日曜、天気は曇り。
海里との約束は土曜だったが、その日はどしゃぶりの雨だったので延期して、遊園地は日曜に行くことにした。
遊園地まで電車で二時間の移動時間。
休日の朝だから、電車内は人が少ないと思っていた。けど、座席は満席。
俺たちは車両の端っこに立って、車窓から都会の街並みを見つめた。似たり寄ったりのビルや看板がいくつも通りすぎていく。
「えー、あの人、格好いい」
「爽やか系でがっしりした身体つき、最高じゃん」
黄色い声に振り向けば、少し離れた場所から女性ふたりが、俺の前に立つ海里のことをちらちらと見ていた。
どこにいてもイケメンは目立つ……。
海里は制服を脱ぐと、よく大学生くらいに間違えられている。以前、年上女性から飲みに行かないかと誘われていたこともあったっけ。
「七海が着てるロンTとデニムジャケット、格好いいな」
海里は女性たちからの視線などなんでもないようだ。噂している方を見ることもなく、俺の格好を褒めた。
「そうだろ」
「うん。似合ってる」
「ありがと。特にこのロンTはお気に入り。古着屋で一目惚れしたんだ。九十年代ハリウッド映画ポスターデザイン。この年代のって、渋いんだよ」
「へぇ」
俺は古着が好きで、古着屋巡りが趣味だ。行きつけの古着屋の店長から話を聞いてからというもの、ヴィンテージTシャツにもハマっている。色(いろ)褪(あ)せた感じと今はないデザインを見ると、心が踊る。
「今度、古着屋巡りに俺も連れていってよ」
「前から言ってるけど、やだ」
「なんで?」
「なんでって。今、着ている服が海里に似合ってるからだよ」
海里のような王道の美形を突っ走る奴は、オーソドックスなブランドのシンプルな服が似合う。自分に似合った服を着るのが一番いい。
「うーん」
海里は難問に当たったときのように、眉を寄せて、腕組みをする。
「嬉しいけど、求めている答えはそれじゃない」
その言葉に苦笑いしていると、乗換駅に到着した。
露骨な女性からの視線がなくなり、ホッとしたのも束の間。
次の電車は、同じ目的地と思われる客で、もっと混み合っていた。むわっとした熱気が車両内に充満している。
けど、あんまり不快じゃない。海里は俺を壁際に立たせ、壁になってくれていた。そのおかげで他の人とぶつかることはない。
海里と一緒にいると、よくある。
道を横並びに歩くときに車道側を歩いてくれたり、遊ぶときは俺の時間に合わせてくれたり、色々俺のことを優遇してくれる。
「な」
「ん?」
――なんでいつも俺にそんなによくしてくれるんだよ。
そう言いかけてやめた。
「……ありがとう」
「うん。もうすぐ着くから」
海里が携帯電話を取り出して、あと三分。と言った。
「そっか」
満員電車では会話する気にならず、俺は視線をつり革の方に向ける。ぼんやりと電車に揺られていると、到着するまでのあいだ、海里がもう一度大丈夫かと聞いてきた。
「……うん」
プシュー。
遊園地の最寄り駅に到着し、車両のドアが開かれると、一気に乗客が外に向かう。その流れに乗って俺たちも降りた。
そこから遊園地は徒歩五分。
入場ゲートで海里がチケット二名分をスタッフに渡す。フリーパスなので、乗り物乗り放題だ。
園内入ってすぐのところにパンフレットが置かれていて、それを海里が広げた。
「計画通り、絶叫系から攻める?」
「うん。足ぶらぶらするジェットコースターに乗りたい」
「オッケー。じゃ、こっちだな」
海里がパンフレットにある地図と周囲を交互に見ながら、歩を進める。
うちは店なんてやってるから、土日に家族で出かけることはほぼない。
遊園地に来たのは小学校ぶり。海里の両親に連れてきてもらったんだ。
遊ぶためだけに作られた空間を見て、楽しかった記憶がよみがえり、気分が次第に上がっていく。
「なんか、楽しみに……」
そう言いかけたとき、頭上からキャーという悲鳴が聞こえてきた。
見上げると、ジェットコースターの傾斜の角度が想像よりも凄かった。乗りたいと言ったのは俺だけど、自分が絶叫系に強いのかどうかは分からない。
「怖かったら、やめてあげるけど?」
立ち尽くした俺に、海里はにやりと笑う。
その余裕綽(しゃく)綽(しゃく)の表情が気に食わず、俺は変顔で返事をした。すると、なぜか、海里は俺の頬をきゅっと左右に引っ張った。
「ふぁにふぃやがる」
「変な顔をしていたから戻そうかと……ぐ」
俺も海里の両頬を容赦なく引っ張った。
