何故、どうして。
 そんな文字が穴吹颯太(あなぶきそうた)の脳内を駆け巡ったのは、高校の入学式に出席してのことだ。颯太にとって天敵とも言える男、板野和孝(いたのかずたか)が新入生代表の挨拶を朗々と読み上げるのを見て、彼はパイプ椅子に座っているにも関わらず自律神経の異常か何かでその場にぶっ倒れそうになった。
 中学の時はバスケットボール部のエースとして、八面六臂の活躍を見せていた板野。あいつは、我が県でもインターハイ常連のT高校に行くと思っていた。
 なのに何故、板野がT高校ではなく、こんな県立の進学校にいるのか。器用な性質とはいえ勉強に関しては良くて平均程度だったはずなのに、新入生代表挨拶を任されているということは、成績トップで合格したということだ。
 最悪だ。高校こそは、いじめられっ子生活から解放されると思っていたのに。
 絶望して歯ぎしりをしていると、両隣に座っている男子と女子から訝しげな視線を向けられた。
 いけない、今は式典の最中だ。深呼吸して精神を落ち着けていると、ようやく長々とした挨拶が終わり、不愉快な声の持ち主が壇から降りた。
 閉会の辞の後、新入生は各々の教室へと移動を開始する。踏んだり蹴ったりというか、泣き面に蜂というか、颯太は板野と同じクラスになってしまった。どうかあいつに絡まれませんように、という祈りも虚しく、板野は移動の最中に彼を見つけると追い抜き様にドンと背中を押してきて。
「ああ、悪い。小せぇから見えなかったわ」
 などと、憎たらしいくらいに爽やかな笑顔で謝罪してくる。
 かくして颯太の高校生活は、新学期早々最悪なものとなることが確定してしまった。


 はあ、とため息をつきながら放課後の廊下を歩く。
 穴吹颯太と板野和孝は幼稚園からの付き合いだ。板野は典型的なガキ大将タイプで、幼い時分から周囲を引っ張っていくことを好み、率先して様々な遊びや行事に取り組んでいた。良く言えば強いリーダーシップがあるということで、身体が大きくスポーツも得意な板野を慕う者は男女問わず多かったのだが、どういうわけだか彼は颯太に対してだけ妙に当たりがキツい。
 体質なのか身長が同年代の男子と比較してあまり伸びず、筋肉もつきにくい颯太は、運動が得意ではない。成績に関しては颯太の方が良かったが、それについては昔から山勘が異様によく当たるだけのことで、別に地頭の出来については大差ないのだ。
 運動神経抜群でガタイが良く、荒削りだがそれなりに整った顔立ちをしている板野と、華奢というよりひょろっこい体型で運動音痴かつ勉強は山勘ありきで平均より少し上というレベル、顔立ちもとりたてて特徴のない颯太では、周囲の人間もどちらをヒトという生き物として上と見るかは明らかだった。体育の授業で球技をやればボールを回してもらえず、では片付けぐらいはちゃんとやるかと重い器具を運んでいると横からぶん取られるようにして仕事を奪われ、テスト前にはヤマを張るためにノートをカンニングペーパー代わりとして借りパクされる始末。おまけにしょっちゅう「チビ」だの「ノロマ」だのとからかわれるため、颯太はいつだって板野が苦手だった。
 しかし学校教員からの奴の評価といえば「リーダーシップがありスポーツ万能。学業試験の成績も悪いわけではなく、学年で何らかの責任の伴う役割を任せるにはうってつけの人材」というもの。さらに颯太以外の生徒に対しては気さくで面倒見の良い兄貴分として振る舞っているため、颯太への冷遇を知っているのはほとんど当人だけという状況である。要するに、世間的に板野は『常に堂々として皆を引っ張っていく人気者』であり、颯太は『大人しく特に問題を起こさないが、とにかく地味で目立たない奴』なのだ。
