カイは一泊の外泊から帰ってきた日以来、どこか変わってしまった。僕への態度が急によそよそしくなった気がするし、今までより少し物理的な距離を感じる。僕はカイに何かしてしまったのだろうか。考えてみたけれど、心当たりはないままだ。
カイと食堂の列に並んで、トレイを持つ手がうっかり触れ合ったりすると過剰にびっくりするし、風呂の時間も僕とずらそうとする。時には朝食を別々に食べるようにもなった。
それでも、寝るときは今までと変わらず手を繋いで、僕を安眠へと導いてくれる。朝、目が覚めると、その手はもう離されているけれど、優しく接してくれるのは変わりないから、嫌われたわけではないと思う。
僕にできるのは、カイが変わってしまったことに気付かないふりをして、積極的に話しかけることくらいだった。
こんなことなら、外泊から帰ってきた日に遠慮をせず「どこに行っていたの?」と聞けばよかった。優等生ぶって質問を控えたことを日々後悔するが、今更聞くことはできない。
学園の卒業生だという方から、大きなクリスマスツリーが寄贈されることになった。どこからか切り出されたモミの木の生木で、しっかり管理すれば年末まで、枯れずに持つらしい。
生徒会で設置場所を決めることになり、談話室にアンケートボードを作る。校舎のロビー、寄宿舎の食堂、談話室などの候補があがる中、「温室」という意見が意外と多く寄せられた。
クリスマスツリーが温室に設置されたら、いつもは静かな温室も賑やかになるだろう。いつも綺麗に咲いているのに、人目に触れる機会の少ない睡蓮の花も、皆に見てもらえるかもしれない。
けれど、僕にとって温室の静けさは守り抜きたいものだった。頻繁に出入りするのは、庭師さんと、僕とカイ、それくらいで充分だと思ってしまう。
結局、生木を寄贈してくださる方に詳しく聞けば、湿度は天敵らしく、温度も低いほうがいいという。温室という選択肢はなくなり、校舎のロビーに飾られることが決まった。
大きなトラックで搬入されてきたモミの木と、一緒に送られてきたオーナメントを業者さんが設置してくれれば、学園中がクリスマスに向けて、浮き足立った。
僕は手塚に手紙を書き、マフラーを購入しクリスマスイブまでに学園に到着するよう送ってほしいと頼んだ。もちろん「プレゼント包装でお願いします」と書き添えて。
首の長いカイはきっとマフラーが似合うだろう。色は愛犬スピと同じチョコレート色を指定した。肌ざわりにこだわって、できるだけフワフワした素材を探してほしい、と注文をつけたが、手塚なら、完璧な物を用意してくれるはずだ。
クリスマスカードはどうしようか。美術の講師に言って、色のついた厚紙を分けてもらい、イラストとメッセージを描こう。
冬休み前、最後の授業が行われたクリスマスイブ。夕食前に、マフラーのプレゼントを渡したくて、カイの姿を探した。
ガラス張りの温室にカイの姿を見つけ、僕は逆側の位置にある扉から入室する。マフラーの包みは、見つからないようにブレザーで隠した。
冬になると特に、温室の温かさと睡蓮の花の甘い香り漂う空気は、ほっとした気分にさせてくれる。やはりここにクリスマスツリーを飾って、静けさを失うなんてことにならず、よかった。
驚かせようと、忍び足でそっと近づいていく。声が聞こえるほどの距離に近づいたころ、カイはブレザーのポケットから持ち込みが禁止されているスマホを取り出し、慣れた動作で電話をかけ始めた。
「俺です。はい。ユウへの新たな接触者は無しです。問題もありません。いやだから、その話に心当たりはないままです。ちゃんと見張っています。はい、任務ですから。え?マフラー?わからないです。はい。では行方を探っておきます。判明したら連絡します」
今、誰と話をしてたのだろう?僕の名前が聞こえたけれど何の話?任務ってなに?
