川鳥を好きになったのは二年生になってすぐのことだった。
誰とでも仲良くできる人だなんて知らなかった頃。
彼に話しかけられて、笑顔が素敵で惚れた。一目惚れで、片思い。
長野が好きだという話は聞いたことなかったし、告白するまでは疑心暗鬼。
もっと明るい人がタイプだと思っていた。私のような人はもちろん、優等生で基本静かなタイプの長野は違うのだろう。
しかしながら、彼は長野に告白して今もなお引きずっている。
少しずつ関係性は戻ってきているけれど、恋人になる気配はないどころか二度目の告白もないだろうと予想した。
だから、磯野に頭を下げた。
頑張れば付き合えるんじゃないか。
静かなタイプに好意を寄せるのなら、私も頑張れば、好意を寄せてくれるかもしれない。
ほんのわずかな希望だ。
可能性がゼロでないのなら、賭けてみたい。
メガネをやめてコンタクトをつけてみる。
こっちの方がいいだろうか。
彼なら気づいて声をかけてくれるかもしれない。
磯野に確認してみると美容室に行けと言われた。
髪質が悪いのだろうか。
おすすめの美容院を紹介してもらって休日に向かう。
コンタクトの方が髪のセットもうまくやってもらえそうなのでコンタクトをつけていく。
男性の美容師さんが担当してくれて、みたこともない自分の姿に驚く。
帰りのバスで磯野に連絡をする。
川鳥にも見せたらということで、写真と一緒に『どう?』と連絡を送った。
『まず誰?』
は?と声が出る。
自分が出したとは思えない低い声にまた私は驚いた。
『今日、美容院行ったんだけど、男子からの評価聞きたくて』
既読がつかず夜まで待たされた。
『それ、他の男子にも聞いた方がいい?』
あなただけで十分と返すのは躊躇われた。代わりに。
『ちょっと怖いから、川鳥の意見だけ』
そしてまた待たされる。朝に返事が来た。『いいと思う』だけだった。
実際に会って話す時よりもLINEは淡白だ。
もう少しワイワイと連絡を返してくれるものだと思っていたのに意外だ。
『明日さ、これで学校行こうかな』
『いいと思う』
また同じ返しをされてイラッとする。
磯野にアドバイスをもらおうとスクショして送る。
彼女もまた連絡を返してくれなかった。
みんな塾に通ったり部活あったりで忙しいのかもしれない。
試しに長野に送ってみる。
グループのみんなとは仲良くなれているはずなのに、少し返事がないだけで不安になるのは私だけだろうか。
『可愛い!』
とすぐに返信が届く。続けて。
『髪切ったの?』
『そうなの。メガネやめてみたら美容師さんが上手くやってくれた』
『明日、それできなよ!』
そんな言葉に調子が上がる。
彼女だけが喜んでくれた。
翌日、張り切って髪をセットしてみるもののアイロンがうまくできず写真のように良い雰囲気ができない。
難しかったらストレートにするのもありだと美容師さんが言っていた覚えがある。
断念してボブカットのストレートで登校する。
教室に入るとクラスメイトが私をみている。
恥ずかしくて顔を下に向けた。刹那。
顔を覗く長野の姿。
「あ、やっぱり上山だ。可愛いよ、似合ってる!」
彼女だけがまた褒めてくれる。
「ありがと。ちょっと恥ずかしい」
「えなんで?いいじゃん、可愛いよ」
おいでおいでと磯野のいる席に呼んでくれる。
磯野また可愛いと褒めてくれた。
チラッとクラスメイトと喋っている川鳥に目を向けた。
私に気づく気配はない。
男子と話している方が楽しいのかもしれない。
修学旅行のグループが一緒なのだから、もう少し気にかけてくれてもいいのではないだろうか。
「送ってくれた写真みたいにはしなかったの?」
と、長野が問う。
「ちょっとうまくできなくて。美容師さんも難しかったらストレートにするだけでもいいって言ってくれたから」
「波打の外ハネ可愛かったのに」
なんてべらべら喋っているとチャイムが鳴る。
席に戻る時、川鳥とすれ違う。
「え、誰?いたっけ」
彼は、本当に私のことに気づいていないみたい。
今までどうやって私を判別してきたのか。メガネがあったからだろうか。
他にもメガネをかけている女子はいるというのに、最低だ。
スッと伸びた拳が彼の腕を叩く。長野だ。
「上山だよ。何言ってんの?」
振られてからも叩かれる彼をみることはあったけれど、随分と久々のような気がした。
同時に、彼ら二人にしかない空気を感じて居た堪れなかった。
「上山……。え、メガネやめたの!?」
と初めて聞いたかのように驚く彼。
「昨日連絡したじゃん」
「いやごめん、塾行ってたから。磯野がなんかそんなこと言ってたな」
磯野と同じ塾に通う彼。
休憩中にでもそんな話をしたんだろうか。
「あ、そうだ、あれ。名前、わかんないから。せめて、名前くらい送っといてよ。誰かわかんないって」
「ごめん」
もしかすると、彼の『まず誰?』は、私本人だと認識できていなかっただけ。グループ作るために追加しただけだから覚えていないのも無理はない。
「大丈夫、こっちで変えたから」
LINEの機能で名前ががわかるように変えることができる。
「まぁ、でもなんか、すごくいいと思うよ」
と、LINEと変わらない反応をもらった。
なんだかショックだった。
あまり関係性を構築できていないということが浮き彫りになったよう。
気に留めることなく彼は席に戻る。
「大丈夫だよ、似合ってるから」
長野だけが私に優しかった。
それがすごく嫌だった。
誰にでも優しいひと。八方美人の彼女。
彼氏ができたところできっと他の人にも同じくらい優しくするタイプ。
そんな人のどこがいいのか。
良くて顔だけの女の良さなんて、それ以上に得られることはない。
「うん、ありがと」
彼女に笑みを浮かべる。
席に戻ると彼女は本を読み始める。
チャイムがなると本を読み、その後にSHRが始まる。
くだらない日課でも長野と川鳥はちゃんとこなす。
どちらも真面目だ。
あれだけ休憩時間にくっちゃべってる川鳥の姿とは思えない。
なんでもここ数週間で考えが変わったらしく公立大学を目指すらしい。頭がいいのは知ってるし、目指さないのがおかしいくらいではあったけれど、どうやら長野と志望大学は同じだそうだ。
