俺、ひとりダサい夜を経て、朝メシ食って、
今ここにいる。 一限のちょい前。学校の、栄養科学部棟の入り口。
── 任太朗に、会うために。
……たしか、栄養科って、毎日一限入ってんだよな。
土曜に来たばっかで、ただ更衣室ついてっただけだし。
その時って、髙橋先輩とか同好会退会のドタバタで、頭いっぱいいっぱいで、 ここがどんな場所かなんて、なにひとつ見てなかった。
てか、そもそも。任太朗が、どんな授業受けてんのか、 どの教室で、誰と、どう過ごしてんのか──
俺、ぜんっぜん知らねぇじゃん。いや、知ろうともしてなかった。
で、中に入ったら──ここ。 清潔で、なんか、いい匂い。
白衣と、調理白衣の子しかいねぇ。 てか、見渡すかぎり女子、女子、女子。全員女子。
……どこだよ。 白衣の群れの中に、まぎれてんのか? 任太朗。
俺、調理実習室のガラス越しに、そーっと覗いた。
中、全員、調理白衣に三角巾。
一人ずつ確認。背丈、猫背……んー、違う。
……いねぇじゃん。 任太朗、マジいねぇじゃん……!
「やっぱ……来てねぇじゃんかよ」
いや、待て。落ち着け俺。 違う教室? いや、もしかして……更衣室か?
そんなとき。
「あれ? 金井くん……ですよね?」
うわっ、背後から、柔らかい声。
振り向くと──調理白衣に三角巾の女子。
……見覚えあるん。 あの子だ。
食堂で、任太朗と笑ってしゃべってた子!
ちょっと背が低くて、目がくりくりしてて、近くで見ると……ほんと、可愛い。
てか、俺のこと知ってんの? ……まぁ、そりゃ知ってるか。モテるし。うん。
「あ、うん、えっと……ども……す」
俺、会話、不自然!? もっとこう……余裕もってしゃべれ俺!
「灰田くんなら、まだ来てないですよ」
「あー……いや、そうっすか……」
「うん、昨日言ってました。ちょっと用事があるって」
「用事……って、どんな?」
「えーと、たしか……家のこと、かな。詳しくは言ってなかったけど」
「……家のこと、って……」
「うん。灰田くんって、家のことも、お母さんのことも、ちゃんとやってて。 ほんとしっかりしててすごいなって思います」
「……へ、ぇ……」
……なにそれ。俺より任太朗のこと、詳しいみたいな言い方……!
……つーか俺、任太朗のこと、知ってんつもりで、なんも知らなかった。
「うちの学年、男子いないけど、灰田くんがいてくれてよかったな〜って。なんか、ちゃんと大人って感じがするんですよね」
「……お、おう……?」
言いながら、指先がちょっとだけぎゅってなった。
……いや、待て。 べつに、この子が悪いわけじゃねぇ。
任太朗が頼れる男って知ってたし。家事とか完璧だしな。
……でも、なんか…… ぐっ……って、唇、噛んだ。
──ってとき。
「──飛充?」
……呼ばれた。
……え?
「と」と「あ」のイントネーション。
何回も、何回も、呼ばれてきた。
ちょっと低めで、まっすぐで──
俺にだけ、飛んでくん声。
……任太朗の声だ。
反射で、ガッて振り返った。
そこにいたのは──
高めの調理帽で、髪ぺたんこ。
調理白衣で、背、高くて。 でも、相変わらずちょっと猫背で。
片手には、黒いバッグ。たぶん、包丁セット。
地味なのに、なんか……カッコよくて。
なんかズルい! マジズルい!
