川鳥の死を告げられたその週の終わり、私は彼の家に向かった。
生前仲良くさせてもらっていたことを伝えるとげっそりとした父親が家に通してくれた。
玄関に靴が一つだけと言うことは今、この家にいるのは父親だけ。
母親はいるらしいけれど、外出中だろうか。
夜、深夜徘徊していた川鳥は法定速度を四十キロオーバーした車に撥ねられ即死。
車につけられているドライブレコーダーには、信号機が赤だったらしい。
つまり、川鳥は信号を守っていた。
深夜徘徊した経緯は定かではないが、父親曰く外に行く彼を見送ったと言うのが本当のところだそうだ。
「葬儀は週末に行う予定です。だから、まだ、仏壇はない、です」
眠れていないのか、父親の目の下にはくまができていた。
私自身、眠れていない。
死亡した当日の夕方、私は彼に会っている。
二日も学校を休んでいる彼が心配になって、家にお邪魔した。
会った最初から風邪ひいてなさそうなのはすぐに理解できたけれど、何がきっかけで彼が休んだのかまではわからなかった。
少し踏み込んだりもしたけれど、結局、彼は口を割らなかった。
これ以上話しても無駄だと気づいて、家を出た。
無理矢理でも話を聞いていたのなら、また未来は変わったのかもしれない。
「家の中、綺麗に保ってるのは、綺麗好きがいるからでしょうか」
あまりにも綺麗なこの家。
ダンボールが積み上げられているリビングは、片付けというより断捨離に近いものを感じる。
「引っ越すんです。来週には別の家を借りる予定でした」
「引越し?」
思い返してみれば、川鳥は引越しの話をしなかった。
彼の部屋の中は、生活感が溢れていて、引っ越す様子を微塵も感じない。
「雄哉は渋っていました。引越しには反対だと。恥ずかしながら、離婚するんです。別居しながらでも調停はできるので。引越しも離婚も反対し、悩んでいる様子はありました。LINEで喧嘩になることもあったので、一度ちゃんと話を聞こうと思っていたところで……」
彼の父親は、後悔している様子だった。
自分が話を聞いていたなら、と私と同じ気持ちなのかもしれない。
「雄哉は、どんな人でした?学校で、迷惑かけてないですか?」
どんな人、そんな言葉を聞いてすぐに返す言葉が見当たらなかった。
「明るい人だと思ってました」
過去形なのは、今ではもうそんな明るさも偽物なんじゃないかと思えてしまうから。
「ずっと面白くないダジャレいって、ケラケラ笑うような人で。でも、人の繊細な部分はすぐに気づく人。彼は、繊細だったのかなって今は思います」
今更気づいた彼の内面。
言葉にしたら、余計に過去の行動一つ一つに理解が生まれた。
彼が問題に突っ込んでいくのは、彼にしか気づけないものがあると思っていたからなのかもしれない。
ならば、どうして彼は自分一人で背負おうとしたのか。
あとは任せてなんて、余裕のある人の言葉に聞こえるけれど、実際はそうじゃない。
確かに、曽我の一件は解決に向かってる。舞との話し合いも始まって彼女の歪んだ愛情に彼は驚いている一方だった。
いまだに舞と呼ぶのはいかがなものかと思うけれど、元カノだったわけだし、仕方ないのかもしれない。……仕方ない?
被りを振って次を考える。
磯野の一件もそうだ。
彼は磯野に連絡をし続けていたらしい。
どうやったら学校に来るのか。先生が考えることにも思えるけれど、生徒間の方がやりやすいと思ったのかもしれない。
彼が磯野と私、クラスメイトの潤滑剤になると言う考えではないようだった。
一人で解決しようという気概はあの時もあった。
彼のようなクラスに馴染んでみんなと良好な関係を築けているのだから、潤滑剤として動いた方が先生も動きやすかったのだろうと結果を見た今思う。
そして、上山が相川らに使われていた件も彼が解決した。
相川らとも仲のいい彼だったから、上山のことをなんと言って執着を解消したのかまではわからない。
だけれど、少なくとも言葉のあやを巧みに利用したのだろう。
彼女たちはあまり頭も良くないし、勘も鈍い。
その辺も彼は理解していたのだろう。
だが、全部が全部彼の成果じゃない。
彼がもし周りをちゃんと見ていたら、使える駒がいくらでもあると言うことに気づけたはず。
単騎で一本の勝利を勝ち取りたかったのだろうか。
そんなふうには、見えなかった。
何かを求めていて、その何かが一切わからないまま、解決してしまって、何かをまた求めているような。
問題解決が彼の求めたものじゃないと言うのは確かだった。
「彼は、繊細さに気づいて欲しかったんでしょうか」
まともに彼の父親の問いに答えなかったくせに、質問を投げかける。
「明るくしていれば、繊細な部分を見せなくていいから」
でも、そんなことしたら後で繊細な部分が爆発して、動けなくなってしまわないだろうか。
彼が学校に来れなくなったのは、そんな繊細さが爆発してしまったからなのだろうか。
なら、彼は誰も信じていなかったのか。
信じていないから、相談する相手も信頼に値する相手も見つけられなかったのか。
最初から誰にも心を開いていなかったというの?
わからない。考えれば考えるほど、彼の行動理念がわからなくなっていく。
信じてもない相手のためにそこまで動けるもの?