 高校ぐらいは板野のことなど気にせずのびのび過ごしてやろうと、恐らく奴は受けないだろうという所を選び、いつもの山勘頼りではなく真面目に勉強して高校入試も乗り切ったというのに、まさか同じ高校かつ同じクラスになるとは。神様が存在するとしたら、きっとよほど颯太のことを目の敵にしているに違いない。
 憂鬱な気分を引きずりながら新学期でどことなく浮ついた空気の漂う廊下を歩いていると、何やら人だかりができているのが見えた。噂をすれば影、板野和孝である。早速同級生たちの心を掴んでおり、何人かと連れ立って部活動の見学に繰り出すようだ。
 ワイワイと楽しそうに会話しながらこちらへ向かってくる集団を見つけるやいなや颯太は踵を返し、そそくさと来た道を戻っていく。中学時代はひょっとしたら華やかにイメチェンできるかも、と少々ヨコシマな動機でテニス部に入っていたのだが、先輩含めて他の部員たちと根本的に反りが合わないとすぐに気付いて、その後の颯太は幽霊部員として中学校の部活動には一切参加しなかった。この高校は部活動強制という学校でもないので、帰宅部として平穏無事に過ごす予定なのだ。
 ガヤガヤとした笑い声が少しずつ遠ざかっていくのを聞きながら、颯太は足早に反対方向へと向かう。一階から一旦二階に上がり、二年生の教室の前を通り抜けて再び一階へと降りるための階段を探していると、自分がどうしてここまでしなければならないのかと情けない気分になった。
 廊下を歩けば何人かの生徒とすれ違う。二年生が主に過ごす階にいる以上、そのほとんどが先輩なのだろうが、誰も彼も颯太には特に興味を示さない。まあ当たり前だが、と思いつつ昇降口が存在する方面へと向かっていると、対面から一人の男子生徒が歩いてきた。
 眼鏡の奥に隠された切れの長い涼しげな瞳に、スラリとしたしなやかな身体つき。板野のような圧倒的な存在感とはまた種類が異なるが、彼もどこか人目を惹きつけて離さない雰囲気がある。単に彼が美形だから、という理由のみではなさそうだ。
 華、というのだろうか。颯太はぼんやりとそんなことを思った。板野やこの男子生徒にあって、颯太にないもの。
 いらぬことを考えていたせいか、颯太は件の男子生徒が完璧に颯太のことを見据えて、自分目がけて一直線に向かって来ていることに、話しかけられる直前まで気が付かなかった。
「君、探したぞ。どうしてこんな所にいるんだ?」
「はい?」
 何を言われているのか分からず、間の抜けた声が出てしまう。見覚えのないイケメンは春先で大して暑くもないのに何故か手に持っている扇子でパン、と手のひらを叩くと、不満げに眉をひそめた。
「我が校の完全下校時間は午後六時だ。早く部室へ行くぞ。何せあと二時間しかないのだからね」
「え? いや、あの、誰かと間違えていませんか? 俺は一年で、どの部活にも所属してないんですけど……」
 慌てふためきながら説明する颯太の顔を、目の前の男子生徒は閉じた扇子の先端でビシッと指し示す。
「君の名前は穴吹颯太、所属は一年四組で出席番号は三番。何か間違っているか?」
「……合ってますけど。でも、何で名前もクラスも知って……」
「人違いではないな? では行こう。他の連中はもうとっくに集まっている」
「あっ、ちょ!」
 有無を言わせぬ調子で手首を掴まれ、颯太は訳も分からないまま引っ張られていく。颯太がヤワいからか、それともこの男子生徒が細身に見えて意外と筋力があるからかは判別できないが、少なくとも多少暴れたぐらいではまったく振りほどけない。
