「陽鞠」
「……」
帰りの学活が終わりすぐに教室を出ていこうとした友達の名を私は呼んだ。
「何?…」
名前を呼ばれた陽鞠はゆっくりと私の方へ振り向く。その動作に力はなく,押してしまえば倒れてしまいそうだ。あんなにも明るかった姿がまるで何年も前のように感じる。
「少し話さない?」
私が思い切ってそう言う。やっぱり下を向きながら。こういう時は相手の目を見て話した方がいいんだろうが,やっぱり私は上を向けなかった。昔の花梨と重ねてしまっている陽鞠には尚更。
「ごめん。……無理」
「じゃあいつなら空いてる?」
「何処も空いてない」
「数分でも?」
「数分でも」
会話は進む事をしない。予想していた通りだが,やっぱり陽鞠は私と話をしようとしなかった。
でも今連れて行かないと手遅れになる。それに次は話してすらくれなくなるかもしれない。その一心だけで私は数メートル開いていた距離を一気に詰め,白く華奢な陽鞠の腕を掴む。
「え…」
「時間がないなら無理やり作るしかないでしょ」
私が強引に陽鞠の腕を引っ張りながら歩き始めると,彼女はつられるように足を動かした。
何度か転びそうになりながらも陽鞠は私の腕を振り払うなんてことはしなかった。
どちらも話さずに静かな時間が過ぎていく。私はそのまま目的の場所まで歩いて行った。学校を出て,自分達の通学路からは反対の方向へ歩いて行く。人気のない忘れられた住宅街へと足を踏み入れると不安になった陽鞠が声を荒げた。
「何処に行くの!」
「んー,内緒」
私はそれを軽くあしらい足を速める。どんどん,どんどん奥へと進んでいく。数分歩くと見慣れた公園が見えてきた。
「ここは…」
「陽鞠!!」
戸惑う陽鞠を呼ぶ声が公園からする。
「渉……」
公園から出てきたのは,海斗に比べてストレートな髪を持つ男子で,陽鞠の幼馴染である神山渉だった。神山は抱きつくような勢いで陽鞠の側まで駆け寄る。
「久しぶりだな,陽鞠」
「………」
彼の言葉通りきっと陽鞠は神山と話すのは久しぶりだったのだろう。いつも明るく上を向いているはずの顔は,いつもの私のように下を向いている。
「どういう事……翠」
「話をするため」
私は,淡々と答える。そんな中公園からもう一人男子が出てくる。海斗だ。一人は心細いと言った神山のため今日はこの場所に来てくれた。
この間海斗と話し,陽鞠をどうにかしたいと私は伝えた。勿論,海斗は陽鞠と面識なんてものはなく,言ってしまえば赤の他人だった。でも,そんな海斗からすればどうでも良いような話に彼は乗ってくれた。次の日にはこの公園に神山を連れてきて三人で再度陽鞠の現状について再確認し,そして今日行動に移すと決まった。
海斗と私は二人から一歩離れ,ようすを見守る。少しして神山が口を開く。
「陽鞠。……お前は」
「何もないって言ってるでしょ」
「そんな風に見えないからこうして,協力してもらってる」
下を向いてる陽鞠と違い,神山の顔は陽鞠の事を見ているように感じる。
「何があったかなんて馬鹿な事は聞かない。絶対に。……でも,…でも俺は」
「お願いだから,話しかけないで」
言葉が繋がらない神山を陽鞠は冷たく突き放す。
「何でだよ…なんで!…」
「何があったのかは聞かなかったんじゃない
の!」
「じゃあさっきの言葉は撤回する!何で俺を避けるようになったんだ!?」
「それは…」
何かが吹っ切れたように神山はさっきまで繋ぐことが出来なかった言葉を繋いでいく。
「別に俺を避けるようになった原因を無理に聞くつもりなんてない,でもそれでも何か相談か話くらいさせてくれ。そうやって溜め込んでいかないでくれ」
