急に泣き始める蒼空のことを慰めたはいいけれど、周りからの視線がなんだか痛くて、しばらく俯いた顔を上げられなかった。
 まぁ、男子高校生が抱き合って泣いているとか、駅で行うシチュエーションではないよな。と、今考えれば恥ずかしくなる。
 だけどほら、よくスポーツの試合とかで負けて泣いているクラブチームの仲間たちと抱き合って、健闘を讃えあうみたいな? 俺的にはそんな感じだったから、爽やかなもんじゃないかとは思う。

 でも、あの時の蒼空はきっと限界だったんだと思うし、そんな蒼空のそばにいてやれた事が、俺は良かったと思っているから、結果的にはオッケーにすることにした。

 なんだか、蒼空の家の事情も色々と面倒くさくて大変そうだ。俺からしたらもうそんなの適当にやって好きなようにしたらいいのに。とは思いつつも、育ってきた環境がそうはできなくなっているんだろうし、元々真面目なやつだから、そう言うわけにはいかないんだろうな。
 ふぅ。とため息を吐き出した。
 泣き止んで落ち着いた蒼空と並んで、家までの道を歩く。

「とりあえず、日曜日は俺もついて行ってやろうか? オーディションとか、なんか楽しそうだし」
「……それ、単に楽しみに行くってこと?」
「まさか! 蒼空が助けてーって言ったらすぐ助けに行けるようにでしょ。ヒーローの如くっ」

 軽く先へ走って行って、小さくジャンプをして立ち止まる。そして、くるりと蒼空の方に振り向いてヒーローポーズを決めた。大切な友達のためなら、恥を忍んで立ち向かう。
 あ、この前遥が美々に言っていたな。「助けて」って叫べばすぐくるからって。あの時の遥も俺と似たような気持ちだったのかな。ふと、そんなことを思い出した。

「だって、日曜日だよ? 予定入ってないの?」

 さっき泣き腫らした目は、マスクと前髪越しでも腫れぼったい。そして、まだ疑うような目をしながら蒼空が聞いてくるから、うんうんとうなづく俺。
 しかし、大事なことを思い出す。

『今度の日曜日。竹中くんよりもあたしと一緒の方が楽しいって思える様なデートするから』

 あの時の美々の声が脳内に響いてきた。

「あ!?」
「……え?」

 いきなり大声を出した俺に、蒼空が驚きながらこちらを向いた。

「日曜日、美々とリベンジデートだった……」

 ガックリと肩の力が抜ける。

「なんだよ、ちくしょー、蒼空の一大事だってのになんで美々のリベンジデートが予定に入ってんだよ! 先約だし、リベンジだし、断れねーし!」

 地団駄を踏みながら、どうしようもないこの気持ちを何度も踏み締める。

「デートのリベンジ?」
「そう。この前のデートさ、蒼空には成功したって言ったけど、はっきり言って失敗だったんだよ。んで、今回のアオ事件でしょ? 美々が俺と蒼空が仲良すぎるってヤキモチ焼いて、日曜日にデートリベンジさせてほしいって言われてたんだよー!」
「……ヤキモチ?」

 きょとんとした顔をする蒼空に、俺はそうだよ! と投げやりに言葉を返す。

「へぇ、成功じゃなかったんだ」

 ふふっと、笑いを漏らす蒼空に、俺はぴくりと反応する。

「おい、また喜んでんじゃねぇって。蒼空いっつも俺の失敗を楽しんでるよな? そりゃ俺みたいなやつがとんとん拍子にうまく行くなんてことの方が奇跡かもしれないけどな、こっちは毎回悩みに悩んで真剣に……」

 いつも俺のことをあざ笑う蒼空には、一言も二言も言うことがあると止まらずにいると、近づいてきた蒼空が目の前で止まって、ぐいっと顔を近づけてくる。

「成功したっていうから、あの日めちゃくちゃ落ち込んだのに、損したじゃん」
「え!?」
「リベンジは成功しそうなの?」
「……さぁね。美々がなんか張り切ってるみたいだから、もう蒼空に教えてもらったデートプランは使えねぇし、無理かも」
「じゃあ行かなきゃいいじゃん?」
「それはないだろ。行かなきゃフラれて終わりだよ?」
「それって、困るの?」
「困るでしょ。彼女いなくなっちゃうじゃん」