 彼に連れられて三階への階段を上り、西側にある教室の前に立つ。他の教室と同じ造りをした引き戸には『不調こそ我が実力』と書かれたホワイトボードがマグネットでくっつけられており、男子生徒はその扉を勢い良く開け放った。
 部屋の中にはこの学校の制服を着た生徒が三人。内二人は女子で、もう一人は男子だ。女子生徒たちは何やら本のような物を覗き込みながら熱心に議論するかのように話し合っており、男子生徒の方は耳にブルートゥースイヤホンを着けて、横向きにしたスマートフォンを弄っている。
「あの……?」
「待たせたな諸君。では新入生の部活動見学を始めるとしよう」
 颯太をここまで連れて来た男子生徒は、教室にいる生徒たちに芝居がかった仕草で宣言する。颯太の手首を掴んだまま何らかの部室らしき部屋に入った彼は、空いている椅子の一つに座るように促してきた。彼の雰囲気に気圧されたせいか、逃げるわけでもなく勧められるがままにおずおずと腰を下ろしてしまうのが、穴吹颯太という人間である。女子生徒たちは本から顔を上げて興味津々という様子で颯太に視線を向け、イヤホンを着けた男子生徒は画面から目を離すことなく「あいよ」と短く返事をした。
「さて、ではまず部活動見学に来た生徒用の名簿に名前を書いてもらおう。ここの欄に、読みやすいよう強くしっかりと記入してくれたまえ」
「はあ……」
 何が何だか分からないままボールペンを渡され、名簿だという四角い欄がエクセルの表みたいにいくつも載っている書類に名前を書かされる。書き終わると風が吹いたかのように、素早く名簿を奪われた。
「ふむ、これで良し」
 何やら嬉しそうに頷くと、男子生徒は名簿と何枚かの紙をファイルにしまい込む。
「本日は我らが『麻雀同好会』にようこそ、穴吹颯太君。僕は二年の日和佐準之助(ひわさじゅんのすけ)だ。よろしく頼む」
「ま、麻雀……?」
 男子生徒――日和佐が告げた部活名を、颯太は呆然とした口調で聞き返した。
「その通り。部長はそこにいる三年の鴨島彩羽(かもじまいろは)――髪の長い方だ――、副部長は僕。そして部員の住吉礼治(すみよしれいじ)三年生と、松茂絃(まつしげいと)二年生だ。どうぞ見知っておいてくれたまえ」
 日和佐が紹介すると、部長だという鴨島が微笑んで軽く頭を下げ、その拍子に肩甲骨ほどまでの長さの黒髪がさらりと揺れる。次いで短めの髪をハーフアップに結った松茂という女子生徒が「よろしくー」と軽い調子で手を振り、最後に住吉がやはりスマートフォンに釘付けになったまま片手を上げた。
「住吉先輩、新入生が来ている時ぐらいアプリから離れたらどうです」
「待てって、七対子(チートイツ)でオーラスアガれそうなんだよ。これでリーチ一発が決まれば……」
「気にしなくていいよ、住吉君はこれが通常運転でしょ。むしろこの人が部活に来て、麻雀アプリを触ってない方が気味悪いわ」
 部長だという鴨島が、鈴を転がすような笑い声と共にそんなことを言ってのける。松茂もそれに続いて、「言えてますね」と笑った。
「ええと、あの……」
 ついて行けずに戸惑っていた颯太だが、意を決して声を上げる。
「すみませんが、俺は麻雀の『ま』の字も知らないし、こう言っちゃなんですけど……あまり興味もないんです。興味については多分この先も持てないと思うし……だから、もう帰っていいですか?」
 おずおずと、だがしっかりと意思を伝えると、すぐ横にいる日和佐がまるで、颯太がそのように言い出すことを最初から分かっていたかのようにケラケラと笑い出した。
「どうです鴨島部長。彼、イイでしょう?」
「そうねえ。確かに一見気が弱くて押されるとすぐに流されてしまいそうだけど、その実なかなか折れないというか、頑固な面もあるみたい。柳の枝みたいなタイプ、といったところかな」
