朝一番の全校集会で、校長先生は長々と話をする。面識のない有名人の話をされても、共感が出来ず退屈だ。
あくびを耐えていると、目に涙が溜まってきた。
「おい、磯辺先生だ」
「そっか、今日、挨拶するんだ」
前の生徒が声をかけ合っているのを聞いていると、磯辺先生が壇上に上がった。
先生は腰までの長い髪の毛をひとまとめにし、普段着ないようなきっちりとしたベージュのスーツを着込んでいる。
「皆さん、おはようございます」
柔らかくふんわりした声が、講堂に響いた。
磯辺先生は大学卒業してからずっと教師一本で、結婚を機に教師を辞める。そして遥か遠くのアメリカへ引っ越すのだそう。
……それって、ただただ、凄い。
異国に住むなんて、俺には想像もつかない。
将来的には店を継ぐつもりだし、多分、この町を離れることはないだろう。
海里も「一生、七海の作ったご飯を食べたい」とか言っているから、客には困らない。
自分の未来を考えても、不満はない気がする。
俺って保守的なのかと考えていると、ずず……とスピーカー越しに、微かに鼻を啜(すす)る音が聞こえてきた。
よく見ると、先生の目には涙が浮かんでいる。それでも、堂々として、はきはきと言葉を続けていた。
そして、大きな拍手に包まれる中、先生はゆっくりと壇上を降りていった。
うん──と、大木と園村と杉本は、目配せをして頷き合う。それを見てクラスメイト同士でも頷き合った。
本日、一週間前から練っていたパーティーの実行日だ。
準備も滞りなく予定通りに実行に移すと、トリオから連絡が入っていた。
そして放課後になるや、すべての席を後ろに移動させ、裏方の奴らが作った看板を教室の壁に設置する。
その名も――、凄くいいね、パーティー。
パーティーネーミングのセンスのなさ。
名付けた奴も大概だけど、それをヨシとするクラスメイトもどうかと思う。このクラスは適当な奴とおふざけ系が集まったようだ。
「――え!? 凄くいいね!?」
ほら、教室に入ってきた磯辺先生も、なんのパーティーか分からず、目を見開いている。
「お待ちしておりました、我らの先生」
園村が気(き)障(ざ)っぽい仕草で、磯辺先生を教室の真ん中に用意した椅子に誘導する。その椅子にはキラキラとしたパーティーグッズの装飾があしらわれていて華やかだ。
磯辺先生はそわそわした様子で、そこに腰をかけた。
「日頃の感謝の気持ちを込めて、先生の門出をお祝いさせていただきます。ひとときのあいだ、お楽しみください」
「では早速、始めてまいりましょう」
「出席番号六番、榎(えの)本(もと)による、青里高校全教員のものまねです」
司会は大木と杉本――ふたりの大(おお)雑(ざっ)把(ぱ)な進行で、個々による出し物が始まった。
漫才をしたり、楽器演奏をしたり、磯辺先生への愛を叫んだり。各々が一週間で出来る思いつくことを片っ端から披露していく。なかなかにクオリティの高いものも中にはあって、その場が沸く。
手芸の得意な女子は、フラダンスのときに着ける首飾り(レイアイという名称らしい)を作り、先生の首元を華やかに飾った。
ちなみに俺は複数人で組体操をした。ピラミッドを作って、一斉に「ヤー!」と声を張り上げる。
「先生、ありがとうねー!」
「海外へ行っても元気でいてねー!」
その一時間は、磯辺先生を泣かせるのに十分な時間だった。号泣し、嗚(お)咽(えつ)を漏らして何を言っているのか分からなかったほどだ。杉本ももらい泣きしている。
「先生……っ、夫と海外行っても、忘れないからねぇ」
その様子は本当に幸せそうで、俺たち、特に女子は胸を熱くさせ――恋をしたいブームとなった。
「私、皇くんのことが好きなの! 付き合ってください」
次の日の放課後、渡り廊下で、海里は女子に告白されていた。
その子だけじゃなくて、海里の下駄箱にはラブレターと思われる手紙が複数入っていた。なぜか他クラスや上級生にまで告白されている。
