蒼空の隣を歩くなんて、中学の頃は普通で当たり前だった。それが恐れ多いとか思ったこともないし、引け目を感じることもなかった。だけど今は、まだ知名度はそこまでないとはいえ、美々の友達の遥や、さっき追いかけてきたような一部の女子に人気があるモデルだ。そして何より、俺から見ても蒼空はかっこいい。騒ぎたくなる女子の気持ちは分からなくもない。そんなやつにデートのいろはを聞けるって、かなりありがたい。
「予約してチケット用意するのもありだけど、当日なにかあったりして時間に間に合わなかったら気まずいし、初めは並んで買う方がおすすめかも」
「へぇ……」
慣れたように映画館のあるビルに入り、チケット販売の列に並ぶ。
「並んで待つのも二人だけの時間だし、その間にどんな映画が好きかとか、相手のことを知れるからね」
楽しそうに弾む声の蒼空は、完全にオーラを消していて、前後に並ぶ女の子たちから騒がれることもなさそうだから安心する。
「直人ってホラー無理だったよね?」
「うん、マジで無理。グロいのとか絶対勘弁してほしい」
「ははっ、大丈夫だよ。今日のは恋愛ものだから」
「……恋愛もの」
だから周りには女子やカップルが多いのか、と妙に納得できた。正直、映画ってアクションものしか見たことがない。壁に備え付けられた画面に映る宣伝用予告ムービーを見上げると、蒼空が選んだ恋愛映画の予告が流れてくる。キラッキラな画面に最近よく見かけるようになった俳優さんが映った。この映画を見ることで、彼女の扱い方や接する技が習得できるかもしれない。無駄にしないようにしっかり見なければ。
気合いを入れていると、蒼空が耳元に顔を寄せて囁く。
「色々考えなくたって良いと思うよ。直人って十分カッコいいし魅力あるから。とにかく、今日は素直に楽しもうよ」
近い距離と、小声だからか、やけに艶っぽく聞こえてくる声に背中がゾクりとした。湧き上がる熱が顔に集中して、思わず離れてしまうと、横を歩いていた人にぶつかりそうになった。けど、すぐに俺は蒼空の隣に引き寄せられる。
「ほら、列からはみ出すと危ないよ」
「わ、わかってるよ」
投げやりに返す言葉。恥ずかしさに上がり続ける熱。完全に俺の方が彼女役だ。そして、蒼空の行動にいちいち反応してしまうのは、どうかしてるかもしれない。
だけど、蒼空みたいには出来なくても、俺もこうして美々のことをリードしてやれば、デートする日はきっと上手く行く気はしてくる。
チケットを買って中へ入ると、並んで座席に座った。タイミングよく、すぐに照明が落ちて暗くなった。
正直、眠くなってしまうんじゃないかと思っていたけれど、最初から不幸な現実を突きつけられてしまう主人公が哀れで、この先に希望なんてあるのかと気になる展開が続いて目が冴えて行く。あまりにも残酷なエピソードに、肘掛けに置いていた手を握りしめた。
すると、小指同士が軽く触れ合ったと思って隣を見れば、そっと触れてくるのは蒼空の手。眉を下げて悲しそうな表情をしている。たぶん、俺もそんな顔をしているのかもしれない。
映画に感情移入してしまって、それほど危機迫る展開でもなかったのに、気がつけば互いに大丈夫と言うように手を取り繋ぎ合っていた。蒼空の温もりに安心する。後半は前半の不幸を巻き返すようにキラキラな青春が展開されていった。
映画館から出ると、眩しい日差しに目を細めた。
「あー、なんか心洗われた気がする」
「そう?」
クスクスと蒼空が笑うから、細い目を向けた。
「蒼空だって最初のあの展開はないだろって思っただろ? 不安すぎて手繋いできたじゃん」
「それは、直人が不安そうにしていたからだよ」
「は? 俺のせい?」
「いや、直人のせいとかじゃなくて。でも、最後まで結局離さないでいてくれたし嬉しかったよ」
今度は不敵に笑うから、なんだか恥ずかしくなってくる。
「いや、俺だって別にそこまで不安とか思ってねぇし! それにまぁ、最後は感動したから観てよかったよ」
「そうだね」