──任太朗、だった。
もう、気づいたら動いてた。
──ドンって、こいつに近づいて、
その胸ぐら、ちょっとだけ掴んで──
「なんでいねぇんだよ! ……お前、ちゃんと来てんじゃんかよ!!」
ガッて掴んで、バッて離して、
なんかもう、勢いで、任太朗の胸んとこドンって叩いた。わりと強め。
「……っ、もう!! マジでなんなんだよお前は!!」
「すみません。昨日の夕方、急に決まったことで。ちゃんと伝えればよかったですね」
任太朗は、いつものトーン。 落ち着いた声。
俺が叩いたとこ、ぜんっぜん避けなかった。
手、止まって── でも感情は止まんねぇ。
また、その胸ぐら、ちょっとだけ掴んで──
「母ちゃんは!? お前の母ちゃん!! 大丈夫なんだよな!?」
「ご心配をおかけしました。 母は風邪を引いて、少し熱が出ただけです。 今朝、家でお粥と薬を渡して、寝かせてきました」
「……風邪!? 家で……!?」
「はい。風邪です。家で寝ています」
「……なんだよそれ……ふつーの風邪……?」
「はい。軽いものです。 明日は会社に行けると思います。 今日は家で様子を見て、 明日から、また飛充くんのマンションに──」
「いーってば!!」
思わず、任太朗の言葉、遮った。声、ちょっと裏返ってたかもしんねぇ。
「お前の母ちゃんが、無事なら……それでいーから……」
言いながら、なんか、 視界、ぼやけてきた。
喉も、きゅってして、 胸んとこ、ジンジンしてきて。
「いや……風邪でよかった。 いや、よくねぇけど……でも、よかった…… っつーか……っ」
目、熱ッ……?
……やっべ、まただ……また勝手に……涙、出てくんじゃねぇよ……俺のバカ……!
胸ぐら、ちょっとだけ掴んでた手──そのまんま。
……離せなかった。てか、離したくなかった。
顔、グッて上げて、 ちゃんと。任太朗を見ながら、
「……っ、俺、マジで……なにも知らなかったんだよ……! 任太朗の母ちゃんのことも、お前のことも、マジで、なにも聞いてなくて……! ……ずっと、お前に甘えてた。 でも、でも今は── お前に、ちゃんと、向き合いてぇ。」
息、吸って。グッと歯くいしばって──
「──俺も……お前のこと、ちゃんと、好きになった!!! ……ガチで!!! マジで!!!」
任太朗は、なにも言わなかった。
でも、その無言すら──今の俺には、ちゃんと届いてきやがる。
「だから──俺、任太朗が好きだ!!! 俺も、『ジャンルは恋愛です』!!! 好き!!! やっと、やっとわかったんだよ!!」
声は、さっきよりもっとデカくなってた。
もう……止めらんねぇ──
「それに……お前は俺の…… 俺の、大切な人だ!!! 特別な……ちゃんと、大切な人だな!!!」
──ああ。
言った。言ってやった、俺。ちゃんと。
声……震えてた?
……口、もう動かねぇ。
顔……涙、出てんの?
バレんの、マジ恥ずくて──うつむいた。
さっきまで、胸ぐら掴んでた手も……なんか、力抜けて。気づいたら、離してた
……けど。
え? 任太朗の顔──
え、ちょ、待って、近っ!? ってか……マジか、近い!!
俺の顔、そっとのぞきこんでんの!?
え、距離感どーした!? え!? 何センチ!?
「飛充、泣いてるんですか?」
……いつものトーンが、なんか……ちょっと優しくて。
ゆっくり、任太朗の手が──俺の頬に、伸びてきた。
え、え、ちょ…… 触れてんの!? 今!? 俺の顔!?
お前の指、俺の肌に──触れてんの!?
……でも。 俺、逃げてねぇ。
今──ちゃんと。 任太朗の指先、あったかかった。
しかも。
任太朗、今──
首筋にうっすら汗。
ちょい見上げた角度で、前髪がぺたってんのも見えて。
髪の先っちょ、ぴょんって跳ねてて……
……なんか、男前すぎん!?
いやいやいや、 今はそういうタイミングじゃねぇだろ俺!!?