海里がモテるのは当たり前のこと。餃子にニラが入るくらい当然のことで、何も驚かない。
爽やかで頼りがいもあるし、整った顔立ちは幼なじみの俺ですら格好いいと思うほどだ。これでモテない方がおかしい。
俺には慣れた光景だが、高校で知り合った奴らはそうじゃなかった。
「いい気になるんじゃあないぞ」
告白ラッシュは三日間続き、ついに大木と杉本が唇を噛んで絡んできたのだ。園村はその後ろの席でニヤニヤしている。
「皇よぉ、少しイケメンだからって、調子に乗られちゃあ困るぜ」
「誰にだって人生で二度モテ期あるんだからな」
「実にその通りだ。皇はモテ期を使ったので、あと一度しか使えましぇん。まだ我々には二度あるので、これからの人生たっぷり楽しめますぅ」
うぜぇな。
ツッコんでやろうと思ったけど、杉本は半泣きなのでやめた。こいつ、本当に悔しがっている……。
「ふーん、これがモテ期ねぇ」
海里はふたりのいじりに首を傾げる。
「うっわ。全然喜んでない。この余裕がモテる要因か!?」
「いや、余裕とかじゃなくてさ。好きな人以外に好かれても、反応が難しいじゃん。じゃ、ふたりに聞くけど、好きでもない人に告白されてどう返事すればいいんだよ?」
「え」
ふたりにとって、それは思わぬ質問だったのだろう。
暫(しばら)くの沈黙のあと、もごもごと言い始めた。
「……それを我々に聞くとは怠(たい)惰(だ)だと思うぞ」
「そ、そうだ。己が導き出した答えで返事をするのが誠意だと思わぬのか」
海里が目を細め、冷めた様子でふたりを見た。追い詰めてやるなよ。
「ふーん」
ふたりの絡みに面倒くさくなった海里は、手に持っていた雑誌に目を向ける。
大木は微妙な雰囲気を誤(ご)魔(ま)化(か)すように、俺に話を振った。
「花栗はさ、どうなんだよ!?」
「どうって?」
「浮いた話ないよな? 恋愛興味ない系?」
「えっ、普通に興味あるけど」
今までピンとこなかったのは、中学では部活動に入ることが必須だったし、家の手伝いやらと相まって、恋愛する暇がなかっただけ。
恋愛に興味ない系にされるのはごめんこうむりたい。
「俺だって、モテたい」
慌てて付け足すと、すかさず海里が雑誌を読みながら言う。
「俺にモテてるだろ」
「えぇ、マッチョやだよ。俺、もっとスレンダーな感じがいい~」
反射的にそう言うと、今まで黙っていた園村は、ふっと笑う。
「皇、フラれてんじゃん。可哀想に」
その言葉に海里の肩がピクリと動いて、雑誌を閉じて机に置いた。
「…………」
無言で海里が俺を見る。
「ん?」
「…………」
「なんだよ?」
聞いているのに、海里は何も言わず、眉間にシワを寄せる。
不機嫌そうな海里の顔を見つめること数十秒。返事を待ったが、先に休憩終了のベルが鳴った。
「次の授業は英語かあ。あのネイティブ発音が子守歌に聞こえそう」
「あー俺も」
大木は海里の隣の席へ。そして他のふたりは離れた各々の席に戻る。俺も自分の席に戻ろうと立ち上がった瞬間、海里がぽつりと声を漏らす。
「簡単にフるなよ」
「…………」
「傷つくだろ」
振り返ると、唇を尖(とが)らせている拗(す)ねた顔があったので、咄(とっ)嗟(さ)に手が伸びた。わしゃわしゃと海里の頭を撫でくりまわす。
「わはは。なんだよ。そんなに俺とじゃれつきたいか、可愛い奴め」
俺は笑ったが、海里は不満げな表情のままだった。
……ん?
冗談だよな?
疑問が浮かんだとき、教室に近づいてくる足音が聞こえてきた。
慌てて自分の席に戻り、着席した途端、イギリス人の中年英語教師が教室に入ってくる。
「寝るなよ」
隣の席にいる園村が俺の方を向いて、口角を上げた。
「起こしてくれ」
俺もにやりと笑った。そのあと、窓際の席にいる海里に目をやる。
海里はもう拗ねた表情をしていなくて、気(け)怠(だる)そうに前を向いていた。
――さっき、何が言いたかったんだ?
