◇◇◇
「季無さん」
「あー冬城に負けてる坊ちゃんか」
「負けてるって……あの、ゲームセンター閉めるんですか?」
 ゲームセンターの扉に張り紙を張り終わった季無さんはゆっくりとこちらを向いた。ボロボロのビニールサンダルは、今にも鼻緒がちぎれそうだ。
 冬城と恋人になって久しぶりにきたゲームセンターは、いつものように過疎ってて、人の気配はない。しかし、珍しく店の前に出てきていた季無さんが何か紙を張る瞬間を俺たちは目撃してしまったのだ。
 季無さんは、俺と冬城を交互に見て「なんだぁ、青春か」とよくわからないことを呟いた後「見て見りゃ分かる」と紙を指さして、店の中へ入っていってしまった。
 俺は急いでその紙を見に行くとそこには『八月三十一日をもって当ゲームセンターは閉店いたします』と書かれていた。
「先輩、なんて書いてあったんです?」
「閉店だって……俺たちが来ない期間があったからかな」
「なわけないでしょ。もともと、季無さん、前から決めていたみたいで」
「……って、お前知ってるなら知ってるっていえばいいのに」
「八月三十一日までってのは今知りました。でも、やっぱりちょっと寂しいです」
 冬城は、季無さんが張ったばかりの紙に手を当て眉を下げた。
 冬城にとってここは、逃げ場でもあり秘密の場所でもあり、大好きな場所でもあった。俺にとっても冬城と初めて会った思い出の場所。
 そんなゲームセンターが閉まるのは俺も寂しかった。
「閉まるまで毎日来ます」
「じゃあ、俺も」
「先輩は無理しなくていいですよ」
「……お前、俺より遠いところに住んでるくせに。いーの、俺もここ好きだし、思い出の場所だし。何より、恋人が一人ここにきてほっとかれるほうがつらいし」
 気づかれないように冬城の手に触れれば、すぐにもバレて手を掴まれてしまう。その後、するりと彼の指が俺の指の間に滑り込んであっという間に恋人つなぎの完成だ。
「じゃあ、毎日ここに俺と一緒に来てくれます?」
「そ、そりゃ、うん。お前が言うなら……てか、俺まだお前に一回も勝ってないんだけど」
 俺がそういうと、冬城はぱちくりと目を瞬かせた。まるで、そのことを忘れていたかのような反応に俺は拍子抜けする。
「あーそうでしたね、そういえば」
「お前が言い出したんだし。写真、いや、別にあれもう、いいけどさ……お前、どうせ悪用しないだろうから」
 パパ活をしていたあの頃が懐かしい。というか、実際に会ってのパパ活はあれが最初で最後だったけど。
 でも、ここを選ばなければ冬城に会えなかったんだと思うと、ある意味奇跡だとは思う。
 冬城は「じゃあ、一戦どうです?」と俺に聞いて、俺の答えを待たずしてゲームセンターの中へと引っ張っていく。こういうたまに強引なところも好きだ。
 ゲームセンターの中はエアコンが壊れているのか、外と大差なかった。今にも壊れそうなカタカタと音を立てている扇風機が回っていて、またホコリがそこら中に溜まって白くなっていた。
 閉店前にまた掃除させてもらえたらなと俺は考えながら、賑わしいカラフルなゲームセンターの中を進んでいく。
 しばらく進んで、冬城が足を止めたので、俺も彼の手を握りながら足を止めた。目の前にあったのはあの太鼓のリズムゲームだ。
「冬城、お前今日マイバチ持ってきてないけど、いーの?」
「同じ条件で戦いますよ。どうせ、先輩勝てないでしょうけど」
 太鼓の下についているフォルダーからバチを取り出し、冬城はグリップの部分を握って確かめていた。
 その顔には余裕が浮かんでおり、ぎゃふんと言わせたくなる。試合後にぎゃふんと言わされるのは俺だとは思うけど。
「ひっど……前よりうまくなってるし。てか、冬城こそハンデあっても平気なわけ?」
「余裕ですよ。バカにしないでください」
「俺のことバカにしてるくせに」
「先輩はアホかわいいんですもん。バカにしてるわけじゃないです」
「どーだか」
 俺のと、冬城のと交互に百円玉を二枚入れる。
 画面が変わり、アバターを選ぶ。それから、曲を選んでいくのだが、いつも冬城は俺の好きな曲を選ばせてくれる。俺は無難に今はやりの曲を選んでいるが、思えば好きな音楽とかないのかもしれない。流行だから聞いている、好きだと勘違いしている……みたいな。俺の中の本当の好きはなんだろうか。
 冬城が好きなのは、心からそうだ。
 それ以外はからっぽで、モラトリアムな人間なのかもしれない。それでもいいけど。
 冬城は相変わらず鬼畜モードを選んで、俺は難しいに挑戦する。難しいでもクリア値まで一回も達することができていない。
 曲が始まって、高速で音符が流れていく。