 日和佐と鴨島は笑い合い、何やら二人だけで通じ合っている。こちらの了承も得ずに勝手に性格診断をされたみたいで、颯太は何とも言えないモヤモヤとした気分になった。
「あの……」
「まあ待て。帰るのはいつでもできるだろう? せっかくの高校生活だ。ヘンな先輩に捕まって、一つぐらい部活の見学に付き合ってみるというのも、悪くはないと思うぞ」
「ヘンっていう自覚はあるんですね?」
 うっかり颯太が口にすると、日和佐は再び笑って「こういうところですよ! 僕の見立ては間違っていなかったでしょう?」と他の部員に振る。鴨島がそれに応えて、うんうんと頷きながら上品に笑ってみせた。
「大体だね穴吹君、君は自分で麻雀のことをロクに知らないと言っておきながら、何故興味が持てないと言い切れるんだ? 大して知りもしないゲームのことを、この先も関心がわかないと言い切れる理由。それを説明できるというなら、僕たちだって無理に君を引き留めはしないさ」
「り、理由?」
 存分に圧力をかけてくる日和佐に、颯太は困惑して冷や汗をかく。言われてみれば、人に向かってはっきりと説明できる理由など、何一つとしてなかった。
「理由はその、思いつきませんけど」
「なるほど、では質問を変えよう。君にとって、麻雀とはどういう印象を持つゲームだ?」
「印象? ううん……」
 突然投げかけられた、とてつもなく抽象的な問い。今まで関わりのなかった、それこそ名前だけ知っている程度の遊戯の印象など、そもそも考えたこともない。
「麻雀って確か、何か四角い牌? みたいなのを使って遊ぶゲームですよね。何と言うか……薄暗くて狭い部屋の中で、スパスパ煙草をふかしながら徹夜でやる遊びみたいなイメージが……」
「ほう」
 颯太がもごもごと言い辛そうにしながらも絞り出すように伝えると、日和佐は納得したように相槌を打つ。鴨島や松茂もそれを聞いて顎に手を当てながら頷いているが、住吉に関しては相変わらずスマートフォンとにらめっこをしているままだ。
「なかなかの偏見、どうもありがとう。まあしかし、そういう印象もあながち間違いというわけではない。一昔、二昔前の雀荘などは普通に、賭け事の場として使われていたのだからね」
「はあ。今は違うんですか?」
「そうだね、君はMリーグというのを知っているかい?」
「あ、それなら少し聞いたことがあります。スポーツのリーグ戦みたいに、麻雀のプロがチームを作って戦うんですよね?」
「その通り。麻雀のプロスポーツ化のために発足したプロリーグだね。他にも『賭けない・吸わない・飲まない』という環境で行う健康麻雀も人気だ。リタイアした高齢者同士のコミュニケーションツールとして機能する、というメリットもある。何が言いたいかというと、昨今麻雀というのは『頭脳スポーツ』の一つとして認知されつつあるということだ」
「頭脳スポーツ……」
 日和佐の言葉に、颯太は少々困惑気味にオウム返しをする。
「でも、麻雀っていわゆる運ゲーじゃないんですか? 頭を使う要素なんてあります?」
「そうね、確かに運の要素が少なからず絡んでくるゲームであることは間違いない。でも、その運を引き寄せるのは技術なのよ。麻雀は対人戦。対戦相手の手の内を読んだり、相手の思考をトレースしたりすることも、麻雀で勝つには必要になってくるの」
 それまで静かに微笑みながら話を聞いていた鴨島が、柔らかい口調で颯太の疑問に答えてくれる。彼女は少なくとも日和佐よりかは常人に近い振る舞いをしてくれているが、長い睫毛に縁取られた瞳にはどこかギラギラとした光が宿っているように見えた。
