午前中の授業が終わった。
 俺は、ふうと息を吐く。睡眠時間は八時間は取っているのに、どうしてこうも授業中は眠くなるのだろう。不思議だ。
 勉強は好き……ではない。けど、嫌いでもない。普通、といったところか。そう思えるようになったのも、この進学校に入ったからかな。中学の時に、必死に受験勉強をしなかったら、俺はきっといつまでもふらふらしていたと思う。その点については、誠に感謝だ。今じゃ、学年の成績の順位は半分より上だしな……勉強を見てくれる誠の教え方が上手いんだと思う。将来は教師になれるんじゃないかな、と勝手に思ったりする。
「葉一様ー!」
 俺は廊下を見る。
 誠だ。
 手にはふたり分の弁当箱を持っている。
「あ、忠犬先輩だ」
「今日も可愛いねー!」
 誰かがそう言ったのが聞こえた。俺はそそくさと立ち上がり、誠のもとに向かった。
「声、でかい……」
「失礼しました!」
 元気良く笑顔を見せる誠を見て、俺は小さくため息を吐いて屋上へと足を向けた。誠は俺の後ろをついてくる。
「葉一様、そろそろ日差しが強い季節ですので、教室で食べても良いのでは?」
「……俺は屋上が好きなの!」
 教室で誠と昼食? 考えられない。ただでさえ俺たちは忠犬だのボンボンだのと有名なのだ。教室でふたりで居るところを、じろじろと見られたくはない。だから、昼食は屋上と決めている。そこなら、人が少ないから。
「今日は、唐揚げをメインにしたんですよ」
 屋上に着いて、俺に弁当箱を手渡しながら誠が言う。いつも、誠は手作りの弁当を用意してくれるのだ。中学の時からそれは変わらない。おふくろの味ならぬ、誠の味に俺の舌は染まりつつある。
「……ありがと」
 礼を言って誠からそれを受け取る。弁当箱は二段重ねで、白米とおかずが別々の段に入っている。ずっしりと重みのある弁当箱の蓋を開けると、おかずの段には唐揚げが三個入っていた。それから、卵焼きにハンバーグ。レタスにミニトマト……タコの形をしたウインナー。俺の好物ばかりだ。
 俺たちは日陰を見つけて、そこに座った。俺が手を合わせて「いただきます」と言うと、誠もそれに続く。
「ん、美味い……」
「ありがとうございます……! ですが、ほとんどが冷凍食品なのです。朝はいろいろと忙しくて……本当は唐揚げだって手作りしたかったのに……!」
「いや、気持ちだけで良いデス……」
 いくらなんでも、朝から揚げ物をするのは無理だろう。米を炊くだけでも手間がかかるのに……今日はクッキーも作ってくれたし。誠、ちゃんと寝てるよな……? 高校の三年生って忙しいんだろ? 本当は、弁当なんか作っている暇は無いんじゃ無いのか……?
「ぼっちゃま? どうされました?」
「……え?」
「お箸が止まっていましたので」
「あ……」
 誠のことが心配になった、なんて、なんだか恥ずかしくて言えない。俺は適当に話を作った。
「いや、もうすぐ小テストが返ってくるなと思って」
「小テスト? 一昨日の世界史ですか?」
「あ、そうそう。それ……」
「それなら心配ありません!」
 誠が胸を張って言う。
「前日に一緒に勉強をしましたでしょう?」
「うん」
「私が作った仮のテストで、ぼっちゃまは十問中、七問を正解しました。だから大丈夫です。自信を持って下さい!」
「あ、ありがと……」
 俺は照れ臭くなって、弁当を食べることに集中することにした。唐揚げをひとつ箸でつまんで口に入れる。美味い。冷凍食品だろうが何だろうが、美味い。
「……あ」
 俺は唐揚げの下に、炒めた細切りのピーマンを見つけた。トラップだ。たまに、誠は俺の苦手なものを「こっそり」弁当に入れてくる。
「……」
 もう高二だし、食べれないことはない。ただ、味が苦手なだけだ。
 俺はちらりと誠を見る。いつもならここで「好き嫌いは無しです!」と言ってくる。だが……。
「……」
 あれ?
 今日は何も言わない。それどころか、誠も箸を止めて、どこかぼんやりとしている。元気が無い……もしかして、寝不足か!?
