「――で、イケないことってこれですか?」
「ん~? そう。深夜に~~~~カップラーメン!!」
 わざわざ部屋の明かりを消して、スマホのライトだけでキッチンを漁る。そして、背伸びをしてじゃないと届かない棚からカップラーメンを取り出し、あらかじめスイッチを入れておいたIHのポットからお湯を注ぐ。その後スマホのタイマーで三分図ろうとしたところで、冬城に部屋の明かりをつけられた。
 パチンという音とともに照明がつき、俺はあまりの明るさに両手で目を塞ぐ。
「目がああ!!」
「もう、何やってるんですか」
「だって、お前がいきなり明かりつけるから……こーいうのは、雰囲気が大事なんだよ! イケないことしてるって雰囲気が!」
「イケないことって、深夜にカップラーメンとコーラ飲もうとしているだけじゃないですか。これのどこがイケないことなんです?」
「じゃあ、お前は深夜にカップラーメン食べたことあんのかよ」
 俺が聞くと、しばらくの沈黙の後「ないですね」と真顔で答えられてしまった。
 冬城のようないい育ちの人間がそんなことするはずがないと俺は踏んでいた。
 時刻は午後十一時四十二分。
 いい子は寝ている時間だろう。だが、俺たちは高校生で、明日は部活もなければ、テストもない土曜日という休日。怖いものは何もなかった。
 俺は、カップラーメンの上に蓋を乗せリビングの机まで運ぶ。ちゃんと、冬城の箸も出して準備は万全だ。
 持ってきたグラスには大量の氷を入れて、そこに開けたばかりのコーラをなみなみと注ぎ入れた。
「これ教えてくれたのゆずき兄ちゃん……秋梨先生なんだよ。中学校あがりたてのときに、夜更かしとこれ教えてくれた」
「……ああ、悪いことってこれですか」
「ん? 冬城、なんか嬉しそうだな。イケないことするから?」
 かもしれませんね、といつも通り澄ました回答が返ってき、冬城は俺の目の前に座る。
 そこでちょうどタイマーが鳴り、バイブが震える。俺はカサカサの指でスマホを触り、何度も目かのタップでタイマーを止めた。
 冬城はその間に俺のカップラーメンの蓋を取ってくれていて、ご丁寧に中身も混ぜてくれていた。ホカホカと白い湯気が立ち、リビングに深夜に香ってきてはいけないイケない匂いが充満する。
 いただきます、と手を合わせ俺たちはカップラーメンをすすった。
「これこれ、深夜に悪いことしてるなーって気分になんの。冬城はならねえ?」
「なりませんよ。カップラーメンは美味しいですけど」
「まあ、それはそれでよしっ……ふ、ははっ」
「どうしたんですか。気持ち悪い」
 若干引いているような目で冬城は俺のことを見てくる。そんな目を向けなくても、と思ったが俺は笑いが止まらなくなってしまう。
 俺たちの関係の出発点を思い出し、何でこんな関係になっているんだろうと思ったら笑いが止まらなかった。
 もう、俺の写真とかどうでもいいくらい、冬城とのこの瞬間を楽しんでしまっていた。きっと、こいつは俺の写真をばらまいたりしない。そんな人の嫌がることができるやつじゃないって、俺はこの数か月で知ってしまった。
 冬城は、笑う俺を白い目で見ながらへたくそに麵をすすっていた。きっと、麺をすするってことができないのだろう。それを見て、俺はまた笑ってしまう。
「先輩笑いすぎです」
「だって、お前、すするの下手で……あー笑う。おなか痛い」
「トイレはあっちですよ」
「知ってるって。俺んちだし」
 鋭いツッコミも今や心地いいものに変わってしまっていた。
 俺は、冬城と一緒にいる時間が好きだ。あっちもそう思ってくれればいい、なんて思ってしまう。
 それは少し、贅沢なことだろうか。
 俺がそう思っていると、半分ほど食べ終えたところで冬城がカップラーメンの上に箸をおいた。冬城こそトイレか? と思っていると、親指で自分の下唇をなぞりながらこちらをチラチラとみてくる。
「俺、かなり楽しんじゃってます」
「お前、顔に出てないけど」
「先輩もたまにひどいこと言いますよね……俺、勘違いしてました。自分が恥ずかしくて、小さい人間なんだって、最近思いました」
 いきなり何の話だと思っていると、今度はいきなり立ち上がり俺のほうまでやってくる。俺は机に直に箸をおき冬城のほうを向く。
 冬城の黒い瞳が揺れている。キラキラと、証明の光を帯びて輝いていた。それだけじゃなくて、カップラーメンをすすってコテコテになった唇も魅力的に見えてしまった。
「嫉妬してたって言ったら笑います?」
「……と」
 鈍感な俺でもこれだけは分かった。
 冬城の目が教えてくれている。
(こいつ、夏川先輩とかゆずき兄ちゃんに嫉妬してた……?)
