海斗がどこへ行ったかは何となく予想できた。もしかしたら家に帰ったている可能性もあるかと思ったが,私の足は海斗の家へとは向かわなかった。古びた公園の反対方向へと走っていく。ちょうど人が多い時間帯な事もあって思うように進めないが,足は止まらない。
そうして走っていった先は緑溢れる公園だった。さっきまでいた古びた公園とは対照的に,この公園の遊具は新品のように綺麗で子供で溢れかえっている。
途切れ途切れになる息を落ち着かせ公園へと入っていく。小さな子供の笑い声のする遊具の広場を通り抜けて私は奥へと進んでいく。バーベキューをしている家族。レジャーシートをひきピクニックをしている人達。走り回る子供達。それら全てを通り抜けてたどり着いた先は小さな丘だった。木登りができそうなサイズの木がてっぺんに生えている事以外特徴のない丘。特徴を言うとするならば,丘の前は開けており上を見上げなくても空が見える場所だということくらい。そこに一人腰を下ろしている人がいた。黒い靄に包まれた心を持った男の子だ。私は息を整え一度深く深呼吸をし,近づいていく。
「海斗」
私がそう呼ぶと座っていた海斗は勢い良く振り向いた。その目は赤く腫れている。
「……何でここがわかったんだよ」
「勘だよ。幼馴染の勘」
「…お前こそストーカーかよ」
海斗はそう乾いた声で笑うと再び前を向いた。私は何も言わず隣に座る。
「さっきは……悪かった。突然消えて」
「ほんとだよ…迷子になったらどうしてくれるのか」
「…そん時は,近くの交番にでも行って中学生にもなって迷子になりましたーって言えばいいんじゃ?」
「煽ってる?」
「すぐそう考えるのはどうかと思いまーす」
空を見ながら海斗は呆れるように言う。普段通りの会話に,何のためにここへ来たのかと私は笑う。
「いきなり何笑ってんだよ」
「いや引かないで?そもそも誰のせいだと思ってんの。こんな暑い中追いかけてきてくれた女子に向かってそれはないわー」
今度は私が呆れたように言う。
海斗は私の言葉を聞くと再び,乾いた声で笑った。それを見て私は覚悟を決めて話し始める。
「ねぇ,海斗は言ったよね。あの公園で集まるようにしたのは私が色々溜め込んでそうだからって。………当の本人が色々溜め込んでどうするの?」
「……!」
最後の言葉に海斗は反応した。私は何も言わずにただ待つ。これはきっと海斗の隠してきた秘密だったから。言うか言わないか,それは本人が決める事。
海斗。私は嬉しかった。辛かった時あの公園で毎日くだらない話をしてくれるのが凄く嬉しかった。あれがあったおかげで私は今日も笑っていれる。
私の友達を助けるのを手伝ってくれてありがとう。
私とくだらない事で笑い合ってくれてありがとう。
私に居場所を作ってくれてありがとう。
そして,私と友達になってくれてありがとう。
次は私に海斗を助けさせてよ。
数分経ってから海斗が覚悟を決めたように言ってきた。
「…まじで,翠にとってはどうでもいいような話だけど。少しだけでいいから………聞いてくれるか?」
「…いいよ。聞いてあげる」
私がそう言うと海斗は大きく息を吐いてから話し始めた。
「俺さ……五年前親が離婚したんだよ」
「………」
予想していた通りだった。海斗の母親が海斗がサッカーを辞めた事を知らなかった事を知った時点で私はその可能性を考えた。その後に来た海斗の発言からさらにその可能性が現実味を増していき,今ここでそれは事実だということがわかった。
「離婚理由は……母親がちょっとな,俺の友人関係に口挟むはヒステリックになって暴れ散らかすはで。それに愛想を切らした父親が離婚するってなった。…当然俺の親権は父親に渡って,母親はどっかに消えていった。……そん時俺は少し安心した。これで好きな友達と遊べるしよくわからない事で怒られることもないって」
