泡沫の兄弟

「おまえは俺のことが好きなんだろ」

 久我は近づいてきて、僕の目の前で立ち止まった。その距離は、友人としてならばアリかもしれないが、ただのクラスメイトとしては、戸惑ってしまうほどに近い。

「あんなに俺の絵ばっか描いて、それでも俺のこと好きじゃないなんて、そんなのおかしいだろ」
「……おかしくないよ。……久我くんは絵になるから」
「絵になるって……じゃあなんで描かなくなったんだ」
「それは……三年になったからだよ。受験勉強があるし」
「だからって、あんなに描き続けていたのに、一枚も描かなくなったのはおかしい」

 久我は僕を射るかのようにまっすぐ見つめている。
 言い訳をひねり出しても、見透かしていると言わんばかりに、まるで聞いてくれない。久我の視線からは、本音を聞くまでは問いただしてやるという決意が滲んで見え、合わせていると怯んでしまう。嘘をつき続けられなくなりそうだった。
 
「……描いてるよ」
「描いてない。最後に更新したのは二ヶ月前だ」
「なんでそんなこと……」

 このノートパソコンは放置していたものだ。ただ、クラウドには繋げていたから、自宅のパソコンとは共有されている。
 
「クラウドまでチェックしていたの?」
「いいだろ別に。モデル代だ」
「モデル代?」
「そう。これもモデル代」

 これもって、どれ?
 疑問が頭に浮かんだ瞬間、久我に抱き寄せられ、驚く間もなく唇に何かが触れた。
 何かじゃない、久我の唇だ。
 なんで?
 わけがわからず、しかしいきなりのことで熱くなってしまった僕の身体を、久我は抱きしめてきた。

「真田久兵衛っておまえの漫画の主人公、あれは俺のことだろ? デザインだけじゃない。中身も俺にそっくりだ」

 混乱の頭に、久我の言葉が追い打ちをかけるかのごとくに轟いた。
 真田久兵衛は、久我を知ったあとにつくりだしたキャラクターだ。久我の外見をモデルにして、中身のほうは、デザインを決めたあとに自然と浮かんできたものだった。でもそれは、学校での久我とはかけ離れた人物像で、似てはいないし、似せようと考えたこともない。一度も目を合わせたことがない僕が、内面を描けるはずがないのだから。
 そう思っていたはずが、義兄弟になってから僕のまえにだけ見せていた久我には、似ている気がした。似た面があるものだと感じたときはあった。

「……ただ、あんな姿は誰にも見せたことがなかった。誰も知らない俺なんだ。父さんも母さんも、兄さんたちだって……それなのに、なんでこんなのを描けるんだろうって、他のフォルダを見てみたら、その理由がわかった。……あんだけ描くのにどれくらいかかったんだよ」

 二年間……そんなことは答えられない。どれほど執着しているのかと、ぞっとさせてしまう。
 
「学校に行っている以外の時間すべてを費やさなきゃ、あんなに描けないんじゃないか? そこまでして俺の絵を描いていたやつが、ただのモデルとしか見てないなんて……そんなの信じられるかよ」

 絵を描かない人は、一枚の絵にどれほどの時間がかかるかなんて、普通は知らないものだ。それなのに、僕がどれほど久我を見ていたか、そして久我の絵を描き続けていたか、久我はわかっているらしい。
 わかっていたとして、なぜキスをしたんだ?
 僕のことを嫌っているはずだ。避けるくらい、人前で義兄弟だったことを知られたくないくらい、嫌いなはずなのに。
 
「……気持ち悪くてごめん。義兄弟になった相手から、そんな薄気味悪いことをされて、すごく嫌だったと思う。でももう描くのはやめたし、義兄弟でもなくなったから、だから」
「そんなこと言ってないだろ。俺は描いて欲しいんだ。漫画だって、続きを読みたいって何度も言ってんだろ。俺の絵を描けよ」
「描けって、なんで……」
「描いて欲しいんだ」
「でも、もう描かない……」
「なんでだよ」
「描かないんじゃなくて……描けないんだ」
「なんで……泣いてんだよ」
「泣いてない……」
「嘘ばっかりつくな」
「嘘じゃない。本当だ。泣いてないし、描けない。もう描けないんだ。僕の力じゃ表現できない。久我くんはもっと素敵で、かっこよくて、優しくて、魅力的で……僕なんかの力じゃ描けないんだ」
「ああ、もう、わかった」

 呆れたように言って、久我はまた僕を抱き寄せた。
 なんでこんなことをするんだろう。本当にわけがわからない。

「義兄弟じゃなくなったってのは、確かに朗報だ」

 やっぱり、久我は僕と義兄弟である関係は御免だったらしい。泣いている自覚はなかったけど、こればかりはちょっと泣きそうになった。
 自分が悪いのに、義兄弟になるまえの頃に戻りたいと願っていたのに、身勝手にも、あの日々のことを否定して欲しくなかった。

「……男同士ってのも問題があるかもしれないけど、義兄弟ってほうがもっと問題だからな」

 久我は、言い終えたあと僕の目尻に指で触れ、なぞるようにこすった。そこに彼の唇が触れる。頬にきて、次にまた唇へと届いた。

「だから、もう抑えなくてもいい。……俺も、優斗のこと好きだから」

 泣きそうだった僕の目から、その言葉で決壊したように涙が溢れ出てきた。
 久我はそんな僕を優しく抱きしめて、頭を撫でてくれた。
 嫌われていたはずだ。嫌われていると思っていた。
 それが、久我も僕を好きでいてくれたなんて、そんな信じられないことが起きるなんて、夢でも見ているのだろうか。
 とても現実とは思えない。
 そう放心していた僕を、久我はただ抱きしめてくれていた。
 久我の体温は暖かく、抱きしめてくれているその腕の圧力も本物で、確かに彼は今、ここに存在しているということを、僕に実感させてくれていた。