「私にはわからない。雄哉の気持ちを今となっては知る由もない。私はもう部屋に入ることさえ怖くなっている。よかったら、部屋の中見て行きますか?そしたら、もしかすると何かわかるかもしれない」
「……いいんですか?」
「何かわかったら教えてください。私は、医者として体の不調の原因を突き止められますが、心理だけはわかりません」
立ち上がり、部屋を案内される。
扉を開けたそこには生活感がまだ残っている彼の部屋がそこにはあった。
父親は部屋を見向きもせずリビングへと戻っていってしまった。
部屋に入るには少し気持ちが欲しかった。
彼の気持ちがここにあると思うと踏み込む勇気がいる。
土足で踏み込んで亡き彼を傷つけてしまわないだろうか。
そんな思いを掻き消すように頭を振る。
意を決して足を踏み入れた。
彼の匂いはしない。
形あるものだけが残る。
突然の死を前に人は大切なものに気づけない。
何を大切にしていたのか。
不意に思い出す彼の言葉。
彼がいつか放った言い分は、忙殺の日々にかき消されていた。
『誰にでも優しくしてたらいつか酷い目に遭いそう。そーゆーの利用して都合よく使うクズっているじゃん。それが曽我だったら』
曽我を想っていた時期は確かにある。
だから悪く言わないでと言った覚えもある。
元カノの名前をいまだに言う彼にイラッとしたこともある。
だけど、彼がクズじゃないのは知っている。
ただ恋愛に疎いだけの男の子。
恋がなんなのかよりも損得勘定で動いている人。
私と付き合うメリットよりも友達でいるメリットの方が大きくて、最近それに私も気づいた。
一方で川鳥はどうだったんだろう。
恋をどう捉えていたんだろう。
私に告白したこと後悔している様子があった。
友達でもない他人になったほうが自分は綺麗さっぱり終われると言っていた。
友達のままの方が苦しいと逆説的に言っていたことになる。
私が曽我に思っていたことと同じだ。
彼が死んでから気づくなんて、なんだか嫌だった。
共通点なんてないし、クラスでの立ち振る舞いも違う彼とは似合わないんじゃないかと告白を断ってしまったから今更少し悔いている。
彼が人の変化に敏感だったりするのは繊細だからなんだろうか。
言葉を聞いて表情を見て常に考える彼の姿勢を隣で見てきたのにこれもまた今更気づいた。
彼は結局のところ人に好かれて何を求めていたんだろう。
机に置かれた参考書が目に入る。
恋愛心理や犯罪心理、日常で使える心理学などの本が平積みにされている。
付箋が貼ってあってその隣にはノートが開かれてまま。
もしかしてと思い、参考書を開く。
同じ色の付箋がノートにも貼られている。
深く知りたいのか、それとも心理に対する理解を点と点を線で繋げるよう。
疑問に思ったこともそのノートには書かれている。
以前、彼は心理学を勉強したいと言っていた。大学に進学する確信的な理由。
ここまで独学で勉強しているにも関わらずまだ何かを知りたいらしい。
勝手に椅子に座り、ノートと参考書を照らし合わせていく。
彼が何を知りたかったのか、日が暮れていることにも気付かぬうちに私はある答えが見えてきた。
それは、彼が求めている答えには一切辿り着いていないと言うこと。
恋と愛の違いがわからないと必死になっているのだろうことは理解できた。
ノートの一ページ目から恋について書いてある。定義が書かれていて、その下には心理状態を表す文章まで書かれていた。
手探りに恋について細分化している。
棲み分けできるのならとページを開けながら書いてあるのもまたそれを裏付ける証拠。
犯罪であるストーカーについても恋が拗れる原因も全部、書き切っている。
そこでもう一つのノートに気づく。
開いてみると愛について書いてあった。
恋と同様に定義も心理状態も書いてある。
納得がいかないのかどう言う状態になれば愛を感じるのか、愛を知るとはなんなのか、まるで哲学の域にいるような文章の羅列。
何をどうしてそこまで考えてしまうのか。
疲れるだけだし、考えれば考えるほど芋蔓式にまた考えてしまって苦しいだけなんじゃないだろうか。
そんな苦しさを得てまで欲しかった答えを彼は得られたのだろうか。
ページを捲り続けると真っ白なページが残った。
前のページに戻る。
彼が最後に書いた言葉は参考書の文だった。
愛とはなんなのか。
理屈じゃないと知っていながら、こんなにも書き続けられるものだろうか。
手がかりになるものはなかった。
きっと彼の死因に直結するものはないのだろうと判断する。
それとも死ぬ間際に幻想でも抱いて、それに溺れて、死んでしまったのか。
やはり、違う。
死にたいようには見えない。
これだけの文章があって、死について一切の言及がないのだから。
死にたくて死んだんじゃない。
不慮の事故だったんだ。
だけど、愛を知っていたら深夜に家を出て一人悶々と考え込むこともなかったのも事実。
悩みがあってどうして誰にも助けを求めなかったのか。
気がつけば、私は唇を噛んでいた。
心のガードが硬い彼は、誰かに気持ちを打ち明けることもなく死んでいった。
相談くらいしてくれたらいいのにと悲しみを覚える。
あなたは誰も信じていなかったの?
