「お前ら、やっぱり付き合ってるだろ」
とある日の放課後、佐々木が突然そんなことを言ってくるものだから、俺は飲んでいた水筒の麦茶を喉に詰まらせそうになった。
「な、何? 藪から棒に……」
「オレには分かるぞ。明らかに、前と違う」
「違うって何が?」
「うーん、空気感?」
「……あはは。何それ」
俺は曖昧に笑って荷物をまとめ、誠との待ち合わせ場所の図書室に向かった。
最近の俺たちは、放課後に図書室で勉強をしている。
俺はどっちかの家でしたら良いのではないか、と提案したけど、誠が駄目だって言って聞いてくれない。
なんでも「そういう雰囲気」になったら駄目なんだそうだ。あーあ、早く卒業したいな……別に、変な意味じゃなくて! そりゃ、男子高校生なので、いろいろ想像はしますけど!
図書室のいちばん奥の席に誠は居た。俺は静かにその場に向かう。
「誠」
小声でそう呼べば、誠は読んでいたテキストから顔を上げて俺を見て笑顔になる。
「葉一様、授業、お疲れ様です」
「そっちも、お疲れ様」
俺は誠の隣に座った。向かい合うより、こっちの方が距離が近くて良い。
「どの教科をやっているの?」
「数学です」
「す……そう……」
あいにく、俺は数学の気分じゃない。なので、別の教科……世界史のテキストをカバンから出して広げた。「おや」と誠が呟く。
「一緒に数学をやりましょうよ」
「いや……数学は、難しいし。三年生とは範囲も違うし」
「私が葉一様に合わせます」
「それは、駄目。ほら、集中して……あと一時間半で図書室は閉まっちゃうよ?」
「ふふ。はい」
微笑む誠をよそに、俺は世界史の勉強モードに入る。ええっと、この国があの国を狙っていて……。
複雑な国名に混乱していると、誠がそっと俺の手を握ってきたので驚いた。俺は誠を見る。彼はふふっと小声で言った。
「こういうのって、良いですよね」
「こ、こういうのって、どういう……」
「ふたりだけの、秘密ってやつです」
俺はきょろきょろと周りを見る。皆、それぞれのことに集中していて、誰も俺たちが手を繋いでいることに気がついていない。俺は、ふうと息を吐いた。
「誠って、時々、大胆になるよね」
「ふふ、ふ」
悪戯っぽく笑う誠に、ああ、こういうことを誠はずっとしたかったのかな、って思った。
……恋人にならなかったら、誠は一生自分のしたいことを我慢して生きることになったのかな。
——ちょっと恥ずかしいけど、ま、良いか。
俺たちは互いのぬくもりを感じながら、図書室が閉まるまでの時間、勉強を続けた。
「あーあ、疲れた……」
「ふふ。お疲れ様です」
帰り道、俺は両手を空に向かって伸ばして、肩の骨をぱきっと鳴らした。
もうすぐ、期末テスト。それが終わったら、夏休み。それから——。
「……これから、忙しくなるよね」
「ええ……」
あとどのくらい、こうやって肩を並べて帰れるかな。
そう思うと、とても切ない気持ちになった。
俺は、誠の手を取って、ずんずん前へと歩き出す。俺に引っ張られた誠は、慌てた様子で俺についてきた。
「葉一様! 良いのですか? このような、手を……」
「良いよ。誰も見てないよ」
見られたって良いと思った。別に、悪いことをしているわけじゃないし。それに……。
この、今の瞬間を、大切にしたいと思ったから。
誠のことを独り占め出来るのは、今のうちだけかもしれないから……。
「……俺、ずっと応援してるから」
「葉一様?」
「誠がいちばん望む道に進めることを、応援してるから……」
「……はい。ありがとうございます」
誠は微笑む。
「何よりも、心強いお言葉です」
「……ね、いつになったら敬語を止めてくれるの?」
照れ隠しに俺がそう言うと、誠は困ったように眉を下げた。
「……もう、癖ですので」
「ちょっとずつ、直してよ。まずは俺のことを呼び捨てにするところから」
「えっ」
「ほら。さん、に、いち……」
「よ、葉一……さ、ま」
「……もう」
「すみません……」
俺はおかしくて、ちょっと笑った。
ま、誠の特別になれたことには変わりないから、今は「様」がついていても良いかな。
「ね、大学に行ったらちゃんと普通に呼んでね」
「はあ……努力はします」
誠はちょっと不安そうだ。俺は口元を緩めながら、誠と手を繋いだまま、家への道をゆっくりと歩いた。
***
夏になって、お互いに忙しくなった。
誠は地獄の夏期講習。
俺はオープンキャンパス巡り。