海斗の声はだんだんと小さくなっていく。
「だけど一年前,来たんだよ。あいつが。……金が無くなった。親には勘当されて頼れないって。しかもあいつ俺が一人学校から帰ってる時に来たんだぜ。金の話なんかされてもわからないし俺は無視して帰ろうとした。そしたら……」
海斗はそこで口を止めた。よく見るとその手は震えている。
人に自分の秘密を見せるのは怖い。それはよく分かる。だから私は声をかけるのではなく震える背の体をそっと撫でた。驚いたように海斗が顔を上げたが少しすると顔を緩め再び話し出す。
「母親は金が無くなる少し前再婚のため合コンみたいのに参加してたらしいんだよ。そこで出会ったいい感じの男が,母子家庭の他の女に子供一人で育てて大変だねって言ったらしくて……そしたらあいつ,私も母子家庭になれば話す機会が出来て付き合えるかも,なんて頭お花畑な事考えたらしくて。ここまで来ると笑うよなー」
そこで海斗は言葉と息を止めた。そしてゆっくりと息を吐き出す。
「そしてその後,こういう事だから私についてこいって言って無理やり近くに止めてあった車に入れられそうになった」
海斗はそう言って笑った。いくら血のつながった母親だったとしても誘拐されそうになった事へのトラウマは残っただろう。それでも誰にもそんなことを気付かせず笑ってきたんだ。
「そん時は何が何だかわかんなくて引っ張る腕を必死で振り払って逃げれたんだけど,次はサッカーの練習試合の時に来た」
「嘘……」
「ほんと嘘みたいな話だよな…」
思わず私が言った言葉に海斗は頷く。
「そん時は父親がいたから誘拐されるなんてことは無かったんだけど,あいつは父親と口論になったすえ刃のでたカッターを地面に叩きつけてから逃げるように帰っていった。そのせいで……父親は俺にサッカーを辞めろって言ってきた。次会う時は俺が一人の時かもしれないって。……けど」
海斗は膝に置いた手を強く握りしめる。
「俺はサッカーを辞めたくなかった。…他のチームに移るとか選択肢は山程あったのに父親はそこで狙われるかもしれないって言ってろくに話も聞かずに俺からサッカーを奪った……警察に通報すれば良かったのに父親は世間体を気にしてしなかった」
そう話す海斗の顔は今まで話してきた中で一番苦しそうだった。両親が離婚した事も実の母親に誘拐されそうになった事も気がついていなかったとしても辛かったはずだ。そこでさらに追い打ちをかけるように大好きな物まで奪われて,それはどんなに辛いことか。
「サッカー辞めてからも何回かあいつに会った。一人の時だってあった。そのたびに,俺がサッカー辞めた意味なかったじゃんって苛ついて。少し荒れてたんだよなー」
確かに海斗は一年生の頃一度大喧嘩をして親まで呼ばれて学年中で噂になっていた頃があった。その頃の私はただ何馬鹿なことしてるんだろうとしか思ったでなかった。海斗がとても大きな物と戦っているなんて知らずに。
「ついには学校を転校するとまで言われた」
「転校……」
「そ,転校」
隣の県に転校すると言われたと海斗は言う。私はそれが本当に起こるんじゃないかと海斗の言葉をヒヤヒヤしながら待つ。
「…そんな顔すんなって。転校する予定は今のところない。嫌だったからな。絶対に,それだけは」
海斗がはっきり嫌だと言った事にどこか安心した自分がいた。海斗の安全を守るためだったらどこか知らない土地で新しく生活する事がいいはずなのに。
「なあ,翠。――昔お前が大泣きした時のこと覚えてるか?」
「え?」
突然話が変わり私は思わず聞き返す。
(大泣きした?私が?)
