」
「……ん?」
紫耀のほうを見ると、なぜか耳まで真っ赤にしていた。思わず首を傾げる。
七瀬先輩やほかの役員さんたちのほうを見るけれど、みんな何かを察したのか、呆れ半分でため息をついている。
この中でわかってないのおれだけ!?
「大丈夫、桜河くんは知らなくていいよ」
なぜかニマニマしながら、おれと紫耀を交互にみつめる七瀬先輩。
生徒会はすげぇピリついてるって噂あるけど、もしかして違うのか……? おかしな世界、と首を傾げた。
一、二週間くらいだろうか? そのくらいの日が経って、イチョウの葉が色付いてきた頃。
生徒会の仕事にも、なんとなく慣れてきた……と思っていた。
毎日のようにある書類の整理、会議の準備、文化祭の段取りや生徒会主催の後夜祭の準備など。やることが多すぎて疲れが溜まりすぎている。
紫耀はどんな仕事でもスマートにこなしていて、おれはついていくのがやっとだった。でも、それ以上に困っていたのは……。
「……紫耀、だから近いって」
「このくらい、普通でしょ?」
「いや……」
おれの肩に自分の顎をのせるようにして、紫耀はさらりと言った。すぐ隣で、紫耀の指がプリントを指し示す。
集中できねぇ。それに、毎日この調子だ。自分の仕事しろよ!!
「そーら、なんで俺と目合わせてくれないの?」
紫耀が至近距離で耳元に囁く。そして、肩を引っ張られ、強制的に目を合わせられる。
あと少しで、顔が触れてしまいそうなくらい、近くで。
……ここ、生徒会室だぞ? 何やってんだこいつ。
目を合わせるのがなんか気まづくて、目をあちらこちらに泳がせてしまう。
「ねぇ、なんで警戒してるの?」
「そ、れは……」
……近い。
七瀬先輩たちに助けを求めようと視線を動かすけど、一瞬ニヤつかれて、また仕事顔に戻ってしまった。……先輩たちも様子が変だ。
「紫耀、まじで離してくんね?」
「なんで?」
「はぁ……?」
彼の目は、なぜかいつもより優しくて、甘くて、誰もが目を逸らせねぇ。
「まぁそんなとこもかわいいけど」
「黙れ!!」
いつまでこのままなんだよ。気まづすぎだろ。
「仕事してぇんだけど」
「そんなの俺がやってあげるって」
「何言ってんだよ。まだお前のとこ大量にあるだろ」
全部紫耀がやるって、なんのためにおれ入れたんだよ。おれいる意味なくねぇ?
いい加減見てられなくなったのか、役員さんが紫耀に注意して、肩を落としながら自分の机へ戻って行った。
やっと解放された……。最近の紫耀は前以上に阿呆になったと思う。認めたくねぇけど頭脳の方じゃなくて。生活面とかひとに対してとか、言っていることがおかしい、というかバカになった。……ちょっと可哀想だから天然と言っておこう。
「会長。例の件、どうされるおつもりですか?」
七瀬先輩が、少し躊躇いながら紫耀に問いかけた。ふたりとも、険しい顔をしながら話している。
例の件? なんだそれ。
「あぁ……それならもう手は打ってあるから心配しないで」
「そうですか。よかったです」
おれは昔から地獄耳なので、ふたりの話し声が聞こえてしまう。盗み聞きみてぇでいやだな。いやもう盗み聞きしてんのか。
……でも気になるな。 いても至ってもいられなくなり、紫耀にできた資料を渡す、というていでさっきの話を聞きに行こうと席を立つ。
「なぁ紫耀、さっきなんの話してたんだ?」
資料を渡しながら問いかける。
「えっ! もしかして俺に興味持ってくれた!?」
「んなわけねぇだろ。バカか!!」
「残念」
話しかけたと思えば、紫耀の顔は明るくなるけど、おれの中でまだ疑問は消えてねぇ。
ずっと見つめていると、彼は明るそうな顔から一気に表情が曇り、深刻そうに腕を組んだ。
「まぁ、蒼空ならいっか」
「え?」
考え込んだあと、いつものように頬を上げて笑った。
「文化祭のあとに、生徒会主催の後夜祭があるのは知ってるよね」
「うん」
そう。ここの学園は、理事長がイベント好きなので、後夜祭などを本気でやるのだ。
「それで使うものとか、ステージに立つ人とかの順番を決めてたんだけど、何かの手違いがあったみたいで」
あははと乾いた笑みを零す彼。