 俺はおそるおそる誠に声を掛けた。
「誠、疲れてるんじゃないの……?」
「……あ、いえ……」
 俺の言葉に、誠は視線をさ迷わせながら頬を掻いた。明らかに動揺している様子の誠に、俺は出来るだけ柔らかい声で言った。
「あのさ、弁当とかお菓子とか、無理して作ってくれなくても良いから……勉強とかで忙しいんじゃないの? 俺のことに時間を使うなら、自分のために時間を使った方が……」
「無理だなんて!」
 誠は悲鳴のような声で言った。
「お弁当もお菓子も、私の生き甲斐なのですよ!? 無理なんてしていません!」
「でもさ……今日は本調子じゃないじゃん。いつもと違うし」
「それは……」
 誠は深く息を吐いた。
「実はですね……」
「うん」
「もうすぐ、進路希望調査表の提出期限なのですよ……」
「……え?」
 俺は意味が分からなかった。だって、誠は学年だけでなく全国レベルでもトップクラスの成績を出している。どこかの国立大学にストレートで合格出来るだろう。なのに、進路のことで悩んでいるなんて……どうしてだろう?
「誠はさ、何に悩んでいるの?」
「……」
「あ、もしかして、両親とか先生とかと意見が合わないとか? 国立じゃなくて私立が良いとか……」
「……ぼっちゃま」
 悲しそうな表情で誠は俯く。
「……私は、進学したくないんです」
「へぇ、そうなんだ……え?」
 俺は驚いて箸を落としそうになった。
 進学、したくない……? なんで? だって、誠はどこにだって行けるだろう……?
「い、いったい何があったの?」
 俺の言葉に、誠は小さな声で言った。
「……ぼっちゃまと離れたくないのです」
「……は?」
「このまま高校を卒業して進学したら……ぼっちゃまと過ごす時間が減ってしまいます。私は、それがとても怖いのです……」
「な……」
 俺は言葉に詰まった。
 誠はとても辛そうに目を伏せている。どうやら、本気の言葉らしい。本気で、俺と離れたくないのだ……。ここまで「忠犬」ぶりを発揮しているなんて、俺はどんな言葉を紡げば良いのか分からなかった。
「……ぼっちゃま」
「っ、ハイ……」
 誠は真剣な顔で俺を見る。
「私、ぼっちゃまについて行こうと思います!」
「は、はい?」
「一年、ダブります!」
「は……」
「そうすれば、学年が一緒になって一緒に進学も出来るし……何より、ぼっちゃまと離れなくても良くなります!」
「な……」
 誠、お前は……!
「ば、馬鹿なの!?」
 俺は声を荒げた。
「俺と一緒に居たいって理由だけで、一年も無駄にするの!? そんなの、許されるわけないだろ!?」
「ですが……心から私はそうしたいのです」
「そんなの忠誠心とかいうやつじゃない!」
 俺は立ち上がった。
「誠がいろいろしてくれるのは嬉しい……勉強も教えてくれて助かってるし、今の俺があるのは誠のおかげだとも思ってる! けど、そうやって自分を犠牲にするみたいなのは嫌だ!」
「犠牲だなんて……」
「俺は誠みたいに賢くないから良く分かんないけど……そういうのは良くないと思うから! 次に変なことを言ったら、もう友達を止めるからな!」
「っ……」
 誠が息を呑む音が聞こえた。
 俺は誠に偉そうに言える立場じゃないけど、間違っていることはちゃんと伝えないと……だって、友達なんだから!
「……分かりました」
 しばらくしてから、誠はゆっくりとそう言った。先ほどよりも、もっと真剣な顔で。
「もう、ぼっちゃ……いえ、葉一様のお気持ちに反することは言いません。ですので、これからもお側に置いて下さいまし」
「あ……うん。どうぞ、よろしく……」
 なんだか気まずい空気だ。誠の雰囲気もなんだか変わった気がするし……。
「は、早く弁当を食べよう! 次は体育だから着替えて準備しないとだし!」
「そうですか。食後の運動も良いですね。ですが、くれぐれも無理の無いように……」
 あ、いつもの誠だな……?
 そう思いながら、俺は唐揚げを口に運ぶ。いつもなら美味しく感じる弁当なのに、今日はいろいろな感情が混じって、上手に味わうことが出来なかった。
「友達……」
「え?」
 誠が何かを呟いた気がしたので、俺は訊き返した。
「何か言った?」
「いえ、何も」
 誠は笑顔で俺に言う。彼はいつもの表情で、ミニトマトを箸でつまんでいた。