次の日。
教室に入るなり、後方がなにやら騒がしい。
みれば、蒼空の席の周りを、クラスメイトや他クラスの女子までいて囲んでいる。中心には蒼空がいるけれど、俯いたままで何を言われても微動だにしないでいる。
昨日、蒼空の正体がモデルのアオだとバラされて、周りの興味が一気に押し寄せてきたんだ。
蒼空があんなに人に囲まれているのを、俺は今まで見た事がない。いつも一人でいて、俺といた中学の時も、俺以外のクラスメイトとはほぼ喋らなかった。
俯いた蒼空の表情は全然見えないけど、たぶん、と言うより絶対にその場所から逃げ出したいと思っている気がした。
「蒼空、先生呼んでたぞ」
「……え?」
「ほらほら、皆さんちょっとどいてー! 蒼空くん連れてくねー!」
集まる人をかき分けて、俺はグイグイと前へ進む。机が見えて、俯く蒼空の手を取り、「ほら、行くぞ」と小声で声をかけると、引っ張った。
よろよろと立ち上がった蒼空が、倒れてしまわないように力を込めて支える。そして、真っ直ぐに廊下に向かって歩き出すと、目の前に美々が現れた。
「直人……」
バツが悪そうに美々は遠慮がちに俺の名前を呼ぶから、つい、冷たい視線を送ってしまう。
「なに?」
「……竹中くんが、アオって」
「んなわけないじゃん。蒼空は蒼空でしょ」
はっきりと言い捨てた。
目を見開いた後で、泣きそうに眉を顰める美々を横切って、俺はそのまま屋上を目指した。
扉を開けて、青い空を見上げる。太陽の日差しが目に沁みた。
「大丈夫か?」
振り返って蒼空のことをみれば、俯いたまま目も合わせない。
「よく学校来たな。昨日の今日だから、休めば良かったのに」
「それじゃあ僕がアオだって言っている様なもんだろ」
「……あ、そっか。だから無理して来たのか?」
「だって、アオは僕じゃないから」
「……え?」
「さっき、直人言ってくれたよね? 蒼空は蒼空だって。その通りだよ。僕は竹中蒼空だ」
「それは、そうだろ?」
「直人、僕のことアオだって誰かに言った?」
ようやく、こちらに視線を向けた蒼空が鋭い視線を向けてくる。
やっぱり、俺が正体をバラしたと思っているのかもしれない。
「誰にも言ってない」
「本当に?」
「言うわけないだろ。お互いに秘密にしてたんだ。俺が蒼空を裏切るわけない」
一瞬でも、疑われてしまった事が悲しい。
蒼空のことを傷つけてしまったんじゃないかと思うと、胸が痛くなる。
「……そう、だよね」
さっきまでの張り詰めた声色が、フッと柔らかくなった様な気がして、顔を上げた。
「ごめん。直人にしか話していない事だから、バらすとしたら、直人以外にあり得ないって思って。でも、僕は直人がバラしたなんて思いたくなかったのに、信じられなくて、昨日は無視して帰って、ごめん」
昨日のホームで見た蒼空の顔を思い出す。一瞬でも、俺のことを軽蔑する様な目を向けていた。きっと、今朝だって学校に来るのが怖かったはずだ。それでも、自分がアオではないことを貫き通す為には、来なきゃ証明にならないからだ。アオの存在って、蒼空の中では本当は要らないものなのかな。
「……なぁ、話したくなかったら話さなくてもいいんだけどさ」
午後の気温は穏やかに上がっていって、屋上に吹く風が肌に心地よく吹き付ける。蒼空の長い前髪が揺れて、瞳がゆらゆらと戸惑う様に動いているのが見えた。
「なんで蒼空はアオをやってるんだ?」
そんなに嫌そうにしているのに。だったらやらなきゃいいのに。辞めればいいのに。
俺には、蒼空がアオでいる理由が分からない。
好きでやっていることなら、応援する。周りにバレて大変なことになるなら、絶対言わない。だけど、今みたいにバレてしまった時は、全力で隠し通す。蒼空が今まで通りのアオでいれるために。
でも、そもそも蒼空がアオでいたくないとしたら、もう、それってどうしようもなくないか?