「そうなのか……」
「でも大丈夫! 俺がなんとかして、計画通り……にはいかないかもしれないけど、困らせないようにするから」
いつも、こういうトラブルは紫耀がひとりでやってるのか? 全部全部、問題事は紫耀が解決して先生に伝えて。
流石にひとりでここまでやらせるわけにはいかねぇ!! おれも何か手を打たねぇと。その……生徒会長を支えるが副会長の仕事だし。
「おれも。おれもその案件一緒にやる」
「え?」
「紫耀ひとりにやらせるわけにはいかねぇから。明日実行委員の先生に話してくる」
「蒼空……」
紫耀の隣に座ってパソコンを動かそうと思えば、彼はポカンと口を開けておれを見つめる。ずっと見ているもんだから、逆に怖くなってチラチラと見る。
「ありがとう蒼空」
「別に。おれらもいるんだから頼れよ」
他の役員さんたちのほうも見るけど、ふたりだけの空間に邪魔をしてはいけねぇと思ったのか、無反応で終わってしまった。
「ぜってぇに成功させような!」
不安にさせねぇように、いつもは見せねぇ微笑みを作って声を放った。
「……っ」
その瞬間にこの場の動きが止まり、役員たちがおれをずーっと眺めていて、紫耀に至っては歯を食いしばっている。おれだけがこの状況を理解できていねぇみたいだ。
「どうしました?」
応えを求めるように首を傾げると、紫耀以外の役員さんはさっきのことがなかったかのように、一瞬で切り替えて戻ってしまった。
なんだったんだろうか。隣の変人はずっとパソコンのマウスを握りながらおれを見つめているし。頭にはてなを浮かべながら、パソコンに視線を戻す。
「ねぇ蒼空、もう仕事終わったし帰ろう?」
「……は?」
なんの前振りもなくいきなり話かけてくる紫耀。そして、おれの肩を引っ張って生徒会室を出ようとする。
いや何してんの? おれまだ終わってねぇんだけど。
「ちょ、お前っ……あ、おつかれ、さまです……」
先輩たちにあいさつをして、引っ張られるがままついていく。
ずっと腕──途中から手を握られて廊下を早歩きに通る。
通りすがる人みんながおれたちを見て、目を見開いていた。多分、紫耀のファンだろう。
でも、それよりも紫耀の様子が変で心が落ち着かなかった。……心配だとかそういう話じゃねぇけど……。
見る限り怒っているようで、仕事をしすぎて疲れてしまったのかと思った。
「なぁ、紫耀」
「ん?」
「なんか怒ってるか?」
「……えっ」
おれが何かしてしまったのかという不安が頭をよぎる。
彼は目を大きく見開いて固まってしまった。こういうときに、ふたりだけ時間が止まったかのように沈黙が流れるのは珍しいことじゃねぇ。大体おれが隠し事をしているときに、問い詰められて沈黙が続くが、今日は……紫耀がおれに隠し事をしてるみてぇだ。
「おれ、紫耀になんかしちまったか?」
腕を離して、背を向けられてしまった。まるで、捨てられた犬のようにしょぼくれている彼は肩を落として、大きなため息をつく。
……本当に昔から意味わかんねぇやつだな、ということは一旦置いておいて、言葉をそっと待つ。
紫耀は昔からずっと良いやつだった。だから何かをされても、言わなかった。傷つかねぇように。自分は傷ついているのに相手には何も言わねぇ。ただ優しく微笑むだけ。周りのことばっかり優先して。
ちゃんと言ってほしい。紫耀がひとりで何かを抱え込んでいるのなら、おれだって力に……。
「……ねぇちょっと、屋上行かない?」
「え?」
その場の空気を変えるように、微笑み出され、腕を引かれる。
いきなりなんだ? さっきの儚げな背中はどうした。一瞬焦った思いをしたのを返してほしい。
腕を引かれ、階段を登っていく。一体何をする気なのか。
「ここ、屋上」
頭の上にはてなマークをつけているおれとは裏腹に、キラキラと王子の雰囲気をまといながら鍵を開ける紫耀。
……今思ったけど、屋上って立ち入り禁止じゃなかったっけ。何も気にせず入っていく彼を慌てて止めた。
「紫耀、お前なんで鍵持ってんの」
冷や汗を垂らしながら服の裾を掴むけど、当の本人は「なんでそんなに慌ててるの?」とでも言いたそうな顔。