海斗の前で大泣きしたなんて記憶は一切なく私は何も答えられずにいた。海斗はもともと返事を待っていなかったのか話し続ける。
「幼稚園の頃,母親が友達選びに一番うるさかった時。翠がさ俺に言ったんだよ。―――好きな友達と遊びたいって素直に言えばいいのにって。その方が凄く楽しいよって」
海斗が昔の私の口調を真似しながらそう言った。その瞬間思い出した。
私のよく見ていた悪夢で私の言葉に傷つい子供は―――あれは海斗だった。私が思った事を素直に言い過ぎてしまっていたあの頃。私は確かに海斗に向かってそういった。
思い出した瞬間,全身から血の気が引いていくのが分かった。海斗の背から手を離し私はただ押し黙る。
昔傷つけてしまった,謎の子供は目の前にいる海斗だった。彼はなんと言うだろうか。昔お前の言葉で俺は傷ついたのに,何でお前に悩みを話さないといけないんだよ。そう言うかもしれない。いや,そう思ってるからこそ今この話をし始めたのだろう。
服の裾を力いっぱい握り締め,海斗が何を言うのかと
頭が真っ白になりながらも考えた。
何を言われても受け入れるつもりだった。だって私が傷つけてしまったから。私はどれだけ勘違いをすれば気が済むのだろう。
そしてついに海斗が口を開いた。
「あれ,すっごい嬉しかったんだと思う」
「……なんて?」
「だから,あの時翠にそう言ってもらえて嬉しかったたんだって」
私は思わず耳を疑った。
私が言われると思っていた言葉と正反対な事を海斗が言い出すものだから,私は何も言えずただ固まった。
「あの時俺さ,母親が絶対みたいなところがあったから,好きな友達と遊べなくても何も言わずにただ従ってたんだよ。だけどそれ見た翠がそう言ってくれたおかげで俺の中で何かが変わったんだ。自分の好きなように生きていい。って言われたみたいでさ。幼稚園生なりに考えて受け取って嬉しかった。――だからお礼言おうとしたら先生が翠の事怒り出すし,お前は泣き出すしでびっくりしたわ」
最後の方は途切れ途切れでしか聞こえなかった。海斗が私の無神経な言葉で変わることが出来たと。嬉しかったと言ったあたりで他の音はもう何も聞こえなかった。
「海斗は……傷つかなかったの?…」
「どこに傷つく要素があるんだよ」
「だって……そんな無神経な」
「無神経なくらいが丁度よかったんだよ。きっぱり言わないと何も伝わらなかった」
はっきりとした言葉で海斗は言う。そこに嘘は一つも混じっていなかった。私は思わず話していた。
「ねぇ,……偉い人とか先生とかってさ,言葉は一つ間違えたら人の事を傷つける凶器になるって言うじゃん?」
「……まぁ,確かに言ってんな」
話がいきなり変わった事に混乱しながら海斗は答える。
「あれってさその通りだと思う……というかその通りなんだよね」
「翠もそんなこと考えるんだな」
「そりゃぁね。………だって昔から見えるんだもん」
「…はい?」
海斗は私の言葉に冗談を言っていると言った様子で笑ってくる。それを見て私は少し躊躇した。ここで私が笑えば冗談で終わる。だけどここまできて話さないなんて選択肢はどこにもなかった。
「冗談なんかじゃないよ。私は幼稚園の頃から人が放った暴言やらが武器になって見えるの」
「……中二病?」
「ううん。違う」
今まで誰にも話したことがなかった。なんなら墓場まで持って行く気でいた秘密をまさか海斗に話すとは昔の自分は思っていなかっただろう。腹を割って話すと決めたからには話すつもりだったが,現実からかけ離れた内容に笑われて流されるかもと,内心ずっと不安だった。そのせいか私の口はどんどん動く。
「あとね……人間の心の傷も見えるんだ。その言葉から出来た武器に誰がどれだけ傷ついたかわかるみたいな。深い傷であればあるほど治るのは遅くて,学校なんてみんな心傷つきまくってたよ」
ただ私は見えてただけで何も出来なかったんだけどね。心の中でそう付け足す。
「私の一番初めに見た言葉の武器はね……自分の生み出した武器だった」
「……」
「さっき海斗が言った私の無神経な言葉は言葉の武器になったんだ」
私は昔自身で生み出した武器の姿を思い浮かべる。
「私は海斗に言葉の武器をふるったんだよ?……出刃包丁みたいなのでザックリと。海斗の心を刺したの」
海斗は何も言わない。それが余計に辛くてだんだん声が小さくなる。
「だから海斗が傷ついてないなんて……嘘なんだよ。気づいてないだけ」
「違う」
何も言わなかった海斗は,私のその言葉を否定した。
「言葉は武器になる。それは確かにそうだ。だけど決してそれら全てが悪いなんてことはないだろ。翠はさ,切り捨ててくれたんだよ。俺の母親に支配されてた心を。その言葉の武器とやらで」