 冬城が? という疑問はあったが、さすがにこれはそれ以外考えられなかった。でも、それってつまりはそういうこと。
 俺は、頭の中がぐるぐると回って、汚い編み物ができる。編んだなんて言えない、ただ絡まってほどけなくなった糸が頭の中を埋め尽くしていく。きっとその糸は赤とかピンク色をしているのだろう。
 冬城がまた俺に距離を詰めてきた気がした。これも気のせいじゃない。
「先輩、あのバドミントン部の先輩とキスしました?」
「キキキキキ、キス!? 何で」
「付き合っていたんでしょ」
 こたえてください、と冬城は俺に迫ってくる。椅子から転げ落ちそうな勢いで、俺は背もたれにガッともたれかかった。そんな椅子の背もたれを冬城ががっしりと手で支え、上から見下ろすように俺を見た。まるで、冬城に囚われているみたいで心臓が痛い。
 夏川先輩とのお付き合いなんてそれこそ、手をつなぐが精いっぱいだったし。先輩が俺と付き合ってすぐに他の人に告白されて、その告白を「保留」にしてから、俺は俺って大事にされていないんだっていじけてて、恋人らしいことは何もしていない。
 思えばあれは恋人じゃなかったのかもしれない。
 そんなこと言ったら夏川先輩に失礼かもしれない。そう思いつつ、冬城を見れば「どうなんです?」と逆光になって暗くなった顔が俺を見下ろしていた。真剣なまなざしに俺は消え入るように「していない」と答えると「そ」と短い返事が返ってきた。
 だったらなんだと、顔を上げれば、ふにっと柔らかい感触が唇に伝わっていく。それが何であるかは、初めてなのに分かってしまった。
 だって、冬城がそう聞いた後にどんな行動をするかなんとなくわかってしまったから。
 一瞬の出来事だった。
 俺は初めてを冬城に奪われ、離れていくその様を見届けるしかなかった。触れるだけの柔らかなキス。
「……しーふど」
「あはっ、すみません。でも、冗談とかそんなんじゃないんで。怒らないでください。嫌でした?」
「や……別に」
 同じものを食べてるから、まあ同じ匂いがするし、味がするだろう。実際に味なんてもの分からなかったが。
 冬城はそういうと、自分の席に戻ってまた何食わぬ顔をしてカップラーメンを食べ始めた。まるで、今さっきのことがなかったように。どうして、そんな平然としていられるのだろうか。
 カップラーメンから出ていく湯気はだんだんとか細くなっていく。冷めたら美味しくないのに、と分かっていても俺はなかなか端に手が付けられなかった。机に腕を乗せれば、机が傾いて、箸が一本床に落ちる。
「……お、俺洗って来る」
 机に乗った箸と、落ちた箸を拾い上げ俺は逃げるようにキッチンへと向かう。
 そして、蛇口をひねって水を出し、流しに箸を投げ入れるとその場でしゃがみ込んだ。
(ふ、冬城が、キス……俺に……冗談じゃなくって……)
 あの口は、俺をからかう口。冗談を言う口。
 なのに、冗談じゃないって、あいつはいった。
 俺は自分の唇に触れ、もう一度あの感覚を思い出そうとしたが敵わなかった。頭が真っ白になって、思い出せなくて。でも、口の中にはシーフードのカップラーメンの味が染みている。
「せめて、俺の嫌いなミント味であってほしかった……」
 ファーストキス。
 ロマンチックな響きのそれ。だが、俺のファーストキスは後輩が好きで俺が嫌いなミント味じゃなくて、安っぽいシーフードの味だった。