 どんどん詰め寄ってくる蒼空に負けじと、俺も顔を上げて反論する。側から見たら、メンチ切って喧嘩しているように見えているのかもしれないが、蒼空がその気なら俺はいくらでも喧嘩を買う自信はある。

「直人は彼女がほしいの?」
「は? そうだけど?」
「それってさ、特別にそばにいてほしい人のことを言うんじゃないの?」
「ん?」
「新倉さんには、直人は恋愛感情ないんでしょ? それなら、日曜日に新倉さんとデートして、ドキドキするか確かめてきてよ」
「……ドキドキ?」
「そう。そばにいて、楽しいなーとか、嬉しいなーとか、抱きしめたいなーとか、キスしたいなーとか。そう言うこと思えたなら、リベンジ成功だと思う」
「……そう、なのか?」
「そうだよ。だから、僕のことはご心配なく。なんとか上手くやるよ。それでもダメだった時は、助けを呼んでもいい?」

 悲しそうに、切なそうに眉を下げて聞いてくるから、やっぱり蒼空の言葉には弱くなるし、助けてほしいなんて言われたら、たぶん秒で助けに行く自信がある。

「絶対助けに行く!」
「めっちゃ心強い! さすが直人」

 あははと笑った蒼空に、本当に心配要らないのかと不安がまだ少しある。
 だけど、俺の助けがなくても,無事にオーディションが終わることを、今は祈るしかない。

 日曜日。
 前日に美々から遠足のしおり並みにウキウキしたメッセージが届いていた。
 九時に学校前の駅に集合。
 手を繋いで雑貨屋さん巡りをして、お揃いのもふもふキーホルダーを買う。おやつにカフェに行って、ホラー映画は今上映しているものがないから、ちょうど今開催中の、ショッピングモール内にあるホラー展を見に行く。時間があればカラオケ。夕方は丘の上の公園で、一緒に景色を見たい。と、盛りだくさんな内容だった。
 他にも細々と書かれていたけれど、だいたいの流れを把握するだけで、この日一日がどんだけ疲れるのかが、想像してみても思考停止、頭の回路がショートしてしまって、もうすでに疲れている。
 だけど、二度も美々とのデートを失敗で終わらせるわけには行かない。必ず成功して、美々には彼女でいてもらわないと、困る。
 ……困る、って、確かに、なにが?
 自分のことなのに、この前蒼空に聞かれたことと同じ疑問を感じてしまう。

『そばにいて、楽しいなーとか、嬉しいなーとか、抱きしめたいなーとか、キスしたいなーとか。そう言うこと思えたなら、リベンジ成功だと思う』

 とにかく、美々と一日過ごして、この前はなんも感じなかったけど、今度はきっと蒼空の言うように感じられることが出来れば、リベンジ成功だ。

 意気込んで、俺は家を出た。
 そう言えば、蒼空のオーディションは何時からなんだろう。ふと考えてしまって、蒼空にメッセージを送ってみた。すると、すぐに返事が返ってくる。

》オーディション何時から?
《九時から。もう吐きそう。
》おいおい、大丈夫かよ笑
《いや、笑えないし
》ごめん。ちょうど美々との待ち合わせ時間と被るな。今から向かうとこ。本当はそっち行きたいけど…

 駅までの道のりで、蒼空とのメッセージのやりとりをしてしまうと、やっぱり蒼空が心配になる。

》とりあえず、今日の会場教えといて。

 これだけは聞いておきたかった。
 もしも、何かあった時はすぐに行けるだろうから。ってか、なんもないことを祈るしかないけど。
 蒼空からのオーディション会場の場所が記された返信を確認すると、たいしてそう遠くもない。美々の考えているデートコースがよっぽど距離のあるコースなら別だけど,たぶん全部歩いて行ける範囲だろうから、いざって時は心配ないかな。
 スマホをポケットにしまうと、駅に向かって急いだ。

