「……そうすれば、二人ともベッドで寝られる……だろ」
また冗談を言われている。それにしてはキツすぎるというか、まったく笑えない。
しかも久我は、いつも冗談を言うような、わざとらしくにやにやとした笑みを浮かべていない。
頬を赤くし、僕から視線を逸らしたり、窺うようにしている。
「……そんな冗談いいって……僕が向こう行くから」
声は震えるし、口角は上がりきれていない気がしたけど、冗談である以外にないのだからと、絞り出すようにしてなんとか答えた。
「冗談じゃない……おまえ……俺のことが好きなんだろ?」
頭が真っ白になるとはこのことだ。何を言われたのか理解ができない。
「……俺のことずっと見てるだろ。何百枚も絵を描いてるし……あれは俺だろ?」
「……何百枚? 絵? 絵って」
「あの、パソコンに入ってたやつ」
「な……」
漫画だけじゃなく、絵のファイルまで見ていたというのか?
ファイル自体は隣り合わせだから、探すまでもなく簡単に見ることはできる。できるけど、見たはずはないと思っていた。
もし見ていたら、すぐにでも言うはずだと思っていたからだ。
何百枚と描かれていたら、気持ち悪くて不愉快になるに違いないし、すぐにでも抗議したくなるはずだ。いや、抗議するまでもなく、僕と関わらないようにするだろうし、こんなふうに二人きりで過ごすようなことはしないはずだ。
「あれだけの絵を描いておいて、好きじゃないとか言われても信じられない」
「……どこまで見たの?」
「あるだけ全部」
「全部?」
「なんで最近は描かないんだ? 今のほうが近くにいるだろ」
「最近って……チェックしてるの?」
漫画を読まれたとき同時に見られたものと思っていたら、違うらしい。
チェックしているなるなんて、どうやって?
あのときとは違って、反省した今はパスワードでロックをかけているというのに。
「誕生日がパスワードとか、危機管理ザルすぎなんだよ」
「え……」
なんで僕の誕生日を知ってる……じゃなくて、パスワードを開けてまで見たというのか?
パスワードを解除してまで見るなんて、よほど頭にきていたらしい。
だったらすぐに問いただしてくれればよかったのに。すぐに詰め寄られていたら、こんなことにはならなかった。
久我への想いを募らせることもなく、はち切れんばかりに胸を焦がすこともなかった。
こんなに久我のことで頭がいっぱいにならなければ、嫌われているうえに怒りをぶつけられたとしても、平気でいられた。おそらくだけど、今よりも辛くはなかったはずだ。
驚愕している僕に、久我は「キモいんだよ」「うぜえんだよ」などの罵倒や不満をぶつけるでもなく、なぜか目の前でしゃがみ、そして手を近づけてくる。殴るとすれば間合い的に近すぎるというところにまで来て、久我の手が僕の頬に触れた。
「なんで描かなくなったんだよ」
なんでなんて、なんでだよ。それはこっちの台詞だ。
久我は怒っているはずだ。それなのに、表情から怒りや苛立ちは感じられない。
久我の演技力は凄い。それは義兄弟になってから日増しに実感している。学校での久我と自宅では別人のようなのに、どちらもごく自然で、どちらも本物の久我に見える。
ストーカーまがいの僕の行為を知っていた状況で、まるで本当の家族みたいに振る舞っていたのだから、相当の演技力がなければできない。
「失望したから?」
久我が歯噛みするように口元を歪め、切なげな目で問いかけてきた。
「……失望?」
「そう。学校でのイメージと違うからって」
「……久我くんのことを? するはずがないよ……あり得ない」
あり得ない。どんな久我でも魅力的にしか感じられない。嘘つきでも、口が悪くても、むしろ親しげに振る舞ってくれているように感じられて、嬉しく思っていた。
最近は、学校でも挨拶をしてきたり、たまに話しかけてくれたりもするから、素っ気ない態度は、恥ずかしいからなんじゃないかって勘違いしてしまうくらい、それも僕の中では喜びに繋がっていた。
「なぜか、おまえは俺のことを知っていた。喋ってもいないのに、俺が人に見せていないところも、おまえだけは気づいてくれていた」
「え?」
「俺がどんな人間かを知ったうえで、それでも俺のこと……好きなんだろ?」
詰め寄られている。気持ちの悪い真似をした理由を釈明すべき場面らしい。この気を窺っていたのかもしれない。
「違う……好きだから描いていたわけじゃない」
理由は、ただ久我が美しくて、魅力的で、そんな彼を絵で表現したかっただけだ。
好きだから描いていたわけじゃない。
以前の僕なら、見たことのなかった久我を毎日毎分見ることができるようになったことで、嬉々とするはずだった。そのはずが、まったく描けなくなってしまった。
僕の頭にいるのが、幻想や妄想の久我じゃなくて、本物の久我になってしまったから、描けなくなった。
久我への気持ちを自覚したことで、描けなくなってしまったのだから。だから、それは事実だ。
「……んなこと信じられるかよ」
「本当だって。僕のキャラのモデルにぴったりだったから、練習していただけだ。……だからだよ。他に意味なんてない」
「モデル?」
「……そう。久我くんはかっこいいから、モデルとして最高だったんだ。でも、義兄弟になったから、そんなことできないって、だから描くのをやめたんだ」
久我はうつむき、そして顔を背けてしまった。
その言い分じゃ納得できなかったのだろうか。
土下座して平謝りするべき?