「泣いてねぇし!! バカ!! お前が……お前がズルいだけだろう!!」
叫んだ。ガチ声量。
静かな廊下に、ビョンビョン反響してって、てか、 さっきからめっちゃ響いてんの。俺の声だけ。
……なのに。
任太朗は、相変わらず落ち着いてて。
片手をスッと下ろして、黒いバッグ(たぶん包丁セット)を、静かに床に置いた。
そんで、調理ズボンのポケットから、黒いハンドタオルを取り出して──
なにも言わずに、 俺の顔……涙を、そっと拭いてきた。
指じゃなくて、タオル。 でも、力入れすぎず、やわらかくて。
ふわって、ただ押さえるだけなのに、
……なにそれ、なんか、すげー伝わってくんだけど。
「泣くの、似合いません」
低くて、静かで。 いつものトーンのくせに── なんでだよ、めちゃくちゃ優しいじゃん。
そのまんま、任太朗の手が──
俺の頭の上に、のってきた。 そっと、ポンって。
──ポンって!? おい、頭ポンとか、聞いてねぇ!?
「ズルいって!! そーゆーの!!」
んで、任太朗が、またちょっとだけ顔を近づけてきて。
もう、何センチとか知らねぇ。近ぇ。マジで、近ぇ。
俺の目、じーって見てきて。
しかも──ちゃんと、「熱」あんの。あと「圧」。
「飛充は、笑っててください」
って真顔。
……なんか、あったけぇし、ホッとするし、 いや、つか、嬉しいんだけど!!?
胸んとこがギュッてして、またフワッてして……。
恥ずいとか、気まずい、嬉しいとか、もうそのへん全部ごちゃまぜで……。
「……お前のせいだろうが!!」
って、さっきよりデカい声で、叫んでた。
「そうですね」
任太朗、静かに、それだけ言って──
……ん? 今の、口元? ほんのちょっとだけ、ゆるめた感じ。
だけじゃない!? 目まで、ふわっと細くなってて、
確実に──俺を見て、笑ってる。
え、え、え!? 今の笑顔、レアレアレアじゃん!?
「……ズルいって。マジで……ズルいんだよ、お前」
「そう思います。飛充を泣かせて、ズルいのはきっと、私です。でも、今の、泣きながら笑ってる飛充。初めて見ました。すごく、かわいいです」
「お、おまっ……! は!? かわいっ……はあああ!?!?」
……顔、熱ッつ……なんだよもう……。
「てかさ、お前、なんでそんな、平気でいられんの……! 俺だけ、バグってて、泣いてて、意味わかんなくて、告白までしてんのに!!」
ちょい間おいてから、まっすぐ見つめながら、
「平気じゃありませんよ。飛充に触れてるだけで、今、心臓うるさいです」
「はっ!? えっ!? お前もか? ぜんっぜん見えねーけど!?」
「もともと表情に出ないだけです。飛充は知ってると思いますが。今日ここに来てくれて、本当にびっくりしました。嬉しくてたまらないんです。心臓、さっきからずっとドキドキしてます。飛充と一緒にいると、いつもそうなります」
任太朗がそう言って、ハンカチをゆっくりポケットにしまうと、
今度は── 俺の手を、そっと、両手で包んできた。
そのまんま、自分の胸んとこに持ってって、ピタって当ててきて、
「わかりますか?」
……そこ。さっき俺がドンって叩いた場所。胸の真ん中。
──ドクン、ドクンって。
手のひらに、落ち着いた鼓動、ちゃんと伝わってきた。
「え、なに?……ん、あ、あぁ……? てか、これ……ふつーじゃん?」
「私は、脈が遅いほうなので。これが、速いんです。とても」
「──はああああ!?!?!?」
またデカい声で、叫んでた。
けど、
任太朗の両手、まだ、俺の手を包んだまんま。自分の胸の上で、ピタッと添えたまんまで、
で、顔。またかよ!?
……ちょ、待て、ちょ待て!? え、今、近づいてきてね!?
てか、さっきより……距離、絶対縮んでるし!
そんで──
「私にも言わせてください。飛充は、私にとって大切な人です。改めて、恋愛として、好きです」
──え?