 この前は清楚な感じの雰囲気で待っていた美々が、今日はまたギャル風に戻っていた。
 だから、すぐに見つけることができたんだけど。

「おう、美々。待たせたか?」
「直人っ! ううん。今来たとこだよ」

 声をかけると、すぐに気がついて嬉しそうに首を振ってくれた。

「今日は普段の美々っぽいな」

 ゆるく巻いて下ろした髪型。ぱっちり上がったまつ毛に気合いの入ったメイク。オフショルダーのトップスにショートパンツと、肌の露出も高い。だけどやっぱり、少しどこかよそよそしい感じはある。

「直人もこの前よりは、今日は普段の感じ?」
「まぁ、これがいつもの俺だよ」

 なんてことないTシャツに黒のスウェットパンツ。気合い入れなくても、もういいかな。なんて思ってきたけど、ゆるすぎたかなとも思ってしまう。

「うん、あたしはこっちも好きだよ! 行こう」

 サッと手を繋がれて、美々が歩き出す。照れているのか、前を向いたままだ。『好きだよ』なんて、素直に言える美々が、なんだか羨ましいなと思う。
 照れた仕草をされると、蒼空のことを思い出してしまった。たまに見せる、あの表情は俺に向けられたもので、他の誰にも見せたくないなと思ってしまう。
 無意識に耳を赤くして、困った顔をする蒼空を思い出すと、なんだか無性に会いたくなってしまった。

「直人、あそこの雑貨屋さんがね、めーっちゃかわいくてね」

 振り返った美々が、嬉しそうに笑うけど、やっぱり頭の中ではここに居るのが蒼空ならいいのにと思ってしまう。
 どうしたんだ、俺。さっきからずっと蒼空のことばっかり考えてる。『僕のことはご心配なく』って、言っていたんだ。だから、今は美々とのリベンジデートを成功させなくちゃならない。

「あ、うん。行こう」

 笑顔を見せて、美々と繋いだ手をしっかり握り直す。とにかく、今は目の前のことに集中しなきゃな。

 街の中心部の店の並びの中に、カラフルな外観の店が見えてくる。いつも美々がスクールバックに着けているような、ジャラジャラしたストラップやキーホルダー、ぬいぐるみやキラキラとしたヘアアイテムやアクセサリーが所狭しと並んでいた。
 まさに美々のためにある店! と、入り口で立ち止まってしまった。

「入りづらい?」

 圧倒されてしまっていた俺に、美々が覗き込むように聞いてくる。

「いや、なんかこういうとこ初めてきたから」
「ここでね、直人とおそろのふわふわを買いたいんだっ。一緒に選ぼ」

 グッと手を引かれて、キラキラふわふわの空間へ足を踏み入れてしまった。
 美々は慣れたように店内を進んで、あっという間に目的のふわふわの前まで辿り着いた。
 目の前には、色んな色のふわふわした尻尾のようなキーホルダーが並んでいる。

「何色がいいかなぁー?」

 何度か手にしては、悩んでいる美々。

「美々はこれじゃないの?」

 ふと目に入ったのは、水色のふわふわ。

「え! なんで!?」

 すごく驚かれてしまうから、こっちまでびっくりする。でも、俺が水色を選んだ理由は明確にある。

「だって、美々のスクールバックってさ、水色多くない?」

 明らかに推し色なんじゃないかなとは思っていた。それだけのことなのに、美々は目を潤ませてこちらを見上げている。

「直人、あたしのことちゃんと見てくれてるんだね。嬉しい……」
「え……」

 あ、いや。毎日目の前でジャラジャラ見せられていれば、嫌でも勘付くだろうとは思いつつも、感動してくれているならいいかと、ふわふわをまた眺めた。
 俺は別にいらないけど、蒼空に選ぶとしたら絶対この青だよな。あー、でもアオって蒼空からしたら嫌な響きだよな。やめとこう。って、別に買わないけど。

