「はっ…!……?」

 私は座っていた状態から慌てて飛び起きた。冷や汗が止まらない。吐く息が全て震えている。少ししてから私は眠ってしまっていたのだと理解した。

 「久しぶりに見たな………」

 私が見る悪夢はいつもあれだ。何年も前に犯した私の罪。それが頭にこびりついて離れない。夢を見たことによって埃が払われたようにあの時のことが思い出される。私は気持ちを落ち着かせようと下を向く。そこには飛び起きた拍子に落ちた,自分のリュック。そして見慣れないパーカーが落ちていた。

 「翠?―――大丈夫か!」

 「……なんで」

 聞き慣れた声がしたため私はゆっくりと顔を上げる。声をした公園の入り口には――海斗が立っていた。彼は心配そうに私の側へと寄ってくる。

 「大丈夫?まだ足が痛むのか?」

 「………なんで」

 海斗の問いに私は答えられず,逆に私が質問をすることになった。こんな人気のない,幽霊でも出そうな公園になぜ彼がいるのだろう。海斗は私の疑問に答える。

 「帰りの学活の時,足怪我してるくせして走るお前を見たから,急いでお前を探し始めたんだよ。今朝言ったばっかだろ,なんかあったら言えって」

 「……探した」

 「そうだ。初めはお前んちの近くを探してたんだけどいつまでたっても見つかんないし,家のチャイム鳴らしても誰もでないし,一回家戻ってもう一回探し始めた感じ。そしたらこんな場所で一人寝てんだから焦った」

 「…そう」

 早口になりながら自分の苦労話を始める海斗に私はそれだけしか答えられなかった。状況が何一つとして飲み込めない。寝起きで頭が働いていないのだろうか。

 「大丈夫か?翠」

 「……さっきから何度も…大丈夫だよ」

 ここに来てようやく冷静になってきた。さっきから大丈夫大丈夫と繰り返す海斗に少し素っ気なく返す。

 「んなわけないだろ。お前一回鏡で自分の顔確認したほうがいい」

 「え?」

 「……なんか変な夢でも見たのか?」

 海斗がそう言いながら私の顔へと手を伸ばす。何々と心の中では大騒ぎしているのに,まるで金縛りになったように身体は動かない。海斗の手は私の目尻の部分を優しく撫でた。

 「泣いてる」

 「……」

 そう言われやっと気づく。私の顔に涙が垂れていたことに。あの悪夢を見る時は必ず家で寝ていたから,泣いていても目をこすってしまえば誰にも見られることはなかった。そのせいで泣いていても誰にも見られないと思い込みがあったのだろう。

 「泣いてない」

 「いーや,泣いてる」

 海斗の手を振り払い目をこする。目が腫れると言われたがそんな事は気にしていられない。深く深呼吸をし,震える呼吸を落ち着かせる。その間,海斗は何も言わずにいてくれた。

 「落ち着いた?」

 「…おかげさまで」

 「そこは,ありがとうだろ」

 そう言い海斗は笑う。

 「……ありがと」

 「どういたしまして」

 「――暗くなってきたし帰る」

 「あっ,おい!」

 これ以上ここにいたら,話してはいけないものまで話してしまいそうで私は逃げる選択を取った。
 地面に落ちたリュックと海斗の物と思われるパーカを拾う。パーカを海斗へと押し付け家へと帰るため歩き始める。足の痛みがいつの間にか戻ってきていてその足取りは重い。

 「待てよ」

 「……何?」

 手を掴まれ,仕方なく振り返るとそこにはやっぱり海斗がいた。

 「どうしたんだ」

 「別にどうもしないよ」

 「どうもしないような人間はこんな人気のない公園で一人,制服姿のまま泣いてたりなんかしない」

 「……」

 海斗の言う事は真っ直ぐでそして正しい。彼の放った言葉を後押しするように海斗の心は光を増してくる。いつもならパッと出てくるような言い訳も思いつかない。

 「取り敢えず座ろう。足怪我してんだし」

 「……」

 うんともすんとも言わない私は手を引きずられさっきと同じベンチへと座らされた。その隣には海斗が座る。

 「学校で何かあったのか」

 「…何も」

 心を見すぎたという面では学校で何かあったに入るだろうが,海斗はこの目について何も知らないため,学校では何もなかったということにしておく。

 「…それじゃあ家か?」

 「………何も」

 さっきよりも沈黙の時間が長くなってしまった。家は息苦しい。学校なんかよりもずっと。それが態度にでてしまった。それは海斗にも伝わったようで

 「相談なら乗る」

 そう気を使わせてしまった。

 「別に家で何かあったわけじゃない」

 「じゃあ何だ」

 「何もない」

 「はぁー……」

 意地を張ったのか,それともこれが私の小さなプライドだったのか海斗の質問にはまともに答えなかった。すると,海斗は呆れたようにため息をついた。やっと諦めてくれたようだ。

