ここから先は幼なじみ以上です

 月曜の朝はだるさしかない。
 月曜と火曜の朝は、他の曜日に比べて重力が二倍あるに違いない。
 さらに今日は肌寒くて、猫背気味になる。
「おはよう、花栗くん」
 校門前の三(さん)叉(さ)路(ろ)で、斜め横から来た姫野が手を振り、小走りで近づいてきた。
「おはよう。土曜は店に来てくれてありがとうな」
「いい店を見つけたってお姉ちゃんも言ってたよ。あれ、皇くんは? いつもなら一緒に登校しているよね?」
「あぁ、海里は部活の試合前で朝練あるから」
「そっか。ごめんね」
「なんで、謝るの?」
「だって、また花栗くんに皇くんのこと聞いちゃった! 昨日、皇くんに釘(くぎ)を刺されたのに無神経だよね。あー、私ってなんでこうなんだろう」
 姫野は自分に腹を立てているみたいに、唇を噛んで顔に力を入れた。
 よっぽど、海里に睨まれたのがショックなんだろう。
「それに、セットにされちゃう花栗くんの気持ちも複雑だよね」
「俺?」
「うん」
 俺は間髪入れず「全然」と答えた。
「海里とセットにされるのは嫌じゃないよ。むしろ嬉しい。嫌なら一緒にいないでしょ」
「そっか」
「うん。だから、大事な奴の情報を聞かれても、俺からは出せないってわけ」
「……へぇ」
 姫野は俺の顔をまじまじと見つめてきた。
 女子に見つめられることなどないので、ちょっと後ずさる。
「何?」
「花栗くんの周りって存在感ある人ばかりだから気づかなかったけど、君って凄く感じがいいね!」
「え?」
 周囲の存在感……あぁ、賑やかトリオと海里か。確かに俺の周りにいる奴は、色々な意味で目立つ。
 なるほど。俺はほぼ、陰ってわけね。褒められているのになんだか複雑。
 苦笑いしていると、姫野は俺の前に手を出した。
「ん?」
「女子会の件、花栗くんとこのお店に決まりそう」
「……あれ本気だったの?」
「大本気! お客さんが少ない時間に予約させて!」
 予約に握手は要らないが、その場の雰囲気に流されて、姫野と握手をした。

「見いちゃったあ、見いちゃったあ~」
 六限目は男女別の体育だ。女子は新体操、男子はバスケ。
 海里と共に校舎を出て渡り廊下を歩いていると、杉本が俺たちの周りをくるりとターンしながら歌う。あまりのうざったさに立ち止まった。
「なんだよ? 先生に言われるようなことしてないけど」
「俺、見ちゃったあ」
「だから、何を?」
 杉本はだらしない笑みを浮かべる。それを見た海里は俺の腕を引っ張って、歩き出す。
「七海。杉本のことだから、くだらないと思う」
「だよね」
 くだらないと言われた杉本は、背後から俺の身体に抱きついてきた。
「やだぁ、けちぃ。いいじゃん、聞いてくれよぉ」
「うわ、涙目じゃん」
「七海から、離れて」
 海里は杉本の身体を片手で引き離す。
 だが、悲しみに打ちひしがれている様子の杉本を無視することは出来ない。もう一度立ち止まると、杉本はてへっと舌を出して笑みを作る。涙目は演技だったのか。
「朝っぱらから花栗が姫野とイチャついているところ、見ちゃった」
「……あぁ、なんだ」
 恐らく登校中の出来事を指しているのだろう。
 あんな些(さ)細(さい)な会話も杉本からすれば、〝イチャついている〟風に見えるんだなと思っていたら、後ろから、大木と園村がやってきた。
「何? 楽しい話題?」
「ふむ。花栗に春がやってきた」
「なんとお母ちゃん系男子の花栗くんに春が!」
 大木も、にやりとした。杉本とノリが似ているせいか、笑顔まで似て見える。園村はやや後ろで、眼鏡をくいっと指で上げている。
「全然違う」
 ろくでもない噂を早めに鎮静するために、すぐに否定した。
「女子会をうちの店でやりたいって相談されただけ。俺は営業だと愛想よくしちゃうんだよ。店の予約をしてくれた姫野に迷惑になるようなことはやめろ。以上」
 きっぱり言い切ると、杉本たちは面白い話題をなくし、肩を落とした。
 俺は海里に目配せをして、体育館へと歩を進める。
 館内は、既に集まった生徒がバスケットボールを出して、各々遊んでいた。授業中よりもいきいきとしている。
「俺たちもやる?」
 声をかけながら隣を向くと、海里も同時に俺の方へ顔を近づけていた。
 互いの前髪が触れ合い、海里の吐息が肌に伝わる至近距離。
「――う、ぉ……」
「姫野さんと、本当に何もない?」
「へ? あぁ……ていうか」
 キス、しちゃうかと思った。
 間(ま)近(ぢか)すぎてピントが合っていなかったけれど、次第に目が慣れてくる。
 黒々とした瞳には、びっくりしている俺が映っていた。
「俺以外にモテるなよ」
「え?」
 とても小さい声。
 あまりに弱々しい声で、別人が言ったみたいだ。
 海里の表情は酷く強(こわ)張(ば)って、瞳はゆらゆらしている。
 ……どういう意味? なんで、そんなに不安そうにしているんだ?
