文化祭の朝は、天気予報通りの晴天。雲ひとつない青空が広がっていた。
「待ちに待った文化祭ですね。皆さん、くれぐれも羽目を外しすぎないように……」
 富田先生の静かな声に、クラスのみんなは神妙な面持ちで、耳を傾ける。
 そうすることが長話を短縮出来る方法だと、悟っていたからだ。
「では、今日一日、節度ある行動を心がけてください」
「はい!」
 先生の話にみんなが一斉に返事をしたあと、杉本はごほんと咳払いをした。
「よし、三組やるべ! ふぁいっ」
「おぉー!」
 その大声に、富田先生はずっこける。
 だけど、先生は苦笑いひとつするだけで、それ以上は注意をしなかった。
 あとで全力で周囲に謝ってくれていそうな先生が想像出来て、ちょっとだけ可哀想に思えた。
 それから、まもなくして一般客入場の時間となった。外からはザワザワと賑やかな音が聞こえてくる。
 一年三組の教室は三階なので、すぐに客は来ないだろう。
 緊張感に包まれる中、俺は教室内をぐるりと見渡した。
 教室には黒の暗幕が取り付けられ、趣向を凝らした血みどろのオブジェが飾られている。美術部が作った自信作の手の模型に、火の玉のライト、おどろおどろしい空間内のあちこちには仕掛け人のお化けが潜んでいる。なかなかにいい出来だ。
「わ、お化け屋敷だって」
「入ってみる?」
 一番初めの客は、ふたり組の上級生だ。
 そのあと続くようにぞくぞくと客がやってきた。
 うーらーめーしーやー。
 お化け役は、それぞれ与えられた役に全力を投じた。
 うわっ、とよく観客を驚かせていたのは、杉本が演じる八尺様だ。ハリボテの壁から突然顔を出した八尺様が、そこのゾーンを通り切るまでひたすら見つめてくる。
「ぽぽ、ぽぽぽ」という独特の鳴き声と不気味な雰囲気は、なかなかの迫力がある。
 ただ、観客のほとんどは見知った客だったので、苦笑いを浮かべていたり、失笑を漏らしていたり、大笑いしたり……つまり見慣れた顔のお化けなど全然怖くないということだった。
 それでも演じ切るのが、うちのクラスの奴らだ。そのパフォーマンスのよさでリピーターが続出した。
 そして、
「情夫さんの写真を撮ってもいいですか?」
「情夫さんの連絡先、教えてください」
「情夫さん、触ってもいいですか?」
「情夫さんと仲よくなりたいです」
 ただ、立っているだけの情夫に一部の客が集中した。
 手すきの奴らがスムーズに回るよう客を促していたが、そういう客が少なからずいたので、海里は一時間ほどで早々と後半の奴に交代を言い渡された。
 入れ替わるように入った大木は、陰々とした雰囲気で「イケメンずるい……イケメンが憎い……」と愚痴を漏らしていた。

「――七海も休憩だって。一緒に校内回ろう」
「はいよ」
 海里に声をかけられて、頷く。
 けど、少し後悔した。失念していたけど、海里は情夫姿のままだった。着物とメイクで普段より一層華やかだ。
 ──すっごい視線を感じる……!