「……それは」
また、蒼空は目を伏せて口を閉ざす。
言いたくないことなら、責めてまで聞くことじゃない。だから、この話は一旦保留にした方がいいと思った。
「とりあえず、アオのことバラした犯人はなんとなく分かってるから、今日は帰れ。教室戻ったって気まずいだけだろ?」
「……うん」
素直に頷く蒼空は、なんだか怒られた子供みたいにしょげている。
「先生にもうまく言っとくから」
授業が始まったら屋上から降りた方がいいと言って、俺は蒼空を残して教室に戻った。
「あれ? 竹中はー?」
「帰ったよ」
「えー? まじ? なぁ、ほんとなの? さっきの」
「蒼空は蒼空だってば。俺、中学の時から知ってるけど、あいつはずっとあんな感じだよ」
無神経に聞いてくる奴に怒りが込み上がりつつも、もうこれ以上詮索させたくなくて、冷静に言葉を返した。
「だよなー」
「美々の目がおかしいんじゃねぇの?」
「それ言えてる」
あははと笑い合ういつもの仲間達。美々の名前が出たことに驚いた。
「美々が言い出したのか?」
「そうだよ。なんか突然さ、竹中ってモデルのアオに似てない? って」
やっぱり、なんとなく、そうじゃないかとは思ったけど。でも、当然俺は美々に蒼空のことなんて話したこともないし、バラすわけもないのに、なんで知ってるんだ?
「ほら、前に本郷くんも雑誌のアオくん見てなんか言ってたらしいじゃん」
「美々がもしかしたらーって、最近本郷くん竹中くんと仲良いじゃん? 偵察してくるとか言ってたけどさ。まさかあの美々がアオくん疑惑を持ってくるとは思わなかった!」
呆れた様に笑うのは、美々とよく一緒にいる女子たち。
「美々の言うことだから一瞬信じちゃったけどさぁ、あそこまで顔隠されると錯覚でアオくんに見えなくもないよね。実際マスク外したらめっちゃブサイクかもだし」
「そうそう、背だけはたけぇけどな、それだけじゃモデルは勤まんないってー!」
周りが勝手なことを言い始めるから、胸の奥から怒りが湧き上がりそうになってしまうけど、必死に抑えた。
そう言えば、隣の席にいつもいるはずの美々の姿がない。
「なぁ、それで美々は?」
「あれ? そう言えばさっきからいないね」
対して興味もなさそうに、みんなは次の話題を話し始める。
もうすでに、蒼空がアオだと言う噂はただの間違った噂だと認識された様だ。陽キャな奴らがそうだと決めれば、騒ぎもあっという間に終息する。いつまでも蒼空が居づらい環境になるのは嫌だったから、ほっとした。
だけど、今度は授業が始まっても戻ってこない美々のことが心配になる。
放課後になって、美々にメッセージを送ろうとスマホをいじっていると、遥が教室にやってきた。
「本郷くん、ちょっといい?」
「……俺?」
「そう」
腕を組んで、顎で表に出ろやと言っていそうな目で合図をするから、なんだか穏やかではなさそうだ。ため息が出そうになるけど、遥の目線が厳しすぎるからそこは飲み込んだ。
「美々は?」
いつもなら金魚のフン並みにいっつも一緒にいる二人なのに、今は遥一人。しかも、遥が俺に話しかけるなんてことは今までなかった。
「なんかさぁ、色々と誤解してるみたいなんだけど、ちゃんとしてよ」
「……誤解?」
「そう。最近やたら竹中蒼空と一緒にいるらしいよね? 屋上でキャッキャッしてるらしいよね? 美々、二人の距離感近すぎるって、ものすごく悩んでるんだよ? 彼女差し置いて友達優先しすぎってさぁ」
「……いや、昼休みくらいじゃない? 俺が蒼空といるのって」
「美々は本当はお昼も一緒に食べたいらしいよ。帰りだって五分くらい駅まで歩いてじゃあねでしょ? つまんないよ、それじゃあ。デートだって一度きりって言うし。もう少し彼女のことも構ってあげなよ。だいたいさぁ──」