会える時間は、とても少なくなった。けど、夏休み中は週に一回は会う約束をして、近くの公園で缶コーヒーとシュークリームを食べるのが、俺たちなりのデートだった。
「……大学、県内にするの? 県外にするの?」
「そのことなんですが……」
誠がシュークリームを平らげてから、言う。
「……隣の県の、教育学部が有名なところを受けたいな、とずっと考えていて、実はもう少しずつ動いているんです」
「そっか。誠は先生になりたいの?」
「ええ……」
誠は柔らかい表情で、俺を見て言う。
「葉一様と一緒に勉強をする中で、その……言い方が失礼かもしれませんが、教えるのも楽しいな、と思うようになって……」
「良いね。誠、ぜったい向いてると思う!」
俺は心の底から頷いてみせた。
誠、本当に教えるの上手いから……良い先生になれると思う……!
「応援してる! その……プレッシャーになったらごめんだけど、頑張ってね」
「ありがとうございます! そのお言葉で、誰よりも頑張れます……!」
秋が来て、冬が来て……誠は顔には出さないけど、なんとなくしんどそうだと感じた俺は、下手くそながらも作り続ける弁当にプラスして、時々、手作りのクッキーをつけるようになった。
俺も、ちょっとだけ忙しくなってきたけど、何よりも大切な誠を支えたいと思ったら、身体が勝手に動いていた。
誠も、同じ気持ちだったのかな、と思う。大切な……好きな人の力になりたいって思うのは、自然なことなのかもしれない。
放課後に誠は集中講座を受けることになったので、今では会えるのは昼休みだけだ。
さすがに屋上では風邪を引くので、俺たちは誠の教室で昼食を取っている。
三年生の教室は、相変わらずぴりぴりしているけど、誠のためなら恐怖なんて捨てられた。
「美味しいです! 特に、このハンバーグが……」
「ありがと。冷凍だけどね」
そう言う俺の頭を、誠がぽんと撫でた。俺は驚く。
「ど、どうしたの?」
「いえ……なんとなく、撫でたくなりましたので」
「そ、そう……」
教室の奥の方で「きゃ……」と声がした。俺は振り向く。そこには女子が数人居て、皆がこっちを見ていた。
「……誠、目立っちゃったよ」
「ふふ。今さら、でしょう?」
誠が意味ありげに俺の耳元で甘く囁く。
また教室の隅で「きゃ……」と声がしたけど、俺はもう気にするのをやめておいた。
***
あっという間に新年が開け、俺がぼんやり正月気分を味わっている間に、誠は試験を受けたり、俺がバレンタインのチョコレート選びでぐるぐるしている間に、誠はまた試験を受けたり……見事に、すれ違いの日々が続いた。
俺は俺で、進級出来なかったら駄目だから、勉強を頑張った。結果、無事に三年に上がれることが決まった。
次は俺が、誠みたいな鬼スケジュールになるのか……俺は私立大学希望だから、そこまで詰まらないとは思うけど……。
「誠、遅いな……」
俺はコートのポケットの中のチョコレートの包み紙を触りながら呟く。
今日は誠の合格発表日。
誠ならきっと大丈夫だと思うけど……心配で駅まで来てしまった。バレンタインの時に渡せなかったこれも、ちゃんとプレゼントしたいしね。
俺は白い息を吐きながら、改札を眺める。もう何本の電車を待っただろう……。
あ。
誠だ。来た。
茶色いコートを着た誠が、歩いてくる。そして……目が合った。その瞬間、彼は駆け足になってこっちに向かって来た。
「葉一様!」
「……久しぶり」
誠、少し痩せた気がする。
俺は赤い包み紙の箱を誠にずいっと渡した。
「こ、これ……バレンタインのやつ。当日は忙しそうだったから……」
「……葉一様、抱きしめても良いですか?」
「へ?」
いきなりそんなことを言われて、俺は驚く。
誠は俺が頷く前に、俺を腕の中に閉じ込めた。
「ま、誠!?」
「……受かりました」
誠が、少し震えた声で言う。
「私、受かりました……!」
「あ、え、お、おめでとう……!」
俺は少し混乱しながら、誠を抱きしめ返す。分厚いコート越しなのに、俺たちの鼓動の音はしっかりと聞こえていた。
「葉一様の、おかげです! たくさん応援して下さったから……!」
「違うよ! 誠が努力したからだよ!」
「……ああ、葉一様」
誠の顔が近付いてくる。キスだ。俺は受け入れようと目を閉じ……そうになった。けど、思い出す。ここは、駅のど真ん中だ。
「だ、駄目!」
俺は誠の腕の中から出た。
「恥ずかしすぎる!」
「葉一様、頑張った私にご褒美を下さらないのですか?」
「うう……」
そりゃ、あげたいけど!