「直人は何色かなぁー」
「俺はいいよ。付けるとこないし。美々買っておいでよ」

 俺はもうすでにこの場から一刻も早く立ち去りたい。周りがギャルだらけで、もはや息をしているのも限界だ。

「むー! おそろでって言ってるじゃん」
「え? あ、あー、そっか。じゃあ、俺も水色で」

 怒った顔の美々にビビって、とっさに俺もさっき美々に選んだ水色のふわふわを手に取った。なんとか笑顔になってくれたけど、何故かパンツのベルト通しにつける羽目になって、少し落ち込んでいる。

「おそろいーっ」

 まぁ、美々が嬉しそうであれば成功か。
 心の中でため息と疲労感を吐き出す。
 繋がれた手は、もう逃げることは出来ないと拘束されている気分になってきた。
 また少し歩いて、美々の行きつけらしいカフェに辿り着く。ここもまた、女子が好きそうな外観。さっきの店よりは全然ましだし、一息つけると思うとホッとした。
 美々がおススメだと言う、ホイップたっぷりキャラメルプリンを、メニューも見ないで「それでいいよ」と頷いて注文するとすぐ、ポケットの中のスマホが震えた。

「ちょっとトイレ行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」

 タイミングよく、美々が席を立つから、チャンスとばかりにスマホを取り出した。
 メッセージは、蒼空からのもの。

》デートは順調?
もうすぐ僕の番。いってくる。

 淡々とした文字だけでは、蒼空の心情までは読み取れない。
 大丈夫なのだろうかと、不安が募っていく。そばにいてあげなくてもいいのか、なんて、俺は別に蒼空の親でもないし、蒼空に頼まれているわけでもない。
 だけど、ただ俺が、俺の気持ちが、蒼空のそばにいたいと、思っている。

「お待たせしました」

 目の前に置かれたのは、想像よりもたっぷりと盛られたホイップクリーム。戻ってきた美々は嬉しそうにはしゃいでいる。

「見た目すごいけど、意外と食べれちゃうよ」

 いや、そう言う問題ではなくて。言ってなかったかもしれないけど、俺は甘いのが苦手で。だから、プリンならなんとか大丈夫かなとか思ったけど、なんか想像をはるかに超えたプリンの登場に、驚きを通り越して泣きたくなってくる。
 俺の方こそ助けて、蒼空。
 楽しそうに話す美々の言葉もなにも入ってこない。なんで俺はここにいるんだろうって自問自答が始まる。
 俺は、美々にフラれて困ったりするのだろうか?
 彼女が欲しいって言うのは、陰キャな自分を変えるための手段の一つであって、必ずしも必要なわけじゃないし、美々じゃなくても良いんだ。
 だから、好きだと言われても何も響かないし、手を繋いでも、一緒にいても、ドキドキしない。

『それってさ、特別にそばにいてほしい人のことを言うんじゃないの?』

 蒼空の言うことが正しい。
 彼女って言う存在じゃなくて、ただ「彼女」って言う言葉だけが、そばにあれば良かったんだ。
 だから、俺にとって特別にそばにいてほしい人は彼女じゃない。美々じゃない。
 ドキドキしないのなら、リベンジはまた、失敗だ。
 俺は、俺が向かう先は、他にある。

「ごめん、美々。俺、大事な用事思い出した。またあとで連絡するから。だから、ごめん」
「え……直人!?」

 美々の分と自分の分を一緒にお会計して、店を出た。全く手をつけなかったホイップたっぷりのキャラメルプリンには申し訳ないけれど、振り返らずに俺は蒼空から教えてもらっていたオーディション会場の地図を頼りに急ぐ。
 こうしている間にも、きっと蒼空は苦しんでいるかもしれないと思うと、居ても立っても居られない。
 逃げ出したって良いはずなのに、逃げない蒼空が、俺は強いと思う。だけど、俺の前では弱くいていいんだ。蒼空の弱さや辛さを、俺は支えてやりたいって、どうしようもなく思ってる。
 会いたくない人に会って、また酷いことをされるようなことがあったら、俺は絶対にその人を許さない。蒼空を苦しめる奴から、蒼空のことを、守ってやりたいんだ。