でも、いくら気持ち悪いことでも、ただ見ていただけで他に悪いことはしていない。
「もう描かないから……久我くんに対して家族としての好意はあるけど、それ以上のことはないから……だから安心し──」
「わかった」
久我は強めの声を出して、部屋から出ていった。そしてそのまま玄関からも出ていったらしく、そっちのドアの閉まる音も遠くに聞こえてきた。
それまでは、詰め寄るにしても僕の言い分に耳を傾けようとしてくれていたようだったのに、突然、怒りをあらわにした。
やっぱり、本音では気持ち悪くて、でも一応は義家族になったわけだから我慢してくれていたのかもしれない。機会を窺ってようやく問いただした。しかし、あの言い訳じゃ納得できなくて、それでようやく怒りを表に出したのだろう。
それはわかったけど……一緒にベッドで寝ようなんて言ったのはなぜだ?
久我が僕のパソコンをチェックしていたのは、まだ続けているのかを監視していたからだと思う。
そのはずが、「なんで続きを描かないんだ?」なんて、どういう意味だろう。責めているのではなく、まるで描いて欲しいかのようだった。
まさか。そんなことあるはずがない。やめて欲しいと思いこそすれ、嬉しいはずがないのだから。
僕は、久我の本心を聞けてよかったと、安堵しようとした。
不快に感じながら機を窺うために演技をし続けていた、その苛立ちを発散させてやれたはずだと、納得しようとした。
それなのに、腑に落ちないことがいまだあり、その謎を解くことができず、思い悩む一夜を過ごすこととなってしまった。
また冗談を言われている。それにしてはキツすぎるというか、まったく笑えない。
しかも久我は、いつも冗談を言うような、わざとらしくにやにやとした笑みを浮かべていない。
頬を赤くし、僕から視線を逸らしたり、窺うようにしている。
「……そんな冗談いいって……僕が向こう行くから」
声は震えるし、口角は上がりきれていない気がしたけど、冗談である以外にないのだからと、絞り出すようにしてなんとか答えた。
「冗談じゃない……おまえ……俺のことが好きなんだろ?」
頭が真っ白になるとはこのことだ。何を言われたのか理解ができない。
「……俺のことずっと見てるだろ。何百枚も絵を描いてるし……あれは俺だろ?」
「……何百枚? 絵? 絵って」
「あの、パソコンに入ってたやつ」
「な……」
漫画だけじゃなく、絵のファイルまで見ていたというのか?
ファイル自体は隣り合わせだから、探すまでもなく簡単に見ることはできる。できるけど、見たはずはないと思っていた。
もし見ていたら、すぐにでも言うはずだと思っていたからだ。
何百枚と描かれていたら、気持ち悪くて不愉快になるに違いないし、すぐにでも抗議したくなるはずだ。いや、抗議するまでもなく、僕と関わらないようにするだろうし、こんなふうに二人きりで過ごすようなことはしないはずだ。
「あれだけの絵を描いておいて、好きじゃないとか言われても信じられない」
「……どこまで見たの?」
「あるだけ全部」
「全部?」
「なんで最近は描かないんだ? 今のほうが近くにいるだろ」
「最近って……チェックしてるの?」
漫画を読まれたとき同時に見られたものと思っていたら、違うらしい。
チェックしているなるなんて、どうやって?
あのときとは違って、反省した今はパスワードでロックをかけているというのに。
「誕生日がパスワードとか、危機管理ザルすぎなんだよ」
「え……」
なんで僕の誕生日を知ってる……じゃなくて、パスワードを開けてまで見たというのか?