海斗がそうハッキリと言い切った時私の視界は,水面から空を見上げたように歪む。
彼の前で泣くのはこれで二回目だなと頭の片隅で思う。
「ほら,泣くなよ。お前そんな泣き虫だったっけか?」
海斗は笑いながら以前そうしたように私の涙を指で拭った。
泣き虫じゃない。そっちがそうさせたんだ。そう反論したかったが,私の口から漏れるのは言葉にすらならない嗚咽だった。
ずっと。言葉の武器は悪いものとしか思えていなかった。だってそうだから。言葉の武器は人の心を切り捨て,人を駄目にしてしまう。だから私は消した。自分の身体を犠牲にして言葉の武器を消していった。
だけど,もし彼が言った通りなら。
言葉の武器で助けられた心があったのだとしたら。言葉の武器で溢れかえるこの世の中にも少しは希望があったのかもしれない。
心の奥にずっと住んでいた重い,重い荷物がどこか遠くへ消えていく感覚がした。
「海斗の事を慰めに行くつもりだったのになぁ……」
私の方が彼に助けられてしまった。
必死で目元をこすって顔についた水滴を消す。
「海斗の心の色は夜明けの空みたいな色をしてる」
私がそう呟いたのを聞くと海斗は少し目を大きく開いた。
「翠」
「何?」
水で歪んでいた視界がクリアになり,海斗の顔がハッキリと見える。
「明日の四時半頃いつもの公園に来いよ」
「…土日はだめだったんじゃないの?」
「今日だって買い出しに行かされたんだし,土日に外出禁止のルールはどっか消えたようなもんだろ。大丈夫大丈夫」
両手を組み軽く言う海斗。
朝の四時半。いつもは寝ていて外に出るなんて決してあり得ない時間帯だ。母親に馬鹿正直に話したとして外出許可は降りないだろう。
「分かった。四時半ね」
だったら私も海斗を見習ってこっそりと抜け出してしまおう。
私が頷くと海斗は嬉しそうに笑う。彼の心にまとわりついていた黒い靄はいつの間にか色を薄くしていた。
「いいもん見せてやるから楽しみにしとけよ」
海斗のその言葉は,この世の誰の言葉よりも信じられた。
そうして走っていった先は緑溢れる公園だった。さっきまでいた古びた公園とは対照的に,この公園の遊具は新品のように綺麗で子供で溢れかえっている。
途切れ途切れになる息を落ち着かせ公園へと入っていく。小さな子供の笑い声のする遊具の広場を通り抜けて私は奥へと進んでいく。バーベキューをしている家族。レジャーシートをひきピクニックをしている人達。走り回る子供達。それら全てを通り抜けてたどり着いた先は小さな丘だった。木登りができそうなサイズの木がてっぺんに生えている事以外特徴のない丘。特徴を言うとするならば,丘の前は開けており上を見上げなくても空が見える場所だということくらい。そこに一人腰を下ろしている人がいた。黒い靄に包まれた心を持った男の子だ。私は息を整え一度深く深呼吸をし,近づいていく。
「海斗」
私がそう呼ぶと座っていた海斗は勢い良く振り向いた。その目は赤く腫れている。
「……何でここがわかったんだよ」
「勘だよ。幼馴染の勘」
「…お前こそストーカーかよ」
海斗はそう乾いた声で笑うと再び前を向いた。私は何も言わず隣に座る。
「さっきは……悪かった。突然消えて」
「ほんとだよ…迷子になったらどうしてくれるのか」
「…そん時は,近くの交番にでも行って中学生にもなって迷子になりましたーって言えばいいんじゃ?」
「煽ってる?」
「すぐそう考えるのはどうかと思いまーす」
空を見ながら海斗は呆れるように言う。普段通りの会話に,何のためにここへ来たのかと私は笑う。
「いきなり何笑ってんだよ」
「いや引かないで?そもそも誰のせいだと思ってんの。こんな暑い中追いかけてきてくれた女子に向かってそれはないわー」
今度は私が呆れたように言う。
海斗は私の言葉を聞くと再び,乾いた声で笑った。それを見て私は覚悟を決めて話し始める。
「ねぇ,海斗は言ったよね。あの公園で集まるようにしたのは私が色々溜め込んでそうだからって。………当の本人が色々溜め込んでどうするの?」
「……!」
最後の言葉に海斗は反応した。私は何も言わずにただ待つ。これはきっと海斗の隠してきた秘密だったから。言うか言わないか,それは本人が決める事。
海斗。私は嬉しかった。辛かった時あの公園で毎日くだらない話をしてくれるのが凄く嬉しかった。あれがあったおかげで私は今日も笑っていれる。
私の友達を助けるのを手伝ってくれてありがとう。
私とくだらない事で笑い合ってくれてありがとう。
私に居場所を作ってくれてありがとう。