蒼空も満足そうに頷くから、安心してお腹がなった。
「あ、急いできたから朝飯抜いてきたんだよね。腹減った。なんか食いたい」
「じゃあ、ちょっと早いけど昼にしようか」
「するする!」
「はは、直人かわいい」
「は!? 俺、もしかしてはしゃぎすぎ? ごめん」
「いや、すごくいいと思う。なんか素の直人を見せてもらえてて嬉しい」
「そっか! ならいっか!」
最近は新しく出来た仲間と遊ぶことが多くて、と言っても毎回は偽った自分を演じる体も心も持たなくて、まだ数回しか遊んでいないけど、その時は心から楽しめていなかった。
今日は、たぶん蒼空だからだ。ほんとの俺のことを知っているから、だからこんなに自由に気持ちも軽くいられるのかもしれない。ありのままの自分でいるってめちゃくちゃ楽だ。
スキップする勢いで歩いていると、スマホが震えた。
映画館にいるうちはマナーモードにしていたから、音は鳴らなかった。取り出してみれば何軒か通知が溜まっていた。
「あー、美々からめっちゃメッセージきてた」
ゆっくり歩きながら、スマホを眺める。
》おはよう。今日遥と今度のデート用の服買いに行くの! 直人って、何系が好き?
》嫌な格好とかある?
》並んで歩くのに恥ずかしくないようにしたいから……
思っていることが、さっきの自分と重なる。
美々も同じようなこと考えてるんだな。俺と同じじゃん。よかった。
ほっとして返信をしようと、なんて送れば良いのかしばし考える。
何系が好き……? 別に美々に似合っていればなんだっていいし、特にこういうのを着て欲しいとかないし、自分で決めてもらって構わないんだけど。でも、それをそのまま言うのはなんか違う気がする。
「直人、今は僕とデート中なんだけど?」
目の前に立ちはだかって、歩みを阻む蒼空に驚いて立ち止まった。
スマホから目の前に視線を上げれば、怒っているみたいに細くなる目。
「あ、わりぃ。美々から。今度のデートの服装なにがいいかって。別に俺はなんも気にしないし、なんでも良いんだけどって、そんなこと言ったらダメだよな? うーん、なんて返そうかな」
悩む俺に、蒼空がため息をついた。
「素直にそのまま言えば良いだろ」
「え? マジで? やばくない?」
「何着ても似合うだろうから好きなの着ておいでって、言っとけばいいだろ」
投げやりな感じで答えた蒼空の言葉。言い方こそ適当だけど、的を得ている。
「おお、確かに! そう言えば良いな! さっすが蒼空だわ」
感心しながら、俺はスマホにまるっとそのまま蒼空の言葉を拝借した。
》え! なんか嬉しい! わかったー! 楽しみにしててねっ♪
すぐに既読がついたかと思えば、返事が来る。美々からの反応に安心して、思わず上手くいったとニヤけてしまった。
とりあえずOKスタンプを返して終わりにした。
「よしっと、じゃあメシいこーぜぇ」
スマホをポケットにしまって蒼空の方へ顔を上げると、じっと不服そうに睨んでいるから、あれ? と思ってしまう。
「ん? どうした? 蒼空」
「彼女とのやりとりが楽しそうだなぁーと思って」
棒読みも棒読み。感情が全然ノっていないから、笑ってしまう。しかし、付き合ってもらっているのは俺の方だ。
「あー、そ、そっか。ごめん、今日はデートの予行演習だもんな、本番で他のやつとスマホでやりとりなんかしてたら、美々のこと怒らせるかも知んないってことだよな?」
今日は頭が冴えているかもしれない。すぐに察して言うけど、蒼空の表情は変わらない。
間違っていたのか? と不安に思ってしまう。
「今日は僕と直人のデートだから。もうスマホ禁止ね」
ニコリともしないで言うと、「さ、行こうか」と仕切り直すみたいに蒼空は前を向いた。
徹底されているのはありがたい。俺は蒼空にただついて行くだけだし、こんな簡単でいいのかなとは、思ってしまう。だけど、たぶん悩むよりも全然楽だ。そして、実はさっきからずっと楽しんでいる。
「ここのランチ。おススメだから」