「──わ、わかったよ……っ! もう……わかったから! だからそれ以上、ズルいこと言うなって!!」
胸の中、なんか、きゅってした。
ん? んん?? これ……甘酸っぱいってやつ!?
てか、心臓、ドキドキの質、なんか……イケてるじゅん!?!?!?
顔だけじゃなく、耳も……熱ッつ!?
てか、もう全身……沸騰中なんですけど!?!?!?
──って、高温の中で。
パチ……パチパチ…… パチパチパチパチパチパチ!!!!!!
……え、ちょ。 拍手!?!?!?!?!?!?!?!?!?
ふと視線を感じて、横目で見たら──
白衣。調理白衣。白衣白衣白衣。調理白衣の向こうにまた白衣。
女子、大量。こっち見てる。
てか、笑ってる。笑顔が……めっちゃ、あったけぇ……。
……いつの間に? てか、さっきからずっといた?
「バ……バカ!! てか、みんな見てんの!! 丸見えだし!! 丸聞こえだし!!」
けど──
任太朗は、両手。まだ、俺の手を包んだまんまで。
そんで、ゆっくり、その手をいったん胸から離して──
今度は──俺の、もう片っぽの手まで。ゆっくり、両手で包んできたんだ。
……えっ、なに!? 包み直し!?
俺の両手、今、しっかり任太朗の両手ん中。
…… やわらかくて、あったかくて、なんかもう……包まれてる、この感じ……すげぇな。
しかも、顔の距離、まだ、近ぇまんまだし。
「見られても、聞かれても、構いません。敬語じゃなかったら──もう、飛充を抱きしめてしまいます」
「……なっ……!!」
って。
でも、でも、なんか……マジで、嬉しすぎて。
……もう、全部、どーでもよくなってきた。
……みんなに見られてても、聞かれてても、どーでもいい。
──任太朗なら、全部……いい。
「てかっ……これから、敬語じゃなくていいからっ!」
「本当にいいんですね? だったら、もう遠慮しません。飛充のこと、ちゃんと大事にさせてください」
「べ、べつに……任太朗なら………なんでも……悪くねぇし……っ!」
──END──
今ここにいる。 一限のちょい前。学校の、栄養科学部棟の入り口。
── 任太朗に、会うために。
……たしか、栄養科って、毎日一限入ってんだよな。
土曜に来たばっかで、ただ更衣室ついてっただけだし。
その時って、髙橋先輩とか同好会退会のドタバタで、頭いっぱいいっぱいで、 ここがどんな場所かなんて、なにひとつ見てなかった。
てか、そもそも。任太朗が、どんな授業受けてんのか、 どの教室で、誰と、どう過ごしてんのか──
俺、ぜんっぜん知らねぇじゃん。いや、知ろうともしてなかった。
で、中に入ったら──ここ。 清潔で、なんか、いい匂い。
白衣と、調理白衣の子しかいねぇ。 てか、見渡すかぎり女子、女子、女子。全員女子。
……どこだよ。 白衣の群れの中に、まぎれてんのか? 任太朗。
俺、調理実習室のガラス越しに、そーっと覗いた。
中、全員、調理白衣に三角巾。
一人ずつ確認。背丈、猫背……んー、違う。
……いねぇじゃん。 任太朗、マジいねぇじゃん……!
「やっぱ……来てねぇじゃんかよ」
いや、待て。落ち着け俺。 違う教室? いや、もしかして……更衣室か?
そんなとき。
「あれ? 金井くん……ですよね?」
うわっ、背後から、柔らかい声。
振り向くと──調理白衣に三角巾の女子。
……見覚えあるん。 あの子だ。
食堂で、任太朗と笑ってしゃべってた子!
ちょっと背が低くて、目がくりくりしてて、近くで見ると……ほんと、可愛い。
てか、俺のこと知ってんの? ……まぁ、そりゃ知ってるか。モテるし。うん。
「あ、うん、えっと……ども……す」
俺、会話、不自然!? もっとこう……余裕もってしゃべれ俺!