大してイケメンが崩れないのが、小憎たらしい。
ふつふつと負けん気が湧いてきて、自分からアトラクション待ちの最後尾に並ぶ。
列待ちのあいだもふざけていたが、さすがに次に乗る番になると、口を閉じた。
「お待たせしました。足元にお気をつけください」
係員に誘導されて座席に座ったら、安全バーが自動的に下がる。
もう後戻り出来ないと思った途端、不安感が押し寄せ心拍数が跳ねあがった。
横にいる海里の表情を気にする余裕すらない。
心臓がバクバクしている中、乗り物はゆっくりと進み始め──。
結果。
俺たちは互いに絶叫系が得意のようだ。
「うぉおおおっ、凄かったぁ!」
乗り終わったあと、興奮しながら背伸びをした。
遠心力で身体が大きく左右に揺さぶられることも、浮遊感に腰がざわつく感じも嫌いじゃない。何より落ちて叫ぶときがなんとも言えないストレス発散になる。
はしゃぐ俺の横で、海里が睨む。
「俺は七海の叫び声がうるさかったよ。一体、どこからそんな声出るんだよ」
「えへ、ごめんね。さあさ、次へ参ろうじゃん!」
「まぁいいけど」
海里の腕を引っ張って、次の乗り物へと向かう。
絶叫マシンに二回乗ったあと、空(す)いていたメリーゴーランドに乗った。
海里は客車に。俺は白馬に。
乗ってみたはいいが、他の客はファミリーばかりだ。
この年で、メリーゴーランドをどう楽しめばいいのか分からない。無表情を決め込む俺のことを、海里は写真を撮りながら大笑いしていた。
「ふむ、俺には刺激が足らないようだ……おい、待ち受けにするのはやめろ」
海里の携帯を見れば、白馬に跨る俺が待ち受けになっている。それを誰かに見せてからかうつもりか。
「消せ」
「やだ」
「くっ。あとで海里の変な写真を撮ってやるんだからな」
「どうぞ」
けろっと返事しやがって。
恥ずかしいベストショットを撮って、それと引きかえに待ち受けを変更させてやる。
内なる闘志を燃やしていると、海里の腹が空腹を知らせてきた。
時刻は十三時半すぎ。
昼飯を忘れないうちに、俺たちはフードコートに向かった。
フードコート内は満席だが、食べ終わっている客の姿がちらほらいる。
「何食べる?」
「んー?」
俺は看板のメニューに目をやる。目新しいものはなく、ハンバーガーやチュロスなど大衆向けのどこにでもありそうな食べ物ばかりだ。
「ロコモコ丼かな」
「あぁ、俺も」
消去法で、一番腹に溜まりそうなものを選ぶと、同じ食べ物になる。
その後、スムーズに席が空き、食事も大して待つことはなかった。ただ、出てきた商品は、メニュー表に載っていた写真とは別物のように違った。
ソースはほぼなく、卵は焦げて固焼き。
とろけた黄身をソースに絡ませて食べるのが、ロコモコ丼の醍(だい)醐(ご)味(み)だと思っていた。正直、がっかり感は否めないが、味さえよければ……。
先に一口を頬張った海里は、眉間に見たことないほど深いシワを作った。
「チルド感が凄い」
そのひとことで、ある程度の味は想像出来る。だが、それ以上だった。
「これは。……非常に、……うん、味のコメントしづらい」
まずい。それ以前に肉を使用しているのかも怪しい塊(かたまり)だった。ぎっしり固い。ちょっと臭い。
悲壮感を帯びた空気が、その場を包む。
「ん、んん……」
「う、ん」
残してもよかったが、どうも互いに食べ切るモードに入ってしまった。
日本米ではない長細い形状の米が唯一食べられる味なので、それを交互に食べる作戦でどうにか平らげた。
「出るか……」
「うん」
互いにしかめっ面をしながら、その場を離れ、自販機へ向かった。
フードコートの席が早めに空いたのは、みんな食べたあとゆっくりしたい気分ではなかったのかもしれない。
ベンチに座って、口直しのコーラを口に含んだとき、海里がぼそりと呟いた。
「あれ、食べてもいいやつだった……?」
その不安げな声に笑いが込み上げてきて、飲んでいたコーラを吹き出しそうになる。
必死に手で口元を押さえて、堪えた。
「くっ、ふ、吹き出すところだっただろ! なんで、そんな子犬みたいな声を上げるんだよ」
「チルド系って、麺系の進化は著(いちじる)しいのに」
「それは分かる。コンビニの担々麵、うまいよ」
「何それ、俺はまだ知らない」
「じゃ、今日の帰りに教えてやるよ」
会話のテンポのよさに、口角が自然に上がる。遊園地に来るまでの憂(ゆう)鬱(うつ)さはすっかり消えていた。