部屋を見渡す。
視界が滲んでいるよう。
なんで私は今、こんなに悲しいんだろう。
自分の気持ちが初めてわからなくなっていた。
ドアをノックする音が聞こえる。
振り返れば、川鳥の父親が立っていた。
「もう遅い時間だし、家まで送ろうか」
スマホで時間を確認する。
八時を過ぎていた。
家庭のこともあるしと重い腰を上げた。
親切に送ってくれた彼の父親に礼を言って家に向かう。
玄関の扉を開けた頃に彼の父親の車は前進した。
妹たちがいつものように騒いでいる。
当たり前にこの家庭の生活は続いている。
奪われてしまった命に憔悴する彼の両親を見ていると今の私の環境は普通に思えてくる。
父親がうつ病を患いながらも戦い、子供達は笑顔を見せて玄関に寄ってくる。
「お父さんいるんだから、静かにね」
といつもの注意をすると彼らははーいと返事をする。
リビングを見渡せば何度片付けても散らかっているおもちゃたち。
彼らが寝てからこの片付けを始める。
夕飯の準備を済ませて、早く食べさせると早々に寝るように言った。
妹は渋々と二階に向かったけれど、弟は立ち止まって私を見続けた。
「何、どうしたの?」
「いつもと違う」
端的に言い当てられてしまってドキッとした。
人の変化に無頓着だと思っていたけれど、園児の彼でも見破ってしまうほど私は今ひどい顔をしているんだろう。
「違くないよ。そんなこと言ってないで、早く寝てね」
ほらほらと二階に向かわす。
だけど、彼はなかなか足を進めない。
「嫌なことあったなら言ってよ。いつも一人で抱え込んでる」
ズバッという彼の言葉にハッとさせられる。
私も彼のように川鳥に言っていれば、少しは変わったんじゃないかと。
子供が考えることにハッとさせられる日が来るなんて思いもしなかった。
いつも受け身で話聞くよなんてスタンスをとっていながら、その一歩を踏み出せない彼には言わなきゃいけない言葉だってあったはず。
「それは……」
適当に言い返すことばかりだったのに、今はできない。
見透かされてしまっては、言い返せないのは、以前川鳥にもされたことだったはず。
少し弱音を吐けるようになったからといって、成長はしていなかった。
「姉ちゃん、無理してるなら言ってよ。お父さんのこともあって言えないのかもしれないけどさ」
「……それじゃあさ、言えるようになるまで待ってね」
彼は言えるようになるまで時間がかかったとして、言える頃には死んでいた。
事故なんて滅多にあるものじゃないと分かっていながら、私もまたいつ命を失うのかを考えていない発言だった。
「ほんと?絶対だよ!」
嘘はつかないと思ってくれているのだろう。
高校生にもなれば、少なからずしがらみの渦に巻き込まれる。
どうにかしてくれる人がいるにしても、自分ではどうしようもないことだってある。
この子は、この純粋さを残して生きていけるのだろうか。
私には無理だった。
中学生になる頃には妹ができていて、高校生になる頃には弟は園児になっていた。
うつ病を患った父親の代わりにできもしない家事を必死にやった。
純粋さなんて日々の生活に忙殺されていく。
決して歪んだわけじゃないのに、軸を急いで作らなきゃならなくなった。
歪まないように、学校生活で見せる一般的な学生でいられるように。
川鳥もまた同じだったのかもしれない。
母親が帰ってきた頃、外に出ると言って近くの公園まで歩いた。
肌寒い季節になりつつあるこの時期にラフな格好で出歩いたのを後悔した。
自販機で温かい飲み物でも買おうかと思ったけれど、ベンチに腰掛けた私にそんな気力はない。
ぼーっと公園を見渡す。
昔と何も変わらないこの公園。
園児の頃はいろんな子たちと遊んだなと思い出す。
そんな余裕があるのは、川鳥の死を思い出したくないからだろうか。
逃げてしまいたいのだろうか。
逃げたっていいじゃんとか彼は言ってくれるんだろうか。
以前、委員会の集まりで彼は言ってくれてたっけ。
『全部、自分でやろうとする必要なくない?』
これやるからあれやってよと自然な会話の中で組み込んで丸く課題を解決させた彼。
いない今、私にできることってなんだろう。
「こんなところにいたんだ」
上を見上げるとそこには曽我がいた。
「これ」
ホットの緑茶だ。
「いいの?」
「そんな寒そうな格好でいるやつやばいだろ」
彼の服装は薄い長袖を着ていた。
隣に腰掛ける彼もホットの麦茶を手にしている。
私の姿を見て気にかけてくれたんだろうか。
「川鳥が死んで、みんなショック受けてる。死んでなければ、滑稽だとか馬鹿じゃんとか言って見舞いに行くこともできたのにな」
「……」
「一番ショック受けてるのは、どうやら長野だったみたいだけど」
「……そんなふうに見える?」
「見えるよ。園児から一緒なんだぜ?すぐ、わかる」
「幼馴染とかそういうの嫌いって言ってなかった?」
「嫌いだよ。全部わかるから。幼馴染じゃなかったらもう少し面倒を減らせたのにね」
ある意味ショックな私に彼は、でもと続けた。
「いてくれたから、俺は俺の知らないことを知れた。今もそうだ」
彼は私の顔を見ていたから、私もまた彼と目が合う。
「相川らがいなければ、お前はきっと川鳥に気持ちを寄せてたんだろうなってことも知ってたよ」
「………………ん?え、ねぇ、もしかして」
「お前わかりやすい方なんだけどな。相川らが気づかないのがおかしいくらい」
「全部気づいてたの!?」
「気づかないわけないだろ。あんだけ、川鳥のことぶっ叩いて、いじって。あいつ嫌がらないから良しとしてたんじゃないの?」
私が今、必死になって否定しようとしているのが答えだった。
現に隣にいる曽我に拳を当てるようなことはしていない。
「ほんとはもう気づいているんじゃないの?少しでも相談して欲しかったって、頼って欲しかったって」
