初対面のくせに、一年生のくせに、冬城は夏川先輩を見下ろしていた。それは、いつぞや俺に向けたごみを見る目に近いが、あれよりも冷たく鋭い目だった。
 ただでさえ威圧感があるというのに、その目を尖らせれば男子だってビビるだろう。
 先輩は、冬城を見て足を止め笑顔のまま固まってしまった。
「おま、失礼だって」
「だって、俺はこの先輩のこと知らないですもん」
「だからって……言ったじゃん、俺が一年生のころ世話になった先輩だって。あーもー、お前、たまにそういうところある」
 殺気だっている冬城を何とかしようと、俺は冬城の頭を撫でてみた。しかし、逆効果のようでむすぅっとさらに顔をしかめ今度は俺まで睨みつける始末。
 いったいどうしてこうなったんだ、と途方に暮れていると足を止めていた夏川先輩がぷっと噴き出した。
「あははっ」
「な、夏川先輩?」
「いやーなんか俺、ちょっと気を遣ってたかも。小春のこと、大切にできなかったなあって、少し後悔してて。でも、なんか大丈夫そうだなって」
「えーっと、いや、冬城とは別にそんなんじゃ」
 先輩が言っているのは俺たちが付き合っていたほんの数週間のことだろか。
 先輩に告白したのは俺だけど、先輩をフッたのも俺。あまりにみがってで、合わせる顔もなかったし、逃げるように部活を去ってしまったからその後の先輩のことを知らないのは俺もそうだった。
 先輩は別に男が好きなわけじゃなかったと思う。偏見がない優しい人。俺も別に特別男が好きってわけじゃない。
 ただ、先輩の姿を見てかっこいいと思ったのは事実。その憧れを恋と勘違いしたんじゃないかって。バドミントン初心者の俺に優しくしてくれた先輩にときめいていただけじゃないかって。
 今ならそう自分の気持ちを客観視できる。
 先輩は、目じりに生理的な涙を浮かべ、はぁ~と息を吐くと「小春」と俺の名前を呼ぶ。それから、何か言いたげに少しだけ首をかしげたが、廊下のほうから「菊馬ー」と先輩の下の名前を呼ぶ声が聴こえた。かわいい鈴のなるような少女の声。
 夏川先輩は、その声を聴いてすぐに体の向きを変えた。それから、その少女の名前を呼んだんだと思う。
 あれだけゆっくり登ってきた階段を駆け下りていき、廊下のほうから現れたポニーテールの女子生徒に駆け寄る。その女子生徒は多分三年生。長いポニーテールは目を引いたが、夏川先輩の表情に俺は目がいった。
 その人が好きなんだと一目でわかる優しい表情。俺には見せてくれなかった愛おしいっていう感情を詰めた顔をその人に向けていた。
 その女子生徒は、俺が先輩に別れを切り出す原因となった先輩に告白していた女子とは違った。でも、今の先輩はとても幸せそうだ。
「夏川先輩」
「小春、なんだっけ」
「あーいや、何でもないですよ。先輩末永くお幸せに―!」
 俺が階段の上からそういうと「おう」と、俺の大好きだった真夏の太陽の笑顔で拳をぐっと上げてくれた。夏服だと、より彼の利き手の筋肉がよくわかる。バドミントンを続けてきたたくましい腕だ。
 先輩はその女子と階段を下りて行った。途中「あの子誰―」と俺のことを聞く女子の声が螺旋階段にこだまする。先輩はそれに対し「部活の後輩だった子」と俺のことを紹介していた。
(部活の後輩だった子……か)
 元恋人――なんて言わないだろうなと思っていたが全くその通りだった。
 ちょっと胸が痛んだものの、先ほどより心臓の鼓動は落ち着いている。先輩がいなくなって少し安堵したといってもいい。
 俺はちゃんと元恋人としてではなく、元後輩として先輩と接することができただろうか。
 そんなことを思っていると、横から突き刺さる鬱陶しい視線に耐えきれなくなり、思わず隣を見る。
「んで、何。冬城」
「……何ですか、先輩」
「いや、お前のほうが……夏川先輩に威嚇しただろ」
「してませんよ。ただ、階段の上にいたんで見下ろす形にはなりましたけど」
 言い訳のような言葉を並べ、冬城は不機嫌そうにそう言った。その言い方はあまりにぶっきらぼうで、俺にまで彼の不機嫌が二次災害として降りかかる。
「先輩、あの男とどんな関係だったんですか」
「あの男って……お前の二つ上の先輩なのに」
「俺は、先輩って認めた人しか先輩って言いません」
「何だよその屁理屈……だから、俺がバドミントン部に所属していた時の先輩。で、俺の元恋人」
「は?」
 あまりにもどすの聞いた声が飛んできたため、俺は壁際まで思わず身体を寄せてしまった。
 今までに聞いたことのないような声だ。腹から搾ったような低い声に、俺は身を震わせるしかなかった。この声は確実に下まで続いている階段にも響いている。先輩たちも驚いているんじゃないかと思ったが、それどころではなかった。
 顔が、怖い。
 冬城は目を見開いて、俺を見ていた。その黒い瞳の奥に何かが渦巻いているような気がして、俺はヒュッと喉を鳴らす。
「元恋人……あー俺から、告白して、フッて。今の今まで、そう今日まで疎遠だった!」
「はあ……ビッチ先輩は、元からビッチ先輩だったんですね」
 吐き捨てるようにそういうと、冬城はくしゃりと少し長い黒髪を掴んだ。冬城の顔がまた暗くなる。
 今度は何が、冬城の気に障ったのか俺にはわからなかった。
 俺が謝らなければならないことなのか、そうじゃないのか。冬城が何に腹を立てているのか全く俺には想像もつかない。