暫くして、呼吸が落ち着いた。心臓の音も一定のリズムに戻り、俺はしっかり靴も履くことができた。
 冬城はバタバタと隣を走っていく部員たちを気にすることなく、俺を抱きしめ続け「大丈夫ですからね」と声をかけ続けてくれた。それが嬉しくて、でも、冬城が変な目で見られたらどうしようって考えてしまった。そんな俺の心を読んだのか、冬城は「俺はどう思われても大丈夫ですよ」と言ってくれる。
「ごめん、変なとこ見せた」
「いいえ。先輩って結構色々我慢してたんですよね」
「……俺、薄情な人間」
「そうは思いませんよ。だったら、俺のほうがもっと薄情です。結果、誰も話しかけてこなくなっちゃいました」
「それ、寂しくねえの?」
 冬城は、自分の下駄箱から靴を取ってき上履きから履き替えるとすぐに俺の元に戻ってきた。それから、リュックの中から折り畳み傘を取り出す。
「寂しくないですよ。だって、俺には先輩がいるんですから」
「……っ、お前、そういうの何でサラッと言えるんだよ」
「先輩にしか言わないんで」
「俺にだって…………俺、友だちいないんだけど」
 言い出し方が分からず、唐突に俺は冬城に言葉を投げてしまった。
 冬城は、折り畳み傘を広げながら「仲のいい人はいるけど、でしょ?」と俺が言いたいことをズバリと当てた。なんでわかるのかなーと思ったが、こいつももしかしたら一緒なのかもしれない。
 さっき冬城が口にしたように、転勤ばかりしているからちゃんと友達作りができなかった。転校生は物珍しがられて、仲良くはしてもらえるけど、すでに構築されている人間関係の中に入っていくのは至難の業だ。だから、それなりに仲良くして後腐れなく転校してを繰り返していたのだろう。冬城は、メッセージのやり取りとかも下手そうだし、連絡先に転向前の仲のいいやつがどれくらいいるか。
 冬城はもうそれに慣れてしまって、自分の心を守るためには、友だちをつくらないということを決めてしまったのだろう。
(こいつが、距離感おかしいのは、多分それが理由……)
 俺も、去る者は追わず来る者は拒まずの精神でやってきたからなんとなくわかる。でも、冬城のように長い時間一緒に過ごした人間は後にも先にも彼が初めてだ。だから、距離感がいまいちわからない。
 互いに、探り探り今の関係を構築していったのだろう。
 それがたとえ、俺がパパ活をしていたところを写真に撮って脅し脅されるという関係からの始まりだったとしても。
 今は違うと言えるから。
「いや、友だちがいないっていうか、友だちだーっていえる存在がいないっていうか。仲はいいけど、あいつらはあいつらで仲いいし、みたいな」
「俺は基本ボッチです」
「お前の心がかなりガチガチで俺は今びっくりしてるよ……」
 傷つかないわけじゃないのだろうが、冬城は冬城なりに自分の心の守り方を知っている。
 俺は、周りを気にしてしまうタイプだからすぐに心にひびが入る。その違いなのだろう。
 冬城になれたらもう少し心が楽なのかな、と思ったがきっとそういうことじゃない。
「ほんと、メッセージの件はごめん」
「大丈夫ですよ。理由が分かったので。それに、俺は三日間のうち、全部予定合せられるので」
「……じゃ、じゃあ、二人で行く?」
 俺が訪ねる「はい」なんて、幸せそうな笑みで俺のほうを見てくる。俺も単純だし、冬城も単純だ。
(よかった、ちゃんと約束取り付けられた……)
 あとは、その日冬城に告白できれば最高で――
「先輩は、俺の折り畳み傘の中に入って帰るとして」
「何、勝手に決めてんの?」
「先輩のことだから、折り畳み傘持ってきてないでしょ。だから、拒否権ないんですよ。俺の傘の中に入って。相合傘です」
「嬉しそうなのがムカつくな……それで、帰るとして何?」
 含みのある言い他に引っかかれば、冬城は待っていました問わんばかりにニヤリと口角を上げる。
 嫌な予感しかしない顔に、つばを飲み込んで次の言葉を待つと、冬城が俺の頬をするりと撫でた。
「先輩、今好きな人います?」
「は、はあ!? な、なに、いきなり、おま、おま、なんで」
「聞きたかっただけです。いるかなーって」
「お前、めちゃくちゃすぎる……」
 いるって言ったらどうなんだよ。
 目の前にいるし。
 冬城も分かっていて聞いているに違いない。俺を見る目が愛おしいものを見るような目で、それ出て、答えが分かっているけど言わせたいっていう意地悪な目の曲げ方をしている。
 俺は、今ここで言ってもいいと考えた。しかし、祭りの日に言うんだと頑固たる意思があるので言ってやらないと唇を強く噛む。
「いる。でも、今はまだ教えない。もうちょっと待って」
「俺以外だったら、そいつ殴ってますけどね」
「……お前、自信過剰だよな」
 俺がそういうと「雨に打たれて帰ってもいいんですよ?」なんてひどいことを言うから、俺は冬城にくっつくしかなくなる。
 風邪ひいて祭りに行けないのが一番寂しいからだ。
 冬城はフッと笑って、傘を差し土砂降りの中俺に服を引っ張られながら歩いた。雨が降っている以外はいつも通りの通学路、見慣れた二人の景色だった。