説教の様にくどくど次から次へと出てくる遥の言葉。途中から耳を塞ぎたくなった。しかし、さすがに手で耳を塞ぐのはあからさますぎるから、俺はできる限り心を無にして遥の言葉を聞き流した。
連れられて来たのは、部室棟の裏。
空きスペースがあって、そこに一人で体育座りをした美々が膝に顔を埋めていた。
「みーみ、連れて来たから、この際不満なこと全部ぶつけちゃいな。あたしは向こうで待ってるからね。なんかあったら助けに来るから、すぐに叫ぶのよ!」
しゃがんで美々にそう言って肩をさすると、俺をひと睨みして行ってしまった。
叫ばせる様なことをするつもりはないが、美々の居場所を教えてくれて、連れて来てくれたことは感謝したい。俺も話す事があったから。
そっと、近付いてから、少し距離を置いて俺も座った。空を見上げると、木々の間から覗く木漏れ日がチラチラと眩しい。
「蒼空のこと、なんでアオだって話みんなにしたの?」
一番聞きたかったのはこれだ。美々が蒼空の正体をバラして、何の得があるのか分からなかったから。
ズッと鼻を啜る音がして、美々が泣いているんだと分かった。顔を上げないまま、ゆっくり話し出す。
「だっ、て、直人、全然あたしと居てくれなくて、さみしかった、だも、ん」
途切れ途切れ、でも、喋り出したら止まらなくなったのか、美々は続ける。
「お昼、も、二人でどこで食べてるんだろう、って、気になってあとつけたら、屋上で、仲良く、お弁当、食べてて、その時、竹中くん、マスク外してるのが見えて、すごく、楽しそうにしてて、なんか、嫉妬しちゃったの……」
「……嫉妬? 蒼空に?」
「だって! なんか、二人の距離感が、近くって……なんか、なんか知んないけど、嫌だなって、思った」
はぁっとため息を吐き出すみたいに呼吸を整えてから、美々は続ける。
「だから、竹中くんがアオだって証拠はないけど、似てるし、噂をすれば、女の子たちが集まって来るかもって、彼女でも出来ちゃえばって思ったの。そうしたら、直人とお昼食べるのもしなくなるかなぁって……思ったの!」
「なにそれ。そんなことで?」
美々の悩みに呆れてしまう。
「そんなことなんかじゃない! あたしにとっては、大事な事。だって、あたしは直人と一緒にいたいのに、直人の笑顔、あたしにも見せて欲しいのに」
一気に話して息が続かなくなったのか、美々は一度大きく深呼吸をしてから、ポツリとつぶやいた。
「直人も、すごく楽しそうにしてるんだもん。あたしといて、あんなふうに笑ってくれた事なんて、一度もなかった……」
また、顔を埋めてしまうから、しばらく無言の時間が過ぎていく。
蒼空と一緒にいるのが楽しいのは事実だ。
美々といるよりも楽だし、素のままでいられるから。だから、自然と笑顔にはなっていたのかもしれない。
「もう一回、あたしとデートしよう」
「……え」
「今度の日曜日。竹中くんよりもあたしと一緒の方が楽しいって思える様なデートするから」
決心したようにこちらを向く美々の瞳は真っ赤で、まぶたも重たくなっている。いつもばっちり上がっているまつ毛は重さで下がってしまって、本来の美々の姿が見えるような気がした。
美々は、いつでもありのままの美々を見せてくれている気がする。それなのに、俺はまだ、本当の自分のことを隠したままでいるから、胸の奥が痛んだ。
こんなに、美々のことを悩ませてしまったことは反省しなくちゃならない。あの時のデートだって、反省点だらけだった。リベンジするべきなんだと思う。美々が、チャンスをくれているなら、それに応えるべきだ。
「分かった。今度は、楽しくデートできる様に俺も努力する」
「……約束ね」
「うん」
泣き腫らした顔を見せるのは、やっぱり嫌だったんだろう。すぐに顔を伏せた。
「これ以上泣き顔を見せたくないから、遥呼んできて!」
「あ、おう。分かった。じゃあ、またな」
強がってか、いつもの美々らしく強気に言われるから、俺は立ち上がって遥を呼びに行きつつ、そのまま帰ることにした。