「あー……。父さんに頼んで作ってもらったんだ」
「まじかよ……」
キラン効果音のつきそうなムカつくウィンクをして、嫌味ったらしいことを言われる。
金持ちはやっぱり恐ろしい。ずっと一緒にいたら金の使い方間違えそう。
「開けるよ」
微笑ましそうに勢いよく屋上の扉を開ける。
扉の隙間から風が吹き込んで、おれたちの髪をなびかせた。
「うわっ!」
扉の向こうには、夕焼けで真っ赤に染まった大きな空が広がっていた。
紫耀は、おれにこれを見せたかったのか……。確かにすげぇけど。いきなりここまで連れてくるなんて。まだ他に理由がある気がして、胸の中がゾワゾワと音を立てる。少しだけ期待の意味も込めて。
「本当は青い空見せたかったんだけどね」
苦笑いしながら、ベンチに座る。
でも……。
「なんで急に?」
「この景色、蒼空にも見せたかったからだよ」
「え?」
「蒼空が、大事だから」
夕日の下で微笑む紫耀の顔はやっぱり赤い空に似合っていて直視できねぇ。眩しくて、なぜだか紫耀の顔が遠く感じて。
本当に絵になるなぁ。おれがそこで微笑んだってただの芋だろう。……まっ、おれがこいつの前で笑顔になることなんてさっきので最後だろうけど。
それなのに、それなのに。おれのこと大事とか言って。なんなんだよ。どうしてそんなにおれのこと大事にできるんだよ。おれの親ですら、大切にしてくれなかったのに。
長年一緒にいるくせに、そうやって思ってもねぇこと言っておれに優しくして。お世辞もいい加減にしろよ。
「大事な人とは大事な景色、分かち合いたいでしょ?」
「……あっ」
ベンチにもたれかかっているおれの手を優しく両手に取り、握ってきた。
紫耀はよく笑う。だから時々不安になる。心配になる。無理をしてるんじゃねぇかと、体調を崩すんじゃねぇかと、心配だ。
紫耀がおれに見せる笑顔はいつも偽りなんかじゃねぇ。大事っていうのも嘘じゃねぇ、のか? そうだったら嬉しい、なんて幼なじみだから当然か。
「ねぇ、まだ気づかない?」
「えっ……?」
大きな瞳が寂しそうに、悲しそうに揺れながらおれを見つめる。だけどどこかに、期待の眼差しもあって。
……気づくことなんてなんもねぇけど。言っている意味がさっぱり分からなくて、答えを求めるように首を傾げる。
「俺の気持ち。まだ気づかない?」
「気持ち……?」
紫耀の瞳からは期待の色が消えていて、呆れて諦めかけている。ため息をついたのもわかった。
紫耀は呆れているのにおれの頭の中は、はてなマークで溢れかえっている。
「はぁ……流石に鈍感すぎるのにも程があるよ。いい加減気づけよ」
「は? は……?」
顔を近づけられ、耳元にいつもより低くて少し怒ったような声で囁かれる。
……本当に何を言ってるんだ……。説明してくれよ。
独り固まって、口を開けたり閉じたりしている中で、紫耀は決意を固めたように深呼吸をしておれの眼を真っ直ぐ見た。
夕焼けのせいなのか、紫耀の顔が赤い。
「……好きなんだよ。ずっと」
「何が?」
「蒼空のことが、ずっと昔から」
「……は」
一瞬頭の中が真っ白になる。一気に脳みそにある情報を消しゴムで消されたみてぇに。
何秒かフリーズして、ようやくおれは意味を理解した。
「は、はぁぁああ!?」
「だからさっきみたいに俺以外の前でかわいい笑顔見せられると困るんだよね」
ちょっと……何を言って、るんだ? 頭と心がぐるぐるして、落ち着かねぇ。
突然すぎることもあり、慌てて立ち上がって走り出し屋上を出た。
「ちょっと蒼空!?」
あぁもうなんなんだよ!! 寮に向かって走るけど、どうせ部屋は隣だから意味ねぇんだよな。
何もかも訳わかんなくて、無我夢中で学校を走る。
……好きって、そういう意味で? 紫耀はずっとおれのこと……。
くっそ、わけわかんねぇ!! いっつもあいつはいきなりすぎんだよ。ふざけてるとかじゃなくて本当に。紫耀の目にはおれはどんな風に見えているのか。
紫耀がおれを見る目は、おれが紫耀を見る目と違うということは、前々からわかっていたつもりだった。だけどまさか恋愛的に見られてるとは思わねぇじゃん?