ここじゃ、駄目!
俺は誠にチョコレートを押し付けて、俺より大きい手を引っ張って駅から出た。
とりあえず、帰ろう!
続きは、それからだ!
「葉一様……! ご褒美!」
「あ、と、で!」
とりあえず誠の家に向かい、ふたりで中に入った。
誠の部屋に入ると、逆に俺は腕を引っ張られてバランスを崩す。俺たちはふたりでベッドに落下した。
「わ!」
「……葉一」
「っ!?」
「葉一」
俺の上に乗っかっている誠が、俺を、呼び捨てにした。驚きで動けない俺の頬に、誠が触れる。
「キス、したい」
「ま、誠……」
「しよ?」
誠はゴールデンレトリバーでは無かった。
土佐犬……は言い過ぎだけど、今、目の前に居るのは……狼?
「っ!」
「ん……」
一瞬だけの、触れるだけのキス。
初めてじゃないのに、ものすごく、どきどきした。
俺は、覚悟を決める。
「……良いよ。誠の好きなようにしてよ」
「え……?」
「脱がせても、良いよ?」
俺の言葉に、誠の顔がかあっと赤く染まる。そして……。
「な、なんてことをおっしゃるんですか!」
「え?」
「ああ、はしたない……! 葉一様! 私はキスがしたかったわけで……それ以上は望んでいません!」
「え、ええっ!?」
俺は起き上がって、いつもの口調に戻ってしまった誠の首に腕を回した。
「ご褒美、キスだけで良いの?」
「もちろんです!」
「えー……」
「まったく! 変なことを言ってはいけません!」
なーんだ。
ま、前に卒業するまでは……って話をしたしな。ま、いっか。
俺は誠に抱きついた。
「さっきの、敬語なしバージョン格好良かったよ」
「そ、それは、どうも……」
「狼みたいだった」
「褒めておられるのですか?」
「うん」
ぎゅっと抱きしめられる温度があたたかい。俺は誠の胸に体重を預けた。
「……ね、またゲーセン行こうよ。誠の受験が終わった記念に、デートしよう?」
「ゲームセンターで良いのですか?」
「うん。あ、でも、どこでも良いや。誠と一緒なら」
「……ありがとうございます」
誠は嬉しそうに微笑んだ。そして、どこか楽しそうに言う。
「さあ、次は葉一様の受験ですね! 私がサポートしますよ! そして、共に青春を謳歌しましょう!」
「青春って、前にも言ってたね。何歳までが青春時代ってやつなのかな?」
「人間、一生、青春ですよ」
「そんなもんかな」
「ええ、きっと」
まぁ、誠と一緒なら、どんな時でもきっと楽しい。
待っててね、誠。
次は俺が、頑張るから……。
「敬語、早く抜けると良いね」
「うっ……努力します、いや、する、よ」
見つめ合って、ふふっと笑う。
そして、もう一度、キスをした。
ずっとずっと、一緒に居ようね。その願いを込めて——。
「大好きだよ、誠」
「うん、私……僕も、大好き。愛してる」
ぎこちなく、ゆっくりと「忠犬」から変化していく誠。その姿を、いちばん近くで見ていたい。そう思った。
(了)
とある日の放課後、佐々木が突然そんなことを言ってくるものだから、俺は飲んでいた水筒の麦茶を喉に詰まらせそうになった。
「な、何? 藪から棒に……」
「オレには分かるぞ。明らかに、前と違う」
「違うって何が?」
「うーん、空気感?」
「……あはは。何それ」
俺は曖昧に笑って荷物をまとめ、誠との待ち合わせ場所の図書室に向かった。
最近の俺たちは、放課後に図書室で勉強をしている。
俺はどっちかの家でしたら良いのではないか、と提案したけど、誠が駄目だって言って聞いてくれない。
なんでも「そういう雰囲気」になったら駄目なんだそうだ。あーあ、早く卒業したいな……別に、変な意味じゃなくて! そりゃ、男子高校生なので、いろいろ想像はしますけど!
