残り十五分ちょい、これどもかというほど動き回り、くたくたになってタイムカードを切ったのは二十二時十三分だった。
 ……やばい。傘持ってねえ。
 裏口を出て早々、心もとない軒下で今朝の自分を呪う。
 なんか降りそうだなとは思ったのだ。でも天気予報を確認する手間を惜しんで、さっさと家を出てきてしまった。
 さーっという雨の音を聞きながら腕を組む。そこそこに降っているので、できれば誰かに傘を借りたい。ただ、今日のメンツで一番聞きやすいのは大学の研究室が同じ阿智先輩だけど、あの人はなにかと絡んでくるからよけいな弱みは見せたくない。
 そこまで考えて、表に客が置き忘れた傘があったかもしれないと思い至る。とりあえず見にいこうと一歩踏み出したところで、「みっちゃん」と呼ばれて顔を上げた。
「みっちゃん、もう帰り?」
 表に続く路地の先に、ベージュの傘を差した京が立っていた。驚いて少しつんのめった俺の方へ、パチャパチャと水音をさせながら近づいてくる。
「ねえ、やっぱりみっちゃんだよね? さっきは仕事中にごめんね。もう帰りなら、ちょっとだけ話そうよ」
「……なんでここにいるんだよ」
「え? ああ俺、高三の春に日本に戻ってきたんだ」
「そうじゃなくて。あんたらのグループ、まだ中で飲んでただろ」
「あ、そっち? トイレ行こうと思ったら、荷物持ったみっちゃんが出てくの見えたから」
 京の説明に、俺は一応納得する。間取りの関係で、うちの店はバックヤードから裏口に出る時に少しだけ店内の通路を横切るのだ。
 でもだからって、追いかけて抜けてくるのはいかがなものか。これじゃあまるでストーカーだ。
「あのさ、俺もう、あんたと関わりたくないんだわ」
 長身を見上げて、少しきつめに言葉を投げる。覚えていないフリで察してくれないのなら、はっきりと言うしか手立てがない。
 京は眉を下げて、困ったような表情をしてみせた。それを無視して、俺は畳みかける。
「退勤するとこ追いかけてくるとか、普通に怖え。だいたい最後に会った時からもう十年以上経つんだ。気づくのも怖いし、声かけてくるのも迷惑だし、人が忘れたフリしてるの気づかないとか空気読めなさ過ぎてやばい」
 ここまで言えばさすがに、追いかけてきたりなんてしないだろう。俺は道をふさぐ京の隣を無理矢理突っ切って、雨の中に身を投じる。
 多少濡れても仕方がない。傘は諦めて、ダッシュで家まで帰るつもりだった。
 しかし俺が歩き出した瞬間、「さーっ」だった雨が「ザーッ」に変わった。
「っ」
 突然強くなった雨脚にひるんで足を止めると、京が自分の傘を伸ばしてきた。えっ、と振り返った俺の目をじっと見つめて、「これ使っていいよ」と口を開く。
「俺折り畳みも持ってるから。あげる」
 照れくさそうに頬をかいて笑った顔が、昔の面影に重なった。
 俺は少し迷った後、渋々スマートフォンを取り出して、京に連絡先を尋ねた。