 それが勝負師と呼ばれる人々特有の煌めきであることを、後に颯太は知ることになる。
「運を引き寄せる、ですか」
「そうそう。他家が捨てた牌を見てどの牌を目当てに待っているのか読み取ったり、相手の攻め方に合わせてこっちも押し引きしたり……ま、百聞は一見にしかず。とりあえず一局打ってみませんか?」
 部室の真ん中に設置された、テーブルらしき器具。その上に掛けられた布を松茂が取り去ると、広いグリーンの面を白地の枠で取り囲んだ卓が現れた。
「全自動雀卓、点棒読み込み機能付きで十五万以内! 破格のシロモノだぜ」
 いつの間にかスマホを置いていたらしい住吉が、平坦な口調で告げる。颯太は何とも言えない心細さを覚えながらも、松茂に促されて席の一つに着いた。
「ではチュートリアルだ。まずそもそも、麻雀というのは基本的に、四人で遊ぶゲームである」
 日和佐が颯太の背後につき、解説を始める。他の席にはそれぞれ鴨島、住吉、松茂が座り、卓を囲んでいる状態だ。
「使うのは『牌』と呼ばれる道具で、トランプに例えるとカードのような物だ。トランプのカードには四種類あるな?」
「は、はい。スペード、クラブ、ダイヤ、ハート、ですよね?」
「ご名答。麻雀牌にも同様に、いくつか種類がある。数字が振られているのがこの三つだ」
 日和佐は三種類の牌をそれぞれ一つずつ取り出し、颯太の目の前に並べてみせた。
「左から順に、『萬子(マンズ)』『筒子(ピンズ)』『索子(ソーズ)』と呼ぶ。数字は一から九まで振られていて、それぞれ同じ牌が四つずつ存在する。だからこの時点で、百八枚の牌があるわけだ」
 そこまで言うと日和佐は続いて、七つの牌を一枚ずつ並べてみせた。
「麻雀牌には数字の牌だけでなく、このように文字が書かれた牌もある。『(トン)』『(ナン)』『西(シャー)』『(ぺー)』、そして『(ハク)』『(ハツ)』『(チュン)』だ」
「この、真っ白なやつは何も書かれてないみたいですけど、これも字牌なんですか?」
「そうだ。この白を含めた發と中の三種類は『三元牌』とも呼ばれ、いくつかの役を作る際に重要になってくる牌だな」
「役?」
 疑問形で言う颯太の言葉は無視して、日和佐は目の前に並べた牌を手のひらで示す。
「これら字牌にも同じ物がそれぞれ四つずつ存在する。つまり麻雀は、合計で百三十六枚の牌を使って遊ぶゲームというわけさ」
 日和佐が説明用に取り出した牌も含めて一セット分の牌が穴に落とされ、撹拌が終わり音が鳴ると、続いてもう一セット分の牌が落とされる。ガシャンという音と共に、牌の山が四つ現れた。サイコロを振り、日和佐に指示されるがままに牌を取っていく。
「これで君の前に十三枚の牌が積まれたわけだが、麻雀というのは十四枚の牌を合わせて、ルールで決められた形を作る遊びだ。決まった形ができるまでは、まだ使われていない牌を一枚引くと同時に一枚捨てるという行為を繰り返す。ちなみにこの、牌を引いてくる行為を『ツモる』、不要な牌を捨てる行為を『打牌』または単に『切る』と呼ぶ」
「あ、そのルールで決められた形というのが、役なんですね?」
「その通り。なかなか飲み込みが早いじゃないか」
 薄く笑んだ日和佐の表情に不意を突かれ、颯太の胸がどくりと高鳴った。
「これから君に作ってほしい形は一言で言うと、四面子(メンツ)雀頭(ジャントウ)と呼ばれる形だ。三枚一組の面子を四つ、二枚一組の雀頭を一つ作れば完成する。面子は三枚一組といっても、適当に集めればいいわけではないぞ。面子には二種類あって、例えば萬子なら萬子の一と二と三、筒子なら筒子の四と五と六というように、数字が繋がっている組み合わせか、もしくは索子の七が三枚というように、同じ種類かつ同じ数字の牌が三枚揃っている形を面子と呼ぶ」