どうも釈然とせず、授業後に海里の席へ向かった。けど、あまりにも海里がけろっとしているので、言葉を呑み込んでしまった。
蒸し返すほどの話題じゃない。でも、小骨が喉(のど)に引っ掛かって取れないような違和感があった。
帰宅したあとも、次の日も残って消えることはなかった。
けど、その違和感は、膨らむことはなかった。
「皇、デートしてたってよ」
その翌週、海里に恋人が出来たという噂が流れたのだ。
◇
「花栗。俺の日曜の話を聞いてくれないか?」
──放課後、俺は杉本のウザがらみに付き合わされていた。俺の席の隣に座るのは、大木と園村。海里は部活で不在。
しぶしぶ俺が頷くと、杉本はとつとつと語り始めた。
十月五日、晴れ。
その日は、雲ひとつない秋晴れで、外に出かけたくなるような気候だった。
杉本は財布ひとつ持って、最寄り駅である上(うえ)本(ほん)町(まち)駅から三駅先にあるショッピングモールへ足を運んだ。好きな洋服のテナントは、近辺ではそこにしか入っていない。
日曜日とあって、モール内はそこそこ賑わっていた。ヒーローショーが開催されるようで、特に子連れ客が多く目立つ。
杉本は目的の店でTシャツを一枚購入し、映画館前を通った。
人気作の映画が上映されるとあって、チケット売り場には長蛇の列が出来ている。
そこに絵に描いたような美男美女カップルがいた。杉本は映画を観るつもりはなかったが、思わず立ち止まった。
八頭身でイケメンの男と、ショートボブでややつり目な可愛い系の女子。
女子はめまぐるしく表情が変わり、瞳をキラキラとさせて男を見つめている。仲(なか)睦(むつ)まじく喋るふたりの手にはお揃いのチョコレートアイスが握られていた。
「――で? それが海里だったと?」
「あぁ、どこからどう見てもお似合いのカップルだったぞ」
「……ふぅん?」
俺は机に肘(ひじ)をつきながら、相槌を打つ。
その横には、大木と園村の姿がある。海里は部活で不在。
教室には俺たちのほかにも、まばらに生徒たちが残っていた。話に聞き耳を立てていた女子は、ショックを受けたようで──あ。今、ひとりの女子が肩を落としながら、教室を出ていった。
「花栗は知ってた?」
「いや。初耳」
日曜日、俺は店の手伝いをしていた。
その夜に海里が俺の部屋にやってきて、宿題を一緒にした。ついでと言わんばかりに泊まっていったが、そんな話は聞いていない。
そういえば、海里とは恋バナをしたことがなかった。海里がどんな子がタイプかなんてさっぱり知らない。
むしろ、海里は俺のこと好きかも――なんて、この前からちょこっとだけ思っていた。
冗談を真に受けそうになっていたってこと? 俺って恥ずかしい奴だ。
自分のイタさに唸(うな)りそう。込み上げてくる羞恥心に耐えるよう腕を組んでいると、園村が口を開いた。
「花栗は、皇に恋人が出来たこと、何も思っていないの?」
「親友に先を越されたこと? 別になんとも思ってないよ。そこまで切羽詰まってないもん」
「へぇ……」
園村は眼鏡を指でくいっとする。
その横で、大木が俺に願いごとをするみたいに、両手を胸の前にぎゅっと握り、上目遣いでまばたきをする。ぶりっこしているその表情が気持ち悪い。
鳥肌が立った腕を撫でながら、話を進めた。
「……一応、聞いてやるけど」
「杉本曰(いわ)く、皇と一緒にいた女の子は滅茶苦茶可愛かったそうだ。な!?」
「あぁ、犬か猫かでいうと、猫っぽいな」
可愛い女子が俺とどう関係しているのか、話の流れが見えない。
「可愛い女子の周りには、可愛い子が集まるって言うだろう」
「そうか?」
「そうだって! だから、皇に合コンを開いてって頼んでくれよ!」
頼み込んだのは大木だが、横にいる杉本も期待の眼差しで俺を見つめる。
まさか合コンの頼みとは思わず、げっと顔をしかめた。
「えぇ……。自分で頼めよ。なんで、俺なんだよ」
