私は、自分で自分を幸せだと思っている。
 大好きな友達、そして、大好きな両親に囲まれ、何一つ不自由なく暮らせている。

 貧しくもなく、日本でも豊かな家庭で暮らせていると思っている。

 だけど、私には足りないものがある。
 私には好きな人がいる。
 世界で一番好きな人。
 それが菱川清。18歳の先輩だ。
 そしてサッカー部の主将を務めている。

 私と彼の初対面はあの時だった。
 私はたまたまサッカーの試合を見に行った。
 興味があった訳ではない。でも、パパがサッカーが好きで、サッカーの予選大会を見に行かせられたのだ。

 その時にキラリと輝く選手がいた。それこそ、当時一年生だった菱川先輩だ。
 周りの並み居る選手たちを、するりと交わしていき、ゴールを決めたのだ。

 まさにそのゴールで、私はこの高校に進学すると決めたようなものなのだ。

 我ながら単純だと思う。どこかの少女漫画の冒頭のシーンかのように思う。

 でも、その後も先輩の姿を目で追うようになった。同学年じゃないこともあって、会えることはほぼなかったが、それでも私は先輩の試合を見に行ったりして先輩の姿を目に収めようとするようになった。


 でも私は先輩にアタックしようとなんてしようとは思わなかった。告白しようとも思わなかった。
 何しろ、先輩は私にとって推しも同様。

 そこに私が食い込むのはまさに違うのだ。
 でも、先輩と一緒にいられるようになったらなんて幸せなんだろうな、と思う。




 でも、そんな私の前提が崩れるのも一瞬だった。


 「ねえ、久遠。あたし菱川先輩のことが好きになっちゃった」


 そう、親友の金澤麻衣がそう言った。

 その瞬間に私の恋が本当の意味で終わったと、そう感じ取れた。
 麻衣は私なんかとは違う要領のいい子だ。


 麻衣はいつも笑顔だし、クラスの中心にいると言っても過言ではない。
 そして勉強もできるし、スポーツも体育の時間にはいつも活躍している。

 しかも可愛いのだ。

 麻衣は私の親友であり、そして憧れそのものだ。

 私と麻衣は生まれながらにして違う。
 麻衣は神に祝福されている。

 そんな人が菱川先輩のことが好き。
 その時点で、私の恋が成就する可能性はなくなってしまった
 
 私が麻衣の親友でいる理由は、ただ一つ。麻衣と同じゲームが好きで、そのゲーム内の押しが一緒であること。
 私たちの推しは白髪の毒舌キャラ。
 私たちはいつも推しの話で楽しんでいた。

 私は麻衣の一番の友達になれていることを嬉しく思っていた。
 だけど、違うという事に気が付いた。

 麻衣は私と同じ人が好きだ。

 ここで私も先輩のことが好きと言ったらどうなるだろうか。

 考えるまでもない。きっと、空気が悪くなるだけだ。
 それどころか、笑われてしまうかもしれない。
 麻衣と私のどちらを彼女にするか。100人いたら98人は麻衣を選ぶだろう。
 地味な私と可愛らしい麻衣。そこには埋められない差があるのだ。

 ここで、私も先輩のことが好き、なんて言ったら絶対に駄目だ。

 だから私は自分の気持ちを押し殺して言った。

 「そうなんだ。先輩かっこいいよね」

 あくまで、友達の恋を応援するかのような形で。

 「うん。そうなんだよね。あたし絶対に告白成功させたい!!」

 そう、強く言う彼女の姿を見て、私は逞しいと思った。

 ……私は今上手く笑えてるのだろうか。
 心の中に渦巻くどす黒い感情が表に飛び出してきてないか。
 そんなことを考えると途端に怖くなる。
 私の心は暗い。心の中で、おぞましい言葉を連呼している。
 なんでなんでなんでなんでなんでなんで。
 そんな言葉を。

 「私、麻衣のことを応援するよ」

 どの口で言ってるのだろうか。私はそんなこと微塵も思ってもいないのに。
 むしろ失敗したらいい、なんて思っているのに。

 「ありがとう、久遠は本当に頼りになるね」

 私は私が惨めになった。
 恋心を押し殺してしまっている自分が。

 挑む前から負けを認めてしまっている自分の弱さが。

 私は私が嫌いになる。私の先輩への恋心は誰にも負けないと思っていたのに。
 私は麻衣よりも三年も前に好きになっていたのに。

 こんなことなら勝手に解釈違いとか思ってないで、先輩に告白していればよかった。
 遠目から眺めるだけで十分、なんて思わなかったらよかった。
 そのせいで、私は今窮地にいたっているのに。


 「そう言えば次移動教室じゃん。行こ―」


 そう、麻衣が言うので、私も「そうだね」と言って、別教室に向かう。
 今にでも叫びたい気分だった。
 心の奥底の暗い感情をすべて押し出したい、そんな気持ちだった。
 でも、そんなことができる場所は学内にはどこにも無い。
 我慢せざるを得ない。
 爆発しないように、頑張らなければならない。

 私は無言で、麻衣の後ろを歩いていく。


 「あ、菱川先輩!!」

 麻衣がそう叫ぶのを聞き、私は顔を上げた。
 そこには菱川先輩の姿があったのだ。
 麻衣が手を振ると、先輩は笑って手を振る。もしかして、もう会ったことがあるのだろうか。

 ああ、やっぱりイケメンだ。
 髪の毛もちゃんと整えてあるし、体も筋肉質だ。
 しかもそのさわやかな笑顔。世の女子全員を照れ殺せるほどの力を持っているよ。

 「先輩いつも応援してますよ」
 「ありがとう。えっと」
 「金澤麻衣です。こちらが菊池久遠です」

 そう麻衣に紹介されたので、私も頭を下げる。
 ああ、生の先輩だ。

 「先輩いつもサッカー見てます。かっこいいです」
 「そうか、ありがとう」

 爽やかに先輩が言う。
 そんな中、麻衣が必死でアプローチしている。

 二人が親しげに話してるのを見て、私の心のモヤモヤが晴れない。
 さらに強くなっていく。
 私も話に混ざりたいのに、私はあの中に入れない。
 だって私は、麻衣に嘘をついているのだから。

 あ、と私は思う。もう四十八分だ。

 私は「麻衣、授業始まるよ」そんなことを言って会話を中断させるのだった。

 その日から麻衣はどんどんと先輩への愛を語るようになっていった。

 「先輩ったら、あたしに寝る前にお休みラインを送ってくれたんだよ」
 「先輩、ぬいぐるみ抱いて寝るんだって。かわいい一面もあるみたい」
 「先輩に勉強教えてって言われた。あたしの方が年下なのにどうしよっかな」

 のろけ話を聞かされるこちら側の気持ちも考えて欲しい。
 そんな話を聞かされるほどに、私の先輩への気持ちはどんどんと強まって行っているのだ。

 私は先輩に全くアタックできていない。
 どんどんと、麻衣が有利になっている。
 私は本当に先輩のことを諦めていいのだろうか。

 そんな、モヤモヤが心の中で広がっていく。