1 ユカラは脱皮する
ダンジョンの中腹くらいだった。
勇者・カーカ率いる俺たちパーティーは門の手前で話し合っていた。前人未到となる次の空間に進むべきか話し合っていたはずだった。
「ユカラのオッサンさあ、いつまで俺たちに引っ付いてる気なんだよ!」カーカは突然言い放つ。
名前に“オッサン”と付けられたのがはじめてで面食らった。なので言葉が出ない。
「おそらく俺たちは王宮で謁見する機会があるだろう。その時にオッサンは目障りになるんだよ!」カーカの口調は徐々に荒くなる。
「目障り?」俺はかろうじて言った。
「君、自分の見た目を知らないのか?」治癒士・ジュークは気取って言った。「一人で平均年齢を釣り上げて恥ずかしくないのか?」
「俺は確かに皆よりは年上だがそれなりに清潔にしている」綺麗好きの自覚すらあった。
「だからよ」と大剣使い・カマールは俺に剣先を突きつけて言った。「そもそもの見た目が劣っているって話。気づけよ」
「そもそも僕はあなたが嫌いでした。皆の周囲をウロウロして必要も無いのに剣を研いで装備をいじって、正直気持ち悪いんですよ」モーリは年若い魔術師で最近パーティーに入ったばかりだ。
「いや、剣は研がないと切れなくなる」俺は必死で声が震えないようにするのが精一杯だった。
助けを求めるように俺は紅一点の雷撃使い・カンナを見た。彼女は何も言わず目を逸らした。
カンナは電撃の始点となる短剣を大事にしていた。それを磨いてあげた時にはずっと何も言わず俺を見続けていた。
今思うと大切な短剣を傷物にされないか心配だったのかもしれない。
「だがまあ安心しろ。オッサンでも役に立つ事はある」とカーカは笑顔で言った。
パーティーの正式メンバーではなく後方支援というのなら甘んじて受けよう。俺はそもそも自分が目立つより誰かを助ける方が向いている。
「じゃあ、頼んだぜ!」と言ってカーカは俺を押した。「オッサンには全回復があるから大丈夫だろう?」
カーカの笑い声が聞こえた。
背後には門がある。触れた途端に門は開いて中に引きづり込まれた。
「くっ」と誰かの声がした気がする。
だが俺は引きづり込んだ何かの対処で手一杯だった。
巨大な蜘蛛が俺の腕を掴んでいた。アークスパイダーだった。なるほど誰も踏破できないはずだ。空間がまるまるアークスパイダーの巣だったからだ。
正直、神に祈りたい気分だった。だが俺が住むこのゲヘナ国に神はいない。歴史上のある時から宗教が禁止された。崇める民がいない神は死んだも同然である。
死んだ神に祈るのは気が引ける。
爪は引っ掛けるように俺の腕に巻きついていた。俺は爪に対して円を描くように腕を回した。爪は外れた。これは以前、水み国にいる俺の師匠に習った対人格闘術の応用だ。水み国はゲヘナ国とは別の大陸にある農業国だ。
「まさか役に立つ日が来るとは」
俺は真っ直ぐにアークスパイダーに向かった。そしてその腹の下に足先から滑り込んだ。アークスパイダーの唯一の死界は腹の下だ。以前モンスターについて文献を読み漁って身に付けた知識だ。
だがそのまま背後に回るのは上手くない。蜘蛛の糸を巻き付けてくる。腹の下に光る物を発見した。カンナの短剣だった。
「なぜここに?」
もしかしたら似たような形の別物であるかもしれない。俺はそれを手に取りアークスパイダーの腹を一直線に裂いた。
腹の内容物が出てくる前に脚の間から抜け出した。
そして目と鼻の先に別の門が見えた。俺は何も考えずにその門を開けた。
洞窟が続いていた。
「助かったのか」
パーティーを追放されてアークスパイダーの餌にされた衝撃に浸る暇はない。俺は先に進まねばならなかった。ダンジョン攻略に必要な武器や携帯食料、資材の入った鞄を置いてきてしまったからだ。
「このままでは飢え死にだ」
ゲヘナ国のダンジョンは壁自体が淡く光る。鉱物の影響らしい。トーチが要らないのは助かった。
人工ではない自然の広い空間があった。俺の喉はカラカラだった。飢えるより先に干からびて死ぬ可能性の方が高い。
「地下水でもあれば」