図書室のいちばん奥の席に誠は居た。俺は静かにその場に向かう。
「誠」
小声でそう呼べば、誠は読んでいたテキストから顔を上げて俺を見て笑顔になる。
「葉一様、授業、お疲れ様です」
「そっちも、お疲れ様」
俺は誠の隣に座った。向かい合うより、こっちの方が距離が近くて良い。
「どの教科をやっているの?」
「数学です」
「す……そう……」
あいにく、俺は数学の気分じゃない。なので、別の教科……世界史のテキストをカバンから出して広げた。「おや」と誠が呟く。
「一緒に数学をやりましょうよ」
「いや……数学は、難しいし。三年生とは範囲も違うし」
「私が葉一様に合わせます」
「それは、駄目。ほら、集中して……あと一時間半で図書室は閉まっちゃうよ?」
「ふふ。はい」
微笑む誠をよそに、俺は世界史の勉強モードに入る。ええっと、この国があの国を狙っていて……。
複雑な国名に混乱していると、誠がそっと俺の手を握ってきたので驚いた。俺は誠を見る。彼はふふっと小声で言った。
「こういうのって、良いですよね」
「こ、こういうのって、どういう……」
「ふたりだけの、秘密ってやつです」
俺はきょろきょろと周りを見る。皆、それぞれのことに集中していて、誰も俺たちが手を繋いでいることに気がついていない。俺は、ふうと息を吐いた。
「誠って、時々、大胆になるよね」
「ふふ、ふ」
悪戯っぽく笑う誠に、ああ、こういうことを誠はずっとしたかったのかな、って思った。
……恋人にならなかったら、誠は一生自分のしたいことを我慢して生きることになったのかな。
——ちょっと恥ずかしいけど、ま、良いか。
俺たちは互いのぬくもりを感じながら、図書室が閉まるまでの時間、勉強を続けた。
「あーあ、疲れた……」
「ふふ。お疲れ様です」
帰り道、俺は両手を空に向かって伸ばして、肩の骨をぱきっと鳴らした。
もうすぐ、期末テスト。それが終わったら、夏休み。それから——。
「……これから、忙しくなるよね」
「ええ……」
あとどのくらい、こうやって肩を並べて帰れるかな。
そう思うと、とても切ない気持ちになった。
俺は、誠の手を取って、ずんずん前へと歩き出す。俺に引っ張られた誠は、慌てた様子で俺についてきた。
「葉一様! 良いのですか? このような、手を……」
「良いよ。誰も見てないよ」
見られたって良いと思った。別に、悪いことをしているわけじゃないし。それに……。
この、今の瞬間を、大切にしたいと思ったから。
誠のことを独り占め出来るのは、今のうちだけかもしれないから……。
「……俺、ずっと応援してるから」
「葉一様?」
「誠がいちばん望む道に進めることを、応援してるから……」
「……はい。ありがとうございます」
誠は微笑む。
「何よりも、心強いお言葉です」
「……ね、いつになったら敬語を止めてくれるの?」
照れ隠しに俺がそう言うと、誠は困ったように眉を下げた。
「……もう、癖ですので」
「ちょっとずつ、直してよ。まずは俺のことを呼び捨てにするところから」
「えっ」
「ほら。さん、に、いち……」
「よ、葉一……さ、ま」
「……もう」
「すみません……」
俺はおかしくて、ちょっと笑った。
ま、誠の特別になれたことには変わりないから、今は「様」がついていても良いかな。
「ね、大学に行ったらちゃんと普通に呼んでね」
「はあ……努力はします」
誠はちょっと不安そうだ。俺は口元を緩めながら、誠と手を繋いだまま、家への道をゆっくりと歩いた。
***
夏になって、お互いに忙しくなった。
誠は地獄の夏期講習。
俺はオープンキャンパス巡り。
会える時間は、とても少なくなった。けど、夏休み中は週に一回は会う約束をして、近くの公園で缶コーヒーとシュークリームを食べるのが、俺たちなりのデートだった。
「……大学、県内にするの? 県外にするの?」
「そのことなんですが……」
誠がシュークリームを平らげてから、言う。
「……隣の県の、教育学部が有名なところを受けたいな、とずっと考えていて、実はもう少しずつ動いているんです」