そして,私と友達になってくれてありがとう。
次は私に海斗を助けさせてよ。
数分経ってから海斗が覚悟を決めたように言ってきた。
「…まじで,翠にとってはどうでもいいような話だけど。少しだけでいいから………聞いてくれるか?」
「…いいよ。聞いてあげる」
私がそう言うと海斗は大きく息を吐いてから話し始めた。
「俺さ……五年前親が離婚したんだよ」
「………」
予想していた通りだった。海斗の母親が海斗がサッカーを辞めた事を知らなかった事を知った時点で私はその可能性を考えた。その後に来た海斗の発言からさらにその可能性が現実味を増していき,今ここでそれは事実だということがわかった。
「離婚理由は……母親がちょっとな,俺の友人関係に口挟むはヒステリックになって暴れ散らかすはで。それに愛想を切らした父親が離婚するってなった。…当然俺の親権は父親に渡って,母親はどっかに消えていった。……そん時俺は少し安心した。これで好きな友達と遊べるしよくわからない事で怒られることもないって」
海斗の声はだんだんと小さくなっていく。
「だけど一年前,来たんだよ。あいつが。……金が無くなった。親には勘当されて頼れないって。しかもあいつ俺が一人学校から帰ってる時に来たんだぜ。金の話なんかされてもわからないし俺は無視して帰ろうとした。そしたら……」
海斗はそこで口を止めた。よく見るとその手は震えている。
人に自分の秘密を見せるのは怖い。それはよく分かる。だから私は声をかけるのではなく震える背の体をそっと撫でた。驚いたように海斗が顔を上げたが少しすると顔を緩め再び話し出す。
「母親は金が無くなる少し前再婚のため合コンみたいのに参加してたらしいんだよ。そこで出会ったいい感じの男が,母子家庭の他の女に子供一人で育てて大変だねって言ったらしくて……そしたらあいつ,私も母子家庭になれば話す機会が出来て付き合えるかも,なんて頭お花畑な事考えたらしくて。ここまで来ると笑うよなー」
そこで海斗は言葉と息を止めた。そしてゆっくりと息を吐き出す。
「そしてその後,こういう事だから私についてこいって言って無理やり近くに止めてあった車に入れられそうになった」
海斗はそう言って笑った。いくら血のつながった母親だったとしても誘拐されそうになった事へのトラウマは残っただろう。それでも誰にもそんなことを気付かせず笑ってきたんだ。
「そん時は何が何だかわかんなくて引っ張る腕を必死で振り払って逃げれたんだけど,次はサッカーの練習試合の時に来た」
「嘘……」
「ほんと嘘みたいな話だよな…」
思わず私が言った言葉に海斗は頷く。
「そん時は父親がいたから誘拐されるなんてことは無かったんだけど,あいつは父親と口論になったすえ刃のでたカッターを地面に叩きつけてから逃げるように帰っていった。そのせいで……父親は俺にサッカーを辞めろって言ってきた。次会う時は俺が一人の時かもしれないって。……けど」
海斗は膝に置いた手を強く握りしめる。
「俺はサッカーを辞めたくなかった。…他のチームに移るとか選択肢は山程あったのに父親はそこで狙われるかもしれないって言ってろくに話も聞かずに俺からサッカーを奪った……警察に通報すれば良かったのに父親は世間体を気にしてしなかった」
そう話す海斗の顔は今まで話してきた中で一番苦しそうだった。両親が離婚した事も実の母親に誘拐されそうになった事も気がついていなかったとしても辛かったはずだ。そこでさらに追い打ちをかけるように大好きな物まで奪われて,それはどんなに辛いことか。
「サッカー辞めてからも何回かあいつに会った。一人の時だってあった。そのたびに,俺がサッカー辞めた意味なかったじゃんって苛ついて。少し荒れてたんだよなー」
確かに海斗は一年生の頃一度大喧嘩をして親まで呼ばれて学年中で噂になっていた頃があった。その頃の私はただ何馬鹿なことしてるんだろうとしか思ったでなかった。海斗がとても大きな物と戦っているなんて知らずに。
「ついには学校を転校するとまで言われた」
「転校……」
「そ,転校」
隣の県に転校すると言われたと海斗は言う。私はそれが本当に起こるんじゃないかと海斗の言葉をヒヤヒヤしながら待つ。
「…そんな顔すんなって。転校する予定は今のところない。嫌だったからな。絶対に,それだけは」
海斗がはっきり嫌だと言った事にどこか安心した自分がいた。海斗の安全を守るためだったらどこか知らない土地で新しく生活する事がいいはずなのに。
「なあ,翠。――昔お前が大泣きした時のこと覚えてるか?」
「え?」
突然話が変わり私は思わず聞き返す。
(大泣きした?私が?)