 すれ違う人たちが海里の方を振り返る。中には立ち止まり、見惚れている人もいる程だ。
「七海、売り切れる前に全部買おう」
 だが、当の本人は食べ物にしか興味がない。
 海里は食べ物が入ったパックを次々と積み重ねて、それを片手で持つ。焼きそばにたこ焼きにベビーカステラに、フランクフルト……。
 持ちきれないだろうと、半分持ってやる。
「七海、ありがと」
 にこっ。と海里は屈託のない笑顔を見せた。
「……あぁ」
 眩しい……。
 一昨日から、海里の笑顔が五割増している気がする。
 気恥ずかしさに視線を逸らすと、一般客として来ていた千香と目が合った。
「あ。お兄ちゃん」
 すると、千香と一緒に来ていた友達が、海里のことを見てはしゃぎ出した。
「え、この人が千香ちゃんのお兄さんなの!? 凄い美形!」
 千香はゆさゆさと友達に肩を揺らされながら、手を横に振る。
「ううん、違うよ。うちの兄はこっちの平々凡々の方」
「こら。もっといい紹介の仕方しなさい」
「え、平々凡々って? お兄さんも……」
「ちいちゃん、いらっしゃい」
 海里の爽やかな笑顔に、友達の方は真っ赤になってもじもじし始める。妹は見慣れたものだから、通常運転だ。
「海里くん、この前はありがとう。変な役を押し付けちゃってごめんね」
「ううん。あれで引き下がらないなら、こっちも脅すなり方法はいくらでもあるから。でも、もうお役(やく)御(ご)免(めん)かな」
「うん、そうだね」
 変な役、というのは、千香の彼氏役のことだ。
 数か月前、千香は同級生の男子から告白された。断ったが、それ以降もしつこく言い寄られていた。
 一昨日、モールで見かけたひょろっとした男子が、その同級生だった。
 海里がそのことを知ったのは九月のはじめ。帰宅途中の千香が例の男子に言い寄られているところを、偶然目撃する。困っている千香を放っておけず、護衛を兼ねて彼氏役を引き受けることにしたそうだ。
 千香は心配をかけたくないから、身内に言わないで欲しいと海里に口止めを頼んでいた。
 受験を控えた三年で、騒ぎが広がることも怖かったのかもしれない。
 気持ちは分かるけど、何かあってからでは遅い。海里から事情を聞いたその夜、家族会議を開いた。
 そして、当面のあいだ、両親が車で送迎し、千香はひとりにならないよう話し合った。
「今日は?」
 俺が聞くと、千香は嫌そうに顔をしかめる。
「お母さんに車で送ってもらった」
「気をつけてな」
「もう、分かってるよ!」
 きっと過保護になるから嫌なんだろうなと思いながら、千香たちと別れた。
「あの……!」
 間髪おかずに女子が海里に声をかけてきた。見知らぬ他校の女子だ。
 千香と話す海里の雰囲気は柔らかいので、声をかけるチャンスだとでも思ったのだろう。女子は連絡先を書いたカードを海里に渡そうとする。
「そういうの、誰からも受け取らないようにしているから」
 海里は飄々(ひょうひょう)と言いながら、受け取らずにかわす。
 餃子にひき肉とニラが入るのが当たり前のように、海里がモテるのも必然。ぼんやりとその様子を見守っていると、海里がすぐに俺の方を向いた。
「七海、あっちのベンチで食べよう」
「……あぁ」
 なるほど。
 一昨日みたいな胸のざわつきが、まるでない。
 今までも嫉妬めいた感情を覚えたことがない。それって海里が、分かりやすく俺への好意を示してくれていたからか。
「あと、チュロスを買ってくるから。先に食べてて」
「分かった」
 人通りが多い中庭のベンチは争奪戦だ。
 俺は場所取りのためにも座って待つことにし、片手に持ったフランクフルトを頬張った。
 呼び込みする生徒の声で賑わう模擬店を眺めていたら、園村の姿を見つけた。彼は何かを買うでもなく、周囲を見回しながら歩いている。
 誰かを探しているのか――と思ったら、こちらを見た園村は俺を指さした。
「いた、花栗! よかった、探していたんだ」
「俺?」
「ちょっと来て。皇には俺から連絡入れておく。確か一緒に回ってるんだよな?」
 園村はこちらに近づきながら、携帯に素早く入力していく。
「いいけど。でもよ」
 園村は、俺の両手とベンチに置かれた食べ物を見て、場所取りをしていることが分かったのだろう。ふむ。と頷いたあと、手を挙げた。
「おーい出席番号六番、榎本くん! ちょっと皇が来るまでここで待ってて」
「え、俺?」
 突然の指名に、榎本はきょとんとしながらも素直に従った。
「頼んだぞ」
 園村は榎本に声をかけ、俺の腕を引いて、別館へと向かった。
 更衣室用に解放している教室に入ったあと、疑問を口にする。
「──で、何を手伝うんだよ?」
「情夫の想い人だ」
 そう言って、園村は俺の胸に〝想い人〟の衣装らしき着物を押し付けた。
「は? 想い人ってなんだよ。俺は裏方……」
 俺が後ずさりした瞬間、園村が教室ドアを後ろ手で閉めた。
「……絶対なのかよ」
「ふ。――花栗は実にもの分かりがいい」
 園村は眼鏡をくいっとする。奥の細目が怪しげに光った。

「客を誘導しろ、ね〜」
 配役の理由は着替え中に聞いた。
 午前中のお化け屋敷の客の動きを見て、園村は考えるところがあったそうだ。
「情夫の前で客に立ち止まられると困る。かと言って普通の制服姿をした係員が誘導すれば、雰囲気ぶち壊しだろう?」
「だからって、情夫の想い人?」
「まあ、ただ着替えただけの誘導員さ。痴情のもつれを演じてくれてもいいけどな」
 痴情のもつれを演じろ?