「灰田くんなら、まだ来てないですよ」
「あー……いや、そうっすか……」
「うん、昨日言ってました。ちょっと用事があるって」
「用事……って、どんな?」
「えーと、たしか……家のこと、かな。詳しくは言ってなかったけど」
「……家のこと、って……」
「うん。灰田くんって、家のことも、お母さんのことも、ちゃんとやってて。 ほんとしっかりしててすごいなって思います」
「……へ、ぇ……」
……なにそれ。俺より任太朗のこと、詳しいみたいな言い方……!
……つーか俺、任太朗のこと、知ってんつもりで、なんも知らなかった。
「うちの学年、男子いないけど、灰田くんがいてくれてよかったな〜って。なんか、ちゃんと大人って感じがするんですよね」
「……お、おう……?」
言いながら、指先がちょっとだけぎゅってなった。
……いや、待て。 べつに、この子が悪いわけじゃねぇ。
任太朗が頼れる男って知ってたし。家事とか完璧だしな。
……でも、なんか…… ぐっ……って、唇、噛んだ。
──ってとき。
「──飛充?」
……呼ばれた。
……え?
「と」と「あ」のイントネーション。
何回も、何回も、呼ばれてきた。
ちょっと低めで、まっすぐで──
俺にだけ、飛んでくん声。
……任太朗の声だ。
反射で、ガッて振り返った。
そこにいたのは──
高めの調理帽で、髪ぺたんこ。
調理白衣で、背、高くて。 でも、相変わらずちょっと猫背で。
片手には、黒いバッグ。たぶん、包丁セット。
地味なのに、なんか……カッコよくて。
なんかズルい! マジズルい!
──任太朗、だった。
もう、気づいたら動いてた。
──ドンって、こいつに近づいて、
その胸ぐら、ちょっとだけ掴んで──
「なんでいねぇんだよ! ……お前、ちゃんと来てんじゃんかよ!!」
ガッて掴んで、バッて離して、
なんかもう、勢いで、任太朗の胸んとこドンって叩いた。わりと強め。
「……っ、もう!! マジでなんなんだよお前は!!」
「すみません。昨日の夕方、急に決まったことで。ちゃんと伝えればよかったですね」
任太朗は、いつものトーン。 落ち着いた声。
俺が叩いたとこ、ぜんっぜん避けなかった。
手、止まって── でも感情は止まんねぇ。
また、その胸ぐら、ちょっとだけ掴んで──
「母ちゃんは!? お前の母ちゃん!! 大丈夫なんだよな!?」
「ご心配をおかけしました。 母は風邪を引いて、少し熱が出ただけです。 今朝、家でお粥と薬を渡して、寝かせてきました」
「……風邪!? 家で……!?」
「はい。風邪です。家で寝ています」
「……なんだよそれ……ふつーの風邪……?」
「はい。軽いものです。 明日は会社に行けると思います。 今日は家で様子を見て、 明日から、また飛充くんのマンションに──」
「いーってば!!」
思わず、任太朗の言葉、遮った。声、ちょっと裏返ってたかもしんねぇ。
「お前の母ちゃんが、無事なら……それでいーから……」
言いながら、なんか、 視界、ぼやけてきた。
喉も、きゅってして、 胸んとこ、ジンジンしてきて。
「いや……風邪でよかった。 いや、よくねぇけど……でも、よかった…… っつーか……っ」
目、熱ッ……?
……やっべ、まただ……また勝手に……涙、出てくんじゃねぇよ……俺のバカ……!
胸ぐら、ちょっとだけ掴んでた手──そのまんま。
……離せなかった。てか、離したくなかった。
顔、グッて上げて、 ちゃんと。任太朗を見ながら、
「……っ、俺、マジで……なにも知らなかったんだよ……! 任太朗の母ちゃんのことも、お前のことも、マジで、なにも聞いてなくて……! ……ずっと、お前に甘えてた。 でも、でも今は── お前に、ちゃんと、向き合いてぇ。」
息、吸って。グッと歯くいしばって──
「──俺も……お前のこと、ちゃんと、好きになった!!! ……ガチで!!! マジで!!!」
任太朗は、なにも言わなかった。
でも、その無言すら──今の俺には、ちゃんと届いてきやがる。
「だから──俺、任太朗が好きだ!!! 俺も、『ジャンルは恋愛です』!!! 好き!!! やっと、やっとわかったんだよ!!」
声は、さっきよりもっとデカくなってた。
もう……止めらんねぇ──
「それに……お前は俺の…… 俺の、大切な人だ!!! 特別な……ちゃんと、大切な人だな!!!」
──ああ。
言った。言ってやった、俺。ちゃんと。
声……震えてた?
