何かのアクシデントが同時に起こると、人は思考を停止する。
どうやっていい方向へ舵をきれるか。
私は今、そんなことを考える余裕がなかった。
磯野が私に恋心があるということは予想していた。
お互いに気持ちを察した仲だし、これ以上踏み込むこともなければ、踏み込まれることもないと思っていた。
あの日、磯野が私にハグしている写真が流出したことであれ以降学校にはきていない。
LINEで会って話したいと伝えたけれど、既読スルーされている。
上山は曽我のことが好きだったみたいだけれど、そんな曽我はティックトックに顔を晒してしまい生徒指導の先生に捕まり、生徒指導室にいる。
まさか元カノの舞がエンタメ風の動画にして投稿していたとは驚いた。
うちの学校は校則が厳しいからそれを利用したんだろう。
会いたいと連絡を取っても彼の場合、まともに相手しないだろうから。
やり方が陰湿だなと思う。
それはこのクラスにも言えること。
学力に差はあれど、考えることに差はないそうだ。
人の愚かさを知るというか……。
何が問題かといえば、どちらも修学旅行のグループのメンバーだ。
上山も私の苦手とする相川と笹井に使われているよう。
このままでは私も川鳥も何かしらの被害に遭うのではないかと思う。
立て続けに起こっている限り、ないという可能性は絶対に言い切れない。
運が悪いだけか、それとも誰かが意図的に仕組んだのか。
相川たちとは高校一年生の時の友達だった人。
意図的に仕組んだ相手だとは思いたくないけれど、磯野を激怒させたのはあの二人だというのはわかってる。
一年生の二学期に入った頃、私は彼女らに羽生られた。
理由は明白だった。お金がないから。
父親がうつ病になり二年、仕事をする母親の代わりに高校生の私は家庭全般をこなす。
家に帰り、食事や洗濯物を済ませる頃には妹たちが帰ってくる。
末っ子の園児である弟はいつも公園で友達と遊び汚れた状態で家に帰り、風呂を促す。
次女の妹は、小学生で何かと必要なものが増えていく。野外活動で虫取り網が必要となれば用意するなど。宿題を手伝うことも。
私が家でくつろぐ時間はなかった。
放課後の夕方六時くらいまで課題をこなして、家に帰って家事を済ませる。
遅くまで末っ子を外に出すべきじゃないとわかっていても、家のことに集中してしまえば学校の授業に追いつかなくなる。
母親の帰りが遅いことをいいことに妹に丸投げ。
文句など聞いているしいいじゃないかと思う。
お小遣いなんてないから、相川らと仲良くしてもカラオケやカフェに行けないし、時間もない。
最初こそは優しかった彼女たちだけれど、ノリが悪いと距離を置かれた。
だが、二年生になって曽我とまた同じクラスになり状況は変わった。
どうやら相川は曽我が好きらしい。顔で恋人を選ぶ相川らしく声をかけて玉砕していた。
『相川ってどんなやつ?チャラすぎてちょっと距離置きたいんだけど』
と、曽我に相談された時は苦笑した。
どれだけアタックしても距離を置かれる相川は修学旅行のグループに誘うにも断られてしまう。
それが、今回の騒動のきっかけだろう。妬みからくるものだ。
さほど仲も良くない相川らに気を遣う気もなくて、磯野との関係修復に時間を使いたい。
ただ彼女は私に恋心がある。
友達だったらこんなことにならなかったというのに。
ため息をつく。
窓の外の夕焼けに黄昏る。
こんな時、川鳥だったらどんな対策を取ってどう改善していくのだろう。
学校の運営委員の集まりで彼の提案にどれだけ助けられたか。
自分たちの負担が大きくならないような采配を取ったり、無理のないスケジュールを組んだり。
そのくせにいつだって明るいから頼れる。
そんな彼は、私のことが好きだった。
私のことを好きになるのはおかしい。
いつも他人に合わせて角を立てないように生きてるだけだというのに。
こんな人のどこがいいのか。
教室のドアが開く。
「お、長野さんか。勉強お疲れ様」
担任の先生が声をかけてきた。
「えぇ、まあ。でももう」
帰った方がいいのかと思って席を立つ。が、先生は手でそれを制する。
「大丈夫。まだ残ってるから安心して」
先生がいないと鍵を返せないので、帰るのかと思っていたけれど、違うらしい。
ならば、なぜ教室に来たのだろう。
「少し時間もらえるかな」
頷くと先生はドアを閉めた。
「曽我君のことだけど、彼、ティックトック撮ってたのは知ってた?」
彼は、校則違反であるSNSへの顔出しで生徒指導室にいる。
謹慎処分の可能性があると噂で聞いた。
「知らなかったです」
「彼の元カノ、舞さんが勝手に投稿したって彼はいうんだ。先生としても目立ちたがりじゃない曽我君がそんなことするとは思えない。舞さんってどんな子?」
「あんまり仲良くなかったので知らないです。クラスは一緒だったけど。別れた後は、静かに生活してた覚えがあります」
「友達はいなかった?」
「曽我と付き合ってからは離れて行きました。曽我、モテたんで、嫉妬したんでしょう」
「まぁそうだね。ビジュアルはアイドルみたいなもんだし」
先生がそんなふうに思っていただなんて驚いた。
「先生から見てもかっこいい?」
「かっこいいね。一人だけ異端」
「曽我とは幼馴染で、そんなふうには思えないですけど」
「そう、それを聞こうと思って。長野さんも曽我君に告白したんだよね?それは、長野さんの意思?」
「……え?」
てっきり曽我のどこが好きなのか聞かれると思っていた。
意思か否かを聞くなんて先生は何を想像しているのだろう。
この際だからいうけど、と前置きをして。
「長野さんって自分の意見言ってないでしょ?」
見抜かれた。すぐに返答できなかったのは図星だから。
なんでこんなタイミングでいうのだろう。
「もっと頼ってくれていい。君は、高校生だ。家庭のことも聞いてる。無理して明るくしなくていい」
そんなこと言われても、やってきたことはそう簡単に変えられない。
「クラスにね、もう一人心配な子がいるんだ。その子にそっくり。でもね、君はちょっとその子に比べて感情がわかりやすいよ」
「今、苦しいでしょ」
ツンと鼻を刺すような痛みが走る。
誰にも言えないことをどうして汲み取れてしまうのだろう。
