……と、いうわけで。
 俺の顔は今、非常に熱い。胸のうちには後悔の念が渦巻き、もはや人生リセットボタンを使いたいくらい。
 ドッグカフェを出た後、お昼を食べるために寄ったのは、京が調べておいてくれた小綺麗なカフェだ。おいしいオムライスを食べてひとしきり犬の話をし、意気揚々と頼んだデザートセットを待っている間にだんだんと我に返った俺は、今はもう本当にこの場から消えてしまいたい思いでいっぱいである。
「みっちゃん見て、いちごめっちゃ乗ってる。一個あげようか?」
 届いたばかりのいちごタルトを見て向かいの席の京がなにやら言っているが、正直それどころじゃない。
 どうしよう。どうすればいいんだ。俺多分絶対「いい子だなあハナちゃんヨシヨシ可愛いぞ(注:ハナちゃんはドッグカフェにいたラブラドール・レトリバーの名前)」とか言って鼻の下伸ばしながらわしゃわしゃしまくってキモイおっさんみたいな感じで犬を愛でまくってしまった。消えたい。
「みっちゃんのパフェもいちごだね。おいしそう」
 ずいと身を乗り出して、京が俺の選んだパフェにもコメントする。
 フレーク層の上に赤いジュレとピンクのクリームを重ね、ホイップと大量のいちごで飾り立てたパフェの外観はあまりにも乙女だ。もちろんそれは、普段の俺なら絶対に頼まない代物で、じゃあなぜそんなものがここにあるのかと問われれば、わんこから摂取した過剰なまでの可愛いパワーによる後遺症としか言いようがない。
「……やるよ」
「え?」
「お前にやるって言ってんの。こんな甘そうなの、俺全然好きじゃねーし」
「でもみっちゃん、さっき自分で嬉しそうに」
「さっ、さっきまでの俺は忘れろっ」
 動揺からつい大きな声が出て、目を見開いた京に慌てて「悪い」と謝った。「でもほんとに、俺いらねえから」とつけ加えて、パフェグラスを京の方へ押し出す。
 嘘だ。本当は食べたい。今だって興味がないフリでそっぽを向きつつ、ちらちらと艶やかないちごを盗み見てしまう。
 でも仕方がない。とにかく俺には、可愛いは無理なんだ。
 犬。猫。甘いもの。ぬいぐるみ。泣くこと。甘えること。人に頼ること。
 スカートを履かなくなったあの日から、俺はたくさんのものを封印してきた――完全に封じることが難しくても、少なくとも人前では、男らしく強い自分であれるように。男のくせに女みたいでキモイとか、絶対に思われないように。
 子どもの頃の出来事をいつまでも気にして、馬鹿らしいと自分でも思う。でもトラウマってそういうものだ。同級生に「女みたいな格好でキモイ」と言われた経験は俺の中にしっかり根づいていて、そうやって育ってきた俺が今さら無抵抗で犬とか猫とかスイーツとかを受け入れるなんてのは、土台無理な話なわけで。
 京はちょっと困った感じの顔のまま、じっと俺を見てきた。真剣なまなざしに、ジリジリと頬が熱くなる。
「なんだよ」
「いや」
 京はそう応えて少し首を傾げた後、パフェを見て、俺を見て、それから息を抜くようにして柔らかく笑んだ。
「いらない。だってみっちゃん、甘いの好きでしょ」
 その言葉を聞いた俺は、否定するつもりで咄嗟に口を開く。でも「俺わかるもん」と例の奇妙な上目遣いで覗き込まれて、たったそれだけで、今にも飛び出していきそうだった強がりはすっかり鳴りをひそめてしまう。
 俺は否定も肯定もせずに、パフェグラスを自分の手元に引き戻した。柄の長いスプーンでピンク色のクリームを崩し、下側のシリアルと混ぜ合わせながら、小さくつぶやく。
「お前ってさ、昔の俺のこと、どう思ってたわけ?」
「どうって?」
「ほらその……スカートとか、はいてただろ」
 本当はこんな、自ら黒歴史を掘り返すような質問などしたくない。
 だけどもう、聞かずにはいられなかった。
 幼い頃の京の目に、昔の俺はどう映っていたのか。面影など全くないくらい見た目も中身も真逆に成長した俺を、今の京はどう思っているのか。
 京はタルトをいじっていた手を止めて、ぱちぱちと二度まばたきをした。
「どうもなにも、好きなんだなあって、それだけ。可愛いものが好きな可愛いみっちゃんのことが、俺はずっと大好きだったよ」
 もちろん今もね。
 にっこりとそうつけ加えられて、俺は本格的に視線のやり場に困ってしまう。
 はしゃいでしまったことへの後悔とは明らかに別の感情で、全身が燃えそうなくらいに熱い。胸が苦しくて、でも嫌とかでは決してなくて、嬉しくて、なぜか少し切なくて、染み入るように温かい。
 可愛いものが好きで女の子の格好をしていた過去が、俺にとって黒歴史であることに変わりはない。
 だけど京がそうやって肯定してくれたことで、あの頃の自分が少し、救われたような気がした。ただ恥ずかしかっただけの過去ではなくて、あの時はあの時で精一杯生きていたんだよなと、少しは歩み寄って抱きしめてやってもいいような気分になった。
 もうずっと揺れていた天秤が、ことりと音をたてて動きを止める。
 誰かを心から好きだと思ったのは初めてかもしれない。俺はずっと、自分自身のことすら、正面から見据えることができずにいたから。
「京」
 ん? と首を傾げた京を見ながら、俺は口を開く。
「俺も、その……ええっと、あの」
 ――俺もお前が好きだ。
 ただひと言、それを言うだけなのに、喉が詰まって呼吸が苦しい。
 予想外の現象に、俺は戸惑った。
 茶色っぽい瞳がじっとこちらを見つめ返してくる。その輝きがやけに眩しくて、自分の顔が一気に熱くなるのを感じる。
「やっぱいい。なんでもない」
 京はきょとんと目を見開いて、「そう?」と不思議そうに首を傾げてタルトに戻っていった。
 色々なものを誤魔化すみたいに、俺も無心でパフェを食べた。舌先をくすぐるいちご味は甘酸っぱくてとてもおいしかったけれど、どんなにそれを味わっても、どきどきと脈打つ鼓動が抑まることはなかった。