急にカイが僕の知っている人ではなくなったように感じ、ひどく戸惑い、ブレザーの中に隠していた包みを落としそうになる。
誰かと話す彼の声は、クリスマスだと浮かれている自分とは違い、淡々と業務的な雰囲気だった。スマホを仕舞ったときのカイの表情は見えなかったけれど、彼の前に出ていく勇気はなく、逃げるように温室をあとにした。
その後、夕食の食堂でも、風呂でも、談話室でも、タイミングが合わずカイの姿を見かけなかった。
結局、消灯時間前に部屋でマフラーを手渡した。明日から冬休みなので、今夜には絶対に渡したかったのだ。
「プレゼントだよ、カイ」
「え?」
「今日はクリスマスイブだから」
「そうか。今日は二十四日だったな」
夕食のときチキンを食べただろうに。やはりクリスマスだと浮かれているのは自分だけだったと恥ずかしくなり、プレゼントの包み紙から、手製のクリスマスカードをすっと抜き取って、マフラーだけを渡した。
「開けていい?」
「うん」
綺麗に結ばれた赤と緑のリボンを、カイの指が解いていく。
「あっこれ、マフラー?スピの色だ。暖かそう。ありがとう、ユウ!」
マフラーを見て、なんだかほっとしたような顔をしている。防寒具が欲しかったのだろうか?
カイは、部屋着のジャージの上から首に巻いてみてくれた。
「よく似合ってるよ、カイ」
「これ肌ざわりもすごくいい」
「手塚が選んでくれたんだ」
「あぁ、そうなのか。ありがとうユウ。すごくうれしいよ。俺、クリスマスプレゼントなんて、生まれて初めてもらったから」
「え?そうなの?」
「あぁ。ユウにはもらうばかりだな……」
カイは申し訳なさそうにヘーゼル色の目を揺らし、目をそらした。
「あの電話は、誰としていたの?」とは聞けなかった。カイの秘密に、触れてはいけない気がしたから。触れたら壊れてしまうものなら、触れないほうがいいはずだから。
それでも僕は、今夜もカイと手を繋いで眠った。
子どもの頃は毎年、クリスマスイブの真夜中にサンタクロースがプレゼントを届けにきてくれた。部屋のドアがゆっくりと開けられた気配で、浅い眠りから目覚めても、僕は見てはいけない気がして、ギュッと目を閉じたままでいる。
するとサンタさんの気配は、僕のベッドに近づいてきて、枕元にそっとプレゼントを置いてくれる。気配が遠ざかり、ドアが閉まってからようやく目を開けると、綺麗に包装されている箱が目に入って、とても幸せな気分になる。
あのサンタさんは、屋敷の誰かだったのだろう。執事だったり、シェフだったり。例え正体が誰であっても、僕はクリスマスイブの夜が大好きだった。
そして十七歳のクリスマスイブ。
ふと夢の世界から浮上し、繋いでいた温かい手が、そっと離されるのが分かった。気配が動く。カイが上半身を起こしたのだろう。僕が眠っているのを確かめるように顔が近づいてきた。僕はサンタクロースのときと同じで、けっして目を開けない。それでも手に取るように、気配の動きを感じる。
二段ベッドの横に敷かれたマットレスから立ち上がって、勉強机の椅子に掛けてあるジャージを羽織っている。足音を立てないようにドアのほうへ移動し、ゆっくりとドアが開けられる。そして、ドアは閉まる。
部屋の中はシンと静まり返った。カイはどこへ行ったのだろう?トイレ?いや、トイレに行くのにわざわざジャージを羽織ったりしないはずだ。星を見に外へ?いや、外は雪になりそうな冷たい雨が降っている。
目を開けて枕元の目覚まし時計を見た。一時二十五分。
五分が経ち、十分が経っても、カイは戻らない。僕はだんだんと不安になっていく。近頃のよそよそしさや、温室での電話を思い出し、カイがこのまま戻らないのではと、おかしな心配が膨らんでいく。もう会えないのではないか。僕を置いて学園を出て行ってしまうのではないか。そんなはずはないのに、悪い妄想が止まらない。
時計の針が二時を指したとき、僕はベッドから起き上がった。
「カイを、探しに行こう」
決意するように小さく声に出す。布団から出ると、思ったより室温が下がっていてブルっと震え、僕はジャージを羽織る。