「ついでに言うと、数字が繋がっている組み合わせの面子を『順子(シュンツ)』、同じ数字や字牌の三枚を集めて作った面子を『刻子(コーツ)』と呼ぶわ。このあたりの専門用語は遊んでいる内に覚えるだろうから、今は雰囲気だけ掴んでもらえれば問題ないから」
 鴨島がさらりと補足する。いきなりの麻雀用語ラッシュに少々面食らったが、颯太は何とか頷いてみせた。
「そして面子以外に揃える必要があるのが雀頭だ。これは同じ牌が二枚の組み合わせだな。四つの面子と一つの雀頭、この組み合わせを最初に完成させた者だけがアガれるというわけだ」
「な、なるほど……」
「日和佐くーん、始めていいですかー?」
 卓を目の前にして待ち切れなくなったらしい松茂が急かす。日和佐は軽く肩をすくめてみせると。
「ここまで分かれば、あとは習うより慣れろ、だ。今回は松茂が東家(トンチャ)だから、反時計回りで君は南家(ナンチャ)となる。局は親から始まるから、東家が引いたら次は穴吹君がツモる番だ。さあ、やってみようか」
 そう言って颯太の背中を押した。


 正直に言うと、颯太にとって初めての対局は、なかなかに楽しかった。最初は詳しいルールも分からずに、日和佐に教えられるがまま手を動かすだけだったのだが、やってみると案外これが面白い。人生は配られたカードで勝負するしかない、というのは昔何かで見た言葉だが、最初に割り振られた牌をいかにアガれる形へともっていくか。それを考えるのは新鮮な体験だった。
 結果は、颯太がリーチした後、住吉が捨てたアタリ牌をロンして終局。新入生へのチュートリアルという名目上、上級生たちはいずれもかなり忖度した打ち方をしてくれていたようだが、それでも初めての対局で無事にアガれた達成感は大きかった。
「どうだった、穴吹君?」
 鴨島が卓から立ち上がりつつ、颯太に声をかける。
「はい、面白かったです! ルールも何となく分かってきましたし」
「それは良かった。でも……ちょっと物足りない、とは思わなかった?」
「……え?」
 鴨島が端麗な微笑みを顔に浮かべたまま、意味深に問いを投げかけてくる。颯太はとっさに「どういう意味ですか?」と彼女に食いつこうとしたが、それは間に入ってきた日和佐の声に阻まれた。
「今回は新入生への歓迎を込めた接待麻雀だったが、本来の我々J高校麻雀同好会の実力はこんなものではない。特に鴨島部長は、卒業後のプロ入りを期待されているほどの打ち手だ」
「大げさよ、皆が私を買い被り過ぎているだけ。そもそも私、進学するつもりだし。これでも受験勉強頑張ってるのよ?」
「それは勿体ない。まあ、人様の人生設計に口を出す権利は僕にはないから、それは置いておくとして。とにかくだ、全国にはさらにとんでもない化け物共がゴロゴロいる。交感神経が昂り、五感が鋭敏に研ぎ澄まされ、脳細胞が大量のグルコースを消費するのをまざまざと感じる、あの瞬間。やるかやられるかのギリギリの鍔迫り合い。そういうものは、普通の高校生活を送る分には、なかなか経験できるものではない」
「え、全国って、まさか……」
 嫌な汗をかきながら聞き返す颯太に、松茂が反応する。
「今年の夏に、大手スポンサーの付いた公式戦が開催される予定なんです。全国高等学校麻雀選手権、って言うんですけど」
「さ、参加するつもりなんですか?」
「当たり前だ。この大会は男女別の二人一組でチームを組んで戦うんだが、今ウチには鴨島・松茂ペアしか試合に出られるチームがない」
「ペア? それなら日和佐先輩と住吉先輩で組めるじゃないですか」