「俺たちじゃあ、駄目なんだって!」
「花栗が本気で頼んで、皇が断る姿が想像出来ねぇよ。俺たちが頼むより絶対効果的だって!」
頼む!とぎゅうぎゅうと手を握られて頼まれれば、早く手を放して欲しさに頷くほかない。
「……一応、海里に話しておいてやる」
「本当か!」
「あぁ、話すだけなら」
早く手を放せと言おうとしたら、大木と杉本両方に抱きつかれてしまった。園村はいつものにやり顔。何を考えているのか分からない。
「──というわけだ。合コン開催して欲しいんだって。メンバーは大木、杉本、園村、それから他クラスの奴とで合計四人」
その日の夕方、俺は海里をうちに呼び出した。
来て早々、海里の腹の虫が叫んでいるのが不(ふ)憫(びん)で、モヤシ炒めと炒飯を作った。料理を差し出しながら、学校でふたりに頼まれたことをそのまま伝える。
「俺も合コンメンバーに加えられそうだったけど、イマイチ興味がなくてさ。断ったんだよね。まぁ、返事だけしてやって」
海里はモヤシ炒めを頬張ろうと開けた口で「は?」と言った。まぁ、分からなくはない。俺も同じ反応だった。
「だからさ、大木たちがさ……」
「一緒に映画を観に行った女子だけど、それ……」
「ただいま~。あぁ、練習が長引いちゃった。おなか減ったよ~。お兄ちゃん、今日の夕ご飯、なにぃ?」
帰ってきた千香が声を上げながら、ダイニングルームに真っすぐ駆け寄ってきた。
千香がいる中学では、十月の後半に音楽祭が開催される。中学校最後の年となる千香のクラスは、合唱に力を注いでいるのだそうだ。放課後を使って毎日のように練習している。
「お前は帰ってくるなり、うるさいな」
千香は俺の文句を無視して、海里に微笑む。
「あ。海里くん、いたんだ。日曜日、ありがとうね」
「どういたしまして」
――ん? 日曜日?
俺は、千香の分の炒飯をテーブルに置きながら、ふたりの顔を交互に見た。
ショートボブでややつり目の女子って、まさか……。
「もしかして、お前たち、日曜日に映画館へ行った? ショッピングモールでチョコアイスを食べた?」
「うん。何? 海里くんから聞いたの?」
「いや。海里から聞いたわけじゃないけど……」
「ちいちゃん、うちのクラスの奴がさ」
海里は、日曜日に一緒に映画館へ行ったところを、杉本に目撃されていたこと、それから、千香と仲いい女子たちと合コンを開いて欲しいと頼まれていることを話した。
「あっははっ、何それ。私、中学生だよ!?」
「中学生をそういう目で見る不届き者は、俺が厳重に注意しておくから、安心してね」
「海里くん、格好いい。頼りになる!」
どうやら、すべては杉本の勘違いだったようだ。
俺は物凄く馬鹿らしい気分になりながら、海里の隣の席に座って炒飯を頬張る。
「でも、ちいちゃんのことを可愛いって褒めていたみたいだよ。よかったね」
「えへ」
「変な輩(やから)には気をつけてね」
「あ、うん。……それでね、また今度も誘ってもいいかな?」
炒飯を咀(そ)嚼(しゃく)しながら、ふたりを見る。
海里を誘う千香は、初めて見る表情をしていた。
不安そうに揺れる目。断って欲しくない、というのが切に伝わるような真剣さだ。俺に対する傲(ごう)慢(まん)な態度はなりを潜めている。
「…………」
あれ……これ、すべてが勘違いか?
ふたりにはそう見えるような雰囲気があったから、杉本はデートだと迷わずに言ったのではないだろうか。
海里は?
「うん。部活ない日ならいつでも連絡して」
そうだった。昔っから、海里は千香に特別甘い。千香がすることならなんでも許しちゃうような奴だ。……まんざらでもないのか?
「ありがとう!」
千香はホッと息を吐き、安堵したようにはにかんで笑う。
ふたりの様子は通常通りとも思えるが、どこか秘密めいた雰囲気があり、はっと気がついた。
まさか、海里と千香は想い合っている?