塾に行く気もなければ、頭のいい大学に行く気もない私にとって彼らは真面目だ。
邪魔しないようにと思う反面、そんな真面目になるなよと思う自分もいる。
めちゃくちゃに邪魔しちゃえば、川鳥の頭の中には私だけが残るだろうか。
邪念を払う。
そこまでして手に入れれば、他の人からなんて言われるだろう。
あの長野でさえ笹井や相川らに目をつけられて居場所を失いつつある。
いや、まって。
私が二人の後押しになればいいんだ。
そうしたら、邪魔な長野は消えるし、女子からはぶられるような人に好意を寄せ続けることもないはず。
川鳥を私のものだけにできる。
人当たりが良くてなんでもこなせるような人、邪魔だ。
私は、邪悪だ。
どれだけ被りを振っても消えない。
一度その思考に陥れば、できそうで他ならない。
なんだか自分が怖く思う。
これで川鳥にさえ嫌われたらどうしよう。
ため息をつく。
やめだ。
修学旅行のグループだって彼らがいなかったらグループにさえ入れないような女だ。
優しさを無下にしちゃだめ。
もうグループを変えることだってできないのだから。
SHRが終わり、家から水筒を持ってくるのを忘れた私は、購買の広いスペースの自販機でジュースを買った。
たまには甘い飲み物もいいだろうと思う。
それを手に取り腰をあげる。
目の前には相川と笹井がいた。
特別仲がいいわけじゃないので、少し距離を置いて歩速を早める。
「ねぇ、上山」
笹井が私に声をかけてきた。
「あんた修学旅行、曽我と一緒だよね」
自販機ではなく私に用があるみたいだ。
これ以上関わりたくないというのに。
「うん、そうだね」
「曽我に媚びるつもり?」
「え?いや、そんなつもりは」
「じゃあ、どうしてメガネやめたの?」
「……それはその」
言葉を濁そうにも彼女たちのいじめの的になりたくないと必死に言葉を探す。
ただ川鳥が好きなだけ。
「曽我相手じゃないなんだったら、川鳥?」
「あ、いや」
思わず反射的に返してしまう。
笹井の追撃は終わらない。
「違うんなら、協力してくれない?あんたの恋愛興味ないし。大丈夫、おおよそ見当はついてるから。協力、できるよね?」
「協力しないって言ったら?」
隣の相川が私の太ももを蹴る。突然の攻撃によろけて床に手をついた。
顔の横にしゃがみ込むと笹井は言う。
「協力しない権利、あんたにないよ。ね、長野のことあんま好きじゃないでしょ?ちょっとそっちのグループの関係壊してよ」
「……え」
「大丈夫。長野は取り繕うだろうし、磯野は長野さえ良ければ大丈夫、曽我は女子の関係のもつれを気にしない。川鳥にできることはそもそもない」
「それって」
「その隙でも狙いなよ。関係を壊す引き金があんただって川鳥が気づくわけないから」
「……」
「後押しはしてあげる。ちょっと言えば、ドミノ崩しだよ」
手に持っていたペットボトルを取られ床に投げ捨てられる。
綺麗に立つわけもなく横に倒れた。
「あぁ、できなかったらバラすから。大丈夫、簡単だよ」
笹井は私の肩をポンポンと叩くとそのまま帰っていった。
いつも私はこうだ。
誰かのために利用されて、悪役になる。
自分のために生きることなんてできない。
疲れたなんて言葉を口にしたら進学することもできなくなりそうで。
いつも大丈夫、大丈夫と言って自分の気持ちを抑え込む。
優等生にもなれない私にできることはない。
確かに、ちょっと言えば壊れるくらい脆い関係だ。
曽我と長野はかれこれ二週間以上話してない。
彼も何があったか自分の口から言わない。
長野の気持ちも配慮しているのかもしれない。
その配慮が川鳥を次の告白の牽制になっているだろう。
もしも長野に他に好きな人がいた場合。
曽我はそれを知っているから長野の好意から距離を置いた。
憶測の範囲を超えることはない。
ならば考えないほうがいいかと思う。
あれ以降、曽我と川鳥の関係にも亀裂がある。
川鳥だって長野と普通には喋るけれど、お互いどう思っているのかまでわからない。
笹井や相川が、どうつつくのかわからない。
心臓をバクバク言わせながら教室に戻る。
誰も私の変化に興味がない。モブは大抵そんなものだと知っている。
チラリと川鳥に目をやる。
意外にも教科書を開いて黙々と勉強している。
「勉強?」
「……ん?ああ。塾のね。おわんねぇ」
朝とは違い、誰とでも話すように返してくれる川鳥。
「塾の宿題って多い?」
「多いね。やりたくない」
「やらなきゃいいのに」
「やらないと、次行かねぇから。それにスパイの鬼婆もいるし」
「スパイ?」
チラッと彼が目線を送る先には長野と談笑する磯野の姿。
「あぁ、塾一緒なんだっけ」
「そう。まじ、全部バラすからだるい。バラくらい華があればいいのにな。バラだけに」
「あはは」
このギャグ受けてるところ見たことないのだけれど、一体どこの層に受けているのだろう。
めちゃくちゃ磯野に睨まれていることに気づいてほしい。
あ、ほら、今、こっちきてる。声がデカかったことに気づいてない?
背中をドンっと音がする勢いで殴った磯野。
死にそうな声で悲鳴をあげる川鳥。
もうこの二人が付き合っちゃえよと思うほどに仲睦まじい。
「なんか言った?」
「何も言ってない」
「スパイの鬼婆だってさ」
磯野に伝えると鋭い目で川鳥を見やる。
怯えた鳥はこんな感じで震えるのだろうか。
「いや、違う。誤解だ誤解。誰がお前にババアなんていうか」
と、逃げる気で立ち上がる彼。磯野に腕を掴まれた彼は諦めたよう。
二発肩パンを喰らうと悶絶していた。
あまりの鈍い音に少し距離をとった。怖すぎる。
「上山、また変なこと言ってたら教えてね。ぶっ潰すから」
「あ、はい……」
気持ちよく踵を返した彼女。また長野のところに戻っていく。
川鳥は席についてため息をつく。
「全く、何変なこと教えてんの?」
イラついている様子。
「ごめん」
「あいつ、マジでちょっと抱き心地良さそうだからってあんなことして自分が可愛いとでも思ってんのかよ」
「……え?」
今、なんて?
