夏休みはあっという間に過ぎ去っていく。
 それでも、校庭の木には蝉が止まっているのかミンミンミとやかましかった。
「小春ー今日も清掃のバイトか?」
「そーそー。またカラオケ誘ってよ、じゃ」
 放課後になると、荷物を片づける俺に三人のクラスメイトが声をかけてくる。
 今日も放課後にカラオケにいくらしく、俺を誘ってくれたようだ。以前までの俺だったら、ここで行くという選択肢を取っていただろうが、今はきっぱりと断れる。もちろん、一緒にいきたいときはその有無を伝える。
 俺が思っていた以上に、その三人のクラスメイトは俺が断っても話しかけてくれるし、誘ってくれた。俺が気にすることなんて何もなく、嫌われる心配はするだけ無駄だったのだ。
 俺は三人に謝って教室を抜け、下駄箱へと向かった。
 下駄箱にはすでに黒いマスクをつけたあいつが、靴を履いて待っていた。
「冬城」
「遅いです。先輩」
「遅くねえし。カラオケ誘われてそれ断ってたの」
「行かないんですか?」
「だって、こい、恋人との約束があるし? てか、カラオケも今日、お前と行く予定だったから。そりゃ、お前優先っていうか」
 俺の先のスケジュールはだいたいこいつで埋まっている。
 冬城は、左手でマスクを外し丁寧に折りたたむとズボンのポケットへと突っ込んだ。
 そして、俺を褒めるように優しく頭を撫でる。
「嬉しいです。俺のこと優先してくれて。でも、それで先輩が教室にいづらくなるようだったら言ってくださいね」
「大丈夫だよ。俺が勝手に、嫌われるって思い込んでただけだし。あいつら、カラオケ行ったらすぐに俺のこと忘れるよ。んで、また誘ってくれる」
 俺がそういうと、冬城は一瞬だけ目を丸くした。変なことは言っていないはずだが? と、冬城を見れば「先輩変りましたね」と言って来る。
 俺の下駄箱のカギを開け、俺の靴を取り出し、はきやすいようにと揃えてくれる。最近新調したばかりの黒いスニーカーは、踵はふんでいないもののリボン結びは相変わらずへたくそだった。
 気の利く恋人に胸がキュンキュンしつつ、俺はそれが顔に出ないように靴を履いた。
 夏休みが終わり、あのゲームセンターは閉まってしまった。最後に季無さんにお礼をと清掃作業をしたのだが、そのときに「なんか持って帰れよ」と一般家庭には到底置けないクレーンゲームを指されてしまい、俺たちは断りながらもあの大きな古代魚のぬいぐるみをもらった。やっぱり誰もあのゲームセンターにこないらしく、景品の処理に困っていたそうだ。
 冬城には「二個も同じのいらないでしょう」と言われたが、俺は二体のぬいぐるみを両側に置いて寝ている。
 八月三十一日が過ぎた後あのゲームセンターに行ってみたが、予告通りシャッターが下ろされており、閉店の二文字が書かれた紙が貼られていた。
 それを確認するために五十二分の道のりを二人で来て、そして一時間後にしか来ないバスを炎天下の中待った。
 俺がいつぞやに抜いた雑草はまた芽を出し、青々と伸びていたためそれを引っこ抜いて車道に投げてやった。
「今日、カラオケの前にゲームセンターよってかね?」
「駅前のですか?」
「そっ。久しぶりになんかお前と勝負したい」
「どうせ先輩、俺に負けて泣くことになるのに?」
「それでも! てか、お前、恋人になってもほんっとうにからねえよな」
 冬城に支えられながら靴を履き、見上げれば、出会った当初からでは考えられないほど優しい笑みを向けられてしまった。
(いや、変わってる……俺にはわかる)
 それが些細な変化だったとしても、こいつの恋人である俺は気づくのだ。
「そういえば、また秋梨先生に絡まれたんですけど」
「お前のこと好きなんじゃね?」
「そんなわけないでしょう……俺は、先輩にだけ好きでいてもらえればいいんです」
 冬城は俺の頭をよしよししながら「百六十五センチを四捨五入して百七十センチとかいうかわいい先輩に、好きでいてもらえばいいんです」など口にしていた。おもいっきり悪口だったが、反論の余地もない。
 そんな憎まれ口も、最近はかわいいとすら思ってきている。惚れた弱みなのだろう。
「というか先輩、朝のあれ何ですか?」
「朝のって?」
「……メッセージアプリに送ってきた写真です。あんな、パジャマ姿の自撮り」
「いいだろ。お前好きだと思って」
 SNSは断ち切った。
 もうおじさんとやりとりはしていないし、ネットに写真なんて上げていない。もしかしたら、どこかに俺の写真は残っているかもしれないけれど、それはしかたがないことだ。ネットはそういう場所だから。
