そして、ついにやってきたデート本番。
 美々より早く待ち合わせ場所に到着していたはずの俺は、メッセージのやり取りをしていても美々のことを探せずにいた。

「え、マジでどこいんの? 美々」

そうこうしているうちに、予定時刻を大幅に超えてしまった。

「直人! こっちだよーっ」
「……は?」

 美々の声で呼ばれた俺が振り返った先で、知らない女の子が手を振っている。
 近づいて行って、目の前まで来ると、ようやく美々であることに気がついた。
 そりゃ気がつかないはずだ。
 今日の美々は普段学校で見るギャル風な制服姿から一変して、清楚な雰囲気だったから。
 水色の淡いふんわりとしたワンピース。いつもはしっかり巻いて下ろしている髪は、ゆるく巻いてポニーテールに高い位置で結び、リボンを付けていた。パッと見では絶対に分からない。そして、俺も俺で、この前蒼空にコーディネートしてもらった服で普段とは違う格好だったから、美々もたぶん声をかけるのに戸惑ったらしい。お互いにお互いを探し兼ねてしまったのだ。

「今日の直人めっちゃかっこいい!」

 褒めてくれても、なんだか幸先が不安すぎてたまらない。
 映画館に着いてから、蒼空の言葉を思い出す。

『予約してチケット用意するのもありだけど、当日なにかあったりして時間に間に合わなかったら気まずいし』

 もし予約だったらまじでその通りだったよ。良かった、気まずくならなくて。と、ホッとする。

「美々はどんな映画が好きなの?」
「え! あたしね、ホラーがめっちゃ好き! グロくても全然平気で見ちゃう! 面白いよね!」
「あー、うん」
「あ、でも、今日はこの映画選んでくれて嬉しい。見たかったし、やっぱり彼氏と見るなら恋愛映画だよねっ」

 美々のテンションは上がる一方。並んで待つ間も距離がどんどん近くなってくる。
 ようやくチケットを買って席に着くと、映画が始まった。
 なんだかここまで来るのに、一気に疲れてしまった。あー、この映画の結末もう知ってるからなぁ。この前見た時よりも感動が薄れちゃってる気がする。それよりも、なんか眠いぞ。

「……と、直人っ」

 呼ばれていることに気が付いて、ハッとして目が覚めた。完全に寝落ちしていた。
 隣には困ったように眉を下げる美々。

「あ……わりぃ。寝てた? 俺」
「ほぼ寝てたよー! ほっぺ突いても手繋いでもぜーんぜん起きないんだもん。疲れてたの?」
「昨日よく眠れなかったからな」

 せっかく蒼空が時間割いて教えてくれたプランだから、絶対に成功させてやるって、やけに気合い入れすぎて布団入っても目がギンギンに冴えていた。

「あ、あたしもー、直人とデートできるなんて、緊張しちゃって寝れなかったぁ」

 鼻にかかる喋り方がいつもの美々らしくなくて、なんだか違和感しか感じない。
 目覚めるために大きなあくびを一つして、伸びをした。

「まぁ、でも感動したよな」
「え、見てなかったのに感動するとかわかるの?」
「え? あ、いや」
「いーよいーよ、無理に話合わせようとしなくても。あたしは直人と一緒に映画館に来れたことが嬉しいし。次は眠くても寝れなくなるようにホラー見ようよ」

 ふふふと笑う美々が、もう悪魔にしか見えない。ホラーは苦手だって素直に言えばいいだけなんだけど、なんか、勝手に俺もホラー好きに認定されているし。もう二度と美々とは映画館に来たくなくなってしまった。
 ここから挽回しなければと、次は洋食屋へと向かう。あの素敵な外観と庭園を見れば、美々も来て良かったとなるはずだ。
 重たい木の扉を開けて中に入る。
 この前蒼空と来た時とは、別の席に通された。けれど、ここはここでまた癒される空間だ。外の景色は見えないけれど、天井のファンがゆっくりと回り、広い個室のような空間。椅子に深く腰掛けて、メニュー表を美々の方に向ける。そして、迷わずに先週蒼空がおススメしてくれたランチプレートのメニューを指差す。

