夜明けの空と君への言葉の武器

 家から出るのは案外簡単だった。
 ドアを開ける音で母さん達が起きてしまうのではないかと心配していたが,慎重にゆっくり開閉すれば大きな音を立てずにすんだ。
 時間はまだあるため私は暗い街をゆっくりと進んでいく。
 街には消えかかった街灯が道を作っているだけで他には何も無い。私の歩く足音だけが響く世界は心地よかった。
 朝の四時頃なら人も少しはいるのだろうと思っていたのが馬鹿に思えるほど人はいない。都心の方へ行けばもっと人はいるのだろうが,このプチ田舎ではまだ人々は眠りについているらしい。
 学校の前を通りすっかり見慣れた道を通っていく。電柱に描かれた謎の記号の落書き。蜘蛛の巣が多く出来ているボロ家。庭の手入れがされていない家。
 そして,古びた人気のない公園。

 「おはよ…」

 起きてからあまり声を出していなかったせいかかすれた声になってしまう。

 「やっと来たか。翠」

 だけど彼はしっかりと私の声を拾った。
 日が出ていないため昼間よりも暑くはないが海斗はうちわを扇いで,いつものベンチに座っていた。
 いつも通り私はその横に腰を下ろす。

 「小学生に間違われて補導されなかったか?」

 「されるわけないでしょ。てか小学生が補導される時間帯なら中学生でも補導されるし」

 「あーー。確かにそうか」

 「補導されるかもしれない時間帯に呼び出しておいて適当すぎない?」

 「ま,そうかっかっすんなって」

 海斗はそう言い,持っていたうちわを私に向かって扇ぎだした。気温が暑いせいか送られてくる風は生暖かく涼しくはなかった。

 「多分この時間帯なら補導されねーよ」

 「何でそう言い切れるの?」

 「少し前。四時半頃にこうやってベンチに座ってるところを警察に見つかったけど特に何も言われなかったから」

 だから大丈夫と笑う海斗はうちわを扇ぐのを止め,正面へと向き直す。私も海斗と同じように正面へと体を向ける。

 「……こんぐらい朝早くに公園に来たことがあるの?」

 目の前にある錆びたブランコが風に揺られる。正面を向いている状態なため海斗の顔は見られない。勿論心も。

 「毎日だな」

 よく通る声で海斗は言った。
 ベンチから飛び降りブランコの周りを囲うボロボロな柵に体を預けている。鳥達の鳴き声も風に揺らる葉の音も,何もかもが動きを止めた。

 「…毎日?」

 「そう」

 酷く静かな世界に海斗の声はよく響いた。海斗はこの暗い世界を見渡すようにして言う。

 「俺さ。この時間帯が一番嫌いだった」

 一番を強調して言った海斗に怒りを表すように止まっていた風は吹き始め葉は音を立てる。

 「もう新しい日が始まってるのに真っ暗で。誰もいなくて。ずっと自分の音しか聞こえない」

 それがずっと嫌いだったと海斗は言った。

 「……嫌いだったってことは今は違うの?」

 「いや。…嫌いだけど,いいところを見つけたって感じだな」

 海斗はそう言うと,そろそろかと後ろを向いた。私もそれにならって錆びたブランコの先を向く。

 「夜明けだ……」

 人が住んでいるかもわからない家達の隙間から,暗く静かだった世界を押し退けるように,白と水色が混ざったような光が奥の方から広がっていっていた。それに続くように赤やピンクなどといった夕日に見る色が空に滲んでいく。

 「…眩しい」

 色づいていく空を見ていると直視出来ないほどの光が目に入ってくる。
 それはこの暗い闇を押しやることが出来る唯一の光だった。

 「……見せたかったものってこれ?」

 「そう。これが見せたかった」

 地上へ顔を出してくる太陽の放つ光のせいで海斗の表情は見えない。しかし私には,きっと海斗は優しい顔をしていると思う事が出来た。ついこの間まで人の顔を見ず,声でどんな顔をしているのか予想してきたおかげだろう。
 少しの間私達は夜明けの空を静かに眺めていた。
 どこまでも続いていくような時間だった。この景色を目に収めるように眺めていた海斗が口を開く。

 「初めて朝日を見た時……ただただ凄いとだけ思った。真っ暗だった空が,空気が全部変えられていくようなかんじでさ。……親が離婚する前,父親と母親が毎晩喧嘩ばっかりしてたんだよ。夜だから俺が寝てると思ってか朝とか昼間は喧嘩してなかった。だけどいくら寝ようとしても貶し合う声がずっと聞こえてくる。ほんと,安心して寝れなんかできなかった」