「海里?」
 名を呼ぶと、海里は俺の背中に手を回した。具合が悪いときみたいに、その頭は項(うな)垂(だ)れている。
「どうした? しんどいのか……」
 心配して顔を覗き込もうとしたら、突然、海里は抱きしめる腕の力を強めた。
「──ぐうえあっ!」
「あ~~、やだやだやだ」
 抱きしめたまま、海里は身体を左右に揺らす。駄々っ子みたいな動きだ。
「やだやだやだ……」
「うぐっ、やだはこっちの方だろ!」
 抵抗すると、海里の手が俺の後頭部に回った。
 何をするつもりだ……と思っていたら、その分厚い胸に顔を押し込まれた。
 ぶほっ!
 ギブギブと腕を叩いていると、後ろから来たトリオが「あー」と叫んだ。その瞬間、腕が若干緩んだので、俺は胸から顔を上げることが出来た。
「見ぃちゃった! 花栗と皇がイチャついている!」
「ふむ。言い逃れられないほど、公開イチャだな」
「公開イチャ……なんて卑(ひ)猥(わい)な」
 ひゅーひゅーっと古めかしいひやかしをしながら、トリオは俺たちを囲む。
 卑猥でもなんでもない状況で興奮出来るなんて、娯楽に飢えすぎだろう。
 でも、騒ぐトリオのおかげで一気に空気が変わり、冷静になってきた。
 もういいだろう、と顔を上げたら真顔の海里がいる。
「もっと言ってくれ」
「えぇぇ、まだ続ける気かよ」
 まだまだ海里はふざけ足りないのか、トリオに見せつけるかのように俺の頭に頬ずりする。
「俺も七海と噂になりたい」
「うわ、皇が嫉妬してる!」
「嫉妬しすぎて気持ち悪くなってきた。俺の方が遥かに七海と仲いいし、四歳から好きだし、料理食べさせてもらっているし、将来貢ぐ約束だってしてるし、今週デートするし、俺の方が絶対イチャイチャしている自信がある」
「うわっ、激重!」
「海里、……おい、視線が集まってるから」
 トリオと海里が騒ぐので、周囲のクラスメイトたちもこちらを向き始めた。これは悪目立ちがすぎる。
 いい加減に離せと、海里の腕を掴み剥がそうとするが、全然剥がれない。分厚い胸を両手で押しても、びくともしない。
「ぐぬ……ぬぬぬ……く、この馬鹿力っ! ゴリラじゃねぇか!」
「ゴリラじゃない。海里」
「分かっとるわ!」
 いつものノリツッコミで場が湧いていると、授業が始まるチャイムが鳴る。
 同時に入って来た体育教師が海里に注意をし、ようやく俺は解放された。

「あー、だる」
 さっきまで海里に抱きしめられていた腕を大きく回した。
 馬鹿力なので、まだ抱きしめられている感触が身体に残っているようだ。
「花栗と皇って四歳から仲がいいの?」
 俺の隣で園村が、隣で足首を回しながら聞いてきた。あぁ、さっき海里が四歳からって言っていたからか。
「年中からの仲だよ」
「どうりで。お前たち、やたら距離感バグってるもんなぁ」
「普通だろ」
 俺の返答に園村はふっと笑った。そしては足元に用意していたボールを手に持つ。俺もストレッチを切り上げて、園村と向かい合わせとなった。
 俺と園村は同じチームだ。まずペアでドリブルやパスなどの基礎練習。試合は後半だ。
 隣で練習する奴はバスケ部で、手に吸い付くような華麗なドリブルをしている。横目でそれを見ながら、俺は目の前にいる園村にパスをした。
 受け取った園村はすぐにまた俺にパスする。何やってんだ。ドリブルして進めよ。
「なぁ、花栗」
 ダンという音が、話の合間に加わる。
「何?」
「実のところ、俺は皇の気持ちが分かる」
「突然何を言い出すんだよ。海里の気持ち?」
 園村の眼鏡が光に反射して、奥の目が見えない。見えたとしても表情からは何考えているか読めない奴だ。
 俺は視線をバスケットゴール付近へと向ける。
 活発な動きを見せるコート内では、海里がいるチームは先に試合を始めていた。海里は運動神経がいいから、どんな競技をしても人並み以上に出来る。その真剣な目はゴールだけを見つめていた。
 今、海里が考えていること……?