「……っ」
全然考えたことがなかったから、動揺して、思わず箸を床に落としてしまった。
床に落とした箸を拾って顔を上げたら、ふたりが楽しそうに笑っている。
ほんの少し、疎外感めいたものを覚えた。
あくびを耐えていると、目に涙が溜まってきた。
「おい、磯辺先生だ」
「そっか、今日、挨拶するんだ」
前の生徒が声をかけ合っているのを聞いていると、磯辺先生が壇上に上がった。
先生は腰までの長い髪の毛をひとまとめにし、普段着ないようなきっちりとしたベージュのスーツを着込んでいる。
「皆さん、おはようございます」
柔らかくふんわりした声が、講堂に響いた。
磯辺先生は大学卒業してからずっと教師一本で、結婚を機に教師を辞める。そして遥か遠くのアメリカへ引っ越すのだそう。
……それって、ただただ、凄い。
異国に住むなんて、俺には想像もつかない。
将来的には店を継ぐつもりだし、多分、この町を離れることはないだろう。
海里も「一生、七海の作ったご飯を食べたい」とか言っているから、客には困らない。
自分の未来を考えても、不満はない気がする。
俺って保守的なのかと考えていると、ずず……とスピーカー越しに、微かに鼻を啜(すす)る音が聞こえてきた。
よく見ると、先生の目には涙が浮かんでいる。それでも、堂々として、はきはきと言葉を続けていた。
そして、大きな拍手に包まれる中、先生はゆっくりと壇上を降りていった。
うん──と、大木と園村と杉本は、目配せをして頷き合う。それを見てクラスメイト同士でも頷き合った。
本日、一週間前から練っていたパーティーの実行日だ。
準備も滞りなく予定通りに実行に移すと、トリオから連絡が入っていた。
そして放課後になるや、すべての席を後ろに移動させ、裏方の奴らが作った看板を教室の壁に設置する。
その名も――、凄くいいね、パーティー。
パーティーネーミングのセンスのなさ。
名付けた奴も大概だけど、それをヨシとするクラスメイトもどうかと思う。このクラスは適当な奴とおふざけ系が集まったようだ。
「――え!? 凄くいいね!?」
ほら、教室に入ってきた磯辺先生も、なんのパーティーか分からず、目を見開いている。
「お待ちしておりました、我らの先生」
園村が気(き)障(ざ)っぽい仕草で、磯辺先生を教室の真ん中に用意した椅子に誘導する。その椅子にはキラキラとしたパーティーグッズの装飾があしらわれていて華やかだ。
磯辺先生はそわそわした様子で、そこに腰をかけた。
「日頃の感謝の気持ちを込めて、先生の門出をお祝いさせていただきます。ひとときのあいだ、お楽しみください」
「では早速、始めてまいりましょう」
「出席番号六番、榎(えの)本(もと)による、青里高校全教員のものまねです」
司会は大木と杉本――ふたりの大(おお)雑(ざっ)把(ぱ)な進行で、個々による出し物が始まった。
漫才をしたり、楽器演奏をしたり、磯辺先生への愛を叫んだり。各々が一週間で出来る思いつくことを片っ端から披露していく。なかなかにクオリティの高いものも中にはあって、その場が沸く。
手芸の得意な女子は、フラダンスのときに着ける首飾り(レイアイという名称らしい)を作り、先生の首元を華やかに飾った。
ちなみに俺は複数人で組体操をした。ピラミッドを作って、一斉に「ヤー!」と声を張り上げる。
「先生、ありがとうねー!」
「海外へ行っても元気でいてねー!」
その一時間は、磯辺先生を泣かせるのに十分な時間だった。号泣し、嗚(お)咽(えつ)を漏らして何を言っているのか分からなかったほどだ。杉本ももらい泣きしている。
「先生……っ、夫と海外行っても、忘れないからねぇ」
その様子は本当に幸せそうで、俺たち、特に女子は胸を熱くさせ――恋をしたいブームとなった。
「私、皇くんのことが好きなの! 付き合ってください」
次の日の放課後、渡り廊下で、海里は女子に告白されていた。