 海斗はそこまで言うとブランコの近くから離れベンチへと戻ってくる。

 「だから俺は朝が来るこの時間帯にこうして公園に来てた。……そしたら安心したんだよ。やっと平和な朝が来てくれたって」

 戻ってきた海斗はベンチに座ることなく私の前に立った。
 お前はどうだ。そう聞かれているようだった。
 私にとってこの時間はどうなんだと。
 朝の香りがする空気を吸い込み私は口を開く。

 「私は………この時間が一番嫌い。朝が来て明るくなって人が動き出して。また大っきらいな時間が始まるって」

 この時間帯が安心するといった人間に言うべきではなかったかも知れない。だけど私はどうしてもこの時間が嫌いだった。
 夜は安心する。母さんも花梨も寝ているから喧嘩も始まらない。心も見なくていい。自分1人しかいないから何も気にしないで済む。だけど朝が始まるとまたみんな動き出して,見たくないものも聞きたくないものも聞かないといけない。
 朝日は綺麗で好きだった。けれどそれ以上に憎たらしかった。平和な夜を終わらせてしまうそれが。

 「………大っきらい。夜明けなんか」

 それだけを言うと私は目線を地面へと落とした。
 夜を終わらせないで欲しかった。海斗にとって安心するこれは私にとっては不安で嫌なものでしかなかった。
 視界がどんどん明るくなっていく。
 まるで何か罪を犯してしまいそれが白昼の目にさらされているようだった。

 「………眩しい」

 この時間が一番眩しい。

 「翠は,人の心が見えるんだろ?」

 海斗が確かめるように聞いてくる。私は下を向いたまま小さく頷く。

 「あー……じゃ,やっぱりそのせいだな」

 「……何が?」

 一人納得している海斗に私は思わず聞き返す。
 一体何が何のせいなのか何一つ分からなかった。今の会話の中でその発言に繋がるものなんてなかったはずなのに。
 突然おでこに衝撃が走った。

 「いった!?」

 「お前は考えすぎなんだよ」

 顔を上げるとそこには片手を私の近くに移動させていた海斗が笑っていた。
 どうやらデコピンされたらしい。

 「んな人の心なんかが見えてるせいで他の人が考えなんかしない事ばかり考えるんだよ。渉の時もそうだ。村宮がなんかやばいって誰よりも早く気付けた。その心とやらを見て。それで色々抱え込んで不安定になって馬鹿じゃねーの」

 馬鹿だ馬鹿だと連呼する海斗。私はただ固まっているだけだった。
 私が固まっているのを見た海斗は何を思ったのか,普段絶対に登らない滑り台の上まで登っていた。階段を登るたびギシギシと今にも壊れそうな音がする。
 そんな海斗の不思議な行動をぼんやりと眺めながら私は考えた。

 (そんなわけない)

 しっかりと言葉の武器だけではなく心を見て行動していかないと助けられる者が助けられなくなる。
 人の心をしっかりと見て考えて,自己満足でもいいからやっていこうとついこないだ決めたばかりなのに。
 海斗の言った事を要約するとこうだろう。人の心を見て馬鹿みたいに考えて馬鹿みたい。

 「んなわけないでしょ。私は元々こういう性格」

 滑り台の上まで登りきった海斗にも聞こえるように私は言った。

 「そうか?でも幼稚園の頃には既に心が見えてたんならその性格になった原因だろ………自分が放つ言葉の武器も見えるから出来るだけ相手を傷つけないように気をつけて生きてって。そんな馬鹿な話ないだろ」

 海斗が言った事は私が今まで気をつけて生きてきていたものと同じだった。
 言葉の武器で救われた人がいたとしても,やっぱり私にとって言葉の武器は人の心を傷つけるものという認識は変わらない。それを自分で生み出してしまう事に対して私は嫌悪感しかわかなかった。
 思わず眉間にシワが寄る。これが光の眩しさからなるものなのか私の心の内を言い当てる海斗の発言からのものなのかはわからなかった。
 海斗は私の表情なんか気にせずに続けていく。

 「学校の奴らも翠の家族も世界中の誰だって誰がどんな言葉でどれだけ傷ついて,それをどれだけ引きずっているのかなんて決してわからない」

 そこまで言うと海斗は小さく笑い言った。

 「なぁ,翠。俺の心は今どうなってる?」

 何でそんな事を言ったのかなは分からなかった。けれど,どうせ一瞬でわかることだからと私はいつも通り,ゆっくりと人の顔の横に位置しているそれを見るため目を動かした。
 そこを見た瞬間,私は目を見開いたのがわかった。