 首を傾げていると、園村が俺の腰の緩んだ帯を結び直してくれる。
「想い人って、そ(・)の(・)ま(・)ん(・)ま(・)でやりやすいだろう」
「……お前」
 この男、やっぱりエスパーか。
 いつも意味深なことを言って、核心を突いてくる。まるで、俺たちが路上で泣きじゃくっているのを見ていたかのようじゃないか。見ていた? いいや、園村は、千香のことを家まで送り届けてくれたようだし、見られていないはずだ。
「はい、ウィッグも付けて」
「えー、ここまでする?」
 園村は俺が文句を垂れようが、睨もうが、飄々としている。
 だが、ウィッグを受け取ろうと手を伸ばした瞬間、その顔が驚きへと変わった。
 園村は俺の顔と腕を交互に見る。その視線の動きで何に驚いたのかがすぐに分かった。
「花栗、お前の腕、どうしたんだ……」
「……あ~」
 俺は袖をさっと隠した。
 俺の腕には、くっきりと人に掴まれた手の痣(あざ)がある。
 絵の具の買い出しの際に、海里と逃亡劇を繰り広げたときに出来たものだ。
 結構強めに腕を掴まれたけど、俺も必死だったし、痛みなんて感じなかった。夜、風呂に入ったときに気がついたくらいだ。
 だが、園村の表情は、驚きから冷めたものに変わる。
「この痣付けたの、絶対皇だよな……あぁ、そういうの許せないぜ。俺、超個人的理由で応援していたけど、好きな子に暴力振るうような奴は一切容赦しない。もう奴には近づけないから」
「――なんか勘違いしているけど、違うから!」
「くっきり痣を付けておいて、違うもなにもないだろう」
 一昨日は、俺が海里を無視して逃げたからだ。海里は何も悪くない。
 だというのに、園村は黙って教室を出ていこうとする。
「もしかして海里のところへ? ストップ! 本当に大丈夫だから!」
「花栗よ、俺は責任を感じている。応援などするものではなかった」
「責任を感じる必要はないから!」
 声かけだけでは全然止まらず、俺は園村の腰に両手を回した。
 今は誰も空き教室を利用していないので、人目を気にせずしがみ付いていたら、空き教室の扉が開いた。
 入ってきたのは海里だ。俺たちを見て、あからさまにむっとする。
「七海から離れて」
「海里、今はそれどころじゃない。こっち来るな、危ない――」
 逃げろと言う前に、園村は俺の腕を離して、大股で海里の方へ詰め寄る。
 そして自身の上履きを脱ぐや、パコーンと勢いよく海里の頭を叩いた。小気味いい音が教室内に広がる。
 ――本当にやりやがった!
 驚いて固まっていると、園村はヤンキーじみた絡み方で、海里の胸ぐらを掴んだ。それに対して海里は、なんともないように頭を掻く。
「突然、何?」
「何はこっちのセリフだよ。見損なったぜ、皇よぉ。お前は花栗のことを目に入れても痛くないほど溺愛していて、でっかい気持ちでいると思ったのによぉ、勘違いだったのかよぉ?」
「その通りだけど」
 海里はけろっとして答える。
 ツッコミ不在!