たどり着いたのは、見るからにおしゃれな洋食屋さん。木の重たい扉を引いて、ドアベルが鳴る。天井が高くて開放的な店内は、明るくてなんだかワクワクする。
店員さんに案内されて窓際の席に座ると、そこから見える景色は、さっきまで歩いてきた人混みとはまるで違って、緑豊かな庭園になっていた。
「うわぁ、すげぇなここ」
「癒されるでしょ?」
何度も頷いて、目の前に座る蒼空がようやくほっとしたように少しだけマスクを下げて微笑んだ。
蒼空にとっては、本当に癒しの空間なんだろう。隣との席も余裕があって見えないような配置になっているから、人目につきたくない蒼空にはちょうどいい店なんだろうなと思った。
メニュー表をこちらに向ける蒼空は、「これがおすすめだよ」と迷わずにページを捲った。料理の写真が載っていなくて、文字だけのメニュー。建物もアンティークな雰囲気で趣があるし、きっと老舗の洋食屋さんだ。俺なら絶対に入ることのない店。
チラッと見えた文字はパスタとチキンのランチプレートと書かれていた。料金も思ったよりもリーズナブルだ。
「じゃあそれで」
「飲み物は?」
「飲み物? コーラとか?」
「……ランチにはコーヒーか紅茶が付くんだ。どっちかしかないんだけど」
「え! あ、そっか、うーん、コーヒーってあんま飲まないしなぁ。しかも紅茶? それこそ飲まないな、え、蒼空と一緒でいいよ、俺」
つい、いつもみんなと行くのはハンバーガーショップだし、飲み物と言えばコーラだったから、無意識に答えていたけど、選択肢があったのか。こんなおしゃれな店来たこともないから、焦ってしまう。
きっと、蒼空はなんも知らない俺を呆れて笑ってるんだろうな。なんて恥ずかしくなってしまっていると、メニューを閉じてさっそく店員さんを呼んでいる。
「ご注文はお決まりですか?」
「はい、ランチ二つと、飲み物はコーヒーで。お砂糖とミルク多めでお願いします」
「はい、かしこまりました」
すんなりと注文を済ませた蒼空は、メニュー表を片付けて広くなったテーブルに手を組んで置いた。
「コーヒーにミルクたっぷり入れたら美味しく飲めると思うよ。僕も最初は苦くて飲めなかったから。直人が大人になるとこ見たいな」
肘をついて組んだ手に顎をのせると、にっこり微笑む蒼空に、また子供扱いされている気がしたけど、今日は刃向かったって勝ち目はないし蒼空の言うことが正論だから、ふふっと大人ぶって余裕の笑みを浮かべた。
やってきたプレートにはナポリタンとパリパリの皮目が美味しそうなチキンのステーキ。サラダが添えてあって、ボリュームがけっこうある。
一口食べてみると、めちゃくちゃ美味い。
目を見開いて、蒼空に「美味い!」をアピールしながら、夢中で食べ進めた。
「めっちゃ美味かったぁ!」
「いい食べっぷりだったね。連れてきた甲斐があるよ」
いっぱいになったお腹を撫でていると、「食後のコーヒーでございます」とテーブルの上に置かれた湯気をあげたコーヒーカップ。そして、俺と蒼空の真ん中にはシュガーとミルクの入った大きめのポットが置かれた。
「ごゆっくりどうぞ」
思わず姿勢を正して軽くお辞儀をした。
改まった感じはするけど、コーヒーの香りに気持ちが安らぐ。
「すげぇいい匂い」
「だよね。癒される」
目を閉じて、そっとコーヒーの香りを嗅ぐ蒼空。そう言えば、食欲に負けてしまって、マスクを外して食べていたのに、蒼空にはまったくなんの反応もせずにいた。
今更になって、目の前でカップを持ち上げる様がなんとも言えずにいい男感が漂っているのに気が付いて、見惚れてしまう。
「直人、先に砂糖とミルクを……って、あれ? どうした?」
シュガーとミルクのポットをこちらに寄せつつ、蒼空が俺のことを覗き込むように見てくるから、ハッとした。
反射的に血が上るのを感じて、恥ずかしくなる。
「なに? 僕に見惚れてた?」
「なっ……!」
「なわけないかぁ」
「そ、蒼空がカッコ良すぎんのが悪い! うん、完全にそうだ」
「……え?」