「この位置からのシュートなら絶対に決める!とか?」
 あ。海里の放ったボールが、ぽすっとゴールに入った。
「すげぇ……俺、海里の考えていること読めたかも」
「いや、真面目な話」
 ツッコまれた。そのあいだにドリブルしていたボールも園村に奪われる。
 重心の低いドリブルで、意外にも格好いいフォームだ。
 俺がボールを取りに手を伸ばしても届かない。悔しいので、反対側の手をすぐに伸ばす。園村は素早く身体をひねって軽々とかわした。
 嘘だろう、全然ボールに触れない。そのことに驚いていると、園村は「真面目な話をするけど」と言葉を繰り返した。
「何?」
「デートに行くんだろう? 遊園地だっけ?」
「あぁ、うん」
「応えてあげないのか?」
「ん?」
 俺はボールから視線を上げると、園村の眼鏡の奥にある細目と視線が合った。
 大抵いつも笑顔で弧を描いている細目は、今は鋭く尖っていた。何に対して言っているのか、含みすぎてよく分からない。
「それとも応えたくないの? お前だって薄々気づいているんじゃないか?」
 答えたくないって? 気づいているって?
 ダン、ダン、ダン……地面を跳ねるボールがリズムを刻む。
 その音がやたら鈍く大きく心臓に響く。靄(もや)がかかったところにある核心を突かれたような気がした。
 冷や汗が額を伝ったとき――体育館内に大きな振動が広がった。
 びっくりして振り返ると、海里がゴールにぶら下がっている。
「うわ。えげつない。やっぱりゴリラじゃん……」
 園村の言葉に俺も頷く。
 バスケ部でもない海里がダンクを決めて、周囲はどよめき立っていた。
 注目が集まる中、海里はすぐにボールを受け取り、速攻を仕掛ける。相手チームの奴が、両手を広げ行く手を阻(はば)むも、海里は止まらない。右へ左へスライドステップしたあと、いとも簡単に抜き去る。
 もう一本決めそうなところで、ピーッと試合終了の笛が響き渡った。
「ほら──」
 園村が俺の背を軽く叩いた。
「行こう。次、俺らの試合だろ」
「え、あぁ……」
 迫力ある試合の余(よ)韻(いん)を引きずりつつも、気を取り直してコート内に整列する。同じチームの大木と軽く頷き合い、試合開始の合図を待つ。
 そして──笛が鳴ると、まず相手チームの手にボールが渡り、素早く一本を奪われた。
「どんまい、次いこー」
 ボールを手にした園村は軽く言いながら、コート内を見渡す。すると──キレのある動きで、一気に一本を決める。練習とは別人みたいだ……。
 さらに、園村のパス回しのセンスは抜群だった。
 ゴール下を守るディフェンダーが突進してくる中、園村は冷静に状況を見極め、斜め後ろにいた大木にパスを送る。
 大木はあわあわと困って、すぐに園村にボールを戻した。
 園村はそんな大木の動きを読んでいて、シュートに適したポジションへと移動していた。ディフェンダーの手が迫る中、まるでお手本みたいな美しいシュートを決める。
「おぉ……」
 俺が感嘆の声を上げた横で、大木は歓喜して園村の背にびょんと飛びついた。

「ふたりともバケモノ級だよ……」
 授業を終えたあと、自然といつもの五人が集まって、ふたりの健闘を讃(たた)えた。
「俺の実力は大したことないよ。同チームにパス回しの上手いバスケ部がいたおかげ」
 海里は照れもなくさらりと答えた。
 相変わらず、海里は自分のことに対しての受け答えがあっさりとしている。
「俺は園村のバスケの上手さに驚いたよ。帰宅部なのにな」
「俺も」
 俺たちが園村を褒めると、なぜか大木が威(い)張(ば)る。
「そうだろ。園村は中学のとき、バスケ部のエースだったんだから!」
「園村ってノリはいいのに、妙に秘密主義だからね~」
「今でも何考えているのか全然分かんない」
 ははは、と笑う杉本と大木。
 園村は笑みを浮かべて、眼鏡を指で上げる。その細目と視線がばちりと合ったとき――海里に教室に戻ろうと肩を叩かれた。
 教室に続く階段をのぼりながら、前を歩く大きな背を見つめる。
 それが突然振り返るので、肩が跳ねるほど驚いた。
「ん?」
「いや……なんでもない」
「そ? ところで今日の夜さ、七海ン家に寄ってもいい?」
「うん」
「土曜のことを話そう」
「…………」
 俺は下を向いた。
 土曜、ふたりっきりで遊園地へ行く。
『応えたくないの?』
 応えたくない?
 園村の問いかけがぐるぐると頭の中で回っている。
 ある考えが浮かんだとき、大きな嵐が起きて、遊園地が休園になることを願ってしまった。