感情心理学概論の授業で「恋愛」って気づいたその直後。

 
 バイクぶっ飛ばして、マンションについて──

 エレベーター、今日だけ もどかしいくらい遅ぇ。
 玄関、鍵ガチャガチャ──もう、待てねぇ!

「──ただいまっ!」

 ──しーん。
 
 ……ん? ……え? 暗っ!?

 キッチンからの、いつものうまそうな匂いもしねぇし。

 ……え? 任太朗、まだ来てねぇ?

 一刻も早く!!今すぐ!!言いてぇのにっ!!

 スニーカー脱ぎながら、

「任太朗〜、いね!? おーい!」

 ──返事、なし。

 電気のスイッチ、パチって入れたら
 スイッチの横。壁に──白いやつ。ペラ紙一枚。
 
 ……メモだ。
 
 字、やたら綺麗で、まっすぐで。


『飛充へ

 母の具合がよくないため、しばらく伺えません。
 夕飯と明日の朝食は、冷蔵庫に入れてあります。
 申し訳ありません。どうか体に気をつけてください。
 
 任太朗』
 
 ……は? え? なにこれ。

 一行目からカタイ。クッソ丁寧で、他人行儀で……。

 思考、数秒フリーズした。

 てか、それ、なんで直接言わねーの? なんでメモ!?
 え、ちょ、そっか!? 俺ら、連絡先知らねぇんだっけ!? 
 電話も、メッセも、そもそも交換してねぇ……今気づいたし!?

 ……いやいやいやいやいや、それにしたってだよ。
 なんで、顔見せねぇで帰った!?
 なんで、こんな紙だけで済ます!?

 ……もしかして。
 
 昨日、『飛充にとって、今、私の何ですか?』。
 あのセリフのあと、俺、ちゃんと返事できなかったから? 

 それで避けてんの? 逃げた? 
 ……いや、怒ってた?

 でも、昨日の夜はふつーだった。
 
『おやすみなさい』って言って、帰ったじゃん。
 なんだよ……?
 
 ……あっ。そういや、前にママが言ってた。

 任太朗の母ちゃんって、体よくねぇって。
持病があるって。病院、よく行ってるって。


 じゃあさ、任太朗が。
なんで、今まで俺にはなにも言わねぇんだよ。
「俺のことだけで、なにもいらない」
って、言ってくれたくせに。
 自分の大事なことは、俺に言ってくれねぇ?
それ、どういうこと?
 
 俺って、
そういうの、聞ける相手じゃねぇの?
 頼る相手じゃ……ねぇの?
 ──やっぱ、俺って、
お前にとっては……その程度なん?
 
 それってさ、
「申し訳ありません」って、なんで俺に謝ってんだよ。

 そういうんじゃ、わかんねぇよ! バカ! 任太朗のバカ!


 ひとりで、バグる。


 ……ママなら、任太朗の母ちゃんのこと、なにか知ってるかも。
 とりあえず、ママに連絡した。

 すぐに、ママから確認が来て、
任太朗の母ちゃん、今、連絡つかないって。

『でもね、任太朗くんがついてるから大丈夫だと思うわ』って
ママの声は、落ち着いてた。けど──

「……大丈夫って、なんだよ」

 スマホ片手に、ソファに沈む。

 ──リビング、いつもより広く感じた。

 寝室のドアは開けっぱで。
ベッドも、その上の俺のイケてる服も、ちゃんと畳んであって。
 ──さっきまで、いたくせに。

 ……任太朗、今どこで、なにしてんの?
 病院? 母ちゃん、苦しんでる?
 
 ひとりで、全部、背負ってんの?
 
 スマホで検索しても、「灰田任太朗」って名前、出てこなくて。

 あいつ、連絡先……くれてなかったっけ? 
それとも俺が、もらってなかった?
 どっちだってよくねぇはずなのに。
今、めっちゃくちゃ悔しい。

 マジで、キツすぎ。
 
 だんだん視界がぼやけてきて、
 
なんか……顔、熱ッ。
 あれ、……は? 
なにこれ、泣いてんの? え? 
俺、泣いてんの!? 今!?

 
 さっきまで、めっちゃ気分よくて、
俺の気持ち、伝えようって思ってたのに。
 
言ったら、ちゃんと変わる気がしてたのに。

 今は……不安? 焦り? 
ムカつく? 寂しさ? 
 ──全部かも。
どれでもないかもしんねぇ。

 意味わかんねぇ。
……意味わかんねぇけど。

 どんどん、
顔……熱くなってく。
 
目……ジンジンして、
頬、勝手に濡れてくし。
 鼻んとこまでツンとして、
変な音……ぐず、って。聞こえて……。
 ……止まんねぇ。
止まんねぇ。マジで。
 
 どーしようもなくて。
めちゃくちゃ、会いてぇよ。
 
 言いたかったこと。
聞きたかったこと。

 言えなかったこと。
聞けなかったこと。

 いねぇし。
言えねぇし。
わかんねぇし。

 でも──
今、一番っ……
お前のこと、心配で。


 ソファで、スマホ、ずっと持ったまんま。

 任太朗から通知なんか──来るわけねぇのに。

 なのに画面、つけたり消したりして。
またつけて……の繰り返し。
 
 もう、諦めて、なにも見てねぇし。

 今が何時か、どれくらい経ったか、わかんねぇ。
 
 べつに冷静になったわけじゃねぇけど。


 頭のどっかが、勝手に考え始めてた。
 
 ……俺、責めてばっかだったな。
 
 言ってくれねぇの、ムカついた。


 でもさ──
俺、お前のこと……なにも聞いてねぇんだよな。
 母ちゃんのことも、
どんな生活してたかも、
ガキの頃、家がヤバかった理由も、
急にいなくなったことも、
戻ってきた理由も。
 