 「…………ない」

 かろうじて口から出てきた言葉は小さく,消えてしまいそうだった。
 いつもそこに位置していた心は影も形もなかった。ただ暗闇を消していく大きな光が色を空につけているだけでそこには何もない。

 「どうして……」

 「俺の心は夜明けの空みたいな色をしてんだろ。だったらこうやって空が自分の後ろに見えるように立てば心が空に重なって見えなくなるんじゃないんかって」

 してやったりといった表情を見せる海斗は,嬉しそうに私に向かってピースをした。
 いくら夜明けの空のような色をしていたからと言って空の色と完全に重なるなんて思っていなかった。だけど今こうして私の目には海斗の心は映っていない。
 誰かに人の心が見えるなんて言ったことがなかったためそんな事実を知ることはなかった。

 「そんな事ある……?」

 「翠が見えないんだったらそういうことだろ」

 そこそこ高さのある滑り台の上でくるくると回る海斗を見ながら昔の記憶をたどる。最後に心を見ずに人の事をしっかりと見られたのはいつだっただろうか。もう十年以上前であろうその記憶はいつまで経っても思い出せなかった。
 少し経つと海斗は回るのを止め柵から身を乗り出して私の名前を呼んだ。

 「翠。俺等が見てる世界はこうなんだよ。こんな状態で誰が傷ついてるかなんてわかるか?わかんねーだろ?」

 そう笑顔で語る海斗を見る。
 わからない。笑顔だけど心が傷ついている人は多く見てきた。だけど今はその心が見えない。海斗が今傷ついているのか,あの黒い靄がかかっているのかも何も分からない。
 人の表情だけでそれら全てがわかるわけがなかった。

 「な?人の心なんか誰にもわからない。それがわかるからといって無駄に責任を感じる必要なんかない。だって他の人が見る世界には心なんかないんだから」

 「………」

 わからない。人の心が見えなければ私は目の前にいる人間一人の心に抱えるものすらわからなかった。それは―――みんな同じなんだ。
 誰も人の心なんかわからない。だからみんな心に何かを抱えながらも笑っているんだ。話さなければ誰にも知られないから。
 心の見えない目で海斗の事を見上げる。

 「ねぇ。……海斗も人が何にどれだけ傷ついたか,わからない?」

 あそこまで海斗に話されてやっとこんなに簡単な事に気がついたのにまだ信じられていなかった。
 ―――いや最後の信じられる言葉が欲しかった。

 「わからねーよ」

 「…………そっか」

 私は海斗を見ながら小さく笑った。きっと引きつった笑顔だ。
 そんな私の不細工な笑顔を見たであろう海斗は滑り台を滑り降りて私の前までゆっくりと歩いてくる。
 その横には夜明けの空のような心がふわふわと浮かんでいた。昨日よりかは薄くなった黒い靄をまとって。

 「海斗。本当に見せたかったものはさっきのでしょ?」

 「…そういう事は分かっても黙っておくもんだろ」

 そう言うと海斗は照れくさそうに頭をかいた。こいつでも照れるなんてことあるんだな。
 もう少しからかってやろうかと思った私の心を読んだのか海斗が口を開く。

 「どうだ?少しはその馬鹿な考えは消えたか」

 海斗はさっきと打って変わって真面目な顔で話す。
 私は海斗の後ろで輝く空を見つめる。
 酷く眩しいそれは暗闇に満ちた夜を追い払い人間達に一日の始まりを知らせていく。
 そしてその光を見ることにより朝の始まりを知った少年は私の夜の闇よりも黒ずんでしまっているであろう心を追い払った。

 「うん」

 様々な思いを抱えた,その眩しい心のおかげでね。
 私の答えを聞くと海斗は頬を緩め小さく笑った。

 「良かった」

 たった四文字の言葉。しかしその声は安心したような震えるよな言葉だった。今まで人の声だけで相手がどんな顔をしているか,どんな気持ちなのか想像してきた。だからこそ海斗のその声には違和感があった。
 私は視線を海斗の心へと移す。そこには昨日よりかは薄い,黒い靄が彼の心を覆っている。

 (そうか……)

 昨日,海斗は海斗の母親と出会ってから黒い靄をまとっていた。私の人の心を見るのが怖かった事と海斗の母親と会う事は似ていたんだろう。嫌な感情に支配され気持ちが沈んでいく。底のない沼に飲み込まれるような感覚。
 私だけ,それが消えて終わりでいいの?

