夜明けの空と君への言葉の武器



 学校という場所では皆,大小違えど,心に傷を負う事が多い。それが,この目を手にしてからの認識だった。廊下を見れば弓矢が飛び交い準備体操をする運動部を見れば折れたカッターの刃が風に乗っている。その武器達には鞘なんて物は付いておらず,容赦なく人の心へと牙を向ける。
 移動教室のため廊下を歩いていると,前から運動部の女子達が歩いてきた。それを見て思わず顔を顰める。運動部に入った事は無かったが,運動部で飛び交う武器の量が多いことは知っていた。大会に出ることが多い私の学校の運動部員達はいつも戦国時代の大名達のような関係なのだ。勝手な偏見だったが私はそんな運動部の人達とはあまり関わりたくなかった。しかしそんな私の気持ちとは裏腹に先頭に立つ女子が声を掛けてくる。

 「翠ちゃーん。移動教室?」

 「うん,そうだよ」

 話しかけられたのに無視をする訳にはいかない。私は顔を見ないように,けれど下を向いているとは分からない高さに目線を上げる。

 「秋末の授業だったら気をつけなよー。あいつ,声ちっさいくせして,大切な事を黒板に書かないから」

 「…うん。聞き逃さないように頑張るわ!」

 運動部の子はそれだけ言うとじゃあねと手を振り,廊下の角を曲がっていった。私は彼女達が見えなくなったのをしっかりと確認して息を吐く。たった三十秒にも満たない会話。けれど内容が駄目だった。
 私の目の前には銀色に輝く槍が浮いている。先の方は鋭く尖り刺されたりなんかしたらきっと死ぬ程痛いだろう。理解Ⅱの秋末先生の愚痴を零していったあの子が作り上げた言葉の武器だった。ここまで殺傷能力が高い武器が出てくるとは思わなかったため私は少しの間立ち尽くす。
 言葉の武器には今朝見たゴム鉄砲のような物からこのように明らかに危険な物へと種類が豊富だ。そして見た目の通り,心に負う傷の大きさは武器によって変わる。小さな物でも何回も攻撃されれば大きな物と変わらないが,大きな武器はやっぱり危険だ。言葉の武器は言葉を向けられた本人の耳へと届かなければ動くことは無い。さっきの話は秋末先生に聞かれていなかったため銀色の槍はここに浮いているだけで動こうともしていない。
 けれどこれを残していったあの子が再び秋末先生の愚痴を誰かに零し,それが本人へと聞かれてしまえばこれは素早く動き出し,先生の心を貫くだろう。ここまで武器が大きくなってしまったのはきっと先生自信も気にしている事だったからだろう。じゃなければここまで大きくなんかならない。

 (どうしようかな…)

 私はこれをどうにかする方法を一つ知っていた。出来れば,人がいない場所でのみ,やりたかった。しかし,周りには少ないが人が完全にいない訳では無かった。でも見てしまったものはやるしかない。

 (誰にも見られませんように)

 辺りを一度見渡し,覚悟を決めた私は武器を手に取る。伸ばした私の手は武器をすり抜け空を切った。それと同時に武器は泡へと変わり,割れて,消えていく。言葉の武器が見えない人から見れば何もないところへ手を伸ばした変な子に映るこの行動はどうやら誰も観ていなかったようだ。良かった,と安心したのもつかの間。

 「―っ!?」

 右足首へと激痛が走った。突然の事でバランスを崩し廊下でしゃがみ込む。周りにいた何人かが不思議そうに私を見てくる。

 (しまった…!)

 その視線から逃げるように私はすぐに立ち上がる。何もないところでただ,転けてしまっただけだというように堂々としながら。そうすると私へと注がれた視線は消えていく。右足首からの鋭い痛みに耐えながら私は近くのトイレの一室へと逃げ込む。蓋を下ろしたまま椅子に座るようにして私は座った。

 「はぁーー」

 人がいなくなったことで気が抜け,中に溜まっていた息を漏らす。私は問題の足首を見るため靴下をめくる。
 そこには肌の色とは違う,黒に近い紫へと変色した肌が覗いていた。痣と言うのだろうか,専門的な知識なんかは無いが今までの経験からそう判断した。ピンポン玉程の大きさで見るからに痛そうだ。事実,こうして何も動かしていなくとも内側から痛みが溢れ出す。
 私はこの目以外にも変な力があった。いやきっとこれは目とセットで一つの物なんだろう。
 人が放った悪意の含んだ言葉などによって生まれた言葉の武器。それはその言葉を向けられた本人へと言葉が届かない限りは誰の心も傷つけない。私はそのような状態の武器であれば消す事が出来た。
 存在はしないが存在する,その武器を掴もうとすると人魚姫が海へと消えて無くなるように,いつも泡になって消えていく。
 そしてただ武器が消えただけではなく,その言葉の武器を生み出した人間へも影響がいき,少なくてニ週間,多くて一ヶ月は,放った言葉への興味が無くなる。つまりはその相手へ対する悪口陰口,不満,などを抱かなくなるのだ。
 しかしそんな都合の良いものだけが存在する優しい世界ではない。便利な能力には必ず代償がいる。それがこれだ。言葉の武器を消すとその分私の身体へとその代償がくる。それは心への傷なんかではなく,身体への傷だった。小さな武器なら切り傷程度だが大きな武器へとなっていくとこのような痣,カッターでざっくりやってしまったような傷,酷い時は打撲までいった。

 「まだ,ましか…」

 あの大きさの武器を消して,痣ぐらいならまだマシな方。廊下で転けて打撲しましたなんて事を先生に話さずに済んで良かった。
 靴下を元通りにし棚に置いていた教科書達を手に取る。それと同時に校内に授業開始の合図が響き渡った。

 「やっば!」

 次の授業は移動教室で家庭科の授業。家庭科室のすぐ近くまでは来ていたため走れば少し遅れただけで済むだろう。私は立ち上がるため足に力を入れる。

 「わっ…」

 しかしすぐに倒れ込んでしまった。右足に力が入らない。入れようとしても痛みですぐに抜けてしまう。何とか左足で立ち上がり壁に体を預ける。

 (どうしよう…)

 壁をつたっていけば歩けるだろうが,悲しい事に家庭科室は三階にある。とてもじゃないが階段を上がりきれる自信は無かった。頭に鞭を入れ考えるが時間だけが過ぎていくだけで何の解決策も浮かばない。こうなっては仕方がない。

 「……保健室行くか」

 隣の校舎の一階にある保健室なら何とか一人でも行けるはず。足を挫いてしまいましたとでも言えば,休ませてくれるだろうし,家庭科の先生にも話をつけてくれるはずだ。

 「よし……」

 私は誰もいない廊下を足を引きずりながら歩いて行った。