 なのにさ、
勝手に「置いてかれた」とか思ってた。

 俺のほうが先に、
お前のこと、勝手に忘れてたんだよ。
探そうともしなかった。

 中学も、高校も。

近くにいたのに……見てなかったの、俺だ。気づかなかったのも、俺。

 で、今も。
お前ん家、たぶん大変なときに、

 俺、なにも知らなかった。
なにも気づいてなかった。
 
 ……マジで、クッソだせぇ。

 俺、自分のことばっかだった。

 家政夫モードのお前の前で、王様ポジ気取って、気分よくって。
 
 
勝手に余裕ぶってさ、
付き合うとか、簡単に言ってた。

 ……俺、お前の気持ち、
ちゃんと理解しようなんて、してなかったんだ。

 俺、「好きになる準備」さえしてなかった。
──ってか、してこなかった。

 なのに、お前は、
ずっと俺に合わせてくれて、
俺のペースに従ってくれて、
それでも俺のこと、見ててくれて。
 お前がどんな気持ちで、
俺のこと、見てたか。

 ……どんな思いで、俺を守って、尽くして、
どんな思いで「敬語」使ってたか──
 
 なにも知らねぇ俺が、
勝手に傷ついてたとか……

 俺のほうが、よっぽどズルいじゃん。

 お前は、なにを望んでたんだよ?


 ただ好きでいてくれただけ?
ただそばにいたかっただけ?

 ……それ、ちゃんとわかってやれてたら、
 ──
俺……もっと早く、なんか……できてた、のかな。
 
 でもさ、
それでも──今だけは、はっきりしてることがあんだよ。

 今までの九年間も。
 
お前だけが知ってた俺も、
俺が知らなかったお前も、
 全部、取り戻したくなってんだよ。
 
 今も。
それから、これからも──

 俺、お前のこと、もっと知りてぇ。

 どんなことが好きで、
どんくらい、ひとりで我慢してきたのかとか。
 そーゆーの、ちゃんと教えてくれよ。
 敬語じゃなくてさ。
お前の、素の声で。
 
 上手く言えねぇけど──

 ……お前に、俺がなんか、やりてぇんだよ。



 ……ん? え? ……は? 
なんで? 走ってんの、俺ら?

 しかも、ここ……広〜い芝生広場。マジでなんなん、これ。

 横で風の音して、ふり向いたら──
ちっちゃい任太朗。
 ガキの頃、坊主。
笑ってんじゃん……なにこれ……

 懐か……って思った瞬間──
 視界が、ぐわっ! 切り替わった。

 今の任太朗が、俺の横に並んでた。
 
背、高くて、猫背で、メガネで、天パで。
 さっきと同じ笑顔で、俺のこと見てる。
 
 うわ、うわ、うわ、近っ……
てか、その笑い方、ズルい!

 ──そのまんま、俺を追い越して、走ってった。

 は!? 
なに勝手に先行ってんだよ!

「お、おい、待て! 任太朗! なんで前行くんだよ! 置いてくなって!」

 足、めっちゃ動いてんのに、
任太朗だけ、どんどん遠くなる。
 

 声、届かねぇ。空気、重てぇ。

「任太朗!! 好き! 大好きだから! 行くなって!」

 全力で叫んでんのに、


 任太朗は──振り向かねぇ。

「おい! 待てよ! 任太朗!! 行かないで……っ!」

 必死に呼んでも、
任太朗の背中、小さくなって──

 どんどん、どんどん遠くなって……
背中、小さくなって……

 うそ、ちょ、待って……やだ……やだって……!
 ……消えそうで。
……消えんなよ、マジで……
 景色、白くなってって──
あいつが……見えなく……なって……

 ──っあ!?!?

 ガバッて飛び起きた。
ソファの上。

 喉、ガラッガラで、息、ひゅーひゅー。

 顔……びっしょり。
涙。目から、めちゃくちゃ出てたっぽい。
 汗でシャツがベタベタに張りついてて、
なんかもう、体も気持ちも……ぐしゃぐしゃ。
 
 ……今の、夢……?

 スマウォ見たけど、真っ暗。

 ……バッテリー、もう切れてた。
俺も……かもな。
 
 スマホ、手探りでつかんで、
画面つけたら──『5:01』。
 ……もう、朝?

 抜かれて、……悔しくて。
置いてかれて、ムカついて。

 
 それでも──
好きなんだよ!
 
 お前の背中、
……なんかもう、追いかけたくなんだよ。
 
 だから。
今度は──俺の番。
俺が、追いかける。


 
 洗面所行って、鏡見たら──

 ……うわ。顔、やっべ。
イケてる顔が完全にカピカピ。
 目、パンパン。
髪もぺったぺたで……マジかよ。
 
 シャワー、頭からぶっかけて、
ついでに頭ん中もガーッて流して。
 
タオルで顔、ごしごし拭いてて。

 なんとなく、キッチンに向かった。

 冷蔵庫、バンって開けたら──

 ……あった。
チキンサンドと、レタス山盛りのサラダ。

 横に、味噌汁も。ちゃんと。レンチンして、ラップめくった瞬間、
ふわって湯気のぼって、
 
……それだけで、胸んとこ、ズンってきた。
 
 パン、ちょい甘。チキン柔らか。
サラダ、レモン効いててシャッキシャキ。

 食って、
「……クソ、うま」って、つい出た。


 なんか、今日の味……いつもより、しみてんだけど。
 
 ……任太朗、学校行ってんのかな。
行ってるかもしんねぇし、行ってねぇかもしんねぇ。
 
でも──行ってみっか。一か八かで。


 いたら……会えるかもしんねぇ。

 会えたら──
言いてぇこと、
全部、ぶつけてやる。