遥には終始睨まれっぱなしだった。もうため息しか出てこない。
なんだか上手くいかない。美々とはちゃんと付き合っていきたいとは思っているけど、俺の態度のせいで、蒼空のことを根拠もなくアオだと噂を流してしまった行為はまだ、気持ちが許せずにいる。
蒼空が一番触れて欲しくないところに美々は踏み入った。だけど、それが俺のせいだって事がわかって、本当に苛立つ。美々のせいなんかじゃない。結局、一番の原因は俺だったってことだ。
また、ため息を吐きつつ、蒼空に早く謝らなければと思った。
スマホから蒼空の名前を探し、通話をタップする。何度かのコールの後で、蒼空が出てくれた。
「あ、蒼空。今、大丈夫か?」
『……うん』
「あー、やっぱさ、今から会えない?」
会って、顔を見て、ちゃんと話がしたい。
電話越しで謝るなんて、なんだか誠意もないしなにより、蒼空が今どんな気持ちでいるのか、表情が見えなくて辛くなるから。
蒼空は「いいよ」と、すぐに駅まで来てくれると言ってくれた。
俺と蒼空の最寄駅。学校近くの駅とは違って、人はまばら。時がゆっくりと流れていくように感じて、待っている時間がなんだかものすごく長く感じる。
俺のせいで蒼空を傷つけてしまった事、謝っただけで許してくれるだろうか。今までと同じように、友達でいてくれるだろうか。不安が募っていく。
やって来た蒼空は、いつも以上に姿がバレるのを警戒しているのか、マスク以外に伊達メガネとキャップまでして現れた。
「……呼び出して、ごめん」
早々に謝ると、蒼空は首を振った。
「噂のことだけど、結局俺が悪かったんだ。だから、ごめん」
もう一度頭を下げて謝ると、蒼空がそばにあったベンチに座るから、俺も頭を上げて隣に座った。
「教室のやつらには、上手いこと言って噂が間違いだって分かってもらえたし、明日からは学校来て大丈夫だと思う。なんか言う奴がいたら、俺が全力で阻止するから、まかせろ」
そんなことくらいしか、俺には蒼空に出来ることはない。
「僕の話、聞いてくれる?」
頼りなくて、情け無くてそんな自分が嫌で俯いていると、消えそうな声で蒼空が言葉を発するから、すぐに顔を上げた。
「聞くよ。話してほしい」
真っ直ぐに蒼空の目を見て言う。
蒼空が抱えているものを、俺は知っておきたい。これから蒼空を守るためにも、知らなければいけないと思った。
「モデルになったことは、母が勝手に送ったオーディションに受かったことから始まったんだ」
蒼空の口から初めて語られる話を、俺はじっと聞いていた。
教室に入るなり、後方がなにやら騒がしい。
みれば、蒼空の席の周りを、クラスメイトや他クラスの女子までいて囲んでいる。中心には蒼空がいるけれど、俯いたままで何を言われても微動だにしないでいる。
昨日、蒼空の正体がモデルのアオだとバラされて、周りの興味が一気に押し寄せてきたんだ。
蒼空があんなに人に囲まれているのを、俺は今まで見た事がない。いつも一人でいて、俺といた中学の時も、俺以外のクラスメイトとはほぼ喋らなかった。
俯いた蒼空の表情は全然見えないけど、たぶん、と言うより絶対にその場所から逃げ出したいと思っている気がした。
「蒼空、先生呼んでたぞ」
「……え?」
「ほらほら、皆さんちょっとどいてー! 蒼空くん連れてくねー!」
集まる人をかき分けて、俺はグイグイと前へ進む。机が見えて、俯く蒼空の手を取り、「ほら、行くぞ」と小声で声をかけると、引っ張った。
よろよろと立ち上がった蒼空が、倒れてしまわないように力を込めて支える。そして、真っ直ぐに廊下に向かって歩き出すと、目の前に美々が現れた。
「直人……」
バツが悪そうに美々は遠慮がちに俺の名前を呼ぶから、つい、冷たい視線を送ってしまう。
「なに?」
「……竹中くんが、アオって」
「んなわけないじゃん。蒼空は蒼空でしょ」