こんな寒い中、カイはどこにいるのだろう?外で冷たい雨に打たれていたら、どうしよう。なぜかカイが裏庭で独り項垂れている姿を思い浮かべてしまい、早く行ってあげなければ、と焦ってくる。
電話では「任務」と言っていた。なにか事情があって、今日に限らず夜中にどこかへ出かけたりしていたのだろうか。どこかで独り、カイが苦しんでいるとしたら……。
ドアノブに手を掛けたとき、ドアがゆっくりと開き、廊下側にカイが立っていた。
僕はびっくりしながらも大きく安堵し、思わずカイに抱きついた。
「どこに、どこに、行ってたんだよ。僕を置いて、僕を一人にして、どこに……」
カイの身体はひどく冷たかった。
「ユウ、ごめん……起こした?えっユウ、泣いてるの?」
カイから離れ、自分の頬に触れれば、確かに濡れていて、恥ずかしくなり両手で拭った。
「泣いてないよ。怒ってるんだよ!もう、どこ行ってたの、カイ」
カイは僕を安心させるかのように、二コリと笑った。
「まずは部屋に入れてよ、ユウ。廊下、寒い」
僕は慌ててカイを招き入れ、ドアを閉め、照明とエアコンをつけてやった。
「ユウ、これ」
カイの手は寒さのせいで真っ赤にかじかんでいる。その手の中には、緑色の不思議な塊があった。
「これ、モミの木?」
カイはコクリと頷いた。
「ユウに、マフラーもらったお礼をしたくて。でも、何も準備してないし。俺、今まで誰かにクリスマスプレゼントをあげたこともなかったから。分からなくて。今できることを色々考えて、モミの木でクリスマスリースを作ろうって思いついたけど、簡単にできるものじゃなかった。ごめん……」
モミの木の枝が輪っかになるよう紐で結ばれている。正円には程遠い、不格好な塊。僕が文化祭前夜にあげたミサンガより、二回りくらい大きいサイズだ。
「リース……」
「そう、リースのつもり……。ロビーのモミの木も、明日でお役御免だろ。だからちょっと枝をいただいた。でも、上手くできなかったよ。結局、クリスマスプレゼントを渡せなくてごめん」
ブンブンと首を横に振る。
「これでいい。このリースで。変な形だけど、可愛いよ、これ。ありがとう、カイ」
「やさしいな、ユウは」
エアコンのおかげで、部屋は急速に温まってくる。そうすれば僕の心も温まって、さっきまでの妄想や不安がひどく馬鹿らしく思えた。それに、カイも以前に戻ったように笑ってくれているから、なにも心配する必要はない。
「そうだ、カイ。これさっき渡せなかったんだけど、クリスマスカード」
「へー、カードも書いてくれたのか。ありがとう。このトナカイ、ユウが描いたのか?変な顔してる」
「もう。そんなところ見ないで、メッセージを読んで」
「えーと。メリークリスマス、カイ。来年のクリスマスも同じ部屋で一緒に過ごそうね……」
僕の書いたメッセージを音読してくれたカイは、どうしてなのか、悲しい顔になってしまい、「もう寝ようか」とエアコンと照明を消した。
そして、暗闇の中「ごめんな、ユウ……」ともう一度謝ってきた。
冬休みは、学園に残ることが許されず、全生徒が帰省する。僕はいつもどおり手塚に車で迎えにきてもらった。またカイと一緒にお屋敷で過ごしたかったけれど、今回は断られてしまっていた。
「せめて、手塚の車で駅まで送らせて」
そう誘い、一緒に駐車場へ向かう。僕の手には、昨晩カイにもらったリースがある。
「持って帰るのかよ?」
「うん。お屋敷の誰かがきっとこれを長持ちさせる方法を知っているだろうから、聞いてみるよ」
駐車場では、既に手塚が待っていた。
「こんにちは、手塚さん」
カイの首には僕があげたマフラーが巻かれている。
「あぁ、カイくん。お久しぶりです。そのマフラー、貴方宛てだったのですね」
そうか。手塚には誰へのプレゼントなのか伝えていなかった。
「そうだよ!似合うよね、カイにピッタリだった。手塚、選んでくれてありがとうね」
「いえ、どういたしまして」