「あぁん? 花栗に怪我させておいて、どの口が言ってんの?」
「……怪我? 七海が?」
 飄々としていた海里だったが、怪我と聞いて焦ったように俺の方へ駆け寄ってくる。俺はなんとなく、腕を身体の後ろに隠した。
「腕を怪我したの?」
「う。怪我ってほどでは」
「見せて」
 視線をさまよわせた先で、園村が腕を組んで頷いている。ふたりして見せろと促されると、抵抗しづらい。
 俺はおずおずと右腕を出した。
 くっきり出来た手の痣を見て、海里はぎょっとする。
「これ……もしかして、一昨日の――ごめん!」
 海里は顔を青ざめさせて、勢いよく頭を下げた。
「いや、いいって!」
「園村、俺の頭を百発くらい叩いてくれ」
「よしきた」
「いやいやいやいやいや……」
 ツッコミ不在すぎて、ふたりをなだめるのも疲れてくる。腕組みをし、片方の腕を裾で隠した。
「俺が大丈夫だって言ってるものを大袈裟にするなよ」
 海里と園村は「無理だ」「その通り」と即答する。
 面倒くさいことこの上ない。
「園村」
 ここは園村のエスパー能力を信じて、名前を呼んだあと、アイコンタクトした。
 俺の言わんとすることが分かったかのように、園村は肩をすくめて黙って教室を出る。さすが、エスパーだ。これからはエスパー園村と心の中で呼ぼう。
「なぁ」
 ふたりっきりになっても、ずぅーんと海里は落ち込んでいる。
「ほれ、顔を上げろ。見た目と違って痛くないってば――うわ!」
 海里は顔を上げないまま、俺の身体に勢いよく飛びついてきた。犬は飼ったことがないけど、がむしゃらに向かってくるところは大型犬っぽい。
「力加減が下手で、本当にごめん」
「はいはい。もういいって。やわじゃないから心配するなよ」
 軽い口調で言うと、海里はそっと俺から身体を離した。
「心配するよ」
「…………」
 あまりに海里が真剣な表情をしていたから、笑うために上げた口角が引きつる。
 あぁ、また、胸がうるさい。
 そんな風に見つめられると、なんか……恥ずかしい。
 学校では片隅に追いやっているのに、意識させるなよ……。
「えーっと……そろそろ教室、え?」
 教室に戻ろうと言いかけていたら、椅子に座らされた。俺の前に海里がしゃがみ込む。
「何?」
 海里は問いに答えず、俺の腕にそうっと柔らかく触れ、痣部分を優しく丁寧に撫でた。労わるような手つきだ。
 むずがゆいような、恥ずかしいような感覚に堪えていると、目の前の頭が動いた。
 ふに、と手の甲に柔らかい唇を押し付けられる。
「へっ、海里っ!?」
 うわずった声で名を呼ぶと、手に口づけたまま俺を見る。
 その瞳が怒気を孕(はら)んでいる。でも、眼差しの強さが俺に怒っているというより、自分自身に怒っているみたいに思えた。
「今からは、絶対、大事に触れるから」
「え、えー……」
 海里は、俺の腕に出来た痣にも口づけ始めた。
 唇の柔らかさにも驚くけれど、至近距離の海里が妙に色気があって、背筋がぞくぞくする。
 う、お……。
 自分の心拍数が上がっていくのが分かる。なのに、もっと上げられる。まるで壊れ物を扱うように、海里は唇を何度も軽く押し当ててくるから。
「っ……海里!?」
「俺、七海のこととなると、頭が馬鹿になるんだ。フラれても諦めることなんて出来ないし、みんなが七海のことを好きになっていく気持ちも十分に分かる。けど、七海が誰かを本当に好きになったら、俺のこと本当に嫌いになったらって……恐怖しかなくて必死だった。……でも、ごめん」
 実直な言葉を吐きながら、あろうことか指までくわえ始めた。
「痛いこと、して、ごめんね」
 口腔内の熱さに驚いて手を引っ込めようとすると、柔らかく指同士を絡まされる。
 一本、もう一本と海里が俺の指を含んでいく。
「う、ぇ……」
 触れ方は優しいのに、今まで以上に強引なんだけど……?