「……頼ってくれないの分かっててどうしたらよかったの?」
彼のこれまでを振り返る。
「上山が相川たちに都合よく使われてた時、その友達である舞も暴走してる時、磯野も怒って学校に来なくなった時、あなたが生徒指導で教室来れなくなった時も全部川鳥が裏で動いた。相川らと仲良くできたことで沈静化できたし、舞も上山を辿って話を交渉して生徒指導室から解放された。磯野のことも彼がほぼ先陣きって私と会話する機会を設けた。磯野が学校に行きやすくなったのも彼がクラスをうまく動かしたから。前期委員長だった頃のコミュニケーション能力で全部解決した」
「……」
「そんな彼が、家庭のことを誰かに相談するはずない。彼はもう相談できる相手なんかいないって勝手に思い込んだんだ……」
「……家庭のこと?」
初耳だったようで呆けている曽我。
「私も家庭のことあるし、一緒だねとか言って少しは緩和されたりするのかなって思ったのに」
「え、だから」
「彼の家は、離婚寸前だったの!多分、離婚してほしくなくてどうにかしようって動いてた。でも、そうやって考えるばかりで周りが見えなくなってた」
「それで事故に遭った」
「私のことも友達のことも見えてなかったの!」
太ももに肘をついて両手で顔を隠した。
頼って欲しかっただけじゃない。
私のこと好きでいておきながら、カッコつけてばかりの彼が嫌だった。せめて振った後でも何かしら欲しかった。何もしないのならこっちだって困る。いらないアドバイスよりもっと好きを教えて欲しかった。
いつか見せた体調不良で保健室で寝てた彼の弱そうな顔。
一年の時も同じクラスだったからこんな顔して苦しそうにしているのが可愛かった。ギャップ萌えってやつだ。
額に手を当てればピュアな反応を見せていたから、女性経験少なそうとは思ったけれどここまで人を頼らない男子がいるとは思いもしなかった。曽我とは違う。
「……付き合ってたら、なんか変わったのかな」
そんなありもしない言葉を隣の彼は黙って聞いていた。
後悔ばかりだ。
どうにかなることもあると知れたばかりに呆気なく奪われる命に気づけないだなんて。
唇をかむ。
頬に伝うものを拭う。
それでも溢れてしまっては、拭うことも煩わしい。
ボロボロと溢れていくそれに気づかぬように空を見上げた。
田舎の空は星が綺麗だった。
月が見えないのは新月なんだと知る。
川鳥はモブなんかじゃないのにと思う。
月のように見守ってくれる人だ。
なんで、全部が今更になってしまうのだろう。
あぁ、悔しいな……。
そして、リーダーのいない修学旅行が始まった。
沖縄の雰囲気に圧倒されつつ、いつも通りの自分で過ごす。
ふとした瞬間に襲われる悲しみにもう二週間も経ったのだからと言い聞かせる。
時間は止まることなく進むのだと思い知らされる。
人が死んでもなお続くこの世界で私は一人海を見ていた。
沖縄の海は綺麗だ。
だけど、地元の海とまるで変わらない。
確かに違うのは砂浜やその辺りに佇む住まいだけ。
観光地らしく整備されている。
綺麗だなぁなんて思う反面、もし川鳥がいたのならどんなことをするんだろうと思った。
なんの脈絡もなく海に突っ込んで濡れまくってみんなを巻き込むのだろうか。
嫌がる男子も巻き込んで、そんな風に彼はやるんだろうか。
あのノートを見てから全部がキャラクターのように思えて、きっとしないんだろうなと思ってしまう自分がいる。
私はきっと今彼に理想を抱いている。
むしろそうして欲しいなんて思っている。
私と二人きりならこの海を見て私に合わせて何か話して下らない話ばかりで、でも盛り上がったりなんかして。
欲しかったのはそんなんじゃなくて、彼の本心を聞いてみたかった。
ねぇ、ここにいたならさ、あなたは何をしてくれた?
夕飯が終わり各々ホテルの部屋に戻る。
磯野が先に風呂を済ませてパックを顔にはっつけていた。
美意識があったなんて初めて知った。
私はパックなんて使ったことないなと今更思った。それがどうとか思わないけれど。
シャワーを軽く浴びてホテルにバスローブに身を包む。
彼女はパックを取り「長かったね」と言う。
スマホで時間を確認すれば1時間ほどが過ぎていた。
「私の気持ち知って気にしてる?」
彼女は私に気を遣っているようだった。
そうか、川鳥もまた私に告白してから気を遣って明るく振る舞っていたんじゃないだろうか。
「ううん、ちょっと考え込んじゃって」
「川鳥のこと?」
首を縦に振るとおいでとソファの隣に手招きされた。
横に座ると彼女は私の手に触れて甲を撫で始める。
「川鳥のこと好きなの?」
単刀直入に聞く彼女は何か見透かしたよう。
棘も感じないし、気づいていたのかもしれない。
「あれだけクラスで明るいのに大人なところあるから長野も好きになるのかなって」
「……うん」
「そっか」
「川鳥が2年の始業式に体調崩して保健室行ったじゃない?意外でさ、体調崩してる姿もすっごく苦しそうなのも。可愛く見えた」
字面だけ見ると私はとんでもないサイコパスだ。
「あの時から好きだった?」
「気になってたのかも。好きってほどじゃないけど、どうしてこんなに私のことを考えてくれるんだろうって」
元々人に指示するのは得意じゃない。
私のくせに生意気なんじゃないかと言われるのが怖かった。
しかし、彼は歯向かう人が出ないようにと動いてくれる。それを知ったのは相川らのせいだけど。
本気で私のことが好きと言うことを確信した。
私なんかをどうしてと思うけれど、いろんな側面で気にかけてくれてた。暗くならないように明るくしてたんじゃないかと体調崩した彼と会話した時に気づいた。
なのに私は相川らに脅され曽我に告白した。
彼は私の気持ちに気づいてなかったし、私はその後で彼に告白なんてできなかった。
