家に帰ってスマホを見ると、通知がきていた。開いてみると、美々からのメッセージが入っている。

》明日も一緒に帰ろうね

 キラキラした猫がウインクをして、よろしくと書かれたスタンプも一緒に。
 かわいいな。素直にそう思ってしまう。でも、やっぱり美々の上辺ばかりしか見てこなかった俺にはいまいちまだ、しおらしくて大人しい美々の姿には抵抗がある。美々らしくないと言うか。もしかしたら、今の美々が元々の美々の姿なのかもしれないけれど。
 彼女になったことで、俺に本性を見せてくれているのかもしれない。だから、良いことではあるんだろうけど。まぁ、それを言ったら、俺だって素直に本性を見せなきゃないのかもしれないけど、まだその勇気はない。ごめん、美々。
 心の中で謝りつつ、俺のテンションとは正反対の陽気なオオカミの少しふざけたオッケースタンプを送った。

「そう言えば、蒼空と連絡先交換してないな」

 ふと、さっき会った蒼空のことを思い出した。
 まぁ、明日聞けばいいか。
 そう思って、スマホを手放した。


 朝、いつものように学校へ向かうと、駅前に長身でマスク姿の男子学生が立っているのを見つけた。間違いなく蒼空だと思って、駆け寄って行く。

「おはよ! 蒼空」
「あ! お、おはよう」

 スマホに落ちていた視線をあげると、驚いたように挨拶を返してくれる。

「誰か待ってんの?」

 まさか友達がいたのかと思いつつ聞くと、すぐにスマホを制服のポケットにしまって、蒼空はわずかに見える目元を細くした。

「直人を待ってた」
「え!?」
「一緒に学校、行こうかなと、思って」

 自信なさげに声が小さくなっていくから、笑ってしまう。

「なんだよ、待っててくれるなんて嬉しい! しかも名前呼びに戻ってるし」

 他人行儀だった昨日までの蒼空とは全然違くて、驚きつつも嬉しくなった。なんだか中学の頃の偽らない自分に戻ったみたいで、気持ちが軽くなる。

「行こうぜ、行こうぜ〜」

 意気揚々と改札を通ってホームに向かった俺の後を、蒼空は付いてくる。
 電車が来るまでのわずかな時間。隣に並ぶ蒼空はやっぱり背が高くて、よく見ればマスクでは隠しきれない目鼻立ちが綺麗に整っているのがはっきりとわかる。
 きっと、周りの奴らはここまでじっくり蒼空のことを見たことがないから、蒼空が実は人気急上昇中のモデルの卵だなんて。気が付けないんだろう。もったいない。

「……な、直人、あんまり見つめないで」
「へ?」

 こちらを向いた蒼空の目元が困ったように下がる。そして、髪の毛の分目から見える耳が赤くなっていることに気が付いた。
 照れているのかと思って、あまりにじっくり見すぎてしまったことを反省する。
 男に見つめられたって嬉しかないだろう。

「わ、わりぃ。見すぎた」

 誤魔化して笑うと、ちょうどよく電車がホームに入ってきて、乗り込んだ。
 朝の電車は混んでいる。もう一本早いのに乗れたらまだマシなのかもしれないけど、俺は空いている車両よりも睡眠を優先してしまう。朝は弱い。なかなか早起きは出来ないんだ。仕方がない。
 ドア側に立つと、心なしか周りとの距離がいつもよりも余裕がある気がする。今日は空いてる? ラッキー! なんて思っていると、見上げたすぐ上に蒼空がいる。
 蒼空と俺との間にも、数センチの隙間がある。周りはギチギチなのに。
 もしかして、これって俺のこと守ってる感じ?
 よく、電車内で彼女が潰れてしまわないように周りから守るシーンを、アニメやドラマなんかで見たことがあるけれど、まさしくそんな状況だ。俺は彼女でもなんでもないのに、男友達のことまで守るとか、中身までイケメンじゃねーか。
 実は蒼空って、彼女いたりするのか? 今までも俺が知らなかっただけで、もしかしたら、色々経験してきたのかもしれない。だって、昨日の電車でもさりげなく手を繋いできたりして、あんなの普通やんないだろ。絶対に慣れてる。蒼空って、実はすごいやつなんじゃないか!?
 いつもよりも圧迫感も疲労感もなく快適に電車を降りると、俺は蒼空に聞く。