 海里が触れていくところから熱くなってきて、羞恥心と変な気分が込み上げてきていたたまれない。
 ――このまま動かずにいろってこと? そんなの恥ずかしすぎる!
「か――海里っ!」
 俺が叫ぶと、海里はパッと両手を離した。
 解放されたあと、俺は椅子の背もたれにぐでーんと力なくもたれかかる。
 何もかも、キャパオーバーだ。
 真上を向いて、舐められていない方の手で顔を覆う。
「えーと、ごめん。大丈夫?」
 海里が立ち上がって、心配げに俺を見つめてくる。
 返事のかわりに、足を踏んだ。
「――これで、おあいこ!」
「うん」
 顔から手を離すと、覗き込んでくる海里の目尻が嬉しそうに垂れ下がった。
 ――なんか、やりにくい!
 海里の胸を押して、椅子から立ち上がった。息を吐いて落ち着かせる。
「あれ、そういえば、七海の格好、何? お化け役するの?」
「今更? 反応が遅すぎるだろ。お前の頭はどうなっているんだよ」
「格好を気にしている余裕がなかったというか。園村に嫉妬、七海の怪我、七海が美味しくて止まらない――で今」
 美味しくて止まらないだって? それは冗談なのか、本気なのか。
 言葉も態度も明け透けで遠慮がなくなっている。
 ひと睨みだけして、話を進めることにした。
「この格好で、お化け屋敷で立ち止まる客を流せだとよ」
「へぇ、お揃いっぽくていいね。あとで一緒に写真撮ってもらおう」
 子供みたいにはしゃぎ出す海里は、もういつもの空気感だ。ちょっとホッとしながら、休憩時間もそろそろ終わりそうなので、一年三組の教室に戻った。

「おかえり」
 教室前に立つ園村が、俺たちに手を振る。
「花栗、狂犬は上手くしつけたか?」
「狂犬って、海里はそんなんじゃないだろう」
 俺が否定している横で、海里は言い得て妙だと納得している。
 エスパー園村は、俺たちふたりを見て大丈夫だと判断したようで、先に海里にお化け役と交代してくるよう指示をした。
 俺だけ教室を離れて階段の踊り場に連れていかれ、役の手ほどきを受ける。
 俺の役は、海里の前に客が立ち止まったときだけ現れる役で、受付裏の物陰に待機しておくのだそう。
「あとは、花栗が出来る範囲でやって」
「あぁ」
「その……」
 珍しく園村は言い淀(よど)む。俺は言えばと目で促した。
「俺さ、皇のひたむきさに憧れてたんだよ。勝手に応援した気分でいたけど、悪かったよ」
「お前って……」
 気を使いすぎだと言いかけて、ふと疑問が脳裏によぎる。
 俺は周囲に目をやった。
 誰もいないことを確認したあと、彼の耳元に顔を近づけ、小声で囁いた。
「園村も誰かに片想いしているの?」
 園村は驚いたように目を見開き、気まずそうに視線を逸らした。
 この男がこんな風に動揺するのを、初めて見た。
 園村は何か言おうとして、言葉が見つからないように口を開けた。そのあと、閉じて、また開く。
「そんなんじゃない。……俺は色々諦めてる」
「ふぅん、……なんで?」
「それは……」
 園村は少し黙ったあと、ぽつりと「ゲイなんだ」と呟いた。
「…………」
 俺は、園村のようにエスパー能力はないし、短いやりとりで理解出来るほど、聡(さと)くもない。
 というか。俺も自分の気持ちに長く気づけなかったにぶちんだ。
 ――ポン、と園村の肩を叩く。
「俺、ちゃんとアイツに告白するよ」
 一昨日、海里に好きだと伝えたけれど、想いがちゃんと届いているかは微妙なところだ。
 腕の痣が出来たのは、海里がそれだけ不安に思っていた証(あかし)。海里を好きだとうっすら自覚していたのに、曖(あい)昧(まい)な態度しか取れなかったからだ。優柔不断のままではいられない。
「うん、いいね」
「……園村もいいね、する?」
「うーん」
 園村は腕を組んで曖昧に濁して苦笑いを浮かべる。多分、園村は本音で相手にぶつかることはしないんだろう。まだ。
 だって、さっきの苦笑いと違って、ちょっと目尻が下がっていた。

 午後──。
 お化け屋敷では、それまでと違う叫び声が上がっていた。
 俺のお化けの設定が〝情夫の想い人〟だと知った海里がふざけ始めたのだ。
 情夫の前で客が立ち止まったら、俺が進むように促すのだが……。
「会いたかった。死んでまで会えるなんて嬉しいなあ」
 ぐいぐいと海里が俺の腰を掴んで、離そうとしない。
「ちが、お前は無言の設定だろうがっ」
「なぁ、愛しいひと、逃げないでくれ。俺のところにいろよ。暮らそ?」
「ぎゃ。――あぁ、そこのお客人。情夫はこの通り危ない霊ですので、先に進みましょう」
 海里の手から慌てて逃げて、客を先に促す。
 情夫の想い人が現れるたび、情夫がナンパをするから、そういうのが好きな女子が卒倒した。
 姫野と美術部が大喜びして手持ちの看板を作って、客を呼び込む。
「一年三組! お化け屋敷、美形勢ぞろい!」
「今だけBL盛り上がっていまーす!」
 そんな変な声かけもあってか、千客万来!