はっきりと言い捨てた。
目を見開いた後で、泣きそうに眉を顰める美々を横切って、俺はそのまま屋上を目指した。
扉を開けて、青い空を見上げる。太陽の日差しが目に沁みた。
「大丈夫か?」
振り返って蒼空のことをみれば、俯いたまま目も合わせない。
「よく学校来たな。昨日の今日だから、休めば良かったのに」
「それじゃあ僕がアオだって言っている様なもんだろ」
「……あ、そっか。だから無理して来たのか?」
「だって、アオは僕じゃないから」
「……え?」
「さっき、直人言ってくれたよね? 蒼空は蒼空だって。その通りだよ。僕は竹中蒼空だ」
「それは、そうだろ?」
「直人、僕のことアオだって誰かに言った?」
ようやく、こちらに視線を向けた蒼空が鋭い視線を向けてくる。
やっぱり、俺が正体をバラしたと思っているのかもしれない。
「誰にも言ってない」
「本当に?」
「言うわけないだろ。お互いに秘密にしてたんだ。俺が蒼空を裏切るわけない」
一瞬でも、疑われてしまった事が悲しい。
蒼空のことを傷つけてしまったんじゃないかと思うと、胸が痛くなる。
「……そう、だよね」
さっきまでの張り詰めた声色が、フッと柔らかくなった様な気がして、顔を上げた。
「ごめん。直人にしか話していない事だから、バらすとしたら、直人以外にあり得ないって思って。でも、僕は直人がバラしたなんて思いたくなかったのに、信じられなくて、昨日は無視して帰って、ごめん」
昨日のホームで見た蒼空の顔を思い出す。一瞬でも、俺のことを軽蔑する様な目を向けていた。きっと、今朝だって学校に来るのが怖かったはずだ。それでも、自分がアオではないことを貫き通す為には、来なきゃ証明にならないからだ。アオの存在って、蒼空の中では本当は要らないものなのかな。
「……なぁ、話したくなかったら話さなくてもいいんだけどさ」
午後の気温は穏やかに上がっていって、屋上に吹く風が肌に心地よく吹き付ける。蒼空の長い前髪が揺れて、瞳がゆらゆらと戸惑う様に動いているのが見えた。
「なんで蒼空はアオをやってるんだ?」
そんなに嫌そうにしているのに。だったらやらなきゃいいのに。辞めればいいのに。
俺には、蒼空がアオでいる理由が分からない。
好きでやっていることなら、応援する。周りにバレて大変なことになるなら、絶対言わない。だけど、今みたいにバレてしまった時は、全力で隠し通す。蒼空が今まで通りのアオでいれるために。
でも、そもそも蒼空がアオでいたくないとしたら、もう、それってどうしようもなくないか?
「……それは」
また、蒼空は目を伏せて口を閉ざす。
言いたくないことなら、責めてまで聞くことじゃない。だから、この話は一旦保留にした方がいいと思った。
「とりあえず、アオのことバラした犯人はなんとなく分かってるから、今日は帰れ。教室戻ったって気まずいだけだろ?」
「……うん」
素直に頷く蒼空は、なんだか怒られた子供みたいにしょげている。
「先生にもうまく言っとくから」
授業が始まったら屋上から降りた方がいいと言って、俺は蒼空を残して教室に戻った。
「あれ? 竹中はー?」
「帰ったよ」
「えー? まじ? なぁ、ほんとなの? さっきの」
「蒼空は蒼空だってば。俺、中学の時から知ってるけど、あいつはずっとあんな感じだよ」
無神経に聞いてくる奴に怒りが込み上がりつつも、もうこれ以上詮索させたくなくて、冷静に言葉を返した。
「だよなー」
「美々の目がおかしいんじゃねぇの?」
「それ言えてる」
あははと笑い合ういつもの仲間達。美々の名前が出たことに驚いた。
「美々が言い出したのか?」
「そうだよ。なんか突然さ、竹中ってモデルのアオに似てない? って」
やっぱり、なんとなく、そうじゃないかとは思ったけど。でも、当然俺は美々に蒼空のことなんて話したこともないし、バラすわけもないのに、なんで知ってるんだ?
