俺、ひとりダサい夜を経て、朝メシ食って、

 今ここにいる。
一限のちょい前。学校の、栄養科学部棟の入り口。
 ──
任太朗に、会うために。
 ……たしか、栄養科って、毎日一限入ってんだよな。

 土曜に来たばっかで、ただ更衣室ついてっただけだし。
 
その時って、髙橋先輩とか同好会退会のドタバタで、頭いっぱいいっぱいで、
ここがどんな場所かなんて、なにひとつ見てなかった。

 てか、そもそも。任太朗が、どんな授業受けてんのか、
どの教室で、誰と、どう過ごしてんのか──
 俺、ぜんっぜん知らねぇじゃん。いや、知ろうともしてなかった。

 で、中に入ったら──ここ。
清潔で、なんか、いい匂い。
 白衣と、調理白衣の子しかいねぇ。
てか、見渡すかぎり女子、女子、女子。全員女子。
 ……どこだよ。
白衣の群れの中に、まぎれてんのか? 任太朗。

 俺、調理実習室のガラス越しに、そーっと覗いた。
 中、全員、調理白衣に三角巾。
 一人ずつ確認。背丈、猫背……んー、違う。
 
 ……いねぇじゃん。
任太朗、マジいねぇじゃん……!

「やっぱ……来てねぇじゃんかよ」

 いや、待て。落ち着け俺。
違う教室? いや、もしかして……更衣室か?

 そんなとき。

「あれ? 金井くん……ですよね?」

 うわっ、背後から、柔らかい声。

 
振り向くと──調理白衣に三角巾の女子。

 ……見覚えあるん。
あの子だ。
 食堂で、任太朗と笑ってしゃべってた子!
 ちょっと背が低くて、目がくりくりしてて、近くで見ると……ほんと、可愛い。

 てか、俺のこと知ってんの?
 ……まぁ、そりゃ知ってるか。モテるし。うん。

「あ、うん、えっと……ども……す」

 俺、会話、不自然!? もっとこう……余裕もってしゃべれ俺!


「灰田くんなら、まだ来てないですよ」

「あー……いや、そうっすか……」

「うん、昨日言ってました。ちょっと用事があるって」

「用事……って、どんな?」

「えーと、たしか……家のこと、かな。詳しくは言ってなかったけど」

「……家のこと、って……」

「うん。灰田くんって、家のことも、お母さんのことも、ちゃんとやってて。
ほんとしっかりしててすごいなって思います」

「……へ、ぇ……」

 ……なにそれ。俺より任太朗のこと、詳しいみたいな言い方……!
 ……つーか俺、任太朗のこと、知ってんつもりで、なんも知らなかった。

「うちの学年、男子いないけど、灰田くんがいてくれてよかったな〜って。なんか、ちゃんと大人って感じがするんですよね」

「……お、おう……?」

 言いながら、指先がちょっとだけぎゅってなった。

 ……いや、待て。
べつに、この子が悪いわけじゃねぇ。
 
任太朗が頼れる男って知ってたし。家事とか完璧だしな。

 ……でも、なんか……
ぐっ……って、唇、噛んだ。

 ──ってとき。

「──飛充?」

 ……呼ばれた。


 ……え?

「と」と「あ」のイントネーション。

 何回も、何回も、呼ばれてきた。

 ちょっと低めで、まっすぐで──

 俺にだけ、飛んでくん声。

 ……任太朗の声だ。

 反射で、ガッて振り返った。

 そこにいたのは──

 高めの調理帽で、髪ぺたんこ。

 調理白衣で、背、高くて。
でも、相変わらずちょっと猫背で。
 片手には、黒いバッグ。たぶん、包丁セット。

 地味なのに、なんか……カッコよくて。

 なんかズルい! マジズルい!
 
 ──任太朗、だった。

 もう、気づいたら動いてた。

 ──ドンって、こいつに近づいて、
 その胸ぐら、ちょっとだけ掴んで──

「なんでいねぇんだよ! ……お前、ちゃんと来てんじゃんかよ!!」

 ガッて掴んで、バッて離して、
 なんかもう、勢いで、任太朗の胸んとこドンって叩いた。わりと強め。

「……っ、もう!! マジでなんなんだよお前は!!」

「すみません。昨日の夕方、急に決まったことで。ちゃんと伝えればよかったですね」

 任太朗は、いつものトーン。
落ち着いた声。
 
俺が叩いたとこ、ぜんっぜん避けなかった。

 手、止まって──
でも感情は止まんねぇ。

 また、その胸ぐら、ちょっとだけ掴んで──

「母ちゃんは!? お前の母ちゃん!! 大丈夫なんだよな!?」

「ご心配をおかけしました。
母は風邪を引いて、少し熱が出ただけです。
今朝、家でお粥と薬を渡して、寝かせてきました」

「……風邪!? 家で……!?」

「はい。風邪です。家で寝ています」

「……なんだよそれ……ふつーの風邪……?」

「はい。軽いものです。
明日は会社に行けると思います。
今日は家で様子を見て、
明日から、また飛充くんのマンションに──」

「いーってば!!」

 思わず、任太朗の言葉、遮った。声、ちょっと裏返ってたかもしんねぇ。

「お前の母ちゃんが、無事なら……それでいーから……」

 言いながら、なんか、
視界、ぼやけてきた。
 喉も、きゅってして、
胸んとこ、ジンジンしてきて。

「いや……風邪でよかった。
いや、よくねぇけど……でも、よかった……
っつーか……っ」

 目、熱ッ……?
 ……やっべ、まただ……また勝手に……涙、出てくんじゃねぇよ……俺のバカ……!