「なぁ、蒼空ってもしかして彼女いる?」
「は?」

 いや、聞いちゃダメだったのか……? 
 ものすごい嫌そうな顔でこっちを見てくるから、言葉に詰まる。

「……なんで?」
「いや、ほら、今めちゃくちゃスマートに俺のこと守ってくれてたよな? 普段からやってるからじゃないのかなぁって、思って」
「……そう言うこと」

 ため息を吐き出して、蒼空はつまらなそうに呟いた。

「いないよ。直人が潰れたら嫌だったから守った」
「あー、そっか。ありがとな」

 単なる親切心か。いい奴すぎん?
 感動すら覚えてしまう発言に、胸の奥がきゅんとする。やばい。俺、女だったら速攻で落ちてる。こう言うことをサラッと言えるやつに、俺もなりたい。無理だけど。
 はぁとため息をついた。

「……ごめん、嫌だった?」
「え?」
「直人が周りに埋もれそうだったから、つい、守ってあげたくなったんだ」

 困ったように下がる目元。
 見上げた十センチ差のある蒼空からしたら、俺はきっと子供みたいに見えているのかもしれない。

「悪かったな、ちっちゃくて!」
「え!? いや、そう言うんじゃ、なくて」
「いいよ、いいよ。別に美々よりは断然俺の方がデカいし、蒼空がデカ過ぎなだけだもん。どうやったらそんな背高くなれんの? 羨ましい」

 やけになって、蒼空に当たってしまったのが格好悪い。とは思うけど、本当のことだし。

「……僕は、こんなに身長要らなかった」
「え」

 並んで歩く歩幅が、狭くなる。
 子供みたいにいじけた様な声を出す蒼空に、歩みを止めた。

「身長なんて勝手に伸びたし、デカくてもなんにもいい事ない。目立ちたくないから、尚更に僕には要らないものだよ」
「……そ、そっか。身長があればあったで悩みにもなるのか。そうだよな。なんでも程々がいいよな。羨ましいとか言って、ごめん」

 蒼空にとっては、今の俺の言葉は、嫌味に聞こえてしまったのかもしれない。素直に謝ると、あとは普通の会話に戻った。
 周りから羨ましがられていることが、もしかしたら、蒼空にとってはコンプレックなのかもしれない。だからマスクをしているし、誰にも正体がバレない様に、静かに毎日を過ごしているんだろう。俺だったら、有名なことを大っぴらにして、モテはやされたいとか思っちゃうけど、蒼空は違うんだろうなぁ。
 だけど、俺だけが本当の蒼空を知っているような気がして、少しだけ嬉しくもなる。

「まぁ、あんまり殻に閉じこもってしまわないで、なんかあったら俺に言えよ。なんでも聞くし、蒼空の助けになれたら、俺も嬉しいからさ」

 ポンっと、背中を軽く叩くと、一瞬震える様に蒼空の長身が伸び、立ち止まった。不思議に思って、顔を覗き込むと、わざとらしく視線を外されて、眉間に皺を寄せて耳まで真っ赤になっているから、なんだか面白い。

「蒼空の反応、なんかおもろい。そんな恥ずかしがり屋だっけ?」

 あははと笑いながら、あっという間に教室まで辿り着いていた。
 前方のドアから入っていく俺とは別に、蒼空はスタスタと俺と一緒に来たわけではないと言う風に、後方のドアに向かって行った。
 今までは気にもしていなかったけど、よく見れば、陽気な奴らは教室前方に集まっている。これは、たぶん常日頃からだ。
 これまで、蒼空とあまり会話もなく姿も見えていなかったのはこのせいかと、納得してしまう。
 チラリと教室後方を見れば、蒼空が音もなく自分の席に付いてイヤフォンを装着した。