「え、あぁ、いや。気にしないで」
「川鳥って磯野みたいな子もタイプなの?」
「まさか。あれはない」
「好きじゃない?」
「好きじゃないね」
「長野は?」
「……なんで上山にいう必要があるの?」
「あ、ううん。前、告白してたじゃん」
「うわ、そっか。知ってんのか。失点だ」
また、ギャグを言う。どこに受けてるの本当に。
「好きだけど、まぁ、曽我のことが好きみたいだし」
「え、でも、結局」
「付き合ってない。他の奴らは付き合ってるとか思ってるみたいだけど」
「アタックチャンスだね」
思ってもいない言葉を言えてしまうのは、いつからか作られたモブキャラという立ち位置のせい。
本当はこんな言葉言いたくなんかない。
「チャンスもないね。曽我の言葉に傷心気味だし」
「そんなふうに見えないけど」
「ああいうの空元気っていうんだぜ。気づかなかった?」
「気づかなかった。でもさ、曽我がそんな酷い言葉言うのかな。人当たりいいじゃん」
「んまぁ。そうだな。幼馴染っていうのもあるんじゃない?一番自分がよく知ってる的なさ」
「え、でも」
だったら、付き合ってもよくないだろうか。
しかし、そうしたら笹井や相川らがいじめの的にしかねないのか。
それを知っているから告白を振った?
どちらに転がっても教室で話さない関係性になってしまうのなら、あの二人にとっていじめの的として都合がいいんじゃないだろうか。
そして、関係を壊そうとしていると知っているのが私だけ。
私に隙をつくチャンスがあるというのは明白だ。
目の前に彼と近づくチャンス。
最悪、相川と笹井のせいにしておけばいいんだ。
再度悪い考えを思い出した。もうあの二人が止まるとは思えない状況に私は逃げ場がないと悟る。
事態が好転することを願おう。
千載一遇のチャンスをものにしても誰も文句言わない。
私はこの時、ある問題に気づかないでいた。
翌日、クラスの雰囲気は変わっていた。
いつもなら教室で談笑している川鳥の姿がなく異様な静かさがある。休みじゃないと気づいたのは、彼の鞄が乱暴に置いてあったから。
私が教室に入るなりクラスメイトは私を見て指をさす。
最初こそはクラスを間違えたかと思ったけれど、そんな生ぬるい状況ではないことくらい察する。
昨日の笹井と相川の言葉を思い出す。
もう始めたんだ。
あれ以上の会話がない限り、私はどの場面で奪うか慎重にならざるを得ない。
私が壊すわけではないのだ。責任はない。
普通に席に座ったけれど、どうしたらいいのかわからない。
長野もいなければ、磯野もいない。
曽我はギリギリに学校に来るからこの状況を知らない可能性もある。
ニヤついている相川の姿が見えた。
笹井はいない。
相川の元に行く。
「ねぇ、何したの」
「あ?昨日言ったじゃん。大丈夫。全部うまく行くよ」
何がうまく行くのか。
状況がまるで理解できない環境で何ができるのか。
「あなたも嫌だったでしょ?修学旅行のグループが曖昧なままなのは」
そんな……。
「いやぁ、にしてもよくやったよな。長野と磯野が来るなり二人が付き合ってるってデマ流したの。しかも写真付きで」
相川の前の席の男子がヘラヘラという。
二人が付き合ってる?
「なんの話?」
「磯野が激怒して、帰って、それを長野は追いかけた」
まさか、長野じゃなく磯野をつついたなんて……。
ドミノ倒しってこんなやり方。
「それで異様な空気に気付いた川鳥が磯野を探しに行った。全部、俺が教えてやったんぜ。部活一緒だしさ、ちょっと面白いと思ったんだけど、違ったわ」
やらかしたーとヘラヘラ笑っている。
「でも、この写真、なんで」
私に問いに答えたのは相川だった。
「二人、気持ち悪いくらいくっついてるじゃん?だから、張ってたの」
ほいとスマホ画面を見せられる。
これは放課後に撮られた写真だという。磯野が長野の横から抱きしめている姿。
確かにそう見えなくもないけれど。
「この後、曽我が来るじゃん。人当たりの良さもこれ見たら化けの皮もろとも剥がれるんじゃないかな。まさか、長野も川鳥もみんな化けの皮があるとはね」
「表面だけ仲のいいグループってか」
大爆笑の男子たち。
何が面白いのか。
なのにどうして私は動けないままでいるのか。
「上山だけ違うんだね。みんなともうちょい仲良いと思ってたよ。興味ないんだ?川鳥好きだったっぽいのに」
「私の気持ち知ってて……」
「え、だって、まさか川鳥もそうだとは思わないじゃん?あ、でもそっか、長野好きなんだもんね。女の子見る目ないねぇ。そんな人好きになっちゃってほんとによかったの?」
「あ、あぁ」
気持ちが壊れそうになっているところにおっはーと元気な声が飛んでくる。笹井だ。
「あれ、もしかして、この感じ、全部やっちゃった?」
「そう、そしたら、磯野激怒して帰った!」
「まじ!?超面白いじゃん」
彼女たちは何が面白いのかゲラゲラと笑う。
「上山、あんたちょうどいいじゃん、川鳥を狙うチャンス」
居た堪れなさもあって私は教室を飛び出した。
だけれど、どこに行けばいいのかわからない。
とりあえず一階に行くけれど、どこを探し回っても見つからない。
保健室に行っただろうか。いや、激怒したのなら外にいてもおかしくない。
この時間、人もいるけれど変に思われても構わないとか思ってる可能性がある。
靴を履き替えて外に出る。
ちょっと行けばすぐ駐輪場が見えてくる。
磯野の怒鳴ってる声が聞こえてくる。
小走りに向かうと磯野は自転車を押しながら走っている姿が見えた。
長野も川鳥も追いかけようとしない。無理だと気づいたんだ。
来るのが遅かった。早く来れてもどうにもできないだろうけど。
「川鳥は気づいてたの?」
「……ごめん。本人は隠してたから」
「そっか」