……口、もう動かねぇ。
顔……涙、出てんの?
バレんの、マジ恥ずくて──うつむいた。
さっきまで、胸ぐら掴んでた手も……なんか、力抜けて。気づいたら、離してた
……けど。
え? 任太朗の顔──
え、ちょ、待って、近っ!? ってか……マジか、近い!!
俺の顔、そっとのぞきこんでんの!?
え、距離感どーした!? え!? 何センチ!?
「飛充、泣いてるんですか?」
……いつものトーンが、なんか……ちょっと優しくて。
ゆっくり、任太朗の手が──俺の頬に、伸びてきた。
え、え、ちょ…… 触れてんの!? 今!? 俺の顔!?
お前の指、俺の肌に──触れてんの!?
……でも。 俺、逃げてねぇ。
今──ちゃんと。 任太朗の指先、あったかかった。
しかも。
任太朗、今──
首筋にうっすら汗。
ちょい見上げた角度で、前髪がぺたってんのも見えて。
髪の先っちょ、ぴょんって跳ねてて……
……なんか、男前すぎん!?
いやいやいや、 今はそういうタイミングじゃねぇだろ俺!!?
「泣いてねぇし!! バカ!! お前が……お前がズルいだけだろう!!」
叫んだ。ガチ声量。
静かな廊下に、ビョンビョン反響してって、てか、 さっきからめっちゃ響いてんの。俺の声だけ。
……なのに。
任太朗は、相変わらず落ち着いてて。
片手をスッと下ろして、黒いバッグ(たぶん包丁セット)を、静かに床に置いた。
そんで、調理ズボンのポケットから、黒いハンドタオルを取り出して──
なにも言わずに、 俺の顔……涙を、そっと拭いてきた。
指じゃなくて、タオル。 でも、力入れすぎず、やわらかくて。
ふわって、ただ押さえるだけなのに、
……なにそれ、なんか、すげー伝わってくんだけど。
「泣くの、似合いません」
低くて、静かで。 いつものトーンのくせに── なんでだよ、めちゃくちゃ優しいじゃん。
そのまんま、任太朗の手が──
俺の頭の上に、のってきた。 そっと、ポンって。
──ポンって!? おい、頭ポンとか、聞いてねぇ!?
「ズルいって!! そーゆーの!!」
んで、任太朗が、またちょっとだけ顔を近づけてきて。
もう、何センチとか知らねぇ。近ぇ。マジで、近ぇ。
俺の目、じーって見てきて。
しかも──ちゃんと、「熱」あんの。あと「圧」。
「飛充は、笑っててください」
って真顔。
……なんか、あったけぇし、ホッとするし、 いや、つか、嬉しいんだけど!!?
胸んとこがギュッてして、またフワッてして……。
恥ずいとか、気まずい、嬉しいとか、もうそのへん全部ごちゃまぜで……。
「……お前のせいだろうが!!」
って、さっきよりデカい声で、叫んでた。
「そうですね」
任太朗、静かに、それだけ言って──
……ん? 今の、口元? ほんのちょっとだけ、ゆるめた感じ。
だけじゃない!? 目まで、ふわっと細くなってて、
確実に──俺を見て、笑ってる。
え、え、え!? 今の笑顔、レアレアレアじゃん!?