「もうちょっと腹が落ち着かないと、乗り物は乗れないな。どうする――」
ちょん、と海里の小指が俺の小指に当たった。
え。となったのは、小指はわずかに重なり合って、くるりと絡ませてきたからだ。
「……海里?」
ちらりと横目で海里を見ると、緊張した面持ちをしていた。
背筋がひんやりとする。
俺はそんな海里が見たくなくて、すぐに視線を外した。自分の方へ手を引こうとしたら、ぎゅっと海里に掴まれる。
胸のざわつきを誤魔化そうとして、俺は大袈裟なほど明るい声を出した。
「はははっ、なんだよ? 手なんか繋いじゃってさあ! ほら、もうコーラ飲んじゃったし、腹ごなしに迷路でも行こうよ!」
「それより、聞いて欲しいことがある」
「い、今じゃなくてもいいじゃん……」
「今がいい」
どうしてか、遊園地の喧(けん)噪(そう)が遠くの方に感じられ、海里の強張った声がやたら大きく聞こえた。
視線を横に戻すと、海里は真っすぐに俺を見ている。さっきまでのふざけた雰囲気はどこかに消えてしまっていた。
やめろよ。
――って喉から声が出そうで、ゆっくり唾(だ)液(えき)を飲み込んだ。
海里は緊張した面持ちで言った。
「七海、好きだ」
「……それは」
「冗談じゃない。ふざけてばかりいたからちゃんと伝わっていなかったと思うけど、恋愛感情としてだ。俺は七海が好きなんだ」
はっきりと言い切る言葉に、もう自分の中でも誤魔化しようがなかった。
前に『付き合ってよ』と言われてから、海里が俺のことを恋愛対象として見ているんじゃないかと思うことはあった。
でも、そうじゃないんだって思おうとした。
時間が巻き戻せるなら、今日の遊園地は断った。
聞かれたら、答えるしかないから。
なんで、海里は変わっちゃったのだろう。
なんで、親友のままでいてくれないのだろう。
俺はこんなに海里と普通でいたいのに。飯食べて、笑って、勉強して、何気ない話をするのが、楽しい。なんで、それだけでいられないのだろう。未知な関係を求めてくるのだろう。
考えないようにしてきた分、一気に感情が押し寄せてきた。
「ごめん」
「…………」
「俺、いつか恋愛するなら女の子だと思ってる。男にドキドキしたことが一度もないんだ。……海里のこともそういう風に見たことはない。だから、ごめん」
やたらと自分の声が冷たく感じた。
言った端から、後悔に似た嫌な気分が込み上げてくる。
海里の瞳が、潤ってから揺れる。口元は一度笑ったように上がったけれど、上がり切る前に震えて、歪(ゆが)んだ。
傷つけた。
「そ……っ」
「……ぁ」
「そう、か……」
海里は目元を腕で拭ったが、頬が涙で濡れ始める。腕で目を隠したまま、ずずっ……と鼻水を啜り「わか、った」と言った。
俺は呆然と、ショックを受けた。朗(ほが)らかで優しくて、頼りになる男なのに。
――そんな風に泣いちゃうのかよ……。
なんて声をかけていいのか分からなくて、泣いている海里を見つめる。
顔を隠しているけれど、顎に涙が何度も伝う。ぽと、ぽと、とズボンに雫(しずく)が落ちて、シミを作る。
震えるその背中に手を伸ばそうとしたら……。
「なな、み……情けないけど……涙が止まらないから……」
涙で濡れた声で海里が言った。
どうして欲しいかは、すべてを聞かずとも分かった。
「……帰るね」
それだけ伝えて、俺はベンチから立ち上がった。
フッた奴が近くにいると嫌だろう。離れてやらないとと思うのに、海里に背を向けた瞬間、乗り物酔いしたみたいに、視界が大きく揺れた。
頭の中も掻きまわされたみたいにぐちゃぐちゃっとなって、自分が何をしているのか、したいのか、分からない。
もう――今まで通りではいられないのかな。
今だけじゃない、ずっと前からその考えだけは強く頭にあって、それが現実になっていく不安で胸が押しつぶされそうで、立ち尽くしたまま、足が進まない。
サイレンのように心臓の音が強く打つ。
振り返ると、海里はまだ顔を腕で押さえて、泣いていた。
「…………」
俺は振り返って、何をしたかったのだろう。
泣かせているのは、自分なのに。
どんな言葉も無神経すぎて言えやしない。見ているのも罪な気がして、俺は重い足を前に出した。
ゲートを出て、駅へ。
海里と離れていくにつれ、目の奥が熱くなってきて、涙が溢(あふ)れそうになる。
駅の五番ホーム。俺はひとりうずくまって唇を噛みしめた。
「……っ」
――俺、世界で一番大事な奴を失ったかもしれない。