海斗の前で大泣きしたなんて記憶は一切なく私は何も答えられずにいた。海斗はもともと返事を待っていなかったのか話し続ける。
「幼稚園の頃,母親が友達選びに一番うるさかった時。翠がさ俺に言ったんだよ。―――好きな友達と遊びたいって素直に言えばいいのにって。その方が凄く楽しいよって」
海斗が昔の私の口調を真似しながらそう言った。その瞬間思い出した。
私のよく見ていた悪夢で私の言葉に傷つい子供は―――あれは海斗だった。私が思った事を素直に言い過ぎてしまっていたあの頃。私は確かに海斗に向かってそういった。
思い出した瞬間,全身から血の気が引いていくのが分かった。海斗の背から手を離し私はただ押し黙る。
昔傷つけてしまった,謎の子供は目の前にいる海斗だった。彼はなんと言うだろうか。昔お前の言葉で俺は傷ついたのに,何でお前に悩みを話さないといけないんだよ。そう言うかもしれない。いや,そう思ってるからこそ今この話をし始めたのだろう。
服の裾を力いっぱい握り締め,海斗が何を言うのかと
頭が真っ白になりながらも考えた。
何を言われても受け入れるつもりだった。だって私が傷つけてしまったから。私はどれだけ勘違いをすれば気が済むのだろう。
そしてついに海斗が口を開いた。
「あれ,すっごい嬉しかったんだと思う」
「……なんて?」
「だから,あの時翠にそう言ってもらえて嬉しかったたんだって」
私は思わず耳を疑った。
私が言われると思っていた言葉と正反対な事を海斗が言い出すものだから,私は何も言えずただ固まった。
「あの時俺さ,母親が絶対みたいなところがあったから,好きな友達と遊べなくても何も言わずにただ従ってたんだよ。だけどそれ見た翠がそう言ってくれたおかげで俺の中で何かが変わったんだ。自分の好きなように生きていい。って言われたみたいでさ。幼稚園生なりに考えて受け取って嬉しかった。――だからお礼言おうとしたら先生が翠の事怒り出すし,お前は泣き出すしでびっくりしたわ」
最後の方は途切れ途切れでしか聞こえなかった。海斗が私の無神経な言葉で変わることが出来たと。嬉しかったと言ったあたりで他の音はもう何も聞こえなかった。
「海斗は……傷つかなかったの?…」
「どこに傷つく要素があるんだよ」
「だって……そんな無神経な」
「無神経なくらいが丁度よかったんだよ。きっぱり言わないと何も伝わらなかった」
はっきりとした言葉で海斗は言う。そこに嘘は一つも混じっていなかった。私は思わず話していた。
「ねぇ,……偉い人とか先生とかってさ,言葉は一つ間違えたら人の事を傷つける凶器になるって言うじゃん?」
「……まぁ,確かに言ってんな」
話がいきなり変わった事に混乱しながら海斗は答える。
「あれってさその通りだと思う……というかその通りなんだよね」
「翠もそんなこと考えるんだな」
「そりゃぁね。………だって昔から見えるんだもん」
「…はい?」
海斗は私の言葉に冗談を言っていると言った様子で笑ってくる。それを見て私は少し躊躇した。ここで私が笑えば冗談で終わる。だけどここまできて話さないなんて選択肢はどこにもなかった。
「冗談なんかじゃないよ。私は幼稚園の頃から人が放った暴言やらが武器になって見えるの」
「……中二病?」
「ううん。違う」