 (…いいはずがない)

 次は私が,それを追い払う番なのかもしれない。
 これから先,人の心を見て海斗の言う馬鹿な考えをする事は辞めようと思う。それを続ける事は今目の前で自分よりも私の事を心配してくれた彼の行動を否定するような事だから。
 だけど,大切な人の心の靄を少しだけでも薄く,軽く事をするくらいなら。少し話を聞くくらいなら。ただ隣で寄り添うことぐらいなら。しても許されると信じたい。

 「海斗」

 「なんだ?」

 随分と自分勝手で都合の良い考えかもしれない。
 だけど,どうしても彼の心を,綺麗で複雑な彼の心にまとわる靄をはらしたかった。

 「海斗の言った通り,誰も他人の傷なんて見えない。………それが血のつながった家族だろうと」

 「……」

 「私だってわからない。人の心が見えようと,見えまいとわからないものはわからないんだよ」

 前髪の隙間から覗いた海斗は知られたくない秘密を知られたような顔だった。その顔はだんだん,さっきの私のように下へと向いていく。
 海斗は言って欲しくないのだろう。だけど私は言う。そうしなければ彼の心の靄がはれることはないのだから。そしてそれは心の見える私にしか出来ないことなのだから。昔の私のように,もう一度彼に言葉の武器を向けよう。

 「だから……海斗こそ,自分の事を責めないで」

 「…っ」

 「自分が悪かったなんて考えないで,自分の心に嘘をついてまで,自分自身を騙してまで笑わなくたっていいじゃん」

 私の周りに(言葉の武器)が浮いてくる。

 「………俺まで……」

 海斗は右手で左腕を握り締め声を絞り出した。

 「俺まで家で笑わなくなったら,あの時俺の家は壊れてた。……それにもう少しだけでも俺があの母親の言う事を嘘でもいいから聞いてたら,離婚なんかしなかったかもしれなかった」

 「それで海斗が潰れたらどうするの?」

 「俺が潰れるわけがないだろ」

 そう言って彼は作り笑顔を作った。少し話すだけで内が出てくるあたり相当参っていたのだろう。
 私は深く呼吸をし再び口を開いた。

 「子供が親の機嫌をうかがって暮らすのは…本当は何か違うんだと思うんだよね」

 「……」

 私の横に浮いていた矢の一本が海斗の心の横を通り抜けた。それによって生まれた風で靄の少しがどこかへ消える。

 「両親が仲良くいてほしい。意味がわからないところで怒らないでほしい。……なんてもう言わないけどさ。ただ……そんな大人の行動に自分を殺してまで合わせる必要なんかないでしょ」

 言っていてこれは自分にも刺さるなと苦笑する。
 私の隣に浮く矢は私が言葉を発するたびに海斗の心の横を勢い良く通り抜けていく。

 「もっと普通に,暮らしたかった。親の機嫌なんか伺わずに素直に笑いたかった」

 一際大きな矢が海斗の心をかすめた。すると海斗は顔をパッと上げ叫んだ。

 「…翠に俺の何が!」

 「私の気持ちだよ。これは」

 「……は?」

 「私ら子供が親の機嫌を損ねる原因になる時はあったかも知れない。だけど親が悪かっただろう時だって絶対にあった!」

 「……」

 「自分ばっか責めんな。親だって悪かった事が多くあったでしょ。だからカフェで母親と会った時ああやって私の事を守ったんでしょ。子供のくせにって言ったあの人に。大人だってった思ったんじゃないの?」

 最後の一本が海斗の心のど真ん中を突き刺した。その周りにあった靄は空へと消えていく。

 「………その通りだな」

 海斗はそう言うと力なくズルズルとその場にしゃがみ込んだ。

 「ずっと,俺がもう少しやれれば良かったって思ってた。父親が離婚するって言った時嬉しくもあったけど,同時に……寂しかった。自分勝手に俺を連れ戻そうとする母親には嫌な感情しか沸かなかったし俺の事をしっかりと見ない父親には腹が立った。―――でもそこで俺が話してもそれが聞き入れられる事なんかないとしか思えなかった。だから黙った」

 私はベンチから立ち,しゃがみ込んだ海斗の隣へとしゃがんだ。海斗が私に気がついたのか気が付かなかったのか分からないが話を続けた。

 「だけど昨日カフェであいつを見てどうしようもなく……腹が立った。俺の意見なんか聞かなかったくせに,離婚して自分が欲しいと思ったら何としても俺の事を連れ戻そうとするあの姿に吐き気がした。―――なぁ,翠。(子供)あいつら()の飾りなのか?」