 「何も話さないんだったら,こっちも無理には聞かない」

 「そう」

 「だけど。見たからには放っておくわけにはいかない」

 「は?」

 私は口から零れ出たそんな言葉を慌てて止めた。こんなにも助けてもらっている相手に,流石にこの態度は駄目だと冷静な自分が言ったからだ。

 「そうだなー。……それじゃあ毎日この公園に来いよ。俺も毎日来っから」

 「毎日…?ここに?どういう事」

 「あーだから」

 海斗はぴょんっとベンチから飛び降り私の目の前に立つ。その言動全てがなんだか偉そうでムッとした表情になる。そんな私を気にせず海斗は笑顔で話す。

 「お前,俺がいっくら言っても怪我ばっかりするし何か色々と大変そうだから毎日ここで話を聞いてやるって言ってんの」

 「別にいいんだけど」

 「だから人の親切はちゃんと受け取れって」

 「親切じゃなくて自己満でしょ」

 「あーもう。自己満でいいよ,それで。…だから毎日来いよ。いくらでも,何でも聞いてやっから。一人で抱え込むよりも,誰か一人でも話を聞いてもらえたほうが気持ちは楽になる」

 そう言った海斗の顔はいつも以上に頼もしくて,そして優しかった。海斗が手を差し出す。朝を迎えた空のような色の彼の心。傷のない心。誰にも傷つけられないと思わせる強い心。そんな心を持つ彼だからこそこんな大きな事が言えるんだろう。傷つかないから,反対に傷ついているような,困っている人が放っておけないんだ。そう勝手に想像する。
 それじゃあ私は傷ついているの?

 (そんな事は………)

 私は傷つく資格なんか欠片もない。勝手に見て勝手に傷つくなんて,ただの悲劇のヒロイン気取り。それに私だって人の心に,傷を負わせた。人のことなんか言えない。だから彼の手を取ることなんてやれるわけがない。手を取ることなんて――

 「おっ!」

 出来るはずないのに。
 なぜか私は海斗の手へと自分の手を重ねていた。慌てて引っ込めようとした手は海斗によって握られる。彼の顔はとても嬉しそうだった。

 「じゃ,明日から来いよな」

 「…いいけど海斗部活は?」

 そうだ。こんな約束を取り付けてこようとしている彼はサッカー部に所属しており,暇ではないはず。今日はたまたま部活が無かったとしても,毎日私と会うなんて時間的に無理なのではないだろうか。手を,取ってしまった後悔からか,海斗と会わないで済むよう必死で考える。

 「大丈夫,大丈夫。俺部活辞めたから」

 「え」

 何事もなかったようにそう話す海斗。その言葉に私は驚く。

 「あんなに小さい頃からやってたのに?外のやつかなんかに入ったの?」

 「いーや。サッカーはもう辞めたんだ」

 「……」

 そう言う彼の顔は何だか悲しそうで無理をして笑っているようだった。サッカーが命。そう言っていた彼がなぜ辞めてしまったのか。しかし私にはそれ以上踏み込む度胸は何処にもなかった。
 私が「そう」とだけ言うと,海斗は気持ちをリセットしたように明るい顔になる。

 「じゃ,帰ろうぜ」

 「……だね」

 結局,うまく丸め込まれてしまった。
 太陽は既に沈みかけていて,辺りはすっかり暗くなっていた。海斗に引き上げられ,私も立ち上がる。

 「絶対に来いよ?」

 「わかってるって」

 海斗に念を押されながら私達は歩き出す。海斗と話したおかげか,寝る前よりも身体が軽くなったように感じた。明日から海斗とこうして毎日少しの時間だけでも会う事になった。そう考えると更に身体が軽くなったように感じる。あんだけ嫌がって怖がった心。同じ物のはずなのに彼の心を見ていると自分の心も満たされていく。何でだろう。そう不思議に思うがそれ以上考える力は残っていなかった。今はただ何も考えず過ごしていたい。