「これがおススメだよ」
「へぇ、直人ここ来たことあるんだぁ」
「まぁね」

 こんな隠れ家的洋食屋なんて、その辺の高校生じゃ知るはずもない。全部蒼空のおかげで今日の俺はなんにも偽らなくてもカッコつけられるってわけだ。
 この店は、美々も初めてなのかも知れない。さっきからキョロキョロしているから、たぶん、あの時の俺と同じ気持ちになっているのかもしれない。
 あー、蒼空はこうやってはしゃぐ俺のことを見ていたのかな。あの時はマジで楽しかった。

「あ、飲み物はどうする?」
「え、飲み物?」
「そう。美々、コーヒーは飲める? 飲めなければ紅茶も……」
「飲めるよ。ブラックで大丈夫」
「……あ、そう」

 断言されて、「ミルクと砂糖もたっぷり入れれるからな」とは、言う隙もなかった。残念ながら俺は、たっぷりの砂糖とミルクを入れてコーヒーを飲むことを諦めるしかなくなった。
 漆黒色したコーヒーを見つめてから、目の前の美々に視線を向けると、涼しい顔をして砂糖もミルクも入れずにカップを傾けて飲んでいる。
 信じられない。マジで信じられない。あんな苦い飲み物よく平然として飲めるな。わずかに震え出す手の振動を抑えながら、俺は必死でブラックコーヒーの入ったカップを口元に近づけた。

 食事を終えて外に出ると、太陽が降り注ぐ。しかし、俺の心は先ほどのコーヒーの如く真っ暗闇だ。心の中で悶絶しながらも、どうにかこうにか、なんとか飲み切った。その間、美々とも何を話していたのか、よく覚えていない。

「あー、美味しかったね」
「……うん」

 まだ口の中が渋くて、頷くだけが精一杯だ。

「じゃあ、また学校でね」
「え……」

 駅まで歩いてきて美々に告げると、すぐに踵を返した。

「直人、今日はありがと」

 後ろから言われて、俺はあの時の蒼空と同じように、振り向かずに片手を上げた。振り向きたくても、もう限界だ。
 陽気なキャラを演じていることに耐えられずに、きっとひどく疲れた顔をしているに違いない。自分の顔が見えなくたって、分かるんだ。
 改札を通る前にトイレに寄る。鏡に映った俺は、やっぱりげっそりと正気を失っているように見えた。
 やばいやばい。こんな顔美々には見せられなかった。良かった、無事に終わって。
 ホッと安堵して、ようやく気持ちも軽くなると電車に乗り込んだ。
 蒼空に言われたことを気にして、スマホは今日一日、見るのを我慢した。美々はどうだったか分からないけれど、俺の好感度が下がることはなかったと、思う。
 画面を見ると、数件のメッセージが届いている。広告やら宣伝やらの通知の中に、蒼空の名前を見つけて嬉しくなった。

》どうだった?

 たった一言だけ。
 蒼空は俺の「成功した」という返信をもらいたいんだと思った。だって、俺のために色々提案してくれて今日だってその通りにやってきたら、まぁ、映画は寝ちゃったけど、他はまずまず上手くやれたと思う。
 手短に、《大成功! と送ると、すぐに既読が表示された。

 蒼空なら、きっとすっげぇ喜んでくれる。そう思って返信を待ってみても、なかなかこない。電車が最寄駅に着いて家に帰っても、そのあと、蒼空からの返信はなにもなかった。
 なんだよ、聞いといて関心なしか。まぁ、別にいいけど。でも、上手くやれたのは蒼空のおかげだし、お礼はしたいな。また学校で俺から話しかければいいか。
 それにしても、すっげぇ疲れた。蒼空と遊んだ時はめちゃくちゃ楽しかったしワクワクしっぱなしだったのに。一度体験済みのコースだったからかな。
 慣れないことをしてきて疲れ果てた体を、ベッドに沈み込ませた。

 その後、学校では美々との関係もこれまで通り距離感保って接しているし、順調にいっている。と、思う。変わったことといえば。

「おう、蒼空」
「直人」

 昼休みに屋上で、蒼空と昼飯を食べる仲になれたこと。美々は昼は遥や女子たちと過ごしているから、そこまで束縛されない。放課後に一緒に帰るくらいがちょうどよくて、俺には快適な距離感だ。むしろ、今俺の中ではこの昼休みの時間が一番リラックスできて、素のままの自分をさらけ出せるから、ありがたかった。
 すぐに蒼空の隣に座って、倒れ込む。
 天気がいいと、青空がきれいで気持ちがいい。
 屋上は、蒼空がこっそり使っているのを聞いて、俺も誰にも見つからないように来たのが最初だ。今は俺と蒼空だけの場所。基本的には立ち入り禁止なんだけど、バレなきゃいっかの精神でいる。