先生だからだろうか。大人として経験してきたことなのだろうか。
「そんなことないです」
否定してみても、先生の目を見やれば見透かされているようで。
「……苦しいです」
私は先生に全部を話すことにした。
相川らと友達だったこと。父親がうつ病で母親が働いていて、その代わりに家事全般をやっていること。
時間も金もなくて相川らと距離ができたこと。
相川が曽我を好きになり、グループが一緒になった私に嫉妬して告白するように命令されたこと。
いじめに遭いたくなくて告白したこと。
曽我に全部バレてて、拒絶されたこと。友達でいたかったこと。
磯野に好意を抱かれていたこと。それもまた友達でいたかったこと。
嫌われたくなくて猫かぶって生きてること。
素直になれる相手がいないこと。
相談できる相手もいないこと。
いつの間にか泣いていた私に先生は静かに次の言葉を待ってくれる。
癒えない悲しみが溢れていく。
周りと同じように部活に励んでみたかった。塾に通ってみたかった。普通にカラオケに行ってみたかった。
流れる涙と共に浮かぶ願望。
切に願っても一生叶わないんじゃないかって思う失望。
「修学旅行だけは、叶えたいんです。友達と出かける楽しさを。でも」
みんな友達なんて思ってなくて、それぞれが誰かに想いを馳せている。
私はただ、友達でいたい。
恋人が欲しいわけじゃない。
曽我と同じで恋人を求めたことはない。
告白されたから付き合っただけ。
川鳥にはそんなことする必要もないと思った。友達の方が楽しそう。
だから。
「友達ってなんなんですかね」
自嘲気味に言う。ちょっとばかり家庭に時間を割いた結果、人との付き合い方がわからなくなっていた。
もしもこの人が私に好意を寄せていて話しかけていたなら、それまでの時間は友達としての時間ではないのだろうか。
「先生、私、友達が欲しいです」
「うん。大丈夫だよ。友達できるよ。まずは素直になることかな」
「はい」
すっきりした私は涙を拭い、先生に笑みを浮かべた。
何一つ解決していないのに、解決したよう。
それはきっと私が私のことをちゃんとみれている証拠なんだと思う。
素直になる。
難しいことだけれど、やってみる。
先生は、きて欲しいところがあると私を向かわせる。
廊下を歩く中、先生はつぶやく。
「にしても、高校生で家庭のことまでちゃんとこなせるってすごいな。先生なんて帰ったら寝てたよ」
「頑張ってるので」
「お、素晴らしいね。キツくなったらまた先生にでも相談して。全部頼りなさい」
と拳をぐっと見せる。
一緒になってぐっと拳を上げた。
向かった先は生徒指導室だった。
曽我がそこにはいる。
「ちょっときまづいかもしれないけど」
と、戸を開けるとそこにはだるそうに机に足を乗せる曽我の姿があった。
態度悪すぎじゃないですかね。
「こらこら、足のせない」
「俺、悪くねえのになんでこんな毎日ここにいなきゃならんの?」
「今状況整理してるところだから。問題のある可能性のある生徒を教室にはおけない」
「あるあるウルセェな。しね」
「こら」
と、私が注意するとなんでいんだよと悪態をついた。しばき倒したい。
「ダメだよ、そう言う態度とっちゃ」
にこりと笑顔を向ける。舌打ちする曽我。眉間に皺を寄せる私。
「なんかあれだね。保護者と反抗期の子供みたいな関係だね」
イラっとした曽我が、恥ずかしくなったのか足を床につけた。あら、かわいい。
「良い子だね。えらいえらい」
子供をあやすように頭を撫でてあげると彼はされるがままだった。嬉しいのかな。
「なんで長野を呼んだんですか。時間無駄にさせるつもりですか」
放課後に教室で勉強していることを知っている彼だ。気にしてくれているのだろう。
大体、どうしてここにいるのかといえば、彼のせいだ。謝罪していただきたいくらい。
「曽我君の件、中学の頃の彼女に問題があるのなら、中学一緒の子を呼んだ方が信じられるでしょ」
「俺は頼んでないです」
「このままじゃ、謹慎処分だってある。ただでさえ、生徒指導の先生から反感買ってるんだから、大人しくしてね」
反感を買うほど彼は野蛮だっただろうか。まさかこの部屋から飛び出したわけじゃあるまい。
え?飛び出した可能性あるの?この子が?
「舞って、付き合ってる頃動画ばっかり撮ってたんでしょ?私聞いてないよ」
「いや、今一番の趣味って言ってたから、深追いしない方がいいかなって」
本題に入ると彼はすんなり問いに答えた。
「まさか動画撮るって編集まで含まれるとは思わないだろ。しかも、それをSNSにあげるって」
「許可どりくらいは欲しいよね」
手軽に編集できる時代、AIなんかも使えば、それなりの動画が出来上がる。
プロレベルとは言わずともSNSくらいなら十分すぎる。
「許可しないし。それに、舞に連絡したけど、既読はついてない」
「クラスで広まったにしては早すぎたよね」と、私。
「そうなんだよな。部員の奴らも投稿してすぐ知ったっぽい。ハートも保存も少なかったのを覚えてる」
「誰かが意図的に仕組んだ?」
先生が要約する。
「その辺、川鳥がなんとかしてくれそうなんですけど、まだですか?」
「川鳥が?」
私の疑問に彼は目を合わせることもしなかった。どうしてこのタイミングで川鳥が出てきたのだろう。
川鳥は、磯野の件も任せてと言っていた。背負すぎじゃないだろうか。
「彼からなんの話も聞いてない。君が勝手にこの部屋抜け出して、川鳥といたときは驚いたよ。優等生の川鳥と真面目な君がどうしてここにいるんだと疑問を抱いたけれど、彼は何も言わなかった」
「……」
いや、やっぱりこの部屋から抜け出してるじゃん。
飛んだ野蛮人だ。
「その舞って子を呼べば一番いいんだけど、他校の子だ。君を解放するには時間がかかるよ」
一歩も解決策が出ないままお開きとなった。
舞と特別仲がいいわけじゃなかったから、連絡先も交換してない。
これを機に交換した場合、SNSの動画の件が問題になっていると知って消す可能性がある。
この学校としては消すべきだけれど、これ以上大事にしたくない。
被害者である曽我が、大人しく待っているのは川鳥を信頼しているから?