そう言った意味では曽我は私の気持ちに気づいていた。
「四十九日でるの?」
彼のお墓に花を手向ける。
一人じゃ怖いから曽我についてきてもらうつもりだ。
「うん。最後だから……」
もういないし、話すこともできない。
これが本当の最後なんだと、冷静な私がいる。
一方で嫌だと首を振る自分もいた。
被りを振って明るく振る舞う。
「修学旅行なんだし、楽しもうよ!」
作った笑みは下手くそで視界が滲む。
「ごめん、明日早いんだし寝るね」
腰を浮かせる刹那、彼女の体に包まれる。
体の力が抜けた。
溢れんばかりの嗚咽が部屋に響く。
そんな音が消えたのはいつだっただろうか。
生前仲良くさせてもらっていたことを伝えるとげっそりとした父親が家に通してくれた。
玄関に靴が一つだけと言うことは今、この家にいるのは父親だけ。
母親はいるらしいけれど、外出中だろうか。
夜、深夜徘徊していた川鳥は法定速度を四十キロオーバーした車に撥ねられ即死。
車につけられているドライブレコーダーには、信号機が赤だったらしい。
つまり、川鳥は信号を守っていた。
深夜徘徊した経緯は定かではないが、父親曰く外に行く彼を見送ったと言うのが本当のところだそうだ。
「葬儀は週末に行う予定です。だから、まだ、仏壇はない、です」
眠れていないのか、父親の目の下にはくまができていた。
私自身、眠れていない。
死亡した当日の夕方、私は彼に会っている。
二日も学校を休んでいる彼が心配になって、家にお邪魔した。
会った最初から風邪ひいてなさそうなのはすぐに理解できたけれど、何がきっかけで彼が休んだのかまではわからなかった。
少し踏み込んだりもしたけれど、結局、彼は口を割らなかった。
これ以上話しても無駄だと気づいて、家を出た。
無理矢理でも話を聞いていたのなら、また未来は変わったのかもしれない。
「家の中、綺麗に保ってるのは、綺麗好きがいるからでしょうか」
あまりにも綺麗なこの家。
ダンボールが積み上げられているリビングは、片付けというより断捨離に近いものを感じる。
「引っ越すんです。来週には別の家を借りる予定でした」
「引越し?」
思い返してみれば、川鳥は引越しの話をしなかった。
彼の部屋の中は、生活感が溢れていて、引っ越す様子を微塵も感じない。
「雄哉は渋っていました。引越しには反対だと。恥ずかしながら、離婚するんです。別居しながらでも調停はできるので。引越しも離婚も反対し、悩んでいる様子はありました。LINEで喧嘩になることもあったので、一度ちゃんと話を聞こうと思っていたところで……」
彼の父親は、後悔している様子だった。
自分が話を聞いていたなら、と私と同じ気持ちなのかもしれない。
「雄哉は、どんな人でした?学校で、迷惑かけてないですか?」
どんな人、そんな言葉を聞いてすぐに返す言葉が見当たらなかった。
「明るい人だと思ってました」
過去形なのは、今ではもうそんな明るさも偽物なんじゃないかと思えてしまうから。
「ずっと面白くないダジャレいって、ケラケラ笑うような人で。でも、人の繊細な部分はすぐに気づく人。彼は、繊細だったのかなって今は思います」
今更気づいた彼の内面。
言葉にしたら、余計に過去の行動一つ一つに理解が生まれた。
彼が問題に突っ込んでいくのは、彼にしか気づけないものがあると思っていたからなのかもしれない。
ならば、どうして彼は自分一人で背負おうとしたのか。
あとは任せてなんて、余裕のある人の言葉に聞こえるけれど、実際はそうじゃない。
確かに、曽我の一件は解決に向かってる。舞との話し合いも始まって彼女の歪んだ愛情に彼は驚いている一方だった。
いまだに舞と呼ぶのはいかがなものかと思うけれど、元カノだったわけだし、仕方ないのかもしれない。……仕方ない?
被りを振って次を考える。
磯野の一件もそうだ。
彼は磯野に連絡をし続けていたらしい。
どうやったら学校に来るのか。先生が考えることにも思えるけれど、生徒間の方がやりやすいと思ったのかもしれない。
彼が磯野と私、クラスメイトの潤滑剤になると言う考えではないようだった。
一人で解決しようという気概はあの時もあった。
彼のようなクラスに馴染んでみんなと良好な関係を築けているのだから、潤滑剤として動いた方が先生も動きやすかったのだろうと結果を見た今思う。
そして、上山が相川らに使われていた件も彼が解決した。
相川らとも仲のいい彼だったから、上山のことをなんと言って執着を解消したのかまではわからない。
だけれど、少なくとも言葉のあやを巧みに利用したのだろう。
彼女たちはあまり頭も良くないし、勘も鈍い。
その辺も彼は理解していたのだろう。
だが、全部が全部彼の成果じゃない。
彼がもし周りをちゃんと見ていたら、使える駒がいくらでもあると言うことに気づけたはず。
単騎で一本の勝利を勝ち取りたかったのだろうか。
そんなふうには、見えなかった。
何かを求めていて、その何かが一切わからないまま、解決してしまって、何かをまた求めているような。
問題解決が彼の求めたものじゃないと言うのは確かだった。
「彼は、繊細さに気づいて欲しかったんでしょうか」
まともに彼の父親の問いに答えなかったくせに、質問を投げかける。
「明るくしていれば、繊細な部分を見せなくていいから」
でも、そんなことしたら後で繊細な部分が爆発して、動けなくなってしまわないだろうか。
彼が学校に来れなくなったのは、そんな繊細さが爆発してしまったからなのだろうか。
なら、彼は誰も信じていなかったのか。
信じていないから、相談する相手も信頼に値する相手も見つけられなかったのか。
最初から誰にも心を開いていなかったというの?
わからない。考えれば考えるほど、彼の行動理念がわからなくなっていく。
信じてもない相手のためにそこまで動けるもの?