「案外悪い奴だったんだなー、蒼空」
「え!?」
「立ち入り禁止なんて、近寄らなさそうなタイプなのに」
「……僕には、居場所がないからだよ」
「え?」
「いや、なんでもない。ところで、新倉さんとはまだ別れる気ないの?」
「だーかーら! なんでそう言うこと言うかな?こっちは毎日彼氏でいることに必死なんだから。せめて頑張ってくらい言ってよ」
「そんなに頑張らなくてもいいと思うけどなぁ」
「せっかく出来た彼女だし。頑張るしかないでしょ」

 やっぱり、どこか俺の下手くそな恋愛を楽しんでいるような余裕をみせる蒼空には、敵わないし、何も言えない。

「直人って、新倉さんのどこが好きなの?」
「……え? どこ、って」

 箸を手に持ち、弁当を手にして動きを止める。そんなこと、考えたこともなかったな。
 とりあえず、陰キャな自分を打破したくて、ちょうどよく隣の席になったギャル風な美々と仲良くなれたらって、俺は最初から自分を変える為に美々に近付いた。
 今まで関わったことのない陽気な奴らとも仲良く出来るようにと、別に好きだからとか、恋愛感情があって美々と付き合うことにしたわけじゃない。
 この前のデートだって、かなり必死だった。だから、終わってみればあんなに疲れたんだと思う。
 毎日何を話そうか、どうこの場をやり過ごそうかと、考えてみれば全然楽しくない。だから、美々のどこが好きと聞かれても、俺には答えることができないかもしれない。

「え、答えられないの?」
「……なんも出てこないもん。わりぃか」
「いや、なんか、意外だったから。そっか、何の感情もなくて彼氏やってるんだ」
「……まぁ、ノリで付き合う? みたいな始まりだったしな。好きとか嫌いとか聞かれても、良くわかんねぇかも」
「……へぇ。じゃあさ、この前のデート、僕と新倉さん、どっちとの方が楽しかった?」
「へ!?」

 蒼空は少食なのか、菓子パン一つをすでに食べ終えて、パックの牛乳を飲みながら試すような瞳でこちらを向いている。
 あの日以来、蒼空は俺と二人だけの時はマスクを外していることが多くなった。
 意外と意地悪そうに口角を上げて笑うとことか、驚いて目を見開いた時には、口元がちょっと笑っていたりとか、今まで見えていなかった部分がすごく良く見えるようになって、なんだか、そんな新しい蒼空を感じることができて、一緒にいるのがもっと楽しいと思えた。

「あの時も、今も、俺は蒼空といる方が断然楽しいよ。マジで、気が楽だもん」

 最後に残していた唐揚げを、ぱくり。頬張ると、蒼空に笑いかけた。

「蒼空といると楽しいし、気持ちがすげー軽いんだ。美々と付き合うの頑張るから、これからも俺のこと支えてくれー、頼むわ」

 最後まで言い終えて顔を上げた瞬間、目の前が影になる。
 そして、気がつけば蒼空に全身を包まれていた。思わず、衝撃で持っていた箸をおっことしてしまった。カタンッと箸が跳ねる音がして、蒼空の体が少し震えた。

「直人こそ、僕の癒しだよ」
「……どうした? 急に」

 ギュッと、抱きしめられてしまって、驚きながらも、蒼空が泣いていそうに震える声で言うから、つい、慰めなければと思ってしまった。
そっと、背中に手を回して、トントンと撫でる。俺より大きな体をしてるのに、なんだか小さい子供みたいに震えているから、不安になる。

「なんかあるなら言えよ。俺ばっかりいつも助けてもらってんだから」
「……ごめん、うん、ありがとう」

 グスッと鼻を啜って、そっと離れた蒼空の顔に涙はなかった。だけど、ひどく寂しそうに見える。

「ごめん、いきなり抱きついたりして……ほんと、ごめん」

 俺と距離を取るように離れて行く蒼空に、なぜか近くにいて欲しいと感じる。

「謝んなくっていいって。蒼空にならいくらでも抱かれてやるよ!」
「は!?」
「……え?」

 寂しそうにする蒼空を元気付けたくて、勢いでそう言った俺に、蒼空が今までないくらいに大きな声で反応した。そして、顔がみるみる真っ赤になっていくから、どうしたってその反応が面白すぎる。