慌てて、ミルクポットを手に取りカップに注ぐ。焦茶色のコーヒーがミルクの白と混ざり合っていくのを見て、心を落ち着かせる。
くるりとスプーンで混ぜて、次は砂糖をと手を伸ばした先で、蒼空に手を掴まれた。
「え?」
視線を上げた先にいる蒼空の顔が、見たことないくらいに赤く色づいている。困ったように揺れる瞳は、長い前髪のせいでどこか視線が合わない。
「直人、僕……」
「あ、わりぃ。いいよ、先に入れて」
「……え?」
「砂糖でしょ? 俺どんくらい入れたらいいか分かんないから蒼空の見とく」
ここは素直にコーヒー初心者なので、プロの姿を見ておかねばとシュガーポットを譲った。
「ああ、うん」
どうぞどうぞと、蒼空の方にシュガーポットを寄せると、俺は蒼空が動き出すのをじっと待った。
先ほど揺らいでいた瞳は、もう真っ直ぐにカップを目指して進むスプーンを見つめている。ひと匙、ふた匙……
「あれ? そんなもん?」
拍子抜けしてガクッと肘を滑らせて転ぶフリをしてしまうと、蒼空がクスクスと笑ってくれる。
「直人はもうふた匙くらい入れてもいいかもね」
「うーん、加減がわかんねぇ。とりあえず俺もふた匙で飲んでみよ」
サッサッとカップに入れてまぜて、そっと持ち上げてから一口、こくりと飲む。
「にっが!」
思ったよりも大きな声が出てしまったから、二人で辺りを見回してしまう。シーっと人差し指で口元をおさえる蒼空。
もう一度、あとふた匙を入れてかき混ぜる。
次は苦くても声に出しちゃダメだと自分に言い聞かせて、俺はまた一口飲んだ。
「……おっ、いける」
「はは、良かった」
小さな拍手と、なぜかお互い小声で話しているから、なんだかおかしくなって笑ってしまった。
「大人に一歩近づいたぜ〜」
「ははは、おめでとう、直人」
明らかに蒼空のコーヒーよりも乳白色な俺のコーヒー。初めてのコーヒーはやっぱり大人の味だった。俺はまだまだ甘いカフェオレでいいのかもしれない。
外に出ると、午後の爽やかな風が気持ちいい。先ほどの癒しの空間から、また人の多い通りに出てきてしまったけれど、気持ちは軽やかだ。
「今日はありがとな、蒼空」
「こちらこそ」
「なんか、最近無理して友達ともつるんでたから、久々に心から楽しめたわ。やっぱ蒼空最高だな。これからも友達でよろしく!」
また友達に戻れたことが嬉しくて、帰り際に素直にそう言ったけど。
「……またね、直人」
蒼空の声のトーンはなんだか少し低かった。
俺のハイテンションに比べると、明らかにローテンションだ。そりゃ、俺の慣れないデートプランを再現してくれるために、貴重な休みを費やしてくれたんだ。俺ばかりが得をしてるんだよな。踵を返した蒼空に、申し訳なくなる。
「蒼空、今日は俺のために色々ありがとう。今度、また普通に遊ぼうな。学校でも声かけてよ」
立ち止まりはしたけれど、後ろ向きのまま片手を上げて手を振ると、蒼空はそのまま歩いて行った。
後ろ姿まで様になるとか、カッコよすぎだろ。今日一日蒼空と一緒にいて、これまで見えていなかった蒼空の魅力を、知れた気がする。
そりゃあ、モテるよ。もし学校で正体がバレたなんてことになったら、それこそ大変なことだ。絶対に、これは俺と蒼空だけの秘密にしておかないとと、心に誓った。
「予約してチケット用意するのもありだけど、当日なにかあったりして時間に間に合わなかったら気まずいし、初めは並んで買う方がおすすめかも」
「へぇ……」
慣れたように映画館のあるビルに入り、チケット販売の列に並ぶ。
「並んで待つのも二人だけの時間だし、その間にどんな映画が好きかとか、相手のことを知れるからね」
楽しそうに弾む声の蒼空は、完全にオーラを消していて、前後に並ぶ女の子たちから騒がれることもなさそうだから安心する。
「直人ってホラー無理だったよね?」
「うん、マジで無理。グロいのとか絶対勘弁してほしい」
「ははっ、大丈夫だよ。今日のは恋愛ものだから」
「……恋愛もの」