だとしたら、どこに信頼を置けるものがあったのだろう。
LHRのグループの話し合いで彼らがまともに会話している覚えがない。
短期間に何があったのか。
先生が先に部屋から出る。
二人きりになって聞いてみる。
「川鳥を信頼している理由は何?」
「……」
「そこまで仲良くなかったよね」
「……知らなくていいだろ」
「私があなたに告白したから?」
「変わらないよな。人当たりの良さだけは。人に合わせて気持ちのいい言葉だけ並べて。そんな人と誰が付き合いたいんだよ」
「それは」
「ってことをあの時言ったな。あれ、全部川鳥に聞かれてた」
「は!?」
衝撃的な発言に私はもっと詳しくと先生が座っていた席についた。
「どう言うこと?」
「あれのせいで距離ができた。でも、どう言うわけか俺のことを気にかけてた。俺もわからん」
「……」
「少なくとも信頼はしてる。素直な人だとは思うけど、隠し事は徹底的に隠してそうだよな。長野と一緒だ」
「……私は別に」
「やましいことがないなら、隠さなきゃいいのにな」
「いや、曽我だって」
「俺は、隠してない。舞が隠してるだけ」
「……あのさ、さっきから思ってたんだけど、別れたのに名前で呼ぶの?」
「…………え?」
「別れたんだよね?」
「あ、ああ」
「なら、やめた方がいいよ。付き合ってるみたい」
「…………そうか。そうなのか。気をつける」
モヤモヤしていたことを最後に告げて、私も部屋を出た。
どうやら時間が経つにつれて拗れていきそうな問題が二つあるなと思った。
曽我も磯野も早期解決を望む。
相川らとちゃんと話せば伝わるのだろうか。
不安だ。
曽我が相川を好きじゃないのは相川の性格の問題である。
そこをどうにか理解させないといけない。
でも、会いたくない。会話もできればしたくない。
それこそ舞と同じで直接話すべきだ。
イケメンが故にモテるバカのためにどうして私がそこまでしなければならないのか。
全部曽我が悪い。討伐対象にしたいくらい。
まるで史実のような展開。蘇我氏暗殺のような……。
巻き込まれただけだし。
人を好きにさせる彼が悪いのであって。
曽我のことを悪く言いながら、帰路につく。
グランドでは、サッカー部が部活に勤しんでいる。その中には川鳥の様子がない。
彼が部活に参加していないなんて珍しいなと思いながら、校舎を出た。
それにしても曽我のいう川鳥は、隠し事が多いらしい。
そんなふうには見えないけれど、隠していると言うのなら何を隠しているのだろう。
告白してきたときは驚いたし、本気なんだろうなとは思った。
友達として一緒にいたいと振ってからも普通に話しかけてくる。友達のままでいいのだと考えているから、変わらず話すけれど。
バス停の前に川鳥の姿が見える。
そういえば、彼はバス通学だ。
一人だと教室とは違い静かだなと思う。一人でも騒がしい人なんて見たことないけれど。
「よ、帰り?」
声をかけると驚いたように振り返った。
「帰り。帰るの早くない?普段なら、教室いるじゃん」
「そうだけど、先生に呼ばれて曽我の相手してた」
「曽我、どうなの」
今後のことを聞きたいのだろう。
「まだ一歩も前進してないよ。彼の元カノと話さないと始まんないって、先生が」
「動画も消してないみたいだしなぁ」
スマホをいじる彼はあまり興味がない様子。
「曽我が、川鳥に任せたって言ってた。何か進展あった?」
「ないよ。ただ、上山が一枚噛んでるのはわかった」
「上山が?」
静かで一人でいるような子がどうして関わっているのだろう。
最近、コンタクトにして川鳥と付き合うチャンスを狙ってるみたいだけれど、その辺も進展あったのだろうか。
「そう。相川に、この動画の件を先生に伝えろって脅されたらしい。舞とも中学生の時に仲良くなったって」
「どうしてそれを」
「全部、上山から聞いた。一緒に帰りたいって言われて何度かここまで一緒に帰ったよ」
彼は、好意に気づいていないのか。
「面倒だよな。部活帰りにもこっちきてさ。ぶっちゃけ迷惑」
「……」
気づいてないみたいだ。
周りにいる男子は人の好意に気づかない。鈍感なのか。
「まぁ、そのおかげで大体わかったし。あとは動画を消してもらうように頼んだし、相川も曽我が興味ないって知ればどうにかなる。あとは、磯野だけだな」
あ、と思いついたように彼は口にした。
「今から会うか?あいつの家、バス停近いだろ」
「このバス、磯野の家行かないよ」
「え?」
「ルートが違う」
「割り切れないな」
「何が言いたいの?」
「ルート四なら二になるだろ」
とふざけ始めたのでぶっ叩いた。
こんな時によくふざけられるものだ。
それにしても、一人で本当にどうにかできてしまうなんて驚きだ。
私では磯野にどう接していいかもわからないのに、曽我周りは一人で解決してしまった。
このまま彼に任せれば磯野のこともどうにかなるのだろうか。
「磯野のことは直接話せばどうにかなるでしょ。機会を窺ってる可能性もある。こっから遠い?」
「家、知らない」
「電話するか」
言うよりも早くスマホを耳にあてる。
「あ、もしもし。家どこ?お見舞い行くよ。住所はよ」
電話を切る。
「お、近いじゃん。向かいの電車乗ればすぐじゃんこれ、ないすー」
「本当にいくの?」
「暇だし。行こうぜ」
「ねぇ、部活は?今日、サッカー部やってたよ」
「……あぁ、いや、行かね」
「なんで」
「ま、いいから行くぞ。この機会逃したら、相川の望み通りになる」
腕を掴まれて向かいの止まっているバスに乗せられる。
望んでもいないのに、ここまできてしまったらあとは向かうだけ。
彼がどうして部活に参加せず帰ろうとしていたのかもわからないまま。
やはり曽我の言っていた言葉の意味がわからない。
人のことを知ろうと思えば思うほど、全くわからないのはなぜだろう。
全く知らないなんてことはないと思っていたために、いざ隣にいる彼に聞くための語彙がない。
「秋だね」
代わりにそんなこと言ってはぐらかす。
「そうだなぁ、修学旅行も近いな」
「まずはテストだよ」
「そうだな」
「進学、どうするの?」
「公立の大学にするよ」
「公立?」
「心理学を学べるところ探してる。先生からもいいところ紹介してもらったけど、ちょっと考えてる」
「公立いいじゃん。お金の負担減らせるよ?親孝行だ」
「……」
「どうかしたの?」