 冬城は、いつもとバチが違うからか、少し苦戦しているように見えたが音符を裁く手の速さはそこまで変わらない。
「先輩、俺言ってなかったんですけど」
「何、冬城。今、試合中」
「……俺、あの時写真撮ってないですよ」
 冬城は、画面から顔を逸らすことなく淡々と告げた。俺はスカ、スカと音符が通り過ぎていくのを見ながら苛立ちを募らせる。
「先輩が勘違いしたんですよ。パパ活の写真撮られたって。先輩がそういったから、俺はそれに乗っかったんです」
「はあ?」
 あっ、と思うころには手からバチが飛んでいった。ひもでつながれているので飛んでいったといってもすぐに引っ張り戻されて、フォルダーにぶつかる。
 その間にも高速で音符は通り過ぎていく。
 冬城は「危ないですね」と言いながら、最後まで太鼓をたたききる。
『てか、冬城柊。さっき撮った写真消せ』
『柄悪いですね。写真? 何のことです?』
『とぼけんな! お前がその手に持ってるスマホ! ばっちり俺たち映していただろう!』
 画面には、冬城の選んだ祭りの服をまとったアバターが喜んで跳ねていて、俺の選んだ猫のアバターはその場で潰れて泣いていた。
 途中で試合放棄のようなことをしてしまったが、前よりも点数は確実に上がっている。
 俺は、冬城の話が本当なのかと彼のほうを見る。すると、冬城はくすりと笑った。
「そういう騙されやすいとこ心配で、でもかわいいって思うんです」
「意味わかんねえ……じゃあ、撮ってないのに、撮ったって……脅して」
「はい。先輩のことはよく知らなかったんですけど。前にも言ったように、似たようなものを感じたからですかね。似た者同士だから、引き留めて……でも、俺もあの時寂しかったんだと思います。少しの好奇心もありましたよ。こんな古いゲームセンターでパパ活している高校生の先輩ってどんなのかなって」
 冬城は、付属のバチをフォルダーに戻し、うーんと背伸びをした。
 今となっては合点がいく話。
(そっか、冬城は初めから俺の写真撮ってなくて、俺が勘違いしたから……)
 冬城はそれを利用した。そして、俺と放課後一緒に遊ぶ仲になった。
 冬城は寂しくて、遊び相手が欲しかったのだと。彼自身の口からそんな言葉を聞いた。
 俺は、まんまと騙されて冬城と脅し脅される関係から今の関係になったわけだが、本当にあの出会いがなければ今の俺たちの関係はなかったんだろうと思うと不思議な感覚だ。
 そしてあの時、冬城が俺に興味を持ってくれなければ、これもまたこの関係にはなっていなかっただろうと。
「まあ、動画の端には映り込んでるかもしれませんけど」
「それ、俺に伝えたかったの?」
「はい。だって、それが俺たちの始まりだったわけじゃないですか。先輩の勘違いから始まって、でもその勘違いが今の関係になって……俺、あの時嘘ついてよかったなって思ってます」
「ほんとかよ」
「好奇心というか、あほだなーってからかいたい気持ちはありました」
「やっぱりそうだろ」
 だってお前、ちょっと性格悪いもん。
 そう言いかけた言葉を飲み込んで冬城を見つめれば「キスしたいんですか?」とからかって来る。俺は首を横に振ったが、すぐに距離を詰めてきた冬城に腕を掴まれてしまう。逃げ場はない。
 ゲームセンターの騒がしい音が遠くに聞こえる。
 色とりどりのネオン、人工的な明かり。エアコンが壊れているせいで電気製品の熱がこもっている。
「ダメですか」
「ここ、防犯カメラあるじゃん。季無さんに見られる」
「じゃあ、パパ活も映ってたでしょうね」
「う……そう、かもだけど」
 恋人なんですから、とダメの一押しをして冬城は「蓮澄先輩」と俺の名前を呼んだ。そういえば、名前で呼ばれるのはこれが初めてだ。
「お前、ずるい……」
「先輩は、柊って呼んでくれないんですか?」
「冬城は、冬城だろ……そのうち。てか、お前、もうビッチ先輩とか呼ぶなよ。お前のためにSNS消してやったんだから」
「上から目線ですね。でも、俺のためって言葉で許します」
 隙あり、と冬城は俺の唇を奪った。相変わらずスース―とするミントの香りが鼻腔を通り抜けていく。やわらかい唇からもミントは漂い、少しだけ唇がひりひりした気がした。
 でも、冬城のおかげでミントもほんのちょっと好きになった気がする。
 俺たちの始まりの場所は、後一か月で閉まってしまう。冬城にとってはここが居場所だった。でも、彼にとっても俺にとっても新たな居場所は見つかった。
 互いの隣が心地いい。お互いの隣が俺たちの居場所。
 それが、一人ぼっちの俺たちが見つけた二人の居場所だ。