「ねえみっちゃん、あれ犬じゃない?」
 カレーを食べ終えてアパートに帰っている途中、道の先を指さしながら京が言った。つられて目を凝らすと、女性らしき人影の前を、四つ足っぽいシルエットがうごめいているのが見えた。
 四つ足は二匹いて、少し近づくと、一匹はラブラドール・レトリバーだということがわかった。しかしもう一匹はサイズが小さく、辺りが暗いのもあって、なかなか正体を見破ることができなかった。
「わ、ラグドールだ。触らせてもらおうよ」
 一足先に種類がわかったらしい京が、止める間もなく「すいませーん」と駆け出してしまう。あっという間に飼い主の女性に近づき、「ラブラドールとラグドールですよね」と話し始める。
「俺昔、ラグドール飼ってたんです。少し触ってもいいですか?」
 女性は少し驚いていたが、京が「毛並みもよくてすっごく可愛いです」とつけ足すと、嬉しそうに笑って触ることを承諾した。
「みっちゃーん、触っていいってよ。可愛いよ」
 大学生にもなって恥ずかしいやつだなと思いつつ、満面の笑顔で呼ばれれば無視するわけにもいかない。
 近づいてみると、小さい方は青い目が綺麗な猫だった。小さいといっても猫にしては大柄で、白いもふもふの毛と愛らしい顔立ちは、まるで動くぬいぐるみだ。
「すいません。ありがとうございます」
 自分からも女性にひと声かけてから、俺はその場にしゃがみ込む。
 京がラブラドールを構っているので、俺はとりあえずラグドールの背中を撫でてみた。見た目通りのふわふわ感、むしろ「ふわんふわん」と表現したくなるような手触りに、きゅんと胸が高鳴るのを感じる。
「猫の散歩って珍しいですね」
「うちの子は大丈夫なんです。ハーネスも嫌がらないし、私や犬と外を歩くのが楽しいみたいで」
「へえ……うわ、乗ってきた」
「抱っこしてもいいですよ」
 促され、俺はしゃがんだまま、ラグドールの脇の下にそっと手を入れる。少し持ち上げて抱き寄せ、尻の下を支えてやると、ラグドールはくったりと脱力して俺の顔を見上げてきた。
 きょとんとした目と圧倒的なもふもふ感。ほのかな熱とほどよい重み。
 あまりの可愛さに、デレデレと頬が緩みそうになる。それを必死にこらえていると、こちらに気づいた京が「抱っこいいなあ」と近づいてきた。
「ラグドールって『ぬいぐるみ』って意味なんですよね。みーちゃんも抱っこするとくったりなっちゃって、こんな感じだったなあ。ほんと懐かし……うわっ?」
「あ、こら、ロン!」
 ラブラドールが京の髪にじゃれついてしまい、女性は慌ててリードを引っ張った。俺も急いでラグドールを地面に下ろし、名残惜しさを感じつつ二匹と距離を取る。
「すみません、この子遊びたくなっちゃったみたい。これ以上興奮する前に行きますね」
「こっちこそすみません。ありがとうございました」
 二人で頭を下げ、離れていく二匹と女性を見送った。歩き出してもなお、遊びたそうな顔で何度も振り返るラブラドールを見て、俺はつい吹き出しそうになる。
 やっぱり、似ている。わかりやすくはしゃぐところも、大きくて温かそうな体も。
「京」
「ん? なに、みっちゃん」
 こちらを向いた京の頭に右手を伸ばしかけて、すんでのところで我に返った。
 俺はいったい、なにをしようとしてるんだ。
「ええっと、なんだ。ラグドールって可愛いんだな」
 咄嗟に誤魔化すと、京は心底嬉しそうに笑った。
「うん。すっごく可愛いんだよ」
 そう応じた瞳は、ひどく優しい。そのままの目でこちらを見てくるものだから、俺はなんだか、視線を逸らしてうつむいてしまう。
 犬も猫も大好きだ。でも俺一人だったら、飼い主に声をかけて触らせてもらうなんて絶対にできなかった。
 だって「可愛い」は、俺には似合わないから。
 だから、なんのためらいもなく「可愛い」と言ったり、プラスの感情を素直に表現したりできる京を見ていると、時々すごくうらやましくなる――うらやましいだけじゃなくて、よくも悪くもわかりやすい裏表のなさに、妙な安心感を覚えることがあるのも事実だったり。
 まあそんなこと、俺は死んでも言わないけど。
「この辺に住んでるのかな。また会えるといいね、みっちゃん」
「……知らね」
 長年の癖に引きずられて、つい興味のないフリをしてしまう。
 それでも京は嫌な顔一つせず、いつも通り嬉しそうに俺の隣を歩くのだった。