「親孝行になるのかなって思って。大学に行くのが親孝行なら、私立でもいい気がして」
「どうしたの急に。らしくないよ」
「らしさってなんだろうな。その人のこと知ってる気になることなのか、それとも本当に知ってるのか」
ふざけてばかりの彼が、真面目なことを言い始める。
先ほど自分も考えてしまったこと。
川鳥に関しては気にする必要もないかと思ったりもしたけれど。
「なんてたまに考えるよ。意味ないのにね」
と笑った。
聞いてみたかったけれど、彼ははぐらかすのだろうと思う。
普段の家での生活。一人でいる時とみんなでいる時のギャップ。
聞かない方がいいのかななんて思ったりもした。
みんな思いの外隠してる。
考えに蓋をして、笑い飛ばしてる。
私と一緒だ。
考えて、悩んで、それに気づかれたくなくて周りに合わせる。
だからアクシデントがあると焦るし、怒りを覚えたりする。
彼もきっと同じなんじゃないかと思う自分がいた。
曽我の言うとおりかもしれない。
磯野の最寄り駅に到着する。
バスにいた時もスマホを触っていたと言うのに、今も触り続ける彼のスマホを奪う。
「ほら、インターホン鳴らしてよ」
「スマホ返して」
「いいから、ほらほら」
ため息をついた彼は、インターホンを鳴らす。
女性の返事が聞こえる。すぐにドアが開くだろうと思う。
スマホを覗くと誰かとのライン画面が映っている。
『お金の心配はない。父さんの元にいてくれれば、行きたい大学も行ける。家を変えたくなければ弁護士にお願いして、調停で取り合ってもらう』
長い文章の初めにそんなことが書いてある。
調停とは離婚調停のことだろうか。どこか覚えのある言葉だ。
父親のうつ病が落ち着いた時に母親に伝えていたことがあった。
迷惑かけてしまうからと離婚を切り出し、母親はそれくらいならば働き出した。
否応問うことなく、家庭のことを任された私。
みんな家族のためになんとかしていた。
うつ病は仕方がないことなのだと言い聞かせた。
本当なら大学にも行かず就職しろと言われそうなところを母親は好きな大学に行きなさいと許してくれた。
家庭のことは私がやらなきゃと息巻いた時もある。
限界になる前に妹に弟のことを任せた。
おかげで今、少し落ち着いている。
相川らとも関わらないことで落ち着いた生活を得られていた。
磯野と話せばまた元の生活に戻るだろうか。
川鳥もいるし、問題ないのかもしれない。
だけれど、彼は私からスマホを奪い取り帰ると言い出した。
「ちょっと野暮用」
「え、でも」
二人きりじゃ気まずい。
相手は私のことが好きだと言うのに。
「問題ないよ。じゃ、よろしく」
と早々に出て行った。
追いかけるよりも先に家のドアが開いてしまう。
「あれ、男の人って聞いてたんだけど」
磯野は出るや否や焦るように言う。
「そうなんだけど、急に用が入ったって」
「え……」
お互い同じ気持ちらしい。
でも。
「ちょっと、外で話せる?」
「うん……」
適当にフラフラと二人で歩く。
誘ってきた川鳥はいない。
何か話してくれそうな彼がいないのは、居心地が悪くてしょうがない。
彼ならどうやって自分の気持ちを伝えるのだろう。
思えば、彼は面白い会話をするだけで自分の気持ちを伝えている場面に遭遇したことはない。
告白されたのは事実だけれど、実際どう思っていたのかもわからない。
私のように誰かに言われて告白した可能性だってある。
ならば、私は私の言葉で伝えるしかないのだろう。
「女子友から好意を寄せられるなんて思わなかった」
明るい声で言ってみる。
「それなりに恋愛経験はあるからさ、なんとなく気づくところもあって」
あの日のハグを返せなかったのは、好意を友情としてしか捉えていないから。
友達のままでいたかったから。
「気持ちに気づいていたし、気づかないふりを続けるのも胸が痛いけど、仕方ないって割り切ってた。あの時、驚くことはなかったけど、クラスメイトは驚いたし、好奇の目を向けた。そりゃ、嫌だよ。私だって無理」
「長野……」
歩を止める彼女に振り返る。
「無理なものは無理。人の気持ちを笑うなんてできない。こんなこと私が言えたことじゃないけどさ。嬉しいけど、ごめん。これはもう変わらない答え。でも、友達でいたい。教室でまた話したい」
それが私の気持ちだと彼女の告げた。
どうしてか告白するよりも苦しい。
まだ次があると思える恋より、もう終わるかもしれない友情は季節が移り変わるような切なさがあった。
「やっぱ、気づいてたんだ」
彼女はいう。
悲しそうに、俯いて、それでも泣くまいと奥歯を噛む。
「変なんだよ、私。同性を好きになっちゃうような変人。クラスメイトにバレたくなかったよ。あんな怒って出てったせいでレズだってバレる。もう終わったの」
だから。
「教室に行かない。もう会いたくない」
踵を返して、歩速をどんどん早めて家に戻って行ってしまう。
言葉を詰まらせて何も言えない。
だけれど、どうにかしなきゃと勢いのまま背中に飛びついた。
「会いたいよ。ずっと、いてほしい。せっかく心開ける友達に会えたんだもん。もっと一緒にいて」
「ずるいよ」
「そうかも。でも、お願い……こんな終わり方は嫌だよ」
「……何で」
私の体を引き剥がし向かい合う彼女は涙を浮かべていた。
「どれだけこんな気持ち無くなればいいって思ってきたか!私は、まだこの気持ち消化しきれてない!なのに、なんでこんなことするの!?ずるいじゃん!そんなのひどいよ!」
子供のように泣き出す彼女。頬を伝う涙を必死に拭っている。
「ごめん、感情任せに飛び込んで」
でもね、と彼女の頬を伝う涙を親指で拭う。
「離れたくないから」
「だから……っ!」
「一生そばにいて。恋人だったら一生を共にできる可能性は低いよ」
「…………ずるいよ」
ボソッとつぶやく彼女。
どうにか気持ちが伝わったみたいだ。
調子が上がってきて髪をわしゃわしゃとかき乱した。
やられっぱなしの彼女はとても可愛い。
「明日、待ってるからね」
彼女は縦に首を振った。何度も何度も嬉しそうに笑みを浮かべるその姿が可愛い。
気持ちに素直でいる姿はとても子供らしくて、私と違って強い人だなと思った。
翌日、彼女は以前のように自転車を降りて私に髪をわしゃわしゃされていた。
教室に着く。
クラスメイトは驚く様子もなく自分たちの世界にいる。
