土曜日。俺は悩んでいた。美々とのデートを想定して、とりあえずありったけの私服を部屋中に出して広げてみる。買ったは良いけれど、着る機会もないまましまい込んでいたキレイめなジャケットを、デニムとTシャツの上に羽織ってみる。

「……なんか、違う」

 鏡に映る自分の姿が、あまりにしっくりこない。すぐにジャケットを脱いで、今度は半袖Tシャツの上にカーディガンを羽織った。

「まぁ、これは無難かな?」

 顎に手を置いて鏡を覗き込む。
 学校では制服が当たり前だから、私服まで変えようとはあまり考えてこなかった。本当はデニムにパーカーを着て終わり、で良いんだけど、なんか、デートって言ったら違う気がする。なんとなく、俺の中では少し、敷居が高くて、大人のイメージ。上手くは表現できないけれど。
 そうこうしているうちに、待ち合わせの時間がやってくる。
 うわっ、やば。こう言うのって、彼女待たせるとか最悪だよな? 急がないと。蒼空に怒られる。
 最終的に、白Tシャツにデニム。それに薄手のカーディガンを羽織った格好で、財布とスマホの入ったショルダーバッグを手に掴むと、玄関を出た。
 早足で来たから、待ち合わせの時間には間に合ったはず。そう思って、蒼空の姿がないか駅を見渡した。

「……ん?」

 駅の一角で、なにやら女子に囲まれているマスク姿の男を発見する。よく見れば、その中心にいるのはいつも見る制服姿とは打って変わって、どう見てもどこかのモデルみたいにおしゃれな格好をした蒼空だ。いや、モデルなことは確かなんだけれど。
 なんだ、あれ。逆にナンパされてる? すげぇな。
 感心してしまっていると、こちらに気がついた蒼空が、女の子たちの輪の中から無理やり抜けてこちらにやってきた。

「直人、走るぞ!」
「は!?」

 ゆっくりこちらに来たかと思って見ていると、蒼空が走り出すから、気を抜いていた俺は立ち尽くすだけ。

「ほら、行こう」

 サッと手を繋がれて、そのまま走るから、勢いにまかせて俺も走り出す。
 駅で待ち合わせをしたから、電車に乗ってどこかへ行くのかと思ったけれど、改札へは向かわないらしい。外へ出ても、道ゆく人の間を縫うように走って行くから、着いて行くしかない。

「おーい、どこまで行くんだよ」
「とりあえずあの集団から離れたい」
「は? って、まさか、バレたのか!?」

 後ろを振り返れば、さっき蒼空を囲んでいた女子たちが追いかけて来ているのが見えた。マスクはしていても、私服の蒼空は俺から見てもカッコいいオーラダダ漏れだった。普段見ない姿だから、よけいにそう思ってしまったのかもしれないけれど。

「やっぱり有名人は大変だなー」

 走りながらも呑気に言って笑うと、振り向いた蒼空が目を細めている。

「あー、笑ってごめん」
「別にいいけど」

 何度か角を曲がって走って行くと、ようやく蒼空は止まった。
 はぁ、はぁ、と息が上がる。
 今日の気温は心地いいはずだったのに、走ったことと陽射しの強さで、止まった途端に汗が額と背中に滲んできた。おしゃれに見えるだろうとだけ思って着てきたカーディガンを、思わず脱いでしまう。

「あっつー! もうオシャレとか無理だわ俺」

 手に持っているのも煩わしくなるけど、投げ捨てるわけにもいかずに、仕方なくカーディガンを脇に抱えた。

「とりあえずさっきのはまいただろ? ちょっと休憩!」

 道端にしゃがみ込んで、俺は息を必死で整える。同じように隣にしゃがみ込んだ蒼空は、俺みたいに息を荒げる様子も、取り乱す様子もない。平然と、汗ひとつかかずに涼しい顔でもしてそうで、なんだか体の作りからして違う生き物かもしれない。なんて思ってしまう。

「直人なりにお洒落して来てくれたんだな」

 優しい口調で隣から聞こえてくる声に、俺は頷いた。

「そうだよ! だって、蒼空がどんなイケメンで現れるかわかんねぇし、その隣歩くわけだろ? 俺がダサかったら蒼空もダサくなんだろ? そんなことなったら申し訳なさすぎるからな」

 すでにカーディガンを脱いでしまったから、白いTシャツにデニムの俺は、シンプルでなんの洒落感もないが。唯一のオシャレだと思ったカーディガンは、もう暑くて着たくもなくなっている。

「え、まって。僕と並んで歩くことを考えて、服装を選んでくれたってこと?」
「そうだよ」

 そう言うもんじゃねーのか? デートって。相手のこと考えて、一緒にいてダサくない方が良いに決まってる。だから、俺は美々の前では陽キャな俺を演じている。美々みたいなギャルと付き合うためには、相手に合わせることも重要だと思うから。