「あ、おはよー! 直人っ」
「おーす」

 すぐに、いつものメンバーに声をかけられて、視線を戻した。

「お、おうっ! 今日も晴れてるな!」
「は? ばっか、曇ってんだろ空」

 適当な挨拶をするから、すぐに突っ込まれる。窓の外を見てみれば、確かに太陽など出ていない。そうか、今日は曇りだったのか。だけど、蒼空とまた友達に戻れた気がした今朝は、俺の中では快晴だ。

「いや、俺の心は快晴だ!」
「マジか! やばっ、順調すぎんのかよ!」
「えー! なんかあった? なんかあった!?」

 さらに美々の友達もそばに寄って来て、教室内が賑やかになっていく。
 もちろん俺は盛り上げるつもりはなかったのだけれど、まわりが勝手に盛り上がっていく。

「昨日も一緒に帰ってたよね! 休みの日もデートの約束とかしてるの?」
「いいなー、今度うちの彼氏と四人で遊ぼうよ!」
「わぁ、それ良いっ!」
「とか言ってぇ、本当は直人と二人きりのが良いんでしょー? 美々は」
「は!? いや、それは……そう、だけど」

 遥の発言に焦る美々は、真っ赤な顔をしてこちらに助けを求める視線を寄越す。
 四人でとか、俺は無理だ。遥もよく分かんねーし、ましてその彼氏なんてたぶんとんでもない陽キャだろう。完全に無理。美々一人で十分。ってか、美々一人が精一杯。むしろ一人でもキャパオーバー。

「俺も、四人じゃなく、二人での方が良いかな」

 これはマジで本心だ。
 美々と二人が良いわけじゃなく、美々と二人の方がマシってこと。その前に、デートとか何して良いのか分からなすぎる。ちょっと事前にリサーチさせてほしいのだが。
 頭の中でパニくる俺の目の前では、キャーキャー、ワーワー騒ぐ陽キャたち。
 勝手にしてくれ。とにかく俺はこの元気いっぱいな奴らについていくには、数分しか体力と精神力が持たない。デートなんて一日中陽キャを演じることだからたぶん、帰りには屍になっているのかもしれない。想像もできなくて怖い。

「いつにする? デート」
「え?」

 放課後。昨日のメッセージ通りに美々と一緒に帰っていると、近い距離に並ぶ美々がこちらを覗き込むみたいに聞いてきた。
 今朝盛り上がっていたデートの話だ。
 まさかすぐに振ってくるとは。そうなるだろうとは思ってはいたけど、忘れていてくれと思っていたのに、言葉が出てこない。

「今週は予定ある?」
「えー、と」

 別に、予定なんて何もない。
 だけど、何もないと返してしまったら、すぐに「じゃあデートしよう」になってしまうと思って、悩むふりをした。
 別にデートがしたくないわけじゃない。むしろ、彼女が出来たらしたかったことナンバーワンだ。
 だけど、実際、デートってなんだ? どうすればいい? 何を参考にしたらいいんだ?
 未知すぎて、頭痛くなってきた。

「こ、今週は無理だけど、来週なら、空いてるかな……」

 とりあえず、すぐ目前の週末は回避したい。そう思って口をついて出たその言葉に、美々は瞳を見開いて輝かせた。

「じゃあ、来週! 今週だと、あたしもなんも準備出来てないし、来週だと気合い入れれるっ!」
「え、あ……だろ? 色々準備あるよな、来週がいいよな」
「うん! 楽しみーっ」

 バンザイと両手を上げる美々に、今週すぐのデートじゃなくなったことにホッとしたような、結局行かなければならないデートに困ってしまうような。もうよくわからない状況だ。誰か俺を助けてくれ。

 駅まで来ると、電車の方向が違う美々とは別れてホームに出る。そこで見つけたのは、長身のマスク姿の学生。あれは! 俺の救世主だ!
 驚かせようと、すぐに足音を立てずに駆け寄って、スマホをいじっている後ろに回り込んだ。すぅっと息を吸い込んで、名前を呼ぼうとした瞬間に、くるりとこちらを向くから、こっちが驚いてしまった。