 胸ぐら、ちょっとだけ掴んでた手──そのまんま。
 
……離せなかった。てか、離したくなかった。
 
 顔、グッて上げて、
ちゃんと。任太朗を見ながら、

「……っ、俺、マジで……なにも知らなかったんだよ……! 
任太朗の母ちゃんのことも、お前のことも、マジで、なにも聞いてなくて……! ……ずっと、お前に甘えてた。
でも、でも今は──
お前に、ちゃんと、向き合いてぇ。」

 息、吸って。グッと歯くいしばって──

「──俺も……お前のこと、ちゃんと、好きになった!!! ……ガチで!!! マジで!!!」

 任太朗は、なにも言わなかった。

 でも、その無言すら──今の俺には、ちゃんと届いてきやがる。
 
「だから──俺、任太朗が好きだ!!!
 俺も、『ジャンルは恋愛です』!!! 好き!!! やっと、やっとわかったんだよ!!」

 声は、さっきよりもっとデカくなってた。
 
 
もう……止めらんねぇ──

「それに……お前は俺の……
俺の、大切な人だ!!! 特別な……ちゃんと、大切な人だな!!!」

 ──ああ。

 言った。言ってやった、俺。ちゃんと。

 声……震えてた?
 
 ……口、もう動かねぇ。

 顔……涙、出てんの?
 バレんの、マジ恥ずくて──うつむいた。

 さっきまで、胸ぐら掴んでた手も……なんか、力抜けて。気づいたら、離してた

 ……けど。



 え? 任太朗の顔──
 
え、ちょ、待って、近っ!? ってか……マジか、近い!!
 
 俺の顔、そっとのぞきこんでんの!?

 え、距離感どーした!? え!? 何センチ!?

「飛充、泣いてるんですか?」

 ……いつものトーンが、なんか……ちょっと優しくて。

 ゆっくり、任太朗の手が──俺の頬に、伸びてきた。

 え、え、ちょ……
触れてんの!?  今!?  俺の顔!? 

 お前の指、俺の肌に──触れてんの!?

 ……でも。
俺、逃げてねぇ。
 
 今──ちゃんと。
任太朗の指先、あったかかった。
 
 しかも。

 任太朗、今──
 首筋にうっすら汗。
 ちょい見上げた角度で、前髪がぺたってんのも見えて。
 髪の先っちょ、ぴょんって跳ねてて……
 ……なんか、男前すぎん!?

 いやいやいや、
今はそういうタイミングじゃねぇだろ俺!!?
 
「泣いてねぇし!! バカ!! お前が……お前がズルいだけだろう!!」

 叫んだ。ガチ声量。
 静かな廊下に、ビョンビョン反響してって、てか、
さっきからめっちゃ響いてんの。俺の声だけ。

 
 ……なのに。

 任太朗は、相変わらず落ち着いてて。
 
片手をスッと下ろして、黒いバッグ(たぶん包丁セット)を、静かに床に置いた。
 
 
そんで、調理ズボンのポケットから、黒いハンドタオルを取り出して──

 なにも言わずに、
俺の顔……涙を、そっと拭いてきた。

 指じゃなくて、タオル。
でも、力入れすぎず、やわらかくて。
 ふわって、ただ押さえるだけなのに、
 ……なにそれ、なんか、すげー伝わってくんだけど。

「泣くの、似合いません」

 低くて、静かで。
いつものトーンのくせに──
なんでだよ、めちゃくちゃ優しいじゃん。

 そのまんま、任太朗の手が──

 
俺の頭の上に、のってきた。
そっと、ポンって。

 ──ポンって!?
 おい、頭ポンとか、聞いてねぇ!?

「ズルいって!! そーゆーの!!」

 んで、任太朗が、またちょっとだけ顔を近づけてきて。

 
もう、何センチとか知らねぇ。近ぇ。マジで、近ぇ。

 俺の目、じーって見てきて。
 しかも──ちゃんと、「熱」あんの。あと「圧」。

「飛充は、笑っててください」

 って真顔。

 ……なんか、あったけぇし、ホッとするし、
いや、つか、嬉しいんだけど!!?