「そっか。誠は先生になりたいの?」
「ええ……」
誠は柔らかい表情で、俺を見て言う。
「葉一様と一緒に勉強をする中で、その……言い方が失礼かもしれませんが、教えるのも楽しいな、と思うようになって……」
「良いね。誠、ぜったい向いてると思う!」
俺は心の底から頷いてみせた。
誠、本当に教えるの上手いから……良い先生になれると思う……!
「応援してる! その……プレッシャーになったらごめんだけど、頑張ってね」
「ありがとうございます! そのお言葉で、誰よりも頑張れます……!」
秋が来て、冬が来て……誠は顔には出さないけど、なんとなくしんどそうだと感じた俺は、下手くそながらも作り続ける弁当にプラスして、時々、手作りのクッキーをつけるようになった。
俺も、ちょっとだけ忙しくなってきたけど、何よりも大切な誠を支えたいと思ったら、身体が勝手に動いていた。
誠も、同じ気持ちだったのかな、と思う。大切な……好きな人の力になりたいって思うのは、自然なことなのかもしれない。
放課後に誠は集中講座を受けることになったので、今では会えるのは昼休みだけだ。
さすがに屋上では風邪を引くので、俺たちは誠の教室で昼食を取っている。
三年生の教室は、相変わらずぴりぴりしているけど、誠のためなら恐怖なんて捨てられた。
「美味しいです! 特に、このハンバーグが……」
「ありがと。冷凍だけどね」
そう言う俺の頭を、誠がぽんと撫でた。俺は驚く。
「ど、どうしたの?」
「いえ……なんとなく、撫でたくなりましたので」
「そ、そう……」
教室の奥の方で「きゃ……」と声がした。俺は振り向く。そこには女子が数人居て、皆がこっちを見ていた。
「……誠、目立っちゃったよ」
「ふふ。今さら、でしょう?」
誠が意味ありげに俺の耳元で甘く囁く。
また教室の隅で「きゃ……」と声がしたけど、俺はもう気にするのをやめておいた。
***
あっという間に新年が開け、俺がぼんやり正月気分を味わっている間に、誠は試験を受けたり、俺がバレンタインのチョコレート選びでぐるぐるしている間に、誠はまた試験を受けたり……見事に、すれ違いの日々が続いた。
俺は俺で、進級出来なかったら駄目だから、勉強を頑張った。結果、無事に三年に上がれることが決まった。
次は俺が、誠みたいな鬼スケジュールになるのか……俺は私立大学希望だから、そこまで詰まらないとは思うけど……。
「誠、遅いな……」
俺はコートのポケットの中のチョコレートの包み紙を触りながら呟く。
今日は誠の合格発表日。
誠ならきっと大丈夫だと思うけど……心配で駅まで来てしまった。バレンタインの時に渡せなかったこれも、ちゃんとプレゼントしたいしね。
俺は白い息を吐きながら、改札を眺める。もう何本の電車を待っただろう……。
あ。
誠だ。来た。
茶色いコートを着た誠が、歩いてくる。そして……目が合った。その瞬間、彼は駆け足になってこっちに向かって来た。
「葉一様!」
「……久しぶり」
誠、少し痩せた気がする。
俺は赤い包み紙の箱を誠にずいっと渡した。
「こ、これ……バレンタインのやつ。当日は忙しそうだったから……」
「……葉一様、抱きしめても良いですか?」
「へ?」
いきなりそんなことを言われて、俺は驚く。
誠は俺が頷く前に、俺を腕の中に閉じ込めた。
「ま、誠!?」
「……受かりました」
誠が、少し震えた声で言う。
「私、受かりました……!」
「あ、え、お、おめでとう……!」
俺は少し混乱しながら、誠を抱きしめ返す。分厚いコート越しなのに、俺たちの鼓動の音はしっかりと聞こえていた。
「葉一様の、おかげです! たくさん応援して下さったから……!」
「違うよ! 誠が努力したからだよ!」
「……ああ、葉一様」
誠の顔が近付いてくる。キスだ。俺は受け入れようと目を閉じ……そうになった。けど、思い出す。ここは、駅のど真ん中だ。
「だ、駄目!」
俺は誠の腕の中から出た。
「恥ずかしすぎる!」
「葉一様、頑張った私にご褒美を下さらないのですか?」
「うう……」
そりゃ、あげたいけど!