俺はその空間を歩き回った。
空間の上方は大きく開いている。先は見えない。もしかしたら曲がりくねって外に出る道があるのかもしれない。飛べないので意味はないけれど。
クタクタになって歩くのをやめようとした時に壁の奥まった所に何かが見えた。モンスターの巣だ。卵があった。
俺は駆け寄り、その一つに短剣で穴を開けて中を啜った。モンスターの卵を啜って無事で済むかは分からない。だが背に腹は変えられない。
奇妙な味だった。薄いシチューにドロドロの果物が混じったような味だった。
だがこれで喉の渇きと飢えをいっぺんにしのげた。
「はああああああ」とため息を吐いた。俺は生きている。
その時、別の卵の一つにヒビが入る。そして中から翼の生えた丸っこい生物が出てきた。体毛は白く赤い二つの目玉と嘴がある。
「鳥の一種か?」
その鳥は生まれてすぐに飛んだ。つまり鳥ではなく鳥型のモンスターだ。揚力ではなく魔力で飛んでいるからだ。
ユラユラと揺れながらまっすぐに俺に向かってくる。
「いや、待て。俺はお前の親では」
そう自分で呟いて気づいた。刷り込みだ。俺を親と勘違いしてしまった。そしてその鳥型モンスターは俺の頭の上にとまった。
「参ったな」
卵の一つを食べた俺にはこの雛を育てる義務があるように感じた。「すまない」とその場にいない親鳥モンスターに謝罪して頭を下げた。俺は巣を後にした。
※
どのくらい進んだだろう。やっと門が見えた。あのアークスパイダーのいる方に戻る選択肢は無かった。腹は裂いたものの中から無数の子供が産まれている可能性があったからだ。アークスパイダーを倒せない理由だ。俺は我が身可愛さにモンスターを増やした事になる。
「俺だって死にたくはない」
言い訳のように呟いてみたものの先行きは怪しい。
門の前で躊躇していると中から声が聞こえた。女性の叫び声だ。
俺は叫び声を聞いてから間髪入れずに門を開けた。
門を抜けてすぐに崖があった。そして崖の対岸で男性用の甲冑を着けた女の子が剣を向けて虎型モンスターを牽制している。
対岸に向かう手立てはない。助走を付けて飛んでも崖は越えられない。
対岸の女の子はこちらに気づいたものの絶望的な眼差しをした。
俺の心臓が疼いた。
その時、体中が熱を帯びた。
「なんだ?」
頭の先からつま先まで違和感しかない。早くどうにかしないと焼け焦げてしまいそうだ。
「ううううううううううううううう」
頭の上に止まっていた鳥型モンスターの雛も思わず飛び立って俺から距離を置いた。
背中に激痛が走る。俺は慌てて服を脱いだ。全裸になっても熱は続いた。
そしてーー。
視界が一瞬塞がれ、それから俺は急に涼しくなったと感じた。そして足元に何かがあった。
「皮? 俺の皮か!」
広げるとそれは今まで俺の体を模した皮だった。
手を見る。傷と日焼けが出来たごつい手のひらではなく薄ピンクのモチモチした肌触りの手だ。まるで少年の手だ。
足も見る。そして下半身も。
カーカのいうオッサンではなく紛れもなく少年の肉体であった。頬に触れる。ツヤツヤで髭の剃り跡すら無い。
間違いない。俺は脱皮していた。
感慨に浸る暇はない。対岸では女の子が未だ交戦中である。
「どうすれば!」
脱皮して体が若返っても俺には出来る事がない。
そう思っていた。
右手の先から透明な何かが出ていた。
「何だこれ」
手を持ち上げるとそれも同時に持ち上がる。手を伸ばすイメージを浮かべると透明な何かは伸びた。
「もしかして!」
俺は右手を虎型モンスターに向けた。右手が何かを掴んだ感触がする。女の子は不思議そうにこちらを見た。
「おおおおおおおおおお」
俺は掴んだ虎型モンスターの背中を手前に引いた。虎型モンスターはそのまま崖から落ちた。
「やった!」
俺の勝鬨と共に鳥型モンスターは戻ってきて俺の頭の上でクルクルと回った。
「現金な奴だな」
対岸の女の子は目を丸くしている。
俺は手を振った。俺が守った。俺にも出来ることがあった。パーティーから追放されたオッサンの俺が。
「あの」と彼女は言った。
「オチンチン丸出しなんですけれど!」
