夜明けの空と君への言葉の武器

 少し経つと私が頼んだコーラフロート,そして海斗のお母さんが頼んだコーヒーとサンドイッチが届いた。

 「わー!美味しそう。最近出来たカフェだったから入るの躊躇してたんだよね。翠ちゃんがいてくれて良かった」

 「そうですね。確かに入るの躊躇しますよね」

 「そうなのよ!チェーン店とかなら入れるんだけど,こういう個人店とかは少し勇気いるのよねー」

 家で話すように会話を合わせてみると少し嬉しそうに海斗のお母さんは話す。大人は明るく話す子供が好きなんだろうか。
 ストローを刺し泡がパチパチと音を立てる飲み物を一気に飲む。口の中に刺激が走り,乾いていた喉が潤っていく。

 「いやー。最近はあちこちお店やらが変わっていっちゃって。数年で違う街のようになるわよね」

 「そうですね」

 「ほら,例えばあそこの大通りにあったコンビニ。最近うどん屋みたいのになってて」

 海斗のお母さんはそこまで言って話を切った。自らの失言に気がついたのだろう。ちらりと見たその顔は少し焦っているようにも見える。
 私はそれを見て深く息を吸い込み口を開いた。

 「あそこのうどん屋さん四年前には出来てましたよ。……出来てすぐに海斗と一緒に言ったんじゃなかったんですか?」

 「………」

 少々口調がきつくなってしまったのは仕方がないだろう。子供相手だから嘘を突き通せると思っていた大人にはこれくらいが丁度いい。

 「さっき話してくれましたよね。あそこのうどん屋さんがオープンしてすぐに海斗と一緒に食べに行ったって。何で四年も前に行ったって言った場所が最近出来たと思ったんですか」

 相手に話す隙を与えないよう私は言葉を並べていく。きっと焦っていたんだろう。自分からなかなか話さない私に一番聞きたい内容が聞けないことに。

 「……ごめんなさいね。年を取ると色々とごっちゃになるのよ」

 苦し紛れの言い訳には耳を貸さず私は目の前に座る女性の心を見る。
 酷く薄汚れた心だ。色々な物で傷が作られ心を,人を壊したんだということがよく分かった。その周りを囲う刃物達はこれ以上自分の心を崩さないようにするため他者へと牙を剥くのだろう。
 私は喉につっかえていた黒い塊を吐き出した。

 「……海斗と何年も会っていないんじゃないですか?」

 「……」

 さっきまで笑顔だった海斗のお母さんから笑みが消えていくのがわかった。正確に言えば表情は笑っているが目の奥は笑っていない。そして彼女の心をまとっているナイフが静かに私の方を向いたのが見えた。
 言った。言ってしまったからには話し続けなければならない。膝の上に乗る拳に爪を立てる。

 「…何でそんな失礼な事を思ったの?」

 前から投げかけられたその声は酷く冷たく,さっきまでの甘ったるさはどこにもなかった。

 「失礼な事を聞いているのは……すみません。けれど,どうしてもさっきの言葉が引っかかって」

 「はぁ………」

 海斗のお母さんは深いため息をつく。そのため息を様子は自分の母とよく似ていた。
 知ってる?子供はその親がつく深いため息がとても恐ろしいと思っていることを。
 海斗のお母さんは肘を組む。

 「…でもそんな事でどうして私が海斗と何年も会っていないと決めつけたの?…もう中学生なんだから自分の発言に少し気をつけなさい」

 攻め立てるような言葉を海斗のお母さんは容赦なく放ってくる。それは子供が間違った事をしてそれを叱る親の顔ではない。自分の裏の顔を見せないように相手を傷つける人間の顔だ。その証拠に彼女から私に向かって小さな小石が投げつけられている。
 ああ,やっぱり私の思った事は本当だったんだ。
 こういうところでだけ発揮される想像力に呆れながら普段は見ない人の顔をしっかりと見つめた。

 「海斗はサッカーを辞めたんですよ」

 「……はい?」

 私の言葉に彼女は酷く驚いた顔をした。

 「貴方はさっき海斗がサッカーばかりで勉強しないと言いましたが,海斗はサッカーをやめたんです」

 「嘘よ。…あの子は大好きなサッカーをやめてなんかいないわ」

 嘘だ。私は心の中でそう思う。だって海斗が私にこの話をした時の表情はとても嘘をついている人の顔には見えなかったから。あれが嘘なわけがない。

 「私と会って何を聞き出したかったんですか?海斗が最近どうしているか聞き出したかったんじゃ―」

 「他の家庭に首突っ込んでくるな!」

 私の言葉を遮るように彼女はテーブルを叩いた。それと同時に彼女の心を私に刃を向け舞っていたナイフが近くまでやってきた。この様子を何度か見たことがあった。本来,人が発した言葉を合図に動き出す言葉の武器は極稀にとても強く危険な言葉を放とうとする人間に使われると合図がある前に動き出す。
 私は反射的に目を瞑り降りかかってくるであろう言葉を覚悟した。

 「子供なんか――!」

 「何してんだよ!」

 しかしその言葉は一人の人物によって阻止された。
 いつの間にか低くなっていった声。だけどその声にある明るさは今も昔も変わらない。そんな声を持つ彼は聞いたことのないような焦ったような声をしていた。

 「海斗…」

 「どうしてあんたと翠が一緒にいるんだ」

 休日に見ることのない海斗の姿が目一杯に広がる。突如起こった状況が飲み込めずに身体が動かなかった。私が何か話さないといけないと考えているうちに狂った声が店内に響いた。

 「海斗!!」

 「……」

 テーブルを叩いた音でチラチラと見てきていた他のお客さんの目線が一気に集まるのを肌で感じた。海斗は私の席の隣に立つ。彼女は席を立ち自分達に集まる視線に気づかないかのように話し出す。

 「私よ!お母さんよ。私,どうしても会いたくて!」

 手を胸に当てて嬉しそうに笑顔でそう話す海斗のお母さんは笑っているのにどこか怖いものを感じた。
 私の目の前まで来ていた言葉の武器は再び海斗のお母さんの心の周りをくるくると回っている。その中心に位置する心にはさっきと同様,黒い靄がかかっている。そしてその靄に絡みつくようにして固まった血の色わした糸が合わさっていた。丸い形をしているはずの心は弾けた水滴が波打っているようだ。

 (狂ってる)

 そう思うほどに歪んだ心だった。ずっと見ていると自分の心まであれに蝕まれていくようで私はそっと目を逸らす。
 それと同時に隣から低い声が聞こえた。

 「何が会いたいだ…」

 「……え?」

 「そっちが会いたくても俺は会いたくねえって言ってんだよ!五年前しっかり話したはずだよな?俺とお前は赤の他人になって違う人生を送るって事で話がついたはずだろ。親権は父親に渡してそっぽ向いて出ていったじゃねーか」

 半狂乱になっている海斗のお母さんへ海斗は静かに,だけど心に響くような怒りに満ちた声で話す。海斗の周りにBB弾のような物が浮かび上がるのが見えた。。再び海斗が口を開けようとする。
 BB弾は既に海斗のお母さんへと走り出していた。作った本人よりも先に言葉の武器が動きだした。

 (親子揃って……!)

 私はそれを見た瞬間,咄嗟に声が出ていた。

 「海斗のお母さん!今日はごちそうさまでした。それでは!」

 動かなかった身体が嘘みたいに動いた。驚く海斗の手を引き私は,酷く涼しかった店内から太陽が照らす外へと逃げた。行く場所は一つしか無かった。