ここじゃ、駄目!
俺は誠にチョコレートを押し付けて、俺より大きい手を引っ張って駅から出た。
とりあえず、帰ろう!
続きは、それからだ!
「葉一様……! ご褒美!」
「あ、と、で!」
とりあえず誠の家に向かい、ふたりで中に入った。
誠の部屋に入ると、逆に俺は腕を引っ張られてバランスを崩す。俺たちはふたりでベッドに落下した。
「わ!」
「……葉一」
「っ!?」
「葉一」
俺の上に乗っかっている誠が、俺を、呼び捨てにした。驚きで動けない俺の頬に、誠が触れる。
「キス、したい」
「ま、誠……」
「しよ?」
誠はゴールデンレトリバーでは無かった。
土佐犬……は言い過ぎだけど、今、目の前に居るのは……狼?
「っ!」
「ん……」
一瞬だけの、触れるだけのキス。
初めてじゃないのに、ものすごく、どきどきした。
俺は、覚悟を決める。
「……良いよ。誠の好きなようにしてよ」
「え……?」
「脱がせても、良いよ?」
俺の言葉に、誠の顔がかあっと赤く染まる。そして……。
「な、なんてことをおっしゃるんですか!」
「え?」
「ああ、はしたない……! 葉一様! 私はキスがしたかったわけで……それ以上は望んでいません!」
「え、ええっ!?」
俺は起き上がって、いつもの口調に戻ってしまった誠の首に腕を回した。
「ご褒美、キスだけで良いの?」
「もちろんです!」
「えー……」
「まったく! 変なことを言ってはいけません!」
なーんだ。
ま、前に卒業するまでは……って話をしたしな。ま、いっか。
俺は誠に抱きついた。
「さっきの、敬語なしバージョン格好良かったよ」
「そ、それは、どうも……」
「狼みたいだった」
「褒めておられるのですか?」
「うん」
ぎゅっと抱きしめられる温度があたたかい。俺は誠の胸に体重を預けた。
「……ね、またゲーセン行こうよ。誠の受験が終わった記念に、デートしよう?」
「ゲームセンターで良いのですか?」
「うん。あ、でも、どこでも良いや。誠と一緒なら」
「……ありがとうございます」
誠は嬉しそうに微笑んだ。そして、どこか楽しそうに言う。
「さあ、次は葉一様の受験ですね! 私がサポートしますよ! そして、共に青春を謳歌しましょう!」
「青春って、前にも言ってたね。何歳までが青春時代ってやつなのかな?」
「人間、一生、青春ですよ」
「そんなもんかな」
「ええ、きっと」
まぁ、誠と一緒なら、どんな時でもきっと楽しい。
待っててね、誠。
次は俺が、頑張るから……。
「敬語、早く抜けると良いね」
「うっ……努力します、いや、する、よ」
見つめ合って、ふふっと笑う。
そして、もう一度、キスをした。
ずっとずっと、一緒に居ようね。その願いを込めて——。
「大好きだよ、誠」
「うん、私……僕も、大好き。愛してる」
ぎこちなく、ゆっくりと「忠犬」から変化していく誠。その姿を、いちばん近くで見ていたい。そう思った。
(了)