時に目が合うクラスメイトはさほど興味もない。
これだけ時間が経てば、話題が一つ二つ変わることもあるだろう。
それ以上に、川鳥のような話題の中心人物がいるのだから元から不安要素はない。
磯野もまた驚いている様子だったけれど、誰の仕業か気付いたよう。
だけどその日、彼は教室に来なかった。
まだ何かの胸騒ぎがした。
それが杞憂に終わればよかったのに、人生はそううまくはいかないらしい。
どうやっていい方向へ舵をきれるか。
私は今、そんなことを考える余裕がなかった。
磯野が私に恋心があるということは予想していた。
お互いに気持ちを察した仲だし、これ以上踏み込むこともなければ、踏み込まれることもないと思っていた。
あの日、磯野が私にハグしている写真が流出したことであれ以降学校にはきていない。
LINEで会って話したいと伝えたけれど、既読スルーされている。
上山は曽我のことが好きだったみたいだけれど、そんな曽我はティックトックに顔を晒してしまい生徒指導の先生に捕まり、生徒指導室にいる。
まさか元カノの舞がエンタメ風の動画にして投稿していたとは驚いた。
うちの学校は校則が厳しいからそれを利用したんだろう。
会いたいと連絡を取っても彼の場合、まともに相手しないだろうから。
やり方が陰湿だなと思う。
それはこのクラスにも言えること。
学力に差はあれど、考えることに差はないそうだ。
人の愚かさを知るというか……。
何が問題かといえば、どちらも修学旅行のグループのメンバーだ。
上山も私の苦手とする相川と笹井に使われているよう。
このままでは私も川鳥も何かしらの被害に遭うのではないかと思う。
立て続けに起こっている限り、ないという可能性は絶対に言い切れない。
運が悪いだけか、それとも誰かが意図的に仕組んだのか。
相川たちとは高校一年生の時の友達だった人。
意図的に仕組んだ相手だとは思いたくないけれど、磯野を激怒させたのはあの二人だというのはわかってる。
一年生の二学期に入った頃、私は彼女らに羽生られた。
理由は明白だった。お金がないから。
父親がうつ病になり二年、仕事をする母親の代わりに高校生の私は家庭全般をこなす。
家に帰り、食事や洗濯物を済ませる頃には妹たちが帰ってくる。
末っ子の園児である弟はいつも公園で友達と遊び汚れた状態で家に帰り、風呂を促す。
次女の妹は、小学生で何かと必要なものが増えていく。野外活動で虫取り網が必要となれば用意するなど。宿題を手伝うことも。
私が家でくつろぐ時間はなかった。
放課後の夕方六時くらいまで課題をこなして、家に帰って家事を済ませる。
遅くまで末っ子を外に出すべきじゃないとわかっていても、家のことに集中してしまえば学校の授業に追いつかなくなる。
母親の帰りが遅いことをいいことに妹に丸投げ。
文句など聞いているしいいじゃないかと思う。
お小遣いなんてないから、相川らと仲良くしてもカラオケやカフェに行けないし、時間もない。
最初こそは優しかった彼女たちだけれど、ノリが悪いと距離を置かれた。
だが、二年生になって曽我とまた同じクラスになり状況は変わった。
どうやら相川は曽我が好きらしい。顔で恋人を選ぶ相川らしく声をかけて玉砕していた。
『相川ってどんなやつ?チャラすぎてちょっと距離置きたいんだけど』
と、曽我に相談された時は苦笑した。
どれだけアタックしても距離を置かれる相川は修学旅行のグループに誘うにも断られてしまう。
それが、今回の騒動のきっかけだろう。妬みからくるものだ。
さほど仲も良くない相川らに気を遣う気もなくて、磯野との関係修復に時間を使いたい。
ただ彼女は私に恋心がある。
友達だったらこんなことにならなかったというのに。
ため息をつく。
窓の外の夕焼けに黄昏る。
こんな時、川鳥だったらどんな対策を取ってどう改善していくのだろう。
学校の運営委員の集まりで彼の提案にどれだけ助けられたか。
自分たちの負担が大きくならないような采配を取ったり、無理のないスケジュールを組んだり。
そのくせにいつだって明るいから頼れる。
そんな彼は、私のことが好きだった。
私のことを好きになるのはおかしい。
いつも他人に合わせて角を立てないように生きてるだけだというのに。
こんな人のどこがいいのか。
教室のドアが開く。
「お、長野さんか。勉強お疲れ様」
担任の先生が声をかけてきた。
「えぇ、まあ。でももう」
帰った方がいいのかと思って席を立つ。が、先生は手でそれを制する。
「大丈夫。まだ残ってるから安心して」
先生がいないと鍵を返せないので、帰るのかと思っていたけれど、違うらしい。
ならば、なぜ教室に来たのだろう。
「少し時間もらえるかな」
頷くと先生はドアを閉めた。
「曽我君のことだけど、彼、ティックトック撮ってたのは知ってた?」
彼は、校則違反であるSNSへの顔出しで生徒指導室にいる。
謹慎処分の可能性があると噂で聞いた。
「知らなかったです」
「彼の元カノ、舞さんが勝手に投稿したって彼はいうんだ。先生としても目立ちたがりじゃない曽我君がそんなことするとは思えない。舞さんってどんな子?」
「あんまり仲良くなかったので知らないです。クラスは一緒だったけど。別れた後は、静かに生活してた覚えがあります」
「友達はいなかった?」
「曽我と付き合ってからは離れて行きました。曽我、モテたんで、嫉妬したんでしょう」
「まぁそうだね。ビジュアルはアイドルみたいなもんだし」
先生がそんなふうに思っていただなんて驚いた。
「先生から見てもかっこいい?」
「かっこいいね。一人だけ異端」
「曽我とは幼馴染で、そんなふうには思えないですけど」
「そう、それを聞こうと思って。長野さんも曽我君に告白したんだよね?それは、長野さんの意思?」
「……え?」
てっきり曽我のどこが好きなのか聞かれると思っていた。
意思か否かを聞くなんて先生は何を想像しているのだろう。
この際だからいうけど、と前置きをして。
「長野さんって自分の意見言ってないでしょ?」
見抜かれた。すぐに返答できなかったのは図星だから。
なんでこんなタイミングでいうのだろう。
「もっと頼ってくれていい。君は、高校生だ。家庭のことも聞いてる。無理して明るくしなくていい」
そんなこと言われても、やってきたことはそう簡単に変えられない。