だから周りには女子やカップルが多いのか、と妙に納得できた。正直、映画ってアクションものしか見たことがない。壁に備え付けられた画面に映る宣伝用予告ムービーを見上げると、蒼空が選んだ恋愛映画の予告が流れてくる。キラッキラな画面に最近よく見かけるようになった俳優さんが映った。この映画を見ることで、彼女の扱い方や接する技が習得できるかもしれない。無駄にしないようにしっかり見なければ。
気合いを入れていると、蒼空が耳元に顔を寄せて囁く。
「色々考えなくたって良いと思うよ。直人って十分カッコいいし魅力あるから。とにかく、今日は素直に楽しもうよ」
近い距離と、小声だからか、やけに艶っぽく聞こえてくる声に背中がゾクりとした。湧き上がる熱が顔に集中して、思わず離れてしまうと、横を歩いていた人にぶつかりそうになった。けど、すぐに俺は蒼空の隣に引き寄せられる。
「ほら、列からはみ出すと危ないよ」
「わ、わかってるよ」
投げやりに返す言葉。恥ずかしさに上がり続ける熱。完全に俺の方が彼女役だ。そして、蒼空の行動にいちいち反応してしまうのは、どうかしてるかもしれない。
だけど、蒼空みたいには出来なくても、俺もこうして美々のことをリードしてやれば、デートする日はきっと上手く行く気はしてくる。
チケットを買って中へ入ると、並んで座席に座った。タイミングよく、すぐに照明が落ちて暗くなった。
正直、眠くなってしまうんじゃないかと思っていたけれど、最初から不幸な現実を突きつけられてしまう主人公が哀れで、この先に希望なんてあるのかと気になる展開が続いて目が冴えて行く。あまりにも残酷なエピソードに、肘掛けに置いていた手を握りしめた。
すると、小指同士が軽く触れ合ったと思って隣を見れば、そっと触れてくるのは蒼空の手。眉を下げて悲しそうな表情をしている。たぶん、俺もそんな顔をしているのかもしれない。
映画に感情移入してしまって、それほど危機迫る展開でもなかったのに、気がつけば互いに大丈夫と言うように手を取り繋ぎ合っていた。蒼空の温もりに安心する。後半は前半の不幸を巻き返すようにキラキラな青春が展開されていった。
映画館から出ると、眩しい日差しに目を細めた。
「あー、なんか心洗われた気がする」
「そう?」
クスクスと蒼空が笑うから、細い目を向けた。
「蒼空だって最初のあの展開はないだろって思っただろ? 不安すぎて手繋いできたじゃん」
「それは、直人が不安そうにしていたからだよ」
「は? 俺のせい?」
「いや、直人のせいとかじゃなくて。でも、最後まで結局離さないでいてくれたし嬉しかったよ」
今度は不敵に笑うから、なんだか恥ずかしくなってくる。
「いや、俺だって別にそこまで不安とか思ってねぇし! それにまぁ、最後は感動したから観てよかったよ」
「そうだね」
蒼空も満足そうに頷くから、安心してお腹がなった。
「あ、急いできたから朝飯抜いてきたんだよね。腹減った。なんか食いたい」
「じゃあ、ちょっと早いけど昼にしようか」
「するする!」
「はは、直人かわいい」
「は!? 俺、もしかしてはしゃぎすぎ? ごめん」
「いや、すごくいいと思う。なんか素の直人を見せてもらえてて嬉しい」
「そっか! ならいっか!」
最近は新しく出来た仲間と遊ぶことが多くて、と言っても毎回は偽った自分を演じる体も心も持たなくて、まだ数回しか遊んでいないけど、その時は心から楽しめていなかった。
今日は、たぶん蒼空だからだ。ほんとの俺のことを知っているから、だからこんなに自由に気持ちも軽くいられるのかもしれない。ありのままの自分でいるってめちゃくちゃ楽だ。
スキップする勢いで歩いていると、スマホが震えた。
映画館にいるうちはマナーモードにしていたから、音は鳴らなかった。取り出してみれば何軒か通知が溜まっていた。
「あー、美々からめっちゃメッセージきてた」
ゆっくり歩きながら、スマホを眺める。
》おはよう。今日遥と今度のデート用の服買いに行くの! 直人って、何系が好き?