「俺、変なこと言った?」
「言った! ほんと、やめろ、その無自覚! 振り回していいのは僕の方なんだからな」
「ん? 振り回す?」

 蒼空の言葉の意味がわからなくて首を傾げると、盛大なため息を吐き出された。

「……もっかいしていい?」
「え?」
「いくらでもって言ったのは直人だからね」

 睨むように、だけど照れた顔で蒼空がまた近付く。そして、さっきよりも優しく、強く、抱きしめられた。
 なんだよ、蒼空って甘えるタイプ?
 よくわかんねぇけど、色々と俺の見えないとこで頑張ってるんだろうな。
 そんな風に思って、蒼空の気が済むまで慰めるように頭を撫でてあげた。

「……言う勇気が出たら、直人に話したいことがある。その時は、聞いてくれる?」

 小さな声で、でもハッキリと蒼空は聞いてくるから、頷いた。

「おう、もちろん!」
「ありがとう、直人。直人にしか本当のこと言えてないから、甘えてしまってごめん……」
「そんなの、気にすんなよ! 甘えろ甘えろっ」

 蒼空が素直に自分の弱さを見せてくれるのが、嬉しかった。俺しか知らない蒼空の姿を見れていることが、ただ純粋に、嬉しいと思った。


 そんな平和な日々を過ごしていた俺だったのだが、悲劇は突然起こった。
 朝学校に来て教室に入ると、全身が凍りつくように固まってしまった。

「あー、おはよう直人!」
「ねぇ、知ってたー? 竹中蒼空ってさ、アオくんだったらしいよー!」
「マジ! さっき問い詰めたらなんも言わないで逃げてったから本当なの?」
「いっつもマスクしてっから全然わかんねぇよなぁ。っつーか、マジなのそれ? 嘘じゃね?」
「あんな陰キャがイケメンモデルとかありえなくね?」
「しかもめっちゃ尖ってんだろ? だとしたら何様だよって感じじゃねー?」

 あはははと、教室内に響き渡る陽キャな奴らの声。
 蒼空の正体がバレた? なんで? 誰がバラした?
 頭の中は一瞬のうちに混乱してしまう。ひきつり笑いをしながら、何も発せないままで自分の席にたどり着くと、カバンを机の上に置いた。

「直人も知ってたの? 最近あたしよりもよく一緒にいたよね?」
「……え?」
「そーいやさ、前にあたしの雑誌に載ってたアオくん見て、反応してたよね? まさかずっと前から知ってたとか? まじかー! ってか、なんで隠す必要あるんー? めっちゃカッコいいのにさぁ。同じクラスにいるとか意味わかんないし、目立たなすぎだし」

 遥までやってきて騒ぎ出すから、頭痛がしてくる。美々に蒼空と一緒にいたことがバレていたことにも驚いた。
 だけど、もしかして、正体をバラしたのって。
 ジッと美々のことを見て、何も言わないでいると、美々の方から先に目を逸らした。
 やっぱり、蒼空の正体をバラしたのは美々かもしれない。だけど、証拠がない。
 とにかく、逃げたって言っていたけど、蒼空は無事なのか?
 蒼空のことが心配になって、カバンもそのままで、俺は教室を飛び出した。後ろで美々に名前を呼ばれた気がしたけれど、振り返ってなんていられない。
 走って、走って、駅まで来てようやく、ホームに蒼空の姿を見つけた。

「蒼空!」

 叫ぶと、気がついた蒼空がこちらをすぐに睨んだ。そして、来た電車に乗り込んでしまった。
 慌てて追いかけようとしたけど、蒼空の瞳が、まるで俺のことを軽蔑するかのような目で見ていた気がして、足が動かなくなった。
 きっと、蒼空は、正体をバラしたのは俺だと思っているのかもしれない。
 だって、蒼空がアオだってことは、学校の中では俺しか知らないことだ。蒼空が自分で隠し通してきたことを、俺だけが唯一知っている秘密。だから、もしこの事がバレることがあったなら、一番に疑われるのは仕方がない事だ。
 でも、バラしたのは俺じゃない。絶対に、俺じゃない。蒼空に、誤解されたくない。嫌われたくない。そんなことを思っても、きっと蒼空はもう俺のことなんて信用してくれないかもしれない。