その子だけじゃなくて、海里の下駄箱にはラブレターと思われる手紙が複数入っていた。なぜか他クラスや上級生にまで告白されている。
海里がモテるのは当たり前のこと。餃子にニラが入るくらい当然のことで、何も驚かない。
爽やかで頼りがいもあるし、整った顔立ちは幼なじみの俺ですら格好いいと思うほどだ。これでモテない方がおかしい。
俺には慣れた光景だが、高校で知り合った奴らはそうじゃなかった。
「いい気になるんじゃあないぞ」
告白ラッシュは三日間続き、ついに大木と杉本が唇を噛んで絡んできたのだ。園村はその後ろの席でニヤニヤしている。
「皇よぉ、少しイケメンだからって、調子に乗られちゃあ困るぜ」
「誰にだって人生で二度モテ期あるんだからな」
「実にその通りだ。皇はモテ期を使ったので、あと一度しか使えましぇん。まだ我々には二度あるので、これからの人生たっぷり楽しめますぅ」
うぜぇな。
ツッコんでやろうと思ったけど、杉本は半泣きなのでやめた。こいつ、本当に悔しがっている……。
「ふーん、これがモテ期ねぇ」
海里はふたりのいじりに首を傾げる。
「うっわ。全然喜んでない。この余裕がモテる要因か!?」
「いや、余裕とかじゃなくてさ。好きな人以外に好かれても、反応が難しいじゃん。じゃ、ふたりに聞くけど、好きでもない人に告白されてどう返事すればいいんだよ?」
「え」
ふたりにとって、それは思わぬ質問だったのだろう。
暫(しばら)くの沈黙のあと、もごもごと言い始めた。
「……それを我々に聞くとは怠(たい)惰(だ)だと思うぞ」
「そ、そうだ。己が導き出した答えで返事をするのが誠意だと思わぬのか」
海里が目を細め、冷めた様子でふたりを見た。追い詰めてやるなよ。
「ふーん」
ふたりの絡みに面倒くさくなった海里は、手に持っていた雑誌に目を向ける。
大木は微妙な雰囲気を誤(ご)魔(ま)化(か)すように、俺に話を振った。
「花栗はさ、どうなんだよ!?」
「どうって?」
「浮いた話ないよな? 恋愛興味ない系?」
「えっ、普通に興味あるけど」
今までピンとこなかったのは、中学では部活動に入ることが必須だったし、家の手伝いやらと相まって、恋愛する暇がなかっただけ。
恋愛に興味ない系にされるのはごめんこうむりたい。
「俺だって、モテたい」
慌てて付け足すと、すかさず海里が雑誌を読みながら言う。
「俺にモテてるだろ」
「えぇ、マッチョやだよ。俺、もっとスレンダーな感じがいい~」
反射的にそう言うと、今まで黙っていた園村は、ふっと笑う。
「皇、フラれてんじゃん。可哀想に」
その言葉に海里の肩がピクリと動いて、雑誌を閉じて机に置いた。
「…………」
無言で海里が俺を見る。
「ん?」
「…………」
「なんだよ?」
聞いているのに、海里は何も言わず、眉間にシワを寄せる。
不機嫌そうな海里の顔を見つめること数十秒。返事を待ったが、先に休憩終了のベルが鳴った。
「次の授業は英語かあ。あのネイティブ発音が子守歌に聞こえそう」
「あー俺も」
大木は海里の隣の席へ。そして他のふたりは離れた各々の席に戻る。俺も自分の席に戻ろうと立ち上がった瞬間、海里がぽつりと声を漏らす。
「簡単にフるなよ」
「…………」
「傷つくだろ」
振り返ると、唇を尖(とが)らせている拗(す)ねた顔があったので、咄(とっ)嗟(さ)に手が伸びた。わしゃわしゃと海里の頭を撫でくりまわす。
「わはは。なんだよ。そんなに俺とじゃれつきたいか、可愛い奴め」
俺は笑ったが、海里は不満げな表情のままだった。
……ん?
冗談だよな?
疑問が浮かんだとき、教室に近づいてくる足音が聞こえてきた。
慌てて自分の席に戻り、着席した途端、イギリス人の中年英語教師が教室に入ってくる。
「寝るなよ」
隣の席にいる園村が俺の方を向いて、口角を上げた。
「起こしてくれ」
俺もにやりと笑った。そのあと、窓際の席にいる海里に目をやる。
海里はもう拗ねた表情をしていなくて、気(け)怠(だる)そうに前を向いていた。
――さっき、何が言いたかったんだ?