パスワードを解除してまで見るなんて、よほど頭にきていたらしい。
だったらすぐに問いただしてくれればよかったのに。すぐに詰め寄られていたら、こんなことにはならなかった。
久我への想いを募らせることもなく、はち切れんばかりに胸を焦がすこともなかった。
こんなに久我のことで頭がいっぱいにならなければ、嫌われているうえに怒りをぶつけられたとしても、平気でいられた。おそらくだけど、今よりも辛くはなかったはずだ。
驚愕している僕に、久我は「キモいんだよ」「うぜえんだよ」などの罵倒や不満をぶつけるでもなく、なぜか目の前でしゃがみ、そして手を近づけてくる。殴るとすれば間合い的に近すぎるというところにまで来て、久我の手が僕の頬に触れた。
「なんで描かなくなったんだよ」
なんでなんて、なんでだよ。それはこっちの台詞だ。
久我は怒っているはずだ。それなのに、表情から怒りや苛立ちは感じられない。
久我の演技力は凄い。それは義兄弟になってから日増しに実感している。学校での久我と自宅では別人のようなのに、どちらもごく自然で、どちらも本物の久我に見える。
ストーカーまがいの僕の行為を知っていた状況で、まるで本当の家族みたいに振る舞っていたのだから、相当の演技力がなければできない。
「失望したから?」
久我が歯噛みするように口元を歪め、切なげな目で問いかけてきた。
「……失望?」
「そう。学校でのイメージと違うからって」
「……久我くんのことを? するはずがないよ……あり得ない」
あり得ない。どんな久我でも魅力的にしか感じられない。嘘つきでも、口が悪くても、むしろ親しげに振る舞ってくれているように感じられて、嬉しく思っていた。
最近は、学校でも挨拶をしてきたり、たまに話しかけてくれたりもするから、素っ気ない態度は、恥ずかしいからなんじゃないかって勘違いしてしまうくらい、それも僕の中では喜びに繋がっていた。
「なぜか、おまえは俺のことを知っていた。喋ってもいないのに、俺が人に見せていないところも、おまえだけは気づいてくれていた」
「え?」
「俺がどんな人間かを知ったうえで、それでも俺のこと……好きなんだろ?」
詰め寄られている。気持ちの悪い真似をした理由を釈明すべき場面らしい。この気を窺っていたのかもしれない。
「違う……好きだから描いていたわけじゃない」
理由は、ただ久我が美しくて、魅力的で、そんな彼を絵で表現したかっただけだ。
好きだから描いていたわけじゃない。
以前の僕なら、見たことのなかった久我を毎日毎分見ることができるようになったことで、嬉々とするはずだった。そのはずが、まったく描けなくなってしまった。
僕の頭にいるのが、幻想や妄想の久我じゃなくて、本物の久我になってしまったから、描けなくなった。
久我への気持ちを自覚したことで、描けなくなってしまったのだから。だから、それは事実だ。
「……んなこと信じられるかよ」
「本当だって。僕のキャラのモデルにぴったりだったから、練習していただけだ。……だからだよ。他に意味なんてない」
「モデル?」
「……そう。久我くんはかっこいいから、モデルとして最高だったんだ。でも、義兄弟になったから、そんなことできないって、だから描くのをやめたんだ」
久我はうつむき、そして顔を背けてしまった。
その言い分じゃ納得できなかったのだろうか。
土下座して平謝りするべき?
でも、いくら気持ち悪いことでも、ただ見ていただけで他に悪いことはしていない。
「もう描かないから……久我くんに対して家族としての好意はあるけど、それ以上のことはないから……だから安心し──」
「わかった」
久我は強めの声を出して、部屋から出ていった。そしてそのまま玄関からも出ていったらしく、そっちのドアの閉まる音も遠くに聞こえてきた。
それまでは、詰め寄るにしても僕の言い分に耳を傾けようとしてくれていたようだったのに、突然、怒りをあらわにした。
やっぱり、本音では気持ち悪くて、でも一応は義家族になったわけだから我慢してくれていたのかもしれない。機会を窺ってようやく問いただした。しかし、あの言い訳じゃ納得できなくて、それでようやく怒りを表に出したのだろう。
それはわかったけど……一緒にベッドで寝ようなんて言ったのはなぜだ?
久我が僕のパソコンをチェックしていたのは、まだ続けているのかを監視していたからだと思う。
そのはずが、「なんで続きを描かないんだ?」なんて、どういう意味だろう。責めているのではなく、まるで描いて欲しいかのようだった。
まさか。そんなことあるはずがない。やめて欲しいと思いこそすれ、嬉しいはずがないのだから。
僕は、久我の本心を聞けてよかったと、安堵しようとした。
不快に感じながら機を窺うために演技をし続けていた、その苛立ちを発散させてやれたはずだと、納得しようとした。
それなのに、腑に落ちないことがいまだあり、その謎を解くことができず、思い悩む一夜を過ごすこととなってしまった。