「……ズルいって。マジで……ズルいんだよ、お前」
「そう思います。飛充を泣かせて、ズルいのはきっと、私です。でも、今の、泣きながら笑ってる飛充。初めて見ました。すごく、かわいいです」
「お、おまっ……! は!? かわいっ……はあああ!?!?」
……顔、熱ッつ……なんだよもう……。
「てかさ、お前、なんでそんな、平気でいられんの……! 俺だけ、バグってて、泣いてて、意味わかんなくて、告白までしてんのに!!」
ちょい間おいてから、まっすぐ見つめながら、
「平気じゃありませんよ。飛充に触れてるだけで、今、心臓うるさいです」
「はっ!? えっ!? お前もか? ぜんっぜん見えねーけど!?」
「もともと表情に出ないだけです。飛充は知ってると思いますが。今日ここに来てくれて、本当にびっくりしました。嬉しくてたまらないんです。心臓、さっきからずっとドキドキしてます。飛充と一緒にいると、いつもそうなります」
任太朗がそう言って、ハンカチをゆっくりポケットにしまうと、
今度は── 俺の手を、そっと、両手で包んできた。
そのまんま、自分の胸んとこに持ってって、ピタって当ててきて、
「わかりますか?」
……そこ。さっき俺がドンって叩いた場所。胸の真ん中。
──ドクン、ドクンって。
手のひらに、落ち着いた鼓動、ちゃんと伝わってきた。
「え、なに?……ん、あ、あぁ……? てか、これ……ふつーじゃん?」
「私は、脈が遅いほうなので。これが、速いんです。とても」
「──はああああ!?!?!?」
またデカい声で、叫んでた。
けど、
任太朗の両手、まだ、俺の手を包んだまんま。自分の胸の上で、ピタッと添えたまんまで、
で、顔。またかよ!?
……ちょ、待て、ちょ待て!? え、今、近づいてきてね!?
てか、さっきより……距離、絶対縮んでるし!
そんで──
「私にも言わせてください。飛充は、私にとって大切な人です。改めて、恋愛として、好きです」
──え?
「──わ、わかったよ……っ! もう……わかったから! だからそれ以上、ズルいこと言うなって!!」
胸の中、なんか、きゅってした。
ん? んん?? これ……甘酸っぱいってやつ!?
てか、心臓、ドキドキの質、なんか……イケてるじゅん!?!?!?
顔だけじゃなく、耳も……熱ッつ!?
てか、もう全身……沸騰中なんですけど!?!?!?
──って、高温の中で。
パチ……パチパチ…… パチパチパチパチパチパチ!!!!!!
……え、ちょ。 拍手!?!?!?!?!?!?!?!?!?
ふと視線を感じて、横目で見たら──
白衣。調理白衣。白衣白衣白衣。調理白衣の向こうにまた白衣。
女子、大量。こっち見てる。
てか、笑ってる。笑顔が……めっちゃ、あったけぇ……。
……いつの間に? てか、さっきからずっといた?
「バ……バカ!! てか、みんな見てんの!! 丸見えだし!! 丸聞こえだし!!」
けど──
任太朗は、両手。まだ、俺の手を包んだまんまで。
そんで、ゆっくり、その手をいったん胸から離して──
今度は──俺の、もう片っぽの手まで。ゆっくり、両手で包んできたんだ。
……えっ、なに!? 包み直し!?
俺の両手、今、しっかり任太朗の両手ん中。
…… やわらかくて、あったかくて、なんかもう……包まれてる、この感じ……すげぇな。
しかも、顔の距離、まだ、近ぇまんまだし。
「見られても、聞かれても、構いません。敬語じゃなかったら──もう、飛充を抱きしめてしまいます」
「……なっ……!!」
って。
でも、でも、なんか……マジで、嬉しすぎて。
……もう、全部、どーでもよくなってきた。
……みんなに見られてても、聞かれてても、どーでもいい。
──任太朗なら、全部……いい。
「てかっ……これから、敬語じゃなくていいからっ!」
「本当にいいんですね? だったら、もう遠慮しません。飛充のこと、ちゃんと大事にさせてください」
「べ、べつに……任太朗なら………なんでも……悪くねぇし……っ!」
──END──