手塚は二コリと僕を見たが、カイは恥ずかしいのか俯いてしまった。
学園の最寄り駅でカイは車を降りる。
「よいお年を」
僕と手塚にそう告げて、深々と頭を下げる。
正月は父も母もお屋敷に帰ってくるはずだ。僕は「出会い」を回避するため、新年の挨拶回りは免除のはずだ。占い師の「予言」の唯一いい効果かもしれない。
占い師の言う「十七歳」も残り三ヶ月ちょっと。このまま何も起きませんように。年が明けて初詣に行っても、僕が願うことはそれ一択だ。
カイと食堂の列に並んで、トレイを持つ手がうっかり触れ合ったりすると過剰にびっくりするし、風呂の時間も僕とずらそうとする。時には朝食を別々に食べるようにもなった。
それでも、寝るときは今までと変わらず手を繋いで、僕を安眠へと導いてくれる。朝、目が覚めると、その手はもう離されているけれど、優しく接してくれるのは変わりないから、嫌われたわけではないと思う。
僕にできるのは、カイが変わってしまったことに気付かないふりをして、積極的に話しかけることくらいだった。
こんなことなら、外泊から帰ってきた日に遠慮をせず「どこに行っていたの?」と聞けばよかった。優等生ぶって質問を控えたことを日々後悔するが、今更聞くことはできない。
学園の卒業生だという方から、大きなクリスマスツリーが寄贈されることになった。どこからか切り出されたモミの木の生木で、しっかり管理すれば年末まで、枯れずに持つらしい。
生徒会で設置場所を決めることになり、談話室にアンケートボードを作る。校舎のロビー、寄宿舎の食堂、談話室などの候補があがる中、「温室」という意見が意外と多く寄せられた。
クリスマスツリーが温室に設置されたら、いつもは静かな温室も賑やかになるだろう。いつも綺麗に咲いているのに、人目に触れる機会の少ない睡蓮の花も、皆に見てもらえるかもしれない。
けれど、僕にとって温室の静けさは守り抜きたいものだった。頻繁に出入りするのは、庭師さんと、僕とカイ、それくらいで充分だと思ってしまう。
結局、生木を寄贈してくださる方に詳しく聞けば、湿度は天敵らしく、温度も低いほうがいいという。温室という選択肢はなくなり、校舎のロビーに飾られることが決まった。
大きなトラックで搬入されてきたモミの木と、一緒に送られてきたオーナメントを業者さんが設置してくれれば、学園中がクリスマスに向けて、浮き足立った。
僕は手塚に手紙を書き、マフラーを購入しクリスマスイブまでに学園に到着するよう送ってほしいと頼んだ。もちろん「プレゼント包装でお願いします」と書き添えて。
首の長いカイはきっとマフラーが似合うだろう。色は愛犬スピと同じチョコレート色を指定した。肌ざわりにこだわって、できるだけフワフワした素材を探してほしい、と注文をつけたが、手塚なら、完璧な物を用意してくれるはずだ。
クリスマスカードはどうしようか。美術の講師に言って、色のついた厚紙を分けてもらい、イラストとメッセージを描こう。
冬休み前、最後の授業が行われたクリスマスイブ。夕食前に、マフラーのプレゼントを渡したくて、カイの姿を探した。
ガラス張りの温室にカイの姿を見つけ、僕は逆側の位置にある扉から入室する。マフラーの包みは、見つからないようにブレザーで隠した。
冬になると特に、温室の温かさと睡蓮の花の甘い香り漂う空気は、ほっとした気分にさせてくれる。やはりここにクリスマスツリーを飾って、静けさを失うなんてことにならず、よかった。
驚かせようと、忍び足でそっと近づいていく。声が聞こえるほどの距離に近づいたころ、カイはブレザーのポケットから持ち込みが禁止されているスマホを取り出し、慣れた動作で電話をかけ始めた。
「俺です。はい。ユウへの新たな接触者は無しです。問題もありません。いやだから、その話に心当たりはないままです。ちゃんと見張っています。はい、任務ですから。え?マフラー?わからないです。はい。では行方を探っておきます。判明したら連絡します」
今、誰と話をしてたのだろう?僕の名前が聞こえたけれど何の話?任務ってなに?