「長野が気にすることないから。ほんとあいつらマジやりすぎ」
髪をかいて戻るよう促す川鳥。
目が合うと彼は立ち止まった。
「その感じ、全部聞いてた?」
下駄箱から来たために教室にいたことは把握されているんだろう。
「いや、あんまり聞いてないけど。でも、その」
私のせいかもしれないと言えなかった。
「昨日僕に恋愛事情聞いてきたのって、今日のため?」
「違う」
そんなわけないと否定する。疑われるようなことはしてない。
「川鳥、犯人探ししてもしょうがないよ。上山さん、磯野のことは私たちでなんとかするから。気にしないで」
これで二人の連携かと思い知らされる。
二人が学校行事や集会で必要とされる理由がわかった。
すぐ客観的になれるから、冷静でいられるから。
何より私情を挟まないから。
事実を事実として理解するから。
「そうだな。きっついな。修学旅行のグループもう変えらんねえよ」
修学旅行まであと一ヶ月もない。
この土壇場で仲直りできたとしても、クラスメイトからの視線は変わらないままだろう。
今思えば、川鳥が長野に告白したタイミングはベストだったんだ。
友達に戻る期間もちゃんと用意してあった。
うまく逃げる環境も確保してあった。
だが、私はどうだろう。
友達に戻るどころか逃げることも危うい。
相川や笹井に目をつけられている時点で逃げ場はない。
最悪、私を盾にして逃げる二人だ。
こんな環境で、どうやって川鳥と付き合うというのだろう。
人任せに動いたせいでもうできることがない。
教室に戻ると曽我が相川らと話していた。
それも楽しそうに。
こんな状況だっていうのに、どうして楽しめるのだろうか。あり得ない。
「いやぁ、川鳥まじごめんな。まさかこうなるとは思ってなくてさ」
「あぁ、もういいよ。部活で潰すわ!」
他の人との関係は壊さんとする言葉。私が何が言えた口じゃないと思い知る。
SHR後、相川と笹井が二人で廊下に出た時に声をかけた。
「ねぇ!あれ、どういうつもりなの!磯野さん狙う必要あった?」
「上山、もうあなたいらないの。教室もどんなよ」
「そこまでする必要あった?目的は長野さんじゃないの?」
食い下がるつもりは一切なかった。
「昨日言ったじゃん。ドミノ倒しだって。さっきも言ったけど、化けの皮剥いだやつはいなかったね。もう少し押さないといけない」
「どうしてそこまで」
距離を置くよりも先に腕で首元を絞める相川。
廊下の死角になる位置でボソッと呟く。
「ムカつくじゃん、何も持ってないくせに、なんでも持っているように見えるやつ。身の丈に合ってない。等身大じゃない。たまに見える背伸びした姿が気に入らない」
「……そんなの」
「あなたもそう。何急にメガネやめちゃってんの?それで可愛くなれたつもり?それをいいって言ってくれるのは所詮、長野と川鳥の温情でしょ?川鳥に至っては、友達よりも少し距離置いた会話しかしてない」
「やめて」
「気づいてたでしょ。自分が川鳥の隣にもいられないことくらい。でも昨日のあなたの目を見た時思ったの。あ、使えるって」
ハハっと笑う相川。
「川鳥の隣にいられる良さってあなたのプライドの問題でしょ?少しは他よりマシだって思ってる高いプライドきもいよ」
「……やめてよ」
「やめてってだって、あんたずっと笑うだけで意見しないじゃん。私らと席近い時でさえそうだったでしょ?」
首から腕を離すと背中を押す。
よろめいた私は昨日みたいに膝をついた。
後ろから蹴られて手をついて横たわる。
「もともとあんたのこと利用できればよかったの。そもそも付け入る隙もなければ逃げ場もないの。ちょっと考えればわかったでしょ」
「……」
どうして長野に執着するのか。
私にはわからなかった。
それ以上にこの先、グループの人たちやクラスメイトに敵視されるのかと思うと足が竦んだ。
いじめは経験してきた。
だけれど、初めて怖いと感じた。
優しくしてくれる人たちの温もりを知ってしまったから。
離れて行った後の冷たさを考えると季節の変わり目の涼しさが棘のように痛かった。
親を心配させたくない私にとって学校に行くしかないのだけれど。
やっぱりモブの私にはいじめられる存在が一番似合うのだなと自嘲する。
「大丈夫?」
優しい声に顔をあげる。
同じ目線にいる曽我の姿。
どうしてここにというよりも先に頬に触れて、何かを拭ってくれる。
泣いていたのだと気づく。
「せっかくイメチェンしたのにそれじゃ台無しだよ」
「なんで」
「とりあえず、ちょっと話せる?」
手を差し出されその手を掴む。
自販機のすぐ近くのベンチに座る。
彼は全部話を聞いてくれた。
相川、笹井に目をつけられていること。
修学旅行のグループの仲を壊そうとしていること。
その原因にされるかもしれないということ。
全部聞いてくれた彼はいう。
「大丈夫。上っ面の温情で人は優しくしないから」
なぜだか信じてもいいと思える言葉だった。
彼を信じたいと思う自分がいた。
だから。
「ありがと」
と、伝えた。
初めて人を信じられた気がした。
だけど、その夜。
中学の部活で知り合い他校に通う友達、舞にそのことを電話する。
『ねぇ、曽我って、曽我冬馬君のこと?』
「え、うん。すごいなんでわかったの?」
『彼氏なの。ちょっと嫉妬しちゃった』
「……え」
曽我、彼女いたんだ。
それなら、長野を振った理由もわかるけれど。
彼に彼女がいるなんて噂はない。恋愛から距離置いてるってだけで。
『ティックトックにも出してるんだけど、言わなかったっけ?』
「言ってたけど、冬馬君って」
まさか、曽我冬馬のことだとは思わなかった。
本当なら、彼女の存在を隠すなんて最低だ。
どうしてそんなことができようか。
自慢くらいしたらいいのに、自慢もできないほどに知られたくない?