》嫌な格好とかある?
》並んで歩くのに恥ずかしくないようにしたいから……
思っていることが、さっきの自分と重なる。
美々も同じようなこと考えてるんだな。俺と同じじゃん。よかった。
ほっとして返信をしようと、なんて送れば良いのかしばし考える。
何系が好き……? 別に美々に似合っていればなんだっていいし、特にこういうのを着て欲しいとかないし、自分で決めてもらって構わないんだけど。でも、それをそのまま言うのはなんか違う気がする。
「直人、今は僕とデート中なんだけど?」
目の前に立ちはだかって、歩みを阻む蒼空に驚いて立ち止まった。
スマホから目の前に視線を上げれば、怒っているみたいに細くなる目。
「あ、わりぃ。美々から。今度のデートの服装なにがいいかって。別に俺はなんも気にしないし、なんでも良いんだけどって、そんなこと言ったらダメだよな? うーん、なんて返そうかな」
悩む俺に、蒼空がため息をついた。
「素直にそのまま言えば良いだろ」
「え? マジで? やばくない?」
「何着ても似合うだろうから好きなの着ておいでって、言っとけばいいだろ」
投げやりな感じで答えた蒼空の言葉。言い方こそ適当だけど、的を得ている。
「おお、確かに! そう言えば良いな! さっすが蒼空だわ」
感心しながら、俺はスマホにまるっとそのまま蒼空の言葉を拝借した。
》え! なんか嬉しい! わかったー! 楽しみにしててねっ♪
すぐに既読がついたかと思えば、返事が来る。美々からの反応に安心して、思わず上手くいったとニヤけてしまった。
とりあえずOKスタンプを返して終わりにした。
「よしっと、じゃあメシいこーぜぇ」
スマホをポケットにしまって蒼空の方へ顔を上げると、じっと不服そうに睨んでいるから、あれ? と思ってしまう。
「ん? どうした? 蒼空」
「彼女とのやりとりが楽しそうだなぁーと思って」
棒読みも棒読み。感情が全然ノっていないから、笑ってしまう。しかし、付き合ってもらっているのは俺の方だ。
「あー、そ、そっか。ごめん、今日はデートの予行演習だもんな、本番で他のやつとスマホでやりとりなんかしてたら、美々のこと怒らせるかも知んないってことだよな?」
今日は頭が冴えているかもしれない。すぐに察して言うけど、蒼空の表情は変わらない。
間違っていたのか? と不安に思ってしまう。
「今日は僕と直人のデートだから。もうスマホ禁止ね」
ニコリともしないで言うと、「さ、行こうか」と仕切り直すみたいに蒼空は前を向いた。
徹底されているのはありがたい。俺は蒼空にただついて行くだけだし、こんな簡単でいいのかなとは、思ってしまう。だけど、たぶん悩むよりも全然楽だ。そして、実はさっきからずっと楽しんでいる。
「ここのランチ。おススメだから」
たどり着いたのは、見るからにおしゃれな洋食屋さん。木の重たい扉を引いて、ドアベルが鳴る。天井が高くて開放的な店内は、明るくてなんだかワクワクする。
店員さんに案内されて窓際の席に座ると、そこから見える景色は、さっきまで歩いてきた人混みとはまるで違って、緑豊かな庭園になっていた。
「うわぁ、すげぇなここ」
「癒されるでしょ?」
何度も頷いて、目の前に座る蒼空がようやくほっとしたように少しだけマスクを下げて微笑んだ。