「私にはわからない。雄哉の気持ちを今となっては知る由もない。私はもう部屋に入ることさえ怖くなっている。よかったら、部屋の中見て行きますか?そしたら、もしかすると何かわかるかもしれない」
「……いいんですか?」
「何かわかったら教えてください。私は、医者として体の不調の原因を突き止められますが、心理だけはわかりません」
立ち上がり、部屋を案内される。
扉を開けたそこには生活感がまだ残っている彼の部屋がそこにはあった。
父親は部屋を見向きもせずリビングへと戻っていってしまった。
部屋に入るには少し気持ちが欲しかった。
彼の気持ちがここにあると思うと踏み込む勇気がいる。
土足で踏み込んで亡き彼を傷つけてしまわないだろうか。
そんな思いを掻き消すように頭を振る。
意を決して足を踏み入れた。
彼の匂いはしない。
形あるものだけが残る。
突然の死を前に人は大切なものに気づけない。
何を大切にしていたのか。
不意に思い出す彼の言葉。
彼がいつか放った言い分は、忙殺の日々にかき消されていた。
『誰にでも優しくしてたらいつか酷い目に遭いそう。そーゆーの利用して都合よく使うクズっているじゃん。それが曽我だったら』
曽我を想っていた時期は確かにある。
だから悪く言わないでと言った覚えもある。
元カノの名前をいまだに言う彼にイラッとしたこともある。
だけど、彼がクズじゃないのは知っている。
ただ恋愛に疎いだけの男の子。
恋がなんなのかよりも損得勘定で動いている人。
私と付き合うメリットよりも友達でいるメリットの方が大きくて、最近それに私も気づいた。
一方で川鳥はどうだったんだろう。
恋をどう捉えていたんだろう。
私に告白したこと後悔している様子があった。
友達でもない他人になったほうが自分は綺麗さっぱり終われると言っていた。
友達のままの方が苦しいと逆説的に言っていたことになる。
私が曽我に思っていたことと同じだ。
彼が死んでから気づくなんて、なんだか嫌だった。
共通点なんてないし、クラスでの立ち振る舞いも違う彼とは似合わないんじゃないかと告白を断ってしまったから今更少し悔いている。
彼が人の変化に敏感だったりするのは繊細だからなんだろうか。
言葉を聞いて表情を見て常に考える彼の姿勢を隣で見てきたのにこれもまた今更気づいた。
彼は結局のところ人に好かれて何を求めていたんだろう。
机に置かれた参考書が目に入る。
恋愛心理や犯罪心理、日常で使える心理学などの本が平積みにされている。
付箋が貼ってあってその隣にはノートが開かれてまま。
もしかしてと思い、参考書を開く。
同じ色の付箋がノートにも貼られている。
深く知りたいのか、それとも心理に対する理解を点と点を線で繋げるよう。
疑問に思ったこともそのノートには書かれている。
以前、彼は心理学を勉強したいと言っていた。大学に進学する確信的な理由。
ここまで独学で勉強しているにも関わらずまだ何かを知りたいらしい。
勝手に椅子に座り、ノートと参考書を照らし合わせていく。
彼が何を知りたかったのか、日が暮れていることにも気付かぬうちに私はある答えが見えてきた。
それは、彼が求めている答えには一切辿り着いていないと言うこと。
恋と愛の違いがわからないと必死になっているのだろうことは理解できた。
ノートの一ページ目から恋について書いてある。定義が書かれていて、その下には心理状態を表す文章まで書かれていた。
手探りに恋について細分化している。
棲み分けできるのならとページを開けながら書いてあるのもまたそれを裏付ける証拠。
犯罪であるストーカーについても恋が拗れる原因も全部、書き切っている。
そこでもう一つのノートに気づく。
開いてみると愛について書いてあった。
恋と同様に定義も心理状態も書いてある。
納得がいかないのかどう言う状態になれば愛を感じるのか、愛を知るとはなんなのか、まるで哲学の域にいるような文章の羅列。
何をどうしてそこまで考えてしまうのか。
疲れるだけだし、考えれば考えるほど芋蔓式にまた考えてしまって苦しいだけなんじゃないだろうか。
そんな苦しさを得てまで欲しかった答えを彼は得られたのだろうか。
ページを捲り続けると真っ白なページが残った。
前のページに戻る。
彼が最後に書いた言葉は参考書の文だった。
愛とはなんなのか。
理屈じゃないと知っていながら、こんなにも書き続けられるものだろうか。
手がかりになるものはなかった。
きっと彼の死因に直結するものはないのだろうと判断する。
それとも死ぬ間際に幻想でも抱いて、それに溺れて、死んでしまったのか。
やはり、違う。
死にたいようには見えない。
これだけの文章があって、死について一切の言及がないのだから。
死にたくて死んだんじゃない。
不慮の事故だったんだ。
だけど、愛を知っていたら深夜に家を出て一人悶々と考え込むこともなかったのも事実。
悩みがあってどうして誰にも助けを求めなかったのか。
気がつけば、私は唇を噛んでいた。
心のガードが硬い彼は、誰かに気持ちを打ち明けることもなく死んでいった。
相談くらいしてくれたらいいのにと悲しみを覚える。
あなたは誰も信じていなかったの?