 教室でSNSの話題が出たとき、趣味のアカウントをつくろうと思ったが、それも思い踏みとどまった。せっかく断ち切ったのに再会すれば、また冬城に『ビッチ先輩』と言われかねない。今はクリーンな清楚先輩を目指している。もう無理かもしれないけど。
 冬城は、珍しく頬を染めて「好きですけど……」と小さく口にし、俺の手を指先できゅっと握った。
「ああいうの、朝から心臓に悪いです」
「股間に?」
「先輩、学校ですよ」
 冬城からおしかりを受け、俺は俯く。
 喜ぶと思って自撮りを送った。でも、俺だって恥ずかしかった。久しぶりに自分の写真なんか撮って。改めて、自撮りって自分に自信がないときじゃないとだめだなと思った。今は、冬城の恋人として飽きられないか心配で、頭がいっぱいだ。
「とにかく、ワンクッション置いてください」
「なら、いいの?」
「いいというか……はあ。俺のフォルダー、先輩でいっぱいになっちゃいます」
「ロック画面、俺のくせに」
「先輩だって、俺の写真でしょう」
「だって、恋人だし」
「何それ、かわいい言い訳しないでください」
 俺の手を握っている冬城の指先に力が入る。俺の手に痛みが走り、顔をしかめて冬城を睨みつけた。
 当の本人は何食わぬ顔をして「先輩のアホ面でいっぱいです」など、また酷いことを口にしている。
 でも、これが冬城だ。冬城柊という男だ。そして、俺の恋人。
「なあ、早く行こうぜ」
「先輩がここで足踏みしてたんですけどねえ」
 冬城はそう言いながらも俺の手を引いて歩き出した。誰かとすれ違うかもしれないのに。こいつは相変わらず周りのことを気にしない。
 俺はやっぱりちょっと恥ずかしいから、みんなが見ていないところで手をつなぎたいと思う。そこは価値観の違いだろうけど。
 大きな背中を追いながら、俺はふと思ったことを彼の背中に投げかけた。
「……また、お前んちいっていい?」
「いいですけど。母の予定聞いてからにしますね」
「お前、お母さんと話してんの?」
「ちょっとずつですけど。でも、未だに嫌だなって気持ちは残ってます」
 不機嫌な声色で冬城は応えると、俺の手を掴む力が強くなった気がした。
 冬城の母親は、冬城も一緒に住む家で不倫をしていた。もうしていないだろうし、バレたら家庭崩壊だろう。冬城曰く反省して、男の気配は一切ないものの、やはり距離感は感じるようだ。無理もない。
 でも、冬城は少しずつ同居している母との関係をどうにかしようとしているのだ。あんなに広い家で家庭内別居みたいな状態になっている今をどうにか変えようとしている。
(俺も、進路のこととかお母さんに話さなきゃだし……)
 高校は、自分の行ける範囲を選んだ。しかし、大学はそうはいかない。今の家から通えない位置に行くことになるかもしれない。
 その話を母としなければと思ったのだ。
「あのプラネタリウムすげえよかったから。ああ、俺んちでもいいけど」
「プラネタリウム……本当のプラネタリウム見に行きたいですね。なんかカップルに人気らしいですよ」
「お前、また星じゃなくて俺を見るつもりだろ」
 バレました? なんて冬城は言って、駅の改札口で立ち止まる。取り出したICカードで先に改札を抜け、俺をその先で待つ。
 俺もICカードを取り出してピッとかざし冬城のもとへと行く。
「蓮澄先輩」
「……っ、何、名前呼んで」
「呼んでみたかっただけです。九月の中旬に行われる文化祭一緒に回りませんか?」
「また、先の予定?」
「はい。先輩の予定埋めとかないと気が済まないんですよ。先輩が他の人との予定いれちゃうかもしれないから」
 独占欲をちらつかせ、冬城はリュックにつけていたあのサカバンバスピスのキーホルダーをにじにじと弄る。
 冬城でも不安になることがあるんだな、と思いながら俺は「分かった」と返事を返す。
「かわいいやつ……」
「先輩がね」
「何で!? 今のどこがかわいいんだよ!!」
「駅のゲームセンターって一緒にプリクラとれないんですよねー女子しか入れないみたいで」
「だから? 家で二人で取ればいいじゃん」
「先輩はおっさんと撮ったのに」
「今頃その話すんの?」
 出会ったあの時には、別に俺のこと何とも思っていなかったじゃん、とツッコミを入れたくなった。
 でも、冬城は昔の俺も含めて塗りつぶして自分の色に染めたいらしい。まったく困った恋人だと思う。そんな恋人に喜びを感じている俺もまた異常なのかもしれないけど。似た者同士、うまくやっていける。