蒼空にとっては、本当に癒しの空間なんだろう。隣との席も余裕があって見えないような配置になっているから、人目につきたくない蒼空にはちょうどいい店なんだろうなと思った。
メニュー表をこちらに向ける蒼空は、「これがおすすめだよ」と迷わずにページを捲った。料理の写真が載っていなくて、文字だけのメニュー。建物もアンティークな雰囲気で趣があるし、きっと老舗の洋食屋さんだ。俺なら絶対に入ることのない店。
チラッと見えた文字はパスタとチキンのランチプレートと書かれていた。料金も思ったよりもリーズナブルだ。
「じゃあそれで」
「飲み物は?」
「飲み物? コーラとか?」
「……ランチにはコーヒーか紅茶が付くんだ。どっちかしかないんだけど」
「え! あ、そっか、うーん、コーヒーってあんま飲まないしなぁ。しかも紅茶? それこそ飲まないな、え、蒼空と一緒でいいよ、俺」
つい、いつもみんなと行くのはハンバーガーショップだし、飲み物と言えばコーラだったから、無意識に答えていたけど、選択肢があったのか。こんなおしゃれな店来たこともないから、焦ってしまう。
きっと、蒼空はなんも知らない俺を呆れて笑ってるんだろうな。なんて恥ずかしくなってしまっていると、メニューを閉じてさっそく店員さんを呼んでいる。
「ご注文はお決まりですか?」
「はい、ランチ二つと、飲み物はコーヒーで。お砂糖とミルク多めでお願いします」
「はい、かしこまりました」
すんなりと注文を済ませた蒼空は、メニュー表を片付けて広くなったテーブルに手を組んで置いた。
「コーヒーにミルクたっぷり入れたら美味しく飲めると思うよ。僕も最初は苦くて飲めなかったから。直人が大人になるとこ見たいな」
肘をついて組んだ手に顎をのせると、にっこり微笑む蒼空に、また子供扱いされている気がしたけど、今日は刃向かったって勝ち目はないし蒼空の言うことが正論だから、ふふっと大人ぶって余裕の笑みを浮かべた。
やってきたプレートにはナポリタンとパリパリの皮目が美味しそうなチキンのステーキ。サラダが添えてあって、ボリュームがけっこうある。
一口食べてみると、めちゃくちゃ美味い。
目を見開いて、蒼空に「美味い!」をアピールしながら、夢中で食べ進めた。
「めっちゃ美味かったぁ!」
「いい食べっぷりだったね。連れてきた甲斐があるよ」
いっぱいになったお腹を撫でていると、「食後のコーヒーでございます」とテーブルの上に置かれた湯気をあげたコーヒーカップ。そして、俺と蒼空の真ん中にはシュガーとミルクの入った大きめのポットが置かれた。
「ごゆっくりどうぞ」
思わず姿勢を正して軽くお辞儀をした。
改まった感じはするけど、コーヒーの香りに気持ちが安らぐ。
「すげぇいい匂い」
「だよね。癒される」
目を閉じて、そっとコーヒーの香りを嗅ぐ蒼空。そう言えば、食欲に負けてしまって、マスクを外して食べていたのに、蒼空にはまったくなんの反応もせずにいた。
今更になって、目の前でカップを持ち上げる様がなんとも言えずにいい男感が漂っているのに気が付いて、見惚れてしまう。
「直人、先に砂糖とミルクを……って、あれ? どうした?」
シュガーとミルクのポットをこちらに寄せつつ、蒼空が俺のことを覗き込むように見てくるから、ハッとした。
反射的に血が上るのを感じて、恥ずかしくなる。
「なに? 僕に見惚れてた?」
「なっ……!」
「なわけないかぁ」