急にカイが僕の知っている人ではなくなったように感じ、ひどく戸惑い、ブレザーの中に隠していた包みを落としそうになる。
誰かと話す彼の声は、クリスマスだと浮かれている自分とは違い、淡々と業務的な雰囲気だった。スマホを仕舞ったときのカイの表情は見えなかったけれど、彼の前に出ていく勇気はなく、逃げるように温室をあとにした。
その後、夕食の食堂でも、風呂でも、談話室でも、タイミングが合わずカイの姿を見かけなかった。
結局、消灯時間前に部屋でマフラーを手渡した。明日から冬休みなので、今夜には絶対に渡したかったのだ。
「プレゼントだよ、カイ」
「え?」
「今日はクリスマスイブだから」
「そうか。今日は二十四日だったな」
夕食のときチキンを食べただろうに。やはりクリスマスだと浮かれているのは自分だけだったと恥ずかしくなり、プレゼントの包み紙から、手製のクリスマスカードをすっと抜き取って、マフラーだけを渡した。
「開けていい?」
「うん」
綺麗に結ばれた赤と緑のリボンを、カイの指が解いていく。
「あっこれ、マフラー?スピの色だ。暖かそう。ありがとう、ユウ!」
マフラーを見て、なんだかほっとしたような顔をしている。防寒具が欲しかったのだろうか?
カイは、部屋着のジャージの上から首に巻いてみてくれた。
「よく似合ってるよ、カイ」
「これ肌ざわりもすごくいい」
「手塚が選んでくれたんだ」
「あぁ、そうなのか。ありがとうユウ。すごくうれしいよ。俺、クリスマスプレゼントなんて、生まれて初めてもらったから」
「え?そうなの?」
「あぁ。ユウにはもらうばかりだな……」
カイは申し訳なさそうにヘーゼル色の目を揺らし、目をそらした。
「あの電話は、誰としていたの?」とは聞けなかった。カイの秘密に、触れてはいけない気がしたから。触れたら壊れてしまうものなら、触れないほうがいいはずだから。
それでも僕は、今夜もカイと手を繋いで眠った。
子どもの頃は毎年、クリスマスイブの真夜中にサンタクロースがプレゼントを届けにきてくれた。部屋のドアがゆっくりと開けられた気配で、浅い眠りから目覚めても、僕は見てはいけない気がして、ギュッと目を閉じたままでいる。
するとサンタさんの気配は、僕のベッドに近づいてきて、枕元にそっとプレゼントを置いてくれる。気配が遠ざかり、ドアが閉まってからようやく目を開けると、綺麗に包装されている箱が目に入って、とても幸せな気分になる。
あのサンタさんは、屋敷の誰かだったのだろう。執事だったり、シェフだったり。例え正体が誰であっても、僕はクリスマスイブの夜が大好きだった。
そして十七歳のクリスマスイブ。
ふと夢の世界から浮上し、繋いでいた温かい手が、そっと離されるのが分かった。気配が動く。カイが上半身を起こしたのだろう。僕が眠っているのを確かめるように顔が近づいてきた。僕はサンタクロースのときと同じで、けっして目を開けない。それでも手に取るように、気配の動きを感じる。
二段ベッドの横に敷かれたマットレスから立ち上がって、勉強机の椅子に掛けてあるジャージを羽織っている。足音を立てないようにドアのほうへ移動し、ゆっくりとドアが開けられる。そして、ドアは閉まる。
部屋の中はシンと静まり返った。カイはどこへ行ったのだろう?トイレ?いや、トイレに行くのにわざわざジャージを羽織ったりしないはずだ。星を見に外へ?いや、外は雪になりそうな冷たい雨が降っている。
目を開けて枕元の目覚まし時計を見た。一時二十五分。
五分が経ち、十分が経っても、カイは戻らない。僕はだんだんと不安になっていく。近頃のよそよそしさや、温室での電話を思い出し、カイがこのまま戻らないのではと、おかしな心配が膨らんでいく。もう会えないのではないか。僕を置いて学園を出て行ってしまうのではないか。そんなはずはないのに、悪い妄想が止まらない。
時計の針が二時を指したとき、僕はベッドから起き上がった。
「カイを、探しに行こう」
決意するように小さく声に出す。布団から出ると、思ったより室温が下がっていてブルっと震え、僕はジャージを羽織る。
こんな寒い中、カイはどこにいるのだろう?外で冷たい雨に打たれていたら、どうしよう。なぜかカイが裏庭で独り項垂れている姿を思い浮かべてしまい、早く行ってあげなければ、と焦ってくる。