 胸んとこがギュッてして、またフワッてして……。

 恥ずいとか、気まずい、嬉しいとか、もうそのへん全部ごちゃまぜで……。

「……お前のせいだろうが!!」

 って、さっきよりデカい声で、叫んでた。


「そうですね」

 任太朗、静かに、それだけ言って──


 ……ん? 今の、口元?
ほんのちょっとだけ、ゆるめた感じ。
 だけじゃない!? 
目まで、ふわっと細くなってて、

 確実に──俺を見て、笑ってる。

 え、え、え!? 今の笑顔、レアレアレアじゃん!?


「……ズルいって。マジで……ズルいんだよ、お前」

「そう思います。飛充を泣かせて、ズルいのはきっと、私です。でも、今の、泣きながら笑ってる飛充。初めて見ました。すごく、かわいいです」


「お、おまっ……! は!? かわいっ……はあああ!?!?」

 ……顔、熱ッつ……なんだよもう……。

「てかさ、お前、なんでそんな、平気でいられんの……! 俺だけ、バグってて、泣いてて、意味わかんなくて、告白までしてんのに!!」

 ちょい間おいてから、まっすぐ見つめながら、

「平気じゃありませんよ。飛充に触れてるだけで、今、心臓うるさいです」

「はっ!? えっ!? お前もか? ぜんっぜん見えねーけど!?」

「もともと表情に出ないだけです。飛充は知ってると思いますが。今日ここに来てくれて、本当にびっくりしました。嬉しくてたまらないんです。心臓、さっきからずっとドキドキしてます。飛充と一緒にいると、いつもそうなります」

 任太朗がそう言って、ハンカチをゆっくりポケットにしまうと、

 今度は──
俺の手を、そっと、両手で包んできた。

 
そのまんま、自分の胸んとこに持ってって、ピタって当ててきて、

「わかりますか?」

 ……そこ。さっき俺がドンって叩いた場所。胸の真ん中。

 ──ドクン、ドクンって。
 手のひらに、落ち着いた鼓動、ちゃんと伝わってきた。

「え、なに?……ん、あ、あぁ……? てか、これ……ふつーじゃん?」

「私は、脈が遅いほうなので。これが、速いんです。とても」

「──はああああ!?!?!?」

 またデカい声で、叫んでた。


 けど、

 任太朗の両手、まだ、俺の手を包んだまんま。自分の胸の上で、ピタッと添えたまんまで、

 で、顔。またかよ!?

 ……ちょ、待て、ちょ待て!?
 え、今、近づいてきてね!? 
 てか、さっきより……距離、絶対縮んでるし!

 そんで──

「私にも言わせてください。飛充は、私にとって大切な人です。改めて、恋愛として、好きです」

 ──え?

「──わ、わかったよ……っ! もう……わかったから! だからそれ以上、ズルいこと言うなって!!」

 胸の中、なんか、きゅってした。

 
ん? んん?? これ……甘酸っぱいってやつ!?

 てか、心臓、ドキドキの質、なんか……イケてるじゅん!?!?!?

 顔だけじゃなく、耳も……熱ッつ!?
 てか、もう全身……沸騰中なんですけど!?!?!?
 
 ──って、高温の中で。
 
 パチ……パチパチ……
パチパチパチパチパチパチ!!!!!!
 ……え、ちょ。
拍手!?!?!?!?!?!?!?!?!?

 ふと視線を感じて、横目で見たら──


 白衣。調理白衣。白衣白衣白衣。調理白衣の向こうにまた白衣。
 女子、大量。こっち見てる。

 てか、笑ってる。笑顔が……めっちゃ、あったけぇ……。

 ……いつの間に? てか、さっきからずっといた?

「バ……バカ!! てか、みんな見てんの!! 丸見えだし!! 丸聞こえだし!!」

 けど──
 
 
任太朗は、両手。まだ、俺の手を包んだまんまで。
 
 そんで、ゆっくり、その手をいったん胸から離して──

 
 今度は──俺の、もう片っぽの手まで。ゆっくり、両手で包んできたんだ。

 ……えっ、なに!? 包み直し!?

 
 俺の両手、今、しっかり任太朗の両手ん中。

 ……
やわらかくて、あったかくて、なんかもう……包まれてる、この感じ……すげぇな。

 しかも、顔の距離、まだ、近ぇまんまだし。

「見られても、聞かれても、構いません。敬語じゃなかったら──もう、飛充を抱きしめてしまいます」 

「……なっ……!!」

 って。

 でも、でも、なんか……マジで、嬉しすぎて。

 ……もう、全部、どーでもよくなってきた。

 ……みんなに見られてても、聞かれてても、どーでもいい。
 
 ──任太朗なら、全部……いい。

「てかっ……これから、敬語じゃなくていいからっ!」

「本当にいいんですね? だったら、もう遠慮しません。飛充のこと、ちゃんと大事にさせてください」

「べ、べつに……任太朗なら………なんでも……悪くねぇし……っ!」

──END──