 そう言い顔を上げた海斗の顔は酷く怯えているようだった。その顔はまるでさっきの私だ。何か最後の自分が信じられるような言葉が欲しい。そう言っているようだった。
 私は彼の目を見つめハッキリとした口調で話す。

 「……自分の考え方次第だよ。ただ,私は絶対にそんな事はないと思ってる。自分が飾りだなんてそんな馬鹿な話絶対に信じない」

 母さんが明るく優等生な花梨の事が一番好きで,そうじゃなくなったら利用価値がないように振る舞っていたとしても,花梨(子供)が飾りだっただなんて絶対に思わない。事実が例えそうだったとしても。
 人間は思い込みで変わる。だから私は絶対に思わない。
 これが海斗に伝わったのか不安に思う。海斗はさっきの状態から変わらず固まったままだ。合わせていた目線を思わずそらしたくなる。だけどここでそらしたら本当に伝わらないような気がして,私はそらせずにいる。
 数秒,あるいは数分が経ったであろう。

 「……そうか」

 海斗がそう呟いたのが聞こえた。

 「考え方次第な……」

 「そ,考え方次第で悪いものも良いものに,良いものも悪いものに変わるとかいうでしょ」

 「…言うか?」

 「私の中ではそうなんだから言うに決まってるでしょ」

 私のその言葉に海斗はさっきの微笑むような笑い方ではなく声を出して笑った。

 「何で笑ってんの!?」

 「いや,随分と幼稚な事を言い出すなって」

 「さっきまで泣きそうだったのはどっちだよ」

 「どっちもだろ」

 海斗の横に浮かぶ心にまとわりついていた黒い靄と私の放った言葉の武器は蒸発するかのように空へと消えていった。

 「……良かった」

 私はその様子を見送ると小さく海斗と同じ言葉を言った。
 また今回のように嫌なものがまとわりつくかもしれない。そうしたらまたこうして無理やりにでもそれをはらってやろう。今日のように,十年前のように。

 「あー,しゃがんでて疲れた。ベンチ座ろうぜ」

 「だねー」

 私達二人はいつものベンチへ腰を下ろした。いつの間にか首筋にはいくつもの汗が浮かんでいる。

 「にしてもな,なんか……めっちゃ格好悪かった気がする」

 「今さら何言うの」

 ベンチに座った瞬間過去の悔いを悔やみ始める海斗に私は呆れながら言った。

 「だって今日は翠の事をどうにかしようと,あんな朝早くに呼び出したのに結局俺まで,何か……助けられるしさ!?」

 「十年前の自分を見習って行動したまでよ」

 若干キレ気味な海斗に私は落ち着いた声で言う。格好悪いとかあまり考えないと思っていたため少し意外に思う。

 「あーまじで」

 「そんなに?まるで好きな人の前で何かやらかした少女漫画の主人公みたいだけど」

 少しからかったつもりだった。少しでも早くいつものテンションに戻したく気づけば口が動いていた。
 うるさい,などと返ってくる。そう思っていた。

 「……海斗?」

 だけどいつまで経っても返ってこない返事を不思議に思い私は隣を向いた。

 「……」

 そこにいる海斗は私の反対方向を向き,足を組み片手で顔を支えていた。
 そしてその耳は熱でもあるのではないかと思うほど真っ赤に染まっていた。

 「え,海斗」

 「頼むからそれ以上何も言うな」

 私の方は見向きもせずにきっぱりとした口調で海斗は言う。
 少しの間私も海斗と一緒に固まった。
 どのくらいの間,そうしていたことか,気がつけば空には夜明けの暖色はなく雲一つない青空が広がっていた。
 また新しい朝が始まった。苦手なはずだったこの青さは今は少しだけ心地よい。

 「…よし」

 私はベンチから降り今だ横を向いている海斗の前に立つ。

 「ほら,いつまで拗ねてんの」

 「拗ねてねーし」

 「はいはい」

 私は海斗の手を取るとぐっと力を入れベンチから立たせる。

 「はっ!?」

 「私,まだ朝ごはん食べてないんだよねー。どっか食べに行こ」

 明るく私がそう言うと,海斗は戸惑ったような顔を見せる。しかし少し経つといたずらを企む子供のような顔をした。

 「いいけど,お前のおごりなー」

 「私,今お金持ってないんだよね」

 「…奢らせる気満々かよ」

 私と海斗の笑い声が古びた公園に響く。忘れ去られてしまったであろうこの公園。そこには今日新たに二つの思いが置いていかれた。忘れてはいけない,だけども忘れてしまいたい思い。
 それらはきっと,この,昔は子供の声で溢れていたであろう公園のように思い出したい時には思い出させてくれることだろう。