蝉がうるさい。
 校庭に生える木を見ながら「蝉って殺虫剤効くっけ?」なんて考えてしまう。でも、一週間の命なんだよなと思うと、尊く感じて殺生はいけないなんていう気になってしまうから不思議だ。しかし、蝉はセミファイナルっていって、死んだふりして実は生きていましたっておしっこまき散らすからたまったものじゃない。この間も下駄箱に、セミファイナルかセミゲームオーバーかどっちか分からない蝉が転がっていた。
 ミンミンミンとやかましい。
「あっつぅ……」
 毎年、毎年記録的猛暑と聞くから飽きてしまった。デロデロに溶けるぐらい暑い夏。梅雨の時期を超えたと思ったら次はこれだ。
 だが、あと二週間程度で夏休みに入る。それが唯一の救いだった。
 エアコンの入った教室は快適で、少し寒いくらい。俺は、身を小さくして運動場を見ていた。
 こんなに暑いのに、白線の薄いトラックの上を一年生が走っている。朝礼代の前に置かれた水筒は、春先のものよりも大きくなっており、水分補給が大事な季節だと感じさせられる。
 さすがにこの暑さだから、あいつも黒マスクをつけていない。というか、最近はつけているところを見ていない。
(あ、冬城みっけ……)
 この位置から冬城を見つけることはもうたやすくなった。冬城しか探せないし、冬城しかしらない。
 俺は無意識にじぶんの唇に指を当て、冬城を見ていた。一生懸命長い脚で走っている冬城は、数周して一人で体操を始める。もう七月になるというのに、あいつは相変わらず一人だ。
(俺は見つけられるけど、あっちは気づかないよな……)
 この距離だし。俺が見つけられるのも奇跡みたいなものだけど。
 机の下で手を振って、俺は扇風機の風で揺れた鬱陶しいカーテンをもう片方の手で払いのける。これが邪魔で冬城が見えない。
 俺の家に初めて泊りに来た日、冬城は俺にキスをした。ファーストキスはレモンの味とかいうが、安っぽいシーフードの味がしたのが印象に新しい。
 まだ出会いたての頃、俺がぬいぐるみにキスをして間接キス……と、冬城に仕掛けたことがあったが、あんなのとは比べ物にならない本当のキスをされてしまった。不思議と嫌じゃなかったし、嫌じゃないどころかむしろうれしかったまであった。
 そう、俺は冬城を知らぬ間に好きになっていた。
(クソォ……これじゃ、またビッチとか尻軽とか言われるじゃん……)
 冬城の隣が心地いい。冬城と一緒にいる時間が楽しい。それだけだったはずなのに、キスをされて自覚してしまった。
 それから俺は転がるように、冬城の沼に落ちていった。
 あいつは、俺が自覚した後も律儀にお弁当を作ってくれるし、ゲームセンターでいつものように勝負をしてくれる。当然俺は負ける。勝てる兆しが見えない。けど、心の中で勝ってしまったらこの関係は終わるのではないかという恐怖にかられてもいる。
 きっと今の冬城なら、俺が勝負に勝ったとしても一緒にいてくれる。でも、もしものことがあったら、冬城との時間が無くなってしまったら、俺はその孤独に耐えられるだろうか。
 多分、この心地よさを知った後じゃ、俺はもう一人に戻れない。あいつに必要とされたい。
 あれ以降、俺が思い出してしまうせいで俺の家に来ていない。しかし、冬城と一緒にいる時間は増えていっている。
 あいつの甘い声とか、行動とか。全部が俺を喜ばせる。勝手に舞い上がってるけど、冬城は実際のところどうなんだろうか。
(最近はまた、ちょっとマスクしてんだよな……)
 暑いのにあの黒マスクをしている。だから、表情が分からない時がある。
 あれがあいつなりの照れ隠しだったらいいのにとさえ思う。
(てか、俺にキスしたんだし。あれ、冗談じゃないって言ってたから、俺のこと好き……なんだよな?)
 じゃあ、何で告白してこない?
 あれから、数週間経ってんだけど。
「おーい、小春。次の小テストの話……どうしたん?」
 仲のいいクラスメイトが三人そろって俺の机にやってくる。手に持っていた世界史の単語帳をちらつかせているので、どの範囲が出そうかと俺に聞きたいようだ。
 だが、今俺はそれどころじゃなかった。
「告白ってどうやってすんの?」
「な、なに? 小春好きな人でもできたのか?」
「いや、参考までに。俺の知り合いが、さ……」
 クラスメイトが単語帳を俺の机に置き、前のめりになったので俺は慌ててごまかした。こういう話が好きなやつらだったと思い出したからだ。
 俺がそういうと「つまんね」とか「小春じゃねえのかよ」とか口々に言う。
 俺はそんなクラスメイトに苦笑しつつ「悪かったなー」なんて口にする。それから、告白の言葉を頭に思い浮かべようとしたが、冬城をあっと言わせるような言葉は思いつかなかった。