何それ、最低。
『うん、今、URL送ったから。クラスの子、知らないようだったら教えてあげて』
「いやでも」
うちの学校は、顔出しの動画投稿は禁止だ。
進学や就職に影響を与える可能性を配慮しての校則。
これが学校にバレたらまずいんじゃ……。
URLを開き、動画を見る。
『彼氏と喧嘩した日』
動画タイトルはエンタメ風にしてあって、あくまでフィクションだと伝えたい模様。
内容的に彼は本気で怒っているようにも見える。
役者志望ではなかったはずだけれど。
コメント欄は少し荒れてる。
プロフィールを見るに彼氏との関係が続いているのかわからないまま。
「これ、大丈夫なの?」
『何が?』
「だって、ちょっと荒れてるじゃん」
『彼が望んだことだから』
「続いているなら、プロフィールに書いておいた方がいいんじゃないの?」
『あ!そうだね!そうする!』
なんだか不穏な感じがする。
重りがのしかかったように。
LINEの通知が鳴る。
笹井だ。
『この動画、本当?この動画投稿してる女子にDM送って確認しといてね』
友達との電話を切り、すぐに笹井に返信した。
「本当だって。今も付き合ってるみたい」
既読がつく。
『了解』
どうやら私は、抜け出せたはずの地獄にまた足を踏み入れてしまったよう。
この先どうなるのか、私にはわからない。嫌われるかもしれない。
だけど、友達との関係を隠す曽我へ怒りが湧いた。
その怒りを抑えていたのなら、もう少し変わった未来が得られただろうか。
誰とでも仲良くできる人だなんて知らなかった頃。
彼に話しかけられて、笑顔が素敵で惚れた。一目惚れで、片思い。
長野が好きだという話は聞いたことなかったし、告白するまでは疑心暗鬼。
もっと明るい人がタイプだと思っていた。私のような人はもちろん、優等生で基本静かなタイプの長野は違うのだろう。
しかしながら、彼は長野に告白して今もなお引きずっている。
少しずつ関係性は戻ってきているけれど、恋人になる気配はないどころか二度目の告白もないだろうと予想した。
だから、磯野に頭を下げた。
頑張れば付き合えるんじゃないか。
静かなタイプに好意を寄せるのなら、私も頑張れば、好意を寄せてくれるかもしれない。
ほんのわずかな希望だ。
可能性がゼロでないのなら、賭けてみたい。
メガネをやめてコンタクトをつけてみる。
こっちの方がいいだろうか。
彼なら気づいて声をかけてくれるかもしれない。
磯野に確認してみると美容室に行けと言われた。
髪質が悪いのだろうか。
おすすめの美容院を紹介してもらって休日に向かう。
コンタクトの方が髪のセットもうまくやってもらえそうなのでコンタクトをつけていく。
男性の美容師さんが担当してくれて、みたこともない自分の姿に驚く。
帰りのバスで磯野に連絡をする。
川鳥にも見せたらということで、写真と一緒に『どう?』と連絡を送った。
『まず誰?』
は?と声が出る。
自分が出したとは思えない低い声にまた私は驚いた。
『今日、美容院行ったんだけど、男子からの評価聞きたくて』
既読がつかず夜まで待たされた。
『それ、他の男子にも聞いた方がいい?』
あなただけで十分と返すのは躊躇われた。代わりに。
『ちょっと怖いから、川鳥の意見だけ』
そしてまた待たされる。朝に返事が来た。『いいと思う』だけだった。
実際に会って話す時よりもLINEは淡白だ。
もう少しワイワイと連絡を返してくれるものだと思っていたのに意外だ。
『明日さ、これで学校行こうかな』
『いいと思う』
また同じ返しをされてイラッとする。
磯野にアドバイスをもらおうとスクショして送る。
彼女もまた連絡を返してくれなかった。
みんな塾に通ったり部活あったりで忙しいのかもしれない。
試しに長野に送ってみる。
グループのみんなとは仲良くなれているはずなのに、少し返事がないだけで不安になるのは私だけだろうか。
『可愛い!』
とすぐに返信が届く。続けて。
『髪切ったの?』
『そうなの。メガネやめてみたら美容師さんが上手くやってくれた』
『明日、それできなよ!』
そんな言葉に調子が上がる。
彼女だけが喜んでくれた。
翌日、張り切って髪をセットしてみるもののアイロンがうまくできず写真のように良い雰囲気ができない。
難しかったらストレートにするのもありだと美容師さんが言っていた覚えがある。
断念してボブカットのストレートで登校する。
教室に入るとクラスメイトが私をみている。
恥ずかしくて顔を下に向けた。刹那。
顔を覗く長野の姿。
「あ、やっぱり上山だ。可愛いよ、似合ってる!」
彼女だけがまた褒めてくれる。
「ありがと。ちょっと恥ずかしい」
「えなんで?いいじゃん、可愛いよ」
おいでおいでと磯野のいる席に呼んでくれる。
磯野また可愛いと褒めてくれた。
チラッとクラスメイトと喋っている川鳥に目を向けた。
私に気づく気配はない。
男子と話している方が楽しいのかもしれない。
修学旅行のグループが一緒なのだから、もう少し気にかけてくれてもいいのではないだろうか。
「送ってくれた写真みたいにはしなかったの?」
と、長野が問う。
「ちょっとうまくできなくて。美容師さんも難しかったらストレートにするだけでもいいって言ってくれたから」
「波打の外ハネ可愛かったのに」
なんてべらべら喋っているとチャイムが鳴る。
席に戻る時、川鳥とすれ違う。
「え、誰?いたっけ」
彼は、本当に私のことに気づいていないみたい。
今までどうやって私を判別してきたのか。メガネがあったからだろうか。
他にもメガネをかけている女子はいるというのに、最低だ。
スッと伸びた拳が彼の腕を叩く。長野だ。
「上山だよ。何言ってんの?」
振られてからも叩かれる彼をみることはあったけれど、随分と久々のような気がした。
同時に、彼ら二人にしかない空気を感じて居た堪れなかった。
「上山……。え、メガネやめたの!?」
と初めて聞いたかのように驚く彼。
「昨日連絡したじゃん」
「いやごめん、塾行ってたから。磯野がなんかそんなこと言ってたな」
磯野と同じ塾に通う彼。
休憩中にでもそんな話をしたんだろうか。
「あ、そうだ、あれ。名前、わかんないから。せめて、名前くらい送っといてよ。誰かわかんないって」
「ごめん」
もしかすると、彼の『まず誰?』は、私本人だと認識できていなかっただけ。グループ作るために追加しただけだから覚えていないのも無理はない。
「大丈夫、こっちで変えたから」
LINEの機能で名前ががわかるように変えることができる。
「まぁ、でもなんか、すごくいいと思うよ」
と、LINEと変わらない反応をもらった。
なんだかショックだった。
あまり関係性を構築できていないということが浮き彫りになったよう。
気に留めることなく彼は席に戻る。
「大丈夫だよ、似合ってるから」