 ――一年三組は最高潮の盛り上がりを見せて、文化祭は終わりを迎えた。
 そして三組集合写真は、苦笑いの富田先生を囲み、皆でおふざけポーズで撮った。

「おーい、そっちの四隅を誰か持って」
 堅苦しい着物から制服に着替えたら、教室の片付けに取り掛かる。
 海里と杉本と大木は教室の暗幕を取り外していき、俺は小道具を片付けていた。
 祭りがあんまりにも楽しかったから、淋しい気持ちが湧き上がってくる。
「打ち上げしちゃう?」
 他の奴らも、祭りの楽しい余韻をまだ味わいたいのだろう。
 片付けをしながら富田先生にバレないよう、こそこそと打ち上げするかと言い合っている。俺も誘われて、ふたつ返事で参加すると答えた。
 そうして完全に片付いた教室を見ても、まだ楽しみがあるからと去ることが出来る。
《着替えてファミレス、集合!》
 杉本からのメールを見ながら、海里と一緒に校門を出た。
 空は日が傾き始めて、真っ赤になっている。
「海里、打ち上げ行く?」
「うん。そのつもり。七海も行くだろ?」
「うん」
 俺が頷いたとき、海里の腹から大怪獣の叫び声のような腹の音が聞こえてきた。
 昼休み、あんなにたくさん買った模擬店の食べ物は、三分の一ほどしか食べられなかったらしい。残りは席取りさせていた榎本にあげたそうだ。
「はは、そっか」
「このままファミレスへ行ったら、間違いなく凄い量を頼んでしまう。今から――」
「今から、俺と付き合う?」
 俺と横並びに歩いていた海里は、足を止めた。
 俺も止まって斜め横を見る。
「え?」
 海里は目をまんまるくして、呆然と俺を見つめている。「どこへ?」というボケをどこかに置いてきた顔だ。いや、もしかしたら、全然伝わっていないのかもしれない。
 だから、はっきり言った。
「俺の恋人になってよ。海里」
 言い終えるのと同時に、夕方に鳴る夕焼け小焼けのチャイムが街中に響いた。
 海里は固まっているけど、俺はじっと返事を待った。
 すると、驚きに包まれている表情に、少しずつ喜びが加わっていく。目尻がゆっくり下がり、花が咲いたような笑顔になった。
 あんまりにも嬉しそうな表情に見惚れていたら、ぶつかるような勢いで抱きしめられる。
「ホントに!?」
「うん」
「やっ、た……はは、やったー! 滅茶苦茶嬉しい。好き! 俺、七海のこと心底大好きだ」
 ぎゅうぎゅうと抱きしめられ、俺も大きな背中に手を回す。嬉しさがじんわりと身体中に広がるみたいだ。
 抱きしめる腕が微かに緩み、海里の顔を見つめた瞬間──ちょうど、チャイムが鳴り終わる。
 俺にはその音色が、始まりの合図みたいに聞こえた。