部屋を見渡す。
視界が滲んでいるよう。
なんで私は今、こんなに悲しいんだろう。
自分の気持ちが初めてわからなくなっていた。
ドアをノックする音が聞こえる。
振り返れば、川鳥の父親が立っていた。
「もう遅い時間だし、家まで送ろうか」
スマホで時間を確認する。
八時を過ぎていた。
家庭のこともあるしと重い腰を上げた。
親切に送ってくれた彼の父親に礼を言って家に向かう。
玄関の扉を開けた頃に彼の父親の車は前進した。
妹たちがいつものように騒いでいる。
当たり前にこの家庭の生活は続いている。
奪われてしまった命に憔悴する彼の両親を見ていると今の私の環境は普通に思えてくる。
父親がうつ病を患いながらも戦い、子供達は笑顔を見せて玄関に寄ってくる。
「お父さんいるんだから、静かにね」
といつもの注意をすると彼らははーいと返事をする。
リビングを見渡せば何度片付けても散らかっているおもちゃたち。
彼らが寝てからこの片付けを始める。
夕飯の準備を済ませて、早く食べさせると早々に寝るように言った。
妹は渋々と二階に向かったけれど、弟は立ち止まって私を見続けた。
「何、どうしたの?」
「いつもと違う」
端的に言い当てられてしまってドキッとした。
人の変化に無頓着だと思っていたけれど、園児の彼でも見破ってしまうほど私は今ひどい顔をしているんだろう。
「違くないよ。そんなこと言ってないで、早く寝てね」
ほらほらと二階に向かわす。
だけど、彼はなかなか足を進めない。
「嫌なことあったなら言ってよ。いつも一人で抱え込んでる」
ズバッという彼の言葉にハッとさせられる。
私も彼のように川鳥に言っていれば、少しは変わったんじゃないかと。
子供が考えることにハッとさせられる日が来るなんて思いもしなかった。
いつも受け身で話聞くよなんてスタンスをとっていながら、その一歩を踏み出せない彼には言わなきゃいけない言葉だってあったはず。
「それは……」
適当に言い返すことばかりだったのに、今はできない。
見透かされてしまっては、言い返せないのは、以前川鳥にもされたことだったはず。
少し弱音を吐けるようになったからといって、成長はしていなかった。
「姉ちゃん、無理してるなら言ってよ。お父さんのこともあって言えないのかもしれないけどさ」
「……それじゃあさ、言えるようになるまで待ってね」
彼は言えるようになるまで時間がかかったとして、言える頃には死んでいた。
事故なんて滅多にあるものじゃないと分かっていながら、私もまたいつ命を失うのかを考えていない発言だった。
「ほんと?絶対だよ!」
嘘はつかないと思ってくれているのだろう。
高校生にもなれば、少なからずしがらみの渦に巻き込まれる。
どうにかしてくれる人がいるにしても、自分ではどうしようもないことだってある。
この子は、この純粋さを残して生きていけるのだろうか。
私には無理だった。
中学生になる頃には妹ができていて、高校生になる頃には弟は園児になっていた。
うつ病を患った父親の代わりにできもしない家事を必死にやった。
純粋さなんて日々の生活に忙殺されていく。
決して歪んだわけじゃないのに、軸を急いで作らなきゃならなくなった。
歪まないように、学校生活で見せる一般的な学生でいられるように。
川鳥もまた同じだったのかもしれない。
母親が帰ってきた頃、外に出ると言って近くの公園まで歩いた。
肌寒い季節になりつつあるこの時期にラフな格好で出歩いたのを後悔した。
自販機で温かい飲み物でも買おうかと思ったけれど、ベンチに腰掛けた私にそんな気力はない。
ぼーっと公園を見渡す。
昔と何も変わらないこの公園。
園児の頃はいろんな子たちと遊んだなと思い出す。
そんな余裕があるのは、川鳥の死を思い出したくないからだろうか。
逃げてしまいたいのだろうか。
逃げたっていいじゃんとか彼は言ってくれるんだろうか。
以前、委員会の集まりで彼は言ってくれてたっけ。
『全部、自分でやろうとする必要なくない?』
これやるからあれやってよと自然な会話の中で組み込んで丸く課題を解決させた彼。
いない今、私にできることってなんだろう。
「こんなところにいたんだ」
上を見上げるとそこには曽我がいた。
「これ」
ホットの緑茶だ。
「いいの?」
「そんな寒そうな格好でいるやつやばいだろ」
彼の服装は薄い長袖を着ていた。
隣に腰掛ける彼もホットの麦茶を手にしている。
私の姿を見て気にかけてくれたんだろうか。
「川鳥が死んで、みんなショック受けてる。死んでなければ、滑稽だとか馬鹿じゃんとか言って見舞いに行くこともできたのにな」
「……」
「一番ショック受けてるのは、どうやら長野だったみたいだけど」
「……そんなふうに見える?」
「見えるよ。園児から一緒なんだぜ?すぐ、わかる」
「幼馴染とかそういうの嫌いって言ってなかった?」
「嫌いだよ。全部わかるから。幼馴染じゃなかったらもう少し面倒を減らせたのにね」
ある意味ショックな私に彼は、でもと続けた。
「いてくれたから、俺は俺の知らないことを知れた。今もそうだ」
彼は私の顔を見ていたから、私もまた彼と目が合う。
「相川らがいなければ、お前はきっと川鳥に気持ちを寄せてたんだろうなってことも知ってたよ」
「………………ん?え、ねぇ、もしかして」
「お前わかりやすい方なんだけどな。相川らが気づかないのがおかしいくらい」
「全部気づいてたの!?」
「気づかないわけないだろ。あんだけ、川鳥のことぶっ叩いて、いじって。あいつ嫌がらないから良しとしてたんじゃないの?」
私が今、必死になって否定しようとしているのが答えだった。
現に隣にいる曽我に拳を当てるようなことはしていない。
「ほんとはもう気づいているんじゃないの?少しでも相談して欲しかったって、頼って欲しかったって」
「……頼ってくれないの分かっててどうしたらよかったの?」
彼のこれまでを振り返る。