「うおーっ!」
「……何してるの? 直人」
「いきなりこっち向くんじゃねぇ! びっくりすんだろうが!」
「いや、直人こそ、今僕のこと驚かそうとしてたよね?」
「……あ、ははは」

 全てお見通しだと言わんばかりに呆れた目をした蒼空に、俺はなにも言えずに恥ずかしくなった。
 ホームに電車が来る合図が鳴る。

「あははは、ほんと、なにしてんの」

 蒼空が声を上げて笑い出すから、ますます驚いてしまう。中学の時だってこんなに笑っている姿、見たことなかったかもしれない。
 なんだか、マスクを外してほしいな。なんて思ってしまうくらいに、蒼空の笑顔が見てみたくなった。

「直人ってかわいいよね」
「はぁ!?」
「あ、ほら、電車きたよ。乗ろう」

 やって来た電車のドアが開くと、蒼空はそう言って乗り込んでいく。
 今朝から、なんだか蒼空には調子が狂う。
 だけど、自分が素のままでいられる気がして、やっぱり居心地はいい。空いている座席に座ると、すぐに蒼空が切り出した。

「直人、彼女とデートなにするの?」
「は?」
「今朝、教室で話してたじゃん」
「え? あー、ってか、蒼空イヤホンしてたけど話聞こえてたの?」

 一瞬、目を見開いた様に見えたけど、すぐに視線は真っ直ぐに戻ってしまう。

「あんなに騒いでいたら聞こえるでしょ。で、するの? デート。いつ?」

 なんだか不機嫌な声で聞かれるから、困ってしまう。蒼空にデートについてアドバイスをもらおうと思っていた。なんて、言っても大丈夫だろうかと心配にもなる。

「そのことなんだけどさぁ……」
「僕とデートしようか?」

 こちらを向いて、細くなる瞳。蒼空が自信たっぷりに問いかけてくるから、大きく頷いた。
 俺が相談することを察してくれていたかの様な提案に、全身で喜びを表現した。

「する! 頼むよ、蒼空!」

 勢い余って、抱き付く手前でブレーキをかけ、蒼空の両手を掴み、祈る様にギュッと握った。

「……直人の頼みなら。それに、なんでも聞いてくれるって言ってくれたよね? デート、僕が全部エスコートするから、任せてよ」
「ま、まじか! めっちゃ嬉しいんだけど」
「僕も嬉しいよ」

 少し屈んで目線を合わせた蒼空が微笑む。マスク越しでも雑誌の中のモデル達みたいな笑顔をしているように見えて、不覚にもドキドキしてしまった。遥のヒュートへのあの発狂ぶりも気持ちがわかる気がする。いや、別に俺は蒼空のファンとかじゃないのだけど。

 とにかく、美々とのデートプランを蒼空に全部教えて貰えば、きっと上手くいく。なんか、ぜんっぜんどんなデートをするのか見当もつかないけど、蒼空のすることは間違いないと、確信だけはしている。
 でも、こんなに信頼出来る友達だったのに、なんで俺は蒼空から離れてしまったんだっけ?
 蒼空が同じ高校に行くことも、俺は入学するまで知らなかった。俺は蒼空に話していたはずなんだけどな。まぁ、これからまた仲良くしていけばいいだけか。

「じゃあ、とりあえず土曜日に駅集合ね」
「オッケー、楽しみにしてる!」

 家の近くで手を振り別れると、俺は鼻歌を歌いつつ玄関を開けた。

「たっだいまー」
「あら、おかえり。なぁに? 良いことでもあったの?」
「まぁね〜」

 キッチンのドアから顔を見せた母が笑って聞くから、よっぽど嬉しそうに見えてしまったらしい。実際、俺の胸は踊っている。土曜日に蒼空とどんなデートをするのか、今から楽しみで仕方がない。
 いや、ちょっと待てよ? デート……って言っても、俺には勉強だよな。楽しむってよりも、しっかり蒼空の行動を見て覚えておかないとダメだよな。よし、とりあえず、美々とのデートを失敗するわけにはいかないから、マジで気合い入れていこう。