今まで誰にも話したことがなかった。なんなら墓場まで持って行く気でいた秘密をまさか海斗に話すとは昔の自分は思っていなかっただろう。腹を割って話すと決めたからには話すつもりだったが,現実からかけ離れた内容に笑われて流されるかもと,内心ずっと不安だった。そのせいか私の口はどんどん動く。
「あとね……人間の心の傷も見えるんだ。その言葉から出来た武器に誰がどれだけ傷ついたかわかるみたいな。深い傷であればあるほど治るのは遅くて,学校なんてみんな心傷つきまくってたよ」
ただ私は見えてただけで何も出来なかったんだけどね。心の中でそう付け足す。
「私の一番初めに見た言葉の武器はね……自分の生み出した武器だった」
「……」
「さっき海斗が言った私の無神経な言葉は言葉の武器になったんだ」
私は昔自身で生み出した武器の姿を思い浮かべる。
「私は海斗に言葉の武器をふるったんだよ?……出刃包丁みたいなのでザックリと。海斗の心を刺したの」
海斗は何も言わない。それが余計に辛くてだんだん声が小さくなる。
「だから海斗が傷ついてないなんて……嘘なんだよ。気づいてないだけ」
「違う」
何も言わなかった海斗は,私のその言葉を否定した。
「言葉は武器になる。それは確かにそうだ。だけど決してそれら全てが悪いなんてことはないだろ。翠はさ,切り捨ててくれたんだよ。俺の母親に支配されてた心を。その言葉の武器とやらで」
海斗がそうハッキリと言い切った時私の視界は,水面から空を見上げたように歪む。
彼の前で泣くのはこれで二回目だなと頭の片隅で思う。
「ほら,泣くなよ。お前そんな泣き虫だったっけか?」
海斗は笑いながら以前そうしたように私の涙を指で拭った。
泣き虫じゃない。そっちがそうさせたんだ。そう反論したかったが,私の口から漏れるのは言葉にすらならない嗚咽だった。
ずっと。言葉の武器は悪いものとしか思えていなかった。だってそうだから。言葉の武器は人の心を切り捨て,人を駄目にしてしまう。だから私は消した。自分の身体を犠牲にして言葉の武器を消していった。
だけど,もし彼が言った通りなら。
言葉の武器で助けられた心があったのだとしたら。言葉の武器で溢れかえるこの世の中にも少しは希望があったのかもしれない。
心の奥にずっと住んでいた重い,重い荷物がどこか遠くへ消えていく感覚がした。
「海斗の事を慰めに行くつもりだったのになぁ……」
私の方が彼に助けられてしまった。
必死で目元をこすって顔についた水滴を消す。
「海斗の心の色は夜明けの空みたいな色をしてる」
私がそう呟いたのを聞くと海斗は少し目を大きく開いた。
「翠」
「何?」
水で歪んでいた視界がクリアになり,海斗の顔がハッキリと見える。
「明日の四時半頃いつもの公園に来いよ」
「…土日はだめだったんじゃないの?」
「今日だって買い出しに行かされたんだし,土日に外出禁止のルールはどっか消えたようなもんだろ。大丈夫大丈夫」
両手を組み軽く言う海斗。
朝の四時半。いつもは寝ていて外に出るなんて決してあり得ない時間帯だ。母親に馬鹿正直に話したとして外出許可は降りないだろう。
「分かった。四時半ね」
だったら私も海斗を見習ってこっそりと抜け出してしまおう。
私が頷くと海斗は嬉しそうに笑う。彼の心にまとわりついていた黒い靄はいつの間にか色を薄くしていた。
「いいもん見せてやるから楽しみにしとけよ」
海斗のその言葉は,この世の誰の言葉よりも信じられた。