長野だけが私に優しかった。
それがすごく嫌だった。
誰にでも優しいひと。八方美人の彼女。
彼氏ができたところできっと他の人にも同じくらい優しくするタイプ。
そんな人のどこがいいのか。
良くて顔だけの女の良さなんて、それ以上に得られることはない。
「うん、ありがと」
彼女に笑みを浮かべる。
席に戻ると彼女は本を読み始める。
チャイムがなると本を読み、その後にSHRが始まる。
くだらない日課でも長野と川鳥はちゃんとこなす。
どちらも真面目だ。
あれだけ休憩時間にくっちゃべってる川鳥の姿とは思えない。
なんでもここ数週間で考えが変わったらしく公立大学を目指すらしい。頭がいいのは知ってるし、目指さないのがおかしいくらいではあったけれど、どうやら長野と志望大学は同じだそうだ。
塾に行く気もなければ、頭のいい大学に行く気もない私にとって彼らは真面目だ。
邪魔しないようにと思う反面、そんな真面目になるなよと思う自分もいる。
めちゃくちゃに邪魔しちゃえば、川鳥の頭の中には私だけが残るだろうか。
邪念を払う。
そこまでして手に入れれば、他の人からなんて言われるだろう。
あの長野でさえ笹井や相川らに目をつけられて居場所を失いつつある。
いや、まって。
私が二人の後押しになればいいんだ。
そうしたら、邪魔な長野は消えるし、女子からはぶられるような人に好意を寄せ続けることもないはず。
川鳥を私のものだけにできる。
人当たりが良くてなんでもこなせるような人、邪魔だ。
私は、邪悪だ。
どれだけ被りを振っても消えない。
一度その思考に陥れば、できそうで他ならない。
なんだか自分が怖く思う。
これで川鳥にさえ嫌われたらどうしよう。
ため息をつく。
やめだ。
修学旅行のグループだって彼らがいなかったらグループにさえ入れないような女だ。
優しさを無下にしちゃだめ。
もうグループを変えることだってできないのだから。
SHRが終わり、家から水筒を持ってくるのを忘れた私は、購買の広いスペースの自販機でジュースを買った。
たまには甘い飲み物もいいだろうと思う。
それを手に取り腰をあげる。
目の前には相川と笹井がいた。
特別仲がいいわけじゃないので、少し距離を置いて歩速を早める。
「ねぇ、上山」
笹井が私に声をかけてきた。
「あんた修学旅行、曽我と一緒だよね」
自販機ではなく私に用があるみたいだ。
これ以上関わりたくないというのに。
「うん、そうだね」
「曽我に媚びるつもり?」
「え?いや、そんなつもりは」
「じゃあ、どうしてメガネやめたの?」
「……それはその」
言葉を濁そうにも彼女たちのいじめの的になりたくないと必死に言葉を探す。
ただ川鳥が好きなだけ。
「曽我相手じゃないなんだったら、川鳥?」
「あ、いや」
思わず反射的に返してしまう。
笹井の追撃は終わらない。
「違うんなら、協力してくれない?あんたの恋愛興味ないし。大丈夫、おおよそ見当はついてるから。協力、できるよね?」
「協力しないって言ったら?」
隣の相川が私の太ももを蹴る。突然の攻撃によろけて床に手をついた。
顔の横にしゃがみ込むと笹井は言う。
「協力しない権利、あんたにないよ。ね、長野のことあんま好きじゃないでしょ?ちょっとそっちのグループの関係壊してよ」
「……え」
「大丈夫。長野は取り繕うだろうし、磯野は長野さえ良ければ大丈夫、曽我は女子の関係のもつれを気にしない。川鳥にできることはそもそもない」
「それって」
「その隙でも狙いなよ。関係を壊す引き金があんただって川鳥が気づくわけないから」
「……」
「後押しはしてあげる。ちょっと言えば、ドミノ崩しだよ」
手に持っていたペットボトルを取られ床に投げ捨てられる。
綺麗に立つわけもなく横に倒れた。
「あぁ、できなかったらバラすから。大丈夫、簡単だよ」
笹井は私の肩をポンポンと叩くとそのまま帰っていった。
いつも私はこうだ。
誰かのために利用されて、悪役になる。
自分のために生きることなんてできない。
疲れたなんて言葉を口にしたら進学することもできなくなりそうで。
いつも大丈夫、大丈夫と言って自分の気持ちを抑え込む。
優等生にもなれない私にできることはない。
確かに、ちょっと言えば壊れるくらい脆い関係だ。
曽我と長野はかれこれ二週間以上話してない。
彼も何があったか自分の口から言わない。
長野の気持ちも配慮しているのかもしれない。
その配慮が川鳥を次の告白の牽制になっているだろう。
もしも長野に他に好きな人がいた場合。
曽我はそれを知っているから長野の好意から距離を置いた。
憶測の範囲を超えることはない。
ならば考えないほうがいいかと思う。
あれ以降、曽我と川鳥の関係にも亀裂がある。
川鳥だって長野と普通には喋るけれど、お互いどう思っているのかまでわからない。
笹井や相川が、どうつつくのかわからない。
心臓をバクバク言わせながら教室に戻る。
誰も私の変化に興味がない。モブは大抵そんなものだと知っている。
チラリと川鳥に目をやる。
意外にも教科書を開いて黙々と勉強している。
「勉強?」
「……ん?ああ。塾のね。おわんねぇ」
朝とは違い、誰とでも話すように返してくれる川鳥。
「塾の宿題って多い?」
「多いね。やりたくない」
「やらなきゃいいのに」
「やらないと、次行かねぇから。それにスパイの鬼婆もいるし」
「スパイ?」
チラッと彼が目線を送る先には長野と談笑する磯野の姿。
「あぁ、塾一緒なんだっけ」
「そう。まじ、全部バラすからだるい。バラくらい華があればいいのにな。バラだけに」
「あはは」
このギャグ受けてるところ見たことないのだけれど、一体どこの層に受けているのだろう。
めちゃくちゃ磯野に睨まれていることに気づいてほしい。
あ、ほら、今、こっちきてる。声がデカかったことに気づいてない?
背中をドンっと音がする勢いで殴った磯野。
死にそうな声で悲鳴をあげる川鳥。
もうこの二人が付き合っちゃえよと思うほどに仲睦まじい。
「なんか言った?」
「何も言ってない」
「スパイの鬼婆だってさ」
磯野に伝えると鋭い目で川鳥を見やる。
怯えた鳥はこんな感じで震えるのだろうか。
「いや、違う。誤解だ誤解。誰がお前にババアなんていうか」
と、逃げる気で立ち上がる彼。磯野に腕を掴まれた彼は諦めたよう。
二発肩パンを喰らうと悶絶していた。
あまりの鈍い音に少し距離をとった。怖すぎる。
「上山、また変なこと言ってたら教えてね。ぶっ潰すから」
「あ、はい……」
気持ちよく踵を返した彼女。また長野のところに戻っていく。
川鳥は席についてため息をつく。
「全く、何変なこと教えてんの?」
イラついている様子。
「ごめん」
「あいつ、マジでちょっと抱き心地良さそうだからってあんなことして自分が可愛いとでも思ってんのかよ」
「……え?」
今、なんて?