電話では「任務」と言っていた。なにか事情があって、今日に限らず夜中にどこかへ出かけたりしていたのだろうか。どこかで独り、カイが苦しんでいるとしたら……。
ドアノブに手を掛けたとき、ドアがゆっくりと開き、廊下側にカイが立っていた。
僕はびっくりしながらも大きく安堵し、思わずカイに抱きついた。
「どこに、どこに、行ってたんだよ。僕を置いて、僕を一人にして、どこに……」
カイの身体はひどく冷たかった。
「ユウ、ごめん……起こした?えっユウ、泣いてるの?」
カイから離れ、自分の頬に触れれば、確かに濡れていて、恥ずかしくなり両手で拭った。
「泣いてないよ。怒ってるんだよ!もう、どこ行ってたの、カイ」
カイは僕を安心させるかのように、二コリと笑った。
「まずは部屋に入れてよ、ユウ。廊下、寒い」
僕は慌ててカイを招き入れ、ドアを閉め、照明とエアコンをつけてやった。
「ユウ、これ」
カイの手は寒さのせいで真っ赤にかじかんでいる。その手の中には、緑色の不思議な塊があった。
「これ、モミの木?」
カイはコクリと頷いた。
「ユウに、マフラーもらったお礼をしたくて。でも、何も準備してないし。俺、今まで誰かにクリスマスプレゼントをあげたこともなかったから。分からなくて。今できることを色々考えて、モミの木でクリスマスリースを作ろうって思いついたけど、簡単にできるものじゃなかった。ごめん……」
モミの木の枝が輪っかになるよう紐で結ばれている。正円には程遠い、不格好な塊。僕が文化祭前夜にあげたミサンガより、二回りくらい大きいサイズだ。
「リース……」
「そう、リースのつもり……。ロビーのモミの木も、明日でお役御免だろ。だからちょっと枝をいただいた。でも、上手くできなかったよ。結局、クリスマスプレゼントを渡せなくてごめん」
ブンブンと首を横に振る。
「これでいい。このリースで。変な形だけど、可愛いよ、これ。ありがとう、カイ」
「やさしいな、ユウは」
エアコンのおかげで、部屋は急速に温まってくる。そうすれば僕の心も温まって、さっきまでの妄想や不安がひどく馬鹿らしく思えた。それに、カイも以前に戻ったように笑ってくれているから、なにも心配する必要はない。
「そうだ、カイ。これさっき渡せなかったんだけど、クリスマスカード」
「へー、カードも書いてくれたのか。ありがとう。このトナカイ、ユウが描いたのか?変な顔してる」
「もう。そんなところ見ないで、メッセージを読んで」
「えーと。メリークリスマス、カイ。来年のクリスマスも同じ部屋で一緒に過ごそうね……」
僕の書いたメッセージを音読してくれたカイは、どうしてなのか、悲しい顔になってしまい、「もう寝ようか」とエアコンと照明を消した。
そして、暗闇の中「ごめんな、ユウ……」ともう一度謝ってきた。
冬休みは、学園に残ることが許されず、全生徒が帰省する。僕はいつもどおり手塚に車で迎えにきてもらった。またカイと一緒にお屋敷で過ごしたかったけれど、今回は断られてしまっていた。
「せめて、手塚の車で駅まで送らせて」
そう誘い、一緒に駐車場へ向かう。僕の手には、昨晩カイにもらったリースがある。
「持って帰るのかよ?」
「うん。お屋敷の誰かがきっとこれを長持ちさせる方法を知っているだろうから、聞いてみるよ」
駐車場では、既に手塚が待っていた。
「こんにちは、手塚さん」
カイの首には僕があげたマフラーが巻かれている。
「あぁ、カイくん。お久しぶりです。そのマフラー、貴方宛てだったのですね」
そうか。手塚には誰へのプレゼントなのか伝えていなかった。
「そうだよ!似合うよね、カイにピッタリだった。手塚、選んでくれてありがとうね」
「いえ、どういたしまして」
手塚は二コリと僕を見たが、カイは恥ずかしいのか俯いてしまった。
学園の最寄り駅でカイは車を降りる。
「よいお年を」
僕と手塚にそう告げて、深々と頭を下げる。
正月は父も母もお屋敷に帰ってくるはずだ。僕は「出会い」を回避するため、新年の挨拶回りは免除のはずだ。占い師の「予言」の唯一いい効果かもしれない。
占い師の言う「十七歳」も残り三ヶ月ちょっと。このまま何も起きませんように。年が明けて初詣に行っても、僕が願うことはそれ一択だ。