「クラスにね、もう一人心配な子がいるんだ。その子にそっくり。でもね、君はちょっとその子に比べて感情がわかりやすいよ」
「今、苦しいでしょ」
ツンと鼻を刺すような痛みが走る。
誰にも言えないことをどうして汲み取れてしまうのだろう。
先生だからだろうか。大人として経験してきたことなのだろうか。
「そんなことないです」
否定してみても、先生の目を見やれば見透かされているようで。
「……苦しいです」
私は先生に全部を話すことにした。
相川らと友達だったこと。父親がうつ病で母親が働いていて、その代わりに家事全般をやっていること。
時間も金もなくて相川らと距離ができたこと。
相川が曽我を好きになり、グループが一緒になった私に嫉妬して告白するように命令されたこと。
いじめに遭いたくなくて告白したこと。
曽我に全部バレてて、拒絶されたこと。友達でいたかったこと。
磯野に好意を抱かれていたこと。それもまた友達でいたかったこと。
嫌われたくなくて猫かぶって生きてること。
素直になれる相手がいないこと。
相談できる相手もいないこと。
いつの間にか泣いていた私に先生は静かに次の言葉を待ってくれる。
癒えない悲しみが溢れていく。
周りと同じように部活に励んでみたかった。塾に通ってみたかった。普通にカラオケに行ってみたかった。
流れる涙と共に浮かぶ願望。
切に願っても一生叶わないんじゃないかって思う失望。
「修学旅行だけは、叶えたいんです。友達と出かける楽しさを。でも」
みんな友達なんて思ってなくて、それぞれが誰かに想いを馳せている。
私はただ、友達でいたい。
恋人が欲しいわけじゃない。
曽我と同じで恋人を求めたことはない。
告白されたから付き合っただけ。
川鳥にはそんなことする必要もないと思った。友達の方が楽しそう。
だから。
「友達ってなんなんですかね」
自嘲気味に言う。ちょっとばかり家庭に時間を割いた結果、人との付き合い方がわからなくなっていた。
もしもこの人が私に好意を寄せていて話しかけていたなら、それまでの時間は友達としての時間ではないのだろうか。
「先生、私、友達が欲しいです」
「うん。大丈夫だよ。友達できるよ。まずは素直になることかな」
「はい」
すっきりした私は涙を拭い、先生に笑みを浮かべた。
何一つ解決していないのに、解決したよう。
それはきっと私が私のことをちゃんとみれている証拠なんだと思う。
素直になる。
難しいことだけれど、やってみる。
先生は、きて欲しいところがあると私を向かわせる。
廊下を歩く中、先生はつぶやく。
「にしても、高校生で家庭のことまでちゃんとこなせるってすごいな。先生なんて帰ったら寝てたよ」
「頑張ってるので」
「お、素晴らしいね。キツくなったらまた先生にでも相談して。全部頼りなさい」
と拳をぐっと見せる。
一緒になってぐっと拳を上げた。
向かった先は生徒指導室だった。
曽我がそこにはいる。
「ちょっときまづいかもしれないけど」
と、戸を開けるとそこにはだるそうに机に足を乗せる曽我の姿があった。
態度悪すぎじゃないですかね。
「こらこら、足のせない」
「俺、悪くねえのになんでこんな毎日ここにいなきゃならんの?」
「今状況整理してるところだから。問題のある可能性のある生徒を教室にはおけない」
「あるあるウルセェな。しね」
「こら」
と、私が注意するとなんでいんだよと悪態をついた。しばき倒したい。
「ダメだよ、そう言う態度とっちゃ」
にこりと笑顔を向ける。舌打ちする曽我。眉間に皺を寄せる私。
「なんかあれだね。保護者と反抗期の子供みたいな関係だね」
イラっとした曽我が、恥ずかしくなったのか足を床につけた。あら、かわいい。
「良い子だね。えらいえらい」
子供をあやすように頭を撫でてあげると彼はされるがままだった。嬉しいのかな。
「なんで長野を呼んだんですか。時間無駄にさせるつもりですか」
放課後に教室で勉強していることを知っている彼だ。気にしてくれているのだろう。
大体、どうしてここにいるのかといえば、彼のせいだ。謝罪していただきたいくらい。
「曽我君の件、中学の頃の彼女に問題があるのなら、中学一緒の子を呼んだ方が信じられるでしょ」
「俺は頼んでないです」
「このままじゃ、謹慎処分だってある。ただでさえ、生徒指導の先生から反感買ってるんだから、大人しくしてね」
反感を買うほど彼は野蛮だっただろうか。まさかこの部屋から飛び出したわけじゃあるまい。
え?飛び出した可能性あるの?この子が?
「舞って、付き合ってる頃動画ばっかり撮ってたんでしょ?私聞いてないよ」
「いや、今一番の趣味って言ってたから、深追いしない方がいいかなって」
本題に入ると彼はすんなり問いに答えた。
「まさか動画撮るって編集まで含まれるとは思わないだろ。しかも、それをSNSにあげるって」
「許可どりくらいは欲しいよね」
手軽に編集できる時代、AIなんかも使えば、それなりの動画が出来上がる。
プロレベルとは言わずともSNSくらいなら十分すぎる。
「許可しないし。それに、舞に連絡したけど、既読はついてない」
「クラスで広まったにしては早すぎたよね」と、私。
「そうなんだよな。部員の奴らも投稿してすぐ知ったっぽい。ハートも保存も少なかったのを覚えてる」
「誰かが意図的に仕組んだ?」
先生が要約する。
「その辺、川鳥がなんとかしてくれそうなんですけど、まだですか?」
「川鳥が?」
私の疑問に彼は目を合わせることもしなかった。どうしてこのタイミングで川鳥が出てきたのだろう。
川鳥は、磯野の件も任せてと言っていた。背負すぎじゃないだろうか。
「彼からなんの話も聞いてない。君が勝手にこの部屋抜け出して、川鳥といたときは驚いたよ。優等生の川鳥と真面目な君がどうしてここにいるんだと疑問を抱いたけれど、彼は何も言わなかった」
「……」
いや、やっぱりこの部屋から抜け出してるじゃん。
飛んだ野蛮人だ。
「その舞って子を呼べば一番いいんだけど、他校の子だ。君を解放するには時間がかかるよ」
一歩も解決策が出ないままお開きとなった。
舞と特別仲がいいわけじゃなかったから、連絡先も交換してない。
これを機に交換した場合、SNSの動画の件が問題になっていると知って消す可能性がある。
この学校としては消すべきだけれど、これ以上大事にしたくない。
被害者である曽我が、大人しく待っているのは川鳥を信頼しているから?