「え、あぁ、いや。気にしないで」
「川鳥って磯野みたいな子もタイプなの?」
「まさか。あれはない」
「好きじゃない?」
「好きじゃないね」
「長野は?」
「……なんで上山にいう必要があるの?」
「あ、ううん。前、告白してたじゃん」
「うわ、そっか。知ってんのか。失点だ」
また、ギャグを言う。どこに受けてるの本当に。
「好きだけど、まぁ、曽我のことが好きみたいだし」
「え、でも、結局」
「付き合ってない。他の奴らは付き合ってるとか思ってるみたいだけど」
「アタックチャンスだね」
思ってもいない言葉を言えてしまうのは、いつからか作られたモブキャラという立ち位置のせい。
本当はこんな言葉言いたくなんかない。
「チャンスもないね。曽我の言葉に傷心気味だし」
「そんなふうに見えないけど」
「ああいうの空元気っていうんだぜ。気づかなかった?」
「気づかなかった。でもさ、曽我がそんな酷い言葉言うのかな。人当たりいいじゃん」
「んまぁ。そうだな。幼馴染っていうのもあるんじゃない?一番自分がよく知ってる的なさ」
「え、でも」
だったら、付き合ってもよくないだろうか。
しかし、そうしたら笹井や相川らがいじめの的にしかねないのか。
それを知っているから告白を振った?
どちらに転がっても教室で話さない関係性になってしまうのなら、あの二人にとっていじめの的として都合がいいんじゃないだろうか。
そして、関係を壊そうとしていると知っているのが私だけ。
私に隙をつくチャンスがあるというのは明白だ。
目の前に彼と近づくチャンス。
最悪、相川と笹井のせいにしておけばいいんだ。
再度悪い考えを思い出した。もうあの二人が止まるとは思えない状況に私は逃げ場がないと悟る。
事態が好転することを願おう。
千載一遇のチャンスをものにしても誰も文句言わない。
私はこの時、ある問題に気づかないでいた。
翌日、クラスの雰囲気は変わっていた。
いつもなら教室で談笑している川鳥の姿がなく異様な静かさがある。休みじゃないと気づいたのは、彼の鞄が乱暴に置いてあったから。
私が教室に入るなりクラスメイトは私を見て指をさす。
最初こそはクラスを間違えたかと思ったけれど、そんな生ぬるい状況ではないことくらい察する。
昨日の笹井と相川の言葉を思い出す。
もう始めたんだ。
あれ以上の会話がない限り、私はどの場面で奪うか慎重にならざるを得ない。
私が壊すわけではないのだ。責任はない。
普通に席に座ったけれど、どうしたらいいのかわからない。
長野もいなければ、磯野もいない。
曽我はギリギリに学校に来るからこの状況を知らない可能性もある。
ニヤついている相川の姿が見えた。
笹井はいない。
相川の元に行く。
「ねぇ、何したの」
「あ?昨日言ったじゃん。大丈夫。全部うまく行くよ」
何がうまく行くのか。
状況がまるで理解できない環境で何ができるのか。
「あなたも嫌だったでしょ?修学旅行のグループが曖昧なままなのは」
そんな……。
「いやぁ、にしてもよくやったよな。長野と磯野が来るなり二人が付き合ってるってデマ流したの。しかも写真付きで」
相川の前の席の男子がヘラヘラという。
二人が付き合ってる?
「なんの話?」
「磯野が激怒して、帰って、それを長野は追いかけた」
まさか、長野じゃなく磯野をつついたなんて……。
ドミノ倒しってこんなやり方。
「それで異様な空気に気付いた川鳥が磯野を探しに行った。全部、俺が教えてやったんぜ。部活一緒だしさ、ちょっと面白いと思ったんだけど、違ったわ」
やらかしたーとヘラヘラ笑っている。
「でも、この写真、なんで」
私に問いに答えたのは相川だった。
「二人、気持ち悪いくらいくっついてるじゃん?だから、張ってたの」
ほいとスマホ画面を見せられる。
これは放課後に撮られた写真だという。磯野が長野の横から抱きしめている姿。
確かにそう見えなくもないけれど。
「この後、曽我が来るじゃん。人当たりの良さもこれ見たら化けの皮もろとも剥がれるんじゃないかな。まさか、長野も川鳥もみんな化けの皮があるとはね」
「表面だけ仲のいいグループってか」
大爆笑の男子たち。
何が面白いのか。
なのにどうして私は動けないままでいるのか。
「上山だけ違うんだね。みんなともうちょい仲良いと思ってたよ。興味ないんだ?川鳥好きだったっぽいのに」
「私の気持ち知ってて……」
「え、だって、まさか川鳥もそうだとは思わないじゃん?あ、でもそっか、長野好きなんだもんね。女の子見る目ないねぇ。そんな人好きになっちゃってほんとによかったの?」
「あ、あぁ」
気持ちが壊れそうになっているところにおっはーと元気な声が飛んでくる。笹井だ。
「あれ、もしかして、この感じ、全部やっちゃった?」
「そう、そしたら、磯野激怒して帰った!」
「まじ!?超面白いじゃん」
彼女たちは何が面白いのかゲラゲラと笑う。
「上山、あんたちょうどいいじゃん、川鳥を狙うチャンス」
居た堪れなさもあって私は教室を飛び出した。
だけれど、どこに行けばいいのかわからない。
とりあえず一階に行くけれど、どこを探し回っても見つからない。
保健室に行っただろうか。いや、激怒したのなら外にいてもおかしくない。
この時間、人もいるけれど変に思われても構わないとか思ってる可能性がある。
靴を履き替えて外に出る。
ちょっと行けばすぐ駐輪場が見えてくる。
磯野の怒鳴ってる声が聞こえてくる。
小走りに向かうと磯野は自転車を押しながら走っている姿が見えた。
長野も川鳥も追いかけようとしない。無理だと気づいたんだ。
来るのが遅かった。早く来れてもどうにもできないだろうけど。
「川鳥は気づいてたの?」
「……ごめん。本人は隠してたから」
「そっか」
「長野が気にすることないから。ほんとあいつらマジやりすぎ」
髪をかいて戻るよう促す川鳥。
目が合うと彼は立ち止まった。
「その感じ、全部聞いてた?」
下駄箱から来たために教室にいたことは把握されているんだろう。
「いや、あんまり聞いてないけど。でも、その」
私のせいかもしれないと言えなかった。
「昨日僕に恋愛事情聞いてきたのって、今日のため?」
「違う」
そんなわけないと否定する。疑われるようなことはしてない。
「川鳥、犯人探ししてもしょうがないよ。上山さん、磯野のことは私たちでなんとかするから。気にしないで」
これで二人の連携かと思い知らされる。
二人が学校行事や集会で必要とされる理由がわかった。
すぐ客観的になれるから、冷静でいられるから。