「でももういいや。あっちーし、蒼空のかっこよさの隣じゃ俺なんて何着たって霞んで見えるだけだろうからさ」

 変に気張ったって無駄だったってことだ。

「つーことで、いつもの俺でよろしく」

 ニッと笑って顔をあげれば、目の前にしゃがみ込んだ蒼空が、俺のことを覗き込むように見てから微笑んだ。

「直人はいつでもかっこいいよ」

 真っ直ぐに捉えられた瞳から、視線を逸せなくなる。冗談でもそんな風に言ってもらえれば嬉しいんだけど、蒼空が真面目に見つめてくるから、なんだか変な気分になる。

「僕は、直人の良さは誰よりも知っているつもりだし、これからも知りたいと思ってるからね」

 片手を地面について、蒼空の距離が近くなる。マスクと前髪の間から見える瞳が、吸い込まれそうなほどに真っ直ぐだ。
 そっとマスクに指をかけて、蒼空はゆっくり下げた。一度もちゃんと見たことのなかった蒼空の顔。マスクを外して、少し不服そうに眉を顰める表情は、あの時雑誌で見たアオそっくりだった。

「僕も、直人の前でなら、素のままでいたい」

 破壊力半端ない不器用な笑顔。今まで、目だけでも笑っているのがわかっていたけど、まるで違う。蒼空の表情が露わになったことで、見えていなかった本当の笑顔を知れて、ドキドキと胸が高鳴っていくように感じた。なんだ? この感情は。

「こっちだったよねー!?」

 急に、女の子の声と何人かの足音が聞こえてきて、駅にいた集団がまだ追いかけてきていたのかとすぐに察した。

「まずい、蒼空隠れろ」
「え……」

 すぐ横の狭い路地に引っ張り、室外機の陰に蒼空を押し込む。無理矢理詰め込んだから、思ったよりも狭くて体勢を崩した俺は、蒼空を押し倒すような格好になってしまった。でも、これなら顔を見られる心配はないと安堵する。しかし、一歩間違えば密着寸前。

「わりぃ、ちょっとだけ我慢してくれ」

 今蒼空はマスクを外してしまっている。あの子たちはもちろん、絶対に誰にも見られたくないはずだ。そう思って、ますます蒼空に覆い被さるようにして身を隠す。

「今、マスクしてないだろ。見られたらやばいじゃん」

 徐々に体を支えている腕の力がなくなってくる。こんな時、体力作りをしっかりしておけば良かったって思ってしまう。毎日腕立て伏せをして、鍛えておけば、こんな体制いくらでも持つだろうに。まぁ、そんなこと考えたって、俺の腕のプルプルは止まらない。一刻も早く女の子たちが去って行ってくれることを願うしかない。

「……ありがとう、直人」

 限界を迎えた腕が悪いのか、それともプルプルしている俺の腕に気がついて同情したのか、次の瞬間、体がフッと軽くなった。そして、やわらかい温もりに抱かれる。
 俺の胸元に顔を埋めて抱きつく蒼空。
 そっか、そっか! そうすれば確かに顔隠せるじゃん! 俺もプルプルしなくて済むし、一石二鳥! ちょっと暑苦しいけど、しばしの我慢だぞ、蒼空。
 耳を澄ませて、もう声も足音もしないことを確認すると、まだしっかりとしがみついている蒼空の頭をツンツンと突く。

「おい、もう大丈夫だぞ」
「え、あ! ごめん、僕……いてっ」

 慌てて俺から離れるから、蒼空が室外機の角に頭をぶつけてしまった。

「おいー、大丈夫かよ?」

 ぶつかった場所にそっと手をかざして笑うと、蒼空がサッと立ち上がって後ろを向いた。

「行こう」
「おう?」

 路地から出た蒼空は、もうマスクを着けていた。髪の毛の隙間から見える目元と耳が真っ赤になっているような気がする。
 ドジなところもあるけど、やっぱり蒼空はあの頃のままの優しくて、照れ屋な蒼空だと嬉しくなった。

「とりあえず、服を買いに行こう」
「服?」
「そう。本当は、僕も直人とデートならカッコいいままでいたいけど、またさっきみたいになったら迷惑かけちゃうし、ちょっと地味な格好にしたい。で、直人は僕好みにカッコよくする」

 楽しそうに歩き出す蒼空に、服装のことがよく分からなかった俺は、格好良くなれるのならと素直について行った。

 街から少し外れた路地裏。古着屋や雑貨店の立ち並ぶ通りの一軒に、蒼空は慣れたように入って行く。

「こんにちは、ユリさん。僕の友達コーディネートしてもらっても良いですか」

 狭い店内には、所狭しと洋服がハンガーにかけられている。奥に進んで行った蒼空が声をかけたのは、蒼空よりも更に背の高い黒髪ロングの……女性?