だとしたら、どこに信頼を置けるものがあったのだろう。
LHRのグループの話し合いで彼らがまともに会話している覚えがない。
短期間に何があったのか。
先生が先に部屋から出る。
二人きりになって聞いてみる。
「川鳥を信頼している理由は何?」
「……」
「そこまで仲良くなかったよね」
「……知らなくていいだろ」
「私があなたに告白したから?」
「変わらないよな。人当たりの良さだけは。人に合わせて気持ちのいい言葉だけ並べて。そんな人と誰が付き合いたいんだよ」
「それは」
「ってことをあの時言ったな。あれ、全部川鳥に聞かれてた」
「は!?」
衝撃的な発言に私はもっと詳しくと先生が座っていた席についた。
「どう言うこと?」
「あれのせいで距離ができた。でも、どう言うわけか俺のことを気にかけてた。俺もわからん」
「……」
「少なくとも信頼はしてる。素直な人だとは思うけど、隠し事は徹底的に隠してそうだよな。長野と一緒だ」
「……私は別に」
「やましいことがないなら、隠さなきゃいいのにな」
「いや、曽我だって」
「俺は、隠してない。舞が隠してるだけ」
「……あのさ、さっきから思ってたんだけど、別れたのに名前で呼ぶの?」
「…………え?」
「別れたんだよね?」
「あ、ああ」
「なら、やめた方がいいよ。付き合ってるみたい」
「…………そうか。そうなのか。気をつける」
モヤモヤしていたことを最後に告げて、私も部屋を出た。
どうやら時間が経つにつれて拗れていきそうな問題が二つあるなと思った。
曽我も磯野も早期解決を望む。
相川らとちゃんと話せば伝わるのだろうか。
不安だ。
曽我が相川を好きじゃないのは相川の性格の問題である。
そこをどうにか理解させないといけない。
でも、会いたくない。会話もできればしたくない。
それこそ舞と同じで直接話すべきだ。
イケメンが故にモテるバカのためにどうして私がそこまでしなければならないのか。
全部曽我が悪い。討伐対象にしたいくらい。
まるで史実のような展開。蘇我氏暗殺のような……。
巻き込まれただけだし。
人を好きにさせる彼が悪いのであって。
曽我のことを悪く言いながら、帰路につく。
グランドでは、サッカー部が部活に勤しんでいる。その中には川鳥の様子がない。
彼が部活に参加していないなんて珍しいなと思いながら、校舎を出た。
それにしても曽我のいう川鳥は、隠し事が多いらしい。
そんなふうには見えないけれど、隠していると言うのなら何を隠しているのだろう。
告白してきたときは驚いたし、本気なんだろうなとは思った。
友達として一緒にいたいと振ってからも普通に話しかけてくる。友達のままでいいのだと考えているから、変わらず話すけれど。
バス停の前に川鳥の姿が見える。
そういえば、彼はバス通学だ。
一人だと教室とは違い静かだなと思う。一人でも騒がしい人なんて見たことないけれど。
「よ、帰り?」
声をかけると驚いたように振り返った。
「帰り。帰るの早くない?普段なら、教室いるじゃん」
「そうだけど、先生に呼ばれて曽我の相手してた」
「曽我、どうなの」
今後のことを聞きたいのだろう。
「まだ一歩も前進してないよ。彼の元カノと話さないと始まんないって、先生が」
「動画も消してないみたいだしなぁ」
スマホをいじる彼はあまり興味がない様子。
「曽我が、川鳥に任せたって言ってた。何か進展あった?」
「ないよ。ただ、上山が一枚噛んでるのはわかった」
「上山が?」
静かで一人でいるような子がどうして関わっているのだろう。
最近、コンタクトにして川鳥と付き合うチャンスを狙ってるみたいだけれど、その辺も進展あったのだろうか。
「そう。相川に、この動画の件を先生に伝えろって脅されたらしい。舞とも中学生の時に仲良くなったって」
「どうしてそれを」
「全部、上山から聞いた。一緒に帰りたいって言われて何度かここまで一緒に帰ったよ」
彼は、好意に気づいていないのか。
「面倒だよな。部活帰りにもこっちきてさ。ぶっちゃけ迷惑」
「……」
気づいてないみたいだ。
周りにいる男子は人の好意に気づかない。鈍感なのか。
「まぁ、そのおかげで大体わかったし。あとは動画を消してもらうように頼んだし、相川も曽我が興味ないって知ればどうにかなる。あとは、磯野だけだな」
あ、と思いついたように彼は口にした。
「今から会うか?あいつの家、バス停近いだろ」
「このバス、磯野の家行かないよ」
「え?」
「ルートが違う」
「割り切れないな」
「何が言いたいの?」
「ルート四なら二になるだろ」
とふざけ始めたのでぶっ叩いた。
こんな時によくふざけられるものだ。
それにしても、一人で本当にどうにかできてしまうなんて驚きだ。
私では磯野にどう接していいかもわからないのに、曽我周りは一人で解決してしまった。
このまま彼に任せれば磯野のこともどうにかなるのだろうか。
「磯野のことは直接話せばどうにかなるでしょ。機会を窺ってる可能性もある。こっから遠い?」
「家、知らない」
「電話するか」
言うよりも早くスマホを耳にあてる。
「あ、もしもし。家どこ?お見舞い行くよ。住所はよ」
電話を切る。
「お、近いじゃん。向かいの電車乗ればすぐじゃんこれ、ないすー」
「本当にいくの?」
「暇だし。行こうぜ」
「ねぇ、部活は?今日、サッカー部やってたよ」
「……あぁ、いや、行かね」
「なんで」
「ま、いいから行くぞ。この機会逃したら、相川の望み通りになる」
腕を掴まれて向かいの止まっているバスに乗せられる。
望んでもいないのに、ここまできてしまったらあとは向かうだけ。
彼がどうして部活に参加せず帰ろうとしていたのかもわからないまま。
やはり曽我の言っていた言葉の意味がわからない。
人のことを知ろうと思えば思うほど、全くわからないのはなぜだろう。
全く知らないなんてことはないと思っていたために、いざ隣にいる彼に聞くための語彙がない。
「秋だね」
代わりにそんなこと言ってはぐらかす。
「そうだなぁ、修学旅行も近いな」
「まずはテストだよ」
「そうだな」
「進学、どうするの?」
「公立の大学にするよ」
「公立?」
「心理学を学べるところ探してる。先生からもいいところ紹介してもらったけど、ちょっと考えてる」
「公立いいじゃん。お金の負担減らせるよ?親孝行だ」
「……」
「どうかしたの?」
「親孝行になるのかなって思って。大学に行くのが親孝行なら、私立でもいい気がして」
「どうしたの急に。らしくないよ」
「らしさってなんだろうな。その人のこと知ってる気になることなのか、それとも本当に知ってるのか」