「……」
最後は泣くような,震えた声で話す神山。どうしようもない,心の内を初めて話すように。いや,初めてなんだろう。幼馴染だからって,相手の何もかもを知っているわけがない。
だからこうして言葉にしないと駄目なんだ。言葉は良くも悪くも人に自分の気持ちを伝える。悪い言葉は人の心へ傷を作るが,良い言葉は相手を動かす。
「……私だって……私は」
陽鞠は手を震わし崩れる。
「私は……ただ普通に,何事もなく過ごしていたかった。……あんな人間なんかに負けたくなんて無かった。でも,私の周りにも手を出すって………言うから」
気づいたら私は走り出していた。私よりも少し背の高い彼女の背がとても小さく見える。ここは絶対に神山が行くべきだってわかっていた。でも耐えられなかった。
私はやっぱり陽鞠と花梨を比べている。
「ごめん,陽鞠…」
「何で……翠が謝るの」
「何でだろうね」
ポロッと溢れた私の謝罪の意味は自分自身でもわからなかった。私は一人覚悟を決め,初めて会った時以来,見てこなかった陽鞠の,友達の顔を見る。そこにある心は酷く傷ついていて,やっぱりそれも花梨と重ねてしまった。最低だということはわかっている。昔出来なかった,こうして抱きしめることすら出来なかった自分の悔いをどうにか薄めようとしているだけだとわかっていた。
でもやっぱり,もう一度後悔はしたくなかった。
「陽鞠,世界は凄く狭いよ。私達くらいの年なんてなんにも出来ない。高校生になればバイトも出来て,自分で稼いで好きなことが出来るかもしれない。でも私達は学校に行って家に帰っての繰り返し。…だからどっちかの居場所が崩れてしまったら,心なんて簡単に壊れる。……壊さないでよ,せっかくこんなにも話を聞いてくれるっていう昔馴染みがいるんだからさ」
自分で言っていて,綺麗事ぽいなと思った。私は自分の幼馴染に何一つとして心の内を見せてはいないくせに。
私は陽鞠からそっと離れる。
「陽鞠」
私と入れ替わるように神山が陽鞠の側でしゃがみ込む。
「一緒に帰ろう。………俺,また数学わからなくなってきたから教えてほしいんだよな」
神山はそう言い無邪気に笑うと,陽鞠へと手を差し出した。陽鞠の目からは止めどなく大粒の涙が溢れていく。数分間そうすると陽鞠は涙で濡れた大きな瞳をしっかりと開き下ではなく神山の顔を,上を向く。
「……ありがとう。勿論教えてあげる!」
そしてしっかり差し出された手を取った。
私はそのようすを見て海斗の隣に再び立つ。すると海斗は私を見てニヤッと笑った。それを見て私も笑う。
愛は面倒くさい。その感覚は変わらない。でもこの二人を見ていると,面倒くさいものだけではないと少しだけだが思う事が出来た気がする。
少しして,私達二人は帰ろうかとした時陽鞠が私へ駆け寄ってきた。
「翠…ごめん。あの時突き放して」
「全然,私の事を思ってそうしたんでしょ?」
「だけど…」
「だけどじゃない」
私は陽鞠の綺麗な瞳をしっかりと見つめる。どうしてだろう。海斗以外の心を見るのがあんなにも怖かったのに,花梨と似た状況にある陽鞠の心を見るのが怖かったのに。私は今,彼女の顔を見ている。
「ありがと。陽鞠,私と友達になってくれて」
「………こちらこそ,始業式の日私に話しかけてくれてありがとう」
そう言われて,思い出した。私が声を掛けたんだ。この明るくてとても可愛い友達に。
これからは,陽鞠の顔もしっかりと見よう。そして心が傷ついていたら絶対に,見ているだけの傍観者なんかにはならずに,自分のできる事をしよう。
夕日が光る空の下私はそう心に誓った。