ダンジョンの中腹くらいだった。
勇者・カーカ率いる俺たちパーティーは門の手前で話し合っていた。前人未到となる次の空間に進むべきか話し合っていたはずだった。
「ユカラのオッサンさあ、いつまで俺たちに引っ付いてる気なんだよ!」カーカは突然言い放つ。
名前に“オッサン”と付けられたのがはじめてで面食らった。なので言葉が出ない。
「おそらく俺たちは王宮で謁見する機会があるだろう。その時にオッサンは目障りになるんだよ!」カーカの口調は徐々に荒くなる。
「目障り?」俺はかろうじて言った。
「君、自分の見た目を知らないのか?」治癒士・ジュークは気取って言った。「一人で平均年齢を釣り上げて恥ずかしくないのか?」
「俺は確かに皆よりは年上だがそれなりに清潔にしている」綺麗好きの自覚すらあった。
「だからよ」と大剣使い・カマールは俺に剣先を突きつけて言った。「そもそもの見た目が劣っているって話。気づけよ」
「そもそも僕はあなたが嫌いでした。皆の周囲をウロウロして必要も無いのに剣を研いで装備をいじって、正直気持ち悪いんですよ」モーリは年若い魔術師で最近パーティーに入ったばかりだ。
「いや、剣は研がないと切れなくなる」俺は必死で声が震えないようにするのが精一杯だった。
助けを求めるように俺は紅一点の雷撃使い・カンナを見た。彼女は何も言わず目を逸らした。
カンナは電撃の始点となる短剣を大事にしていた。それを磨いてあげた時にはずっと何も言わず俺を見続けていた。
今思うと大切な短剣を傷物にされないか心配だったのかもしれない。
「だがまあ安心しろ。オッサンでも役に立つ事はある」とカーカは笑顔で言った。
パーティーの正式メンバーではなく後方支援というのなら甘んじて受けよう。俺はそもそも自分が目立つより誰かを助ける方が向いている。
「じゃあ、頼んだぜ!」と言ってカーカは俺を押した。「オッサンには全回復があるから大丈夫だろう?」
カーカの笑い声が聞こえた。
背後には門がある。触れた途端に門は開いて中に引きづり込まれた。
「くっ」と誰かの声がした気がする。
だが俺は引きづり込んだ何かの対処で手一杯だった。
巨大な蜘蛛が俺の腕を掴んでいた。アークスパイダーだった。なるほど誰も踏破できないはずだ。空間がまるまるアークスパイダーの巣だったからだ。
正直、神に祈りたい気分だった。だが俺が住むこのゲヘナ国に神はいない。歴史上のある時から宗教が禁止された。崇める民がいない神は死んだも同然である。
死んだ神に祈るのは気が引ける。
爪は引っ掛けるように俺の腕に巻きついていた。俺は爪に対して円を描くように腕を回した。爪は外れた。これは以前、水み国にいる俺の師匠に習った対人格闘術の応用だ。水み国はゲヘナ国とは別の大陸にある農業国だ。
「まさか役に立つ日が来るとは」
俺は真っ直ぐにアークスパイダーに向かった。そしてその腹の下に足先から滑り込んだ。アークスパイダーの唯一の死界は腹の下だ。以前モンスターについて文献を読み漁って身に付けた知識だ。
だがそのまま背後に回るのは上手くない。蜘蛛の糸を巻き付けてくる。腹の下に光る物を発見した。カンナの短剣だった。
「なぜここに?」
もしかしたら似たような形の別物であるかもしれない。俺はそれを手に取りアークスパイダーの腹を一直線に裂いた。
腹の内容物が出てくる前に脚の間から抜け出した。
そして目と鼻の先に別の門が見えた。俺は何も考えずにその門を開けた。
洞窟が続いていた。
「助かったのか」
パーティーを追放されてアークスパイダーの餌にされた衝撃に浸る暇はない。俺は先に進まねばならなかった。ダンジョン攻略に必要な武器や携帯食料、資材の入った鞄を置いてきてしまったからだ。
「このままでは飢え死にだ」
ゲヘナ国のダンジョンは壁自体が淡く光る。鉱物の影響らしい。トーチが要らないのは助かった。
人工ではない自然の広い空間があった。俺の喉はカラカラだった。飢えるより先に干からびて死ぬ可能性の方が高い。
「地下水でもあれば」
俺はその空間を歩き回った。