「そ、蒼空がカッコ良すぎんのが悪い! うん、完全にそうだ」
「……え?」
慌てて、ミルクポットを手に取りカップに注ぐ。焦茶色のコーヒーがミルクの白と混ざり合っていくのを見て、心を落ち着かせる。
くるりとスプーンで混ぜて、次は砂糖をと手を伸ばした先で、蒼空に手を掴まれた。
「え?」
視線を上げた先にいる蒼空の顔が、見たことないくらいに赤く色づいている。困ったように揺れる瞳は、長い前髪のせいでどこか視線が合わない。
「直人、僕……」
「あ、わりぃ。いいよ、先に入れて」
「……え?」
「砂糖でしょ? 俺どんくらい入れたらいいか分かんないから蒼空の見とく」
ここは素直にコーヒー初心者なので、プロの姿を見ておかねばとシュガーポットを譲った。
「ああ、うん」
どうぞどうぞと、蒼空の方にシュガーポットを寄せると、俺は蒼空が動き出すのをじっと待った。
先ほど揺らいでいた瞳は、もう真っ直ぐにカップを目指して進むスプーンを見つめている。ひと匙、ふた匙……
「あれ? そんなもん?」
拍子抜けしてガクッと肘を滑らせて転ぶフリをしてしまうと、蒼空がクスクスと笑ってくれる。
「直人はもうふた匙くらい入れてもいいかもね」
「うーん、加減がわかんねぇ。とりあえず俺もふた匙で飲んでみよ」
サッサッとカップに入れてまぜて、そっと持ち上げてから一口、こくりと飲む。
「にっが!」
思ったよりも大きな声が出てしまったから、二人で辺りを見回してしまう。シーっと人差し指で口元をおさえる蒼空。
もう一度、あとふた匙を入れてかき混ぜる。
次は苦くても声に出しちゃダメだと自分に言い聞かせて、俺はまた一口飲んだ。
「……おっ、いける」
「はは、良かった」
小さな拍手と、なぜかお互い小声で話しているから、なんだかおかしくなって笑ってしまった。
「大人に一歩近づいたぜ〜」
「ははは、おめでとう、直人」
明らかに蒼空のコーヒーよりも乳白色な俺のコーヒー。初めてのコーヒーはやっぱり大人の味だった。俺はまだまだ甘いカフェオレでいいのかもしれない。
外に出ると、午後の爽やかな風が気持ちいい。先ほどの癒しの空間から、また人の多い通りに出てきてしまったけれど、気持ちは軽やかだ。
「今日はありがとな、蒼空」
「こちらこそ」
「なんか、最近無理して友達ともつるんでたから、久々に心から楽しめたわ。やっぱ蒼空最高だな。これからも友達でよろしく!」
また友達に戻れたことが嬉しくて、帰り際に素直にそう言ったけど。
「……またね、直人」
蒼空の声のトーンはなんだか少し低かった。
俺のハイテンションに比べると、明らかにローテンションだ。そりゃ、俺の慣れないデートプランを再現してくれるために、貴重な休みを費やしてくれたんだ。俺ばかりが得をしてるんだよな。踵を返した蒼空に、申し訳なくなる。
「蒼空、今日は俺のために色々ありがとう。今度、また普通に遊ぼうな。学校でも声かけてよ」
立ち止まりはしたけれど、後ろ向きのまま片手を上げて手を振ると、蒼空はそのまま歩いて行った。
後ろ姿まで様になるとか、カッコよすぎだろ。今日一日蒼空と一緒にいて、これまで見えていなかった蒼空の魅力を、知れた気がする。
そりゃあ、モテるよ。もし学校で正体がバレたなんてことになったら、それこそ大変なことだ。絶対に、これは俺と蒼空だけの秘密にしておかないとと、心に誓った。