ふざけてばかりの彼が、真面目なことを言い始める。
先ほど自分も考えてしまったこと。
川鳥に関しては気にする必要もないかと思ったりもしたけれど。
「なんてたまに考えるよ。意味ないのにね」
と笑った。
聞いてみたかったけれど、彼ははぐらかすのだろうと思う。
普段の家での生活。一人でいる時とみんなでいる時のギャップ。
聞かない方がいいのかななんて思ったりもした。
みんな思いの外隠してる。
考えに蓋をして、笑い飛ばしてる。
私と一緒だ。
考えて、悩んで、それに気づかれたくなくて周りに合わせる。
だからアクシデントがあると焦るし、怒りを覚えたりする。
彼もきっと同じなんじゃないかと思う自分がいた。
曽我の言うとおりかもしれない。
磯野の最寄り駅に到着する。
バスにいた時もスマホを触っていたと言うのに、今も触り続ける彼のスマホを奪う。
「ほら、インターホン鳴らしてよ」
「スマホ返して」
「いいから、ほらほら」
ため息をついた彼は、インターホンを鳴らす。
女性の返事が聞こえる。すぐにドアが開くだろうと思う。
スマホを覗くと誰かとのライン画面が映っている。
『お金の心配はない。父さんの元にいてくれれば、行きたい大学も行ける。家を変えたくなければ弁護士にお願いして、調停で取り合ってもらう』
長い文章の初めにそんなことが書いてある。
調停とは離婚調停のことだろうか。どこか覚えのある言葉だ。
父親のうつ病が落ち着いた時に母親に伝えていたことがあった。
迷惑かけてしまうからと離婚を切り出し、母親はそれくらいならば働き出した。
否応問うことなく、家庭のことを任された私。
みんな家族のためになんとかしていた。
うつ病は仕方がないことなのだと言い聞かせた。
本当なら大学にも行かず就職しろと言われそうなところを母親は好きな大学に行きなさいと許してくれた。
家庭のことは私がやらなきゃと息巻いた時もある。
限界になる前に妹に弟のことを任せた。
おかげで今、少し落ち着いている。
相川らとも関わらないことで落ち着いた生活を得られていた。
磯野と話せばまた元の生活に戻るだろうか。
川鳥もいるし、問題ないのかもしれない。
だけれど、彼は私からスマホを奪い取り帰ると言い出した。
「ちょっと野暮用」
「え、でも」
二人きりじゃ気まずい。
相手は私のことが好きだと言うのに。
「問題ないよ。じゃ、よろしく」
と早々に出て行った。
追いかけるよりも先に家のドアが開いてしまう。
「あれ、男の人って聞いてたんだけど」
磯野は出るや否や焦るように言う。
「そうなんだけど、急に用が入ったって」
「え……」
お互い同じ気持ちらしい。
でも。
「ちょっと、外で話せる?」
「うん……」
適当にフラフラと二人で歩く。
誘ってきた川鳥はいない。
何か話してくれそうな彼がいないのは、居心地が悪くてしょうがない。
彼ならどうやって自分の気持ちを伝えるのだろう。
思えば、彼は面白い会話をするだけで自分の気持ちを伝えている場面に遭遇したことはない。
告白されたのは事実だけれど、実際どう思っていたのかもわからない。
私のように誰かに言われて告白した可能性だってある。
ならば、私は私の言葉で伝えるしかないのだろう。
「女子友から好意を寄せられるなんて思わなかった」
明るい声で言ってみる。
「それなりに恋愛経験はあるからさ、なんとなく気づくところもあって」
あの日のハグを返せなかったのは、好意を友情としてしか捉えていないから。
友達のままでいたかったから。
「気持ちに気づいていたし、気づかないふりを続けるのも胸が痛いけど、仕方ないって割り切ってた。あの時、驚くことはなかったけど、クラスメイトは驚いたし、好奇の目を向けた。そりゃ、嫌だよ。私だって無理」
「長野……」
歩を止める彼女に振り返る。
「無理なものは無理。人の気持ちを笑うなんてできない。こんなこと私が言えたことじゃないけどさ。嬉しいけど、ごめん。これはもう変わらない答え。でも、友達でいたい。教室でまた話したい」
それが私の気持ちだと彼女の告げた。
どうしてか告白するよりも苦しい。
まだ次があると思える恋より、もう終わるかもしれない友情は季節が移り変わるような切なさがあった。
「やっぱ、気づいてたんだ」
彼女はいう。
悲しそうに、俯いて、それでも泣くまいと奥歯を噛む。
「変なんだよ、私。同性を好きになっちゃうような変人。クラスメイトにバレたくなかったよ。あんな怒って出てったせいでレズだってバレる。もう終わったの」
だから。
「教室に行かない。もう会いたくない」
踵を返して、歩速をどんどん早めて家に戻って行ってしまう。
言葉を詰まらせて何も言えない。
だけれど、どうにかしなきゃと勢いのまま背中に飛びついた。
「会いたいよ。ずっと、いてほしい。せっかく心開ける友達に会えたんだもん。もっと一緒にいて」
「ずるいよ」
「そうかも。でも、お願い……こんな終わり方は嫌だよ」
「……何で」
私の体を引き剥がし向かい合う彼女は涙を浮かべていた。
「どれだけこんな気持ち無くなればいいって思ってきたか!私は、まだこの気持ち消化しきれてない!なのに、なんでこんなことするの!?ずるいじゃん!そんなのひどいよ!」
子供のように泣き出す彼女。頬を伝う涙を必死に拭っている。
「ごめん、感情任せに飛び込んで」
でもね、と彼女の頬を伝う涙を親指で拭う。
「離れたくないから」
「だから……っ!」
「一生そばにいて。恋人だったら一生を共にできる可能性は低いよ」
「…………ずるいよ」
ボソッとつぶやく彼女。
どうにか気持ちが伝わったみたいだ。
調子が上がってきて髪をわしゃわしゃとかき乱した。
やられっぱなしの彼女はとても可愛い。
「明日、待ってるからね」
彼女は縦に首を振った。何度も何度も嬉しそうに笑みを浮かべるその姿が可愛い。
気持ちに素直でいる姿はとても子供らしくて、私と違って強い人だなと思った。
翌日、彼女は以前のように自転車を降りて私に髪をわしゃわしゃされていた。
教室に着く。
クラスメイトは驚く様子もなく自分たちの世界にいる。
時に目が合うクラスメイトはさほど興味もない。
これだけ時間が経てば、話題が一つ二つ変わることもあるだろう。
それ以上に、川鳥のような話題の中心人物がいるのだから元から不安要素はない。
磯野もまた驚いている様子だったけれど、誰の仕業か気付いたよう。
だけどその日、彼は教室に来なかった。
まだ何かの胸騒ぎがした。
それが杞憂に終わればよかったのに、人生はそううまくはいかないらしい。