どうも釈然とせず、授業後に海里の席へ向かった。けど、あまりにも海里がけろっとしているので、言葉を呑み込んでしまった。
蒸し返すほどの話題じゃない。でも、小骨が喉(のど)に引っ掛かって取れないような違和感があった。
帰宅したあとも、次の日も残って消えることはなかった。
けど、その違和感は、膨らむことはなかった。
「皇、デートしてたってよ」
その翌週、海里に恋人が出来たという噂が流れたのだ。
◇
「花栗。俺の日曜の話を聞いてくれないか?」
──放課後、俺は杉本のウザがらみに付き合わされていた。俺の席の隣に座るのは、大木と園村。海里は部活で不在。
しぶしぶ俺が頷くと、杉本はとつとつと語り始めた。
十月五日、晴れ。
その日は、雲ひとつない秋晴れで、外に出かけたくなるような気候だった。
杉本は財布ひとつ持って、最寄り駅である上(うえ)本(ほん)町(まち)駅から三駅先にあるショッピングモールへ足を運んだ。好きな洋服のテナントは、近辺ではそこにしか入っていない。
日曜日とあって、モール内はそこそこ賑わっていた。ヒーローショーが開催されるようで、特に子連れ客が多く目立つ。
杉本は目的の店でTシャツを一枚購入し、映画館前を通った。
人気作の映画が上映されるとあって、チケット売り場には長蛇の列が出来ている。
そこに絵に描いたような美男美女カップルがいた。杉本は映画を観るつもりはなかったが、思わず立ち止まった。
八頭身でイケメンの男と、ショートボブでややつり目な可愛い系の女子。
女子はめまぐるしく表情が変わり、瞳をキラキラとさせて男を見つめている。仲(なか)睦(むつ)まじく喋るふたりの手にはお揃いのチョコレートアイスが握られていた。
「――で? それが海里だったと?」
「あぁ、どこからどう見てもお似合いのカップルだったぞ」
「……ふぅん?」
俺は机に肘(ひじ)をつきながら、相槌を打つ。
その横には、大木と園村の姿がある。海里は部活で不在。
教室には俺たちのほかにも、まばらに生徒たちが残っていた。話に聞き耳を立てていた女子は、ショックを受けたようで──あ。今、ひとりの女子が肩を落としながら、教室を出ていった。
「花栗は知ってた?」
「いや。初耳」
日曜日、俺は店の手伝いをしていた。
その夜に海里が俺の部屋にやってきて、宿題を一緒にした。ついでと言わんばかりに泊まっていったが、そんな話は聞いていない。
そういえば、海里とは恋バナをしたことがなかった。海里がどんな子がタイプかなんてさっぱり知らない。
むしろ、海里は俺のこと好きかも――なんて、この前からちょこっとだけ思っていた。
冗談を真に受けそうになっていたってこと? 俺って恥ずかしい奴だ。
自分のイタさに唸(うな)りそう。込み上げてくる羞恥心に耐えるよう腕を組んでいると、園村が口を開いた。
「花栗は、皇に恋人が出来たこと、何も思っていないの?」
「親友に先を越されたこと? 別になんとも思ってないよ。そこまで切羽詰まってないもん」
「へぇ……」
園村は眼鏡を指でくいっとする。
その横で、大木が俺に願いごとをするみたいに、両手を胸の前にぎゅっと握り、上目遣いでまばたきをする。ぶりっこしているその表情が気持ち悪い。
鳥肌が立った腕を撫でながら、話を進めた。
「……一応、聞いてやるけど」
「杉本曰(いわ)く、皇と一緒にいた女の子は滅茶苦茶可愛かったそうだ。な!?」
「あぁ、犬か猫かでいうと、猫っぽいな」
可愛い女子が俺とどう関係しているのか、話の流れが見えない。
「可愛い女子の周りには、可愛い子が集まるって言うだろう」
「そうか?」
「そうだって! だから、皇に合コンを開いてって頼んでくれよ!」
頼み込んだのは大木だが、横にいる杉本も期待の眼差しで俺を見つめる。
まさか合コンの頼みとは思わず、げっと顔をしかめた。
「えぇ……。自分で頼めよ。なんで、俺なんだよ」
「俺たちじゃあ、駄目なんだって!」
「花栗が本気で頼んで、皇が断る姿が想像出来ねぇよ。俺たちが頼むより絶対効果的だって!」