「あー、ダメダメ。コイツちょっと事情があってな、公式戦に出るのは難しいんだよ」
 疑問をぶつける颯太に、住吉が苦笑しながら答える。事情って何だろう、と颯太は首を捻ったが、今はそこまで踏み入ったことは教えてもらえないようだ。
「もうすぐ下校時間ね。私、穴吹君のサインを職員室に持って行ってくるわ。戸締まりは後でしておくから、皆適当に帰ってね」
 ファイルを持った鴨島が、引き戸を開けて部室を出て行く。彼女が出て行った後、扉の隙間から顔を出してしばらく何かを観察していたらしい住吉が、日和佐と松茂に向かってグッと親指を立てて何やら合図を送った。
「よし、では穴吹君。これで晴れて君も麻雀同好会の正式な部員というわけだが」
「ちょ、ちょっと待ってください。正式な部員って、俺はまだ入部届けを出してないんですよ?」
「いやー、実はさ、最初に部活動見学者の名簿にサインしてもらっただろ? あれの用紙の下にさ、カーボン紙と入部届けがセットしてあったわけ」
「は?」
「見学者名簿の記入欄の下に、入部届けの名前記入欄をちょうどいいカンジに置いてあったんですよ。気付かれる前に日和佐君がさっさと回収してファイルにしまって、そのファイルをさっき鴨島部長が職員室に届けに行ったと。つまり、まあ、そういうことです」
 さらっと説明する住吉と松茂に、颯太は開いた口を塞ごうともせず腹の底から「はあぁぁぁ!?」と叫び声を上げる。
「あ、あああアンタら、俺をハメましたね!? そんな騙し討ちみたいな手が許されるとでも思ってるんですか!?」
「まあまあ穴吹君。あれを見たまえ」
 ぎゃあぎゃあと喚く颯太を日和佐はどうどうと抑えつつ、部室の出入り口を入って左側の壁を、閉じた扇子の先で指し示す。そこには一枚の貼り紙があった。『Don't Be Naive』と、お世辞にもあまり上手とは言えない字が書かれた貼り紙を見て、颯太はどこか勢いを削がれる。
「あの貼り紙が、何か?」
「あれはJ高校麻雀同好会発足時から存在するスローガンでね。『騙されるな』とか『世の中はそんなに甘くない』という意味だ」
 日和佐が真面目くさった顔で言ってのける。
「穴吹君も実際に打ってみてよく理解できただろうが、麻雀というのは論理的な思考力と決断力が物を言うゲームだ。その半荘(ハンチャン)、その一局におけるすべての動作は、プレイヤー自身の判断によって行われる。自分が今この手を打ったら、局面はどう動くか。それを予想し考える力というのは、将来どんな道に進むとしても必ず必要になってくるものだろう?」
「……そう、ですね」
「つまり麻雀とは、我々がこの生き馬の目を抜くような現代社会で勝ち残り、そして生き抜いていくための力を養うのに最適なゲームなのだ」
 大仰な身振りを交えて熱弁を振るう日和佐に、颯太はついうっかり納得の頷きを返してしまった。
「事実、君はまさしく『騙されて』麻雀同好会への入部届けを出すことになってしまった。だが安心したまえ。騙されないための力を、これから我々と共に鍛えていこうじゃないか」
 麻雀を通じて、と締めくくった日和佐の死ぬほど綺麗な笑みを見ると、自分は一生この人に勝てないんじゃないかという気がしてくる。しかしどこか、この「してやられた!」という感覚は、今の颯太にとって決して不快なものではなかった。
「ということで、これからよろしく頼むよ穴吹君」
「大会、頑張りましょうね!」
「ま、気楽にな」
 口々に代わる代わる声をかけてくる部員たちに、颯太は今度こそ「よろしくお願いします!」と元気の良い返事をしてみせる。
 こうして、高校生活に何の期待も持てなかった少年・穴吹颯太は、J高校麻雀同好会へと正式入部を果たしたのだった。