「ほら、前に本郷くんも雑誌のアオくん見てなんか言ってたらしいじゃん」
「美々がもしかしたらーって、最近本郷くん竹中くんと仲良いじゃん? 偵察してくるとか言ってたけどさ。まさかあの美々がアオくん疑惑を持ってくるとは思わなかった!」
呆れた様に笑うのは、美々とよく一緒にいる女子たち。
「美々の言うことだから一瞬信じちゃったけどさぁ、あそこまで顔隠されると錯覚でアオくんに見えなくもないよね。実際マスク外したらめっちゃブサイクかもだし」
「そうそう、背だけはたけぇけどな、それだけじゃモデルは勤まんないってー!」
周りが勝手なことを言い始めるから、胸の奥から怒りが湧き上がりそうになってしまうけど、必死に抑えた。
そう言えば、隣の席にいつもいるはずの美々の姿がない。
「なぁ、それで美々は?」
「あれ? そう言えばさっきからいないね」
対して興味もなさそうに、みんなは次の話題を話し始める。
もうすでに、蒼空がアオだと言う噂はただの間違った噂だと認識された様だ。陽キャな奴らがそうだと決めれば、騒ぎもあっという間に終息する。いつまでも蒼空が居づらい環境になるのは嫌だったから、ほっとした。
だけど、今度は授業が始まっても戻ってこない美々のことが心配になる。
放課後になって、美々にメッセージを送ろうとスマホをいじっていると、遥が教室にやってきた。
「本郷くん、ちょっといい?」
「……俺?」
「そう」
腕を組んで、顎で表に出ろやと言っていそうな目で合図をするから、なんだか穏やかではなさそうだ。ため息が出そうになるけど、遥の目線が厳しすぎるからそこは飲み込んだ。
「美々は?」
いつもなら金魚のフン並みにいっつも一緒にいる二人なのに、今は遥一人。しかも、遥が俺に話しかけるなんてことは今までなかった。
「なんかさぁ、色々と誤解してるみたいなんだけど、ちゃんとしてよ」
「……誤解?」
「そう。最近やたら竹中蒼空と一緒にいるらしいよね? 屋上でキャッキャッしてるらしいよね? 美々、二人の距離感近すぎるって、ものすごく悩んでるんだよ? 彼女差し置いて友達優先しすぎってさぁ」
「……いや、昼休みくらいじゃない? 俺が蒼空といるのって」
「美々は本当はお昼も一緒に食べたいらしいよ。帰りだって五分くらい駅まで歩いてじゃあねでしょ? つまんないよ、それじゃあ。デートだって一度きりって言うし。もう少し彼女のことも構ってあげなよ。だいたいさぁ──」
説教の様にくどくど次から次へと出てくる遥の言葉。途中から耳を塞ぎたくなった。しかし、さすがに手で耳を塞ぐのはあからさますぎるから、俺はできる限り心を無にして遥の言葉を聞き流した。
連れられて来たのは、部室棟の裏。
空きスペースがあって、そこに一人で体育座りをした美々が膝に顔を埋めていた。
「みーみ、連れて来たから、この際不満なこと全部ぶつけちゃいな。あたしは向こうで待ってるからね。なんかあったら助けに来るから、すぐに叫ぶのよ!」
しゃがんで美々にそう言って肩をさすると、俺をひと睨みして行ってしまった。
叫ばせる様なことをするつもりはないが、美々の居場所を教えてくれて、連れて来てくれたことは感謝したい。俺も話す事があったから。
そっと、近付いてから、少し距離を置いて俺も座った。空を見上げると、木々の間から覗く木漏れ日がチラチラと眩しい。
「蒼空のこと、なんでアオだって話みんなにしたの?」
一番聞きたかったのはこれだ。美々が蒼空の正体をバラして、何の得があるのか分からなかったから。
ズッと鼻を啜る音がして、美々が泣いているんだと分かった。顔を上げないまま、ゆっくり話し出す。
「だっ、て、直人、全然あたしと居てくれなくて、さみしかった、だも、ん」
途切れ途切れ、でも、喋り出したら止まらなくなったのか、美々は続ける。
「お昼、も、二人でどこで食べてるんだろう、って、気になってあとつけたら、屋上で、仲良く、お弁当、食べてて、その時、竹中くん、マスク外してるのが見えて、すごく、楽しそうにしてて、なんか、嫉妬しちゃったの……」
「……嫉妬? 蒼空に?」
「だって! なんか、二人の距離感が、近くって……なんか、なんか知んないけど、嫌だなって、思った」
はぁっとため息を吐き出すみたいに呼吸を整えてから、美々は続ける。
「だから、竹中くんがアオだって証拠はないけど、似てるし、噂をすれば、女の子たちが集まって来るかもって、彼女でも出来ちゃえばって思ったの。そうしたら、直人とお昼食べるのもしなくなるかなぁって……思ったの!」