何より私情を挟まないから。
事実を事実として理解するから。
「そうだな。きっついな。修学旅行のグループもう変えらんねえよ」
修学旅行まであと一ヶ月もない。
この土壇場で仲直りできたとしても、クラスメイトからの視線は変わらないままだろう。
今思えば、川鳥が長野に告白したタイミングはベストだったんだ。
友達に戻る期間もちゃんと用意してあった。
うまく逃げる環境も確保してあった。
だが、私はどうだろう。
友達に戻るどころか逃げることも危うい。
相川や笹井に目をつけられている時点で逃げ場はない。
最悪、私を盾にして逃げる二人だ。
こんな環境で、どうやって川鳥と付き合うというのだろう。
人任せに動いたせいでもうできることがない。
教室に戻ると曽我が相川らと話していた。
それも楽しそうに。
こんな状況だっていうのに、どうして楽しめるのだろうか。あり得ない。
「いやぁ、川鳥まじごめんな。まさかこうなるとは思ってなくてさ」
「あぁ、もういいよ。部活で潰すわ!」
他の人との関係は壊さんとする言葉。私が何が言えた口じゃないと思い知る。
SHR後、相川と笹井が二人で廊下に出た時に声をかけた。
「ねぇ!あれ、どういうつもりなの!磯野さん狙う必要あった?」
「上山、もうあなたいらないの。教室もどんなよ」
「そこまでする必要あった?目的は長野さんじゃないの?」
食い下がるつもりは一切なかった。
「昨日言ったじゃん。ドミノ倒しだって。さっきも言ったけど、化けの皮剥いだやつはいなかったね。もう少し押さないといけない」
「どうしてそこまで」
距離を置くよりも先に腕で首元を絞める相川。
廊下の死角になる位置でボソッと呟く。
「ムカつくじゃん、何も持ってないくせに、なんでも持っているように見えるやつ。身の丈に合ってない。等身大じゃない。たまに見える背伸びした姿が気に入らない」
「……そんなの」
「あなたもそう。何急にメガネやめちゃってんの?それで可愛くなれたつもり?それをいいって言ってくれるのは所詮、長野と川鳥の温情でしょ?川鳥に至っては、友達よりも少し距離置いた会話しかしてない」
「やめて」
「気づいてたでしょ。自分が川鳥の隣にもいられないことくらい。でも昨日のあなたの目を見た時思ったの。あ、使えるって」
ハハっと笑う相川。
「川鳥の隣にいられる良さってあなたのプライドの問題でしょ?少しは他よりマシだって思ってる高いプライドきもいよ」
「……やめてよ」
「やめてってだって、あんたずっと笑うだけで意見しないじゃん。私らと席近い時でさえそうだったでしょ?」
首から腕を離すと背中を押す。
よろめいた私は昨日みたいに膝をついた。
後ろから蹴られて手をついて横たわる。
「もともとあんたのこと利用できればよかったの。そもそも付け入る隙もなければ逃げ場もないの。ちょっと考えればわかったでしょ」
「……」
どうして長野に執着するのか。
私にはわからなかった。
それ以上にこの先、グループの人たちやクラスメイトに敵視されるのかと思うと足が竦んだ。
いじめは経験してきた。
だけれど、初めて怖いと感じた。
優しくしてくれる人たちの温もりを知ってしまったから。
離れて行った後の冷たさを考えると季節の変わり目の涼しさが棘のように痛かった。
親を心配させたくない私にとって学校に行くしかないのだけれど。
やっぱりモブの私にはいじめられる存在が一番似合うのだなと自嘲する。
「大丈夫?」
優しい声に顔をあげる。
同じ目線にいる曽我の姿。
どうしてここにというよりも先に頬に触れて、何かを拭ってくれる。
泣いていたのだと気づく。
「せっかくイメチェンしたのにそれじゃ台無しだよ」
「なんで」
「とりあえず、ちょっと話せる?」
手を差し出されその手を掴む。
自販機のすぐ近くのベンチに座る。
彼は全部話を聞いてくれた。
相川、笹井に目をつけられていること。
修学旅行のグループの仲を壊そうとしていること。
その原因にされるかもしれないということ。
全部聞いてくれた彼はいう。
「大丈夫。上っ面の温情で人は優しくしないから」
なぜだか信じてもいいと思える言葉だった。
彼を信じたいと思う自分がいた。
だから。
「ありがと」
と、伝えた。
初めて人を信じられた気がした。
だけど、その夜。
中学の部活で知り合い他校に通う友達、舞にそのことを電話する。
『ねぇ、曽我って、曽我冬馬君のこと?』
「え、うん。すごいなんでわかったの?」
『彼氏なの。ちょっと嫉妬しちゃった』
「……え」
曽我、彼女いたんだ。
それなら、長野を振った理由もわかるけれど。
彼に彼女がいるなんて噂はない。恋愛から距離置いてるってだけで。
『ティックトックにも出してるんだけど、言わなかったっけ?』
「言ってたけど、冬馬君って」
まさか、曽我冬馬のことだとは思わなかった。
本当なら、彼女の存在を隠すなんて最低だ。
どうしてそんなことができようか。
自慢くらいしたらいいのに、自慢もできないほどに知られたくない?
何それ、最低。
『うん、今、URL送ったから。クラスの子、知らないようだったら教えてあげて』
「いやでも」
うちの学校は、顔出しの動画投稿は禁止だ。
進学や就職に影響を与える可能性を配慮しての校則。
これが学校にバレたらまずいんじゃ……。
URLを開き、動画を見る。
『彼氏と喧嘩した日』
動画タイトルはエンタメ風にしてあって、あくまでフィクションだと伝えたい模様。
内容的に彼は本気で怒っているようにも見える。
役者志望ではなかったはずだけれど。
コメント欄は少し荒れてる。
プロフィールを見るに彼氏との関係が続いているのかわからないまま。
「これ、大丈夫なの?」
『何が?』
「だって、ちょっと荒れてるじゃん」
『彼が望んだことだから』
「続いているなら、プロフィールに書いておいた方がいいんじゃないの?」
『あ!そうだね!そうする!』
なんだか不穏な感じがする。
重りがのしかかったように。
LINEの通知が鳴る。
笹井だ。
『この動画、本当?この動画投稿してる女子にDM送って確認しといてね』
友達との電話を切り、すぐに笹井に返信した。
「本当だって。今も付き合ってるみたい」
既読がつく。
『了解』
どうやら私は、抜け出せたはずの地獄にまた足を踏み入れてしまったよう。
この先どうなるのか、私にはわからない。嫌われるかもしれない。
だけど、友達との関係を隠す曽我へ怒りが湧いた。
その怒りを抑えていたのなら、もう少し変わった未来が得られただろうか。