「上山が相川たちに都合よく使われてた時、その友達である舞も暴走してる時、磯野も怒って学校に来なくなった時、あなたが生徒指導で教室来れなくなった時も全部川鳥が裏で動いた。相川らと仲良くできたことで沈静化できたし、舞も上山を辿って話を交渉して生徒指導室から解放された。磯野のことも彼がほぼ先陣きって私と会話する機会を設けた。磯野が学校に行きやすくなったのも彼がクラスをうまく動かしたから。前期委員長だった頃のコミュニケーション能力で全部解決した」
「……」
「そんな彼が、家庭のことを誰かに相談するはずない。彼はもう相談できる相手なんかいないって勝手に思い込んだんだ……」
「……家庭のこと?」
初耳だったようで呆けている曽我。
「私も家庭のことあるし、一緒だねとか言って少しは緩和されたりするのかなって思ったのに」
「え、だから」
「彼の家は、離婚寸前だったの!多分、離婚してほしくなくてどうにかしようって動いてた。でも、そうやって考えるばかりで周りが見えなくなってた」
「それで事故に遭った」
「私のことも友達のことも見えてなかったの!」
太ももに肘をついて両手で顔を隠した。
頼って欲しかっただけじゃない。
私のこと好きでいておきながら、カッコつけてばかりの彼が嫌だった。せめて振った後でも何かしら欲しかった。何もしないのならこっちだって困る。いらないアドバイスよりもっと好きを教えて欲しかった。
いつか見せた体調不良で保健室で寝てた彼の弱そうな顔。
一年の時も同じクラスだったからこんな顔して苦しそうにしているのが可愛かった。ギャップ萌えってやつだ。
額に手を当てればピュアな反応を見せていたから、女性経験少なそうとは思ったけれどここまで人を頼らない男子がいるとは思いもしなかった。曽我とは違う。
「……付き合ってたら、なんか変わったのかな」
そんなありもしない言葉を隣の彼は黙って聞いていた。
後悔ばかりだ。
どうにかなることもあると知れたばかりに呆気なく奪われる命に気づけないだなんて。
唇をかむ。
頬に伝うものを拭う。
それでも溢れてしまっては、拭うことも煩わしい。
ボロボロと溢れていくそれに気づかぬように空を見上げた。
田舎の空は星が綺麗だった。
月が見えないのは新月なんだと知る。
川鳥はモブなんかじゃないのにと思う。
月のように見守ってくれる人だ。
なんで、全部が今更になってしまうのだろう。
あぁ、悔しいな……。
そして、リーダーのいない修学旅行が始まった。
沖縄の雰囲気に圧倒されつつ、いつも通りの自分で過ごす。
ふとした瞬間に襲われる悲しみにもう二週間も経ったのだからと言い聞かせる。
時間は止まることなく進むのだと思い知らされる。
人が死んでもなお続くこの世界で私は一人海を見ていた。
沖縄の海は綺麗だ。
だけど、地元の海とまるで変わらない。
確かに違うのは砂浜やその辺りに佇む住まいだけ。
観光地らしく整備されている。
綺麗だなぁなんて思う反面、もし川鳥がいたのならどんなことをするんだろうと思った。
なんの脈絡もなく海に突っ込んで濡れまくってみんなを巻き込むのだろうか。
嫌がる男子も巻き込んで、そんな風に彼はやるんだろうか。
あのノートを見てから全部がキャラクターのように思えて、きっとしないんだろうなと思ってしまう自分がいる。
私はきっと今彼に理想を抱いている。
むしろそうして欲しいなんて思っている。
私と二人きりならこの海を見て私に合わせて何か話して下らない話ばかりで、でも盛り上がったりなんかして。
欲しかったのはそんなんじゃなくて、彼の本心を聞いてみたかった。
ねぇ、ここにいたならさ、あなたは何をしてくれた?
夕飯が終わり各々ホテルの部屋に戻る。
磯野が先に風呂を済ませてパックを顔にはっつけていた。
美意識があったなんて初めて知った。
私はパックなんて使ったことないなと今更思った。それがどうとか思わないけれど。
シャワーを軽く浴びてホテルにバスローブに身を包む。
彼女はパックを取り「長かったね」と言う。
スマホで時間を確認すれば1時間ほどが過ぎていた。
「私の気持ち知って気にしてる?」
彼女は私に気を遣っているようだった。
そうか、川鳥もまた私に告白してから気を遣って明るく振る舞っていたんじゃないだろうか。
「ううん、ちょっと考え込んじゃって」
「川鳥のこと?」
首を縦に振るとおいでとソファの隣に手招きされた。
横に座ると彼女は私の手に触れて甲を撫で始める。
「川鳥のこと好きなの?」
単刀直入に聞く彼女は何か見透かしたよう。
棘も感じないし、気づいていたのかもしれない。
「あれだけクラスで明るいのに大人なところあるから長野も好きになるのかなって」
「……うん」
「そっか」
「川鳥が2年の始業式に体調崩して保健室行ったじゃない?意外でさ、体調崩してる姿もすっごく苦しそうなのも。可愛く見えた」
字面だけ見ると私はとんでもないサイコパスだ。
「あの時から好きだった?」
「気になってたのかも。好きってほどじゃないけど、どうしてこんなに私のことを考えてくれるんだろうって」
元々人に指示するのは得意じゃない。
私のくせに生意気なんじゃないかと言われるのが怖かった。
しかし、彼は歯向かう人が出ないようにと動いてくれる。それを知ったのは相川らのせいだけど。
本気で私のことが好きと言うことを確信した。
私なんかをどうしてと思うけれど、いろんな側面で気にかけてくれてた。暗くならないように明るくしてたんじゃないかと体調崩した彼と会話した時に気づいた。
なのに私は相川らに脅され曽我に告白した。
彼は私の気持ちに気づいてなかったし、私はその後で彼に告白なんてできなかった。
そう言った意味では曽我は私の気持ちに気づいていた。
「四十九日でるの?」
彼のお墓に花を手向ける。
一人じゃ怖いから曽我についてきてもらうつもりだ。
「うん。最後だから……」
もういないし、話すこともできない。
これが本当の最後なんだと、冷静な私がいる。
一方で嫌だと首を振る自分もいた。
被りを振って明るく振る舞う。
「修学旅行なんだし、楽しもうよ!」
作った笑みは下手くそで視界が滲む。
「ごめん、明日早いんだし寝るね」
腰を浮かせる刹那、彼女の体に包まれる。
体の力が抜けた。
溢れんばかりの嗚咽が部屋に響く。
そんな音が消えたのはいつだっただろうか。