 冬城に手を差し出され、ゲームセンターに向かって歩き出す。
 行きかう人々は俺たちのことなんて気にも留めない。ただ手をつないでいるだけだったのに、恋人つなぎになっても気付かない。
 ゲームセンターにつくと、膝より上にスカートを上げた女子高校生らしき集団がたむろしていた。そんな女子高校生たちの間を縫ってゲームセンターに入れば、俺たちの好きだったゲームセンターとは違う景色が広がっている。
 エアコンの温度もしかり、クレーンゲームの中に入っている景品もしかり。全てが真新しくて、キラキラしていて、目が痛かった。
 床もピカピカに磨かれており、ホコリ一つない。あたりを見渡しても掃除道具が出しっぱなしになっている様子はない。
 俺たちの知っている世界とは別世界だ。
「先輩どうしました?」
「んーいや、あのゲームセンターが懐かしいなって思って。俺、あそこ結構好きだったんだって思って」
「俺も好きでしたよ。先輩も同じ気持ちって嬉しいです」
「何でも嬉しがるな、お前」
 その好きがかかっているのは、冬城じゃないのに。
 冬城も好きなんだけど、と俺は思いながらニ三人待っている太鼓の名人を見た。ここにもマイバチを持ってきて、人間とは思えない速度で太鼓をたたく男子高校生らしき人がいる。冬城とどっちがうまいだろうと見ていると「俺のほうがうまいです」と何も言わずとも対抗してきた。
「俺もそう思う」
「でしょ? 何かします? それとも、カラオケに直行しますか?」
「ちょっとだけ中回る……ついてきて……ぃ、柊」
「……っ、はい。どこまでもついて回りますよ」
「お前は犬かよ……手、とか、つないだりは?」
 します、といって冬城は勢いよく俺の手を握った。
 本当に恥ずかしげもなくよくやると感心してしまう。前まではもっとつんけんしていた気がするのに、すっかり愛情表現がうまくなっている。その点に関しては、俺はまだまだだなと思う。
 そんな俺の不器用さも冬城は理解して、言語化してくれるけど。ちゃんと好きと伝えられるようにはなりたい。
 下手でも、冬城はそんなことで俺を嫌いになったりしないだろうから。
 恋人つなぎをしながらゆっくりとゲームセンターの中を回る。流行のぬいぐるみから、最新のクレーンゲームまで。ピラミッドのように積み上げられた某お菓子の山や、どうやって景品を撮ればいいか分からないクレーンゲームに、メダルゲームやスロットまで完備されていた。中でもプリクラの数は圧巻だ。
 俺は、傷一つないきれいなクレーンゲームの側面をなぞりながら歩いていると、ふと見慣れたぬいぐるみがあったので足を止めた。
「冬城、これ取って」
「これって、先輩持ってるでしょ」
「でも、いや。お前にあげるから」
「俺いらないのにとらなきゃいけないんですか?」
 クレーンゲームの中にいたのはサカバンバスピスだ。それも大量に並べられていて、まるで干物のように潰されている。すでに誰かがプレイした後なのか、白い腹のほうを向けて転がっている。
 冬城は嫌そうにしながらも財布を取り出し、百円を手に取った。
「とってくれたらまた間接キスしてやるよ」
「そこはキスじゃないんですか。キスがいいです」
「お前、味締めた?」
「とにかく、ご褒美は所望します」
 きれいな指先から百円玉が転がり、クレーンゲームに吸い込まれていく。『ゲームスタート』とクレーンゲームの枠が白く発光する。
 俺は、クレーンゲームの横にいて、冬城の横顔を眺めた。真剣になっている顔が好き、手先が器用で、何でもこなせる冬城が好き。
「先輩見すぎです」
「いーの。恋人の特権だし。お前の顔もっと見せてよ」
 俺がそういうと、冬城は面食らったような顔をしたが、次に口の端をフッとあげた。
「俺の顔好きですね。蓮澄先輩。なら、いくらでも見てください」
 冬城はきれいな手でボタンをパチンとおす。すると、アームが開きながら降下し、ぷくぷくと太ったそのサカバンバスピスのぬいぐるみを持ち上げた。こういうのはすぐに落ちるのが定積だが、運が味方したのか、途中で丸いお腹のぬいぐるみは落ちることなく景品取り出し口にスポンと落ちる。
 冬城は雑にそれを引っ張り出し、尻尾の部分を掴んでつるし上げた。
「はい、取れましたよ。先輩。約束通り、キスしてくださいね」
 世界一幸せそうにそういった冬城は、片手で自分の唇をトントンと押し、もう一度フッと笑ったのだった。