「あら、アオちゃんいらっしゃい。なぁに、お友達? あらやだ、かわいい子ー! こっちにおいで。カッコよくしてあげるわ」

 ばっちりメイクの施された顔は、少しばかりゴツい気がする。綺麗ではあるけれど、たくましい感じ、とでも言えば良いのか。よくわからないけれど、言われるがままに試着室の前に立たされた。

「ちょーっと待っててね。今見繕ってくるわ」

 体をくねくねとさせながら店内に消えていった。そんな後ろ姿を見送ってから、蒼空に今のはなんだ? と、無言で視線を送る。

「あ、あの人はユリさん。小さい頃からの知り合いで、よくお世話になってるんだ」
「……女?」
「まぁ、心は」
「そ、そうか」

 とりあえず、格好良くしてくれるならどんな人でも、と思うことにして、ユリさんが戻ってきて手に持って来た服を着てみることにした。
 試着室内の鏡の前で、なんだかこなれた感のある自分の姿が映っていて驚いた。しかも、これ、あの人俺のこと一瞬しか見ていないのに、サイズも色合いも完璧に合っている。

「どうかしらぁ? お気に召したー?」

 カーテン越しに聞かれて、ハッとしてカーテンを開けた。

「あらっ、よく似合うじゃなーい」

 パチンッと手を合わせて喜ぶユリさん。その隣で、蒼空も親指を上げて笑顔をむけてくれる。
 あまり着たことのなかった、ダボっとしたオーバーサイズのデニムのパンツ。Tシャツもオーバーサイズだけど、体に合ったサイズだから、変にだらしなく見えない。今までは着てみたくても、ただだらしない格好になるだけじゃないかと敬遠していた。だけど、選んでもらった服はかなり自分でもしっくりと来たから不思議だ。

「ユリさんはスタイリストなんだよ。たくさんのモデルや俳優なんかのコーディネートを組んできた人なんだ。だから、一目見ればその人に似合うサイズや形なんかが分かる。すごい人だよ」
「へぇ、ほんと、スゴイっす。カッコいい」
「気に入ってくれて嬉しいわ。あ、でもそれだけじゃまだ締まらないから、これとこれとこれね」

 さっと俺に近付くと、足元にスニーカーを置いて、アクセサリーを手慣れたように付けていく。

「ほら、これで完璧! アオちゃんの隣にいても全然カッコいい」
「いやいや、俺なんてそんな」

 モデルの蒼空と並べるとか恐れ多い。まぁ、でも、これで一緒に歩いていても恥ずかしくはなさそうだし、むしろ堂々と楽しめそうだ。

「アオちゃんは今日ずいぶん気合い入れて来てたのね。なぁに? デートとか?」
「そう」
「あらやだ、当てちゃった♡」
「でも、これだとやっぱ目立っちゃうみたいで、もう少しシンプルな服欲しいんだけどある?」
「オーラを消すやつね? まかせて」

 すぐに、ユリさんはまた店内に消えて行く。

「これ、マジでかっこいいな。ってか、俺あんまり持ち合わせないんだけど……」

 まさか、全身コーディネートした服を買うことになるとは思わなくて、財布の中もそれなりだ。高校生のデート予算も相場なんて分からないけれど、いつものお小遣いにほんの少しだけ色をつけたくらいしか持ってきていなかった。

「ああ、それは僕からのプレゼントだから。気にしないで」
「え? プレゼントって、これ絶対に高いだろ」

 着替えながら値札を見る余裕なんてなかったけれど、着心地は凄くいい。
 ふと、手元に着けられたチェーンのブレスレットに視線が落ちて、値札がついているのを発見した。すぐにひっくり返して数字を確認する。
 ひっ! ……に、二万……!?
 待て。待て待て待て。ブレスレットで二万!? じゃあこの首元にあるネックレスはもっとするだろ!? 靴は? マイナーなスポーツブランドでも結構するよ? 服は? パンツにはベルトも着いちゃってるよ?

「大丈夫。カードで払うから」

 いや、何払いとか関係ないし!

「これは僕がやりたかっただけだから、デートの参考にはしないでね。破産しちゃうし」

 うん。これが出来たらさぞかしかっこいいだろうけど、後悔なんて言葉通り過ぎて絶望しかなくなるから、絶対にしない。

 結局、蒼空に「さっき守ってもらったお礼も兼ねて」とかなんとか理由をつけられて、コーディネート分を押し切られるように払ってもらった。

「よし、じゃあ、さっそく行きますか、本日のデートプランその一」

 最初の服装よりかなりシンプルコーデになった蒼空は、細身のデニムとシャツ。小物はキャップにマスクと、目立つような目立たないような格好になった。とりあえず、駅で見た時のオーラは完全とまではいかないがほぼ消えている。ユリさんってマジですごい。感心しつつ、蒼空の隣に並んで、デートプランの初めの場所へと歩き出した。