頭を抱えながら寮に入る扉を開いて、部屋まで向かおうとしたとき。
「蒼空……!」
聞き慣れた、少し息を切らした声が後ろから響く。
なぜだか後ろを振り向けなくて、その場に立ち止まって固まった。
「ごめん。変なこと言って」
今紫耀がどんな表情をしてるかなんて見なくてもわかる。普段は温厚で、笑顔を絶やさない軽いやつだけど、悪いと思ったことは絶対に謝ってくれるし、真剣に話を聞いてくれる。ちょっとムカつくけどいいやつなんだ。……なんだけど、いきなりあんなこと言われたらおれだって動揺しちまう。
ギュッと拳を握りながら次の言葉を待つ。
なんでおれはこんなことしてんだ。おれも何か、言葉をかけねぇとなのに。口を開けようとしても、声が喉の奥でつっかえて出ねぇ。
「……急に言われて混乱しちゃうのも無理ないよね」
何か、何か言わねぇと……!!
後ろから足音が聞こえて、紫耀が近づいてくるのがわかる。
頭ん中がぐるぐるして、まだ整理がついてなくて、おれはただ背を向けたまま立っていた。
「んだよ」
「え?」
「……どういう意味の好きなんだよ」
ゆっくり振り返りながら、喉の奥につっかえていた声を出す。
第一声があんな台詞じゃ困るだろうな。
おれは言葉選びが苦手だ。昔からそのせいで色んな友達を失ってきたけど、紫耀だけはなぜか離れようとしなかった。その、"なぜか"の意味が、今やっとわかる。
目を泳がせながら、冷や汗を流し、問いかける。
やっぱり、おれ変なこと言ったよな。そうだよな、ちゃんと誤魔化さねぇと。
勝手に慌てていると、顔をほんのり赤くした紫耀が微笑む。
紫耀の口からはおれが想像もしてなかった返答が返ってきてしまった。
「そりゃあ。蒼空がかわいくて仕方ないって意味だよ?」
「…………は?」
さっきからおれの頭の中は、わからねぇで埋め尽くされていく。
紫耀が壊れてしまった……。こんなの全校生徒に知られたら飛んだもんじゃねぇ。意味不明に険しい顔をされて、今日で一番の大きなため息をつかれる。
「はぁぁ……なんでそんなに自覚ないかなぁ」
「……え? は? ちょっ……!」
えぇと、今の状況は……。生徒会寮のドアの角で、壁に追いつめられて、壁ドン……? され、た……。
「お、お前何して……」
おれをじっと見つめてくる紫耀。
困惑しすぎて、逃げるにも、あしが動かねぇ。震える。
「流石に無自覚すぎて怒ったかも」
「え……?」
顔が、もうセンチもないくらい近ずいてくる。
……無自覚? 何を言っているのか、わからない。
そして、唇が近づいてきて。
「……だぁぁぁ!! 何してんだよ!!」
流石にこの状況にはいても至ってもいられなくて、顔を逸らし、手を前に出した。
顔が真っ赤だって見なくてもわかる。なぜかはわからねぇけど。
急に顔を近づけられて、困惑しないやつはいねぇ。よっぽどの変人じゃなければ。
「意地悪してごめん」
「別に……」
「でも、俺本気だからね」
「え……」
壁から手を下ろして、透き通る瞳に真っ直ぐ見つめられる。
別に……おれは、紫耀のことは友達として、大……嫌いじゃねぇけど。
恋愛は興味もねぇし、こんな性格、顔で、告白されたことも、増してや人を友達以上に好きになったこともねぇ。
「……おれ恋愛とか、わかんなくて……誰かを好きになったことなんてなくて……その……」
あぁ、なんでおれは、素直になれねぇんだろう。いつもそうやって恥ずかしがって、また誰かを傷つけて……。ただ、ただ、謝りたいだけなのに。告白されて、困惑して……。
「いいよ。元からそう言われると思ってたし」
可笑しそうに笑う彼の顔は、やはりこれでも絵になる。これこそが本当の王子様というのか。
「でも、蒼空が俺のこと好きになってくれるまで、俺諦めないから」
「え……?」
体が離れて、真剣な眼差しを受けながらまた微笑む彼。そしてまた頭を撫でられて顔が火照る。
「絶対に俺が蒼空のこと奪うから覚悟しておいてね」
「えっと……」
最後に、圧をかけるような笑顔をみせた紫耀は、流れるように自分の部屋に入っていった。
その場に残されたおれは呆然と立ち尽くしていた。
「ま、まじでなんなんだよ……」
平凡なおれの学校生活は、どうやら平凡ではなくなりそうです。