頼む!とぎゅうぎゅうと手を握られて頼まれれば、早く手を放して欲しさに頷くほかない。
「……一応、海里に話しておいてやる」
「本当か!」
「あぁ、話すだけなら」
早く手を放せと言おうとしたら、大木と杉本両方に抱きつかれてしまった。園村はいつものにやり顔。何を考えているのか分からない。
「──というわけだ。合コン開催して欲しいんだって。メンバーは大木、杉本、園村、それから他クラスの奴とで合計四人」
その日の夕方、俺は海里をうちに呼び出した。
来て早々、海里の腹の虫が叫んでいるのが不(ふ)憫(びん)で、モヤシ炒めと炒飯を作った。料理を差し出しながら、学校でふたりに頼まれたことをそのまま伝える。
「俺も合コンメンバーに加えられそうだったけど、イマイチ興味がなくてさ。断ったんだよね。まぁ、返事だけしてやって」
海里はモヤシ炒めを頬張ろうと開けた口で「は?」と言った。まぁ、分からなくはない。俺も同じ反応だった。
「だからさ、大木たちがさ……」
「一緒に映画を観に行った女子だけど、それ……」
「ただいま~。あぁ、練習が長引いちゃった。おなか減ったよ~。お兄ちゃん、今日の夕ご飯、なにぃ?」
帰ってきた千香が声を上げながら、ダイニングルームに真っすぐ駆け寄ってきた。
千香がいる中学では、十月の後半に音楽祭が開催される。中学校最後の年となる千香のクラスは、合唱に力を注いでいるのだそうだ。放課後を使って毎日のように練習している。
「お前は帰ってくるなり、うるさいな」
千香は俺の文句を無視して、海里に微笑む。
「あ。海里くん、いたんだ。日曜日、ありがとうね」
「どういたしまして」
――ん? 日曜日?
俺は、千香の分の炒飯をテーブルに置きながら、ふたりの顔を交互に見た。
ショートボブでややつり目の女子って、まさか……。
「もしかして、お前たち、日曜日に映画館へ行った? ショッピングモールでチョコアイスを食べた?」
「うん。何? 海里くんから聞いたの?」
「いや。海里から聞いたわけじゃないけど……」
「ちいちゃん、うちのクラスの奴がさ」
海里は、日曜日に一緒に映画館へ行ったところを、杉本に目撃されていたこと、それから、千香と仲いい女子たちと合コンを開いて欲しいと頼まれていることを話した。
「あっははっ、何それ。私、中学生だよ!?」
「中学生をそういう目で見る不届き者は、俺が厳重に注意しておくから、安心してね」
「海里くん、格好いい。頼りになる!」
どうやら、すべては杉本の勘違いだったようだ。
俺は物凄く馬鹿らしい気分になりながら、海里の隣の席に座って炒飯を頬張る。
「でも、ちいちゃんのことを可愛いって褒めていたみたいだよ。よかったね」
「えへ」
「変な輩(やから)には気をつけてね」
「あ、うん。……それでね、また今度も誘ってもいいかな?」
炒飯を咀(そ)嚼(しゃく)しながら、ふたりを見る。
海里を誘う千香は、初めて見る表情をしていた。
不安そうに揺れる目。断って欲しくない、というのが切に伝わるような真剣さだ。俺に対する傲(ごう)慢(まん)な態度はなりを潜めている。
「…………」
あれ……これ、すべてが勘違いか?
ふたりにはそう見えるような雰囲気があったから、杉本はデートだと迷わずに言ったのではないだろうか。
海里は?
「うん。部活ない日ならいつでも連絡して」
そうだった。昔っから、海里は千香に特別甘い。千香がすることならなんでも許しちゃうような奴だ。……まんざらでもないのか?
「ありがとう!」
千香はホッと息を吐き、安堵したようにはにかんで笑う。
ふたりの様子は通常通りとも思えるが、どこか秘密めいた雰囲気があり、はっと気がついた。
まさか、海里と千香は想い合っている?
「……っ」
全然考えたことがなかったから、動揺して、思わず箸を床に落としてしまった。
床に落とした箸を拾って顔を上げたら、ふたりが楽しそうに笑っている。
ほんの少し、疎外感めいたものを覚えた。