「なにそれ。そんなことで?」
美々の悩みに呆れてしまう。
「そんなことなんかじゃない! あたしにとっては、大事な事。だって、あたしは直人と一緒にいたいのに、直人の笑顔、あたしにも見せて欲しいのに」
一気に話して息が続かなくなったのか、美々は一度大きく深呼吸をしてから、ポツリとつぶやいた。
「直人も、すごく楽しそうにしてるんだもん。あたしといて、あんなふうに笑ってくれた事なんて、一度もなかった……」
また、顔を埋めてしまうから、しばらく無言の時間が過ぎていく。
蒼空と一緒にいるのが楽しいのは事実だ。
美々といるよりも楽だし、素のままでいられるから。だから、自然と笑顔にはなっていたのかもしれない。
「もう一回、あたしとデートしよう」
「……え」
「今度の日曜日。竹中くんよりもあたしと一緒の方が楽しいって思える様なデートするから」
決心したようにこちらを向く美々の瞳は真っ赤で、まぶたも重たくなっている。いつもばっちり上がっているまつ毛は重さで下がってしまって、本来の美々の姿が見えるような気がした。
美々は、いつでもありのままの美々を見せてくれている気がする。それなのに、俺はまだ、本当の自分のことを隠したままでいるから、胸の奥が痛んだ。
こんなに、美々のことを悩ませてしまったことは反省しなくちゃならない。あの時のデートだって、反省点だらけだった。リベンジするべきなんだと思う。美々が、チャンスをくれているなら、それに応えるべきだ。
「分かった。今度は、楽しくデートできる様に俺も努力する」
「……約束ね」
「うん」
泣き腫らした顔を見せるのは、やっぱり嫌だったんだろう。すぐに顔を伏せた。
「これ以上泣き顔を見せたくないから、遥呼んできて!」
「あ、おう。分かった。じゃあ、またな」
強がってか、いつもの美々らしく強気に言われるから、俺は立ち上がって遥を呼びに行きつつ、そのまま帰ることにした。
遥には終始睨まれっぱなしだった。もうため息しか出てこない。
なんだか上手くいかない。美々とはちゃんと付き合っていきたいとは思っているけど、俺の態度のせいで、蒼空のことを根拠もなくアオだと噂を流してしまった行為はまだ、気持ちが許せずにいる。
蒼空が一番触れて欲しくないところに美々は踏み入った。だけど、それが俺のせいだって事がわかって、本当に苛立つ。美々のせいなんかじゃない。結局、一番の原因は俺だったってことだ。
また、ため息を吐きつつ、蒼空に早く謝らなければと思った。
スマホから蒼空の名前を探し、通話をタップする。何度かのコールの後で、蒼空が出てくれた。
「あ、蒼空。今、大丈夫か?」
『……うん』
「あー、やっぱさ、今から会えない?」
会って、顔を見て、ちゃんと話がしたい。
電話越しで謝るなんて、なんだか誠意もないしなにより、蒼空が今どんな気持ちでいるのか、表情が見えなくて辛くなるから。
蒼空は「いいよ」と、すぐに駅まで来てくれると言ってくれた。
俺と蒼空の最寄駅。学校近くの駅とは違って、人はまばら。時がゆっくりと流れていくように感じて、待っている時間がなんだかものすごく長く感じる。
俺のせいで蒼空を傷つけてしまった事、謝っただけで許してくれるだろうか。今までと同じように、友達でいてくれるだろうか。不安が募っていく。
やって来た蒼空は、いつも以上に姿がバレるのを警戒しているのか、マスク以外に伊達メガネとキャップまでして現れた。
「……呼び出して、ごめん」
早々に謝ると、蒼空は首を振った。
「噂のことだけど、結局俺が悪かったんだ。だから、ごめん」
もう一度頭を下げて謝ると、蒼空がそばにあったベンチに座るから、俺も頭を上げて隣に座った。
「教室のやつらには、上手いこと言って噂が間違いだって分かってもらえたし、明日からは学校来て大丈夫だと思う。なんか言う奴がいたら、俺が全力で阻止するから、まかせろ」
そんなことくらいしか、俺には蒼空に出来ることはない。
「僕の話、聞いてくれる?」
頼りなくて、情け無くてそんな自分が嫌で俯いていると、消えそうな声で蒼空が言葉を発するから、すぐに顔を上げた。
「聞くよ。話してほしい」
真っ直ぐに蒼空の目を見て言う。
蒼空が抱えているものを、俺は知っておきたい。これから蒼空を守るためにも、知らなければいけないと思った。
「モデルになったことは、母が勝手に送ったオーディションに受かったことから始まったんだ」
蒼空の口から初めて語られる話を、俺はじっと聞いていた。