空間の上方は大きく開いている。先は見えない。もしかしたら曲がりくねって外に出る道があるのかもしれない。飛べないので意味はないけれど。
クタクタになって歩くのをやめようとした時に壁の奥まった所に何かが見えた。モンスターの巣だ。卵があった。
俺は駆け寄り、その一つに短剣で穴を開けて中を啜った。モンスターの卵を啜って無事で済むかは分からない。だが背に腹は変えられない。
奇妙な味だった。薄いシチューにドロドロの果物が混じったような味だった。
だがこれで喉の渇きと飢えをいっぺんにしのげた。
「はああああああ」とため息を吐いた。俺は生きている。
その時、別の卵の一つにヒビが入る。そして中から翼の生えた丸っこい生物が出てきた。体毛は白く赤い二つの目玉と嘴がある。
「鳥の一種か?」
その鳥は生まれてすぐに飛んだ。つまり鳥ではなく鳥型のモンスターだ。揚力ではなく魔力で飛んでいるからだ。
ユラユラと揺れながらまっすぐに俺に向かってくる。
「いや、待て。俺はお前の親では」
そう自分で呟いて気づいた。刷り込みだ。俺を親と勘違いしてしまった。そしてその鳥型モンスターは俺の頭の上にとまった。
「参ったな」
卵の一つを食べた俺にはこの雛を育てる義務があるように感じた。「すまない」とその場にいない親鳥モンスターに謝罪して頭を下げた。俺は巣を後にした。
※
どのくらい進んだだろう。やっと門が見えた。あのアークスパイダーのいる方に戻る選択肢は無かった。腹は裂いたものの中から無数の子供が産まれている可能性があったからだ。アークスパイダーを倒せない理由だ。俺は我が身可愛さにモンスターを増やした事になる。
「俺だって死にたくはない」
言い訳のように呟いてみたものの先行きは怪しい。
門の前で躊躇していると中から声が聞こえた。女性の叫び声だ。
俺は叫び声を聞いてから間髪入れずに門を開けた。
門を抜けてすぐに崖があった。そして崖の対岸で男性用の甲冑を着けた女の子が剣を向けて虎型モンスターを牽制している。
対岸に向かう手立てはない。助走を付けて飛んでも崖は越えられない。
対岸の女の子はこちらに気づいたものの絶望的な眼差しをした。
俺の心臓が疼いた。
その時、体中が熱を帯びた。
「なんだ?」
頭の先からつま先まで違和感しかない。早くどうにかしないと焼け焦げてしまいそうだ。
「ううううううううううううううう」
頭の上に止まっていた鳥型モンスターの雛も思わず飛び立って俺から距離を置いた。
背中に激痛が走る。俺は慌てて服を脱いだ。全裸になっても熱は続いた。
そしてーー。
視界が一瞬塞がれ、それから俺は急に涼しくなったと感じた。そして足元に何かがあった。
「皮? 俺の皮か!」
広げるとそれは今まで俺の体を模した皮だった。
手を見る。傷と日焼けが出来たごつい手のひらではなく薄ピンクのモチモチした肌触りの手だ。まるで少年の手だ。
足も見る。そして下半身も。
カーカのいうオッサンではなく紛れもなく少年の肉体であった。頬に触れる。ツヤツヤで髭の剃り跡すら無い。
間違いない。俺は脱皮していた。
感慨に浸る暇はない。対岸では女の子が未だ交戦中である。
「どうすれば!」
脱皮して体が若返っても俺には出来る事がない。
そう思っていた。
右手の先から透明な何かが出ていた。
「何だこれ」
手を持ち上げるとそれも同時に持ち上がる。手を伸ばすイメージを浮かべると透明な何かは伸びた。
「もしかして!」
俺は右手を虎型モンスターに向けた。右手が何かを掴んだ感触がする。女の子は不思議そうにこちらを見た。
「おおおおおおおおおお」
俺は掴んだ虎型モンスターの背中を手前に引いた。虎型モンスターはそのまま崖から落ちた。
「やった!」
俺の勝鬨と共に鳥型モンスターは戻ってきて俺の頭の上でクルクルと回った。
「現金な奴だな」
対岸の女の子は目を丸くしている。
俺は手を振った。俺が守った。俺にも出来ることがあった。パーティーから追放されたオッサンの俺が。
「あの」と彼女は言った。
「オチンチン丸出しなんですけれど!」